神器の使い過ぎで意識を失うのは、何度目か。意識を取り戻した我が思ったのはそんなことだ。切羽詰まった状況下での緊急対応であるがゆえに後悔はないが、こうも立て続けに神器の行使を強いられるまでに陥るとは、この器の不運を呪いたくもなる。
しかし、感謝もしている。堕天使との接敵もフリードとの応酬もアーシアとの出会いも、我の現状を知らしめると言う意味では悪いものではなかった。
「…………この体勢は辛いがな」
殺されなかっただけましか、我はどこぞの原罪を償う聖人のように鎖で手首と足を縛りつけられ吊るされている。背後の壁には幾重にも重なりあった魔方陣、そこからラインが鎖にまで伸び蔦のように我を絡め取る拘束具の一部となっていた。
「あ、ぐぅう!」
神器の行使によりいくらか強化されている我の身体を振り絞ってみても、ロウで固められたように微動だにしない縛鎖。我が壊す前の拘束が温いと感じられるほどに、その拘束は厳重になっている。
それでも、無駄な足掻きと分かっていても、一通りの抵抗は試す。確認作業のようなものだが、やはりこの程度で抜け出せるようなやわな拘束はしていないらしい。
しかし。諦めはしない。我はかつてないほどの使命感に駆られていた。
アーシアを救う。
我の神への試練の第一歩。気づけたのは僥倖だった。傲慢にも上ばかり見ていた我は足元の路傍の石に目を向けることを知らなかった。いつか何かの拍子に躓くことになるそれに気づけてよかった。知ることができてよかった。
このまま何事もなく神への道を邁進したら、と想像してゾッとする。それでは何も変わらない、我の神の座からの失墜に対して表面上責任を取ったつもりでいるだけの虚に満ちた偶像と我は成り果てていたに違いない。
信者が崇拝する主とはすなわち、信者にとって都合よく理想化された偶像に過ぎない。それは人間の感覚では偶像としか捉えられないが故の罪だ。しかし、実はきちんとある、我の存在こそがそれを証明している。そして、その実である我とはすなわち合理性と論理性に最適化された存在なのだ。
我が築いた論理(システム)に基づき、信者の信仰と境遇に掛け合わせて加護を授ける、あるいは試練を下す。その過程にある信者の感情など顧みない。我は神なのだ、理解しようもないこと。
時に授ける加護は信者からすれば我からの愛なのだろう、時に下す試練は信者からすれば我の鞭撻なのだろう。それは視点と規格の問題。我の愛と信者の愛に相思など不要なのだ。元より比べようのないそれだ。我に愛がなくとも信者に愛が灯ればそれでよい。そうでなくては世界など管理できないのだ。故に我は合理である。公平を正義を貫く神であるがゆえに。
その合理を正義としていたのは我が神であったからに他ならない。力があったからこそに他ならない。そして今の我に力などない。
故にもう一度。我が神となるのであれば、それにふさわしい力とそして合理にたどり着かなくてはならない。
アーシア、我は友となると言った。しかしそれは一時のこと。いつか我とアーシアは友ではなくなるだろう。完全なる合理に近づくにつれ、その不合理は自然排されていく。だから一時、ほんの一時、我の論理(システム)がバグを起こしているその一時だけ、我はその不合理をそなたへの罪への償いとして認める。そのバグが修正されるその一時の間に、我がお前の望みを、夢を我なしで実現できるようにしてやる。
我にできることなどそれくらいなのだ。
我が神に戻るにはそうするしかない。この分不相応な器、不具合などたくさんある。そのうちの一つが、目の前の人間に痛みを感じてしまうこと、感情移入してしまうこと。
だからこそ。
痛みを知って、感情を知って、今までは知らなかったものを糧として。我はもう一度。
以前とまるっきり同じ無慈悲な合理性を獲得しなければいけないのだ。
今なら理解できる、人間の煩悩、わが愛おしい息子たちが堕天した理由。しかしその立場になって理解してなお、引き裂かれそうな相反する感情を知ってなお、もう一度我は同じ地点に辿りつく。
それこそ神の合理が正しかった、と証明できる、我の唯一の手段なのだから。
それこそが、我の責任の取り方なのだから。
我は今、非常に不合理に満ちた存在だ。これを合理に変えなければならない。しかし、その不合理が甘受できるその過程において、我は我の不在によって出てしまった神のシステムの不合理(バグ)の罪を償っていこうと思う。
不合理には不合理を。神たるわが身には許されぬ公正を曇らせる贔屓だが、この身が器である限り、その不合理は許されるのだ。
とことん向き合っていこうではないか、この不合理と!
そのスタートこそがアーシアの夢の実現。
非力たる我にはいささか手におえるが、神への道の試練だと言うのなら申し分ない。
「やってやろうではないか…………!」
我は不敵な笑みを浮かべて、宣言した。
「へぇ~~、何をやってくれちゃおうとしてるのかなぁ~~?」
厳粛な場を貶める道化の声。満を持しての宣言に水を差されたはずの我はというと笑みを深めるだけだ。
「何、薄汚い堕天使どもをどう殺そうかと、な」
我の視線の先、扉が音を立てて開かれ、口で弧を描いてせせ笑う白髪の神父、道化のフリードが姿を現した。
「へぇ、なにそれなにそれ。俺にも詳しく聞かせてくれよ。俺と君とのトークタァイム!」
フリードは相変わらず道化っぷりで我を茶化してくる。
その空気の読まなさ加減に我はいっそう笑う。なに、予定よりかは少し早かったが、こちらの手の平に状況は乗ってくれた。
我がここから出るための策、糸口を手繰り寄せる術だけが不足していたのだが、運のいいことに自分から飛び込んできてくれるとは何と幸先のいいことか。
条件はすべて揃った。
さぁ、始めようか、道化。せいぜいうまく踊ってくれよ。
「お前と話か…………悪くはないな。ペラペラとよくしゃべるその口も暴力を交えてでなければ、我の無聊を慰めるよい暇つぶしとなるであろう」
「まさかの上から目線ですかそうですかでも俺は怒りませんよ、なぜなら俺は善良な一般人を悪魔の魔の手から守る悪魔祓いだから! あなたのお悩み解決しないで俺のお悩み解決しちゃう感じですんでよろしく!」
…………神器を起動する。行使に必要となる力の源は“生命力”。我は気づいていた。本来であれば触れることすらかなわぬ、生命力を保全する檻が拘束を破る際に壊されていたことに。それは人間としては致命的な欠陥だ。障害と言ってもいい。本来であれば、生きていくために少しずつ消費していくはずの生命力を、エネルギーとして転換できるのだ。一時的には莫大な力を得ることができるだろうが、その代償はあまりにも早すぎる死。それを防ぐための檻が壊れているのだ。尋常ではない。
それはそれだけ、アーシアへの想いが強かったこと、そして神器がそれを叶えたことを意味する。結構、大いに結構。そのおかげでこうして神器が使えるのだ、文句などあろうはずがない。
…………生命力を回復させる手立てがないわけではないしな。当分生きるのに苦労しない程度の生命力以外はここで全て使い果たす予定である。それぐらいしなければ、ここを抜け出した上で堕天使たちと矛を交え、アーシアを救うことなどできない。
「ほぉ、お前の悩みな…………悩みなどあるようにも思えぬが。ふん、そのわざとらしい道化の仮面の下にはいったいどのような罪が隠れているのであろうな?」
音もなく神器が行使される。もちろんフリードが気づいた様子はない。我にも行使されたかどうかまではわからない。それほどまでに微細な変化。あとは我の思うが儘、辛抱強く会話していくしかない。
「あらあらずいぶんとかましてきやがりますねえこの野郎は。道化とかもしかして俺のことばかにしてますぅ? 俺のエキセントリックスーパートゥルーラブなトーク術に理解がないとは人生損してますよ、お客さん!?」
フリードにも変わった様子は見受けられないか。まぁ、そうでなければ意味がない。
神の言葉には重みがある。神の一言で世界が変わり、神の腕一振りで多くの命の行く末が決まる。神とは、その行動一つで全てを変えることができる存在。
それまであったものをあっけなく、簡単に変えてしまう。神の御前に召し出されればどんな殺人鬼も己の罪を悟るのだ。自らが悪であると自覚するのだ。人はそれを告解と呼ぶ。
今からやろうとしていることはその延長線上、要はフリードの【洗脳】だ。フリードに我が神である、とこれからなされる会話の中で刷り込む。無意識領域にくさびを打ち込む。
それがただの魔術・魔法になってはいけない。フリードもそこまでの領域となれば危機意識から自ずと自覚症状が出て気づいてしまうだろう。そうなれば元も子もない。
あくまで言葉による説法。少しずつ少しずつじわじわじわじわ、と、フリードの心の奥深くに響くような言葉を投げかけ続ける。我の存在を印象付ける。
それを助けるための力を我の言葉には持たせた。後はその言葉のどれかがフリードの琴線に引っかかるのを辛抱強く待つしかない。
「フリード。お前は何故そのような道化を演じる? 我にはその必要性が理解できない」
「だから道化とか言わないでくれますかねぇ、こいつは俺の素であって演じるも何もないわけなんですが」
「道化をありのままの自分と語るか。ならばお前はキチガイだ。癇癪で人を殺す性根と言い、その物言いと言い我には理解できぬ醜悪ばかりである、何故そのような愚を犯す?」
「あーあーあーあーあ。めんどくせえどっかのお偉いさんが語りだすようなこと言い出しましたよぉ、この人は。俺的にはそんなことよりもどやって拘束解いたのーとか、どんな神器もってんのー、とか聞きたいんですがねえ、ぶっ殺すぞ」
少しばかり殺気立った空気を纏い、顎を上向ける仕草で、俺の疑問に答えろ、と脅しをかけてくる。フリードにしてみれば、我は捕虜の身。まともに会話をするだけ無駄と弁えているのだろうがこうも短気では話にもならない。しかしこんなことでめげていては先が思いやられる。我は根気よく粘った。
「ふん、短気なものだな。我としては、堕天使に与する仇敵とのせっかくの機会。矛を交えることはあっても言葉を交わすことは稀な我々だ。少しばかり双方の認識をもって話をするも一興と思っただけなのだがな」
「ふーん、でも俺そういうのあんま興味ないんですわ。殺したいから殺す、理由なんて語らずとも散々剣で示してきたでしょ、俺たちは相容れねえって! ま、殺せればいい俺としては何とも簡単な感じでラッキー的な?」
なんとか話は続いている。自分で嗾けていておいてなんだが、このキチガイとまともに話ができていることは意外の一言である。口よりも先に焦れて剣が出そうな男という印象が先行していたためになおさらだ。まぁ神器が相手からそれを引き出しているだけなのかもしれないが、それでもこの男に思慮という人間らしいものが存在していることに安堵した。
「殺せればいい、か。確かに戦士としてそれは理想であるな。しかし貴様は俗に言うはぐれ悪魔祓いと呼ばれるものであろう。貴様とて教会の法理は学んだが故に知っているはず。何故そのようになってしまったのだ?」
「何故って!? はっ、教会はね、あれやこれやうるせえんですよ。そうなるように育てたくせに、殺し方に問題があるだの、周りを巻き添えにしすぎだの。殺せれば問題ないだろうによぉ、教会は神様がどうだの、って俺らは神様のために悪魔狩ってんじゃねーつうの!! 俺様人間様のために殺してんの! アイアムジャスティス!」
なるほど、この男きちんと教会の下で育てられたくせに信心の一つも身についていないようだ。これでは教会から追放されたというのもうなずける。
「ふむ、道理ではあるな。神のために殺しているのではない、人間のために殺している…………まことにもってその通りだ。そも貴様ら悪魔祓い程度で狩れる悪魔の実力など下級天使の足元にも及ばぬもの。実際被害を受けるのは人間なのだから結果として貴様らは自分たちのために悪魔を殺していることになる」
しかし、この男の言っていること理解できなくもないのだ。この身が器であるからにはなおさらに。だからあえて同意をする。思わぬ肯定にフリードも目を丸くする。そうだ、そうしてフリードの興味を引きこんだところで神器を強く行使する。
「おっと、おっと? 君、なんか言動からして神信仰してたっぽいけど、ここにきての寝返り? 偉そうにしてても命は惜しいとかいうあれ? 命乞いやっぱする? お代官様やっちゃいます? 今なら税込で俺の越後谷さんつきだよ? さらにもう一セットお付けしちゃいますよ?」
少し、乗ってきた…………か? 相変わらずすっとぼけた調子であるから判別がつきにくい。釣り上げ時がわからぬのは痛いが、あまり本意に欠けたことを言うのも本末転倒。我は我の考えを吐き出した。
「そうではない…………人間のために悪魔を殺しているという道理を認めるだけだ。貴様が問題視されたのは、悪魔が相手とはいえ、殺害という行為を神に委ねない、信心の欠如にある。この場合の信心とはすなわち公平の天秤を神に預けることだ。秤を他者に預けることで己の情動とは別のところで自らを律する術を持つことこそが殺害という行為では肝要なのだ」
それは一般の人間でいうところの刑法にあたるものだ。常に己の欲望を監督する不変の目がある。それだけで、人は衝動的に何かを行うと言うことを避けられるのだ。
「いやいや意味が分からないんですけど? 律してねえだろっていう。神様ファンだって自分が悪魔憎いから殺してんだろ? 殺したいから殺してるんだろ? だったらなんで神様のためにってわざわざ自分誤魔化さなくちゃいけねえんだよ。そこは素直にGO! 俺殺したいから殺してるんです、殺すのが気持ちいいから殺してるんですぅ! ってよ。そこでいい子ちゃんぶるのはなぁ、神様って言葉を逃げ道してるだけ、自分で自分のケツをもてねえ弱者の言い訳だろうが」
暗にお前もそうだろう、と我に蜜を垂らしこむように、殺人の享楽への自覚を促そうとするフリード。この男を狂気に駆り立てているのは、意外にも理の通った理屈であった。
「そうだな…………間違ってはいない。己の価値基準を完全に律し、人間のため、と悪魔を殺せるのなら、な。しかし、な。お前は、人間は違うだろう。人間というものがそうまでして傲慢につけ上がれば、最後享楽に溺れ見境を見失う。悪魔にその享楽が当てつけられている内はまだいいのやもしれぬが、お前は違うだろう。お前は現に癇癪で人間を殺している」
信心が戦闘においてはくだらぬ、実力には関係ないものと決めつけている戦闘者であればあるほどそのきらいは強い。戦闘本能に心の全てを明け渡したものを止めるものなど享楽以外に何一つとして存在しないのだ。そうして、勘違いする、悪魔を殺す権利は、人を殺す権利は、我にあり、と。その傲慢がフリードのような享楽者の典型を生む。まるで自らが正義と信じて疑わぬ、殺害という行為からついて離れない、剥がしてはいけないベールを剥がして小憎らしい理屈まで並べて、享楽者は語る。お利口ぶるな、と。お前と俺は同じ人種だと。
人ならば誰もがその存在を知っている享楽だからこそ、このフリードの言葉は時として誰かに響くのだろう。
全く、我がその罪を覆い隠し、泥を被ってやろうというのに、人間というものつくづく好きものだな。
「いやいや、人なんか俺は殺してませんよ? だってあいつ悪魔だし、悪魔に与するやつは屑だって教会で習いましたよ? 優等生な俺はそれにきちんと従っただけですからねぇ」
途端に論を失い、道化じみた調子が戻るフリード。調子の良い奴だな、自分の理屈が通る間は一席ぶりもするが、都合が悪くなるとすぐ理性を道化の仮面の下にひそめる。
そんなフリードに我は一言だけ告げた。別に意図したわけではないが、神器が強く働き掛けるのを感じた。
「…………楽しいか?」
「はい?」
「楽しいか、と聞いた。屑を斬るのは楽しいか、と」
こいつが屑だと思っているのは、もう悪魔だけではないのだ。すでに見境を失った狂乱者は等しく周りをゴミだとしか思っていない。そんな状況で屑を斬って楽しいか、と我は問いかけた。
「いやいやぁ! もうすっげええええ楽しいわ。なんつーんすかねぇ、俺って勤労意欲の高い少年だからさぁ、こうゴミを掃除した後? 町がこう綺麗になっていると清々しいんですよねぇ。あ、俺がきれいにしたんだな、って。わかりませんかぁ、この達成感?」
「ゴミを掃除した後? お前にとってゴミなんぞそこらじゅうに転がっているだろうが。お前は片付けた気になっているのかもしれないが、はっ、とんだ無精だな。まだまだ世界はゴミに溢れているぞ」
格下の生物を足蹴にし続けて優越感に浸れるのは一時だ。その果てにあるのは、享楽が享楽に感じられなくなる不能。相手がゴミだと思えば思うほどに、その感情は摩耗していく。
そうなったとき、戦闘者はさらなる強者との戦闘を求める。足蹴にする生物も階段のように高くなっていかなければ感情がついていかないのだ。ゴミとの享楽を経て得るのはもっともっと快楽を、と高望みする感情ばかり。その落差が次第に世界を平坦にしていく。ある一定度の戦闘者の末路なんてそんなものなのだ。
だからこうして、フリードは我に会いに来ている。普通のゴミ掃除では得られない享楽の予感を我に嗅ぎ取ったから。しかし、その我はというとどこぞのゴミと変わらずその身を縛られ、うずくまっているだけ、フリードの鬱憤も溜まるばかりであろう。
そんなお前に朗報だ。ゴミでないものがここにいるぞ。貴様の罪を裁く神がここにある。その鬱憤我にぶつけてみよ。貴様の罪は我が罪も同然。貴様を受け止め、裁いて冥府の淵へと送り込んでやろう。そのような念を送り、
「フリード、もう一度聞こうか。ゴミ掃除は楽しいか?」
「そんな、君に朗報で~す!」
そして一瞬で、空気の流れが変わった。
我の挑発にフリードは一瞬顔を歪めたが、次の瞬間には目が覚めるようなさわやかな笑みを浮かべていた。
「本日の話題は君がフォーリンラブしてるアーシアちゃんについて、どう、知りたくない?」
「…………ちっ」
小さく舌打ちをして、我は完全に主導権をフリードに握られたことを認めた。もとより一度で成功させようなどとは思っていなかったが、こうも鮮やかに手のひらを返されると、苛立ちの念はかくしようがない。
しかもこの場面でフリードがアーシアの話題を切り出すということはよい知らせではまずあるまい。いいように詰られた我に意趣返しをしたいと思っているのならなおさらに。
「どう、知りたい? 知りたいのなら、俺に頼んでみなよ? お願いしますフリード様、どうかアーシアちゃんのこと教えてくださいおねがぁぃしまぁす! っってね」
くそ、知りたい、それはそうだ。あの後のことを我は何も知らない。図らずともあの場面での拘束具の破壊は、アーシアにその手引きをした嫌疑をかけることになったのかもしれないのだ。アーシアの情報は喉から手が出るほどに欲しい。
しかし、ここでフリードに屈するわけにはいかないのも事実。それは単純に矜持に障る云々以前に、ようやく綻んだフリード攻略の糸のほつれを、フリードに嬲られることによって台無しにしてしまう可能性を考慮した上での判断だ。
あのタイミングでフリードの話題の切り替え。間違いなく奴は動揺していた。自陣の情報を漏洩させてまで隠そうとしていることからもそれは明らか。
このまま奴にそれをさせて、再び我を足蹴にする優越感に浸らせるのか…………正答は見えない。だが、どのみちアーシアが危ないことなどわかっているのだ。時間はそう残されていない、それだけ認識できれば…………十分だ。
「必要ない、それより先ほどの問いに答えろ。お前はゴミ掃除してて楽しいのか?」
「……………………はぁあああああああああ!? なんでてめえの疑問にいちいち答えなきゃいけねえんだよ! てめえは俺の言葉に答えてりゃいいんだよぉ! ちょっと甘やかしたらつけあがりやがって、このくそ神様信者がよぉ!」
反射的に手が出たのか、罵倒ともに拳を振りかぶり我に突きだしてくるも、その手前透明な壁に遮られたかのように、鈍い音を響かせた。
「~~~~~~~~っ! いってぇぇええ、くそが! 障壁のこと忘れてた~~」
「…………馬鹿が」
都合が悪くなるとすぐ暴力。あきれ果ててものも言えない。しかし、外部からの干渉も容易ではないか。そうなってくると計画にも変更が必要になってくるが、如何せん拳の一振りでは、強度の測りようがない。
「あ~~~もう! イライラする!!」
地団駄を踏み、恨めしげというには優しすぎる表現でこちらを睨んでくるフリード。ひとしきりこちらを睨みきると踵を返して、足早に部屋から出ていった。
さて、くさびは打てたが、時間の猶予がないと考えるのなら少しきついな。やはり自力での脱出を目論んだ方が賢明か。
思考を巡らせようと、自らの世界に入り込もうとしたところ、出ていったはずの道化の声が再び部屋に響いた。
「脱出すんなら早くした方がいいと思うぜって俺からのやさし~い忠・告。早くしねえとアーシアちゃんが…………ケケケ!」
悪趣味な、悪趣味な仕返しだな、子供の稚気ほどに信用のならない言葉だ、おおまか負け惜しみだろう。しかし、しかし、本当にそうか? アーシアの命が危機に陥っていないなどと断言できるだけの論拠は我には無いのだ。今もその魔の手が伸びていないなどという確証はないのだ。ならならどうする、いや待てそう焦るな、まずは計画を前倒しにする。そのための準備をしよう、それが終わった後ならば少しは視野も広くなるはず。
手を伸ばすは禁断の果実である“生命力”。
これからこの器が消費するであろう50年分の生命力。それらを総てこの器の能力の向上に当てる。この拘束具堕天使はぐれ悪魔祓いそのことごとくを容易く打ち砕ける力をこの手にする。負担は大きい、代償は計り知れない。しかし躊躇などするものか、我は神である。その役目に沿って今は邁進するのみ。
さぁ、始めよう。願わくばかつての我の力の鱗片ほどの力でも取り戻せることを祈って。