夢を、見ていた。
遠い、夢を。
自分を讃える人々の声。
自分に向けられた羨望の眼差し。
曰く、奇跡。
曰く、幸運艦。
だが、それは違う。
そう、彼女は思っていた。
それは、幾つもの仲間の犠牲の上に成り立っただけの仮初の結果だ。
あの日も、そうだった。
通じない通信。
逃げる際に沈む仲間。
そして友の声が、鮮明に蘇る。
---我魚雷を受ク、各艦ハ前進シテ敵艦隊ヲ攻撃スベシ
あの時、自分は逃げた。
それで、乗組員達は助かっただろう。
それは、良かったと思う。
だが、沈んでいった者達は?
彼等の無念は、本当に救えなかったのか?
その思いが、時雨に自身の生への執着を奪っていた。
自分の命を使って、今度こそ、誰かを守ろう。
そう、仲間達に誓った。
しかし炎に包まれた空想のそれは、確かな実感を伴って時雨に返った。
それは、走馬灯と現実が重なった瞬間だった。
目の前の化け物が、炎の出力を上げて時雨の触覚に熱を持って訴えかけているのだ。
我を取り戻した時雨は、背におった四角の箱を持つと、そのまま敵に向けた。
一発、二発。
赤い閃光が走り、その度に箱が砲弾を吐き出した。
何発か撃ち込んで、時雨は相手の分析を始めていた。
相手は駆逐イ級。
最弱の深海棲艦だ。
本来なら自分の苦戦する様な相手ではない。
しかし、炎に包まれたあの瞬間。
明らかに出力があがった。
それだけではない。
速度だけではなく、火力も反応速度も上がっている。
熱の関係する機関の出力が軒並み上昇しているのだ。
更に砲弾は当たる前にその熱で爆発を起こし、当てる事が出来ない。
機銃ならば、溶ける前に当たりはする。
だが、大した痛手にはなっていないようだった。
それでも、当たった箇所に銃創が走るのを時雨は見た。
今は弾数が足りないが何百発、何千発と撃ち込めば、大きなダメージとなる。
それならば、装甲は。
炎に包まれたその中は。
きっと自分とそう変わるものでは無い筈だ。
効かないならば、防ぐ必要も無いのだから。
「………」
ならば、やる事は決まった。
所々が破れた黒の制服に包まれた体を、腰を曲げてクラウチングスタートの姿勢をとる。
次の瞬間、時雨のいた筈の海面が弾けた。
高く上がった水柱が時雨の体を濡らす。
それすら意に介さず、彼女は太股に仕込まれた魚雷--艦娘用の人間サイズに縮小された物だ--に手を伸ばした。
まずは一発、海面に投げ込む。
すると唐突に爆発を起こした。
原因はわかっている。
イ級が撃ち込んだ炎の弾丸が、魚雷に命中したのだ。
雷管を撃ち抜かずとも、この温度ならば当てるだけで爆発を起こすだろう。
だが、それでよかった。
それで構わない。
高く上がる水柱が、自分の姿を隠してくれるのだから。
どれだけ演算が早くとも、所詮敵は機械だ。
一度標的を見失ってしまえば、一瞬のタイムラグは生じる。
その隙を、時雨は正確に見極めていた。
一発、更に一発。
残弾の計算をしつつ、イ級に肉薄していく。
そして最後の一発になった時、二人の距離はすぐそこまで迫っていた。
魚雷を目眩しには使わず、そのまま突っ込む。
4、3、2、1。
距離がセンチになった時、時雨は漸く魚雷に腕を伸ばした。
「機銃……か。結構…当たると痛いね」
距離を考慮して、イ級は砲弾を撃つことを止め、機銃での射撃に切り替えた。
数発が時雨の頬を掠め、右腕の肉を抉り取った。
しかしまだ使える左腕で魚雷を掴む。
そして時雨は腕に掴んだ魚雷を、投げる事はせずそのままイ級にぶつけた。
それこそが時雨の狙いだったのだ。
炎で当てられないなら、自分の掌で守ってギリギリの所で掌を返せば良い。
爆発が二人の間を襲った。
一際大きく上がる水飛沫。
其処に時雨の姿は無かった。
爆発の衝撃が、彼女の体を遠く運んでいた。
数十に渡って転がり続け、水柱から50メートル程離れた所で彼女の身体は漸くとまった。
立ち上がると、所々が火傷でケロイド状に爛れていた。
自身の状態の確認を終えると顔を上げて、対象を見る。
手応えはあった。
自分にできる最強の一撃だ。
これならば、この感触なら。
「…………!」
しかし、その思いは簡単に裏切られる事になった。
天をも焦がさんと燃え上がる、流線の体によって。
どうやら、完全に密着しての爆破とはいかなかったらしい。
炎にその爆発が阻まれて、威力が弱まってしまったのだ。
ごっそりと無くなった右の体から幾つもの配線が顔を覗かせており。
欠けたその奥から、赤黒い光が漏れている。
残った左目から先程よりも憎しみを増した視線が、時雨を射抜く。
やれる事は、きっとやった。
なすべき事は、出来た筈だ。
「僕もここまでか」
時雨は迫り来る死の予感に、安堵にも似た気持ちを感じていた。
漸く、終われる。
漸く、みんなに会える。
この敵ならば、きっと、仕方ない筈だ。
仲間達にこの敵を押し付けるのは心残りだが、きっと自分の戦闘データから何らかの対策を錬れる筈だ。
だから、もう十分だろう。
そう思った。
「提督、みんな……」
艦娘に転生してから出会った仲間達。
そして、先程の通信相手の男を思い浮かべる。
諦めるな、あの男はそう言っていた。
結局来てはくれなかったが、時雨はその事を恨もうとは思わなかった。
それが、当然なのだ。
人間が来た所で、深海棲艦相手に何が出来る事も無い。
寧ろ、その事に感謝すらしていた。
諦めなかったお陰で、こうして満足いく死に様を得る事が出来た。
諦めなかったお陰で、仲間に希望を託す事が出来るのだ。
きっと、彼が言いたいのはこういう事だったのだ。
ありがとう。
そう心の中で唱えながら、時雨は目を閉じた。
「さよなら……」
そして、時雨の体にイ級が照準を合わせ。
「諦めるな!」
叫び声が響いた。
そして浮遊感。
続くのは、左手の圧迫感だった。
手を掴まれている。
掴まれた手に、引き摺られる様に移動しているのだ。
「君は……?!」
手の先に視線を向けると、そこに居たのは、モーターボートに乗る青い服の青年だった。
青年は時雨の姿を確認すると、手首を捻ってレバーを曲げた。
操舵に従ったボートが来た道を引き返す。
特殊なチューンを施されたボートは、瞬く間にイ級の前から消えた。
「使命…」
執務室で、すみれは独りごちた。
胸に、消えぬ違和感が残っている。
それは、その言葉は。
すみれにある事を思い出させた。
彼女は輝の前にも1人、提督としての教育を施した人間がいる。
その男に戦闘において最も優先すべき事はなんだ?
そう問いかけた時の事である。
---敵も味方も、帰るべき場所に帰ることだと思います
そう、返ってきた。
その答えに笑ってしまった彼女だが、輝もまた、変わらない。
「ふ…ふふっ。甘い、甘いな、お前も」
どうして、自分の教え子はこうなのか。
どうして、揃いも揃って。
「……」
一頻り笑い終えると、やがて何かを決意した様に立ち上がる。
そして執務室を出て、何処かに歩き出した。
暫く歩くと、出撃用のドックにその足は迷わず向かっていった。
入り口を潜り、多くの兵器に目もくれず奥へと向かう。
しかしやがてある物の前で立ち止まった。
台座に乗せられた、一つの物体。
毛布が掛けられ内部の様子は伺えない。
しかしその中からはみ出た鉄の棒の先端が、圧倒的な存在感を示している。
台座のプレートにはこう書かれていた。
---大和型一番艦 大和
その文字を認めると、目を細め、薄く笑った。
「………私も」
「……離して、離してよ! 僕は、もう、逃げちゃいけないんだ」
「うわぁ! あ、暴れちゃ駄目だよ! 酷い怪我なんだから」
イ級から逃げて暫く進んだ所で。
呆然としていた時雨が唐突に輝の手から抜け出そうと右腕を使った。
艦娘の力は、人間の比などでは無い。
それでも、所詮は怪我人である。
後ろを見て何も無いのを確認すると、輝は時雨を引き上げて船の後ろに乗せた。
「…酷い火傷だ。でも、君が生きてて良かった」
「良くないよ、こんな所まで来ちゃ、君が危ないじゃないか」
「大丈夫! それが、俺の使命なんだ」
時雨の姿を見た輝が、素直な感想を漏らす。
その視線は、左の腕に自然と注目していた。
黒く焦げ、保護の為の水膨れすらも、出来ていない。
第3度熱傷。
最悪、手術が必要になるかも知れない。
(だけど………)
こんな少女の体力で、その負担に耐えられるのか。
それだけが、心残りだった。
最悪、死に至る場合もあるかも知れない。
だが、そんな事にはさせない。
心の中でそう決意すると、ボートの底の小さな扉を開けた。
どうやら何日かの漂流を前提としているらしく、中から幾つかの道具が出てくる。
その中から小さなペットボトルを取り出すと、続けて毛布を手に取った。
びり、びりり。
歯で噛み切って何枚かの布に分けると、それらを特に炎症が酷い部分に当てていく。
その上からペットボトルの口を開けて水をかけた。
第3度熱傷は、感覚にも深刻なダメージを与える。
冷水をかけられても、時雨は何も反応をしなかった。
代わりに、輝の行為を不思議そうな顔をして見つめている。
「君は、何をやっているの?」
「え? 取り敢えず応急処置しなきゃ………大丈夫! 俺、レスキュー隊員だからこういうのは得意なんだ!」
そう言っても、時雨は不思議そうな顔を崩すことは無かった。
よくわからないという風な視線を送っていると、輝が口を開いた。
「にしても、君みたいな子供まで戦ってるなんて……」
治療をしながら、時雨に話しかける、
それもまた、素直な感想だった。
黒い三つ編みを後ろに垂らし。
纏うのは同じく黒い学生服。
更にそれの似合う、凛々しいながらも幼さの残る顔立ちは、中学生位の女の子の印象を輝に与えた。
子供は、輝にとって守る対象だ。
これまでその常識を持ってきた輝にとって、時雨の姿は衝撃が大きかった。
「別に、良いよ。僕が戦って、誰かが助かるんなら……」
対する時雨の言葉に、輝は何処か投げやりな物を感じていた。
「だけど、君だって、さっきも言ったけど救われるべき命の一つなんだ。自分もレスキューしなきゃ……」
「だけど僕が戦わなきゃ、また誰かが犠牲に、そんなのは、もう…」
「また? 何かあったのかい?」
「……別に、なんでも無いさ」
また、その印象を受ける。
明らかな誤魔化しだったが、輝がそれに気付くことは無かった。
言って、船から飛び降りると、水上に時雨の足先が浮かんだ。
「………!」
やはり、気のせいでは無かったらしい。
水上に浮かぶ人間を見て、輝は息を呑んだ。
呆気に取られる輝を尻目に、時雨は言葉を続ける。
「ただ、疲れたのかも、知れないね。
終わらない戦争にも、超水害にも」
しかしその言葉を受けた途端、輝の目に闘志が宿る。
一体どうしたのだろう。
そう思って時雨が顔を覗き込む。
すると
「諦めるな! 時雨ちゃん!」
両肩を掴んで、真っ直ぐに目線を合わせた。
「確かに、戦争は、超水害はなくならないかもしれない。けど、俺たちレスキューフォースがいる! 必ず俺が! 何度でも助けてみせる! だから諦めるな!」
輝は、超水害の事も、戦争の事も何も知らない。
だから、艦娘である彼女が言うならそうなのだろう。
そう思って、その前提で話をしている。
超水害は、なくならない。
だが、それがどうした?
何度起きても、何度繰り返しても。
その度に、先程の様に時雨の手を掴んでやる。
その決意を言い終わると、懐からレスキューコマンダーを取り出し、幾つかの操作をして、時雨に握らせた。
「これでよし、これで、レスキューが来るから、此処から動いちゃ駄目だよ」
それだけ言うと、ボートのレバーを握り、時雨から視線を外す。
一方で時雨は四角の箱を開けると、二画面型の液晶の中で赤い点から線が何処かに向かって伸びていた。
どうやら何処かに救難信号を出したようだった。
レスキューフォースは殆どの機関に協力の要請が可能である。
その権利は隊員一人一人に委ねられ、輝もまた、例外では無い。
今回はその機能を使ったのだ。
時雨の怪我の具合を考慮し、これ以上動くのは危険だと判断して。
「だから、後は俺に任せて!」
レバーを倒し、来た道にボートを再び走らせる。
後には、呆然とする少女だけが残されていた。
その時は、意外にも早く訪れた。
時雨に別れを告げて、ボートを走らせる。
彼の前に不自然な陽炎が現れた。
陽炎は形を成し、輝の前に確かな実体を持って襲いかかる。
「………ッ!」
それは、圧倒的な速度を持って発射された、イ級の炎の砲弾だった。
レスキューマックスでの、高速戦闘の経験もある輝である。
咄嗟の反射に従って手首を捻ると、ボートは陽炎に対し斜めに曲がっていった。
そのコースは、ボートに砲弾を当てない為の最小のルートだった。
背後に水飛沫が上がるのを音だけで確認すると、輝は軌道を修正して砲弾の飛んできた方向にボートの先端を向けた。
そのまま発進させる。
発射には何秒かのタイムラグがある筈だ。
そう判断しての事である。
事実として、今まさに自分は確実に相手に近付けているのだ。
暫く前に走っていると。
遠くの小さな点だったその姿が、露わになる。
見たこともない魚の様な形をしているが、それよりも目を引いたのは。
全身を覆う炎の威容だった。
先程は時雨のレスキューに集中して気付かなかったが。
これは
「………ッ! ジャカエン!?」
以前に輝の後輩である、レスキューファイアーが倒した怪物。
その姿に酷似していた。
奴等は有機物、無機物問わず炎の怪人と化す事が出来る。
だが、おかしい。
奴等は、倒された筈だ。
レスキューファイアーの手によって。
しかし、その思考は中断される事になった。
聞こえてくる、摩擦音によって。
「なんだ、この音?」
類似音と言えば、レスキューマックスの武装のチャージ音だろう。
その考えに至った時、輝は直感的に理解した。
あれは、主砲の装填音だ。
輝は何度かジャカエンとの交戦経験もある。
その際にも、この音を聞いていた。
なら、どうする。
斜めに走らせて回避に備えるか?
否、駄目だ。
それでは、何時まで経っても近付く事が出来ない。
それでは、こいつを爆鎮する事は出来ない。
ならばどうする。
方法は、と。
考えたその時だった。
---頭で考えるな! お前は、お前にできるレスキューをやれ!
風に乗って、そんな言葉が聞こえた気がした。
それは、かつて先輩であるR2が、輝を勇気づける為に言ってくれた言葉だった。
その言葉は、今も輝の胸に突貫パワーと言葉を変えて息づいている
そうか、そうなんだ。
輝は、再びレバーの手首を曲げ
「うおおおお!!!」
ようとは、しなかった。
やった事は、その逆。
全力で倒して、接近する事を選んだ。
ボートが、水飛沫を上げてイ級に肉薄する。
しかし、その直前の出来事だった。
砲弾が、イ級の背の主砲から発射されたのは。
一発の砲弾は、風を切り裂き轟音を上げて輝の命を刈り取ろうと直進する。
そしてボートの目前まで来た時。
其処に輝の姿は無かった。
輝はかつての交戦経験から、発射のタイミングを計って、ボートに隠れて砲弾を避けたのだ。
深海棲艦は、人間を優先して狙うようプログラムされている、と先程のすみれの書類で読んだ。
ならば身を晒せば、きっと輝を直接狙ってくる筈である。
それを、輝は本能で感じ取ったのだ。
「見たか! これが俺の突貫パワーだ!」
立ち上がった輝が、空いている左手を突き出して叫ぶ。
再び主砲の装填を開始するイ級。
その隙を、輝は見逃さなかった。
背後の爆発の勢いに乗ったボートを、発進させ、圧倒的な速度でイ級に迫る。
そしてゼロ距離まで近付き、輝はボートをイ級にそのままぶつけた。
「レスキューフォースの底力見せてやるぜ!」
ボートはイ級を道連れにそのまま直進した。
顎の部分に先端が入ったせいか、イ級は転覆寸前の姿勢で辛うじて水平を保っている状態である。
故に、主砲での反撃も自身が邪魔で叶わなかった。
対する輝は懐からレスキューコマンダーを取り出そうとして、気付く。
「………ッ! ッ!」
嫌な汗が、全身から吹き出る。
これはきっと、熱のせいだけではない。
もっと、精神的なものだ。
やってしまった。
通信手段を、なくしてしまった。
これでは、この怪物をどの方向に運べば良いのか判断が出来ない。
「ど、どっちに行こう……」
思わず口から出るのは、彼らしくない弱気な発言だった。
迷いから出た台詞。しかし、意外にも直ぐに結論は出た。
「とりあえず、時雨ちゃんから引き離さなきゃ……」
あくまでも、戦闘とはレスキューの為の物だ。
そう豪語する輝にとって、大事な事は自身の身の安全よりも、要救助者の確保である。
故に、この結論に達するのに時間はかからなかった。
来た道と逆に行くように、向きを調整する。
するとボートの底から、何か音声が漏れた。
「おい、轟隊員、聞こえるか?」
「うわああああ!!!?」
ボートが、喋った。
輝は喋る車を相棒に持っていた経験から、そう判断した。
驚きは、倍増された。
「え……AI?」
「何故そうなる。私だ、すみれだよ。只の通信だ」
声を追っていくと、なるほど通信機が内蔵されているらしい。
スピーカーを示す蜂の巣の様な穴が、自信の足下に空いていた。
「それですみれさん、俺、どっちの方向に逃げれば良いんですか?」
「ああ、そのことなんだがな。鎮守府に戻って欲しいんだ」
「……え?」
それならば、好都合だと。
話を急かした輝に届いたのは、驚愕の台詞だった。
「だけど! それじゃ………」
「ああ、わかっている。だが、無策に言っている訳ではない。これからある艦娘の艤装で超水害を狙撃する。故に、君に連絡を取ったんだ」
「狙撃? そんなことが出来るんですか?」
「ああ、只、それには君の協力がいる。協力してくれるか?」
「………はい! 勿論です」
「それでは、先ずはレスキューコマンダーのGPS機能をオンにして……」
再び、嫌な汗。
今度のは、確実に冷や汗のみである。
「おいどうした、轟隊員? まさか……」
「えっと、やっぱり他の艦娘に助けて貰うとかじゃ、駄目ですか?」
少し、声が上ずる。
「いや、駄目だ。それにその方法では、ボートの燃料も持つかどうか分からない。こっちの方がまだ安全性が高いんだ」
「だけど! 時雨ちゃんをこれ以上危険に晒すのは!」
「時雨? 時雨に、渡したのか?」
しまった。
輝は、己の迂闊さを呪った。
「なら、今直ぐ取り返して来い。この作戦には、どうしてもGPS機能が必要だ」
「でも、時雨ちゃんは大怪我してるんですよ!? そこを狙われでもしたら」
「出来なければ、誰かの大切な誰かが死ぬだけだ」
まるで、輝の性格を理解した様な反論だ。
この場に、輝の知り合いが居ればそう判断していただろう。
"中途半端"に理解しているのだと。
「あの子だって! そうですよ!」
通信機に割れんばかりの音声が響いた。
「あの子だって! 誰かの大切な人の筈です! それに……」
其処で切ると、輝は目の前に視線を戻した。
「俺にとっては、あの子も大切な命の一つです! 絶対に、失われて良いわけが無い!」
視線の先では、魚の形状をしたイ級が必死に抜け出そうともがいている。
その姿に、かつて戦ったカニ型の怪物を思い出して、自身を奮い立たせた。
そうだ。
あの時も、型の落ちるレスキュービークルで輝は勝利を収めた。
ならば、今回だって。
行けるはずだ。
そう考え、輝は自身を鼓舞する為に叫んだ。
「魚に…負けるかあああああ!!」
自身を狙う機銃の存在に気付かずに。
輝に残された時雨は、何をするでもなくその場に立ち尽くしていた。
自分は、どうすればいい。
輝を助けに行くのか。
このまま、逃げるのか。
その二択が、先程の輝の言葉と重なって時雨の心を締め付けていた。
締め付けられた心は艤装と繋がり、出力を奪う。
「おい、轟隊員、聞こえるか?」
「うわああああ!!!」
レスキューコマンダーから声が響く。
その声は、すみれと輝の物だった。
これは元々輝の持ち物である。
どうやら、通信を傍受する機能も兼ね備えているらしい。
その事を理解し、自身も声を発そうとした、時だった。
「あの子だって! そうですよ!」
一瞬、理解が追いつかなかった。
何を、言っているのだろう。
何故、そう思うのだろう。
時雨の思いを他所に会話は続く
「あの子だって、誰かの大切な人の筈です! それに……俺にとってはあの子も大切な命の一つです! こんな所で失われて良いはずが無い!」
何故、此処まで言い切れるのか。
何故、其処まで本気になれるのか。
その疑問よりも先に、時雨の体は動き出していた。
此処まで言ってくれた人間を、死なせたくはなかった。
自分などの為に、彼の未来を奪いたくは無かった。
諦めるな!
彼に、そう言われた。
そうか、そうしよう。
君の命を、諦めない事にしよう。
「時雨、行くよ………」
時雨の思いに応えて、艤装が力を貸す。
その航行速度は、先程とは比べ物にならない程に早かった。
風が、顔を打ち、水飛沫が暴れ回る程に。
そして暫く走っていると、目の前に目標を見つけた。
「見つけた。」
それはイ級をボートの先端に伴って、無理矢理航行していた。
その分、速度が落ちているのだ。
だから、自分が直ぐに追いつけた。
だが、その考えに時雨が至る事は無かった。
目の前の光景に、彼女の心は震えた。
目の上に生えた一本の機銃が、輝の身体に狙いをつけているのだ。
おかしい。
あんなところに武装など無かった筈だ。
あいつはある程度の再生能力と自己進化能力を持っているのか。
そう結論付けると、驚きも無く、輝を狙う武装に狙いを付けた。
輝を巻き込まない為に、砲弾ではなく機銃を持って。
「提督! 伏せて!」
元々反射神経は良いのだろう。
声に従って殆どのタイムラグも無く伏せると、輝の頭上を時雨の放った銃弾が通った。
作ったばかりで炎に包まれていない機銃は、幾つかの部品に分解されると海面に波紋を散らした。
「時雨ちゃん!?」
「提督、はいこれ」
驚く輝を無視して、レスキューコマンダーを投げ渡す。
それを片手で受け取ると、時雨と交互に視線を送った。
「此処に来ちゃ駄目だよ! あそこでじっとしてなきゃ……」
「だけど、僕は君も死なせたくないんだ、駄目………かな?」
「…………ッ!」
その言葉を聞いて。
輝の目に浮かんだのは、悔しさだった。
但し、時雨に向けられた物では無い。
余りにも情けない自身への。
失望と力への渇望。
それが、苛立ちとなって顔に現れた。
今彼女は、自分をレスキューしに来たのだ。
何一つ出来ていない自分を。
「時雨ちゃん」
「…………なにかな?」
呼吸をして、自分を落ち着かせる。
それは、時雨が怯えてしまわない様に。
時雨に言い聞かせる様にする為の行為だった。
「俺たちの部隊にこんな言葉があるんだ。自分をレスキュー出来ない奴に、誰かをレスキューする事なんて、出来ない」
「それって……僕も、かな?」
「うん。君が俺を助けてくれるのは嬉しいけど、君も助からなきゃ絶対に駄目だ!」
今の時雨は、それが無い。
それでは、駄目だ。
自分も助からないと、レスキューは失敗でしか無い。
その事を、輝は良く知っている。
「だけど! 君を死なせたら、僕はもう、自分が許せなくなっちゃうじゃないか! だから……」
「時雨ちゃん!」
叫びに、叫びで答える。
それは、時雨のネガティヴな感情の吐露を止める為に。
少し落ち着いた時雨の目を、真っ直ぐに見る。
僕は、もう。
その言葉が輝に引っかかっていた。
「昔君に何があったかは知らないけど、俺は絶対に死なない! SAVE THE LIFE。この信念を持って、俺たちは幾つものレスキューを成功させたんだ」
レスキューフォース。
そんな部隊があるという話は、時雨も聞いた事がある。
だが、どうしても。
どうしても、恐怖が拭えなかった。
誰かを失う事への、目の前で死なれる事への。
「だから、俺を信じて! 絶対に、俺は自分の命を諦めたりしない!」
しかし、輝の目の光は。
死人の物ではなかった。
不退転。
その決意を抱いて戦った兵士を、時雨は何人も見た事がある。
その光をなくした目と、輝の目が、時雨の中でどうしても重ならなかった。
だからかも知れない。
無意識に頷いていたのは。
その時だった。
「「話は纏まったか?」」
レスキューコマンダーとボートの底面部から、二つの女性の声。
それは少しの怒りを伴って吐き出されたすみれの声だった。
どうやら待ちくたびれてしまっていたらしい。
「あ、はい! 俺はいつでもやれます!」
「なら、レスキューコマンダーのGPS機能をオンにしてくれるか」
「あ、もうなってます!」
先程、時雨に渡した際にやっていた。
「そうか、それは都合が良い。なら、君の次にするべき事は」
「はい!」
此処まで来れば、殆どの事をやれる。
その思いで、期待しながら輝は次の言葉を待った。
「適当に蛇行して時間を稼いでから、レバーをホールドしてボートからとび降りろ」
「………はい?」
その思いは、容易に裏切られた。
間抜けな顔で、レスキューコマンダーに返事する。
「成る程。計算、だね?」
呆けた輝に代わり、時雨が代わりに返事する。
彼女は輝と違い、何かを察している様だった。
「おーー、流石だな時雨。出来が良すぎて惚れちまいそうだよ」
「残念だったね。提督が男性なら、うれしかったんだけど」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 計算って?」
必要以上に焦った輝の声が、2人の会話を遮る。
小難しく考える事は苦手な輝である。
計算など出来るはずが無かった。
「安心しろ、計算するのはコンピュータだ。君のレスキューコマンダーから送られたデータをコンピュータに打ち込んで、狙撃の精度を上げる」
「風速、ボートの速度、地球の自転速度。どれ一つ欠けても、長距離射撃は成功しないんだ、だから」
「そんな事が……」
そう言う輝の脳裏に浮かぶのは、ファイナルレスキューの感覚だった。
あの時も、そう言えば幾つもの数字が現れては消えていた、気がする。
輝は知らないが、AIが全てを代わりに演算し、輝の作業をロックオンのみに抑えてくれていた。
輝はかつての相棒の事を思い出していた。
こんな状況で居てくれれば、きっと頼りになるのに。
「その役目は、私に任せてもらおう」
そう、こんな風に、抑揚の無い声で語りかけて………
「て、ええええ!!?」
レスキューコマンダーから聞こえる機械音声。
それに輝は、全力で叫んだ。
「お前、何で此処に!?」
「君のサポートをしてくれ、そう、総司令に頼まれた。それに、それは私の願う所でもある、だからだ、R1」
「コアストライカー……よーし! 行くぞ、コアストライカー!」
「コアストライカー? 提督の、友達かい?」
横で話を聞いていた時雨が、遠慮がちに話しかけてくる。
「友達………恐らくその問いはyesでいいだろう。少なくとも私はそう思っている」
「なーに言ってんだよ! コアストライカー! 俺たちは幾つもの修羅場を一緒に潜り抜けて来たじゃないか」
誰かの肩を叩くように、レスキューコマンダーを軽く叩いた。
通信越しに接触音がコアストライカーに届く。
「む………恐らくだが、今叩かれた気がする。そちらに居ないのが残念だ」
「そうだな! だけど、何処に居たって、俺とお前はずっと相棒だ!」
「ふむ、そうだな……だからこそ私もこうしてサポートをしている」
そう言うと、周波数を切り替えすみれにチャンネルを合わせた。
「と言うわけだ、ミス、すみれ。計算は私がする。だが、引き金は君が引くんだ」
「ああ、わかった。誰かの命を背負う引き金か………気が重いな」
「だけど、俺たちがやらなきゃ、誰も救われません」
「その事なんだが、R-1。一つ問題がある」
「問題?」
「実はもう計算は完了している。このままの速度で3分。この方向に向かえば、狙撃可能範囲に入る。それは良いんだが」
「問題? 何かあったのか?」
「ああ、そのボートが、超水害の熱に耐えられないという事だ」
「うぇ!?」
ボートの先端を見ると、鉄の塊が飴状に溶け始めていた。
ドロドロになったそれは、硬性を無くし、輝の前に少しずつイ級の体を近づけてしまっていた。
「提督、レスキューコマンダーを貸して」
それを見た時雨が、叫ぶ。
只ならぬその様子に、輝は訝しんだ。
「時雨ちゃん?」
「此処からは、僕がやるよ。大丈夫。僕だって、進んで死ぬ気なんか……」
腕を差し出して、レスキューコマンダーを催促してくる。
だが瞳を覗き込む輝は、時雨の顔を見て直ぐに考えを決めていた。
「いいや、駄目だ!」
その目を、輝は知っている。
その意味を、輝は覚えている。
絶望に染まりながらも、誰かを助けようとするその色を。
「時雨ちゃん。君は、自分が犠牲になって誰かを助ければ、それで良いと思ってるかもしれない」
「そうだよ。いけない事かい?」
それは、自己犠牲。
かつて、輝が助けられなかった男と同じ目をしていた。
「だけど! それじゃ駄目だ! それじゃ、君が明るく笑えない! それは、本当のレスキューじゃないんだ!」
「だけど! 君だって、危ないじゃないか! 装備も無しに人間がどうやって……」
それでも、輝はそれを否定する。
二度と、繰り返さない。
二度と、命を見捨てない為に。
その輝の言葉を受けて、時雨も吊られて大声を出していた。
彼女もまた、譲れなかった。
「装備があるかどうかなんて! 関係無い!」
それでも輝が一際大きく叫ぶと、時雨は一瞬の隙を見せた。
今目の前で、誰かの命を奪おうとしている怪物。
怪物に向かって、輝は威勢良く啖呵を切った。
「俺の心は! 何時だって着装してる!」
今、彼の装備は存在しない。
加えて、目の前の敵は強大で。
対抗する手段は博打だ。
だと言うのに、輝の目には恐れも迷いも存在しない。
理由は簡単だ。
どんな状況であろうと、レスキュースーツがなかろうと、変わらないからだ。
「俺は! レスキューフォース! R! 1だ!」
輝がヒーローであるということ。
輝がレスキューフォースであるという事に、少しの違いも存在しない。
そう言うと、輝は操縦桿を倒してホールド状態にした。
続けて立ち上がって走ると、イ級の顔面を殴った。
衝撃に動いたイ級の顔面を、耐熱機能を兼ね備えたレスキューブーツで踏みつける。
それだけで、イ級はボートに押しつぶされる形になっていた。
それは海水で冷やしながら、イ級を運べる体勢になっていた。
「だけど! 提督! それは……」
事実に気づいた時雨が、叫ぶ。
そう、その体勢は。背に負った主砲が、輝を狙う事が出来る姿勢でもあった。
しかし、その事実に最初から気付いていたのか、輝は素早く炎に包まれたそれを掴んでいた。
「さっき君に、諦めるなって言った俺が! 諦める訳にはいかない!」
砲身を、強引に自身の射線から曲げる。
人間の肉の焼ける匂いが、辺りにたちこめた。
恐らく今輝は、想像を絶する痛みに襲われているだろう。
更に痛みに気を取られ、周囲の警戒が出来なくなっていた。
その所為だろう。
自身を狙う、無数の銃口に気付かなかったのは。
「提督! 動いちゃ駄目だよ!」
事実に輝よりも早く気づいた時雨が、両腰の機銃を乱射した。
機銃は正確に兵装を蹴散らしていき、残骸を宙に散らせ続ける。
刮目すべきは、その技量だ。
輝には、掠らせる事なく、正確に相手だけを撃ち抜いている。
それは、時雨の乗組員であった者達の歴戦の勇士の魂を受け継いだ彼女だからこそ出来る技だった。
「僕が、此処に居ても良いのか………教えて、欲しいんだ。だから、君は、生き残って、絶対に」
射撃を続けながら、時雨は口を開いた。
銃声に消え入りそうなか細い声だったが、輝の耳にはしっかりとそれは届いていた。
救いを呼ぶ声は、絶対に聞き逃さない。
「ああ! 勿論!」
その魂が、音を正確に捉えていた。
やがて、多くの残骸が長い道を作った時。
「時雨ちゃん! 離れて!」
「わかった。だけど、提督は、どうする気だい?」
「大丈夫。俺に、任せて」
輝は射程に入った事を確認して、レスキューコマンダーを取り出した。
声に従って時雨が、旋回し離れていく。
その顔には、不安が表れていた。
そもそも輝が抑えつけていないと、今すぐにボートが溶かされてしまうかも知れない。
そうなれば、計算は一気に狂う。
だから、輝は最後まで居る必要があった。
それは、わかっている。
だが、その後の避難は。
それは、どうするのだろう。
「今だ! ファイナルレスキューの発動を要請します!」
「こっちじゃ、最終砲火(ファイナルファイア)てんだけどな、まあ、いい。ファイナルレスキュー発動承認!」
そんな時雨の思いを他所に、輝は続ける。
胸を2度叩き、指を前に突き出す。
次の瞬間、二つの声が重なった。
「「爆裂的に、鎮圧せよ!!」」
その声が終わると同時に、黒い球が空を翳らす。
それは、長距離を走ってきた一発の砲弾だった。
砲弾は、輝の目前まで来ると、着弾。
鉄の花を辺りに咲かせた。
「待っ!………」
時雨が手を伸ばす。
だが、もう遅い。
また、助けられなかった。
また、自分だけが生き残ってしまった。
その絶望が、少女を支配していた。
実を言うと、輝の救うという言葉に。
少しは、期待していたのに。
少しは、希望を抱いていたのに。
「君には、失望したよ……」
口を出るのは、そんな言葉だった。
自分でも気付かぬ程に、希望は大きかったらしい。
俯いて、顔をも上げられない位に沈んだ表情で、気付く。
「………?」
ある一点において、異常なまでの数の気泡が浮かんでいる事に。
そして気泡は、どんどん増えていき、何か黒い影を帯び始めている事に。
「………これっ、て」
影は人の形を形成し、頭部が気泡を突き破って現れた。
「………はぁ!」
先程と変わらぬ、青い服。
それは、時雨の望んだ姿だった。
「………提督!」
気付けば、駆け寄っていた。
気付けば、手を差し出していた。
「無事、だったんだね。よかった……」
「ああ! 勿論! 言ったじゃないか! 自分の事もレスキュー出来ない奴に、誰かのレスキューなんて出来ないって!」
「そう、だね……そっか、うん、ありがとう」
「え? 何でお礼なんか?」
「何で、だろうね……」
理由は決まっている。
生きていてくれた。
その事が嬉しかった。
対する輝は不思議そうな顔をすると、続けて思い出した、といった表情を作った。
すると胸元からレスキューコマンダーを取り出し、2人にマイク越しに話しかけた。
「すみれさん、コアストライカー。準備は良いかい?」
「ああ」
「肯定だ。こちらはいつでも構わない」
「それじゃ、行くぜ!」
コマンダーを天空に翳し、叫ぶ。
それはレスキュー部隊の、任務完了の証。
そして輝が、これから多くの戦場に刻むであろう言葉だった。
「「「爆鎮! 完了!」」」
何が起きたのかわからない。
そう言いたげな表情で、時雨はそれを見ていた。
今は、それでも構わない。
今は。
輝はそう思った。
暫くして、鎮守府に戻った輝は執務室に出頭していた。
「…………」
両腕で自分の体を抱き込み、小刻みに震わしている。
当然だ。
あの後救助が来るまで、数時間に渡って海に浸かり続けたのだから。
「無理はせず、先に風呂に入ってからでも良かったんだぞ」
その様子を見かねたすみれが、輝に声をかけた。
「いや、でも、時雨ちゃんがどうなったのかが心配で……」
「早く聞きたかったって事か…甘いな、お前も」
「も?」
「いや、何でもない。そうだな、無事だよ。今は治療中……いいや、入浴中だな」
「入浴!?」
「ああ、どうしたんだ一体。覗くなよ」
火傷の患者に熱湯をかけても、悪化させるだけである。
そう考え、輝は声を荒げた。
「どうして、そんな事を!? それじゃ怪我が悪化するだけじゃ……」
「いいや、それでいいんだよ。艦娘はそうやって治すんだ」
「治す?」
「入渠っていってな。ある特殊な溶液で満たした風呂に入る。すると治るって訳だ……どんな傷でもな」
「そんな事が………」
不安そうな顔から一転。
輝の顔には安堵が浮かんでいた。
それと同時に、不可解な表情を浮かべている。
対するすみれもまた、顎に指を当て、考え込んでいた。
「一つ、聞いても良いか?」
「はい?」
不意に、すみれが話しかけた。
「戦闘においてもっとも優先すべき事はなんだ? 的確な指揮か? それとも現場の判断か? それとも……矜持か?」
「え、ええっと……」
「お前の意見で構わない。聞かせてみろ」
そして出たのは、かつてすみれが部下にしたのと同じ質問だった。
輝が、何の信念を持って、行動したのか。
どんな矜持を持てば、あんな掌の火傷を我慢出来る程の覚悟を持てるのか。
その事が、気になった。
「レスキュー……」
「は?」
「戦いは飽くまでも、人命救助の為にやる事だと、俺はそう思ってます。だから、例え、敵を倒す事が目的だとしても、救われるべき命は、絶対に失われちゃいけない。それが、俺の答えです」
「ふ…」
聞いて、すみれは薄く笑った。
「……?」
「優等生だな。お前も」
「優等生?」
その返答に、輝は内心驚いていた。
輝は、個人の技術はそれ程高くは無い。
身体能力も、座学も、専門技術すらもない。
どう贔屓目に見ても、兵士としては弱い部類だろう。
その輝に、何故そう言えるのかが、わからなかった。
「いや、ま。色々あるって事だ。だが、お前に出来るか? 世界が幾度も繰り返した戦争のルールの中で、誰も死なせない。そんな矛盾だらけの綺麗事を追う事が」
続くのは、やはり質問だった。
その覚悟を、その強さを。
その事が聞きたかった。
「小難しい理屈はどうだって良い」
「?」
対して輝が出したのは、予想だにしない答えだった。
その後を聞いても、やはり。
「どれだけ低い可能性でも、命を救うのに邪魔なら、戦争のルールだって何だって、俺は絶対に爆鎮する! それが、俺のレスキュー魂です!」
「成る程」
面白い。
口には出さずにすみれはその思いを抱いた。
レスキュー隊員として。
その覚悟を貫けるなら。
「なら、やってみせろ。」
「え?」
「やってみせろ、と言ったんだ。必死で足掻いて、世界を前に戦え。その面倒位は見てやるさ」
「はい! 何が相手だろうと、俺、絶対に諦めません!」
「良い覚悟だ。だか、それでも駄目な時は」
すみれは執務机の引き出しから、小型の刀を取り出した。
柄を逆手に持ち、輝に突き出す。
「碇と桜の誇りにかけて、潔く散ろうや」
覚悟に、覚悟を持って応える。
それは、すみれの覚悟だった。
「そんな事、させませんよ」
「は?」
だが、輝はそれを笑って否定した。
その反応に、流石に素っ頓狂な声をあげてしまう。
「俺たちは、一か八かじゃ、レスキューはしません。それは、本当のレスキューじゃないから。俺たちだって、あの子たちだって、救われるべき命の一つなんです!」
だから、絶対にそんな事にはしません。
そう締めくくると、輝は息を吐き出して、すみれに話しかけた。
「あの、今度はこっちが聞いても良いですか?」
「何だ?」
「あの子が、もう逃げちゃいけない、とか言ってたのって、もしかして……」
昼間の態度を思い出しつつ、輝がそっと呟いた。
「察しが良いな、その通りだよ」
「!」
「本来なら女性の過去を知るのは、趣味が悪い事だがな。我々人間は、その過去を知る義務がある。あの子は仲間を失ったんだよ。我々人間が起こした戦争でな」
「俺たちが?」
「ああ、艦娘とはそもそも、過去の大戦の兵器の転生体だ。当然その際の経験や記憶も受け継いでいる。仲間を失った悲しみや悔しさもまた、な。中でも、山城。扶桑。この2人の最後は今でも夢に見ているようだな」
「それじゃ、その2人の艦娘を見つければ!」
「ああ、そうだな。だが、どうするつもりだ? 我々人類は艦娘のメカニズムも誕生経緯もわかっていない。わかっているのは、ある日海で見つかるという事実だけだ。分かっただろう。我々があの子にしてやれるのは、沈まないようにしてやるだけだ。あの子も、周りも。いつか解らない戦いが終わる日まで」
「……それって」
「ああ、地獄だろうな。だが現にあの子は戦ってくれている。こんな我々を守る為に、あんな小さな体でな。それでも、我々にはあの子の精神を救う手立ては、解らないんだ」
「そんな! それでも、諦めず話せば!」
「下手をして、トラウマを刺激したらどうする? それこそ、最悪の結果だ」
「…………」
沈黙が、訪れた。
余りにも重過ぎる現実。
それが、輝を打ちのめしていた。
だが、静寂を破ったのは、意外な第三者だった。
「迷っているのか、輝」
輝のポッケから漏れた声。
それは、レスキューコマンダーから繋がったコアストライカーの電子音声だった。
「コアストライカー……ああ」
力の無い、返事。
それは、昼間のレスキュー隊員と同じ物とは思えない程弱々しい。
「突貫パワー、ではなかったのか?」
「突貫……だけど!」
もしも、トラウマを刺激して、彼女の心を傷付けてしまえば?
もしも、彼女に最悪の記憶を思い出させてしまえば?
それが、輝の足を止めてしまっていた。
「私は、君にとても大切な事を教わった」
「いきなりどうしたんだ?」
コアストライカーが、滔々と語り始めた。
「レスキューは心まで救って、初めてレスキュー、ではなかったのか。少なくとも、私の知っているR1は、こんな所で足を止める人間では無い。だからこそ今、あの時言われた言葉をそのまま返そう。道が無ければ、作れ! R1!」
「!」
溶岩の沼にダイブした際に、自分が言った言葉。
それは、そのまま自分に返って彼の道を照らし出していた。
そうだ。
「さっき、言った事だもんな」
戦争の、ルールを否定する。
片っ端から、爆沈する。
「よし、俺! 決めました! 小難しいことは考えない! 」
それは、輝の夢とも繋がっていた。
「困っている艦娘の人が居たら、一生懸命助けて」
虹の中で立てたその誓いは。
抱いたその夢は。
今も、輝の胸に強く残っている。
だからこそ。
「世界中の艦娘に、明るく笑って貰うんだ!」
何処に居ようと、決意は変わらない。
レスキューコマンダーを執務机に置くと、輝は出口に向かって走り去った。
「おい! 待て! 轟!」
手を伸ばすが、もう遅く。
それは既に閉まる扉に消え去っていた。
「君は、AIじゃなかったのか?」
諦観の念で椅子に座り直したすみれが、側にあるレスキューコマンダーに話しかけた。
「ああ、そうだ。だが、私にもレスキュー魂がある。それを、学ぶ事が出来た。艦娘も又、変わらない筈だ。ならば、R1は、輝は、救える筈だ」
「だといいがな」
AIが此処まで感情を表現する事に少し驚きつつも、それを気取られないように、素っ気ない返事を返した。
レスキューコマンダーを閉じ、すみれは思考に入る。
AI、艦娘、人間。
全ての命を救い、全ての命に、明るく笑って貰うという。
其処に、境界は何も存在しない。
限界は、何も決めていない。
そんな姿が、真面目な態度と相まって。
「"等"しく"優"しい、ねえ……」
その印象を強めていた。
執務室から出た輝は、大浴場の前に居た。
流石に入浴中の少女に直接話しかける程無神経では無く。
故に、その前でウロウロするだけになっていた。
暫くして、その戸が開くと、暖簾を潜り抜けて時雨が出てきた。
「あ………」
自分に近寄る影に時雨が気付く。
何よりも先に、輝は時雨の腕を見ていた。
「その手、治ったんだ」
「うん、僕は艦娘だから、心配はいらないよ」
そう言えば、治療中に不思議そうな顔をしていたのは。
これが理由だったのか。
そう結論付けると、輝は本題を切り出す。
「僕に何か用があるの?」
事は出来なかった。
どうやら、時雨には人を観察する力もあるようだ。
元々わかりやすい人間ではあるが、輝の様子から察した時雨は先に口を開いた。
「ああ、うん、そうなんだけど」
「そっか、いいよ、何でも聞いてよ」
「それ、何だけどさ。だから、その」
更に、察する。
「そっか、すみれ提督から、僕が艦娘になる前の事を聞いたのかい?」
「ああ、うん………ごめん」
「別に謝る必要は無いさ……そう、只の、僕の罪の証なんだから」
自嘲気味に笑う時雨。
その様子を見て、輝は覚悟を決めていた。
「えっと……あの、さ。ちょっといいかい?」
「………何かな?」
「少し違うかも知れないけど、俺も、似た様な経験があるんだ」
「経験?」
「一人………レスキュー出来なかった人が居てさ。凄く悔しかった」
言って、輝は唇を噛み締めた。
少し違う、だが。
自分だけが生き残った罪悪感を、彼もまた持っているのだ。
その事が意外で、時雨は輝の話に興味を惹かれた。
「いや、今でもやっぱり悔しい。それでも、レスキューしたかったって思うけど、そんな時、その人の最後の言葉も一緒に思い出すんだ」
そう言って、輝は自分の手を見る。
「………それって」
「要救助者は、たった一人で助けを待っている。何処かで必死に手を伸ばしているその手を見つけ出せ。助けを呼ぶその声を聞け。それが……」
夕日の空に散る閃光を。
その偉大なる魂の輝きを。
輝は覚えている。
その言葉と共に、魂に刻みつけている。
其処で言葉を切ると、輝は時雨の手を掴んだ。
突然の事で少し驚いた物の、時雨は輝のなすがままになっていた。
「…だから俺、君の手を絶対にこれからも見逃さない。いいや、君だけじゃない。この先出会う人だって、困っている艦娘の人が居たら、一生懸命助けて明るく笑って貰うんだ」
「僕も、そういう風に……なっても
良いの? 暖かい場所に、僕は居ても良いのかな?」
掴まれた手をびくびくと震わせて、時雨は問いかける。
一歩踏み出す勇気が、その覚悟が。
未だに決められない。
輝はその様子に、かつて香月レイが成し遂げたレスキューを思い出した。
何一つ自信のなかった少年に勇気を持たせて、少年の父を自分でレスキューさせた。
ならば、そうすれば良い。
言葉で、表情で、雰囲気で。
あらゆる物を使って、要救助者を安心させる事は、レスキュー隊員の基本だ。
輝は掴んだ手にさらなる力を込めて
時雨に叫んだ。
「ああ! どんな命にだって、無限の未来と可能性があるんだ。君にだって幸せになる権利は絶対にある。だから、そんな未来に向かって羽ばたくんだ!」
一つの命に込められた、無限大の未来と、無限大の可能性。
誰かをレスキューする事は、その二つも一緒にレスキューしているという事だ。
もしかしたら、時雨が扶桑と山城と一緒に平和に暮らす未来もあるかも知れない。
もしかしたら、時雨が未来で大業を成し遂げるかも知れない。
あらゆる生命のあらゆるifは、考えるだけで輝をワクワクさせた。
だから、輝はどんなに困難でも諦めない。
その手を、見逃さない。
「その先に待つ困難や障害は、俺が片っ端から爆鎮する! 扶桑さんも山城さんも! 俺が絶対にレスキューしてみせる!」
例え、どんな障害があったとしても。
そして聴き終えた時雨は、目を閉じた。
心を落ち着けている様に見えたが、やがて目を開くと。
「…………僕は、白露型2番艦、時雨」
掴まれた手を強く握り返した。
それは、レスキュー要請の証だ。
手を伸ばして、声なき声で発したSOS。
ならば輝もまた、握り返す。
その手を、見逃さない為に。
絶対に、離さない。
「これからよろしくね」
----提督が、鎮守府に着任しました