「ッ!」
「気ヲ抜クナ」
体勢を保てず、ぐらりと傾く。
ホ級はそんな俺を、すかさずフォローして立て直してくれる。
目的の島に向かう最中、俺は相変わらず慣れない航海に苦戦していた。
バランスを崩してホ級に助けてもらうのも、これで三回目になる。
先ほどから、ホ級は俺を直ぐに助けれるよう、真横にぴったりとついていてくれる。
どうやら、水の上を滑るという行為に、俺の身体はいまだに適応していないようだ。
こればかりは慣れしかないかと自分を納得させる。
「……すみませんホ級。何回も」
同時に、ホ級に対する負い目、自らへの無力感も湧いてくる。
なにか、俺にも返せるものがあればいいのだが、あいにくこの身には何も無い。
資材も無ければ、食料も、金銭の類も無い。
……自らを守るための自衛手段すらも。
あるのはコンテナ内部で発見したバケツ(高速修復材)のみ。
この状況を客観的に判断すると、俺の状態は。
――ひょっとして、
「ドウシタ、何カアッタノカ」
自らの状況を鑑みて、その至らなさにプルプルと震えだした俺を見かねたのか、ホ級が気遣わしげにこちらに声を掛けてくる。
俺は首を横に振り、なんでもないと言う意図をホ級に伝える。
それが伝わったのか、ホ級は何も言わず再び前を向いて進み始める。
その際、ホ級の顔部分を覆っている、人の歯を模したような仮面が俺の眼に留まる。
その仮面は出会った当初から、半分に欠けていた。
ホ級は随伴艦が艦娘に沈められた、と言っていたか。。
ならばあの仮面はその際に受けた傷だろうと推測できる。
ふとそれを思い出して、ある事を思いつく。
恩返しとまではいかないまでも、少しはホ級に貢献できるかもしれない。
思いついたが吉日、俺はホ級に提案してみる。
「そういえばホ級、実は少し試してみたいことがありまして」
「……?」
前を向いていたホ級が、不思議そうにこちらに視線を合わせてくる。
「顔に着けている仮面を借りても良いですか」
「別ニ構ワナイガ……何カスルノカ?」
ホ級は不可解な面持ちのまま、仮面を外してこちらに預けてくれる。
俺はそれを受け取ると同時に、持っていた高速修復材の中身を、少量ホ級のマスクに振り掛ける。
するとみるみるうちに欠けた部分が修復され、元の完全な状態に復元される。
どうやら、深海棲艦にも艦娘と同じように使う事ができる様だ。
俺は修復ができたという結果に安堵しつつ、側で成り行きを見守っていたホ級に仮面を返す。
これで少しはホ級が喜んでくれると良いな、と思っていたのだが――
それをガラス細工のように恐る恐る受け取ったホ級は、警戒の色が多分に含まれた様子で俺から距離を取る。
「……ホ級?」
一体どうしたんですか?とホ級の行動が理解できず、思わず問いかけてしまう。
「何故『ソレ』ヲ使エル?」
その声にこちらを気遣ったり、からかう様子は微塵も無い。
抑えがたい嫌悪と憎悪――悪意に満ちている。
それにはこちらが入り込むことができないような、他人を遮断する硬さすら感じられるようだ。
「ソレヲ使エルノハ、鎮守府ニ居ル提督ト呼バレル人間ダケ。ソレガ作用スルノハ艦娘ダケダ」
「答エロ。オマエハ……何ダ?」
敵を前にしたようなホ級の様子と、繰り出される突然の質問に、頭が混乱する。
ひとます両手を上げ、手向かいしない事をホ級に示す。
「とりあえず……答えられる事には答えます。だから砲身を下ろしてもらえませんか」
震える声ながら、なんとか言葉を形にして伝える。
警戒しながらも、こちらに向けたままの砲身をホ級は下げてくれた。
撃たれる危険は去ったが、ホ級からは今だにピリピリと張り詰めた雰囲気が伝わってくる。
俺自身、この身体のことを理解しているとは言い難い。自分で把握できていない事を、どうやって説明すればいいのか。
信じてもらえるかは分かりませんが、と前置きし俺はホ級に自分の事を話す事にした。
元は人間であり、目覚めたら身体が変化して海の中に居た事。
航行に不慣れな事、高速修復材が使えたのは元人間である事が要因ではないかと説明する。
俺の説明を聴いていたホ級は、意を決したようにこちらに質問を投げかけてくる。
「質問ハコレデ最後ダ。オ前ハ……
その声に怒りや憎しみといった感情は伺うことができない。
だが、そこには有無を言わせぬ、追い詰めるような強い響きを感じる。
その質問に俺は答える事ができず、沈黙するしかなかった。
ここで深海棲艦の味方だと答えれば、この場をしのぐ事ができたのかも知れない。
……だが、そう答えればいずれ深海棲艦として艦娘と戦う事になる。
俺の中に、未だに覚悟はない。感情があり、言葉があり、人の形をしたモノを撃つ事など、出来そうに無い。
味方ではない、と答えればどうなるか。
最悪ここでホ級に撃たれるか、もしくは決別してしまう事になるだろう。
せっかく仲良くなれたのに、誤解から別れてしまうのは悲しい。
なによりも、独りになってしまう事が、たまらなく恐ろしい。
――――結局、自分が可愛いだけか。
頭の片隅から、ひどく冷ややかな声が聞こえた様な気がした。
「残念ダ」
その言葉に、考えに沈んでいた意識が呼び戻される。
既にこちらに背を向け、ホ級は前に進み始めている。
待って、と言おうとしたが、呼び止めた所でどうにもならないと判断し、言葉を飲み込む。
その後は交わす言葉も無くなり、間には重い沈黙のみが横たわる。
目的の島に到着するまで、互いに再び口を開くことは無かった。