言った。自分は深海棲艦の味方だと。
人――いや、人類そのものを裏切る道を選んだ。
「逃げましょう。ホ級、動けますか?」
「……大丈夫ダ。スマナイ、助カッタ」
……考えるのは後回しだ。今はただ自分にできる事を、ホ級を連れてここから逃げる事を考えなくては。
俺は艤装を左手に持ち替え、空いた右手をホ級に伸ばす。その手をぐっと力強くホ級は握り返してくれる。
が、その力強さとは裏腹に、ホ級の声は今にも消えてしまいそうなほどの弱弱しい響き。
もしかすると、予想する以上にダメージが深刻なのかもしれない。
「ソンナ暗イ顔ヲスルナ。私ハ平気ダ」
どうやら俺は相当不安そうな表情をしていたらしい。
その不安を払拭するように、ホ級は明るい調子で話しかけてくる。
しっかりしろ。助けに来た方が相手に気を使わせてどうするんだ。
「退却スルノハ良イガ、行ク当テハアルノカ?」
「ええ、その点は大丈夫です。それと恐らくですが、そろそろ――」
言葉を言い終わる前に、放物線を描きながら頭上を多数の砲弾が飛び去っていく。
その砲弾は、敵艦隊がいるであろう場所に先駆けるように突っ込んで行き、水面に着弾。
衝撃によって作り出された水柱が、周囲の海上を白く染め上げている。
「……すっごいな」
援護をお願いします、とは言った。確かに言った。
が、これはむしろ制圧といった方がいいのではないだろうか。
タ級の援護射撃によって引き起こされた急激な景色の変化に、口から無意識に感嘆の言葉がこぼれ落ちる。
――突っ立っている場合ではない。敵が砲撃に浮き足立っている今が好機だ。
頭を左右に軽く振って意識を切り替え、逃走する方面へ身体を向ける。
「退却する場所は、私達が出会ったあの島です。あそこまで逃げましょう」
「了解ダ」
お互いにアイコンタクトを取り、全速力で逃走し安全圏へと向かおうと、敵に背を向けた瞬間。
背中の中心に杭を打ち込まれたような衝撃が走る。
保っていた体勢が崩れて海中へ沈みそうになるが、間一髪のところで体勢を整える。
何が起こったか理解しようと思考を巡らせ、撃たれた、という事実を脳が遅れて認識。
それを理解した瞬間に、背中から激しい痛みが溶岩のように溢れ出す。
痛みのせいで口からは空気が漏れるようなかすれた声しか出す事ができない。
同時に腹の底からこみあげてくる、激しい炎の様な感情。それが左目に灯った炎と呼応し、煌々と燃え盛っていくのが自分でも分かる。
「くそっ、よくも……!」
激情のままに敵に砲身を向け発射するが、放った砲弾は敵と見当違いな方向へ飛んでいく。
当たらないという現実が、さらに感情を逆撫でしてくる。今度は確実に当てるという明確な意思のままに狙いをつけ――
「落チ着ケ」
激情で赤く染まる視界を、白い腕がさえぎる。
それを咎める様に視線を向けるが、ホ級はこちらの視線をしっかりと受け止め、説き伏せるように俺に話し始める。
「オ前ハ私ヲ助ケニ来テクレタ。私ハソレニ感謝シテイル」
「ダガ、ココデ怒リニ任セテ戦ウノハ、良イ選択デハ無イ。今度ハオ前ガ沈ム事ニナル」
その指摘に、潮が引くように自分の中で燃え盛っていた感情が静まっていく。
艦娘から攻撃を受けたという現実に怒りを抱いていたが、冷静になってみれば当然だ。
今の姿、自分の口から発した言葉、自ら行ってきた行動。この世界では、その全てが人に仇をなしている。
それなのに俺は、艦娘から攻撃される事はないだろうと思っていたのか。自分だけは、大丈夫なのだと。
――自分の至らなさに、吐き気がする。
口の端が歪に引きつり、つり上がるのが自分でも分かる。俺は今、自嘲めいた笑みを浮かべているのだろう。
受け入れろ。これは全て自分で考え選択した結果。その現実を噛み締めながら、一つ息を吸い込み――吐き出す。
いまだに左目の炎は静まらず爛々と輝いているが、少し落ち着く事ができた。
「スマナイナ……コンナ言イ方シカ、デキナクテ」
ホ級の声は先ほどの調子とはうって変わり、自らを責めるような暗さを内に含んでいる様に聞こえる。
「いえ、私の考えが甘かった。止めてくれてありがとう、ホ級」
俺の返答が意外だったのか、ホ級は一瞬きょとんとした後、笑いをこらえる様に俺に言葉をかけてくる。
「マサカ、礼ヲ言ワレルトハ思ッテイナカッタ。オ前、本当ニ変ナ奴ダナ」
変な奴、とあまりよろしくない評価を頂いてしまったが、もしあの場でホ級に止められなかったら、俺は感情のままに交戦し、そのままお陀仏だっただろう。
どうやら俺は脳筋野郎なのかもしれない。そんな俺の危機というか、飛んで火にいる夏の虫になりそうな状況を止めてくれたのだから、感謝をするのは当たり前だろう。
一応、そういったニュアンスを含んだ言葉を伝えたつもりだったのだが、どうにも上手くいかなかったようだ。
「変な奴、という評価はひとまず置いておきます。今はとりあえず――」
「逃ゲルカ」
「逃げましょう」
同時に同じ意味を表す言葉が口から発せられる。それが俺のツボに入ってしまい、クスリと笑みをこぼしてしまう。
どうやらホ級も同じだったようで、隠し切れない笑みが口の端に浮かんでいる。
ゆるい雰囲気が場を支配しそうになるが、それを振り切るように俺達は駆け出す。
また直撃を食らいやしないかと怯えながら撤退するが、援護砲撃のおかげか敵の攻撃がこちらを害する事はないようだ。
後で無事合流できたら、タ級にお礼を言わなくては。そんなことを思いながら、ホ級に先導してもらい海上を進んでいく。
しばらくすると、見慣れた――とまではいかないが、コンテナが打ち上げられた海岸が見えてきた。
帰ってくる事ができたという安堵が俺の全身を包むと同時に、俺は水面にへたりと座り込んでしまう。
張り詰めていた気が抜けたためか、身体全体が鉛のように重く力が入らない。攻撃を受けた場所が、思い出したように痛みの信号を送ってくる。
立ち上がろうと力を込めても、足はまるで泥沼にはまったかのように動かず、少しずつ水中に沈んでいく。
沈んでいく身体を止める術を、俺は持ち合わせていない。声を出そうとしても、口は空気の泡を吐き出すだけで、明確な言葉を発する事はできない。
まずい、沈んだらどうなるかは分からないが、今の状態が良くないという事はさすがに理解できる。
それなのに身体は妙に心地よい感覚に包まれ、視界が少しずつ狭まってくる。このまま目を閉じれば楽になるのではないだろうか。そんな考えすら浮かんでくる。
その考えに抵抗するように、右手を水面に向かって伸ばす。そんな俺の抵抗を嘲笑うかのように目蓋が重くなり、視界が閉ざされ、身体と意識が深く沈んでいく。
伸ばした右手をふわり、と柔らかな何かが包み込んだような感触を最後に、残っていた意識が波に洗われる砂城のように崩れ去った。
前書きの()の部分は嘘です。