甘い話を書こうとした結果が今回の話です。
ではどうぞ。
自宅
筆が踊る。
音符が舞う。
リズムが響く。
いつもよりも軽快で、それでいてするすると浮かんでくるその音を、紙の上に生み出していく。
それは歌うようであり、描くようであり、そして祝福するような作曲であった。
初めて戦車道を“聞いて”から数年。彼は作曲家として注目を浴びていた。
最初は万人受けするものではなく、幼い子供や女性が好きそうな優しい曲を多く描いていた彼は、戦車道と出会ってからは少しだけその曲調を変える。
これまでと同じく、聞いていて落ち着くような優しい曲ではあるものの、どこか“力”を感じるものになったのだ。
これまでの曲がただ見守るだけの優しさを感じさせるのに対し、それからの曲は一歩を踏み出そうとする人の背中を押してくれるような、そんな力の籠った優しさを感じさせるものとなる。
定期的に持ち込みを行っていたレコード会社は、彼のその新境地の曲に関心を寄せるのに時間を必要としなかった。
学園艦に乗船し、一人暮らしを行う学生が多い昨今、彼が作る応援されるような内容の曲は受けがいいと、その会社の役員は考えたのだ。
とはいえ、無名に近い作曲家の曲を有名な歌手に使うにはハードルが高かった為、そのレコード会社に所属する駆け出しの歌手にその曲は託されることとなる。
そして結果が出るのは早かった。
当初は歌い手も作曲家も知名度が低く見向きもされなかったが、以前と同じくテレビのCMに採用され、それが流れると興味をもった視聴者からの少なくない問い合わせが寄せられた。
それと、その歌い手も彼に負けず劣らずの金の卵であり、彼と直接会い、話し、そしてお互いの気持ちを理解することで、より一層彼の曲に対する表現力が上がっていった。
そして、彼は作曲家ゆえに顔を出すことはないが、名前がある程度売れるほどになっていった。
そう言った劇的な変化は彼の環境も大きく変えていったが、変わらないものもある。
「お久しぶりです」
「いらっしゃい、しほさん」
それは戦車道と出会ったあの試合で知り合いとなった西住しほとの交流であった。
あの試合以降、彼は作曲作業の合間に彼女所属チームにファンレターのような手紙を定期的に送っていた。幸いにも、彼女の所属する学校は彼のそう言った行動を咎めることをしなかった。そしてまだ彼が作曲家として駆け出しであった頃に彼の仕事を知った彼女たちが彼に応援歌の作曲を依頼し引き受けるなど、一ファンではなくそれよりは一歩進んだ付き合いを行っていた。
そして、特に彼とチームの窓口となっていたしほが学生から社会人になってからも、プライベートな時間に彼と会うことや、手紙のやり取りを続けるのは至極自然な流れであった。
「今日は体調も良さそうですね」
「はい、作曲の方も筆のノリが良いです」
会話を続けながら、しほは彼の手を取り、自分の顔にその手を導いてやる。
お互いに慣れた動作であるため、慌てることもなく彼の手はしほの頬に添えられるようにして到達した。
「……んぅ」
「ぁ……くすぐったいですか?」
「少しだけ……でも気にしないで構いませんよ」
彼が何故しほの顔に手を置いているのかといえば、彼女の表情を手で“見る”ためである。
彼が彼女と話すようになってから、彼は特に他人の声に敏感になった。それは色々と身体にハンデのある自分と会話してくれる相手に対し、表情が見えない分、声で相手の感情を察しようとしたからだ。
作曲と言う芸術関係の分野に手を出していたせいか、常人よりも声で感情を図るという行為は彼が自分で思っていたよりもよくわかるようになる。
だが、しほと定期的に喋るようになってから、その行為がひどくもどかしい気持ちを生み出し始める。
彼はしほの事を声から感じ取れる以上に知りたいと思ったのだ。
大胆なことに彼はそれをしほに直接告白した。
小説などで読んだ赤面するという行為を顔に熱が集まることで実感しながら、彼はしほの言葉をまった。
だが、言葉よりも先に手に感触が返ってくる。
「ぇ?」
喉から絞られたような声が漏れる。
気付けば、今と同じようにしほが彼の手を自身の顔に導いていた。
それは初めて出会い、初めて彼女と会話し、そして初めて彼女の手を握った時以来の肉体的な接触であった。
「これで私の表情が“見え”ますか?」
この時、しほは動揺したような声を全く出さなかったが、彼以外にその場に誰かがいたのであれば、彼女の事を微笑ましく見ていただろう。
何故なら、彼女の顔も彼に負けず劣らず真っ赤になっていたのだから。
そんな初心な反応も少なくなってしまった今、彼はしほに恐る恐ると言った風に口を開いた。
「あの、しほさん…………尋ねたいことがあるのですが」
「どうかしました?」
自身の顔に添えられた彼の手のスベスベとした感触を若干楽しみながら、しほは質問の先を促した。
「以前、その……えっと……戦車に乗せて頂いた時の事なのですが……」
「あぁ」
尻すぼみになっていき最後の方はよく聞き取れなかったが、彼が何を訪ねたいのかをしほは察する。
以前、しほが所属する社会人チームの戦車道の演習を彼は見学に行ったことがあった。
その時、チームからの好意で彼はその所属チームの戦車に搭乗させてもらうことができた。
その時はほぼドライブ感覚であったので、特に使用することもない装填手の席に彼は座った。
そして、発進後間もなく彼の異端性が色んな意味で発揮された。
騒音の響く車内で、集音マイクを使っているでもないのに、彼はそこから数百メートル離れた場所で砲撃戦をしている別の車輌の状況を音だけで正確に把握し始めたのだ。
そして、それから数分後彼は通信士の席に座る女性に声を張り上げた。
「演習の中止を!エンジンの音がおかしい!!」
もちろん、そんな言葉で止まることはない。だが、その数分後に彼が聞いていた音は確かなものであったことが判明する。
演習中の車輌の内の一両のエンジンが火を噴いたのだ。
未だに原因不明となっているが、その事故による死傷者はゼロ。競技用の安全対策が十分であったことと、乗り込んでいた人員がそれなりに事故に対する耐性があった為、惨事が起こることはなかった。
その事故により演習は中止。無事な車両も全車点検と整備を行うこととなった。
そうしてその日の見学はお開きになれば話は終わるのだが、彼の音以外の異端性が最後の最後に披露されてしまう。
乗り物に乗ること自体はなれていたのだが、戦車という悪環境に近い車内でそれなりの時間篭っていたことで彼は体調を崩し、熱を出してしまったのだ。
ある意味で事故以上にてんやわんやとなり、彼はそのまま近くの病院に搬送されることでその日の騒動は終結をむかえた。
後日、彼が母親から説教をもらったのは言うまでもない。
「あの後、皆さん大丈夫でしたか?その、自分の事を気にしていたりしませんか?」
「気にしていないといえば嘘になりますが、軽く心配している程度です」
自分の事を卑下するような物言いに眉を顰めそうになるがいつもの表情で簡潔かつ簡単に答える。
実際、彼の体調の事をしほはチームのメンバーにしっかりと伝えていたため、そう言った意味で過度に彼を気にしている人はいなかった。
「寧ろ、貴方が搭乗者でも気付かなかった音を聞き分けた事の方が話題になっていますよ」
口の中で呟くようにしほはそう言葉を零した。
そして、彼女は改めて彼の方に視線を向ける。あの時、戦車の中でぐったりとしている彼を車外に運んだのは他でもない彼女だ。
そしてその時も今も、強く握ってしまえば折れてしまいそうなその細腕を見ていると、しほは彼から目を離すのが怖くなってしまう。
彼女にとって、彼は少し特殊な存在だ。
あの時、戦車道の試合を見に来た観客の中で唯一『西住』と知らずに接してきた男性。
そして、西住流のやり方ではなく、自分が乗っていた戦車チームの全員を褒めてくれた人。
そう言った人と戦車道の場で会うのは彼女にとって初めての経験であった。
そして付き合いが長くなるうちに、彼の存在が彼女の中では他の人よりも大きくなっていた。それは今も変わらない。
「しほさん?」
「ん……すいません、少し考え事を」
しほはいつの間にか沈んでいた思考の海から彼の言葉によって引き上げられる。
そのしほの反応をどう受け取ったのか、彼は大して強くもない腕で、しほの頭を自分の手がそうされたように、自身の胸に導いてやる。
「…………え?」
最初、本当に何をされたのか分からず、しほはそんな言葉を漏らすしかできなかった。
「いつもお疲れ様です、しほさん」
彼の手はいつの間にか頬から、後頭部に移っており、そのしほよりも華奢で白い手は優しく彼女の髪を梳いていく。
しほは自分よりも身体も小さく、弱気なところもあるその年上の男性の包容力に抵抗することはできなかった。
そして、いつも内心で嬉しくて堪らなくなっている、自身の頬を触る彼の手が自分の頭にあることに感謝する。
何故なら、どうしても分かってしまう程に緩んだ頬と、赤くなっているであろう顔の熱がバレないで済むのだから。
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