ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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第50話

 痛いという稚雑な言葉すら超えた灼熱や喪失、衝撃が全身を襲い、気を抜けば意識が持っていかれそうな痛みを分散させるように無様にのたうち回る。その動きを追うように赤い血が吹き出るのが、滑稽だった。

 二度も昨晩と同じように利き腕が切り落とされるなど思いたくなかった。それでも、先程のヤンガスとの入れ替わりを見ていたのなら、もっと警戒するべきだったのだ。

 正気を疑うような事が立て続けに起こる事ばかりで、冷静になれていなかった。

 

「二度も腕を落とされる気分はどうだ。昨晩のような覇気がないのを見ると、痛みが染みついていたか」

 

 不思議な事に、男の声はするりと耳に入り込む。

 視界が赤く染まるほどに点滅し、それなのに額から吹きだす油汗が、ひどくぬるく感じた。

 

「痛みは、忘れられない。苦しみは、失せることはない。記憶は、褪せることはない。さて、お前は何度、いくつの夜を耐えられる?」

 

 肉を引き千切るような力で左肩を右手で押さえて視線だけを上げると、がらんどうの片目と憎悪に喰い尽されたような瞳が見ていた。

 昨晩とは、何かが違う。今まで真っ向から向かい合っていたというのに、初めてククールという存在を認識したかのようだ。

 

「はて、面妖な」

 

 場違いな程に落ち着いた老人の声に、男が人形めいた動きでそちらを向く。

 杖をゆるやかに振って、態勢を持ち直した老人が髭を撫でる。

 

「わしの眼には、おぬしが二つに視える」

 

 老人の口を封じるかのように剣がゆっくりと持ち上がった。

 

「……や、め……ろ」

 

 先程から繰り返される「やめろ」という意味を為さない言葉。

 口を開ければ、土が口に入る。それに構うことなく、男の足を掴む為に左腕を上げようとして、既に落とされた事を思い出す。

 その一瞬の間に、一閃が老人の体を斬り裂く。

 杖は微かに煌めきながら、泉の中へと沈み、小さな体は泉の側より遠く跳ね飛ばされると、そのまま動かなくなった。

 剣身に付いた血を払うように、もう一度横薙ぎに振るわれて、その血が嘘ではないというように呆然としたククールの頬を濡らす。

 そのまま、男の足は動き、伏したまま動かない情報屋の首元を掴み、己の目線より高く持ち上げた。

 意識のない情報屋はもちろん、されるがまま。

 それでも、気道が塞がれているせいで苦しいのか、青白い顔を歪めている。

 

「そうだ。お前達が、安らぎを見ることは叶わぬ。許されるのは、死出への旅のみ」

 

 その表情が嬉しいのか、男はくつりと喉を鳴らして再び嗤った。その横顔には、狂気よりも昏い感情が宿っている。

 

「――呪われろ」

 

 まるで歌うように紡がれる言の葉。

 

「呪われろ。呪われてしまえ。とこしえの苦しみを、お前達に贈ろう。それが、俺から奪った代償だ」

 

 だが、どんなに男の声がこの世のものではない程に美しくとも、情報屋へと向けられているのは呪いの言葉。

 

「どこだ」

 

 数珠のように紡がれた呪いの祝福も唐突に終わり、男の声音が硬くなる。

 

「ようやく見つけた【二魂を継ぎし者】。どこだ。どこにある? 答えよ」

 

 意識を失っている情報屋に対して、男は問い掛け続け、手に持っていた剣を逆手に持ち替えて添える。剣の先は、心臓の位置を指していた。

 

「さあ、心の臓の鼓動に刻まれた記憶よ。奏でよ」

 

 男が腕を引く。情報屋の左胸に剣が伸びる。

 

「やらせねえ!」

 

 間際、風のように飛んできた塊がククールを飛び越えて、阻止するように男に体当たりをする。

 それを予想していたのか、男は塊のように見えたヤンガスと入れ替わるように体をひねって避ける。

 そして、その勢いを利用するように脚を上げると、無防備な背中をまるで踏み台のように地面に踏みつけた。めきりと地面にのめり込むようにヤンガスの体が沈む。

 

「がっあ゛っ……!」

 

 ヤンガスの口から唾液が混じった血が飛ぶ。

 それでも、まだもがこうとする彼の右肘に剣が軽やかに、まるで吸い込まれるように突き刺さる。

 

「似合いの格好だな、人間よ」

 

 歌うように男はせせら笑うと、大して力を込めずに、更に剣を地面へと押し込んだ。

 その場に右腕を縫い付けられたヤンガスは大きく口を開けたが、声を上げるのを耐えるように歯を食いしばった。

 ヤンガスの様子に興味が湧いたのか、それともただの気まぐれなのか、男は剣の柄をそっと叩いた。

 

「貴様らも、この剣の持ち主だった犬と同類か?」

「持ち主……?」

 

 ククールは動けないまま、僅かに地中から覗く冷たい刀身を視線でなぞる。

 痛みは薄れた訳ではない。現実的ではない二度目の痛みがククールの限界を超えて、逆にそれがどこか遠く、他人事のように思えた。

 

「この剣の持ち主を、貴様らは誰よりも知っているだろう?」

 

 恐ろしい位に優しげな声で頭に浮かんだのは、バンダナを巻いた人の良い笑みを浮かべた青年の姿。最後に見たのは、姫君と手を取り、歩いていく姿。

 ずっと既視感を感じていた。見紛う事はないオリハルコンで出来たこの世界で唯一の最強の剣。この世に一振りしかない筈のつるぎ。しかし、それはあのつるぎの糧となって、消えた筈だったのに何故。

 

「兄貴をどうしやがった!」

 

 思考を引き戻したのは、怒りに満ちた声。

 自分と同じように青年を思い浮かべたらしいヤンガスの右腕が震えて、ぎちぎちと嫌な音を立てながら、傷口が拡がるのもいとわずに動く。圧倒的不利な状況だというのに彼は吠えた。

 

「ラバ! いくら、冗談でも許さねえ! さあ、言いやがれ!」

 

 剣に縫い付けられても尚、消えない闘志が、怒りに煽られて更に苛烈に燃え上がる。

 それを身近に感じても、男に怖れはない。取るに足らない抵抗だと思っているのか、その眼差しに焦りは見えなかった。

 

「この剣が、ここに在る。それが何よりの答え」

「嘘をつくんじゃねえ! 兄貴が……」

「言いなさい」

 

 ヤンガスの怒りを引き継ぐように玲瓏たる声が響く。

 急に息苦しくなる。

 それは幻ではない。炎の渦に飲まれたかのような錯覚にさえ陥る位に、魔力が渦巻いて熱を発し、空気が荒んでいた。

 

「エイトに何をしたの」

 

 炎のような怒りを抑えた声音は、まるで爆発する寸前のように奇妙な程に静かだった。

 


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