キーンコーンカーンコーン。
授業終了を告げる鐘の音が鳴り、4時限目の終了を告げる。
これでやっと午前中の授業が全て終了したことになる。そしてこれから皆お待ちかねのお昼休みである。
「明人、学食行こうぜ」
今日の午前中だけでもいろいろあってお腹が空いていた一夏は、昼休みが始まるや直ぐにこの学園唯一の男友達である明人を学食へと誘った。
「ああ」
明人はそれに短く応えると机の上の教科書やノートを片付け始める。
(……ん?)
一夏は明人が机の上を片付けるのを待っているとふと、何処かから視線を感じた。
いや、正確に言うと視線なら先程から掃いて捨てるほど浴びている。しかし今感じた視線は今までのものと質が違う感じがしたのだ。
前者は好奇心や興味、関心といったもので、後者は…上手く言い表せないがそれとはまた別種のもののように感じる。
一夏が視線を感じた方へ振り向くと、そこにいたのは6年ぶりに再会した幼馴染――――篠ノ之箒だった。
一夏がそちらを見ても彼女はそれに気付かない。
つまり彼女が視線を送っていたのは一夏ではなく彼の隣にいる…
(明人?)
ということになる。
今思えば彼女は授業中にも明人に視線を送っていたような気がする。
なぜ箒が明人にそんな視線を送るのか一夏は思考する。
箒と明人は幼馴染で3年ぶりに再会した。
SHRでの明人を見たときの箒の態度。
その後2人でどこかへと消えていった。
そして箒の明人への視線。
これらから導き出される答えは………。
(まさか!箒は明人に片思いを……!)
箒は明人に片思いしているのではないか。それが一夏が導き出した答えであった。
(うん。それならあの箒がこんなに大人しいのにも説明が付く。好きな男子が気になるけど声を掛けられないなんて、箒もちょっと見ない間に女の子らしくなったじゃないか)
と1人で納得しながら、本人が聞いたら酷く憤慨しそうなことを考える一夏。
(ならそれを応援してあげるのが幼馴染ってやつだな。よし!ここは俺が一肌脱ぐか)
そして1人で勝手に盛り上がって変な使命感を感じていると机の上の片付けが終わった明人が一夏の机の前に立っていた。
「あ、明人。ちょっと待ってもらってくれ」
明人に一声かけてから一夏は立ち上がり先程からこちら、正確に言えば明人を見ている箒へと声を掛けた。
「おーい、箒!一緒に学食行かないか?」
ガタタッ!と音をたて声を掛けられた箒は慌てて顔を逸らす。
そしていかにも「何も聞こえていませんよ?」と言いたげな、あからさまな態度で一夏の声を無視する。
「おーい!箒ー?」
「……………」
一夏の再三の呼びかけにも彼女は応えようとしない。
しかし彼は声を掛けるのをやめようとはしない。
なぜならこれは(一夏が勝手にそう思っているだけだが)箒の為なのだから…!
「おーい、箒ってばー!学食行こうって――――」
「わかった!わかったから何度も大声で呼ぶな馬鹿!」
いい加減何事かと周りの生徒達の視線が集まってきたところで箒は観念したのか一夏の呼びかけに応え、彼の方へ向っていく。
「馬鹿って…。6年振りにあった幼馴染にそれはないだろ」
「お前が何度も大声で呼ぶからだ、馬鹿!」
「いや、それは……」
凄い剣幕で詰め寄る箒に「箒が無視するから…」という言葉を飲み込んでしまう。
なので自分の隣に立つ明人に助けを求めることにする。
「それは箒が無視するから仕様が無く…なぁ、明人?」
「あ…………」
明人の姿を認めた箒が先程までの言動が嘘のように大人しくなる。
俯き、手はやり場に困ったのか胸の前で組んでもじもじと忙しなく動かす。
「その…一夏とは、明人と会う前の学校で一緒で……」
「そうそう。6年前に箒が転校するまで一緒の学校だったんだよ。あれ?明人に言ってなかったっけ?」
「ああ」
何とか聞き取れるような小さな声で自分たちの関係を説明する箒とそれを補足する一夏。
それに対し明人はやはり淡白に応える。
「……………」
「……………」
(あれ?なんでこんな空気になってるんだ?)
それ以降会話がピタリと止んでしまい、場に微妙な空気が流れる。
暫く経っても一向にその空気は改善されることは無く流石の一夏も居心地の悪さを感じ始めた。
「じゃあ、学食に行く…か?」
とりあえずそんな空気をどうにかしようと一夏は学食へ移動するよう提案した。
「そ、そうだな」
「そうしよう」
その提案を2人は賛成し、3人は食堂へと移動することにした。
その後ろに多くの野次馬(生徒)たちを引き連れながら。
場所は変わってIS学園食堂、そこで一夏、箒、明人の3人はそれぞれが注文した料理を手にテーブルへ着いた。
因みにそれぞれが注文したものは、一夏が日替わり定食(今日は鯖の味噌煮定食)、箒が山菜うどん、明人がカレーライス(辛口)である。
「箒はうどんか。相変わらずうどんが好きなんだな」
「わ、私が何を頼もうとお前には関係ないだろう!」
「ま、そうなんだけどな。明人はカレーか…、辛いものが好きって言ってたもんな」
「…ああ」
明人は応えながら、テーブルに備え付けられている調味料に手を伸ばし、その内の1つを手に取る。
そのラベルには『カレー用とび辛スパイス! 一振りで辛さ2倍!! 注)大変辛くなるので少しずつ入れてください』と書かれてあった。
そんなちょっと怪しい調味料を明人は手に取り
サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ、サッ。
計13回振りかけた。
もしラベルの表記が本当なら、2の13乗。つまり辛さ8192倍のカレーを作り上げたことになる。
ざわっ……!!
それを見ていた周りの生徒からざわめきが起きる。
その反応を見るとどうやらラベルの表記の正否はともかく、この調味料をこれほど振り掛ける者は今までいなかったのだろう。
「あ、明人…それ、大丈夫なのか?」
「問題無い」
一夏が心配して明人に声を掛けるも、明人は相変わらず淡白に応える。
しかし明人の目の前のカレーのルーが先ほどまではさらりとしたものだったのに今はやや粘性が出ており、その変化が調味料1つによってもたらされたことに一夏は心配の念を禁じえなかった。
そんな一夏の心配を余所に明人は何の躊躇いも無くカレーをスプーンで掬い、一口。
『…………………』
一夏や周りの生徒たちが見守る中、明人は咀嚼し、飲み込む。
そしてカレーに再びスプーンを伸ばし二口目を口に含んだ。
ざわっ……!!
再び食堂にざわめきが起こる。
「馬鹿な…!あれを食べて無事なはずが無い」などと周りの生徒が口々に言っている。
「なぁ、明人」
そしてそれを聴いて、止せば良いのに興味を持ってしまった男が1人。
「それ、一口貰っていいか?」
ざわっ……!
一夏の発言を聞いて食堂に三度ざわめきが起こる。
「無謀だわ!」「彼は死ぬ気なの!」など言い、周りの生徒は一夏の行動に驚愕している。
「やめたほうがいい」
「いや、一口だけで良いからさ」
明人もそんな一夏を止めようとしたが、それでも一夏が食い下がってくるので、仕様が無く自分が使っていたスプーンを一夏に渡す。
「サンキュ」
一夏はスプーンを受け取ると、しっかりスプーン一杯分カレーを掬いそれをゆっくりと口へと運ぶ。
『…………………!』
周りの生徒たちが固唾を呑んで見守る中。一夏はそのカレーを…………口に含んだ。
「…………………」
後に、一夏はその時の事をこう語っていた。
「余りにも辛い食べ物ってさ、一瞬口の中を麻痺させるんだよな。それでさ、徐々にその麻酔がなくなってきて口の中を激痛が襲うんだよ。うん。辛いのを通り越して痛いんだよ。声が出ないぐらいにさ。はは。あれを食べる明人は辛いもの好きとかいう次元を超越してるんじゃないかな?」
と。
「―――――っ!!?っ!?――――ッ!!!―――――――――――っ!!!?」
突如口の中に訪れた痛みに一夏が声を上げることも出来ずに悶絶する。
とりあえず痛みを抑えるために目の前にある水を一気に飲んだが勿論そんなもので足りるわけは無く、彼は水を求めて食堂を走り回る破目になった。
「きゃー!誰か!織斑君に水を!」
「はい!これミルク!水よりこっちのほうが良いから!」
「じゃあミルクよ!早くミルクを持ってきてー!!」
静かだった食堂は突如として喧騒に包まれた。
そしてそれを作り出した(と言うよりも原因の
そして、それを見ていた箒が哀しそうな顔をしていたことに気が付く者は誰一人いなかった。
昼間に一騒動あったが、何とかIS学園での初日を無事(?)終えた一夏と明人は、あてがわれた寮の一室でその身を休めていた。
「くあー!疲れたー!」
身体から搾り出すように声を出し、一夏はベットの上に大の字に倒れる。
彼の格好は水色の半袖TシャツにOD色のショートパンツとかなりラフな格好をしていた。髪の毛がしっとりと濡れていることから彼がお風呂上りであるということが窺える。
ぎしっというスプリングの音をたて一夏の体がベットに沈み、跳ねる。
「おーっ!すげーふかふかだ。とても学校の寮にあるベットとは思えないな」
そのスプリングの感触が気に入ったのか、髪についた水滴でベットが濡れるのも気にせず彼は何度もベットの上で跳ねる。
その隣にあるこの部屋のもう一つのベットの端には黒の長袖Tシャツに黒のスウェットパンツとこちらもラフな格好をした明人が腰掛けていた。
「しかし参ったよな。まさか女子たちが部屋まで押しかけてくるなんてさ。明人が風呂に入るって言わなかったらたぶんまだこの部屋に居たんだろうな」
「一夏と俺はこの学園で初めての男子。女子が興味を持つのも仕方が無い」
「んー、気持ちはわからなくはないんだけど…やられる身としてはもう少し自重して欲しいよな…」
先程までこの部屋には学年を問わず女子が、一夏や明人と少しでもお近づきになろうと代わる代わる押しかけて来ていたのだ。
その中でもやたら粘っていた3年生グループが居たのだが、滞在時間が20分を過ぎた辺りで明人が風呂に入ると言い出してなんとかお引取りしてもらったのだ。
こうしてやっと2人に平穏な時間が訪れたわけだが時刻は既に10時を回っており、今日1日慣れないこと尽くしで相当疲れが溜まっていたのか一夏を猛烈な睡魔が襲った。
「ふぁ~……あ…。あぁ…もう無理だ。俺はもう寝るけど、明人はどうする?」
「俺ももう寝よう」
少し速い時間だが、2人はベットに入り部屋の明かりを消した。
「おやすみ、明人」
「ああ。おやすみ」
就寝の挨拶を交わして直ぐ、やはり相当疲れが溜まっていたのか、一夏は直ぐに寝息を立て始めた。
それを確認してから明人はバイザーを外しベットの傍に備えられている台に置き、瞳を閉じたのだった。
声がする。
懐かしい、皆が俺を呼ぶ声が。
『アキト~』
大きく手を振ってこっちにかけてくるユリカ。
その後ろには何でか俺をいつも目の敵にしていたジュンも居る。
『アキト!一緒にゲキ・ガンガー3見ようぜ!」
『馬鹿ヤロウ!アキトはオレたちと遊ぶんだよ、ヤマダ!』
『ヤマダじゃない!俺はガイだ!ダイゴウジ・ガイ!』
さらにその後ろからはリョーコちゃんとガイがどっちが俺と遊ぶかで揉めながらやってくる。
『アキト君は相変わらずモテモテだね~』
『罪作りな若作り……』
そんな2人を見て呆れているヒカリちゃんとかなり微妙なギャグを言っているイズミちゃん。
そして、
『バカばっか…』
一番後ろで皆を見ながら、しかししっかりとこっちに歩いてくるルリちゃん。
皆がいる。俺の友達であり、家族でもある、『ナデシコ園』の仲間達。
俺の人生で最も幸せだった時間。
そしてもう訪れることの無い時間。
そう、これは夢だ。
あの日から何度も同じ夢を見た。だからこの後どうなるかも知っている。
ある日、ナデシコ園に大勢の黒いスーツを着た男たちがやってくる。
その男達にナデシコ園にいた子供たちは1人残らずやつらに連れて行かれた。
連れて行かれた先は窓の無い何かの機器の稼動音がうるさい施設。そこで子供たちはいくつかの組に分けられて部屋に閉じ込められた。
特に仲の良かった俺たちは運が良かったのか同じ部屋に閉じ込められていた。
部屋に閉じ込められて何日たっただろうか。ある日、白衣を着た男たちにガイが連れて行かれた。
それから何日経ってもガイが帰ってくることはなく部屋に食事を持ってくる男に聞いてみても「何れ会えるよ」と気味の悪い笑みを浮かべるだけだった。
それで理解した。ガイはもう帰ってくることは無いと。
そしてまた数日後、今度はジュンが連れて行かれた。
その際には勿論抵抗したのだが小学校を出ていない自分たちが大人の力に叶うはずも無かった。
その後もイズミちゃん、ヒカルちゃん、リョーコちゃんと連れて行かれた。
そして誰一人として戻ってくることは無かった。
3人になってしまった部屋の中は最初に比べて随分広く感じた。
その部屋で泣いているユリカを落ち着かせ、励ます。
ルリちゃんは泣くことは無かったが、その
そんな2人と手を繋いで励ましあっていると、白衣を着た男たちが現れた。
だが、今日はいつもと違った。ユリカとルリちゃんの2人が連れて行かれたのだ。
1人になってしまった部屋で俺は帰ってくるはずが無いと思いながらも2人を待っていた。
すると数日後、その思いが通じたのかルリちゃんが帰ってきた。
俺は急いでルリちゃんに駆け寄った。
痛いところは無いか、変なことをされなかったかなど、問いかけるもルリちゃんは部屋に入ってきたときのまま俯いていた。その小さな肩は震えている。
俺は急かすことなくルリちゃんが落ち着くのを待った。
そして暫くしてルリちゃんが俯いていた顔を上げた。
『アキトさん』
数日振りに見たルリちゃんの顔は少し痩せていて
『タスケテクダサイ』
その瞳は
「―――――――――――っ!!!」
明人が目を覚ます。その顔色は悪く、呼吸も荒い。
しかしそれも彼が見ていた悪夢からすれば仕様の無いことである。
それは彼の記憶だった。幸せだった日々が奪われた記憶。
次々にいなくなっていく仲間。そして今、残ったのは
「――――――――ハァ…」
一度大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
もうあの日々が戻ってくることは無い。いや、戻ることは出来ない。だから思い出に縋るな、切り捨てろ。
明人は自分に言い聞かせる。
自分は変わったのだと。あの頃のような綺麗な心はもう無い。あるのは濁った心と穢れた両手。
そう。この両手は穢れてしまっている。俺の人生を滅茶苦茶にした
「ハァ…」
もう一度軽く息を吐く。
復讐は果した。もうやるべきことは何も無い。
なら何故彼は生きているのか。
それは一応助けられたという恩があるから。だからその恩を返すため、そいつの仕事を手伝っている。
それが彼の生きる理由。己のためで無く、だからといって人のためでも無い。ただ惰性で生きている。それが今の彼である。
いつか彼の生に理由が生まれる日は来るのだろうか。
それは誰にも、彼自身にも分からない。
彼は身体を起こし、バイザーを装着する。
そして、彼の意味の無い1日が、また始まる。