なお編集が続いているため伸びたり縮んだりします。
小さな部屋、壁一杯に大きな本棚が敷き詰められ、柱に灯ったランプだけがソファとそこに座る少女、小さなマホガニーの机を映しだしている。
「…地底が崩壊するのも時間の問題ね」
ぽつり、項垂れたまま、桃色の髪の極めて小柄な覚、古明地さとりは呟いた。
閉鎖されていた空間。のどかな原風景が今も広がり、忘れ去られたものが集う誰からも忘れられた場所。
幻想郷。妖怪達の理想郷はかの楽園の巫女と謳われ、スペルカードルール創設など多数の功を成した博麗霊夢が死去して100年、外来からの侵略者によって容易く壊れようとしていた。
地上はもう壊滅状態、山も天狗の影はおろか、八百万の神々の姿、木っ端な妖怪1人すら姿がないらしい。守矢の神は彼女らの愛した巫女の末裔をを外界へ送り返し力尽きたと聞く。
他所の状況は隔絶、閉鎖された地下にいるさとり達には届かないが、きっと同じようなものだ。
今、そんな事を気にしても仕方がない。桃色の癖毛がぱらりと目の端に映った。鬱陶しい。掻き上げ彼女は思考を切り替えようと首を振る。さとり達の根城である旧都、及び地底にもすでに魔の手は迫っていた。
山の――今は鬼のと言った方が良いだろうか――四天王、金の髪と紅い一角。旧都のまとめ役である星熊勇儀が殺された。
返り討ちにあった。
それは肝も性根も据わった重鎮達でさえも震撼するような事象。そして新たな喧嘩相手だ面白い、我こそは住処を守るもの、と息巻いていた鬼達も一斉に凍り付いた。
――情報が伝わらず、殿を結果的に勤めさせられることになってしまうことに。
怨霊も恐れ怯む少女と呼ばれ、遠巻きにされつつも影で貶まれていることは知っていたが気にも止めていなかったさとりだったが、今はそれが、その事実が恨めしかったし後悔していた。懺悔していた。
「せめて、ペットだけは。私を犠牲にしてででも……。」
たくさんの付き従ってくれた動物たち、そして黒と赤、カラスと猫。二人の少女が私の脳裏に閃く。
出来るだけ、あの愛しい2人には見付からないよう。まあ、私が居なくなって清々するでしょうけどね。
紅いベルベットで誂えられたソファからゆっくり立ち上がり、どうすればよいだろうか、と頭を回しつつ手配を済ませようと采配を振るため口を開ける、その時。
「させませんよ、さとり様。 ……敵襲です、速くお逃げ下さい」
さとりの目の前に現れたのは赤い髪の猫娘、正式には火車。火焔猫燐。
三つ編みのお下げをゆらし、息も絶え絶えに主人に危機を知らせに来たのだ。
さとりでさえ見た覚えがまるでないほどの真剣な面持ちの燐をさとりは真っ向から見据え、静かに話し出す。
とはいっても、少しさとり自身の心には不安と恐怖があることも事実だ。それは彼女にもなのでお相子だが。
どうせ義務的なものだ、促してあげればきっと逃げる。逃げてくれる。
「…私には主として、貴方達を守る責任がある」
しかし燐は厳かに首を振る。かの地霊異変時ですら明るく、何を考えているのか分からないとさえ言わしめた彼女にはあり得ない姿だった。そして燐はかすれた声を紡ぐ。
「私達にも、貴方をお守りする責務があります……、なんて」
硬い表情を緩めいつものように、猫のようにふにゃりと微笑んだ。しかし目だけは確固たる決心を秘めているように輝いて。
「いやぁ、あたいは優しい主人を持てて幸せですよ。だから貴方を守りたいんだ、主人とかペットじゃなくて、古明地さとりを火焔猫燐として」
「分かって下さいよ、さとり様、読めているんでしょう?」
「…………」
語られる言葉には真っ直ぐな心。感じ取っているだけにさとりは何も言うことが出来なかった。服の袖を握りしめる。
嘘偽りも何も無い。てっきり嫌われていると思ったのに、と口からこぼれ落ちた言葉を拾うものは誰も居ない。
気圧された、のかもしれない。常に先手を行くことが出来る覚妖怪が一歩出遅れたのは。
「空!」
燐が声の限りに叫ぶ。華奢な少女からは想像できない、最早ハウリングと言っても良いだろう。びりびりとステンドグラスが揺れた。
「はいはーい! 行くよさとり様!」
その声に応え、床を突き破り、やや現状に似つかぬのほほんとした顔を覗かせたのは大きな翼の影。
普段は地下で焦熱地獄の管理をしている八咫烏、霊烏路空。
彼女は今も地下にいた。顔が見えたのはさとりの直下。つまり。
「!?」
ふわりと宙に浮くさとりの華奢な体。飛行はおろか受け身すら取れずに硬直する彼女を空は軽々と受け止めた。
最初からこうする予定だったようだ。遠く地下に空を待機させたのは心を読まれぬ為だろう。
「といっても絶対引きませんからねぇ、さとり様は。一芝居打たせていただきました」
チェシャのように猫が笑う。
「…あ、言いたかったことは本当ですよ?」
「……それくらい承知だわ、私を誰だと思ってるの」
只でさえさとりは力が弱い。それに空のがっちりとしたホールド。逃げられるわけがないと観念したのかむっつりとした顔でしたり顔のペットの補足に応えた。
「無理だけはしちゃ駄目よ」
分かってますよ――。
たった一人残った燐のそんな意思をさとりは感じ、神に祈るように静かに目を閉じる。
*
『本当に大丈夫? ちゃんと戻ってくるよね』
作戦を立てたときの、お空の声が蘇る。
「…………ごめんね、約束守れそうにないや」
苦笑して、耳を澄ます。
聞こえる足音は100はくだらない。もしかしたら1000かもしれない。
ぎゅっと胸を掴みつつも燐は下手すると逃げてしまいそうな足をドアの向こうに進めた。
『敵影発見 これより戦闘に移行する』
ザザとノイズがかった声を響かせ、相手が臨戦態勢を取る。
「随分此処を荒らしてくれたものだね、身の程知らずめが」
大の男がひぃふうみぃ… 燐の予想と変わらない数と見受けられたようで数えるのはやめた。
すっと、息を吸う。声を張り上げるために。
真剣なときは、わざとおどけるに限る。
「『死体繁華街』にようこそ、なぁに御代はお前らの魂だ、ゆっくりしていきなよ」
言葉とは裏腹な凶悪な笑みを張り付かせ、怨霊達を呼び寄せる。
絶えず溢れた負の力、相手らがしでかした虐殺により恨みのパワーは三倍段。
怨霊と会話が出来る燐は聞いた。彼奴らを倒す、仇討ちをと声高に叫ぶ声を。それの矛先は燐と同一ではないのだが、それでも少しは自分の励みになった。
勿論のことだが相手は応えない。否、『声』が聞こえた。それは――
解放を。永遠の死から解き放たれたいと懇願する声。
屍人。ゾンビ。見た目からはほぼ推測出来なかった。そう、仇討ちを叫ぶのは燐の操る怨霊達だけではなかったのだ。
彼らは。彼らも、此処の住人であった。
――流石にちょっと反吐が出そうだ。
歪んだ笑顔の縁に小さく舌打ちが零れた。
戦力は拮抗していた。どちらも打ち倒されては又次が浮き上がる。
このままじゃ埒があかない。本来の目的である時間稼ぎにはなっているけれど、燐は帰らねばならない。死ぬ覚悟があるとて、約束を守る気持ちは強い。
指揮官が居る筈だ。此奴らを動かしているのは
もっと、あたいに近いものだ。
妖力の流れを辿った。立ちはだかる屍が邪魔だったので猫になって。この状態の燐を捕らえられるものは殆どいない。
ましてや死んだ者達には捕らえられまい。痛みを感じないこと、力のリミッターが外れている代償でこう言った部類は動きが愚鈍になっているのだ。
軽々と足の間をくぐり抜け、先へ。相手に動く様子はなかった。
つまり気配も読めないほどの馬鹿か。あるいは向かい撃てるだけの力量を自負しているか。
まぁ、後者だろう。しかし怯んでいる訳にも行かない。それならそれで、消耗戦で勝てるとも思えないからだ。
ふと燐は、最初は時間稼ぎのためだったはずなのにいつの間にか勝つことを考えている自分と、その状況を吐き気のような不快感と同じくらい楽しんでいることに気づいた。
自嘲も込めて小さく鳴いた。その時。
「全く、これだから生粋の喧嘩好きはいけないねぇ。ああ全くだ。これが私だなんて。愚かにも程があるんじゃないか」
同じことを考えていた。いや、言っていた。燐がそう思うと同時に目の前の足が生者のものであり、妖力の中心に到達したことに気がつかされた。
取りあえず人間体には戻らず、相手を確認することにして、少し後ろに。屍達の攻撃がいつの間にか止んでいた。
「あっは、やっほー、火焔猫さん? あたい……いや、私だよ」
眼前のヒトガタは、寸分違わず、一分の一スケールの。ただ、髪が抜けるように白い――
――あたいだった。