ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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前語
ほの暗いブラック企業の底から


「酷い顔だなぁ……」

 社内の洗面所に設置された鏡を見て思わずつぶやく。顔の造形のことではない。

 極度の疲労と憔悴で顔全体が青黒くくすんでおり、まるで死人のようだ。

 

 このところ会社に泊まりこむ日々が続いている。安オフィスの安っぽいカーペットの上で寝ると、全身をダニに喰われるので避けたいが仕方がない。もはや通勤の時間でさえ惜しいのだ。

 今月に入って家に帰ったのは何回もないし、帰っても着替えを交換するだけとなっていた。

 

 私が勤めているこの中小IT企業は、世間一般で言うところのブラック企業である。

 しかも、某大型居酒屋チェーン店の全盛期に劣らないレベルの、だ。離職率激高、残業代は出ない、休みは無い、社長が教祖紛い、会社ぐるみのパワハラ等々、枚挙に暇が無い。

 既に労基署には何度も通報されており指導も入ったが、社長が全く反省をしていないため一向に改善は見られていない。

 

 しかし、自分の経歴を考慮するとこんな会社しか採用してもらえないのだ。さっさと転職したいが今抱えている仕事を途中で投げ出すわけにはいかない。

 様々な不満を心に押し込めながら、漫画喫茶の個室の様に区切られた自席にふらふらと戻った。

 

「部長、下のコンビニで夜食買ってきますけど、何かいりますか」

 部下の山田がブースの上から青い顔をのぞかせて声をかけてきた。まだ20代半ばだというのに私に劣らず酷い顔をしており、中途で入社したての頃とは別人のようである。

 なお、私は役職上は部長だが特に偉いわけではない。会社が残業代を払いたくないから無理やり役職を付けているという、ブラック企業特有のあの風習だ。

 

「エイリアンエナジー頼むわ」

「またですか? 部長、アレ好きですね」

「徹夜続きで意識が度々飛ぶんだよ。ほら金。釣りで好きなの買ってこい」

 そういって千円を渡す。貴重な戦力だからもっと気を遣ってやりたいけれども、現状できるのは夜食分の金を出してやるくらいだ。双方に時間があるのなら今後のキャリアプランの一つでも一緒に考えてやりたいのだが、あいにく状況が状況である。

 

 現在の開発プロジェクトが始まって早5ヵ月、プロジェクトリーダーとして現場を任され仕事をしてきたが、顧客の度重なる仕様変更で方針が二転三転し現場は極度に疲弊していた。

 賽の河原の石積みを永遠やらされているようなものだから無理もないが。

 

 営業が工期延長時の金額変更について顧客と握っていなかったことが原因で、本プロジェクトは既に赤字見込みである。

 そのくせ会社は開発のせいだと責任をなすり付けており、パワハラは日に日に酷くなる有様だ。当初七名いた開発チームも倒れたり辞めたりし、今では私を含め三名にまで減ってしまった。

 ブラック企業としては赤字プロジェクトに人員補充など考えに無いので、一人二倍以上の働きをせざるを得ない状況であり、それが勤務時間に直に反映されている。

 

 正直なところ限界などとうに超えている。しかし、どんなブラックな業務であってもプロとして賃金を貰っている以上、100%の力で遂行しなければならないという気概で何とか踏ん張っている状態なのだ。

 ただ、このところの皆の頑張りで大体の目処が付いてきた。プロジェクトが無事に終わったら、労いとして開発チームの生き残り二人に高めの焼肉でも奢ってやろう。

 

 

 

 山田が戻ってくるまでの間を本日初めての小休憩と自分の中で定め、スマホで動画サイトを開いた。不真面目かと思うかもしれないが、当社の就業規則には就業中にスマホで動画サイトに接続してはいけないという規定があるとは聞いたことがないので問題はない。

 そもそも、うちの会社の就業規則自体見せられたことがないのだが(ブラック企業万歳!)。

 

 目当ては猫動画である。くたびれたオジサンでも可愛いものを愛でるのは大好きであり、それを咎める権利は誰にもないのだ。

 子猫同士の戯れる姿を見て癒されようと思ったが操作を誤ってしまい、お勧め欄にあった女性アイドルグループのPV動画を開いてしまった。別に消してもよかったけれどもなんともなしにその動画を見てみる。

 

 動画の中では少女達が煌びやかな衣装を身にまとい、笑顔で歌とダンスを披露している。踊りながら笑顔で歌うなんて難しいだろうに、十代かそこらの女の子がしっかりやっているのには素直に感心した。

 アイドルにはとんと疎いのでどれくらい有名なグループなのかはわからないが、人の目を惹きつけるその姿はスターと言えるだろう。

 輝ける彼女達からしてみれば、社会の底辺の底辺でもがき苦しんでいる私など、芋虫程度の存在なのだろうなと自嘲する。

 

 しかし煌びやかに見えてもそこは芸能界。魑魅魍魎が巣食う世界では、人気が無くなればすぐにお払い箱となり世知辛い世間に放り出されるのだろう。

 プロとして頑張っている彼女らがそんな胸糞の悪い結末を迎えないよう、心の中で健闘を祈りながら再生の終わった動画を閉じた。

 

 猫は見れなかったが若干リフレッシュできたので、さてもう一仕事と背伸びをした瞬間、視界がぐにゃりと曲がった。

 次の瞬間、頭をバットでフルスイングされたような激痛が走り、目の前がブラックアウトする。 痛みとしびれが両手の指先から、両足の爪先から吹き出ていき、体勢を整えようとしても全く力が入らない。

 椅子からずり落ちるように倒れ、そのまま意識が遠のいていった……。

 

 

 

 

 

 

「いっつぅ……!」

 頭の中にまた鋭い痛みが走った。しかし先ほどよりかは大分ましだ。

 どれくらい時間がたったのか全くわからないが、なんとか意識は戻った様だ。両腕の力を使って上体を少し起こし目を開けると、黒く濁った雲が空一面を覆っていた。

 地面には草木が生い茂っており、視界の奥には川が流れているのが見え、自分が見慣れない場所に倒れていることを認識した。

 ここがどこかはわからないが、少なくも会社の外であることは明らかだ。

 

「やあやあ、やっと起きたのかい。お寝坊さん」

 その言葉は唐突としか言いようない状況で発せられた。しかも、発せられた場所は背後ではなく真正面だ。私の正面に彼女は突然現れた。

 隠れる場所もない平原だというのに、まるで最初からそこにいたかのように存在していた。

 私よりずっと小さく見える体躯で、黒くて長い髪は後ろで束ねられている。肌は透き通っており華奢で可愛い少女だった。

 

「え……? 女の子?」

 そんな言葉を思わず口に出してしまう。その言葉を受けて少女はケタケタと笑いながらと飄々と答えた。

「初めまして、土岐 創(とき はじめ)くん。君は僕の事を知らないだろうけど、僕は君の事を何でも知っているんだよ。まぁコンゴトモヨロシクってことで」

 

 見た目によらず小憎たらしい感じの少女であったが、この状況下で話ができる人間は貴重な情報源だ。現状を確認するためにも色々と訊いてみる。

「あ~、その、とりあえずお嬢ちゃんはどこの子なのかな? あと、できればここがどこか教えてくれるかい?」

 不審者として警察に通報されたくはないので、警戒心を与えないようにいつもの営業スマイルを浮かべつつ質問してみた。

 

「ああ僕かい? 何者かって訊かれると一概に言うのは難しいけど、君たち人間よりも高い次元──多元宇宙に住んでいる高位次元生命体なんだ。君たちの言葉で言うと『神様』ってのが一番近いのかな?」

「そ、そうなんだ……」

 困った。まるで意味がわからないが、最近の子供の間では神様を自称するのが流行っているのだろうか。そんな私の困惑をよそに少女は話を続けた。

 

「僕は老いることも死ぬこともないからいつも退屈してるのさ。

 少し前までは君達の作った漫画とかゲームに嵌ってたんだけど、もうすっかり飽きちゃってね。

 少年ジャンプの漫画なんて一兆回づつ読んだから、もう全部のコマを覚えてしまったよ。

 やっぱり少年ジャンプは80年代が黄金期だと僕は思うんだけど、君はそう思わないかい?」

 

 私が回答に窮していると、またベラベラとしゃべり始める。

「最近のお気に入りは人間観察でね。暇潰しに人間の生涯を覗き見ているのさ。

 今まで色んな人間の人生を見てきたけど、君程悲惨な人生は中々なかったから、興味深くてね!」

 そういって少女はまたケタケタと笑った。

 

「土岐 創くん、満36歳──伴侶・子供、共になし。

 神奈川県横浜市で生を受けるも、君が生まれる直前に父親は蒸発、以降母親の手で育てられる。

 片親でも立派な親はたくさんいるけれど、君の母親はそうじゃなかったよねぇ~!」

 ドキリとしてその場で固まった。

 

「キャバクラ勤めで常に男をとっかえひっかえでさ。君は、『いらない子』と言われながら、ず~っと虐待されてたよねぇ? しかも君が中学を卒業すると同時に男と出て行っちゃったから、君は高校生活や青春を体験することなく働かざるを得なかった」

「……それがどうしたっていうんだ。お嬢ちゃんには関係ないだろう」

 触れられたくない過去に土足で踏み込まれたことによる憤りで、自分でも驚くくらいに低い声が出てしまったが、少女は反論を許さないどころか更に畳み掛けてきた。

 

「最初の就職先は住み込み可の建設会社だったっけ。あそこもかなりひどいブラック企業だったなぁ~。住み込みって言うけど要はタコ部屋だったし、常時パワハラでよく耐えたと思ったよ。

 そこを退職した後、『やりがいのある理想の仕事』を探して転職を繰り返すも、学歴と転職歴が仇となってまともな会社には就職できず。就職できた会社は全てブラック企業とか、本当に面白いよ!」

 

 この女は普通じゃない。今まで誰にも過去を語ったことは無いのに、なぜそんなことを知っているのか。

 神様なんてことは到底信じられないが、何かしらの異常者であることは確かだ。警戒しながら、とりあえず本題に戻って再度質問してみた。

「私のことはどうだっていいだろう。それよりここがどこか教えて欲しい」

「ああ、そうだったね。君とのお喋りが楽しくて危うく本題を忘れるところだった」

 笑い疲れたという感じで少女が答えた。

 

「僕は楽しませてもらったお礼がしたくて、ここに来たんだ。ちなみにここは現世と地獄の境界なのさ。ホラ、向こうに川が見えるだろう? アレを渡ればすぐに地獄だよ。

 覚えてないかな~? 君は仕事中に脳溢血で倒れて死んじゃったんだよ。ほら、もう若くないのに不摂生な生活環境と激しいストレスでね。脳の血管が、こう、プチプチッと逝っちゃったんだ。ブラック企業に使い潰されてKAROSHIとか本当に傑作だね!」

 

 更に荒唐無稽なことを言い出してきた。少女の言い分によれば私は既に死人とのことだが、こうして考えることもできるし話もできるので何かの冗談にしか聞こえない。

 しかし倒れる直前のあの激痛を実際に体験しているので、否定はし切れなかった。

 

「本当ならこのまま地獄送りで君の存在は消滅する予定なんだけど、君の人生が余りにも無残で、無様で、無意味だったから流石に可哀想でね。優しい優しい僕は君にもう一度チャンスをあげようと思ったのさ」

「チャンス?」と思わず聞き返す。

「そう、チャンスさ。この僕の力で君にもう一度、別の人生を与えてあげるよ。

 今までの記憶は消させてもらうけど、社会の底辺のままで消えるよりは遥かにマシだろう?

 こんな下らない人生はさっさとリセットして、ニューゲームと行こうじゃないか」

 そして少女は「うけけけけ」と笑う。

 

 

 

 私は少しばかり考えて、「結構だ」と答えた。

「お嬢ちゃんの言うとおり、私の人生は失敗続きだったよ。人生は山あり谷ありとはいうけれど、私の人生は常に谷底に向かって突き抜けるようなものだった。一生懸命頑張っても努力は実を結ばなかったし、結果には繋がらなかった」

「だからこそやり直せば……」との少女の言葉を遮り、言葉を続ける。

 

「結局やりがいのある理想の仕事は見つけられなかったけど、それでも色々と挑戦したこと自体は後悔していないし、辛いことや苦しいことがあったから現在の私があるんだ。

 それに人生やり直したところで上手くいく保証はないんだから、わざわざもう一度生き直そうとは思えないよ」

 自分が死んだなんて到底信じがたいが、万一のこともあるので少し真面目に答えてみる。

 こんな底辺人生でも、配られたカードの範囲内で精一杯もがいたのだ。そのことまで否定されるくらいなら、このまま地獄に送ってもらって自分のままで消えるほうがマシだ。

 

「それよりも、もし君の話が本当なら、今の仕事が終わるまでは待ってくれないかな?

 死ぬにしてもやりかけの仕事を放置したままなんて、プロとしてはありえないからね」

 少女は私の言葉を聞くと今までのニヤケ顔を止めて真顔になった。変化が急激過ぎてこれはこれでちょっと怖い気がする。

 

「やっぱり君は僕の見込んだとおり面白い子だ。そんなにも自分を捨てたくないのなら、予定を変更して『君は君のまま』で第二の人生を送ってもらうことにするね。

 それと第二の人生が上手くいくように、ちょっとしたプレゼントもサービスで付けてあげる。

君の名前にちなんで、僕が今、適当に考えたささいな能力をあげるよ!」

 少女はそう言って私に向けて枝のように細い右手をかざした。するとその手に光がどんどん収束していき視界が眩い白光に包まれる。

 

「だからやり直しなんて望んじゃ……」

 叫んでもその言葉はかき消されていき再び意識が遠のいた。意識がブラックアウトする前に少女の最後の声が聞こえてきた。

「君は気付かなかったかもしれないけど、僕は君の困っている顔が大好きなんだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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