「少シ沖マデ出ルカラ、ソコマデハ私ガ運ンデ行ク」
運ぶ?という事は艤装の上にでも乗せてくれるのだろうか。
ホ級と俺では結構な体格の差があるから、上に乗るとなると中々の高さになりそうだ。
「ソノママ動クナ」
そういうとホ級は俺の身体に手を伸ばしてくる。
そのまま掴んで上に乗せてくれるのかと思ったが、ホ級の右手は俺の背面から手を回して、腰のやや上部の所を持ち身体を支えてきた。
思っていたのと違う動きで呆気にとられる俺を余所に、そのまま左手を膝裏に回し、ふわりと抱き上げられる。
「ヨシ、行クカ」
まるで
これはあれか。負担を無くす為に相手の首に手を回したほうがいいのだろうか。
それとも身体を密着させて、重心を少しでも相手に預けたほうがいいのか。
それより現在進行中で削れている、精神面へのダメージをなんとかしなくてはならないか。
――この状況でどういった選択をすれば正解なのだろうか。
「……私ハ何カ間違エタカ?」
やる気に満ちた雰囲気から一転。ホ級の声の調子が失敗を咎められた子供のように沈む。
割れたマスクの下から、寄せられた眉と下げられた目尻がちらりと覗いている。
よほど俺が苦虫を噛んだような顔をしていたのだろうか、時間が経つにつれ、ホ級の様子が段々と挙動不審になっていく。
ホ級が困っているのを見るのは中々に楽しいが、この状態を続けるのもよろしくない。
何か返答をしなければと思うが、フォローしようと焦るほどに言葉は上手く出てこらず、無意味な母音ばかり口から漏れる。
その時、雷の様に天啓が走った。
先ほどから俺の左ひじ辺りを圧迫している、ホ級の胸部装甲である。
その感触たるや、柔らかくしなやか。肌の色は青白く健康的とはいえないが、それがかえって退廃的な美しさを醸し出している。
サイズは両手で包むことができるくらいであり、大きいというより美しいという表現が相応しいだろう。
そんな物体Xが当たっていることを指摘すれば、ホ級は
よし、と覚悟を決めてホ級に話しかける。何に対しての覚悟かは自分でも分からないが。
「ホ級、実はさっきから当たっているんですよ」
「何ガ」
「胸が」
ピタリ、とホ級の動きが止まる。
そのままこちらを覗きこむように顔を近づけてくる。
「ソンナ事ヲ気ニシテイタノカ、可愛イナァ」
ホ級の表情は、先ほどとはうって変わり、柔らかな微笑み。
おかしい。
俺の予想ではそのまま海に放り投げられたりすると思ったのだが。
こんな事をいきなり言われても怒らないなんて、ホ級って実は凄く優しいのでは――――
「訓練ノ前ダトイウノニ、別ノ事ヲ考エテイタトハ余裕ダナ、厳シクイクカ」
微笑みはそのままに、ホ級は俺に告げる。
どうやら俺が、選択を間違えたらしい。
結局、到着するまでホ級は
「……コノ辺リデ良イカ」
ホ級の弁から察するに、目的地に到着したようだ。
周囲は見渡す限りの青い海が広がり、先ほど自分達がいた島がうっすらと遠くに見える。
「マズ、海面ニ立ツ所カラダ。私ガ支エテイルカラ海面ニ足ヲ着ケテミロ」
そういうと、ホ級は後ろから両脇に手を差し替え、身体を支えてくれる。
そのまま宙ぶらりんの姿勢のまま、海面近くまでゆっくりと身体を降ろしてくれる。
正直、子供扱いされているようで恥ずかしい。
しかし実際に俺は航行の仕方について、全くの素人。羞恥心は捨てて集中しなければ。
俺はホ級に一言礼をいうと、慎重に水面へと片足を下ろす。
足を下ろした場所を中心に、波紋が広がる。
ここまでは特に変わった現象は起こらない。
このままもう片足を下ろし――水面に両足を着ける。
「……立てる」
泥でぬかるんだ地面に立っている様な、奇妙な感触が足裏に通じる。
片方の足が沈む前に、もう片方の足を前に出せば水の上に立てるという理論を信じていた俺としては、常識がひっくり返るほどの衝撃である。
頭の隅からレベルアップのファンファーレでも聞こえてきそうだ。
「感動スルノハイイガ、ソロソロ手ヲ離スゾ」
「ちょっ」
とまって、と言い終わるまでに、無慈悲に手が離される。支えを失った身体は、簡単にバランスを崩してしまう。
ぐらり、と視界が回転し、海面に頭から突っ込むように倒れこむ。
そのままくぐもった音を立てながら海中に沈む――かと思ったが、直前の所でホ級の手が伸ばされ、沈む身体を止めてくれる。
……ホ級の手はガッチリと俺の首根っこを掴んでいる。捕獲された猫の気分だ。
「手ヲ離スノガ早スギタカ。スマナイ」
「いや、いいんだ。あの感じを忘れないうちに、もう一度お願いします」
ホ級はその言葉に頷くと、俺の首の後ろを掴んだまま、水面の上に立たせてくれる。
「デハ、モウ一度ダ。波ノ動キニ注意シテ、重心ハ低メニ。気ヲ抜クト先程ノ様ニ沈ムゾ。注意シロ」
ホ級のアドバイスを聞き、平衡を保とうとするも、足場は波間に漂う板の様に不安定で、気を抜くとすぐにバランスを崩してしまいそうだ。
接面している足裏に意識を集中。体の中心――へその辺りに力をいれ、軽く膝を曲げる。足元に向けていた視線を前に向け、視野を広く保つ。
「イイ調子ダ。ソノママ前ニ進ンデミロ」
前に進む。
前に進む?
そういえば、どうやって前に進めばいいんだ? どうしたらいいかわからず固まっていると、ホ級が見かねた様子で声をかけてきた。
「進メナイノカ? 仕方ナイ。私ノ手ヲ握レ」
そういってホ級は俺の正面に回り、こちらに手を差し伸べてくれる。
俺が手を握るのを確認したホ級は、ゆっくりと前に移動し始める。
「凄い……。本当に水面に立てるとは」
足元をみると、つま先が水面をかき分けるようにして滑っているのが確認できる。
「感覚ハ掴メタカ? ナラ手ヲ離スゾ」
「待った!」
このまま手を離されたら、先程の場面をリピートする事になるのは火を見るよりも明らか。
手を離そうとするホ級に必死にしがみつく。プライド、慢心は失敗ペンギンになれ。
「ダガ、コノママデハ訓練ニナラナイ」
「わかっています……けどもう少しこのままでいさせて下さい」
「大丈夫ダ、必死ニナレバ大体ノコトハデキル」
「ホ級。突然ですがスパルタの語源を知っていますか? かの古代ギリシアでは幼少期から厳しい訓練を課したといいます。そんな獅子を谷に突き落とすような所業をするものではない、と私は抗議したいのですが」
「航行ノ仕方ヲ教エテ欲シイト言ッタノハオ前ダ。発シタ言葉ニ責任ヲ持ツ事ダ」
的確な指摘をされ、顔がみるみるうちに熱を帯びるのがわかる。
視線を合わせてくるホ級の顔を見ることができず、逃げるように視線を逸らす。
「……ごめんなさい。弱音を吐いてしまった」
「冗談ダ。ソンナニ落チ込ムナ」
オ前ノ反応ガ面白クテナ、と続けるホ級。
……間違いない。
少しの呆れと不審の感情を視線に込めてホ級に目を向ける。
「ソウ怒ルナ。ソレハトモカク、今日ノ訓練ハココマデダ。ソロソロ日ガ沈ム」
そう言われ顔を上に向けると、太陽が半分ほど沈み、あたりは薄暗くなってきている。夕暮れ時、というやつか。どうやら訓練に没頭するあまりに、時間に気を配るのを忘れてしまっていたようだ。
「続キハ明日ニスルトシヨウ」
「……正直、もうちょっと手心を加えて頂けると嬉しいなと」
明日もこのスパルタ、もとい特訓が続くと想像しただけで、ヘタレた精神が顔を出す。
「フフフ、怖イカ? 安心シロ、危険ト思ッタラ止メル」
そんな俺の心中など知らぬ、といった具合で、ホ級はとても楽しそうに宣言してくれた。