至らないところがあると思いますが、その場合はご指摘していただければと思います。
幻想郷の地下深く、広大な地底世界の内に存在する忘れ去られた繁華街――旧都。
そこを拠点とするのは地上から追放された者や、自分のチカラを厭ってみずから移り住んだ者、そして人間に失望した者たちである。かといって全員が全員、陰気な気質というワケでもなく、常に
そして提灯に薄ぼんやりと照らされた石畳の上を歩く彼女らもまた、その例に漏れることはない。
「やー、ホントにそんな店あるの? 勇儀に言われてもまだ信じられないなぁ」
「あっはっは、旧都じゃ昔からちょっとは名が知れてるはずなんだけどね。ヤマメが知らないとなると、単に巡り合わせが悪かったんじゃないのかい」
片や、病を
片や、荒くれ者の多い鬼たちをまとめる鬼の四天王が一人、星熊勇儀。
それぞれが旧都では名も知らぬものはいないと言われるほどで、すれ違う妖怪たちはどこへ向かうのかと不思議そうな顔をしていた。しかし現在の夕日が沈んだであろう時刻を考えれば、おのずと答えは見えてくる。
「でも、ホントにあるんだ。……鬼の総大将がやってる店って」
旧都では常々噂として、まことしとやかに囁かれる話があった。曰く、鬼の総大将が料理を出している店がある、と。されどそれは噂でしかない。現代に入ってもいまだに神秘を保つ幻想郷では奇想天外な出来事にこと欠くハズがなく、さほどパンチもない件の噂など気にされないのも当然の帰結といえよう。
だからこそ、ふと思い立ったヤマメがその真偽を勇儀に尋ねてみて、まさかそこに行こうと誘われるなどどは夢にも思わなかった。
「そもそもさ、勇儀の上に総大将ってヤツがいるのも初耳なんだけど」
「大将っていっても、私ら鬼が勝手に仰いでるだけだけどね。まあ、あの人はあんまり目立ちたくない気性なのさ。地上だと天狗とかスキマ妖怪の相手はしてくれたんだけど、
「それで本人は旧都の端っこで店を開いてる……と」
団子状に結った金髪を揺らしながら、ヤマメが勇儀を仰ぎ見た。
「じゃあ大将って担ぐぐらいだから、戦ってみて負けたの?」
「ああ、ああ、それはもう気持ちがいいくらいにね。幻想郷に来る前で、証人は私が率いていた鬼たちだ。あの一世一代の大喧嘩で山二つが吹き飛んだよ」
「楽しかったんだ」
「そりゃあもう惚れこんで、幻想郷まで付いてきちまったよ。それでもいまだにあのヒトのことが解らん時もあるがね」
負けたというのに快活に笑う勇儀に暗い影はない。この調子ならば語り継がないほうがおかしいくらいだ。もしかしたら、その目立ちたくない性格らしい総大将とやらが、わざわざ鬼たちに口止めをしているのかもしれない。
追及するのを諦めてヤマメがほふぅと息を吐くと、みずみずしい唇の隙間から煙のような蒸気が生まれた。
地底だというのに、旧都では雪が降るのだ。初雪が降ってから冬の訪れを感じたのもつい先日のことで、刺すような寒さに身を縮めるヤマメは愚痴るようにつぶやく。
「……で、その店ってどこまで歩けばいいのさ」
気づけば、旧都のかなり奥まった場所まで進んでいた。絶えず続いていた提灯も途切れ途切れになっており、このまま進めば本当に闇のなかを歩かねばならない。
「急がなくてももうすぐ……ほら、あそこだよ」
ひときわ小さな曲がり角を抜けると、そこだけ提灯の下げられて目立つ場所を勇儀が指さした。
「はぁ?」
控えめに言っても小さすぎる。あの樫の板張りの向こうでは、おそらく十人も客が入らないだろうと外見からうかがえるほどだ。鬼の総大将がいそうな要素といえば、提灯に照らされた暖簾に『鬼』と達筆で書かれていることくらいだろう。間違ってもそれ以外はない。
「大将、世話になるよ!」
「あっ、勇儀っ」
気にした様子もなく勇儀が暖簾をくぐってしまうため、躊躇いがちにヤマメもあとを追った。近づいてようやく文字の見える看板には、おそらく店名であろう『
「おおっ、勇儀の姐さんも食いに?」
「ヤマメが来たことないっていうから案内がてらにね。それよりお前ら、美味そうなモン食ってんじゃないか」
「ハハ、こりゃあアレですよ――」
扉を閉めると括っていた鈴が鳴る。暖炉の温かさにほっとしながら見回すと、やはり店内も外見通りの狭さらしく、四つのカウンター席に、二人用の丸テーブルが二つ。丸テーブルはすでに勇儀とは違う鬼たちが占領しており、それがより一層狭く感じさせた。
店名どおりにところどころに灯篭が置かれ、紙を越して柔らかそうな橙色の光が薄ぼんやりと店内を照らしている。旧都に漏れぬ和風な内装に、メニューの書かれた札が壁に下げられ、奥には古今東西様々な酒瓶があったりと、ちょっとした居酒屋のようだと思った。
「……いらっしゃい」
「おぅっふぁ!?」
背後からの突然の声に、口から魂が出なかったのが不思議なほどだ。腐ってもそこそこ力がある妖怪なのに油断した。胸を落ち着かせながら振り返ると、店員らしい鬼が立っている。
ヤマメとさほど背丈の変わらぬ娘だ。折ることが初芽を摘むよりも簡単そうな細い手足に、宙に溶けていくのではないかと心配になるほどの腰まで伸ばした黒髪。幻想郷最強の種族としては
ただし、ヤマメの醜態にどう思ってるかまで窺い知れなかった。なにしろその鬼は、切れ込みの入った口元を除くと白いのっぺらぼうな仮面を被っていたのだから。
記憶を探ってみても、こんな特徴的な鬼は見たことがないと胸を張れる。
「君はここに来るのは初めてだね。まあ、座ってくれ。食べたいものはゆっくり決めるといい」
流されるままにヤマメは空いているカウンター席についた。そう言われたから、すぐにそうしないといけないと思ったのだ。それは得体の知れなさによるものだが、その正体を見つけるより先に、隣に座った勇儀が注文する。
「大将、今日のおすすめを頼むよ。私とヤマメの二人前」
「土蜘蛛の君もそれでいいのか?」
「えっ、あっ、うん。勇儀と同じのでお願い、します」
店員は湯呑を出してから、店内からでも調理する姿を見ることができる壁で仕切られた厨房に立つ。そこでヤマメは気づいた。――この店、店員が一人しかいない……と。
「……もしかしてだけどさ。あの鬼が、総大将ってヒト?」
「ああ、そうだ! 紹介が遅れたね。大将、コイツは土蜘蛛の顔役をしている黒谷ヤマメ。この店の料理が食いたいっていうんで連れて来たのさ」
卵を割っていた鬼が機械的にヤマメを見た。正確には顔を上げただけだが、仮面の奥にある瞳がたしかにヤマメを射抜いたのだと直感した。鬼は仮面の隙間から、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「――
そこでヤマメは違和感の正体に気づく。このナナシと名乗った鬼から、覇気というものをまったく感じないのだ。仮にも鬼と呼べる低級な存在ですら手に余る危機感があるのに、ナナシからはまるで人間よりも薄い気配しかしなかった。
「勇儀から聞いても、とても総大将とかには見えないだろう」
「やっ、そういうワケじゃ……」
「これは能力で制御してるだけでね。本当はもっとある。だから、勇儀が弱いというワケじゃない」
どうやらナナシは口下手らしく、それ以降は調理のために黙って没頭した。おそらく勇儀のフォローをしたかったのだろうとはなんとなく察することができた。
「……そりゃあ、勇儀が信じてるなら悪人じゃない、か」
「ん? なにか言ったかい」
「なにもー。それで、今日のおすすめってなにさ」
「そこにいる奴らが食ってるやつだよ」
ヤマメがテーブル席を見ても、空のどんぶりが人数分置かれているだけだった。鬼たちの満足そうな顔を見ると美味かったのだろうとは察せるけども。
「――親子丼だよ」
厨房からナナシが言った。それと同時に緊張の解けたヤマメは、建築仕事後のすきっ腹にとって凶器になりえる鶏肉の香りを嗅ぐことになる。
腹の虫が抑えられず、勇儀の意地悪そうな笑みに冷めた顔が赤くなった。
「お待たせ。これが、今日のおすすめだ」
五分は経った頃、ヤマメと勇儀の前にそれが置かれる。蓋のされたどんぶりが二つ。ヤマメの喉が鳴る。自分を焦らしたいわけでもないのに、ある種の興奮によって蓋を持ち上げるのを躊躇した。しかし勇儀は微笑みながら、ヤマメがそれをするのを待ってくれている。それに押されるように、意を決したヤマメが蓋を開けた。
立ち上るのは湯気。押し込められていた鶏のくどくない香りがあふれ出すと、それからすぐに、ふんわりとした黄金のトロトロな卵が輝いているのが見てとれた。具材はシンプルに鶏もも肉だけで、贅沢にもたくさん卵に埋もれているではないか。真ん中にちょこんと乗せられたミツバなど、さながら月桂冠のごとく王者の風格をこの親子丼に与えている。
「いい若鶏と卵を貰うことができたんだ。とりあえず、食べてみてくれ」
ナナシの声も耳に入らないまま、ヤマメが匙を手に取った。
そっと目の前の親子丼に匙を埋めて掬い、やがて卵がたっぷり絡めて、一粒一粒が宝石のような白米を口に運ぶ。
「――――ッ!」
美味い。そう言うために口を開けることさえ惜しく、じっくりと親子丼を味わう。白飯を噛み締めるたびに広がる独特な甘みに、鶏ガラの効いた卵がよく絡んでいるものだからたまらない。甘めの味付けが暴力的に胃袋を揺さぶり、冗談でもなく背が震えてしまった。米の熱気さえも美味くなる調味料なのだから、最初の一口が発破となり、ヤマメは夢中で匙を動かした。
今度は肉も一緒にすくってから、口のなかに滑り込ませる。この大胆にも一口大に切った鶏肉もいい。出汁の染みて、焦げの香ばしさのあるジューシーな肉は、噛むたびに幸福を感じるような旨みを出した。余計な脂がないからこそ肉の風味が損なわれず、噛むたびに溢れる肉汁が白米とあわさることで、極上の味わいとなるのだ。
親子丼は熱く、ほふほふと短く息を吐きながら、すっかり緩んだ口角が持ち上がる。手はすぐに三口目のために匙を動かし、止まらぬまま、匙ですくい続ける。
「――はぁ、寒い日にゃたまらないねえ」
幸せそうに勇儀が目を閉じた。返事をせずとも、そう、ヤマメも一心で同意する。これまで美味だと思える料理はいくらでも食べてきたが、ここまで充足感を得たのは初めてな気がした。
口直しのために小皿に盛られた浅漬けをかじる。薄くしてある塩気が甘みを流し、ポリポリと気持ちのいい歯ごたえを感じつつ、また匙で親子丼を頬張った。出汁の染みた米。旨味に満ちた肉。なめらかな口当たりの卵。たったそれだけの組み合わせとはいえ、穏やかな温かさが手足の指先まで浸透していく。
それがどれだけ幸せなことなのかを再認識しながら、ヤマメは最後の一掻きをして、一粒も残すことなく完食した。新しく出された茶を飲んで、やっと一息つく。
「すごく、美味しかったです」
「それはよかった」
満足感が染みたヤマメの言葉に、ナナシは穏やかに笑っている気がした。
「こんなに美味しいなら、もっと妖怪のいるところでやればいいのに」
「趣味で開いているだけだからな。それに元々自分で食べてみたかっただけで、大勢に食わせられるほど作ってないのさ」
大食らいな先客の鬼たちがどんぶり一杯で満足しているのも納得だ。それに、この店が味ほど有名ではないのも。きっとナナシがあまり量を作らないからこそ、自分のものを確保するためにそうそう他人には教えないのだろう。
「あー、じゃあキスメっていう、あたしの友達を連れてきたりしちゃダメなのかな」
ヤマメのダメもとの言葉を、すぐにナナシが否定した。
「あくまでここは料理を提供する場だ。店が客を選ぶことはないよ」
淡々とした抑揚のないナナシの口調には、それでもたしかな温かさがあった。
◆
私は暖簾を下ろしてから、客のいなくなった店内をなんとなく眺める。
鬼たちと一緒に旧都に移ってから数百年、こうやって細々と料理店を営業してきたワケだけど、強権発動せずとも存続しているあたり軌道には乗ってるっぽい。
数十年周期でたまに客の顔ぶれが変わり、あるいは消えて、利用者は増えることも減ることもなく、ぶっちゃけコミュ障な私でも切り盛りできていた。
これまでことの成り行きで鬼の総大将だとか端折って鬼将とか呼ばれてきたけど、全然そんな大した奴じゃないんだよね、私は。ちょっと料理が得意なだけの、旧都の片隅に店を構える
落ちた木の葉のように枯れて、たまに木枯らしに吹かれて舞い上がる。
けして、山の頂点で金剛石のごとくふんぞり返りたいのではない。
まあ、なんだ。
長々と意味深に語ってみたけども、そんな前置きなんて端から端まで全部関係なく、つまり、アレだ。
――はぁあっ、ヤマメさんかわええ!!
これでまた幻想郷の美少女リスト(私の頭ン中)に、新たな名が刻まれたことになる。
もうね、謳い文句通り幻想郷ってばマジ楽園。こんな美女美少女であふれてる世界が楽園と言わずになんと呼ぶ。
とはいえコミュ障である私が気安くべったりする勇気を持てるはずなく、いまだに自信のある料理で喜ばせてあげることしか行動できないでいる。……嘘です。彼女らがおいしそうに食べてる姿を見て、ニヨニヨ気持ち悪く笑ってました。仮面がなければ社会的に即死だった案件だね。
かれこれ千年ほどの付き合いになっても飽きが来ない、勇儀の荒々しくも洗練された美貌もいいが、本日初めて会ったヤマメのアイドルらしい可愛さも目新しくてたまらん。
なんでこんな小さな店なのかって?
あんまり大きすぎると忙しくて、料理を食べてる美少女たちをじっくり観察できないからだよ!
理由の一端とはいえそんなことを素面で言えるはずもなく、ヤマメの問いをはぐらかしてしまったようで心苦しい。今度キスメという釣瓶落としの友人を連れてくると言ってたし、その時にでもサービスさせてもらおうか。
私はさっきまで勇儀の座っていた席に腰を下ろす。
そばに置いてあった“文々。新聞”を開くと、『幻想郷を覆う謎の紅い霧』という大見出しが一面に踊っていた。
これを運んでくれたスキマ妖怪の友人曰く、この出来事を“紅霧異変”と正式に名付けるらしい。
大妖怪、小妖怪、人間、魔法使い、その他もろもろの種族。彼ら彼女らが公平に勝負できるスペルカードルールを広めるいい機会になったのだとも語っていた。
スペルカードルール導入のキッカケとなった“紅霧異変”よりひとつ前の異変、“吸血鬼異変”に関わった身としても、それはいい、と素直に思う。
私たち鬼は強すぎたからこそ、人間に失望して地底に消えたのだから。
「……変わったな、
まだ幻想郷に博麗大結界が張られるより以前、勇儀たち鬼に出会うよりもさらに昔、妖怪と呼ばれる存在が生まれるより前に
いまだに自分のルーツさえ知らぬとはいえ、ずっと移り変わっていく世界を見てきた記憶は色あせない。
私はまかないとして、残った鶏肉を炙ったものに甘辛いタレをからめ、温めなおした熱々の白米と一緒に頬張った。それから貰って久しい天狗秘蔵の酒をコップに注いでクイッと煽る。綿雲のようになめらかな口当たりだがキレがよく、喉を通るとカッと熱さと刺激がはじけ飛んだ。まるで冷たい爆弾だと思えば、ラベルに書かれた『氷火』というまんまな名前に、苦笑とも似つかぬ笑い声が漏れた。
こうして小さな幸せを噛みしめていると、ふと思い出すのはいつも昔のことだ。
あれは、そう。私がまだ
――私は、何者なのか。
紀元前から発生した疑問は、いまも解けることはない。
最近の料理マンガでの、やたらエロかったり衝撃的だったりするリアクションも好きですが、やはり作者的には「あ、美味いなコレ」とは思いながらも黙々と料理を味わう美少女が好みだったりします(真顔)