夢の国で味わった夢のような時間。
どこかヤキモキとする気持ちを残しつつも、私は彼の真摯な態度と純粋な瞳に負け、その日は半同棲ならぬ、半恋人みたいな関係を受け入れた。
その一幕を知る由も無い優美子は、私の心境の変化に何かを気づきながらも、深く干渉してこようとはしなかった。
どこか、不思議で曖昧なままに終わった1日。
ディスティニーランドから帰り、夜も深まり始める24時頃。
お風呂に入りパジャマに着替えた私に、疲れは無いが、彼の言葉は耳に残り続ける。
フワフワしていると言ってくれた言葉に悶えつつ、私は今日の日を忘れまいと日記を付けることにした。
『ディスティニーランドには色んなドキドキがありました。
比企谷くんと一緒に居ると、心がポカポカして暖かいです。
明日と彼に会えるといいな。』
うむ。我ながらバカっぽい日記だ。
感情の赴くままに筆を走らせたけど、きっと数日もすれば恥ずかしくなって破り捨ててしまうであろう日記。
でも、そんなバカっぽい日記すらもノリノリで綴ってしまう私の心境とは…。
へへ、コレが恋ってヤツなんだね。
「…うん。やっぱり好きなんだ。比企谷くんのことが」
ふわりと優しい彼の表情を思い出しながら、私は幸せな夢を見るべくベッドに潜り込む。
明日は学校だから彼に会える。
きっとまた、ドキドキで胸をいっぱいにしてくれるのだろう。
そう思いながら、私はゆっくり目を閉じたのだった。
ーーーーー
で、週明けの月曜日。
毎日のことながら、平日を迎えて憂鬱気味な生徒で溢れる教室は、普段同様に賑やかな喧騒に包まれている。
「でさでさ!ディスティニーランドのお土産とかめっちゃ買ってきたわけよ!」
そう言って、なぜか私の机の周りに集まったいつものメンバーへ向け、苛立ちを覚えさせることには定評がある戸部先生が口を開いた。
相変わらず内容の薄い話だなぁ。
きっと中身も軽薄で薄情な人間なんだろう。
そんな彼と楽しそうに話す大岡くんと大和くんもきっと同種な人間だ。
ふと、そんな事を考えていると、優美子が心配そうな顔で私を見つめていることに気が付いた。
「ん?優美子どうしたの?」
「あ、いや。…今日は擬態しないの?」
「へ?」
そう言われ、初めて自身が笑顔も貼り付けずに、それどころか眉間にシワを寄せていたことに気づく。
慌てて取り繕おうとするも、どこかうまく笑顔が作れない。
「…姫菜?」
優美子は心配性なんだから。
別に怒っているわけじゃないよ。
ツマラナイだけ。
本当に大切な事を知って、本当に一緒に居たい人を知った私は、この場で笑顔を作ることさえも億劫になってしまったのだろう。
そんな私の態度に何を勘違いしたのか、大岡くんと大和くんは顔を見合わせて「だな…」「あぁ、あれな…」と呟きながら、ニヤついた笑顔を私に向けた。
こいつら腹立つな、マジで…。
ついでにここ最近めっきり役に立たない隼人くんとムカつく。
「戸部となんかあったろ?」
「だな」
挙句には、私の逆鱗を逆なでするようなことを言うのだから堪ったもんじゃないよね。
「え、ちょ、おまえら変な事を言うなよっ!…ま、マジで何もねぇって…、な、なぁ?姫菜…」
おい戸部、誰が私をファーストネームで呼んで良いと許可した?
本当にツマラナイ人達…。
…もう、こんな下らない関係…、捨てちゃおうかな…。
そう思いながら、私は教室に結衣と比企谷くんがまだ居ないことを確かめる。
はぁ、と、ため息を吐く優美子に目配せをし、私は目一杯の作り笑顔を浮かべて口を開いた。
「ディスティニーランドで、夢は叶いかけたかな」
「お、おい戸部!おまえマジでやったのか?」
「だな!」
何も伝わらないモブ2人に、どこか期待に視線を揺らす戸部勘違い先生。
「好きな人と行くディスティニーランドはすごく楽しかったよ」
「え、海老名さん…、俺も…、俺もマジ楽しかったって!」
「比企谷くんの事、もっと好きになれたしね」
「お、おう!俺も海老名さんのこともっと………、へぇ?」
一瞬の静寂。
凍りついたように表情を固める戸部先生とモブ2人。
隼人くんも目を見開きながら、私と優美子を交互に見つめていた。
優美子は知っていたのか?みたいな隼人くんの視線も、我関せずに目を細める優美子。
「ちょ、ちょっと冗談キツイっしょ海老名さん!しかもヒキタニくんって…」
「冗談なんかじゃないよ?私が好きなのは比企谷くん。誰よりも好きだし、誰にも渡したくない」
「う、嘘っしょ?だって修学旅行でヒキタニくんの事を振ってたっしょ!?そ、それにヒキタニくんって悪い噂とかもいろいろあるし!」
どこか、周りにも聞かせるような比企谷くんの悪評を、戸部くんは平静を装いながらに口にした。
あまりに気持ちの悪い見栄と吹聴が、私の胸にある何かを黒く染める。
やっぱり、こんな関係は何の役にも立たないんだなぁ…。
わざと声を大きくする戸部くんも。
それに呼応して笑う大岡くんと大和くんも。
ただ棒立ちに、苦笑いを浮かべる隼人くんも。
「……全部全部、いらないなぁ…」
こんな関係を、なんで私は守ろうとしてたんだろ…。
…あぁ、そっか。
あの頃の私には何も無かったから。
本当にバカだなぁ、私って。
あれだけ暖かくて綺麗な色を持った男の子が近くに居たのに、気付けなかったなんて…。
「…優美子、ごめんね。私もう、いらないや」
「姫菜…」
「…何度でも言ったげる。私が好きなのは……」
と、害悪でしかない元友人に向け、嫌悪の気持ちを込めながら口を開きかけた時に。
明るい声を引き連れて、アホ毛を揺らす彼が教室の扉を開けた。
「だからね!ヒッキーが迷子になったときに私とゆきのんはいろいろ探し回ったんだよ!」
「…あぁ、それはご苦労だったな」
「むぅーー!なんだしその態度!!」
「…ん?」
先程までの喧騒が嘘だったかのように静まり返った教室に、気付く様子も無く現れた2人。
先に異変に気付いたのはやっぱり比企谷くんで、結衣の事を振り払いながら、目ざとくも異変の中心と化した私へ視線を向けた。
だから、私も彼の瞳を見つめてーーーー
「…私が好きなのは、比企谷くんだよ」
ーーーと、呟いた。
一層に静まる周囲を無視し、私は突然の出来事に戸惑いを見せる比企谷くんの元へと歩み寄る。
もう、ツマラナイしがらみは何もないし。
これからは教室でも彼の側に居れるんだ。
「はろはろー。どう?ドキドキしてる?」
「…西野先生の絵本を読んだとき程はドキドキしてないな」
「む!それならフワフワしてる?」
「…はぁ。由比ヶ浜の頭の方がフワついてるよ。つか、恥ずいからそのセリフは忘れてくれ」
一瞬の戸惑いを見せた比企谷くんは、すぐ様に冷静な態度を取り戻し、普段と変わらぬ態度で近からず遠からずな距離感を私に作る。
彼なりの優しさか、それとも本質か…。
必要以上に他人のパーソナルスペースに踏み込まない彼の隣はとても心地が良い。
「…結衣。はろはろー」
「ぅえ、あ、うん…、やっはろー…」
「聞こえちゃった?」
「…う、うん…」
それでも、彼の隣は一つしか無くて、その一つを欲しがる人が意外と多いんだから困っちゃう。
ゆっくりと、私は結衣の瞳を見つめながら。
本物の言葉を彼女に投げ掛けた。
「私も比企谷くんが好き。…絶対に負けないんだから」