ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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第30話 神崎蘭子の憂鬱

「起立、礼、着席」

「皆さん、おはよう! 今日も一日張り切って行きましょう!」

 本日は私が日直なので、朝のホームルームに合わせて号令を掛けました。担任の間宮(まみや)先生はいつもどおりテンションが高いです。

 私は次回収録の『RTA CX』でプレイするゲームのチャート(攻略手順)作りを夜中までやっていたので、朝からねむねむです。

 

「今日は授業に入る前に大切なお話があるの」

 大切な話とはどんな内容でしょうか。流石にこれ以上転校生は増えないはずですけど。

「ウチのクラスってずっと学級委員長がいなかったでしょう? 新年度になったし新しいお友達も増えたから、この機に決めちゃおうと思って!」

 へぇ~、学級委員長ですか。このクラスにはなぜかいませんでしたから、仰るとおり今のうちに決めておいた方がいいと思います。

 

「それじゃあ、誰か学級委員長をやりたい人いるかな~? いるなら手を挙げて!」

「…………」

 誰も手を上げませんが仕方がないでしょう。

 この個性の闇鍋みたいなカオスの極みなクラスを率いるなんて、面倒なことをやりたいはずがありません。誰がなるかはわかりませんがご愁傷様ですねぇ。

 

「立候補者なし、ね。じゃあ七星さんとかどう? 面倒見がいいからピッタリじゃない!?」

 この先生、なんかとんでもないことを言い始めましたよ。

 キラーパスがマッハ3くらいの速度で投げ込まれてきました。あれ? こんなこと、確か半年以上前にあったような……。

 

「そうだな、私に異存は無いぞ。朱鷺ならきっと上手くやれるだろう」

 晶葉ちゃんが早速便乗してきやがりました。

 冗談ではないです。なぜ私がそんな面倒くさいことをやらねばならないのですか! 完全に決まる前に他の方へ丸投げしましょう。

「科学の知識は晶葉ちゃんの方が上ですよ! 皆のリーダーですから、この中で一番頭の良い子がいいと思います!」

「科学者は孤高の存在なのさ。学級委員長なんて出来る訳が無いだろう」

 私の提案は謎理論で一蹴されてしまいました。解せぬ。

 

「幸子ちゃんはカワイイですから、きっと世界一カワイイ学級委員長になれます!」

「学級委員長のボクもカワイイですから捨てがたいですねぇ。しかし、ボクは仕事で学校を休むことが多くてご迷惑をお掛けしてしまうので、謹んで辞退しますよ」

 くっ! 割と正論なので言い返せません。こういう時だけチョロくなくなるのはずるいです。

 

「なら、意外性を重視して蘭子ちゃんなんてどうでしょうか!」

「長き眠りから目覚めを迎えるもいいわ……。だが、我は変身まで時間が必要。盟主に君臨するにはまだ時が満ちておらぬ……」

 はい、そもそものコミュニケーションに難がありますよね。十分過ぎるほど良く存じ上げておりました。

 

「では七星さんがいいと思う人、手を挙げて!」

 先生が問いかけると、私以外全員手を挙げました。また全員からユダられるとは……。

 いや、乃々ちゃんは手を挙げるか迷っています! 乃々ちゃんは私の味方でした! やったね!

「賛成多数で七星さんに決定! 私に代わって卒業まで皆の面倒をよろしく!」

 しかし結論は覆りません。それに最後の最後で本音がだだ漏れたような気がします。

 私の手には負えないと思うんですが、それは大丈夫なんでしょうかねぇ……?

 

 

 

「七星さん、ちょっといい?」

「……はい、なんでしょう」

 その日の放課後、間宮先生から呼び出されました。私としては先ほどの学級委員長の恨みがありますので、終始仏頂面です。

 先生に導かれるまま空き教室に入ったところ、勢いよく私に頭を下げてきました。

 

「学級委員長の件、無理やり決めてしまって本当にごめんなさい。でも教師の私だけだと、個性の強いあの子達をフォローするのには限界があるの。皆を中から支えてくれる子がいてくれると助かるんだけど、七星さん以外に適任者がいないのよ」

 真剣な表情で語りかけます。どうやら酔狂で私を選んだ訳ではなさそうです。

 

「でも、なぜ私なんですか?」

「346プロダクション経由で貴女の人となりは聞いたわ。行動力があって仲間思い、そして親しい子にはとても優しい子だってね。まだ少ししか接していないけど、神崎さんの歓迎サプライズといい友達思いの良い子だってことは私にもわかるもの。

 それにこの間のマジアワだって、一ノ瀬さんと高峯さん、姫川さんの最凶トリオを上手く制御していたじゃない! あの調整力があればクラスの子達をまとめることができるはずよ!」

 ネット上では既に伝説と化したあのカオス回を聴いてしまったんですか。あれは思い出すだけで恐ろしいです。収録と引き換えに私の胃がズタボロになりましたから……。

 

「でも、先生があのラジオを聞いているなんて意外です」

「そりゃあ可愛い生徒が出演している番組だもの。七星さんだけじゃなくて、クラスの子の出ている番組や雑誌とかは可能な限りチェックしてるわよ」

 この言葉には正直驚きました。この先生は私達のことをちゃんと知ろうとしてくれています。とても嬉しい気持ちになりましたが、それと学級委員長の件は話が別です。

 

「お気持ちは分かりますが、私も学業とアイドル活動の二足の草鞋(わらじ)なんです。それに学級委員長が加わったら、体が持つかどうかわかりません」

「もちろんタダでとは言わないわ。引き受けてくれるのなら多少の問題行動には目を(つむ)るし、七星さんのネガティブな情報を外部に漏らさないよう最大限努力する。もちろん七星さんの家族にもね。これでどう?」

「謹んでお受け致します」

 スカートの端を掴んで(うやうや)しく一礼します。迷うことなく即決でした。

 

「しかし中学生相手に裏取引ですか。先生も中々のワルですねぇ」

清濁(せいだく)併せ呑んでこその社会人なのよ。私は綺麗事ばかり並べて、何も行動しないサラリーマン教師にはなりたくないの」

「……そうですか」

 こういう考え方、嫌いじゃないですし好きですよ。それに間宮先生は私達のことをちゃんと考えてくれていますから嬉しいです。

 私が前世で出会った先生は皆、自分の保身ばかり考えて生徒と向き合っていなかったので、こういう方はかえって新鮮でした。

 

「じゃあ、取引成立ということで。これからよろしくね、七星さん!」

「はい。こちらこそ、改めてよろしくお願いします」

 お互いに笑顔で握手しました。大人同士の裏取引は無事成立したのです。

 

 

 

「あーあーあーあーあー」

「七星さん、腹式呼吸が乱れていますよ。下腹へ『スーッ』と静かに入っていくようなつもりで、息を吸うようにしてみましょう」

「はい!」

 トレーナーさんの指示を意識して、腹式呼吸をしていきます。

「あーあーあーあーあー」

「そうそう、いい感じです」

「ありがとうございます」

 

 学級委員長就任の翌日は土曜日でした。世間的には休日ですが、私達コメットの四人はお休み返上でレッスンです。先日の臨時ライブのチケットが瞬殺したことを受けて、ライブの予定が次々と入っているのです。

 目先では5月中旬と6月上旬に大型ライブハウスでライブ&トークショーを行う予定となっていますので、その際に披露する曲の練習に集中しています。今は5月頭なので、まずは5月中旬のライブを目標として精力的に練習に取り組んでいました。

 

「はい、では午前中のボーカルレッスンは以上です。午後のダンスレッスンは姉が担当しますので、お昼を食べたらダンスのレッスンルームへ向かってくださいね」

「はい、ありがとうございました!」

「ふふっ。皆良い声ですよ。それでこそ訓練した甲斐があります」

 ボーカルレッスン担当のトレーナーさんはベテラントレーナーさんほど厳しくないからやりやすいです。ベテラントレーナーさんは訓練ガチ勢ですので、ほたるちゃんですらバテてしまいます。

 レッスンが終わると、ボロ雑巾と化した乃々ちゃんが横たわっているのがいつもの光景でした。

 

「じゃあ、お昼を買いに行きましょうか」

「ああ、そうしよう」

 荷物を持ってレッスンルームを後にします。今日はカフェや食堂が営業していないので、社屋内のコンビニでお昼ご飯を買ってから地下のプロジェクトルームに向かいました。

 

 

 

「私に命令するなァァーー!」

「ど、どうしたんですか、朱鷺さん!」

「冥府の亡者も蘇るほどの叫換(きょうかん)ぞ!」

 ルーム内に絶叫が響きました。ほたるちゃんと蘭子ちゃんが慌てた様子で私を見つめます。

 

「いや、すいません。あまりにも面倒だったので、つい……」

「半年間アイドルをやってきたけど、カップラーメンに切れたアイドルは初めて見たよ」

 アスカちゃんが呆れた表情で私を一瞥(いちべつ)しました。いや、私は悪くないんです!

 

 先ほど、ちょっと奮発してお高めのカップラーメンを買いました。そしていざ食べようとしたのですが、その作り方がめんどくさいのなんの。

 小さめの具は先入れで大きめの具は後入れ。そして粉末スープは先入れで液体スープと油は後入れ。スパイスはお好みでどうぞとか……。

 なぜこの私がカップラーメン如きに細かく指示されなければいけないんですか! スパイスも入れるべきか入れないべきかはっきりしなさい! そんな中途半端な態度だとお姉さん怒りますよ!

 

「朱鷺ちゃん、それ後入れですけど……」

「いいんです。先入れでも後入れでも大して変わりはしません。お腹に入ってしまえば同じ炭水化物とたんぱく質です。誤差ですよ誤差!」

YHVH(創造主)の定めし秩序を破るとは、墜天の前触れか……」

「仕事や礼儀作法には鬼神の如き厳しさなのに、日常生活は本当に大雑把(おおざっぱ)だな、キミは」

「ファンの方にはお見せできない姿ですね」

 

 やはりコップヌードルやキッチンラーメンが最強です。お湯を入れれば直ぐに出来上がるのは素晴らしいですよ。ラーメンチョイスを完全に失敗しました。

 でも結構美味しかったです。何か悔しい。

 

 

 

「で、なぜナチュラルに蘭子ちゃんが混ざっているんでしょうか」

「禁断の果実と真紅の秘薬は我が魔力を高める。地底の牢獄で潤いを得るのも、悪くは無い」

 とうとう我慢できず突っ込みました。当の本人はハンバーグ弁当を美味しそうに食べています。

 

 今日はシンデレラプロジェクトの子達もレッスンがあったらしく先ほどコンビニで偶然遭遇したんですが、蘭子ちゃんはごく普通にコメットのプロジェクトルームについて来ました。あまりに自然過ぎて今の今まで突っ込めなかったくらいです。

「蘭子ちゃん、30階にお帰り。ここは貴女の世界ではないんですよ。ねぇ、いい子だから……」

「波動に導かれた同胞達の居るこの牢獄は、我の魂を安寧に誘うわ」

 ナウシカが王蟲(オーム)を森に帰す時の様に優しく諭しましたが、蘭子ちゃんは首を横に振りました。どうやら居座る気のようです。

 

 蘭子ちゃんと私達は同じ学校なのでとても仲がいいです。特にアスカちゃんとは同じ中二病同士でツーカーの仲ですから、ここに居たいという気持ちはよ~く分かります。

 しかし彼女と私達は別プロジェクトのアイドルですので、あまりべったりというのも良くはないでしょう。シンデレラプロジェクト内で浮いてしまう可能性がないとは言い切れませんので、適度な線引きはしておく必要があります。

 

「フフフ……まぁいいじゃないか。可愛い子猫の戯れさ。それに、今日はランチを堪能しに来た訳ではないんだろう?」

「そうなんですか?」

 乃々ちゃんが問いかけると、蘭子ちゃんが「うむ」と返事をしました。

 

「我は極彩色の彗星から託宣を得るために舞い降りた!」

 蘭子ちゃんがカッコいいポーズを決めながら叫びます。

 彗星はそのままコメットを指しているはずです。託宣とは神のお告げのことですので、我々から何か話して欲しいことがあり、ここに来たということでしょうか。

 

「灰被り達が新たなる姿に生まれ変わる魔法の物語──その道の始まりにして、タイタンの巨壁が突如現れたわ。その壁により、九柱のワルキューレに昏い影が差しているのよ!」

「……アスカちゃん、翻訳をお願いします」

「至って普通のことを話しているだけだが……。まぁ、いいだろう」

 翻訳が激烈に面倒なので熊本弁の専門家にお任せしました。これが普通に聞こえるセンスが超羨ましくないです。

 

 アスカちゃんの通訳のもと、蘭子ちゃんの話を一通り伺いました。

 何でも、シンデレラプロジェクトの子達の中から二つのグループがCDデビューするそうです。

 一つ目のグループのメンバーは凛さん、卯月さん、本田さんの三名。先日美嘉さんのバックダンサーとして出演したあの子達です。

 二つ目のグループのメンバーは美波さんとアーニャさんの二名。クールで大人な雰囲気の美女コンビです。

 

 グループとしてのCDデビューはとても喜ばしいことです。しかし、他のメンバーのデビュー予定について武内Pからは明確な回答が無く、ちゃんとデビューできるか残りの子達が不安になっているとの話でした。(但し杏さんは除く)

 特にみくさんと莉嘉ちゃんは早くデビューしたいという気持ちが強く、不満の色を隠そうともしていないそうです。

 

 残りの子達からしたら、一番最後に加入してきた凛さん達がいきなり大舞台に出演した上、あっという間にCDデビューですから焦って当然だと思います。(但し杏さんは除く)

 私がもし犬神Pから同じ仕打ちを受けたなら、翌日には犬の亡骸が多摩川に浮かんでいることでしょう。

 

「え、えっと、みんなのためになる良い方法があったら教えて下さいっ!」

 素に戻った蘭子ちゃんが頭を下げました。彼女は自分も不安に思っている中、他の子のことを考える優しさを持っています。

 人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる真っ当な人間です。それはアイドルとして本当に素晴らしい才能だと思います。

 

「わかりました。我々で対策を考えてみましょう」

「私達はサポート役ですから、こういう時にこそお役に立たないといけませんよね」

 ほたるちゃんも同意してくれました。アスカちゃんや乃々ちゃんも頷いてくれます。

 サポート役とは言え他プロジェクトなので今までは直接介入せずにいましたが、実害が出てしまっている以上動いても問題は無いでしょう。状況によっては武力による介入も辞さない覚悟です。シンデレラプロジェクトの皆の為に、この歪みを破壊します。

 

「極彩色の彗星よ、深く礼を言うぞ。ハーッハッハッハ!」

 元に戻った蘭子ちゃんがまたポーズを決めながら叫びました。

「それと蘭子ちゃん。いくらカッコいいポーズを決めても、口元にご飯粒が付いてたら台無しですよ」

「ふえぇぇ!?」

 ご飯粒を慌てて取ります。恥ずかしそうな姿が超可愛い。養子にしたい。

 

 

 

「では、コメット臨時集会を始めたいと思います。まずは、カンパーイ!」

「乾杯~!」

 五つのグラスがカチンと鳴りました。今日の会場は346プロダクションの近くにあるお好み焼き屋さんです。犬神Pは遅れての到着なので、先に皆で食べ始めていました。

「……で、俺は何で呼ばれたのかな? 全く事情を聞いて無いんだが」

「そりゃそうですよ、話してないですもん」

 今日のワンちゃんは珍しく私服です。休みの日に急に呼び出したんですから当然といえば当然ですけど。

 

「緊急事態だって話だからすっ飛んできたのに、普通にお好み焼き食べてるし……。一応二週間ぶりの休みなんだよ?」

「人間頑張れば月300時間残業や365連勤くらいはできますから大丈夫ですって。それに休みといってもどうせ家で寝てるだけでしょう?」

「それは否定できないのが悔しい……」

 暗い表情でうな垂れてしまいました。休みに遊びに行く人がいないとは寂しい奴です。ですがその点を非難するとブーメランになって前世の私自身に突き刺さるので止めておきましょう。

 

「豚玉、今焼きあがりました。どうぞ」

 カットしたお好み焼きをお皿に載せてワンちゃんに渡します。流石ほたるちゃん、気配り上手なイイ女です。

「ああ、ありがとう。白菊さんは本当に優しいな。誰かさんとは違って」

 ほう、飼い主に毒を吐くなんて一丁前に成長したじゃないですか。これは教育やろなぁ。

「七星さん、俺が悪かった。だからヘラを鉄板に押し付けるのは止めよう」

「ちっ……!」

 行動を読まれていたようです。必殺の焼きごてで脅してあげようと思ったのに。

 

「こんな美少女達に囲まれているんですから不満は無いでしょう。キャバクラでこのクオリティの子達を確保しようとしたら、一晩で三桁万円は下らないですよ」

「そりゃそうだけどね。でも例えがキャバクラって……」

「何か、問題でも?」

 犬畜生が余計なことを言ってきたので反論していると、皆の冷めた視線が突き刺さりました。

 

「話が進まないんですけど……」 

「とりあえず、食べながら経緯を報告しようか」

「はい、では私の方から……」

 ほたるちゃんが先ほどの蘭子ちゃんの相談内容を説明します。コメットとしては、例え直接介入をすることになってもシンデレラプロジェクトの子達を助けたいと伝えて頂きました。

 

 

 

「うーん、それは確かに問題だな。でも先輩の仕事に口を出すのはなぁ……」

 ワンちゃんが悩ましげな表情で呟きました。シンデレラプロジェクト内が不穏であり対策が必要であることは理解したようですが、まだまだ新人の身で先輩に上申するのは心苦しいみたいです。

 彼を擁護するつもりはありませんが、その気持ちは良く理解できます。特に相手がOJTで教育してもらった先輩であり、社内での絶対的なエースである武内Pですから、この上なく言い難いでしょう。

 

「武内Pのやり方に口を出す訳ですから、言い難いことはよくわかります。ですが誰かが言わないとシンデレラプロジェクトの子達が不幸になってしまいます。武内Pだって彼女達が悲しむことは望まないはずです。ここで進言することは皆の為ですから、勇気を持って踏み出しましょう」

「……わかった。神崎さん達のデビューについて先輩がどう考えているか、本人達に直接伝えるよう先輩に話をしてみるよ。明後日の月曜でいいかな?」

「はい、よろしくお願いします。相談の際には私もコメット代表として同行しますから、安心して下さい」

「ああ、こちらこそよろしく」

 

 これで蘭子ちゃんの相談の件は何とかなるでしょう。もしワンちゃんが上手く説得できなかったら私がナシをつけるつもりです。

 いざとなったら肉体言語です。アイドル腕ひしぎ逆十字固めやアイドルチョークスリーパーでも極めてやれば武内Pだって(物理的に)イチコロでしょう。

「それで、今日の議題はこれだけでいいのかな?」

「いえ、シンデレラプロジェクトに関して、もう一つ提案があります」

「提案?」

 皆が不思議そうな表情を浮かべます。こちらの話はまだ誰にもしていませんから当然でしょう。

 

「コメットが予定しているライブ&トークショーですけど、シンデレラプロジェクトの未デビュー組をゲストとして招いて、ライブをして貰うのはどうかと思いまして」

「蘭子達をかい?」

 アスカちゃんが少し驚いた表情を見せました。

 

「はい。凛さんたちはこれからミニライブ等があるはずですが、他の子はアイドルらしい仕事はまだないでしょう。デビュー時期が先だとモチベーションの維持が難しいですから、とりあえず手近な目標を設置してあげようかと思いまして。

 それに何より、ライブで演じる楽しさを彼女達に早く体験して欲しいんです。6月上旬のライブならまだ1ヵ月以上ありますので、1曲に限定すれば問題なく出来るはずですし」

「でも、そんなことをしたら君達の出番が少なくなるじゃないか。当日の流れだって複雑になって確実に負担が増えるけど、いいのかい?」

「もちろんこれは一メンバーとしての提案なので、誰かが反対すれば見送ります。皆さん、いかがでしょうか?」

 

 犬神Pの言うとおり、コメットにとっては負担が増えるだけでメリットは何もありません。しかも強力なライバルに塩を送るような自殺行為でもあります。半年前の私なら損得勘定を最優先していましたので、こんな提案は死んでもしなかったでしょう。

 ですが私達もここに至るまで、先輩のアイドルの皆さんから色々なアドバイスやサポートをして頂きました。そして彼女達は誰一人見返りを求めなかったのです。

 

 私が今まで勤めていたブラック企業は、社員間の足の引っ張り合いや陰口、謀略、妬み、(そね)み、暴力が蔓延(はびこ)る素晴らしいド畜生ワールドでしたので、こんな優しい職場に巡り合ったことはありませんでした。

 だからこそ、今回は私達が受けたご恩をこの素敵な職場に返す時だと思ったのです。

 

「ボクは賛成だよ。蘭子達の力になれるのなら、多少の苦労は気にしないさ」

「私も賛成します。智絵里さんやかな子さん達には日頃から良くして頂いてますので」

「だ、大丈夫です……。というか、もりくぼは出なくてもいいですから……」

 皆も賛成してくれました。やっぱり優しい子達です。ますます好きになりました。

 

「わかった。じゃあライブの参加についても、さっきの件と一緒に相談してみよう」

「ありがとうございます」

 一応お礼を言っておきます。一応です。

「……それで、七星さんは何をしているのかな?」

「何って……え?」

 

 ワンちゃんが飲んでいる生ビールのジョッキを握っていました。完全に無意識です。危なッ!

 歓迎会での誤飲以来、アルコールに対するガードがかなり緩くなってしまいました。注意しなければいけません。

「朱鷺さん、お酒はダメです。絶対です!」

 ほたるちゃんが青ざめてしまいました。あの時のことはあんまり記憶にないですがそんなに酷かったんでしょうか。お酒は適度に楽しむタイプですから、皆さん話を盛り過ぎているだけだと思います。

 しかもなんですかミラクル☆トッキーって。この聡明な私がそんな頭の悪い名乗りをする訳がないでしょうに。

 

 それよりも千川さんの『アレ』を一刻も早く記憶から抹消したいです。思い出すと今でも震えてきます……。ぷるぷる、ボクわるいアイドルじゃないよ。

「ううぅ……」

「ノノ、気をしっかり持つんだ!」

 乃々ちゃんも震え出しましたがなぜでしょうか。思春期の女の子の行動はよく分かりません。

 

 

 

 二日後の月曜日、私と犬神Pは武内Pのオフィスを訪問しました。

 そして犬神Pから蘭子ちゃんの相談の件とライブのゲスト出演の件について伝えてもらいます。

 

「……という訳です。先輩には先輩の考えがおありでしょうが、アイドルの皆さんが不安になっている状況は望ましくは無いと思います。少なくとも全員デビューが決まっているのでしたら、そのことだけでも説明すれば彼女達の気は晴れるのではないでしょうか」

「……そうですか」

 武内Pが考え込んでいますので、私からフォローという名のダメ押しをしておきましょう。

 

「横槍を入れてしまい申し訳ございません。武内Pさんとしては、確定していない予定を伝えてそれが変更となった時に、蘭子ちゃん達がショックを受けると思われているのではないでしょうか」

「……はい、確かに」

「優しいお気遣いで、そのお気持ちはとても有難いです。ですがアイドルとしては未確定の情報も教えて頂きたいと思ってしまうんですよ。そうでないと意図的に情報を隠されているのではと不安になってしまいます。予定が未確定なら、その点も含めてお伝えしてはいかがでしょうか?」

 

 今までの経験上、仕事で起きるトラブルの原因の七割はコミュニケーションの齟齬によるものでした。『言った・言わないの問題』や『報告・連絡・相談の不足』がよくあります。

 今回は後者のパターンです。まだトラブルには至っていませんが、このまま放置すると大きな事件になりかねないような予感がします。それを潰すためにも、今ここで『はい』と言って頂く必要がありました。

 

 少し考える素振りを見せた後、武内Pが口を開きます。

「わかりました。今後の彼女達のデビュー予定については、私から本人達へ直接連絡します」

「ありがとうございます!」

 犬神Pが頭を下げました。武内Pは聡明な方ですから、こうやってきちんとお伝えすればご理解頂けるのでやりやすいです。でも、なぜか担当アイドルとの交流を極力避けているような気がするんですよねぇ。

 私の勘でしかないので口にはしませんけど、もし事実ならアイドルのPとして致命的な弱点ではないでしょうか。

 

「……いえ、礼を言うのはこちらの方です。彼女達の不満をそのままにしていたら、大変な事態になっていたかもしれませんので。それとライブのゲスト参加の件ですが、コメットとしてはそれでよろしいのでしょうか」

「はい。我々としては、是非シンデレラプロジェクトの皆さんにゲスト出演して頂きたいと考えています!」

「重ね重ね、ありがとうございます。ライブの件については、まず彼女達の意思を確認させて下さい。その上で要望が強ければ参加させて頂きたいと思います」

「わかりました。連絡をお待ちしております」

 

 

 

 相談を終えると速やかに退出しました。これで当面は問題ないでしょう。

 しかし意外なほどワンちゃんが仕事をしました。相手が迫力のある武内Pですから気後れしてしまうのではと心配していましたが、しっかりと順序立てて説明してくれたのです。

 ちゃんと言えたじゃねえかとついつい感心してしまいましたよ。ああいうきちんとした説明が聞けて良かったです。そろそろ育成P枠から二軍P枠に昇格させてもいいでしょう。

 部下の成長は私にとっても喜ばしいことです。どれ、(ねぎら)いの言葉でも掛けてあげましょうか。

 

「え~、犬神さん。今回は本当に良く……」

「あ~! 本当に緊張した~! でも上手く喋れたよね!? 先輩相手に引かずに説明できるなんて、俺もかなり成長しているよな! 七星さんもそう思うだろう!?」

 ……熱い自画自賛ですか。褒めてあげようという慈母の心が一気に霧散しました。

 

「ちょっと何言ってるか分からないです」

「そこは分かってくれよ! 頼むよ!」

 犬神Pの寒いツッコミが廊下中に響き渡りました。成長してもまるでダメなお犬様であることには変わりないようです。

 コレが担当Pという現実を再認識して、やっぱつれぇわと思ってしまいました……。

 

 

 

 

 

 


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