バルツ公国を見下ろす騎空艇の甲板にて、アリーザは、今か今かと降り立つ待ち遠さに身震いしていた。
その隣で同じく身震いしているスタンの心境は、彼女が抱く気持ちとはほぼ間逆にある。
これから彼女の両親に「娘さんをください」と言いに行く。
勿論、彼女と正式に付き合いたいという気持ちはあるものの、どうしても上手く事が運ぶとは思えず、いっそ何も告げずにこの国から立ち去りたい。と身震いしていた。
「よっしゃ、じゃあオイラ達も行くかぁ!!」
スタンとは間逆に、意気揚々としたトカゲのような容姿であるビィと騎空団一行。
何が楽しいんだお前ら…と突き返してやりたい気持ちになるスタンだが、それでも現実は変わらないので何も言わないことにした。
「なぁ、やっぱりヤメにしない?」
と切り出したのは、バルツ公国へ出発してしまった昨日のこと。
「もう!!またそんなこと言うの!?」
互いに恋愛感情を抱いていることは理解しているが、アリーザとしては、どうしても両親らへ報告した後、正式に付き合いたいらしい。
要するに、承認が欲しいのだ。
彼女の性格は良家の生まれらしからぬところがあるものの、こういった式典染みたことに関してだけはそれらしいところがある。
「いや、俺もアリシアさん達に認めてもらいたいよ」
「でしょ?」
「でもほら…お国柄というかさ」
客観的に考えるとスタンの意見が正しい。
元々彼は、小さい頃、アリーザ宅の使用人であった。
まだ子供であった彼を学校にも通わせず、使用人として働かせるのはどうなのかといった倫理的問題を思慮すると、それはどう考えても大問題である。
その原因として、バルツ公国ではエルーン族の権利が弱いといった政情が背景にあり、恐らくそれは今でも続いていることだろう。
平たく言えば奴隷よりややマシな奴隷的な扱いだ。
「でもウチのお母さんがどういう人か知ってるでしょ?」
「うん。知ってるよ。優しい人だ」
しかし、環境はまた別物であるとスタンはしっかり理解していた。
アリーザは公爵継承権を持っている。一応、彼女は継承権を蹴ったが、それはそれだ。
政情や国柄を思慮すると、お付き合いの承認などほぼ不可能に近いだろう。
「だから絶対に認めてくれるって!!」
アリーザの言い分は変わらない。母親を信用しきっている。
「うーん…仮にアリシアさんが認めてくれたとして…お父さんはどうなのかなって」
「大丈夫だよ。お母さんがなんとかしてくれるから!!」
やはりこれは信用云々ではなく甘やかされて育った結果に生まれた一種の勘違いであると、スタンは確信を覚えたほどだ。
「そうだね…」
このやりとりは五回目である。もうこれ以上言い争ってもどうしようもない。
「アリーザ!?帰ってきたの!?」
アリシアは、彼女が引き連れてきた大所帯にも驚いていたようだが、それより、娘の帰還に大層な驚きと喜びに慌てているようだ。
一行は「お構いなく」と遠慮したが広い一室に案内され、アリシアはばたばたと使用人達に命を出し、人数分の菓子や紅茶を複数の卓に差し出された。
結果としてティーパーティーのようになってしまったが、そこには他意を含む笑みなどなく、春のそよ風を思わす心地だけが溢れている。
アレーティアやソリッズなどの年配の者は、若さが生む青春を心から微笑み、こういった折に慣れない若者であるリリィやシャルロッテ達はドキドキと見守る。
「娘さんを俺にください!!いずれは結婚したいんです!!」
「…認められません」
ビィは貪っていたリンゴを床に落とし、ルリアはコーヒーカップを中身ごと床にぶちまけた。
もはや、談笑の空気ではない。
「え?…いやっ……えっ!?」
一番驚いていたのはアリーザだった。
今スタン結婚て言った?付き合うこと言いに来たんじゃなかったっけ?…それよりお母さん今ダメって言わなかった?
と、心境は穏やかなはずがない。
「いやちょっと待って!!」
慌てて口を挟むアリーザを、スタンとアリシアは冷静に見返した。
「まっ、まず…結婚てなによスタン!?それっ、それはっ、まぁ…いつかは…」
「…落ち着けよ」
スタンは彼女の肩に手を置き宥める。
「いずれ、だよ。いずれは…って俺は考えてたから、本心を言っただけだ」
彼は至って冷静である。
「あぁ…うん」
アリーザは、寧ろ真剣さ故にあのスタンがこうも冷静なのじゃないかと、思わず頬を紅潮させる。
「ダメよ」
アリシアがもう一度言い放つ。
あぁ、やっぱり聞き間違えじゃないのか…と、当人ら以外の誰しもが顔を背けた。
「いやいやお母さん!!なんでよ!?」
「だってほら…二人はまだ十七歳でしょ?いずれは結婚を前提にお付き合いだなんて、ちょっとまだ…ね?」
「だからって…」
やや口ごもるアリーザを確認したスタンが、すかさず割って入る。
「アリシアさん。俺はこの騎空団で彼女を養うだけの収入を得てます」
確かに、スタンとアリーザは十分な収益を得ている。
この騎空団は全空に名が通っていることもあり、仮に彼らが団を抜けてフリーで働いても十分な稼ぎを得ることができよう。それほどの肩書きだ。
「でもねぇ…ほら、他にも……種族的な問題とかあるし」
「…えっ?」
アリーザは、今しがた母が言い放った言葉に疑問を抱く。
「…そこ関係ある?」
あぁ、今のは不味い。
そう思ったのはアリシアだけでなく、一行の殆どの者達が同じことを考えた。
「いやっ…今のは大した問題じゃないのだけれど…やっぱりまだ若いし、お父さんも認めてくれないと思うから…ね?よね?」
アリシアは慌てて話題を傍に居た使用人へ投げる。
「えっと…そう……ですね…?」
使用人は、答え難い話題を振るなと言いたげだが、アリシアに対してそう言えるはずもなく、曖昧な受け答えをするしかなかった。
「お父さんは今関係ないしその人に聞いてないじゃん!!」
やや怒った風なアリーザに、アリシアはしどろもどろだ。
昔からこうだった。
彼女が小さい頃を知っているスタンからしてみれば、アリシアの反応は想像し難いものではない。
スタンは、母を睨むアリーザと困り顔アリシアから目を落とし、背後へその大きな耳を傾けた。
「ちょっとマジィだろこれ…」とソリッズ。
「こういった風潮を避けて通れん国があることは事実じゃ」とアレーティア。
「お手洗い行ってきますね…」と逃げるルリア。
「別に、私達だけが祝福してあげたらそれでいいじゃない」とマギサ。
「意義があります!意義があります!」とシャルロッテ。
「もうちょっと、静かに頼む…」とカタリナ。
「お姉さん心が痛むわぁ…早く帰りたい」とナルメア。
小さい団長を除けば、皆小声で険悪な雰囲気に四苦八苦しているようだ。
スタンは、背後の気配から耳を戻し、顔を上げる。
「アリシアさん。自分達から報告にお伺いしておいてあれですけど…今日は一旦帰りますから、お父さんも交えてゆっくり考えてもらう。っていうのはどうですか?」
「ちょっと!!なんでよスタン!?今はっきりさせたほうがいいじゃない!?」
「でもほら。アリシアさんからしてみればお前は大事な一人娘なんだし、早々に決断できることじゃないのかもしれないしさ」
「えぇーでもさぁ…」
アリシアとしては、スタンの提案は都合が良い。
「出来れば…そうさせてもらえないかしら」
「私は帰らないよ。お母さんと話してから船に戻るから」
アリシアがまた、困り顔に戻る。
ここまでの二人の反応は、スタンからすれば想定の範囲内でしかない。
「我侭言って困らせるなよ。誰にだって一人で考えたい時はあるだろ」
スタンが彼女の肩を軽く引き寄せる。
「悪いわね…スタン君…」
気遣いに対する言葉には、どこか口惜しさが滲んでいた。