来禅高校のとある女子高生の日記   作:笹案

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五河シスター 二

 初めて君を見た時のことは鮮明に憶えている。

 ずっと色褪せていた世界が、様々な色で彩られて見えたのだ。

 

 一瞬で虜になった。目を離せなくなった。

 止まっていた時が、動き出すのを感じた。

 穴が空いたように虚しかった心が、君と出会った瞬間に満たされていくのを感じた。

 

 それから長い年月同じ時を共有して、君が成長する姿を見るのはとても嬉しかったし、それを通して自分が成長出来たのだと思いたかった。

 

 君と出会えたのは、私の生きている中で一番の幸せだった。

  

 


 

 

「シン、疲れただろう?

琴里のことは我々に任せておいてくれ」

「気遣いありがとうございます。でも、琴里は……」

「明日にはラタトスクのメンバーで琴里の霊力を封印する為の会議を行うんだ。それに参加してくれれば嬉しい。今は……そうだな、真那の様子を見に行ってくれないか?今なら、ぎりぎり面会時間に間に合うだろう」

 

 

 

 

 士道は真那の搬入された『自衛隊天宮病院』に向かったが、真那と面会は出来なかった。どうやら真那は顕現装置(リアライザ)を使った治療をしているらしく、それも仕方のないことなのかもしれない。

 しかし病院内で偶然折紙と会い、彼女の攻めのアプローチにおっかなびっくりしつつ病室に彼女を連れて行く。その後もぺろぺろされたり検温したりだとかのイベントがありつつも、話は屋上に現れた炎の精霊──つまりは琴里のことへと切り替わっていった。

 折紙は5年前、炎の精霊に両親を殺されたという話は以前に聞いていた。しかし、その精霊〈イフリート〉を殺す為に5年間生きてきたのだと、いつものように平坦でいて……しかし怨嗟(えんさ)の籠もった声で告げられたのは士道にとっては信じがたい話、信じたくない話だが……琴里自身、破壊衝動に呑まれている時に何をしているのか分からないし、記憶のない部分で人を殺している可能性だって否定出来ないと言っていた。だから、士道が折紙の両親を殺したのは炎の精霊じゃないとは言い切れなかったし……また、確定的な証拠が出てしまうのが恐ろしかったのだ。 

 結局、面会終了のアナウンスが流れるまで、士道は折紙の話を聞くことしか出来なかった。

 

 

 

 肩を落とし、帰路につく士道。

 結局、何もプラスに感じる出来事がないままに一日が終わってしまった。

 狂三の霊力を封印出来なかった。そればかりか真那が重症を負い、京乃も寝たきり。きっと、琴里があの場に出てこなかったら、本当の意味で終わっていたのかもしれない。そう考えると、少しは気が楽になるようだが……いや、しかし琴里の霊力だって封印しなければならない。問題は、結局のところ山積みだった。

 

 しかし、挫けてばかりもいられない。そうしている暇があるのなら、現状を打破する為の解決策でも考えておくべきだ。

 そう士道は決心し、家に入る。

 もう日も暮れている。買ってきた材料で夕飯を作り、そして精をつけて明日に臨まなくては──

 

「シドー!無事だったのだな!」

『やっほー士道くん。大変だったみたいだねー?』

「……士道さん、あの……顔色悪いですが……大丈夫、ですか?」

 

 リビングに行くと十香と四糸乃がいた。四糸乃はともかく、十香は既に隣のマンションに住んでいるはずであり、士道は呆気に取られたように彼女らを見る。

 

「十香達、どうして家にいるんだ……?」

「うむ、令音に家の鍵を貸してもらったのだ」

 

 そう言って十香が見せてきたのは、琴里の使っている鍵だった。どうやら琴里から令音、そして十香達へと渡っていったらしい。

 と、得意げに鍵を見せていた十香は突然士道の身体を周りを彷徨き、そして匂いを嗅ぎだした。

 

「わっ、おい十香?突然どうしたんだ?」

「……シドーから、ムズムズするような……鳶一折紙のような匂いがする」

 

 まるで犬のような嗅覚である。

 十香は疑惑の目を士道を向けるが、士道としては誤魔化さないととんでもない展開へと発展することが手に取るように分かった。

 

「あ、あはは。気のせいじゃないか?」

「そうか? なら良いんだが」

 

 一応は納得したらしい。だが、少し引っ掛けるところがあるのか、考え込むように唸っている。

 それを見た士道は焦ったように声を上げる。士道の秘技、話題逸らしである。

 

「な、なあ十香。何やってたんだ?」

「む、これだ。この前琴里とやってな。シドーもやるか?」 

 

 十香達がやっていたのは、士道の家にあったゲームのようだ。多種多様なキャラクター達が殴り合い、K.O.された方の負けというシンプルな内容ながら、国民的なキャラから、どこに需要があるのかも分からないニッチなキャラまでもが戦う姿に、それなりの人気を博している。

 

「いや、四糸乃とやってるんだよな。見るだけにしておくよ」

「……む、そうか。ではやるか四糸乃!」

「は、はい」

『次こそは十香ちゃんに勝とうね、四糸乃!』

「……うん、よしのん」

 

 そんな掛け合いの後、ゲームが始まる。

 

 どうやら十香が『パンダグマー』、四糸乃が兎の『ナギサン』を選んだようだ。パンダグマーはその名の通りパンダと熊が合体したようなキャラで、ナギサンはよしのんのような見た目のキャラクターだ。

 ナギサンは最初は可愛らしい人形のような見た目だが、戦う時には氷結傀儡(ザドキエル)のような見た目になって口から氷を吐くキャラクターへと変化する。

 パンダグマーは超リアルに描き込まれた意地の悪そうなパンダの顔が、着込んだロープのフードの下で赤い目をギラギラと光らせている。両袖から突き出した腕は熊のように野太く焦げ茶色の剛毛に覆われている。そして、手には赤い宝石が象嵌(ぞうがん)された巨大な杖が握られていた。可愛くはない。

 四糸乃は左手ではよしのんを使って勝とうとしていたが、十香の操るパンダグマーはナギサンに勝利し、ナギサンはパンダグマーの呪術によって和風おろし大葉乗せハンバーグに調理されていた。

 

「……ま、た負けちゃい……ました」

『あっちゃー、十香ちゃん強すぎるよー』

「む、そうか? 琴里は私よりも強かったぞ?」

 

 特に両者には剣呑な雰囲気が漂ってはいない。それどころか、親密になっていることが分かるように、楽しそうに談話していた。出会ったばかりの頃からは想像出来ない光景だ。

 

 士道は邪魔したら悪いかと思ってリビングに向かい、夕飯の準備を始める。まずは米を炊こうと鼻歌交じりにそれを終わらせ、炊飯のボタンを押すと、炊飯を始めることを知らせる音楽が流れた。

 

「シドー!」

「あれ、十香。四糸乃とはもういいのか?」

「ああ。四糸乃の好きな番組が始まったらしいからな」

「そっか」

 

 四糸乃はあまり勝ち負けにこだわるタイプではないだろうが、あまり負けが続くのは彼女にとって良いことではないだろうし、丁度いい切り時だったのだろう。

 

「……十香はどうしてここにいるんだ? 飲み物でも欲しかったのか?」

「いや、シドーを手伝おうと思ってな」

「えっ、十香がか!?」

「うむ! クッキィだってたまに作るし、安心して任せてくれ」

 

 十香は得意げに胸を張ってそう言った。

 

 確かに十香は以前、学校の調理実習でクッキーを作っていた。

 クッキーを作る工程にはボウルで材料を混ぜたり、電子レンジで加熱といったものばかりで、材料を炒めたり、包丁で材料を切ったりといった料理で使いそうな工程は含まれていない。

 しかし、意欲のある十香をこのまま放置というのも良くないかと思った士道は、少し考えた後に口を開く。

 

「……だったら十香には皮むきをお願いしよう。ピーラーの使い方分かるか?」

「む、ぴーらー?」

 

 分からなそうだ。

 士道は苦笑し、人参とピーラーを持ってゴミ袋の前へと向かう。そこでヘタの方から下に向けてさっと皮を剥くと、流れるようにスライスされて、切れ落ちる。

 

「こうだな。包丁よりも使いやすいぞ」

「おお!凄いなシドー! これは誰が考えたのだ!?」

「……誰だろうな?」

 

 士道は少し考えたが、分からないものは分からない。

 

「シドーでも分からないことがあるのだな……でも、使い方は分かったぞ。これで野菜の皮を剥けばいいのだな?」

「出来るか?」

「うむ。任せるがいい」

 

 十香は元気よく首肯し、じゃがいもを持ってゴミ袋付近でじゃがいも相手ににらめっこしていた。

 

 京乃のこともあってか、士道は少し警戒しながら十香を見守っていたが、どうやら問題なく行えているようだと、安堵の息を吐いて調理の準備を始める。

 

 

「シドー、こんな感じで良いか?」

「ああ」

 

 士道は十香から渡されたじゃがいもやら人参やらを受け取り、慣れた調子で調理していった。

 

 材料を炒めて水を入れた鍋に移し替え、ルーを入れてじっくりコトコトと煮る。そうすると、数分後にはスパイシーな臭いが辺りに立ちこめてきた。

 

「おお、この匂いは! 今日はカレーなのだなシドー! 他に手伝うことはあるか!?」

「……大抵は終わったからなぁ。十香はゆっくり休んでいてくれ」

「うむ、了解した。何かあったら頼ってくれ!」

 

 十香はにかりと笑ってそう言うと、四糸乃の隣に座っていった。

 

「むう、これは何の番組なのだ?」

『うんうん、これは旅番組でねー……』

 

 十香達が話しているのをぼんやりと聞きつつ、士道は夕飯の準備を進めていった。

 そして十分そこら経つと準備も終わり、合間に作っていたサラダとカレーをテーブルに持っていく。

 

「戴きますなのだ!」

「……い、いただきます……!」

 

 二人と一匹は手を合わせ、そして料理に口をつけた。

 

「やっぱりシドーの作った料理は美味いな!」

「おかわりもあるからな」

 

 その言葉に十香は目を輝かせた。

 

「そういや、どうして手伝ってくれたんだ?」

「勝手が分かれば京乃の手伝えるようになるだろうかと思ってな。それに、出来れば私もシドーに食べてもらいたいからな」

「そ、そうか」

 

 純粋な好意に、士道は気恥ずかしくなり頬をかいた。それを見た四糸乃とよしのんは顔を見合わせた。

 

『四糸乃、よしのん達も手伝えば良かったねー』

「……そう、だね」

 

 四糸乃は、こくこくと頷いた。

 

「あー、よしのんならうまく鍋の蓋を掴めそうだしな」

『士道くんたら、よしのんだって熱いもんは熱いんだからね? そんな便利道具のように思われたら困るなー!』

「わ、悪いよしのん」

『分かればよろしい! 今度はよしのんもひと肌脱いであげるよー』

 

 結局は手伝ってくれるつもりらしい。よしのんはパタパタと手を上下させていたが、思い出したようにその動きを止める。

 

『そういえば士道くん。京乃ちゃんってば入院しちゃってるんだっけ? 大丈夫かなー』

「観月の所にお見舞いにでも行くか?」

「シドー、お見舞いとは何だ?」

 

 カレーを口に運んでいた十香だったが、ふと不思議そうに問いかけてきた。

 十香は精霊であり、まだ常識には疎い所がある。今回もその一例だろう。

 

「十香、病院は知ってるよな?」

 

 士道の言葉に、十香は元気よく頷いた。

 

「うむ。病気だったり、怪我をした者が行く所だろう? 京乃も病院にいると令音に聞いたのだ」

「お見舞いってのは、入院している人の調子を見に行くことだな」

 

 十香はじっくり考え込んだ後に、表情を緩めた。

 

「それなら、私も行ってみたいぞ」

『よしのんも行こうかなー』

「は、はい。私も……明日、行こうと思います」

「観月も喜ぶんじゃねえかな」

「むっ、シドーは行かないのか?」

「あー、悪い。明日は用事があるんだ」

 

 琴里のことで話し合いがあると令音から聞いているし、聞いた話ではまだ京乃は目を覚ましていないようなのだ。寝ている女性を見るのはあまり褒められたことではないだろう。

 

「では仕方ないな」  

 

 納得したのか、十香は頷いてカレーを食べ進めていった。そして、そこまで時間もかからずに大量に作られていたカレーは、鍋の底を見せた。

 

「ごちそうさまなのだ!シドー!」

「ご、ちそう……さま、です」

 

 夕飯を食べ終わった後も、十香達と談笑をして、そしてこの後にラタトスクで検査があるといった十香達と別れて、風呂に入って床についた。

 

 

 

 

 

 次の日には、令音の言っていた通りに琴里についての話し合い……もとい、デートプランを考える会議が行われた。

 

 

「親愛なる〈ラタトスク〉機関員諸君。我が愛しい女神の一大事だ。日頃のご恩に報いる時だ!司令が!五河琴里司令が!我らの助けを必要としている!それに応える気概はあるか!?」

 

 

「応ッ!」

 

「司令に褒められたいか!?」

 

「応ッ!」

 

「司令の笑顔が見たいか!?」

 

「応ッ!」

 

「司令に踏んづけられたり罵倒されたりといったご褒美を貰いたいか!?」

 

 

「お……ぅ?」

 

 会議室内に大きく広がり、反響した声はビリビリと士道の鼓膜をうったが、最後だけは共感を得られなかったようだ。勿論、問いかけたのは神無月である。

 

 

 琴里のことが大好きなラタトスクの面子達は、彼女を助ける為に全力で動いた。

 

 プレミアムなチュッパチャプスを渡せば良いのではないだろうかとか、好きなゲームに関連した企画を提示したりと、各々が好きに話し合い、可能性を潰していく。

 琴里の写真を使って神無月が自作した缶バッチこと聖琴里勲章(セイントコトリ)は、温泉のプランを計画した〈早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)〉に送られることになった。……と思ったが、彼の立案したものでは、設定された日程では封印が間に合わないことが判明した。哀れ〈早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)〉。

 

 

 

「……シン。琴里から何がしたいだとか聞いてないか? 琴里から行きたいと言われたら尚良いんだが」

「あー、何時だったか、栄部のオーシャンパークに行きたいと言っていました」

 

 温泉の夢を捨てきれないのか、食い下がっていた面子だったが、令音に琴里の水着姿が見れるのだがと告げられることにより、思ったよりもすんなりと、オーシャンパークに行くことに決まった。

 

 ……聖琴里勲章(セイントコトリ)は士道に贈られることになったが、士道は即座に断った。

 

 

 

 

 そして次の日は──

 

「シン。京乃が目を覚ました」

「ほ、本当ですか!?」

 

 吉報を聞けた。

 

「ああ。しかし、今日はもう面会は出来ないだろう。明日会いに行くといい」

 

 どうやら熱は下がっていなかったようだが、それも直に下がるだろうと言う話を聞いた士道は、翌日にその病院に足を運んだ。

 受付でアポを取り、そして緊張しながら京乃がいるという扉の前に立つ。

 

「……どうぞ」

 

 士道がノックをすると、少し冷たく感じる声音で許可を出された。恐る恐る扉を開けると、そこには本を読んでいる京乃の姿があった。

 殺風景な部屋の中で、棚にぽつりと置かれている花瓶と花が目につく。

 

「し、失礼しまーす……」

 

 声をかけ、おずおずと言った形で部屋に入ると、京乃は読んでいた本から顔を上げて、信じられないよう表情で慌てふためいた声を上げた。

 

「どうしてここに……!?」

「れ、令音さんに観月の目が覚めたって聞いて……それでいても立ってもいられなくなったというか」

「……すみません」

 

 すみません。

 震える声で呟かれた小さな言葉だが、なんとなくの意味は理解出来たのか、士道は慌てて声をあげる。

 

「いや俺が好きで来たんだし気にすんな!」

「でも、私のことに……五河君の時間を裂いてもらうだなんて、もっと有意義な活用方法があったのではないかって」

 

 本当なら、クラスメイトのお見舞いに行くくらいなら、琴里の霊力を封印する為の対策を練っている方が良かったのだろう。

 そうだったのかもしれない。

 だが、この間の京乃の行動が気になって仕方がなかったというのと、記憶はどうなっているのかの確認、そして……体調が本当に大丈夫なのか、気になってしまったのだ。琴里にも頼まれたしな。

 

「来ない方が良かったか?」

 

 少し不安そうに士道は問いかけたが、それは京乃本人によって即座に否定された。

 

「いえ、そんなことはないです!

本当に、嬉しいです。どうしようもないほど嬉しいです」

 

 顔を真っ青にさせたり、真っ赤にしたりと(せわ)しない様子だ。

 それは普段と変わりないかと士道は頬をかき、そして京乃に話しかける。

 

「観月、熱は下がったのか?」

「おかげさまでもうほとんど平熱で、その、もう実は今日検査して、異常がなかったら退院出来ると……」

「そうか、良かった」

「あの……五河君は私に何か用でここに来たんでしょうか?」

 

 用というのであれば、もう済んだも同然だろう。琴里に京乃の様子を見てくるように頼まれ、そしてそれは達成したのだから。

 しかし士道は、すぐにこの場を退くのを躊躇った。

 

「……すまん、もう少しここにいてもいいか?」

「私がその質問に対して駄目だなんて言えませんが……もし、私に聞きたいことがあるのなら今聞いてください。忙しい五河君の時間を奪ってしまうのはあまりに心苦しいんです」

 

 そう思っているのは事実なのだろう。京乃は、苦い表情でそう告げた。

 

 確かに今、忙しいのかもしれないと士道は考える。

 数日後に琴里とデートするという話も聞いているし、それの話し合いだってラタトスクの面子と行った。今はデートへの準備でてんやわんやだという。

 ただ、観月の様子を見てきて欲しいというのは琴里に頼まれてきたことだが、士道自身がしたかったことでもある。どうせならもう少し話していたかったし、それに……話したいことだってあったはずだ。

 

「邪魔になると思うが……側にいたいんだ」

「え……?」

 

 京乃が呆けたようなことを出したのを聞いて、士道は自分の言葉のチョイスが(いささ)か間違っていたことに気がついた。

 

「あっ、いや変な意味じゃなくてだな……!」

「えっと……気が済むのでしたら、お好きになさってください」

 

 気まずかったのか、京乃は余所余所しく視線を外し、読んでいた本に視線を戻した。

 

 

 

「観月」

「……五河君、どうかなさいましたか?」

 

 呼びかけに応じて読んでいた本から目を離し、士道を見上げる京乃。その蒼い瞳は、いつものように不安に揺れていた。

 

「っ、ああ。観月は、ガスの事故の時の記憶はあるか?」

「……屋上に向かっていたと思うのですが、その後の記憶はさっぱりで。気がついたら病院でした」

 

 どうやら、ちゃんと記憶の消去はされているらしい。

 京乃の受け答えと、嘘をつく時の癖が出てないことからそう判断した士道は安心した。

 

「……そうか」

「それがどうかしたんですか?」

「い、いや、ただ大丈夫だったか不安だっただけだから気にしないでくれ。それよりも……観月、ごめんな」

「何がですか?」

 

 少し警戒しているように強ばった表情で、京乃はそう問いかけてきた。

 それを受けて、士道も緊張したのかゴクリと喉を鳴らす。

 

「心配してくれたのに、公園で会った時にあんな態度とっちまって」

 

 琴里にも話したが、そのことでしこりを残してしまうのは悪いだろうしと、士道は重々しくそういった。

 公園で京乃と話した時に関係ないことだから放っておいてくれと、咎めるように言ってしまったことは、反省すべきだっただろう。喧嘩している訳ではないが、今後の生活に響く可能性は否定出来ない。

 

「何だ、そんなことですか」

 

 ほうと息を吐いた京乃は、首を振る。

 

「五河君、私は大丈夫ですから、心配なさらないでいいですよ。それに、私の方こそ無神経でした」

「そ、そうか?」

「はい。だから……君は私のことよりも、自分の心配をしたほうがいいんです」

 

 いつか聞いたような言葉を言った後に困ったように微笑んだ。

 

「事故に巻き込まれてしまったようですが、私は元気です。迷惑をかけてしまったのは心苦しいですが、今の私はなんのおもてなしも出来ません。このお礼はまた今度させていただきます」

「い、いやお礼なんて気にしないでくれ。あと、これ良かったら貰ってくれ」

 

 持ってきていたバッグから一つ包みを取り出し、それを京乃に差し出す。京乃は本に栞を挟んで閉じ、困惑した表情で受け取り、その包みを開ける。その中にはかぎ針が入っていた。

 

「……これは?」

「家にあったやつでな。

確か観月は裁縫が趣味なんだよな?

入院中暇だろうって思ってな。まあ、すぐ退院出来るってのは嬉しい誤算だけどな。……受け取ってくれるか?」

 

 長い病院での生活で暇をしてしまうだろうと思い、渡そうとした物だが、杞憂になってしまったようだ。

 しかしこれも嬉しい誤算だと、士道は口に出す。京乃の口から屋上にいた理由は聞けなかったが、元気であることの方が第一だろう。

 

「五河君がくれたものを無下には出来ません。

それに……本当に嬉しいです。でも、受け取るだなんて申し訳ないです」

「どうせ母さん使わねえだろうし気に入ったから使ってくれて構わないから。もう使わないし使ってくれる子がいるなら道具も本望だって言ってたしな」

 

 京乃はじっとかぎ針を見つめていた。

 

「ど、どうかしたか!?」

「……いえ、本当に驚いて。大切に使わせていただきます」

 

 渡したものをぎゅっと大切そうに抱きかかえ、京乃は本当に嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見て、いつかのように嫌に動悸が速くなるのを感じた士道は、慌てて座っていた席から腰を上げる。

 

「じゃ、じゃあな!お大事にな!」

 

 喉が乾いてしまっていたのか、少し掠れた声でそう言うと士道は京乃の返事を聞くことなく、足早に個室を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、京乃は検査の末にすぐに退院出来た。

 そもそもは怪我もなく、意識不明になっていただけなのだからこの処置は当然とも言える。

 京乃は迎えに来た叔父同伴で家の前まで行って、そこで別れて一旦郵便受けを見る。

 

「写真……?」

 

 何故か、郵便受けには写真が入っていた。それも、京乃が折紙に渡したものだ。何故郵便受けに入っているかは分からないが、親切な誰かが届けてくれたのだろう。

 

 とりあえずはそういうことで納得し、折紙に渡さないといけないななんて考えながら家に入っていく。

 

 そこまで離れてはいなかったはずだが、懐かしく感じられる家の中に入る。

 日めくりカレンダーは、6月8日で止まったまま。

 リビングでは花を飾っていたはずだが、既になくなっている。

 どうやら、自分が病院にいる間に誰かが片付けてくれたのだろうと理解した。

 

 少し考えてみたが、叔父だろうという結論に落ち着いた京乃は、久しぶりに自宅のソファーに座ってゆっくりと伸びをした。

 

 

 

 

 

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