ブラック企業社員がアイドルになりました 作:kuzunoha
「頼む! 一生に一度のお願いだ!」
そう言って、ピンク色の長い髪をした少女に勢いよく頭を下げた。プロジェクトルーム内に俺の声が響く。
優雅に紅茶を飲んでいた少女は、ティーカップをゆっくりコースターに戻した。
清楚で気品のある顔立ちと豊かで均整の取れたスタイルは抜群であり、見た目だけなら正に天使と言えるだろう。そう、見た目だけなら。
「……貴方の一生はそんなに何度もあるんですか。へぇ、それは知りませんでしたよ。ならここで一つくらい減っても構いませんよね?」
その少女が
さて、問題はここからだ。選択肢を間違えると即死する恐れがあるので、慎重に言葉を選びつつ話を続けなければならない。
「いや、俺だって普通なら断るさ。でもKBSさんから直々に指名されたんだから仕方ないだろう? それに一コーナーだけだからそんなに出番も無いし、今更伝説が一つ増えてもあまり変わらないって……」
「殴殺、刺殺、撲殺、斬殺、焼殺、圧殺、絞殺、惨殺、呪殺。好きな殺られ方を選んで下さいね、犬神P(プロデューサー)さん。ああ、ご遺体はこちらで直葬しますからご心配なく」
内面はドブ川のように濁った美少女が微笑む。強い殺気で森久保さんが怯えてしまっているから、早く決着をつけねば。
よし、クールになれ犬神。ここでうろたえたらまた奴のペースになる。冷静に対応するんだ。
俺はやれば出来る子だって家族からよく言われてたし、きっと大丈夫さ!
「ははは、七星さんは面白い冗談を言うね。まぁそれはおいといて、何とかできないかな~?」
眼前の少女こそ俺の担当しているアイドルの一人であり、346プロダクション・アイドル事業部史上最大の危険人物でもある『七星 朱鷺』──その人であった。
「だから、そもそもがおかしいでしょう。スポーツ『マン』ナンバーワン決定戦ですよ?」
「そんなにおかしいかな? 俺は特に違和感無いけどなぁ」
おかしいことは百も承知だが、思い切りすっとぼけてみた。
「一応私はウーマンですよ。何でむさ苦しい男性アスリート達に囲まれながら、特別ゲストとして跳び箱のギネス記録に挑戦しないといけないんでしょうかねぇ。
ああ、そうですか、目が見えないんですか。ならその無用な眼球を今すぐ取り外して上げますから、ちょっと待ってて下さい」
「ストップ、ストップ!!」
俺の眼前に瞬間移動し、そのまま親指を俺の目に突っ込んで殴りぬけようとしてきたので慌てて止めた。この細い体でなんであんな超人的な力が出せるのか本当に謎だよ。本人に訊いても『生まれつきですから』とはぐらかされてしまうし。
「はぁ~」
七星さんが深いため息をついた。二宮さんと森久保さん、白菊さんが心配そうに見つめる。
「分かりましたよ。やればいいんでしょう、やれば」
「それマジ?」
まさかこんなあっさり承諾するとは思ってもいなかった。今日は雪でも降るんじゃないか。
「自分で振っておいてそれは無いでしょう。マジですよ、マジ。テレビ局の指名ならやるしかありません。……それに体力仕事を喜んで見てくれるファンの子供達もいますからね」
ちょこっとだけ優しげな表情で呟く。ファンの為、か。デビュー前の彼女からは想像も付かないような言葉を最近はよく聞くようになった。実に喜ばしいことであり、更生は順調といっていいだろう。
「いつもすまないな。この埋め合わせは必ずするよ。いや、既に恨まれているだろうから、そんなことはしない方がいいかな?」
最近では、他のPからNGを喰らった危険性の高い仕事や体力仕事が七星さんに回ってくるようになっていた。俺としては彼女達のグループ──『コメット』の仕事を優先させたいから極力お断りしているが、今回のように引き受けざるを得ない仕事もあるから中々難しいんだって。
「朱鷺さんは犬神Pさんのことを恨んではいませんよ。文句を言うのも朱鷺さんなりの愛情表現だと思いますし、傍目からするととても仲良しさんに見えます」
「そ、そう?」
「も、もりくぼも、そう思います……」
普段ぞんざいな扱いを受けているから、白菊さんのこの言葉は意外だった。ただの慰めかもしれないけど。
「な、何言っているんですか! 全っ然仲良くないです。嫌いじゃないけど好きじゃないですよ」
「うがっ……!」
コイツ即答しやがった。そういう言葉は地味に傷つくんだからな!
俺以外に対しては優しくて礼儀正しいのに、なぜ俺には辛く当たるのか。本当に謎だ。
「あっそうだ。私だけ体力仕事をするのも
不穏な言葉を呟くと、彼女は自身のバッグを開いてがさごそと漁り始めた。猛烈に嫌な予感がするのは俺だけだろうか。
すると、スナック菓子の袋を取り出して俺に渡してきた。鮮やかな赤いパッケージだ。
その表面には禍々しい
「……何かな? これは」
「来る途中に寄ったドンドンキホウテで偶然見つけたので、話のネタになるかなと思って買ってみたんですよ。『死に至る辛さ!』とかおおげさだなあと思ったんですけど、本当マジで洒落にならなくて。
あまりに危険なので流石に捨てようと思ったんですけど、食べ物を粗末にするのは良くないですから全部食べちゃって下さい」
そういうことか。要するに嫌がらせだな。
「いやいや、そういう危険なものを人に押し付けるのは良くないって。自分がされて嫌なことは人にしてはいけないって小学校で習っただろう?」
「人間と狼男では種族が違いますから大丈夫ですよ。それとも、自分のお願いは承諾させておいて私のお願いは聞けないということでしょうか。そういう態度なら、先ほどの仕事の話も再検討しなくてはいけないですねぇ?」
今回はこうきたか。しかし、いくら辛いといってもしょせんは市販できるレベルだ。
それにスナック菓子であれば、激辛のソースを直接飲むのではないから何とか耐えられるだろう。仕事を断られる訳にはいかないから我慢するしかないな。
「わかった。そのかわり、全部食べ切ったらさっきの仕事はちゃんと請けてくれよ」
「はいはい、わかってますよ。食べ切れれば、の話ですけど」
「気をつけることだね、P。そのスナックはある意味イタい。ボクも少し
二宮さんから警告を受けた。さっきからミネラルウォーターのペットボトルを手放さないのはこれが原因だったのか。涙目だから相当辛いんだろうが、ここまできたら覚悟を決めるしかない。
「では、いただきます!」
勢いよく何枚か口に入れて、普通のスナック菓子を食べるつもりでいつも通りサクサク噛んでいく。こういうのは勢いが大事なんだ。止まったら絶対死ぬ。
あれっ、確かに辛いけどそこまでじゃないぞ。これならいける……と思って飲み込んだが、その瞬間から地獄が始まった。
あっ、やべっ! 辛い辛い辛い!
刺激が遅延性で、後から辛さの襲来に遭う感じだ! 時間差トラップが口内と食道を駆け巡る!
これは辛いだけで美味しく食べられるタイプじゃない。味を感じられない程に辛さが圧倒する。もはや辛いんじゃなくて痛いぞ!
「だっ! 誰か、水!」
「はい、どうぞ」
七星さんがタイミングよく紙コップを渡してきたので、中の液体を急いで飲み干した。その瞬間、圧倒的な違和感に気付く。
これ炭酸飲料じゃねえか!
「痛い痛い痛い!」
炭酸が口内を勢い良く刺激する! 弱っているところにこの追加ダメージは泣きっ面に蜂だ!
思わずその場でもんどりうって倒れたが、アイツはお腹抱えて「フハハハハ!」と大爆笑してやがった。鬼か!
数分してようやく辛さが抜けていく。うん、これ無理。
「すいません、許して下さい。常識の範囲内なら何でもしますから」
それ以上食べ進めるのは不可能なので、結局土下座して七星さんの許しを乞う。
「いや無理かわかんないでしょう。辛さを感じられるのは生きてる証拠です。ほら、がんばれ♥ がんばれ♥」
「だから無理だって!」
「はいはい、わかりましたよ。あ~あ、こんな甲斐性のないPを持って私達は本当に不幸ですね。早く武内Pとトレードして欲しいです」
あっさり引き下がったので、食べ切れないことは始めからわかっていたんだろう。
絶対ロクな死に方しないぞ、コイツ……。
「……それでは七星の方は出演OKということで。……はい、よろしくお願いします。では、失礼します」
先方のディレクターが電話を切ったことを確認すると、そっと受話器を戻す。
「ん~!」
思わず背伸びをした。とりあえずは無事に調整ができてホッとする。
その代償でまだ口の中が若干ヒリヒリするが仕方ない。名誉の負傷だと自分に言い聞かせた。
オフィス内の掛け時計に視線を移すと、短針は9時を指していた。
仕事も一区切りついたし食欲も戻ってきたのでコンビニで遅めの夕食を買ってこようとしたが、不意に内線電話が鳴ったので慌てて取る。
「はい、アイドル事業部の犬神です」
「やあ、犬神君。ご苦労様」
「今西部長、お疲れ様です。何か御用ですか?」
内線電話が来るのは珍しいので、用件を訊いてみる。
「ああ、今丁度武内君と一緒でね。これから飲みに行くんだが、君も是非どうだい?」
「……はい。お供します」
一瞬迷ったが、今日は特に急ぎの仕事もないので誘いを受けた。上司の誘いを無遠慮に断るのも気が引けるしな。それに先輩も一緒なら、何か有益な情報が得られるかもという打算もある。
「じゃあ、10分後に夜間通用口で待ち合わせようか」
「はい、直ぐにお伺いします」
そのまま帰りの準備を済ませてオフィスを後にした。
「お待たせしました!」
既にお二人が到着していたので駆け足で近づいて挨拶した。もう少し急ぐべきだったな。
「ああ、来たね」
「では、行きましょうか」
そのままタクシーを捕まえて、繁華街の外れにある老舗の小料理屋に向かう。
ここは今西部長が懇意にしているお店で、俺も何回か連れてきてもらったことがある。
コメットがデビューした年始頃から非常に忙しくなったので、最近は顔を出していないけど。
「いらっしゃいませ。こんばんは、今西さん」
扉を開けて
「やあ、こんばんは。電話したとおり三人だけど、大丈夫かい?」
「ええ、今日は暇していましたから。さぁ、二階のお座敷へどうぞ」
案内されるまま座敷席に向かう。三人で座るにはゆったりとした個室で、とても雰囲気がいい。俺もこういう行きつけの良いお店を見つけたいものだ。
「とりあえず、ビールでいいかな?」
「はい」
「あ、じゃあ俺注文しますよ」
女将さんに瓶ビールをお願いする。料理の方は事前にお任せでお願いしていたそうで、突き出しやお刺身等がビールと一緒に運ばれてきた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
ビールをグラスに注いでいく。こういう作法も今では大分慣れたものだ。ちょっと前までは七星さんに散々駄目出しされていたけどな。
「さぁ乾杯……といきたいところだけど、何に乾杯しようかねぇ?」
「なら、シンデレラプロジェクトはどうでしょうか? 始動直前ですから」
「……コメットの方が良いのでは? 存続が決まりましたので」
先輩と俺とで意見が割れてしまった。
「じゃあ、シンデレラプロジェクトとコメット、その両方にしようか。双方の素晴らしい未来に、乾杯」
「乾杯!」
「……乾杯」
ビールを一気に飲み干す。
くぅ~っ! キンッキンに冷えてやがるっ! 犯罪的だ……うますぎる!
ああ、だめだ。つい七星さんみたいなリアクションをしてしまった。今西部長がニコニコしてこちらを見ていたのでちょっと恥ずかしくなる。
「それで、シンデレラプロジェクトの方はどうだい?」
乾杯の後、今西部長が先輩に問いかけた。
「引き続き、辞退者に代わる方を捜しています。残り2名ですが、1名は追加オーディションで採用を決定しました。もう1名は交渉中です」
「その子達はどんな子なんですか?」
先輩が直々に採用する子達には興味があったので訊いてみた。
「オーディション合格の方は、元気のいい明るい子で笑顔が素敵です。交渉中の方は、クールな子で笑顔が素敵……だと思います」
う~ん。やはり笑顔か。先輩の採用基準はいつも笑顔なんだけど、目のつけどころがシャープすぎて俺にはピンと来ないんだよな。
俺の採用基準は完全に直感だから、人のことはとやかく言えないんだけど。
「交渉中か。随分執心しているね」
「ええ。逸材、でしょう」
「時間に猶予は無いが、そこまで惚れ込んでるなら是非スカウトして欲しい。よろしく頼むよ」
「はい」
あの先輩が逸材と認める子か、一体どんな凄い子なんだろうな。まぁ、ウチにもある意味凄い子はいるけどなぁ。
「シンデレラプロジェクト始動後はコメットにも本格的にサポートをお願いすることになるから、犬神君も協力を頼むよ」
「はい。コメットの子達には既に色々動いてもらっていますが、始動後は全力でサポートさせて頂きます! 先輩も是非頼って下さい!」
「でも、コメットが存続して本当に良かった。一時はどうなることかと思ったからね」
「その件については、申し訳ありません。我々の為に」
「いや、先輩のせいじゃないですって!」
先輩がコメットの解散危機を知ったらシンデレラプロジェクトに支障が出る恐れがある為、そのあたりの事情は伏せられていた。だから責任を感じる必要は全く無いんだ。
一連の件では統括重役に非がある。外部介入が無ければコメットは解散させられていたんだから洒落にならない。
「統括重役は悪い人ではないんだ。ただ、良い意味でも悪い意味でも聞く耳を持ちすぎるところがある。色々な意見を聞いてくれたからこそ、346プロダクションにはこんなに多種多様なアイドルが在籍できているから、一概に悪い訳ではないんだがね」
「しかし、今回の一件は納得できません。そのせいで、七星さんには大変な負担をかけてしまいました」
「そうだね。彼女には、とても悪いことをしてしまった」
そのことについては、Pとして本当に責任を感じている。今まではコメット内のことは全て七星さんが上手く処理してくれていたから、ついつい頼ってしまったんだ。
本来なら俺が彼女達と上手くコミュニケーションを取って、協力して解散阻止に向けて進んでいかなければいけなかった。『年度末で殺人的に忙しかったから』なんて言い訳にもならない。
ただ、今落ち込んでも過去は変えられない。失敗した分を取り戻す為にも、今後は皆と協力しながら彼女達が迷わないよう進むべき道を照らしていきたいと思う。それが俺の贖罪だ。
「ですが、また同じようなことは起きないでしょうか? 解散に怯えながらでは皆も全力で活動に当たれません」
「ああ、わかっているさ。同じようなことがないよう、私から根気よく話をしていくよ」
「すいません。今西部長には本当に感謝していますので」
「はは、感謝するなら白報堂の専務さんだね。彼はコメットを非常に高く評価してくれているから。しかし、どこで誰に見られているか分からないものだ」
確かにそうだな。俺もいつ誰に見られても良いようにしっかりしないと。
「それにしても、コメットの皆は本当に成長したね」
「はい。白菊さんは不運のトラウマが払拭されつつあります。最近では1ヵ月間一度も植木鉢が落ちてこなかったと喜んでいました。……普通は、一生に一度あるかないかですが。
森久保さんはまだ消極的ですが、一時期と比べるとかなり改善しています。やはり周囲の影響が大きいのでしょう。後は一人でも仕事ができるよう、少しづつ慣らしていきたいと思います。
二宮さんは独自路線ですが、挨拶等のマナーを身に付けて公私をはっきりとさせています。先日は重要なクライアントから『二宮君はとても礼儀正しい』と褒められました」
この半年間で皆、本当に成長した。Pとしてこれ以上の喜びは無いと思う。
「そうか。それは実に喜ばしいことだ。でも、一番変わったのは七星さんだろうねぇ」
「はい、確かに」
「振る舞いこそ礼儀正しかったけれども、最初は誰も信用していない様子で心配したよ」
やはり今西部長は鋭いな。殆どの人はあの演技に騙されていたが、見抜いていたようだ。
「ええ、そうですね。自分の家族は命懸けで守りますが、それ以外は羽虫同然という考えの子でしたから。あの三人との交流も、最初はビジネスとして割り切ってやっていたんでしょう」
アイドルになった当初の七星さんは、清々しいまでに自分のことしか考えていなかった。本人に自覚は無かっただろうけど俺には良く分かったから、グループのまとめ役になるだろうという賭けが外れたかと思ってヒヤヒヤしたよ。
「武内君。もし君だったら、あの頃の七星さんをアイドルとしてスカウトしたかい?」
「私、ですか?」
急に話を振られた先輩が困惑する。首の後ろに手を回しつつ、少し悩んでから答えた。
「……いえ、しないでしょう」
「ほう、なぜだい?」
「確かに容姿端麗で礼儀も正しいです。個性もありますし、周囲との関係も良好なのでアイドル向きでしょう。ですが、笑顔が自然ではありませんでした。作りものの笑顔ではファンを幸せにはできません。私は、そう考えます」
あ~本人が聞いたら結構ショック受けるぞ、これ。よし、俺は聞かなかったことにしよう。
「今も同じ気持ちかい?」
「いえ……。デビューミニライブの様子をビデオで拝見しましたが、あの時の七星さんの笑顔は心からのものでした。ライブを全力で楽しんでいる、あの状態の七星さんなら私もスカウトしていたと思います」
「そうだね。ただ、そんな笑顔になれたのも他のアイドルのお蔭だろう。コメットの三人や他のアイドルとの交流を通じて、彼女は変わった。何より仲間のことを心から思いやれるようになった。やはりアイドルというものの存在は凄いと思い知らされたよ。何せ同じアイドルの心さえ開かせてしまうのだから」
あのデビューミニライブが彼女の転機だったんだろう。そしてもう一つの転機もあった。
「それだけではないです。先日クラリスさん達と児童養護施設でボランティア活動としてイベントを行ったんですが、そこでまた七星さんは変わりました。そのイベント以降、彼女は自分の周囲だけでなく、応援してくれるファンのことを考えるようになったんです。
本人は気付いていないでしょうが、最初会った時とは別人ですよ。これでやっと、本当の意味でアイドルになったような気がします。まぁ、心の闇はまだまだ深いですけどね」
非常に恵まれた環境で育ったのに、なぜあれほど深い闇を抱えているのかが
でも、少しづつ闇は晴れていっているような気はするから、気長に更生を待とうと決めている。
それが彼女を採用した俺が負わなければいけない責任だ。地獄でもどこでも着いてってやるさ。
「はい。そして、そんな七星さんの素質を見抜いた犬神君は、凄いと思います」
え? 何か急に褒められたぞ?
「いやいやいや、そんなことないですって! コメットがあんな状態だったから、一か八かの賭けだったんですよ」
あの本性と北斗神拳を知っていたら、俺だって採用しなかったかもしれない。というか北斗神拳って一体何だよと今でも思う。毎日死線を潜り抜けながらPをやっているのは業界広しといっても俺だけだろう。あれは朱鷺じゃなくて真っ赤な
それでも家族や他のアイドルを想う気持ちは本物だし、あれで可愛いところもあるから憎めないんだよなぁ。彼女の真意はわからないが、俺は大切な仲間だと思っている。
「犬神君の人を見る目は素晴らしい才能だね。だからアイドル事業部に引き込んだんだ」
「へ?」
「いや、君は当初は希望通りに音楽事業部へ配属される予定だったんだよ。でも今年の新人の中に人を見る目『だけ』はある奴がいると噂になっていてね。なら是非ウチにと引っ張ってきたんだ」
今西部長の仕業かよ! なんてこった、憧れの音楽事業部までもう少しだったのに!
まぁ、今となってはPとしての仕事が楽しいからいいけど。
「私としては、あの七星さんを一人のアイドルとして扱い、
接していると言うか、現在進行形で無茶苦茶な扱いを受けているんだけどね。10分以内にアイス買ってこいとかよく言われるし。担当アイドルというよりも理不尽な部活の先輩みたいだ。
「いや、まだまだ交渉力や調整力等が不足しています。それは自分でもよく分かっていますって」
「調整力等は仕事を続けていれば身に付きます。しかし、アイドルに寄り添おうとする気持ちは誰でも持てる訳ではありません。……それに、途中で無くしてしまうこともあります。その気持ちを決して忘れないで下さい」
普段は七星さんから散々
「あまり持ち上げないで下さいよ。そんなことを言ったら、アイドル達を正しい道へ的確に導ける先輩の方が遥かに凄いじゃないですか!」
「ッ……!」
あれ、俺なんか変なこと言ったか? 先輩の顔色が明らかに変わった。
「……時として、最良の方法が最善の結果を生むとは限りません。 彼女達は機械ではなく、自我のある人間なのですから。どうか、私のようにはならないで下さい」
「えっ? それってどういう……」
「まあまあ、話はそのくらいにして料理を頂こうじゃないか。早くしないと冷めてしまうよ」
「は、はい」
今西部長に促されて料理に手を付ける。
とても美味しいが、それよりも先ほどの先輩の言葉が引っかかった。
昔の先輩は担当アイドルと積極的に交流していたと聞くけど、それと関係があるんだろうか。
その後はその後は料理とお酒を頂きながら三人で雑談をした。
やはり仕事の話が中心だが、会社では話せない裏話や内情が聞ける貴重な場で勉強になる。アルコールが回ってきたため、先ほどの先輩の異変はもう気にならなくなっていた。
「今日我々を誘ったのは、何か理由があるのでは?」
そろそろお開きかと思った頃、先輩が不意に口を開いた。
「武内君は勘が鋭いねぇ。そう、実はコメットに関してお願いがあって二人を誘ったんだよ」
急にコメットの話になったので酔いが醒めた気がする。今西部長の次の言葉をじっと待った。
「犬神君。コメットには、シンデレラプロジェクトのライバル役になってもらいたい」
「ライバル、ですか?」
「知ってのとおり、346プロダクションは芸能プロダクションとしては最大手だ。アイドル達を息の掛かった企画に出演させられる立場だから、競争心が生まれ難いという風土がある。だがどんなビジネスでも、適度な競争がなければ停滞してしまう。かつての国営企業の多くがそうであったようにね。
アイドル界も同じさ。実質的なトップである765プロダクションは当初弱小だったからこそ、厳しい環境において他のアイドルと切磋琢磨し勝ち残ることで今の地位に立てたんだ」
765プロダクション社長の自伝を読んだことがあるので、事情は俺もよく知っている。
あの天海春香でさえ最初は鳴かず飛ばずだったが、担当Pや所属アイドル達と協力して様々な仕事に体当たりでぶつかっていった結果、国民的アイドルにまで成長したんだ。
「良いライバルがいてこそ人や組織は成長する。だからコメットにはシンデレラプロジェクトのサポートとライバルの両方を担って欲しい。それにコメットもシンデレラプロジェクトから刺激を受けることで更に伸びるだろうしね」
「ですが、346プロダクションにはブルーナポレオン等の素晴らしいグループが数多くいます。なぜコメットなんでしょうか?」
グループの仕事も多く来るようになり順調にリスタートできたけれど、シンデレラプロジェクトのライバル役としてはまだまだ力不足だと思う。何せ彼女達は会社の期待を一身に背負っている期待のグループだからな。
「他のグループはソロで活躍している子達を集めて結成している。当初からグループとしてデビューした前例は無いから、立ち位置がちょっと違うんだ。それに同じような立場で発足時期が近いグループがあれば、ライバル意識も高まるだろう?」
「ああ、なるほど」
シンデレラプロジェクトの先行試験を企画したのは今西部長なんだが、単なる試験ではなくそういう意図もあったのか。普段は昼行灯を装っているが、実は相当な切れ者なんだよなぁ。
「最初のメンバー集めの時点で
「うぐっ! メンバー集めで遅延したことは俺の責任です。本当にすいません」
「いやいや、お蔭で七星さんを発掘できたんだから結果オーライさ」
笑って流してくれたので気が楽になる。もしあそこで頓挫していたら大迷惑だったな。
「コメットでよければ喜んでお引き受けします。このことは彼女達には話しますか?」
「いや、いいだろう。シンデレラプロジェクトが始動すれば、自然とそういう意識が生まれるはずだからね。その時に競争心を妨げないで欲しいと言うお願いさ。
さて、シンデレラ達が無事に舞踏会へ辿り着けるよう、我々も『魔法使い』として頑張っていこうじゃないか。なぁ、武内君?」
「……はい」
「俺も、頑張ります!」
こうして魔法使い達の夜は更けていった。
シンデレラプロジェクトもコメットも、ここからが真のスタートだ。彼女達が全員アイドルとして大成功するよう、改めて全力で頑張っていこう。
なお翌日、七星さんから『お酒臭いのでワン公は半径3メートル以内に近づかないで下さいね』と満面の笑顔で言われた。
Pの心アイドル知らずとはこのことか……。