「……………………ふぅ」
一時の高ぶりも落ち着きを見せ賢者のごとき聡明さを取り戻した我。そんな帰路の夕暮れどき、我はこれからの方針を改めて確認する。
我が神器“可能性の具現”は器の可能性を開花させることができる。故に一つの可能性を突き詰めることで、別の可能性を生み出し切り拓いていくことができたのなら、その連鎖の果てにこそ“神”があり、その道程こそが我に課せられし、無窮の試練。
神への指標はここに立った。ああ我が愛おしき被造物にて我を慕う信者たちよ。我が空白を残したことにより、さぞやその愛を失ったことだろう。ああ、箱庭たる世界よ。我が不在にてさぞや悲鳴をあげたことだろう。神の絶対性への揺らぎは、許されるものではない。揺らいだ我に神の資格なし、と罵られても仕様がない。世界の愛の欠如、世界の悲鳴、形となってそこにあるはずの糾弾我は甘受しよう。
しかし、実際我の神たる由縁である絶対性などとうに存在してはいない。故にその愛のない人類も、悲鳴を上げる世界も感じ取ることができない。
罪の存在を知りつつも、罪の在り処を知りようがないこのジレンマ。償うことどころか、人間の脳では罪の意識すら現実感のないものとして処理されてしまう。
ああ、これほど罪深いことがあろうか、いやない。
然らば、ここに我は誓おう。神であった我は天から救いの手を差し伸べた。どこまでも上から目線であり、被造物の苦悩など理解しようがなかった。しかし、今なら理解できるのだ。今ならその悩みを一緒に悩んでやれるのだ。
最底辺。悪魔のごときこの器の欲望に満ちた身体から、地の果てから天の地まで登ってやろう。苦しかろう、辛かろう、しかしその道々には人の愛のなさ、世界の悲鳴、被造物らが悩んだ我の罪の全てがあるはずだ。そこに我が登っていって、苦しむ隣人の隣に立って、ただ黙々進み続けていって。己らが隣に我が踏みしめていった道を遺そう。
神の道標をそこに創ろう。
かつて我が神器セイクリッドギアシステムを作ったように。
それこそが我が神の絶対性を疎かにしたことに対する償いとなろう。それこそが我が神である証左となろう。
我は神になるのだ。
差しあたって、切り拓くべき可能性は“神器”に必要となる魔力や体力の底上げだ。それらを継続的に上昇させていくことで、より多くの可能性を開花させる。魔力も運用し続ければ、より洗練されていく。体力も同様だ。それらと同じ効果を神器によって求めてやればいい。直接的な結果を神器によって求められるのだから匙加減さえ間違わなければ、通常の成長速度を大きく上回ることができるだろう。
【魔力量の増加】
【体力量の増加】
これだけは継続的に維持していこう。最初は全体としても多めに力を割き、ある程度並行的に神器を使えるだけの分母を確保できたら、徐々に可能性の探求に注力していく。基本の充実は差しあたっての急務であろう。
徐々に悪魔に抗するための術理も習得せねばなるまい。とはいえ、この器、もともとは一般人の身である。世に言う普遍的な“一般人”が悪魔や天使を抗するための才能を持たぬからこその“一般人”であるように、この器もその例に漏れず、如何な術式においても適性を持っていないようであった。唯一天の術式の中でも精神性を重んじる術は我の影響からか強く適性を持っているようだが。
天性の才能というものはやはりあれひとつきりらしい。冷静になってから再評価してみるに、あれの成長を促したのはくだらない性的欲求だろうが、方向性は面白い、と言ったところか。元からあった、女を裸にする、という方向で伸びていた能力がうまく我が神器の行使の際想像していた知的欲求の結実と合わさったことが功を為したのだろう。結果として視界には裸の女体とそのパーソナルデータが映し出されるようになった。
しかし、以前は性を超越していた我も器の影響からか、今はそういった欲求とは無縁でいられない。そういった欲をかき乱されることがこの能力の欠点と言えば欠点か。あとどうあがいても、この能力から男を裸にできる可能性が皆無と言う点も。男を裸にすることに関しては別の可能性から模索していかざるをえないようだ。
まぁ難はあるとはいえ、一つ極めているものがあるのは大きな長所。まずはあの紅い女悪魔にかなう程度の力量を得るために、魔力・体力の増量とともにそれを生かす術理を知識から引き出していこう。相手の性質・弱点は読み取れるのだから、どのようなパターンにも【汎用できる術式】を広く浅く網羅していき、同時に【瞬時に】【戦術を立てる】頭を鍛える。あるいは男の敵に出くわした時のため、自身にかけるための全てが女に見える幻術の術式も学んでおくか…………それがこのレベルの“目”に作用するかはわからないが。
「方針はそんなものか…………」
大体の神器の運用方針が決まったところで我は足を止める。
我が向かっていたのは、器の記憶にあった町はずれの教会である。この身からはすでに元浜の人格が失われている。両親と一つ違いの妹と仲睦まじく暮らしていた家に帰る気にはなれなかった。それは器のものだ、奪うのは残酷であろう。二度と家族の目の前に現れないことで“元浜”は死んだ、と認識してもらえれば、その思い出にこそ“元浜”の墓標が立とう。何も残していけなかった器に対する我なりのささやかな配慮であった。
とはいえ、神たる我とて今はしがない学生の身。他に行くあてなどなく、どうしたものか、と悩んでいた我に思い当たる行先など教会しかなかったのだ。
器の記憶から察するにどうにもとうの昔に廃れた教会であるようだが、それならいっそ好都合。いずれはきちんとした教会に保護を求めることを考えてはいたが、何の実力もない一般人レベルの状態で教会の門戸を叩くことなど、神であった我の矜持に障る。神であった我からしてみれば、今の状況全てが矜持に障るが、それでも譲れない一線というものはささやかながらに存在していた。それがかつての信者たちに向けられるものであればなおさらである。
そういう意味で廃れた教会と言うのは、我にとってはこの上ない好都合な物件であった。ほどほどに矜持を守れ、ほどほどに我の状況を戒めてくれる。
「ここか…………」
詳しい地理までは記憶から読み取れず、しばし道に迷うことになるも辿りついた教会。どことなく懐かしい雰囲気を感じ取りつつも、教会に足を踏み入れることにためらいを覚えているこの身体を縛っているのは、きっと我の負い目が原因であろう。
今の我には奉られるほどの力はないのだ、と。
「いや、奉られてすらいないか…………」
自嘲の念が我の中にこだまする。我がいなくなったことで教会も衰退の一途を辿っていることは想像に難くない。無論、それは魔王を失った悪魔どもも同様だろうが。
推測の域を出なかった勢力衰退も、こうもまざまざと見せつけられてしまえば、罪の意識を駆る現実となって我の自意識を崩壊させる一つの礫となる。
すなわち神にはなれぬのだ、と。
「いかんな…………」
これなど序の口。我の苦行は始まったばかりだ。
重石の乗ったような抵抗感を務めて無視して我は教会へと足を踏み入れる。夕暮れ時、影は北東に細長く伸びていた。
「あら、ようこそ、迷える子羊さん? なんて冗談が利きすぎてるかしら?」
鳥肌がさざめく波のように皮膚の上を通り抜けた。
教会の祭壇の上に胡坐をかく女が一人。その脇を囲むように神父と思わしき恰好をした男たちがズラリと並ぶ。
その背に宿るは黒の翼。邪な加護を受けるその身の邪悪。極めついては凛然と現在を象徴する御像の無惨に破壊された頭部。
「堕天使どもが…………」
我はとんだ虎穴に飛び込んでしまったらしい。
どうやら我はその身に余る清浄さから門をくぐったときにご丁寧にチャイムを鳴らしてしまったようだ。全く、もって生まれた高貴さというのはこれだから厄介だ。例えどんな相手でも貴賤なく振舞うことを礼とする心。今はとんでもなく愚かしい方向へ働いてしまっている。
「あら、てんで何にも知らないで入ってきたのかとも思ったけど、そうでもないみたいね?」
少なくともあの子よりはましだわ、とくすくす笑うその姿は可憐の一言。しかし我の目は騙されない。この目は全てを見抜く“審美眼”この堕天使が実に豊満な体つきをしていることは…………ゲフンゲフン。この堕天使が今までどれだけの悪行を重ねてきたかは手に取るようにわかる。
中級堕天使・レイナーレ、か。その身が宿す光の力は、悪魔の殺傷性を優先しているがゆえに発光力―――――遠距離、広範囲の攻撃の適性を犠牲にしているが、その分単一の遠近攻撃には十分な指向性を持つ。
女性限定とはいえ、相手の戦闘の性質まで読めるこの目はやはり素晴らしい。
このレイナーレも、中級堕天使の割には大した実力を持っていないのだと理解できる。しかし、問題はその大したことのないレイナーレにさえ及ばない力しか持ってないわが身のこと。
敵意を向けられれば死ぬ。
これは絶体絶命の危機だ。
「まぁいいわ。どんな輩であれ、ある程度の事情に通じた人間が入ってきたのなら、容赦はしないわ。私の任務と計画に邪魔だもの」
自分の言葉におかしみを覚えたのか、再び可憐な微笑みを浮かべるレイナーレ。
その言葉とともに、並んでいた神父がこちらに迫ってくる。
くっ、予想通りと言えば予想通り。ここは逃げの一手を打つしかないかっ。
我があとずさりしつつ、踵を返そうとしたそのとき、背後で大きな音を立てて扉が閉まる。
「はぁーーーい、バァアアン! ここから先は一歩通行DEATH! 冥界行きの特急電車ぁ! おひとり様ごあんなぁあーい! てかてか!? あべ、俺ちゃんちょっとユーモラスすぎるっしょ!」
ケタケタ嗤うは、白髪の神父。扉に手をかけ、歯をむき出しにして、顔立ちに狂気を浮かべる。目は男には通用しないが、肌で感じられる。並ぶ神父たちより、こいつ一人の方が強い。
くそっ! くそくそくそくそくそくそくそくそくそく!
何故我がこんな目に合っている我は神だぞこの程度の連中造作にない指一つ動かせば死ぬ言葉紡げばそれだけでひれ伏すそんな程度の価値しかないゴミ屑同然の生命に何故我はこんなにも萎縮している何を迷っているお前たちは存在すら許されない我が神なら殺す死ね消えろ我を脅かすなちっぽけでくそったれな俗物くそくそくそくそ、だというのに何故我の身体はこんなにも、
震えているというのだ。
そうだ、これは器の影響だ。器が脆弱すぎるせいだ、だからこの程度の中級堕天使と悪魔祓いどもに怯えている。屈辱、まさに屈辱。嗚呼くそ! どうすれば、この状況から……
「天使様ぁ! こいつ殺しちゃっていいスかぁ!? 悪魔じゃないけど! 悪魔に頼ってる気配もないケド! それ殺しちゃっていいのカナ!? ほら俺ら一応悪魔祓いだし? やっぱり大義的なものがないとあかんと思うのですよぉ? こいつ殺すのに大義とかあるかなぁ…………? あった、俺殺したい! 以上! いいともぉ!」
光の凶刃を携え、イカれた神父が舌なめずりしながら、我に迫ってくる。
こいつを、こいつを殺せるだけの実力を身につけるには、どれだけ…………? くそ、そんなことをすればエネルギーに枯渇し死ぬ、そう意思表示するかの如く、神器が拒絶の気配を出している。よしんば殺せるかもしれない程度の確率に頼った実力を引き出したとしても、さらにその後には、居並ぶ神父たちと堕天使が待っている。到底そこまで我の器が持つとも思えない。
我の神器はこういった土壇場での行使に向かないのだ! 力を引き出すのにコストがかかる上、それを行使するのにも、コストがかかる。限られた燃料しか使えないこの脆弱な器では燃費が悪すぎるのだ。
「まぁ、待ちなさい、フリード」
静止の声をかけたのは、堕天使レイナーレ。
一対一のにらみ合いから一転、我らは待ったをかけたレイナーレに注意を向けざるを得なくなる。といっても我には振り返る余裕などないが。
「そこの人間。命が惜しかったら命乞いでもしてみなさい? それが面白かったら、そうね…………命だけは助けてあげるわ」
極大の悪意が息をひそめた慈悲の言葉がかかる。
命乞いだと、冗談ではない。すぐさま切って捨てたい我ではあったが言葉にならない。もしかしたらそれだけが我の生き残る唯一の手段ではないか、それならばいっそ、と。一縷の希望のように感じられてしまうのだ。ありえない、こいつは楽しんでるだけだ、と神である我は判断しているのに。想像力が貧弱な器。必死に現実から目を逸らそうとする姿勢が現実の認識を妨げているということに気づけ。いや気づいてはいる! だがそれが上手く飲み込めない!
「おぉおと! まさかの無力な子羊ちゃんによる一発芸タイーム! キタよコレ! 確変確変! 君の命はベットされた! 生きるも死ぬも君次第! さぁいってみよぉ!」
完全に遊ばれている、ニヤニヤと憐れな獲物を嬲り悦に浸る下衆の視線が視聴者気取りで我の反応を試している。
「ほらどうしたの? やってごらんなさい?」
声だけ聴けば優しい女性の声。しかし語尾は嘲笑に歪んでいる。ほらどうした、やらなきゃお前の命はないぞ、我の非力を笑って優越感を得ている。性根が腐っている。
どうする、やるか、やるだけなら損はないか、駄目で元々微細な確率ではあるが、生き残れるやもしれぬ、その確率を上向きに操作すればあるいは…………
しかし、わかっているのか、その確率を神器で操作するということは、英語教師の矛先を威圧して避けさせたように、より情けない命乞いで堕天使の機嫌を伺うということだ。そんなことをすれば、我の、神の矜持が! しかしここで死んでしまえば、千載一遇の機会が再び巡ってくるまでいつだ? その時世界は、信徒はどうなっている? 信徒思えばこそ一時の泥水すするくらいの苦行は耐えて然るべきではないのか…………
頭の中が思考の渦に飲み込まれそうになる。その状態は傍から見てて面白いのか、下卑た笑い声が神父たちの中から時々漏れる。
堕天使もやはり同じたちなのか指先で突っついていじるように我に指図する。
「ほら? どうしたの、命乞いの仕方わからないの? 仕方ないわねぇ、フリードお手本見せてあげなさい?」
「ほらキタ! こういうとき人気者の俺様困っちゃうよ! いくら博識でイケメンパラダイスな俺でも命乞いのやり方なんてわかるわけ…………」
ない、と言い切ろうとしたところで、目から光を失い次の瞬間、フリードと呼ばれた神父は手を組み、膝をつき涙ながらに訴え始める。
「ゆ、許してくだせぇ! お代官様ぁ! もうおらぁんちの家に金はないだ! らめれ!持ってかないで! それナマポで買ったナマコ! おいしくないよ! ちょ、マッテ臓器は勘弁! それ命、俺の命! 命ばかりはお助けよぉ!」
へいこらへいこら、馬鹿みたいにははぁ、ははぁと平伏するフリード。あからさまな道化を演じ、周囲も笑いをこらえきれず声を上げて笑ってしまう者もあらわれた。
これを、我にやれと言うのか…………
目の前の道化の調子に辟易してしまう我である。到底やる気など起きないし、そもそも周りの空気も緩んでしまっている。
どうにかこれで隙はできぬものか、苦し紛れにもそう思える余裕ができた直後であった。
フリードと呼ばれた道化が、奇術師のごとくもったいぶった手つきで胸元を探り、一気に引き抜く。その手に握られていたのは一丁の拳銃。
何が起きたかわからなかった。遅れて我の耳に届いたのは一発の銃声。さらに遅れること鼻についたのは火薬と硝煙の香り。しかし次いで来るはずの痛みがやってこない。
そう、フリードが銃弾を放ったのは声を上げて笑った神父の男の胸元であった。
何が起こったかわからない、そんな空気に支配された聖堂の中、フリードだけが気炎を上げて叫ぶ。
「こっちぁ、真剣にやってんのに何嗤ってんだぁ! このくそども! 真剣の命乞いだぞ? 命がけのレッスンだぞ? てめえらも命がけで聞けやボケェ!」
神父の列に向けツカツカと苛立たしげに足音を鳴らしながら近づき、撃たれてもんどりうっている神父を足蹴にする。
「おいおい、これくらいで死んじゃいますかぁ? 俺のフォーリンラブが熱烈すぎましたかねぇ、でもたっぷり味わえたっしょ。こんなパラダイスイケメンのラブ! てめえみたいなブサにはもったいないくらいですよなぁ。いやぁでも愛溢れた俺の責めがこんな形になっちまうとは俺様ちょい反省。俺食らったことないけど、対悪魔用祓魔弾ってどんな感じ? やっぱ悪魔じゃねえしそんな痛くないもんかな? そうだよねぇ! 俺たち堕天使レイナーレ様の加護を受けた選ばれし勇者! だもん、こんくらいで死ぬわけねえ! OKOK!」
狂気であった。まさしく狂気。我の心胆冷やさせるほど悪。この白髪の神父には仲間意識というものが圧倒的に欠けている。かといって敵対意識をもっているわけでもない。ただ単にこの神父にとって他者とは屑なのだ。それくらいの価値観しか持っていないから、こうも容易く単純に事に運べる。
これが堕ちた人間の果てだというのか。
この器に入って以前からの認識改めて実感した。人間の愛の欠如。神の監督なくば、ここまで堕ちるか人間。
これはなんとかせねばなるまい。そういった義務感すら喚起させられた、この少年の狂気。まだ年頃は器と同じくらいであろうに…………我が抱いたそれは圧倒的な弱者に対する憐憫であった。
「お、おお? 死んじゃった? 死んじゃったよこの男! あれじゃね悪魔用の祓魔弾で死ぬとかこの男悪魔だったんじゃね!? そうだよ! 天使様の加護受ける悪魔とか! かぁーーーーー、図々しいにも程があるぅ!」
そう言ってつま先で神父の死体を引っかけ聖堂の影の方に蹴り飛ばした。そしてちらりと、レイナーレのほうを伺う。こんな感じでいいっすよねぇ、理由としては、と。この少年の癇癪で神父が死んだことは間違いない。しかし、例え堕天使の下とはいえ、そんな理由で死がまかり通っていいはずもない。組織である以上ある程度の理由は必要だ。それが体裁というもの。どんなに馬鹿らしい理屈でもあったほうがいいに決まっている。
それに少年は強い。弱ければそんなバカみたいな理屈は通らないが強ければ通る。強ければレイナーレも重視せざるを得ない。元よりここは正しき天の理より追放された無法者まがいの集まり。弱肉強食の実力主義。強者が幅を利かせるのが当然の社会なのだ。
事実レイナーレも少し眉をひそめた程度で大して気にした様子がない。強いて言えばフリードの蛮行に不快感を覚えているが、神父一人の損失自体は鼻もかけていない。
どうでもいいのだ、そんなこと。
「…………まぁいいけどね。後で誰かあの死体処分しときなさいよ」
故に弱者はその立場を思い出し、息を潜ませ強者に膝をつくしかない。神父たちは目線を下に落とす。選んだのは彼らだ。これが天の理より外れた社会の実態なのだ。
「ほらこんな感じよ? 命乞い。ジャパンに免じて江戸っ子verでやってやったんだからさぁ、ほらレッツレッツレッツ!」
道化の調子が明るく変わったが、目の色は紛れもなく本気だった。やれ、できなきゃ殺す。この男はそのためなら独断で我を斬りかねない、そんな危うさは先ほどの狂気の鱗片を感じさせる。
「ふん、できるわけがなかろう」
しかし、調子を取り戻したのは、我も同じである。今の狂気を見て思った。我はこれを正すためにあるのだ、と。これを誅するためにあるのだ、と。
「あっれ~~、この子どうしちゃったのかなぁ~~? 自分の立場アンダスタン? そんな生意気ぶってると殺しちゃうよ? 俺調教とか趣味じゃないからでも新たな世界を切り拓いちゃうのもありかもとか思ってたりしちゃったりして!? 拷問調教楽しいぃ~な、hey! 皆さんもご一緒に!?」
調子っぱずれな歌でノリノリに唱和することを求めるフリード。先の一件を見ているからか、神父たちも戸惑いながら野太い声で合唱する。拷問調教楽しいぃ~な hey? と。
そこは無視しろや、てめえの合唱なんて聞きたくねえよ、拳銃を振り回すフリード。滅茶苦茶なノリに神父たちもどうしていいかわからないようだ。
「狂ってるな…………神の慈悲無きこの世の無常を感じるかのごとき光景だ」
一人毒づくと、フリードのノリに呆れて見かねていたレイナーレが面白そうに口を開く。
「あら、ずいぶんと落ち着いたものね。あなたの立場は一向に変わらないっていうのに」
「忘れてなどいない。ただ思いだしただけだ。貴様らのような穢らわらしい連中に下げる頭などないことに」
その言葉にレイナーレの目がスッと細まる。フリードの調子っぱずれな口舌が止まる。両者ともにあるのは馬鹿にされたことへの憤りではなく、面白がるような空気だけだ。
そこにあるのは絶対的な優劣の差。差して相手のことを評価していないからこその態度。人間だって蟻が喧嘩売ってきたら嗤う。それほどの差。
しかし我は屈しない。死んでもこのような輩に頭下げてなるものか。
「ほぅ、言うねえぇ、少年! そういうの僕ちん大好き!! 結婚して!」
「面白いわね、その程度でよく吠えたわ」
両者ともに立ち上がる。
フリードは拳銃を投げ、光の剣を抜き身に、柄元をペロリとなめ、
レイナーレは折りたたんでいた黒翼を広げ、初めてまともに我に視線をやる。
「任務で童貞クサい少年の相手を務めさせられ疲れた私の無聊を慰めるぐらいにしか思ってなかったのだけれど。そうね、もうちょっと趣向を凝らしてもいいのかもしれないわ」
その顔に湛える悪魔の微笑み。
「フリード、そいつ、殺していいわ。でも、できるだけ長く、相手を苦しませながら、ね」
「アイアイサ! なんちって! 趣味わりー! さすが我らが愛おしき天使様! そういうの大好物です!」
そして幕を開けた、殺戮劇の始まり。
全くもって最悪だ。しかし勝てないと決まったわけではない。ネズミを狩るぐらいにしか思っていない連中の油断につけこんでくれよう。
窮鼠の力思い知れよ、我は手ごわいぞ。
棒立ちで構える我の戦闘姿勢。どのみち異形との戦闘には何のかじりもない器だ。下手にらしい構えをとっても動きが阻害されるだけ。
如何に神器を上手く使えるか、それが問われる戦いとなろう。
「ふふ、コロッセオで猛獣に立ち向かう人間の憐れな闘いを観戦した人間たちの気持ちはこんな感じだったのかしら。少し楽しくなってきたわ♪」
先制はもちろん白髪の神父。飛び込んでくる低姿勢からの光の斬撃。弧の軌跡の始点は膝よりも低き床のすれすれから。
この、女にしか役に立たない“目”も生存本能に駆られれば、別なのか、相手の動きを追うことはできた。まぁもとより性欲がねじくれて発達した目だ。性欲の源はすなわち子孫を残そうという生存本能に由来する。ここぞというときその目の真価は動体視力にも発揮された。しかし後に知る事実はなんと残酷か。この目の動体視力が揺れる乳の微動に対応するため進化したと知ったときの絶望感。絶壁な乳の揺れを感じ取るには目を皿にする必要があった。そこから派生した動体視力なのだ、と。今はただただ予想外の目の汎用性の高さに驚くばかりであり、その手の思考に回らなかったのがこの場では吉と出る。
太ももを切り裂く斬撃。血しぶきが舞い上がり、白髪の神父の顔が愉悦に歪む。
「ほらほらどうしちゃったんですかぁ!? さっきまでの威勢のよさはぁ! はったり? 虚勢? どっちも意味は同じだけどそれしかねえもん!! まさかの選択肢にて正答一つ! でもねそういうとこ可愛いと思いますよ! 僕はぁ! その痛みに歪む顔も! どんどん歪めてあげますから、もっとかわいいとこ見せてくださいよぉ!!!」
「ペラペラペラ、とよくしゃべる…………!」
血を見たことで昂ぶる器の感情。それに呼応させ、我は神器に【痛みの緩和】を命じる。戦闘により少しばかり分泌されていたアドレナリンが神器によって大量に行きわたり、頭がカッ、と熱くなる。しかし、おかげで痛みは和らいだ。意地でも痛みに歪む、奴らの望む顔など見せてたまるか!
「ほらぁ! なら次はこれぇ!!」
光の剣を十字に斬れば軌跡が空中に残り、光が形を成す。次の瞬間残像として残っていた光の軌跡が刃となってこちらに飛んでくる。
しかし、それよりも早く我はすでにその対面から退避している。
敵の【行動分析】。あまたの知識は神器により保存されている。目の前の敵が何をやっているのかを見て、あまたの知識の中から類似攻撃を検索、その攻撃の知識だけを抜き出す!
実質は類似攻撃の【知識習得】のコストだけなので消耗は少ない。単純な攻撃であればそれほどの知識を必要としないために、今の我にも運用が可能だ。知識の検索を神器が自動化してくれる点はありがたくもある。
本気で当てるつもりはおそらくフリードにもなかっただろう。観客を意識したエンターテイメントを気取り派手な技を使ったに過ぎない。その際の隙は我が避けてから逆算される時間、十分補える猶予のある時間だったはず。
しかし、フリードが攻撃を始めた直後ゼロコンマに満たない時間で我が回避行動をとったためにフリードの目算に誤りが生じる。
今のフリードは隙だらけである。フリードの目に焦りが生じるが、それでもフリードの立つ位置まで到達するのに我も時間がかかる。十分フリードも体勢を立て直せる、そう踏んだのだろう、フリードの余裕は消えない。むしろそれを隙と取って、強襲してくればカウンターを浴びせてやろうという気概も見える。
しかし、それは命取りだ、フリードよ。
【瞬発力強化】
【瞬発力強化】
【瞬発力強化】
途端、足の筋力がたわみ、足が一回り太くなる。今までとは違う地面の踏み心地。地面がより固くしっかりとしたものに変わったかのごとく力強く反発し足の裏を押し出してくる。
同時に極度の疲労が頭を揺らしたが、アドレナリンの大量分泌が意識を失うことだけは避けてくれた。
「フリィイイイイイドォオオ!」
フリードの位置までは一瞬だった。それこそ飛ぶように景色が流れる。それに対しフリードはいまだ構えの残心を解いたばかり。フリードの表情が驚愕に歪む。
【筋力一時100%運用】
【確率操作・敵の昏倒】
バネのような跳躍の勢いを殺さずそのまま拳を振りきる。稚拙な腕の振りではあったが、確率操作、まぐれの賜物か、フリードの顎下に吸い込まれるようにしてヒット。そのまま救い上げられるようにフリードの身体が吹き飛ばされた。並んでいた長椅子を巻き込み、フリードは床にたたきつけられる。
「ぐぅはぁ、はぁはぁはぁ」
頭痛が止まらない、身体を覆う疲労感に意識を失いそうだ。しかし、ここで意識を失えばたちどころに死が待っている。我はフリードが完全に気絶したことを確認する手間も惜しんで、傍観に徹していたレイナーレと神父たちに向き直る。
唖然とした空気が嫌でも伝わってきた。当然だろう、神父たちはフリードの力の前に黙らされてきた。その神父たちから見れば圧倒的であったフリードを神父たちでさえ馬鹿にしていた一般人と思わしき人間があっという間に倒してしまったのだ。驚かない方がおかしい。
もう一方のレイナーレはと言うと、余裕めいた笑みを崩さぬままだ。これだ、これが危険なのだ。レイナーレにしてみればありえない力を発揮した我を前にして驚きも見せない。ありえない反応だ、その力が自分たちに向けられるとは思わないのか? なんとなく納得したような顔を見せるレイナーレが不気味でたまらない。
「へぇ~あなた神器を持っているのね、その正体はわからないけど」
伝う汗、霞む視界のなかレイナーレが何やらレーダーのようなものを握っているのが見えた。
「あ、これ? 気になる? これはね神器好きのアザゼル様が開発なされた、神器の発動を察知する機械よ。神器の収拾が目下私たちみたいな中級堕天使のお上へのご機嫌伺い、もとい得点稼ぎみたいなものだからね、全員に配られているの」
ご機嫌な様子でわざわざ丁寧に説明してくれるレイナーレに揺れる視界の中で必死に捉えようとする。足に負担をかけすぎたか、立っているのも精一杯なくらいである。
くそ、神器を持っていることがばれた…………予想以上に負荷がかかった、かくなるうえは…………
「ああ、でももうだめね。実力の次元が違うフリードを倒すくらいすごいのはわかったけど所詮そこまで、ほら神器の明滅がどんどん弱くなっていく」
【確率操作・敵の昏―――――
ぐらりと身体が傾いていく。ああ、くそ、くそ、意識が薄れて…………
「アザゼル様へのいい手土産になったわ。こう言うのを…………日本では棚からぼたもちっていうのかしら? ふふふ、待っていてくださいアザゼル様、レイナーレは必ずや―――――」
そこでパッタリ、と意識が暗転した。
…………悔いはない。連中にこの躯晒すことだけは堪えがたい屈辱ではあるが…………少なくとも我は神を守れたのだ。それだけで…………今はいい…………