神の存在証明   作:ドブ

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屈辱たる現実

「…………っ、く、ここは、どこだ」

 

 

意識を取り戻した我は霞む視界の中に浮かぶ見慣れない景色に疑問の声が口について出る。もっともすぐにこの地において我に親しみのあるものなどないと気づかされたが、徐々に明瞭になっていく視界の中に浮かび上がってきたものに我は困惑よりも不快感が先立ち、疑問の声は先細りに嫌悪混じりの唸りに変わっていった。

 

 

何せ意識を取り戻し、始めに目に飛び込んできたものが我の生涯最大の屈辱を与えた悪魔が使用していた魔法体系の魔法陣が描かれたタペストリーだったのだから、我の心が如何に寛大であっても、その心境が穏やかならざるものになったとして、それは当然のことであろう。

 

 

「あら、起きたの?」

 

 

我が魔法陣を睨んでいるその認識外からかけられた声に対する我の反応は、意識を取り戻したばかりということもあり、緩慢なものであったが、かけられた声の発信源に視線を移した途端我の顔はわずかに引きつった。

 

 

理解る。

 

 

存在が空間に干渉する歪みの音が悲鳴のような金切り音をあげているのが、ちくちくと人間の肌に刺激として触覚を敏感に反応させている。

 

 

この世界の理から外れた異質なもの。

 

 

我は警戒心も露わに目の前の悪魔に目を眇めた。

 

 

紅い流麗な髪を腰元まで伸ばし、碧眼は悪戯っぽく気まぐれにしかしそこには確かな落ち着きが見え、刻まれる微笑も人をひどく惹きつけ安心させるような効能を持ち合わせている。その胸に抱く果実も豊満であってハリを失わない素晴らしいものである。その中央にあるであろう種もその紅き髪と同様色鮮やかなものであるのだろう。いっそその種我が神の雫をもって芽吹かせたいものよ………………………………

 

 

………………………………………………

 

 

「あら、ぼーっとしちゃって、まだ気分悪い?」

 

 

「…………ああ」

 

 

「そう? やっぱり初めては負担が大きいのかしらね。私もそっち方面に詳しいわけじゃないからわからないけど」

 

 

どことなく思わせぶりな発言に、我の器はその言の真意を歪曲し、自らが都合のよいほうへ我の思考を導こうとする。そうした思考回路すらも受け継ぎ変節した我は器に歯噛みするも、それよりもはるか身体の変態には目に余るものがある。

 

 

そう、下半身を突き上げる男根である。

 

 

「…………く、き、貴様ほどになると会話の口について出る言葉すら誘惑の睦言となりえるのだな! 恐れ入ったわ!」

 

 

苦し紛れに吐き捨てるも、見苦しいことは百も承知。しかし、この身体が悪魔の淫靡な気配に異常なまでに敏感であると言う結果が起こした醜態、その大元たる悪魔に非があることに変わりはないのだ。言わばこれは糾弾なのである。我の好ましい人間像からかけ離れた器の在り方に怒りを覚えぬでもないが、その感受性の高さは悪魔の罪深さを再認識させてくれる人間としての重大な指針である。その認識の仕方に対しての憤りが本来正当であるべき糾弾を歪めてしまっていることについては遺憾以外の何物でもないが、糾弾することをやめてしまえばただの発情バカである。

 

 

「……………ふふっ、そうね。ごめんなさい?」

 

 

生暖かい目をしながら至って変わらぬ冷静さで流された悪魔の余裕を見るにその発情バカと大差ないようであるが。

 

 

「…………とんでもないサキュバスだな」

 

 

思わず言葉にした悪態は我の情けなさに拍車をかけていた。

 

 

「ふふっ、鋭いわね。」

 

 

しかしながら、そんな我にとってはどうでもいい一言が目の雨の悪魔の琴線に引っかかったようだった。

 

 

目の前の悪魔は我が意得たり、とばかりに訳知り顔で笑みを浮かべ、うなずく。その思わせぶりな態度に我は言い知れぬ苛立ちを感じる。

 

 

そして、もったいぶって口にした言葉は、

 

 

 

 

 

 

「でも、ちょっと違う。私は悪魔ではあるけど淫魔の類ではないわ」

 

 

 

 

 

 

「悪魔も淫魔も人の欲望を引き出し醜い面を露出させるという点では変わらんと思うがな」

 

 

至極今更のことであった。

 

 

興味を失った我は苦々しげに下半身に突起したそれに視線を向けつつも淀みなく言葉を紡ぐ。今視線を逸らせば間違いなく、我の器は悪魔の誘惑に捕らわれてしまうからだ。

 

 

静まれ、静まるのだ! この身が猛る思いよ、霧散せよ!

 

 

「そ、そうかもしれないわね」

 

 

ちらりと見れば、何故か物語のワンシーンのような会心の表情(どや顔)をしていたが、我のにべのない返答に逆に困惑した様子で、おざなりな相槌をうつ。

 

 

当てが外れたと言わんばかりの表情だ。我は諸事情によりすぐさま視線を戻したが、そこにあったブツの存在に今一度痛感する。

 

 

今の我は人間であるのか、と。

 

 

覚醒直後は喜悦が上回ったが、喉元過ぎれば、自嘲めいた思いとこの程度の肉体に囚われていることへのもどかしさと怒りしか沸き立ってこない。

 

 

…………おそらくこの悪魔は我が何の事情も知らぬ人間と思って、侮り、真実の開陳を前にした我の反応を楽しもうとしていたのだろう。

 

 

まったく忌々しいことこの上ない。

 

 

我はあたりを見回し、眉をひそめ、鼻を鳴らした。

 

 

「それで悪魔よ。ここはどこだ? さながら悪魔の根城と言ったところか」

 

 

我は魔法陣のタペストリーやら西欧の魔導書やら雑多に詰め込まれた狭苦しい部屋を見ながら侮蔑混じりの笑みを浮かべる。センスがまるでない、粗末なものだな、というニュアンスを含ませながら。

 

 

「あなた、信じてないでしょう。私たちは紛れもない本物の悪魔よ」

 

 

しかし目の前の悪魔はそうは受け取らなかったようだ。それもあからさまに馬鹿にされて怒っているのか、プリプリしながら、頬を高潮させている。

 

 

「はっ、信じているとも、淫欲な悪魔よ」

 

 

「淫欲はどちらかしら」

 

 

「き、貴様のせいでこうなったんだろうが!」

 

 

「…………あら、そうだったわね」

 

 

紅い悪魔は呆れたような顔をして、心にもない肯定を返す。我は怒気の熱に浮かされた。蔑まれている、見下されている、神であったころの我であれば、所詮下賤の輩の言うことと、相手にもしなかっただろうが、我自身が人間であることに辟易し、悪魔よりか下位の存在であることを自覚しているのだ。そして同様に以前の我であるのなら、これは再び神の座につくための雌伏の期間なのだ、と割り切ることもできただろうに、今の我にはそれができないでいる。

 

 

わかってはいるのだ。我は全知全能の神なのだ。無知でも愚昧でもない。我が生存するには下位の人間に身をおとす以外なく、それは仕方のないことで、その選択に後悔の余地など残すはずがない。むしろ、そういった感情を持つことこそが神の選択に対する侮辱だ。しかし、実際我はどうしようもない感情に振り回されている。

 

 

それは我が常に上位にあり、下位の者に実際に降りかかる事象への配慮の足りなさを示しているが、それでいいのだ。神は絶対上位者である。下位の者に降りかかる苦難のその途上にある感情など考慮に値しない。これくらいの苦難であれば耐えられる、これ以上は耐えられない、と結果だけを見据えていればいい。

 

 

そうやって、我は存在し続けて、こうして今我は儘ならない感情に苛立ちを覚えている。いくら下位の身に身を堕とそうが、我が神であることに変わりはない。しかし、神の選択をし続けようと足掻く結果、その身振りに合わぬ器の小ささに我は苛立ちを覚えていた。我の選択は内外含めた感情に晒されており、その脆弱な身体は我の意向を守りたる鎧とはなりえない。そしてその果て人間であることですら無意識に否定しようとしているのだ。

 

 

それを認めなければ、神への求道にすら至らぬというのに。

 

 

本当に儘ならない。人間にできる範囲は狭く、我の選択を満たしえない。人間は天使にも悪魔になることができる。これだけ言えば、人間の無限の可能性を示しているように思えるが、実際は逆なのだ。人間の可能性は狭く、我は我の信望する者たちの可能性の範囲を広げてやり、悪魔も同様に広げてやろうとする。両者は方向が違うだけで本質的には共通している。人間はできることが少ないがゆえに、それとは異なる可能性を極限した存在に憧れ焦がれ、人間とは別のものになろうとする。人間は魅力のない中道的な存在だからこそ、その中道を容易く捨てられる。真に特筆すべきは、人間の己が存在に対する執着の少なさなのだ。ある意味、そういった点では人間は天使と悪魔の始点であると言える。

 

 

しかし、だからこそ希望がある。中道的な存在だから、人間だから、神にもなれる。

 

 

どんなに今現在の我が狂おしいぐらい非力でもどかしいぐらい邪念に満ちた存在だったとして。

 

 

その希望がある限りは仕方のないことなのだ。

 

 

「…………………ちっ、もう、いい。それで悪魔、我に何の用だ? 精でも吸いにきたか?」

 

 

「あなたね…………」

 

 

本当に頭が痛そうな顔で額に手を当てる紅い悪魔。

 

 

「あら、彼、起きたんですか」

 

 

我がそれを胡乱な目眺めていると、部屋の扉が開き、ちくちくするような感じとともに丁寧な物言いをする女が部屋に入ってきた。

 

 

…………また、悪魔か。

 

 

「おい、悪魔。どうやらここは本当に罪深い淫魔が集う場所らしいな」

 

 

我はムクムクと再び元気を取り戻したそれを忌々しげに見ながら、吐き捨てるように言う。

 

 

「あなたは本当に…………」

 

 

心底呆れた風でため息をつく紅い悪魔に黒髪の悪魔が戸惑いを滲ませた笑みを浮かべ、首を傾げる。

 

 

「…………あの、これはどういう状況なんでしょう?」

 

 

口から出た言葉は取り繕った表情ほどに内心が隠せていなかった。状況に対する困惑からか不自然に抑揚のない口調になっている。

 

 

「…………もう色々ややこしいから省略するけど、彼、私たちのこと悪魔だと信じてないのよ」

 

 

「…………はぁ」

 

 

あからさまに納得していなさそうな顔でちらりと我に視線をやり、徐々に下にいくにつれ笑みを浮かべる頬がひきつらせていく。その視線は我が怒張に集中しているようである。全くこれだから悪魔は…………そんなにもこの淫欲の象徴たる一物に興味を示すか。まぁ、淫欲なる悪魔故の所業とも謂えるが。

 

 

「…………それに関してはたぶんド変態なのよ」

 

 

「な、なるほど。でもそ、そういう性癖である可能性もありますわ………見せびらかして悦ぶ露出狂的な」

 

 

「おい、我の前でで何をこそこそやっているのだ…………全く悪魔とは存在が下賤であるばかりか礼儀すら知らぬらしい」

 

 

「…………貴方はもう少し忍ぶべきよ」

 

 

紅髪の悪魔が頬に手を当てため息とともに指摘するも、それこそ受け入れられない選択である。

 

 

「ふん、如何に醜聞違わぬような姿であれど、貴様ら悪魔の前でどのような姿であれ恥じるようなことがあれば、それこそ我が尊厳が疑われるようなことよ」

 

 

これを隠したり、ことさら動揺した態度をとればそれこそ単なる人間の発情になってしまう。この雄々しく立つ男根のある限り如何なる態度を取れど、客観的には大差のない見てくれになってしまうのであろうが、そこだけは譲れない一線である。

 

 

故に我は傲慢に驕りたかぶるのだ。悪魔とは対極の存在として。

 

 

「あなた…………」

 

 

侮蔑の言葉は欲望のことしか眼中にない頭の片隅でも理解できたのか、淫靡なる欲望を掻き立てるような艶を地肌とする声に怒気を滲ませ、顔を歪ませる。

 

 

「…………随分な挨拶ね」

 

 

「はっ、そう感じるは貴様らが自らの罪を自覚していないが故だ。罪を知り、恥を知ればこそ、貴様ら悪魔は死を選ぶべきだというのに。あろうことか貴様ら悪魔は己の所業の恥辱を知りてなお、欲望を、罪を肯定する。そんな貴様ら悪魔が、誉高い我から受ける誹りとしては至極生ぬるいものであろう」

 

 

逆に己が清廉さを俗に塗れた悪魔どもに合わせて穢させぬためとはいえ、言葉を慎んでいる我に感謝してほしいものだ。

 

 

「あなた…………教会の関係者ね」

 

 

疑問ではない確信からくる言葉。

 

 

我はそれを鼻で嗤った。

 

 

「ほう、欲望に曇った頭でも我の清廉さは目につくものか。感心だな、誉めて遣わす」

 

 

「…………ずいぶんと舐めくさった真似をしてくれますのね」

 

 

紅毛の悪魔の隣にいた黒髪の悪魔が表面上平静を保ちつつ笑みを浮かべる。しかし、押し隠せぬ憤りから我の前に一歩に出るその勇往な右足こそが彼の者の本音なのだろう。その拙い欺瞞は我からしてみれば、いじらしいままごととしか捉えられなかった。

 

 

我が悠然とした態度を崩さぬことを敵意を向ける自分への不敵と受け取ったか、黒髪の悪魔は笑みを見せ、持ち前の美貌で華々しさを演出しつつも、刺々しさを全面に押し出してくる。

 

 

水面下の想念の鍔競り合い。

 

 

澄んだ黒瞳の奥に潜む光が剣呑に細まった瞼から鋭く差し込み、ゆらり、悠然と据える我の視線が交差する。

 

 

そんな均衡を打ち破ったのは、大きな大きなため息だった。

 

 

「…………朱乃、やめなさい。あなたが心配しているようなことはないわ」

 

 

「…………ですが」

 

 

「朱乃、これは主としての判断よ」

 

 

決然と言い放たれた言葉に黒髪の悪魔も下僕として何か感じ入るところがあったのか、頭を下げ、一歩身を引いた。

 

 

一方、突然水を差され蚊帳の外に置かれた我はと言うと、情けのないことに苛立っていた。一瞬、流された紅髪の悪魔の視線に憐憫の兆しが見えたからだ。そうした感情に囚われ、先入観をもってその会話を聞いてみると、何やら含むものを感じてしまうのは当然だろう。そしてその方向性を器が人間である我は負へと進めてしまう。

 

 

もどかしくて、けれど、どうしようもなくって、我はやきもきしながら歯噛みしながら、正答を求めて威風堂々と構える紅髪悪魔と背後に控える黒髪の悪魔に目を向けた。

 

 

「…………何の話だ?」

 

 

「何の話? そこまで愚かなのかしら?」

 

 

心底呆れたような仕草で手をパタパタと振り、紅髪の悪魔は一息入れて答える。

 

 

「この私、グレモリー家次期当主、リアス・グレモリーのテリトリーに教会の関係者がいるという事実に対しての邪推よ」

 

 

ここまで言えばさすがにわかるでしょう、当たり前の常識を語るような口調の言外にそう言い含んだ紅髪の悪魔————改めリアス・グレモリーの言に、我も自らが痛恨を知らざるをえなかった。

 

 

よりにもよって、器の所在地が悪魔の管轄にあったとは…………思いもよらなかった。いや、本当は最初に思い至るべきであった。悪魔への蔑み、人間への自嘲が先行して思考が全く回っていなかった。こうも人間の感情表現は直向くのというのか。いちいち律さねばならぬ儘ならぬ感情に対比して、人間の言うところの理性が際立つ。人間の価値観では相反する対義語として感情と理性が成り立つ理由が今では、よくわかった。

 

 

本当に、人間と言うのは難儀な…………どうしようもない生命体だ。これが両極端の矛盾を併せ持つ人間だというのかっ。

 

 

自らの至らなさを、言い訳へと転化していく様を醒めた目で客観視する我がいることをひしひしと感じながら、我は人間を厳しく評価し続けた。

 

 

そうあってなお続けられるのは、客観視する我がこれを冷静な原因究明だと判断する自分がいるからで、苛立ちを感じるのは、この過剰に揺れる感情を、言い訳だと判断している自分がいるからだ。

 

 

しかしそうやって、自省の悪循環の中にいつつも、目を逸らしてはいけない存在がいる。

 

 

紅髪の悪魔リアス・グレモリーは相対するような敵意めいたものを露見せず、どことなく気の抜けた弛緩した様子らを我の眼前に晒し、息をついていた。その不自然さに警鐘を鳴らすように、胸が早鐘のごとく脈打っている。

 

 

「でも邪推は邪推に過ぎなかったということよ、朱乃。あなたの心配しているような、彼が教会の密偵、あるいは刺客と言うことはあり得ないわ」

 

 

あえて話題の中心である我から矛先を逸らしたような言い口に我は唸りにも近い声で言葉を発した。

 

 

「…………どういうことだ?」

 

 

話の流れからして、我をそのように疑うのは当然の帰結である。

 

 

「あなたが神を信じること、悪魔を排斥すること。それ自体はあなたの価値を高めることにはならない、ということよ」

 

 

しかし、そうした流れからリアス・グレモリーの発言は、的を射ないものであった。

 

 

「なにが言いたいっ」

 

 

話の流れから脱線したように見える彼女の意図は、単に頭が足りていないというわけではなく、我には想像しえない背景にその双眸が向いているような気がしてならなかった。

 

 

「わからない? あなたは人間。今までの言動からして、あなたが欲望の象徴である悪魔を嫌い、清きを好んでいることはわかったわ。そのことから私たち悪魔があなたを教会の関係者だとみても何ら不思議はない。事実朱乃はそう見た。けれど私はそうは見なかった。それが何故か?」

 

 

リアス・グレモリーは、物わかりの悪い子供を諭すように、腰までたおやかに伸びた紅髪を揺らしながら、人差し指を一本立てて言った。

 

 

「あなたがあまりにも未熟で、中途半端すぎるからよ」

 

 

我はその言葉に衝撃を受けた。理屈もない、意図も読めない端的な一言でありながら、その言葉は混濁する我の頭に重く沈んでいった。

 

 

「“我”という自己形容。あまりにも不遜で傲慢な自讃。あなたの発言の多くに含まれる、神よりも自己が先んずる言動。何においても真っ先に主の名を口にだし、それを自らの行動の逃げ道とする信徒どもとはあなたは違う」

 

 

「…………ずいぶんと馬鹿にしてくれたものだな。逃げ道にする、だと? 信者が主の名を紡ぐのはそんな理由ではない。聖書、一節口ずさみ、聖歌を謳い、神に祈り、日々を過ごすことで人生という名の試練の中を過ごし生きていく信者が神の名を紡ぐのは、自らの行動への戒めだ。断じて逃げ道などではない!」

 

 

「自らの行動を他者にゆだねている時点でそれは逃げ道だと思うけど…………でもそんなことあなたに話しても仕方がないわよね」

 

 

我が受けた衝撃の跳ね返りに合わせ、我が信徒を侮辱され、息巻く我は過剰な怒りを孕んだ主張を舌鋒鋭く振るったが、肝心の紅髪の悪魔は気に留めた様子もなく淡々と言う。

 

 

「あなたが信徒の何を語れるというの? 神の名を出すよりも先に我が我がと誇り、信仰を疎かにするあなたに」

 

 

「…………っ!」

 

 

…………神の名を出すはずがない。

 

 

我が神なのだから。

 

 

だけれども、そんな訴えが目の前の悪魔に届くはずもなく。

 

 

だけれども、我が誇ることはやめることができるはずもなく。

 

 

目の前の悪魔には貴様に信徒を語れる資格などない、と言外に捨て置かれた。

 

 

我はどうしようもなく人間なのだ、と改めて痛感した。

 

 

「そういった意味、貴方はとても愚かだわ。訳知り顔で神の教えについて語るくせして、実際誇っているのはそんな知識を披露するあなた自身なんだもの。己の知識と信仰をひけらかして、したり顔で自慢する。子供の稚気みたいなものかしらね」

 

 

なかなかどうして、リアス・グレモリーの発言は我の本質を見抜いたものであったが、下された評価は我の器越しに曇りを見せた劣悪なモノであった。

 

 

かつては天界の頂にいた我が、よりにもよって、知識をひけらかして己の優位を見せつけることで満足する、そこらの痛々しい人間扱いされるなど! 何故我がこんな扱いをされなければならぬのだ!

 

 

口から感情が言葉という形になり、濁流のごとく流れ吐き出されそうになるのをそれでも、と堰き止め我は拳を握り手の平に爪を差し込み自傷することで均衡を保つ。

 

 

それに屈してしまうことこそが、我がこの器の人間に敗北することを示すに他ならないことを我は知っていたからだ。

 

 

「けれど、ここで疑問がある。あなたが、どうして悪魔を知っているような言動を見せたのか? 今までの発言からして、少なくとも天界や冥界————―実際の事情―————を知り教育された敬虔な信徒ではないことは確かなのにね…………でもそれもあなたの人間性とあなたの特殊性を視野に入れれば、なんとなくだけれど見えてくるものがあるのよ」

 

 

異論はあった。しかし、口を開き如何な意味の言葉を放てど、そこにはふさわしくない感情が介在してしまうだろう。だから我は口を噤み、ただ黙ってリアス・グレモリーの話を聞くに甘んじるしかなかった。

 

 

「……………………神器の保持者はその神器が強力であればあるほど、人間社会には馴染みにくい。そのことに起因して否応なく不遇の身に置かれたり、あるいはその強大すぎる力を巡って、事件に巻き込まれたりしてしまうものだ、と聞いているわ」

 

 

しかし、遅まきながらに、我が神器を保持していることに気づかれているのだと知り、我は唇を噛みしめる。これもまた本来の我であれば真っ先に思い至るであろうこと。

 

 

相手に主導されるような形で自らを取り巻く現状を明らかにされていく過程は我にとって恥辱以外の何物でもない。しかして我はその掌で弄ばれぬよう優艶な音楽響かせる舞踏場の中、木阿弥気取り、中央にして立ちすくむ。感情を発散することは、磨かれた床に踵を鳴らす行為に他ならず、自身はステップ踏まずにしてこの舞踏場を出る自信がない。

 

 

どうしようもない負のスパイラルだった。人間の理不尽なまでの感情に振り回され、最後の一線は、自身が神の矜持、と発散させることを許さず、内に汚泥のように溜め続ける。

 

 

その上、神として思考を巡らせようにも、その汚泥のように鬱屈した感情が冷静さに水を差すのだ。

 

 

本当に…………どうしようもない。

 

 

我は己の不甲斐なさに嘆き、理性の声に耳を傾け、感情の迸りにその身を焼き、身体を縮こめた。

 

 

「私はあなたもその一例だと考えている。その驕り高ぶったその態度も、何の説明もなく、事情も知らない、他人にはない自分の力を自分なりに理由づけた努力の結果ではないか、と私は思うの」

 

 

フッと、悪魔の声に焦点が戻り、我は自暴自棄にも投げやりに言った。

 

 

「………………言いたいことがあるならはっきり言え」

 

 

「………………あなたは他人にはない力がある。そしてそれは私たちが今まで気づかなかったことからも、慎ましやかで隠せる程度のもので。けれど周囲は誤魔化せても周囲との違いを認識する心は誤魔化せない。誤魔化す必要があった」

 

 

自暴自棄な心根にも悪魔の声は響くものがあった。それは我の儘ならぬ現状に救いの手を差し伸べるようなものではない。それよりも深く奈落の底から忍び寄る魔手。さらに我を深淵に突き落とす、予感がした。

 

 

「だからあなたは優越感としてそれを処理した。他人とは違う、“何か”を持っているってね。そうやってあなたは異常を飲み込んだ。それがどこまでのものを麻痺させたのかはわからないけど、少なくともあなたにとって悪魔という存在はそこまで異常なものではなかった。いえ、むしろ、自らの力の由を確定させる上で悪魔はかっこうの“設定”だったのでしょうね、勿論自分の優越感を補強する上でも。あなたの特別な力を根本に据え、展開する優越感とその価値観からしてあなたにとって悪魔はその力を際立たせるための贄であり、神はあなたの力の正当化する都合のいい存在だった。だからあなたは都合よく信仰を語りもするし、悪魔を排斥しもする、というわけよ」

 

 

そして、招いたのは一瞬の空虚。

 

 

「勿論、これは私の想像も大いに混じった推測よ。あなたが信仰というものの根本を知らないことから、教会関係者ではない、と仮定した上での、あなたの人間味と事情を加味した結果行き着いた結論。間違っていたらごめんなさい」

 

 

真摯に、頭を軽くとはいえ下げる目の前の悪魔には、これといって、こちらを貶めようという邪気が感じられない。

 

 

こいつは気づいているのか。

 

 

今、目の前の人間に最低な評価を下していることに。

 

 

他人にはない力で驕り、優越感に浸り、自らの境遇を説明する手立てとして神、悪魔の存在をご都合主義的に解釈する人間。だとするならその人間は神やそれを信ずる信者、悪魔までもを巻き込み馬鹿にする行為をしており、それを知らぬという愚か極まりない人間だ。その道の者からしたら、無知とはいえ醜悪極まりない存在だ。

 

 

そんな存在だと推測しておいてなお真摯に対応するこの態度。

 

 

ククッ、と自重の笑みがこぼれた。こぼれた音は喉の奥で響いた。

 

 

上位者としての位格、この悪魔の格の高さが痛感できる、己の器の矮小さに対して心底絶望した。

 

 

いっそ、このまま矮小なこの人間の器の中に我を押し込め、分相応な態度を心がけるべきではないか。底なしの絶望から生まれいでた戯れにも似た考えだが、そう悪いもののようには思えなかった。

 

 

せめてそれなりの力を得るまでは、という予防線を引いたその内側に留まることは、今の我にとっての妥協点であるように思えたのだ。

 

 

「…………気を悪くしたのならごめんなさい。それでも最初に言っておくべきだと思ったの。無知を認めるところから始めなければ、あなたは何も始められない」

 

 

「…………かもしれん、な」

 

 

どのみち人間(無能)であることを認めなければ、何も始められないのだ。

 

 

我の素直な肯定に意外そうに瞼を瞬かせ。

 

 

そうして悪魔は嗤った。

 

 

「うん、素直でよろしい。あなたは、悪魔を明確な悪だと決めつけているようだけれど。それだって勝手なイメージの産物でしょう? まずはあなたの無知を埋めるために悪魔を知ることから始めてみてはどうかしら」

 

 

しかし、その一言で我は一気に引き戻された。

 

 

自然な流れの中にありながらも、垣間見えた意図。

 

 

この悪魔、よりにもよって我を堕としにかかっていたのだ!

 

 

迂闊に見せた隙にすぐに食いつくことなく、入念に傷口を広げた上で、抉ってきた。全知全能、神であった頃には無かったウィークポイント。弱点。

 

 

それは、我が人間であること。

 

 

狙ってやったことではないにせよ、我は晒したそれを切り口に、この悪魔の術中にはまっていたのだ。

 

 

不覚、と自己を嫌悪の真っただ中に落とし見るに、物事を見つめなおせば、我がついさっきまで思考していたことにまで恣意的な誘導の魔の手の存在がちらつく。

 

 

そもそも人間の分相応な態度をとるなどと、一体何を考えているのか。

 

 

そのことこそ、我が嫌っていた人間の本質に我が意思をも添わせて本質が引きずられてしまうことになるというのに。

 

 

例え、この身が人間であっても、我は全信徒が主と仰ぐ神であることに変わりない。

 

 

そのこと、疑いなきものであるのなら。誇ればいい。驕ればいい。示せばいい。

 

 

その姿、無様であったとして。

 

 

その姿、嘲笑に値うものだったとして。

 

 

総身、屹然と其処にあることこそ我の本懐にて、唯一絶対の存在証明に他ならないのだ。

 

 

「く、ははっ」

 

 

先とは質の違う自嘲の声が部屋の中に響いた。表面だけを笑いになぞったその声はひどく楽しげで、ひどく憎々しげだった。

 

 

「? 何かおかしいことでもあった?」

 

 

何も知らぬ無垢の子供のように訝しげに恍けるその様子でさえ、我の欲望をそそらせる。光の頂であった我が今では見つめること叶わない悪魔の本質を己の反応によって再び見定めることになろうとは何たる皮肉か。

 

 

「はっ、よりにもよってこの我が下賤な悪魔に惑わされているなどとな、気の狂いそうな現実におかしみを感じたまでよ」

 

 

「あなた…………まだ認めないつもりなの」

 

 

「ふふっ。嗚呼、全く、なんと儘ならぬ、なんと儘ならぬことか! この身は悪魔が誘う欲望に敵対するどころか理解すら示してしまう!」

 

 

我は悩ましくも、嘆きの意を露わに腕を大きく振り上げ、器の、人間の身体を抱きしめる。輪郭を撫でるように手を這わせていく。

 

 

「故にこそ知る! 我に課せられた試練の厳しさを!」

 

 

しかし、裏腹に我は理解してしまったのだ。

 

 

このように悪魔にさえ理解を示せるような人間が神たる我でさえ惑わす快楽に身を委ねることなく、我を慕ってくれるその信仰の尊さに。

 

 

身をもって知る、人間と言うものに課せられた試練。

 

 

真に理解を得た人間に、よりいっそうの愛を感じずして何が神と言えよう。

 

 

このような試練に抗い純潔の愛をささげてくれる信徒たちの敬虔さが愛おしくて仕方がない。

 

 

しかし、その試練の困難を知ったからこその愛に殉じてはならない。

 

 

我は神であり、人間の上位者である。この身が困難を知るは、人間であるからこそだ。

 

 

その愛は嬉しい。しかし、その愛は当然だ。

 

 

信徒としての当然を、我が更に愛してどうするというのだ。

 

 

我は神である。

 

 

ならば例えこの身が人間だとしても、同じ人間の、信徒の当然など、通り越して然るべきものなのだ。

 

 

だから、我は行こう。

 

 

目先の欲望にすら屈してしまいそうなこの身体。それを抑えることを試練とし、愛すら感じてしまうこの我には、神への道は程遠い。

 

 

だが、いい。

 

 

その距離感さえ、我はついぞ掴めていなかった。

 

 

それをこの身が猛らす欲望によって知った。

 

 

遠い、と。

 

 

しかし、我は神だ。

 

 

信徒として当然と要求される試練がある。

 

 

神として当然と要求される試練もあって然るべきだ。

 

 

成し遂げられずして何が神か。

 

 

我は、人間の身にて課せられた、かつてない無窮の試練――――神への道程を踏破し、万夫不当のこの身を示して、神の試練の道標はここにぞある、と人の矮小な愛を壮大な愛をして包もう。

 

 

それこそが、神。それこそが、我。

 

 

だからこそ、

 

 

「我に課せられた試練の第一歩である。邪悪な悪魔よ、艱難至るその道、石ころとて我は容赦しない」

 

 

目の前の悪魔は障害物だ。

 

 

我が求道における踏み台にもなれぬ、邪魔者。

 

 

「道を開けろ、その道は貴様ごときが塞いでいいものではない」

 

 

「あなたは…………あくまで自分の世界を守るというのね…………」

 

 

紅髪の悪魔は我の壮大な気宇に気圧されたように腰が引けていた。黒髪の悪魔は価値観の相違からか気持ち悪いようなものを見る目でこちらを拒絶しようとするのみだ。

 

 

それでも、そこから持ち直し、毅然とした顔つきを取り戻した紅髪の悪魔は一端の悪魔なのだろう。黒髪の悪魔の女の態度が変わらぬあたり、異なる価値観に理解を得ているだけこの悪魔は大物なのかもしれない。

 

 

「…………ここは悪魔のテリトリーよ。そこにあなたが住まう以上、最低限のルールは守ってもらう」

 

 

「我が道妨げるようなルールなら破るまで」

 

 

「…………せいぜい他人の迷惑にならない範囲でやってちょうだい」

 

 

深いため息をつき、扉の前までの道を指し示すように身体を引く。

 

 

我がどうしようと脅威にもならない、そのような自負が透けて見える態度に相対する我とは明確な温度差が存在している。否定はすまい。我がどのような覚悟をもって相対したとして、所詮この悪魔には取るに足らない些末事に過ぎぬのだ。対応も杜撰になろう。

 

 

理解はしている。故に我は悪魔に用意された道を一歩一歩踏みしめ、去り際に言葉を投げつける。

 

 

「我に手傷を与え殊勲を上げる機会、逃したことを後悔するといい」

 

 

そんな言葉がいつの日か真実、力を持つ日を信じて。

 

 

悪魔がいる限り我は滅びない。

 

 

その心新たにして我はその道を踏み固めた。

 

 

開けた扉の先にあった光はかくも眩しかった。

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