私のアトリエへいらっしゃい。   作:ルコ

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雪の足止め

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ラブホテル…、行かない?

 

 

海老名さんは赤く染めた頬を隠すことなく、恥ずかしそうに、されども力強く、俺に向かって言葉を発した。

 

ふと、その表情から伝わる確かな決意。

 

察しも勘も良すぎる俺だからこその気づき。

 

気づかなければどれだけ楽だったことか…。

 

おおよそ、ポテンシャルが高すぎた故の失敗、蛮行、破綻……。

 

って、違う違う。

 

今は中間管理職の利根川さんの真似をしている場合じゃない。

 

出来るだけ、彼女の勇気を無碍にしない断りの言葉と、降り続ける雪に妨げられた帰路を復活させる思考を巡らせなければ。

 

 

「…断る理由を考えてるの?」

 

「はいや!?え、い、いや…」

 

 

彼女の眼光が俺の胸を貫く。

 

熱く火照った身体を底冷えさせるような冷たい眼光。

 

行くも地獄、戻るも地獄の生き地獄。

 

 

「……っ。ら、ラブホテルはダメだ」

 

「なんで…?」

 

「…だって未成年だし、未成熟だし、未経験だし…」

 

「……むぅ」

 

 

ほっぺを小さく膨らましながら、彼女は俺の裾を優しく掴んだ。

 

まるで、駄々をこねる子供のように、幼い瞳を潤ませながら、じっと俺の目を見続ける。

 

 

「…わ、私も未経験だから…、その…」

 

「だ、ダメだ!俺たちはその…、ま、まだ付き合ってるワケじゃ…」

 

「……私じゃ、比企谷くんを満足させらないから断るの?」

 

「は?」

 

「だって、胸も小さいし…」

 

 

ふに、と。

自らの手で胸を触りながら、その確かな膨らみ(小)を強調させる。

 

確かに小さい……。

 

由比ヶ浜 〉三浦 〉〉〉〉一色 〉海老名さん

 

越えられない壁

 

〉るみるみ 〉雪ノ下

 

この公式が頭に浮かぶも、俺はそれを気にしないように頭を振るった。

 

 

「…む、胸は関係無い」

 

「ウソ。だって比企谷くん、結衣の胸ばかり見てるもん」

 

「違う!あ、あれは、由比ヶ浜の胸の重力係数の計算をだな…」

 

 

じゅ、重力というか反発というか?

まぁ、なんて言うの?

ほら、なんで重みで下に垂れないの?なんて思ってるだけで、別に由比ヶ浜の胸を凝視しているのは学術的な意味合いが多いわけで。

 

 

「…っ」

 

 

ただ、そんな言い訳ばかりを並べれば、目の前で悲しそうに震える彼女を傷付けるだけだろう。

 

なぜだか、海老名さんが悲しんでいると俺も悲しくなるし…。

 

 

だから、俺は彼女の頭に手を伸ばす。

 

 

「…お、俺は貧乳が好みだ…」

 

 

柔らかい髪を撫でながら、とっておきの魔法の言葉を口にした。

 

全く、こんな特別な魔法を唱えさせるなんて困った貧乳コンプレックスのお姫様だ。

 

言わせるなよな?恥ずかしい…。

 

 

「…な?そういう事だから…」

 

「……じゃない」

 

「へ?」

 

「貧乳じゃないもん!!」

 

「!?」

 

「ゆ、結衣とか優美子の胸が大きすぎるだけだもん!!雪ノ下さんはともかく、私は貧乳じゃない!!」

 

 

……っ!

 

稀に見る愚行っ!

 

俺は見誤ったのか!?

彼女が自らを貧乳だと認識している、そんな勝手な推測に手を伸ばし、俺は窮地から生還するべく偽りを口走ってしまったと言うのか…っ!?

 

ぞわりと、背中から漂う只ならぬ悪寒。

 

敗走の言葉が頭をよぎる。

 

よせ…、よせ!!

 

逃げるは恥だし役にも立たん!!

 

考え直すんだ、この間違えた過ちをっ!!

 

 

「た、確かにそうだ。一般論を語らずに相対的な考えを述べた俺のミス…。…え、海老名さんは貧乳じゃない…」

 

「ぅぅ」

 

「…う、うん、よく見れば、結構大きいよ」

 

「…ぐすん」

 

「…気にしちゃダメだよ…。まだこれからじゃん。な?」

 

「…うん」

 

 

シュンとした彼女の頭を何度か撫でてあげる。

 

うつむく彼女と癒める俺。

 

雪がしんしんと降り続ける中で、どこか心暖まるようなその光景に、きっと神様は目を細めて微笑んでいることだろう。

 

 

なぁ、神様…。

 

 

出来ることなら早くこの雪を止めてくれ。

 

 

余力があれば、海老名さんの胸を大きくしてやってくれ。

 

 

そう願うことが、ほのかに肩を震わせる彼女のために出来る、俺の精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

.

……

 

 

 

 

 

 

で、結局のところ、この駅で足止めをくらっている状況に変化はないわけで。

 

俺はスマホで天気予報を確認しながら、駅内の伝言掲示板に注視する。

大雪による運行中止の文字が流れるままに、駅内の人の数も増えていった。

 

本当に帰れそうにないな…。

 

ラブホテルに行くとかは無しにしても、どこか身を置ける場所を探すのが最善か?

 

 

「…迎えは期待出来ないだろうし、バスは長蛇の列。タクシーを使おうにも金が足りない」

 

「…ら、ラブホテルに…」

 

「うるさいぞ貧乳」

 

「!?」

 

「ネットカフェなんかも手だが、この様子じゃ皆んな同じ考えだろうな…。さて、どうしたもんか…」

 

 

八方塞がりにも程がある。

いい加減寒くて身体がもたないし、どこか暖かい場所に避難したいのだが…。

 

グーグル先生、何か良い案を授けてくれ。

 

そう願いながら、冗談半分で【雪】【電車止まる】【帰れない】の検索ワードを打ち込む。

 

 

★近くに住む友達の家に泊めてもらう!

 

居ねえよ…。

 

★彼女とラブホテルへGO!

 

ぶり返すな。

 

★不可能を可能にする人に頼る!

 

……不可能を可能に…?

 

 

「……あぁ、居るな。1人。そんな化け物が」

 

 

まるで全てを見透かしたように語る、地獄の番長を張っていた経験もありそうな悪魔的な女性。

 

雪ノ下 陽乃こそ、不可能を可能にする唯一無二の人物だろうさ。

 

……。

 

頼ろうにもリスクが高いな…。

 

リスクばかりが高すぎて、もう耳がキーンってなるどころか鼓膜が破裂するレベル。

 

ふむ……。

 

 

「……」

 

「…?」

 

 

隣には、ほんのりと白い息を吐きながらキョトンとする海老名さんが。

 

……はぁ。

 

電話、してみるか…。

 

 

かじかむ指でスマホを操作し、電話帳から雪ノ下陽乃の欄をタップする。

 

電話をするのは初めてだ。

 

なぜだか緊張してくるし。

 

 

『おっす!私、陽乃!!』

 

「…あ、ども。比企谷です」

 

『あらあら珍しい。どうしたの?可愛らしい眼鏡っ娘とデートして帰ろうとしたら大雪で足止め食らってラブホに行く行かないの一悶着があった末に私に迎えに来てもらえないかと考えながら初めて電話をしてくれた、みたいな声だけど…』

 

「あ、さすがっすね。まさしくその通りですよ。へへ」

 

『…ちょ、ちょっと。私の扱いに小慣れないでよ」

 

 

もうさ、なんでもアリだもんね、この人は。

 

衛生とかドローンとか、この人なら苦もなく俺の事を監視出来そうだし。

 

ていうか、何を勘違いしたのだろうか、海老名さんが不満気な顔で、電話中の俺のアホ毛を引っ張ってくる…。

 

痛いからやめてね?

 

 

「いやぁ、参りましたよ。まさか雪で電車が……、あ、こっちの話なんですけどね?」

 

『え、なにその漫才の喋り出しみたいな話し方…』

 

「…すみません。単刀直入に言いますけど。雪ノ下さん、迎えに来てもらえませんか?」

 

『えぇ〜。こんな雪道じゃ車も動けないよー』

 

「普通はね。でも、あなたは雪ノ下陽乃でしょ?」

 

 

むしろ、雪ノ下さんならトランスフォームしそうな除雪機で迎えにきてくれそう。

 

…え、何それ、めっちゃカッコいいじゃん。

 

 

『ふーん。別に迎えに行ってあげてもいいけどさ…。私に頼るってことが何を意味するか、分からないわけじゃなよね?』

 

 

はいはい。大魔王キャラ乙。

 

分かってますよぉ〜、どうせそう言うと思ってましたしぃ〜。

 

 

「…全裸で靴を舐めるくらいで勘弁してもらえませんか?」

 

『私そんなこと強要しないからね!?…もぅ、なんだか浮かれてない?』

 

 

浮かれてる?この俺が?

 

雪で足止めくらって寒さに身体を震わせる状況に、どうやったら浮かれられると言うんだ…。

 

海老名さんにはアホ毛を引っ張られたり、背中をちょんちょんと突かれたり、踏んだり蹴ったりだ!!

 

心が温まるったらりゃありゃしない!!

 

 

「ねぇ、比企谷くん。誰と電話してるの?」

 

「…痛いから引っ張らないでくれる?」

 

 

ぐいぐいと、それはもうアホ毛を抜かんばかりに、彼女は兄離れの出来ない妹のようにちょっかいを繰り返す。

 

 

『……リア充爆発しろ』

 

「!?…、お、俺はリア充なんかじゃ…」

 

『へぇ、プレゼントを買い合う仲の女の子と出かけて、それでもキミはリア充じゃないって言うの?』

 

「……あれ?もしかして、俺ってリア充に堕天したんすか?」

 

『……』

 

「こりゃあ、闇に呑まれるかもしれませんね。そうなる前に迎え早よ」

 

『迎え早よじゃないよ!!』

 

 

つーつー…と、雪ノ下さんの怒号とともに電話が切られた。

 

あの様子なら迎えに来てくれそうだな…。

 

俺はそう思いながら、スマホをポケットにしまい、尚もアホ毛を引っ張り続ける彼女へ振り向く。

 

 

「誰と電話してたの!どうせ女の人なんでしょうけどね!!」

 

「え…、なに?」

 

 

普段なら考えられないような大きい声。

怒った表情でプイっとそっぽを向きながら、彼女はグイグイとアホ毛を引っ張った。

 

 

「へへ、なんてね。嫉妬系乙女な私はどう?可愛い?」

 

「…なんだコイツ」

 

「お迎え、誰か来てくれるの?」

 

「まぁな。もう少し掛かるけど大丈夫か?」

 

 

喜怒哀楽をコロコロと変える彼女。

 

ふわりと、アホ毛から離された手が俺の右手を包み込む。

 

 

「うん。ちょっと寒いけど、比企谷くんの手はとても暖かいし」

 

「そっか…」

 

 

ギュッと握られた手を、俺は目をそらしながら握り返してみた。

 

それに負けじとにぎにぎする海老名さんの頬はほんのりと赤く染まる。

ただ、彼女は俺から目をそらす事なく、幸せそうな瞳で俺を見つめ続けた。

 

そんな彼女が、ちょっとだけ愛おしいと思ってみたり。

 

 

「…今度は君から繋いでね」

 

「……ん」

 

 

舞い散る雪を彩るように、幸せな黄色の煌めきが小さく瞬く。

 

それが、駅のロータリに設置された簡易的なイルミネーションの光だと気付くと、ふんわりとした心の和らぎが強く呼応して。

 

 

海老名さんと居ると感じる、暖かくて柔らかい気持ち。

 

 

たぶん…、いや、きっと…。

 

 

これが()()って事なんだろうな…。

 

 

 

 

 

「ーーーだ。海老名さんのこと」

 

 

「…へ?何か言った?」

 

 

「……いや、何も」

 

 

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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