ブラック企業社員がアイドルになりました 作:kuzunoha
「ありがとう、ござい、ましたぁぁ……」
ベテラントレーナーさんに一礼した後、
「アイドルは体力勝負だ! もっと体力を付けろよ、森久保ォ!」
「は、はいぃぃ……」
今日のダンスレッスンが、やっと終わりました。体力に人一倍自信のないもりくぼにとっては、地獄のように思える時間です……。
「大丈夫ですか、乃々さん!」
「……もう、むーりぃー」
ほたるちゃんの問いかけに何とか応えました。
「返事が出来れば大丈夫さ。次の人の迷惑になるから、着替えてプロジェクトルームに行こうか」
飛鳥ちゃんに支えてもらいやっと立ち上がって、更衣室に向かいます。死にそうです……。
着替えの後はプロジェクトルームでみんなとお茶をしました。紅茶のいい匂いがお部屋を満たします。
ただ、今日も朱鷺ちゃんはいませんでした。
「今日も朱鷺ちゃんはお仕事ですか……?」
「そうみたいです。最近かなり忙しいですよね……。昨日も『逃亡中なう』の収録があったみたいですし」
逃亡中なうって、テーマパークとかで鬼役のハンターさんを相手にかくれんぼ兼鬼ごっこをする深夜のバラエティ番組ですよね。
ハンターさんはスプリンターの脚力とマラソンランナーの持久力を併せ持っていて、見つかったらほぼ逃げられないので、どうやって上手く隠れるかが重要なポイントになります。
夜は眠くて早く寝てしまうので何回かしか見たことはありませんけど、アイドルの人たちもよく出演されているみたいです。
もりくぼの場合、出ても始まって1分以内に捕まる自信があります……。
「ちょっと用事があったので電話でお話ししたんですけど、『ハンターさんが全員一歩も動けなくなるまで華麗に
「……もはや、やりたい放題だな」
飛鳥ちゃんが短いため息を吐きました。
番組の趣旨と違うような気がしますが、もりくぼの気のせいだと思いたいです。
「最近はレッスンやプロジェクトルームにもあまり来ませんし、もりくぼ達のことを嫌いになったのでしょうか……」
なんだかとても不安です。
「トキに限ってそんなことはないさ。でも何か隠していることは確かだね。……狂い出す運命だったのか、それとも初めから狂っていたのか」
「私達に相談出来ないことがあるのかもしれません……」
二人とも表情が
「悩みがあるんだろうけど、それが何なのかがわからないな。何も無ければ自ら進んで体力系のバラエティ番組に出演したりしないだろうしね。
少し前まで『私はクールビューティーでミステリアスなキャラですから、バラエティ番組はあまり興味がありません』とか言っていた子とは思えないよ」
「……クールビューティーでミステリアスかはともかく、不思議ですよね。私も何度か訊いてみたんですが、その度にはぐらかされてしまいました」
やっぱり最近の朱鷺ちゃんは何か変です。みんなそれを感じ取っているようでした。
「皆、いるかい?」
そんな話をしていると、ノックの後でPさんが入室されました。笑顔は作っていますが、何だかとっても疲れている感じです。
「おはようございます。犬神Pさん。朱鷺さん以外は揃ってますけど、何か御用でしょうか」
Pさんの質問に対し、ほたるちゃんが笑顔で答えます。
「ああ、ちょっとお願いがあって来たんだ。ファンクラブ会報誌の次号に載せるために、皆にある企画の原稿を書いてもらおうと思って」
「ど、どんな企画なんでしょうか……?」
疑問に思ったので、小声で口にしてみました。
「内容だけど『他のメンバーが見た! 〇〇ちゃんってこんな子!』というタイトルで、本人以外のメンバーの目線からメンバー紹介をしてもらおうという企画なんだ。
第一弾は七星さんについて取り上げることになったから、悪いんだけど皆で相談して、四日後迄に400字くらいで七星さんの紹介文を用意してほしい」
「ああ、他グループのファンクラブ会報誌でもやってるヤツだね。OK、わかったよ」
「大変な時期なのに悪いな。俺も皆のために頑張るから、一致団結してこの難局を乗り切ろう! それじゃ、頼んだよ!!」
そう言って、犬神Pさんは足早に立ち去りました。
「難局と言っていましたけど、一体何のことでしょうか……」
もりくぼにはよくわかりませんでした。
「犬神Pさんも最近忙しいように思います」
「年度末だから特にね。来月は4月で新年度だし番組改変期だから、今の時期はテレビやラジオ、インターネット放送局への出演依頼や調整等で各Pは相当の仕事量らしい。それに彼はボク達以外に6人もアイドルを担当しているし」
ほたるちゃんや飛鳥ちゃんの言うとおり、最近Pさんはとても忙しくて仕事の連絡以外で話す機会が殆どありませんでした。
本当は朱鷺ちゃんのことを相談したいんですけど、忙しい時に面倒事を持ち込んではいけないような気がして中々言い出せません。
「でも、仕方ないです……。Pさんはマネージャー的な仕事も同時にやっていますから、コメット内のことはこちらで何とかしないと……」
「ああ。でも、今は先ほどの課題を完了する方が先決のようだ」
「そうですね。とりあえず朱鷺さんの紹介文を書きましょう」
朱鷺ちゃんのことは一旦置いておいて、みんなで紹介文について考えることになりました。
紹介文といっても、何を書けばいいのか全然検討がつかないです。
「それでは誰が書きましょうか?」
「ボクは漫画は描くけど小説はあまり書いたことがないからね……。ここはノノがいいんじゃないかな。作家を目指しているくらいだから、作文とか得意だろう?」
「えぇ……!?」
まさか指名されるとは思ってなかったので、軽くパニックになりました。
「作家って言っても絵本作家ですよ……。作文は苦手じゃないですけど、流石に書くネタがないとむーりぃー……」
せめてどういう内容にするか方向がわからないと、書きようがないんですけど……。
「ではホワイトボードに朱鷺さんの特徴を書いていきましょう。それを皆で話し合ってキーワードを決めて、それを組み合わせて紹介文を書くのはどうですか?」
ほたるちゃんから提案がありましたので、「それなら、なんとかなるかもしれません……」と小声で答えました。
プロジェクトルームの
10分後には両面の余白が埋まったので、何を残すべきかみんなで採用会議を始めました。バラエティ豊かなキーワードが
「似たような内容は一緒に審議することにしようか」
飛鳥ちゃんの言葉を聞いて
まずは『美人』『きれい』『
「まぁ、これは異論ないだろう」
「肌はすべすべですし、小顔で目が大きいですから」
「胸は大きいけど細いです……」
中学2年生とは思えないバストサイズです。もりくぼなんてバストは73cmしかないのに……。今時小学生でももっと大きい子がいますから、ちょっと悲しいです。
「まつげが長くて髪も綺麗ですよね」
ほたるちゃんのいうとおり、濃い目の朱鷺色の髪が人目を引きます。
「ホントに素材は素晴らしいのさ。素材は……」
一瞬の沈黙が流れました。
「……では採用決定ですね。重複する言葉は消していきましょうか」
ほたるちゃんがクリーナーを手にして『きれい』と『Jewelのような中二』を消して『美人』を残しました。
次は『スポーツ万能』『体力がある』『無限のフォース』です。
「朱鷺さんは暗殺拳の伝承者ですから、運動ができて当然なのかもしれません」
「ああ。でも、吸血鬼や宇宙人、未来人だったらそれはそれで興味深かったんだけれど」
「一時はほぼ確信してましたからね……。でも鍛えるだけであんな超人的な力が得られるものでしょうか。そもそも、暗殺拳なんてどこで習ったのかが不思議です」
「見当もつかないな。このセカイはボクが思っているより遥かに広いのかもしれない」
ほたるちゃんと飛鳥ちゃんの会話におずおずと割って入ります。
「コメットの四人はみんな凄い身体能力を持っていると思われて困ってるんですけど……」
二人とも
「あんな芸当が出来るのは彼女しかいないけど、他人からはわからないからね。まぁ、そこは上手く説明するしかないだろう」
「私達は私達で出来ることをするしかありませんよね。あんな超人的なことはできませんけど、ダンスやボーカルを磨いていつでも一緒に仕事ができるようにしておきましょう」
確かにもりくぼ達にはそれくらいしかできることはなさそうです。
「でも、あれだけ隠そうとしていたのに、何で今になって積極的に使い始めたんでしょうか……」
それがずっと引っかかっていました。確かに身体能力は抜群なんですけど、朱鷺ちゃん的にはその力をあまりひけらかしたくない感じだったので違和感があります。
「人を理解しきることはできないさ。今度遭遇した時に改めて確認してみよう」
「そう、ですね……。では、とりあえずこちらも残すということで」
『スポーツ万能』を残して後の二つを消しました。
続いて『料理上手』『料理とお菓子作りが得意』『名シェフ&パティシエ』です。
「これも問題はなさそうですね」
ほたるちゃんがそう口にしました。
いつもちょっとした料理やお菓子を差し入れてくれるのでとても楽しみです。あんまり食べ過ぎると豚さんになってしまいますけど……。
「料理とお菓子作りは得意ですから、紹介に入れて問題ないと思います。ただ、朱鷺ちゃんの作る料理ってなんというか、お酒のおつまみ的なものが多くないですか……?」
「なぜかアルコール類には強い興味を持っているからね。でもファミレスで初手ノンアルコールビールは偶像としてどうかと思うけど」
ああ……アレですか……。
デビューミニライブ前までは朱鷺ちゃんもある程度こちらに気を使っていましたが、最近はそういった遠慮がなくなってきたように思います。いや、気を許してくれたので嬉しくもあるんですけど……。
初期の頃はファミレスでもドリンクバーでしたが、このところは
「と、とりあえず、料理とお菓子作りは残すことにしましょう!」
協議の結果、『名シェフ&パティシエ』を残すことにしました。
次は『残念なお姉ちゃん』『素材を生かせていない』『カオスに飲み込まれるコスモス』です。
いよいよこれらのキーワードが出てしまいました……。
「これは……」
みんな一斉に目を逸らします。
「……素材は素晴らしいのさ、素材は。それが、なぜああなってしまうのか」
「全体的な言動がなんというか、女子中学生っぽくないんですよね……。いや、決して悪い意味じゃないんですよ!」
ほたるちゃんが一刀両断しました。朱鷺ちゃんがこの場にいなくて本当に良かったと思います。
「お店に入った時、おしぼりで顔を
飛鳥ちゃんとほたるちゃんが無言で頷きます。眉間の皺が更に深くなりました。
「でも、流れるような動作でやるものだから、中々注意し難いです」
「社会の歯車のようなオトナなら理解できるけど、幻想を
とりあえず、今度やったらみんなで注意することにしました。
「あと野球や競馬の中継を聞きながら急にガッツポーズをするのは怖いですね」
「携帯ラジオを片耳につけて聞いてるから、見た目分からないのでとてもびっくりします」
もりくぼの心臓が何度か止まりそうになりました。
「そうだね。野球やレースの中継を聞くこと自体は止めはしないけど、アレはよくない」
これもみんなでやんわりと注意することにします。
「使っている言語も混沌としていることがあるね。最初に『花金』と言われた時、何のことなのか全くわからなかったよ」
「花の金曜日の略で、金曜日の晩に遊んで楽しむことらしいですね。バブル期くらいによく使われていて、今ではほぼ死語になっているようですけど……」
「たまに『最近の若者言葉はよくわかりませんねぇ……』と言ってしょぼんとしていますが、朱鷺ちゃんって本当に14歳ですよね……?」
菜々さんと違って書類上は確かに同い年なんですけど、もっと年上のように思えてしまいます。やっぱりしっかりしているからでしょうか。
「……それで、このキーワードはどうしましょうか?」
ほたるちゃんが困惑しながら問いかけました。
「止めておこう、彼女の名誉のためにも」
これを入れてしまうと朱鷺ちゃんを傷つけてしまうかも知れないので、もりくぼもそれがいいと思います。
ほたるちゃんの手によって一連のキーワードは闇に葬られました。これで一安心です。
朱鷺ちゃんは周りに気を使い過ぎる子なので他人にはこういう面は絶対に見せないんですけど、親しい人に対してはガードが激甘なんですよね……。
その後も『付け合せの人参を人のお皿にそっと移すのはいかがなものか』『仕事の電話の時にサラリーマンみたいな話し方をする』『お札を数える時の手さばきが銀行員並みに早い』『絵文字やスタンプを上手く使いこなせていない』『ダンボールハウスは普通家と呼ばないんですけど』『食べられる動植物についての知識が凄い豊富』『なぜか不良っぽい人から恐れられている』『犬神Pにキツく当たりすぎでは』『奇跡的な転び方をするドジッ子』『努力の方向音痴』『価格交渉の鬼神』等のキーワードについて整理をしていきます。
アイドルとしてどうかと思われる個性を消していくと、殆どが消えました……。
次で最後です。
『みんなのリーダー』『素敵なリーダー』『シュレーディンガーのカギ』というキーワードが並んでいます。
「これはもう、言うまでもないな。トキがいなかったら、今のコメットはなかっただろうから」
「私達が仲良くなるよう必死に頑張っていましたよね。ああいう風に引っ張ってもらえなかったら、きっとデビューミニライブで大失敗していました」
「逃げ出したもりくぼも、連れ戻してもらえました。朱鷺ちゃんがいなければ、もうアイドルは辞めていたと思います……」
あの時のことは今でも思い出します。
完全にパニックになっていたもりくぼを叱ることなく、『私も緊張しているけど、できればこの四人でステージに立ちたい』と背中を押してくれました。
朱鷺ちゃんや飛鳥ちゃん、ほたるちゃんがいなかったら、もりくぼはとっくにアイドルを引退していたでしょう。
今も仕事の際にはとても緊張しますし怖いですけど、この三人と一緒だから何とかアイドル活動ができているんです。もし一人だったら絶対にむーりぃー……。
「……私も同じですよ。コメットに入るまでずっと不幸続きで、頑張ってもどうにもならない状態だったんです。入った後もちゃんとデビューできるのか心配で、眠れない日々が続いていました。あのままだったら体を壊していたかもしれません。
そんな時、朱鷺さんが『その程度の不幸、この私が全力をもって粉々に打ち砕いてあげます』と言ってくれたんです。今まで励ましてくれた人はいましたけど、一緒に不幸に立ち向かってくれる人はいませんでした。……あの言葉に私は助けられたんです」
ほたるちゃんが静かに語りました。
最初の頃のほたるちゃんはもりくぼから見ても危うかったですけど、最近は明るくなりつつあります。その裏ではそんなやりとりがあったんですね。
「全く、本当にお節介な子だな。ボクも挨拶についてしつこく改善を求められた時は
確かに以前のボクのままでは、現場の人達から反感を買うかもしれなかった。例えボクに嫌われたとしても、それによってボクが失敗しなければいいと思ったんだろう。自分を犠牲にしてでも仲間を護る――彼女はそういうタイプの子さ。
だからこそ、今も自分が目立つことが目的ではなく、誰かのためにああいう行動をとっているんじゃないかな?」
確かにそんな気がします。でもバラエティ番組で目立つことと誰かを助けることがどう繋がるのかがわかりませんでした。
「私、コメットとしてデビューが出来て、本当に良かったと思っています。皆さんとなら、不幸も怖くないって思えるんです。これからも四人で頑張って行きたいので、よろしくお願いします」
「そんな、頼まないでください……。もりくぼもこの四人じゃなきゃ到底アイドルなんて出来ないですから、こちらこそよろしく……」
ほたるちゃんが頭を下げたので慌てました。ソロステージとか絶対むーりぃー……。
「居心地のいい場所を見つけてしまったら……手放したくなくなるのがヒトさ。ボクたちは、もう孤独には戻れないのかもしれない。
……しかしどうも三人ではフィットしないな。どこを放浪しているのか知らないが、早く自分の止まり木を思い出してもらいたいものだけど、ね」
そんな言葉を呟く飛鳥ちゃんは、なんだか寂しそうに見えました。
とりあえず、以上でキーワードの整理が終わりました。
「じゃあ手間をかけさせてすまないけど、今迄のキーワードを基に原案を作ってくれないかな? それを三人でブラッシュアップして、最終バージョンを完成させよう」
「わ、わかりました……」
飛鳥ちゃんに返事をします。なんとなく方向性は固まったので、これならある程度書けると思います。
気付くと、もういい時間になっていました。
お夕飯の時間でもありましたが、寮の食堂へ向かう前に重要なお仕事があります。
「そういえば、今日の夜間レッスンの受講者はどなたでしたか……?」
チェックし忘れたので飛鳥ちゃんとほたるちゃんに確認しました。
「幸子さんと茜さんです。お二人にはまだ朱鷺さんについて話をしていないので、これからお願いしに行きましょう」
「ああ、そうしようか」
バラエティ番組の出演をきっかけに、朱鷺ちゃんの身体能力は346プロダクション内でもかなり話題になっています。
アイドルの中にはその超人的な力を怖がる子がいるかもしれません。なので、朱鷺ちゃんは怖い人ではないこと、
「全く、手のかかるリーダーだ」
「コメットは四人のグループですから、誰かが困った時には他のみんなでフォローしないと……」
今迄助けてもらいましたから、もりくぼ達も出来ることをしたいと思います。
「飛鳥さんもわかってますよ。そうですよね?」
「……さぁ、それはどうかな?」
飛鳥ちゃんはため息をつきましたが、嫌がっている感じではありません。
三人で笑いながら、レッスンルームに向かいました。
その後、もりくぼの原稿を基に三人で話し合い、紹介文を纏めました。
『美人でスポーツ万能で料理上手。おっちょこちょいな所もあるけれど、コメットに欠かせない素敵なリーダー』という感じに仕上げたのです。
完成品を朱鷺ちゃんにも見せたところ、読みながら号泣してしまったので非常に困りました。
「皆が私のことをそんな風に思ってくれていたなんて……! もう今死んでも
あの打ち合わせのことは朱鷺ちゃんには絶対に言えません。お墓まで持っていくよう、三人で固く固~く誓ったのでした……。