【完結】艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話   作:しゅーがく

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 終焉の章のアフターストーリーです。
視点は新瑞ですのであしからず。


After Story 海軍最期の指揮官

 

 あの”事件”から約2ヶ月後。私は荒廃した大本営を背に、メディアに向かって、国民に向かってある発表をした。

 内容は以下の通り。

 

『日本皇国近海の深海棲艦は沿岸部への攻撃を開始』

 

 そう。約1ヶ月前。深海棲艦の水上打撃部隊及び空母機動部隊が戦線を押し上げたのだ。

その結果、我々は完全に制海権を失う。そして、横須賀鎮守府以外の陸への攻撃を許してしまったのだ。

 攻撃されたのは、東京湾内。深海棲艦は12隻編成。”連合艦隊”編成にて、前衛の水上打撃部隊による艦砲射撃後、空母機動部隊の艦上爆撃機隊による航空爆撃が敢行された。

都市部に配備を進めていた対空陣地はことごとく撃破され、軍人民間人問わず、内陸部への避難を余儀なくされた。

 私はというと、時間稼ぎのために前線にて陣頭指揮を取っていた。

この時、佐官以上の海軍将校は私だけだったからだ。それ以外は全員あの”事件”で殺されていたからだ。

 私に分担された兵力は海軍海兵約15000人。陸軍約30000人。だいたいが歩兵部隊、機械化歩兵部隊、機甲部隊、航空部隊だった。

1つの戦場に配置する兵士として、現代戦ではありえない数だ。だが、相手は深海棲艦。これだけの兵を以て挑む戦闘でも、防衛線で時間稼ぎをするので手一杯だった。

 急造した混成部隊だったので、指揮系統は滅茶苦茶。しかも、それぞれの部隊は再編成したばかり。情報伝達が上手くいかずに、兵が無駄死にしていった。

 避難完了までなんとか防衛線を交代しつつ持ちこたえたが、その時の防衛線は最終防衛線まで後退していた。その時の残兵戦力は約3000人。配備されていたほとんどの航空兵器と陸上大型兵器は第2次防衛線までに破壊されていた。なので、残っていたのは対戦車誘導弾発射機。

戻ってきていた兵士たちは、前線で回収できるだけの大型兵器に有効な対戦車誘導弾を背負っていた。そして、自分の身体がすっぽり隠れる程の対戦車誘導弾頭を背中に何発も抱えていた。

その姿を私は見ていられなかったのだ。

 深海棲艦との戦闘に、戦車が出て来ることは無い。対戦車誘導弾を使う場面というのは、鈍足な水平飛行をしている艦上爆撃機に対してだ。

命中率は低い。だが、対空砲火よりも格段に高いのは事実だ。放つ価値はある。

 だが、何故兵たちは対戦車誘導弾を背負って戻ってきたのか。戦闘も終息しているというのに。

私にはそれが分からなかった。

 はっきり言って、避難支援戦としては史上最悪なものになっただろう。

 この避難は天皇陛下の勅命だった。

国民の命を第一に考えた勅命だということは、俺にも十二分に伝わった。部下にも、末端の兵士にも伝わっていたに違いない。

 だが、その命令は暗に『ここで死ね』と言っているようなものだった。

 兵士の本分は国民と祖国を守ること。

祖国の領域を守ることが危ぶまれるのであれば、国民の生命を第一にせよ、とのことだ。

もちろん、死を覚悟して臨んだに決っている。

 

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 『代償作戦』。私が指揮した神奈川東京埼玉撤退戦の蔑称だ。

軍人が言っている訳ではない。民間人が、国民が言っている蔑称だ。

理由は簡単。日本皇国の最後の砦が無くなった、その背景にある日本皇国軍への怒りを今回の砦がない状態での作戦にぶつけたものだった。

書類上では『神奈川東京埼玉撤退戦』となっている。

 私は反論することはしない。

何故なら、その蔑称は的を得ている。最後の砦を自らの手で陥落させてしまった後、自らの手で深海棲艦に立ち向かった戦闘だったからだ。

 

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 2ヶ月も経てば、あの”事件”の全容も分かってくる。

 陸軍系情報部隊によると、『海軍本部』の諜報系実働部隊崩れの人間を使った、天色 紅暗殺計画が顕になったのだ。

首謀者は不明。だが、確実に暗殺計画がなされていた物的証拠がいくつも残っていたのだ。命令書や作戦概要、メモ。実行犯が処分し忘れたものを発見、回収したことによって判明したことだった。

その中に不可解なモノが1つ、残されていた。

 これを約1年も隠していた日本皇国軍へ、国民の怒りの矛先が向いたのだ。公表前までは、今は亡き実行犯へと向いていたが。

 あの”事件”で、実行犯以外にもある人間が関与していることが、あの”事件”以来、分かった。

その人間は現在投獄中。動機は不明。

 マスコミの報道では『横須賀鎮守府の人間は死亡』とされていた。それは、事務棟の人間を引いたものだった。その中に、関与していた人物が含まれていたのだ。

 天見空軍少尉。私が空軍への要請で、ジェット戦闘機を譲った際に指導教官として横須賀鎮守府に派遣した航空兵だ。

何故、この人間の名前が出てきたのか。

 それは、天色 紅暗殺計画の準備段階に関与していたことが、実行犯の遺品から判明したからだった。

それに、あの”事件”の数日前。大本営宛に封書が届いていた。差出人は天見少尉。内容は『大本営と松代に軍を集結させろ』。受け取ったのは、空軍の将官ではなく、鎮守府へ第46機械化歩兵師団を送り込んだ陸軍将兵宛だったのだ。

 あの日の陸軍の対応が早かった所以だ。だから、1日も掛からずにあの”事件”は終息したのだ。

あそこに居る限り、そのような行動は出来ないだろうとは思っていたが、事務棟に居たのなら話は別だ。

そのような行動を取っていたとしても、艦娘や『柴壁』に怪しまれることもない。

そして、実行犯に情報を流すことも容易だったのだろう。

 だから、天見少尉は口を割らない。

 

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 この約2ヶ月間の再編成の際、海軍の部隊がほとんど残っていないことが分かった。端島にあった鎮守府も、再編成が完了する前に深海棲艦の襲撃を受け、防戦虚しく全滅した。

だから、海軍と呼べるような人間も部隊もあまり残っていなかったのだ。

 私の階級は大将のままだった。あんな作戦の指揮をして、降格されなかっただけでも御の字だ。

 だが、大きく海軍が残っているところがある。

 内陸にある、ある閉館した博物館。ここを横須賀から逃げ延びた人々が買い取り、あるものを作ったのだ。

 『日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部祈念館』

ただ、それぞれが持ち出した新聞の切り抜きや写真、手紙、それを集めて置いただけの祈念館。

そこに飾られてるほとんどは写真だ。しかもほとんどは、横須賀にある写真店の店主が持ち出したデータによるものだった。

 横須賀鎮守府の要請で写真撮影を頼まれていた店だったという。店主が避難の際に持ち出しただけのものが飾られていた。

 掛かっているのは鎮守府で行われた運動会、鎮守府文化祭(仮)、鎮守府外での横須賀鎮守府に関係の深い人物が映った写真。

 私が知った顔が沢山、沢山写っていた。どれも笑った顔ばかりだった。

 祈念館へ行った私は涙が止まらなかった。

私もあの”事件”の朝、国営放送の生放送を観ていたのだ。

赤城の訴えや、赤城が代弁した”あの男”の心の叫びを。

 そしてそれを聴いた私は気付いたら拳銃を握っていた。あと少し、あと少し妻が止めるのが遅かったら、私も”あの男”に逢いに行っていたところだっただろう。

 『海軍本部』のことは再三聞いていた。そして、水面下で対策を立てて、実行していた。だが、それでも私だけで動くには力足らずだったのだ。

“あの男”が殺されることにも気付いて、注意喚起をしていたにも関わらず、それだけで終わってしまっていたのだ。これはもはや力足らずとは言い難い。

 そして”あの男”は殺されてしまった。

力足らずを嘆いても、時間は巻き戻らないのだ。

 

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 “あの男”はもう居ない。

私たちの罪の象徴である”あの男”は。

 暗殺事件以来、艦娘とは顔を合わせて話をしていない。とはいえ、私と顔を合わせて話をしたことのあるような艦娘は赤城くらいしかいないが。

 赤城は私のことをなんと思っているのだろうか。妬ましく思っているのだろうか。

赤城が国営放送で云った言葉、『誰も”彼”を見ていない!』。この言葉で、大本営と松代は襲撃を受け、当時勤務中だった殆どの人間は殺された。

 ここからは私と上の人間しか知らないことだが、あの”事件”で大本営と松代で生き残った人間。正確に言えば、そこに駐留していた人間で生き残った人間は、私と総督、横須賀鎮守府に補給に出ていた補給部隊の指揮官だけだった。

 私もあの”事件”で逃げる最中、『闘犬』と何度かすれ違ったが、攻撃されなかった。否。見て見ぬふりをされたのだ。これが何を意味するかは分からない。

生存した人間の共通点を見てみると、横須賀鎮守府に関わりの深い人物だということは目に見えていた。

 私たちは生かされたのだ。多分。

 

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 妬ましい。日本皇国を守ると誓った私が戦争を押し付けていたのだ。

 明るい未来のある青年を、未来に夢見る青年を、明日への希望を持つ青年を。そんな青年に国民総人口約1億人の命を背負わせた。重い責任を背負わせた。

 間接的ではあるが、『海軍本部』は海軍部傘下の組織。彼らの行動は私たちの行動と同等だと考えられる。

それでも私は”気付いた”。自らの行いに。

 

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 日本皇国軍は大本営を放棄。比較的損傷の少ない(大本営と比べてだが、酷いのに変わりはない)松代の第二司令部に身を置いている。

ここで私は軍全体の再編成の任を請け負っていた。陸海空のそれぞれの部隊と装備の確認。製造出来るだけの兵器の確認や稼働できる陸軍工廠の確認。備蓄資材の確認。

やることは山積みだ。

 執務室には誰もいない。補佐官や秘書もだ。

海軍はもとより人数が少ない。そして、海軍の将校は皆、あの”事件”で殺されてしまった。有能な将は居た。だが、駄目だった。『闘犬』にはそれが分からない。

横須賀鎮守府に少しでも攻撃的な姿勢を取れば、すなわち、裁きの対象となったからだ。

 下士官は残っていた海兵を掻き集めに、日本中を奔走している。強引にこの前、下士官最高階級の人間を尉官に昇級させた。身を振りを柔軟にするためだった。

 

「せめてもの救いは、横須賀鎮守府が流した大量の資材が内陸に保管されていたこと、か」

 

 私は手元にある書類を見て独り言をする。

 大量に横須賀鎮守府が売り払った資材。節約せずとも、燃料以外は10年以上持つ量がある。だがこれは、兵器製造を完全に停止した場合のみだ。

 

「資材管理はそのまま継続。運び出しは常にこちらに書類を送るように、継続」

 

 そう書類の備考に書き込む。書き終わった書類はそのまま右隣の箱に入れて、左から未確認の書類を手に取って目を通す。

 

「偵察隊の報告書か」

 

 偵察隊の報告書が私のところに来ている理由は簡単だ。

 繰り返すことになるが、元々人手不足であった海軍の尉官や佐官は全員死んだ。なので、私が直接、海軍の歩兵部隊を指揮しているのだ。当然、直系の上官は私ということになっている。

 

「……やはり、各地の鎮守府は変わらずに稼働中」

 

 私が偵察隊に課した任務は、各地に点在する横須賀鎮守府以外の鎮守府の状況調査。

放棄された鎮守府がどうなっているか、というのは調べることをしなくてもだいたい分かる。

私が調べて欲しかったのは、稼働中の鎮守府だ。

この攻勢に、彼らはどういう対応をしてどうしているのかを知りたかった。

 調べた結果は私の想像通り。

問題なく稼働中。いつも通り、艦隊が出撃しているとのこと。ただし、補給が止まっていて困っているらしい。

 つまり。稼働しているにも関わらず、放棄された鎮守府と状況は変わらないということになる。

 

「各地へ補給任務だな。陸軍の補給部隊を回してもらおう。こちらに動く余力は残っていない」

 

 そうつぶやき、手元に書類を用意した。総督宛の上申書だ。内容は各鎮守府への補給部隊派遣要請。きっと、総督は印鑑を押してくれるだろう。

 

「さて、と」

 

 私は書き終えた上申書を別のところに置き、腰を鳴らした。

 体勢を元に戻し、窓から望む景色を見る。

果てしなく続く青い空。透き通る程の白い雲。あの下で行われた殺戮が嘘のようだ。

 私はペンを置き、正面にある扉を見つめる。

そこに何がある訳でもない。ただ、そこを見つめたのだ。

 思うことは色々ある。だが、今更何を考えても無駄だ。

日本皇国は深海棲艦との戦争に負けた。抗う術も自らの手で失くした。残っているのは、疲労困憊の兵と、溢れんばかりの避難民。そして、欲しくなかった名誉。

 

『神奈川東京埼玉撤退戦に於いて、貴官は指揮官として兵を導き、全域撤退の支援を成し遂げた。ここにその働きを表し、栄誉を与える』

 

 そういう言葉を受けながら受け取った勲章。

数多と受け取った勲章の中で、最悪なものだった。

 そして、その勲章を見て思い出す。大本営に散っていった者たち。私が送り出した精強な兵の成れの果て。心優しき戦士たちの成れの果て。私の罪と罰。

 私は誓った。

座っているだけでは駄目だ。立ち上がり、脚を動かし、口を開き、手を動かす。

滅びの道を征く日本皇国を少しでも延命させる努力を惜しまないと。

 

 





 このアフターストーリーは横須賀鎮守府の艦娘が中部海域に出撃し、『柴壁』が全滅した後の話です。
 新瑞の視点で、その後を書かせていただきました。
国内の状況や世論の動き……。世論の動きは書いてないような気がします。
とりあえず、そういった内容ですが、このアフターストーリーは続きます。
今後も何万文字単位の短編のようなモノを続けますので、どうぞよろしくお願いします。

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