ブラック企業社員がアイドルになりました 作:kuzunoha
「遂に買っちまいました……」
夕食後、自室に戻るとつい独り言を言ってしまいます。机上には様々なデザインの小瓶が並んでいました。
「香水なんて私には最も縁遠いものと思っていましたよ」
仕事を終えて家へ帰る途中、ドンドンキホウテに寄って適当に見繕ってきたのです。財力にモノを言わせて大人買いしてしまいました。
正直なところ気は乗りませんが、これからの私にとっては大切なことです。我慢我慢。
先日の誕生日会にて、私は前世の記憶を消さないことを決断しました。
例え人と違っていても受け入れてくれる人は沢山いる。ならそれでいいじゃないかと強く思ったのです。
人から全く必要とされなかった前世だって、今の私の一部なのですから。
しかし、だからといって清純派アイドル路線を断念した訳ではありません!
私はあくまでもライブ中心の歌姫としてアイドル界で輝くことを目指しているんです! なのでびっくり人間や芸人として世に轟いている現状は大変不本意なのでした。
前世の記憶を保持したまま清純派アイドルとして人気を得るにはどうしたらいいか検討した結果、今の私には足りないものが見えてきたのです。
その最たる原因。それは────
「うわっ……私のファッション、ダサすぎ……?」
確かに私は一般人と比べてちょこっとだけ力が強かったり、僅かにおっちょこちょいでいささかお腹が黒かったりしますが、それだけでここまで酷い扱いをされるとは到底思えません。
なら女子力が低いかというと、そういう訳でもない気がしました。
熱い自画自賛になってしまい大変恐縮ですが、私は料理や裁縫等の家事はお手のものですし朱莉の面倒をよく見ていたので授乳以外の育児も完璧です。
容姿だって両親のおかげで一応それなりですし、何より品行方正で成績優秀です。周囲への気遣いもバッチリだと思います。
こんなに女子力が高いのに、なぜほたるちゃんや智絵里さんのように可憐な少女としての扱いを一切受けないのか。それは私のファッションがダサいからに違いありません!
今までお仕事以外ではさほど服装に注意を払っていませんでした。パンツルック中心で中性的な感じにしていましたが、それではNG間違いなしです。
可愛い服装と髪型、そして鮮やかなメイクとほのかに香る香水。いずれも清純派アイドルとしては不可欠な要素です。
今まで私は『前世で男だったから』という理由でそれらを忌避していましたが、前世の記憶を捨てず今のまま女子として生きていくと決めた以上、過去のこだわりはゴミ箱へポイしました。
さぁ、頑張ってクソダサナメクジだった頃の私とおさらばするのですよ!
「さて、と」
せっかくだからこの赤の小瓶を選びます。
香水は人生初チャレンジですが、身に振り掛けるだけのため服装や髪型に比べればハードルは低いので安心です。やっぱり女の子は良い匂いがしないといけませんから、『香水で良い匂い戦術』で私の女子力を更に強化するのです。
「いざ鎌倉!」
気合の言葉と共にスプレー部分を勢い良くプッシュします。消臭剤を使うのと同じ要領で、適当に複数回プッシュし続けました。
「ふふふ。これで良い匂いのする理想のアイドル、に……?」
ひとしきり撒いてから圧倒的な違和感に気づきます。
「クッサ!!」
な、何なんですかこれ! この鼻に付く超甘ったるい匂いは!
「ゲホッ! ゴホォッ!! えひゃい!」
炎の匂いが染み付いていないにも関わらずむせまくりました。
誰かが私を殺すために毒ガスを放ったのかもと一瞬思いましたが、体調に変わりはないので違うと分かります。いや、この刺激臭で気持ち悪いのは悪いんですけど。
まさかと思って香水をもうワンプッシュすると同じ匂いが広がります。原因はこの小瓶でした。
「ふぅ……酷い目にあった……」
窓を全開にした後、大至急入浴したおかげで先程の刺激臭はだいぶ改善されました。
急遽ネットで調べたところ、どうやら香水は一、二回のプッシュで十分とのことでした。あんなに何回もプッシュするものではなかったようです。ふふっ、私ったらとんだドジっ子さん。
ですが気持ち悪くなった原因はそれだけではありません。『トキ(北斗の拳)と同じ程度の能力』がある私は身体能力がちょっとだけ人よりも高いのですが、嗅覚も例に漏れず猟犬並みの性能があるのです。なので一、二回のプッシュでも私にとってはかなりきつかったです。
それにこんな甘い匂いを付けたままラーメン二十郎に行ったら即ギルティですよ。食事の邪魔になってしまうので『香水で良い匂い戦術』は早々に諦めました。残った小瓶は事務所の誰かにあげることにします。
続いては『髪型でイメージチェンジ大戦略』です。
私は普段はトップバスト辺りまで伸ばしたストレートヘアにしています。これはこれで清純派アイドルっぽくて悪くはないと思いますが、この姿での悪評があまりに広まり過ぎたので思い切って変えてみるのもアリでしょう。
とはいえバッサリカットするというのはナシです。本来は短い方が楽なんですが、女の子っぽく見えるようショートヘアを禁止するお触れが家族から出されているので切ることは出来ないのでした。本当は楓さんみたいなふんわりボブカットに憧れているんですけどね。
「う~ん……」
髪留めを持ったまま暫し悩みます。
以前暴走時にスマイル動画へ投稿した際、オタク受けするように敢えてツインテールにしたのですが、『ツインテールなのにロリっぽくない 訴訟』という謎クレームが多数寄せられたことをちょっと引きずっていました。そのリベンジをしたいという気持ちが湧いてきます。
「覚悟決めろ!」
逃げていては何も始まりません。未熟な過去に打ち勝ってこそ人は成長できるというものです。一大決心をして髪留めを両サイドに付けていきました。
今回はあるアイドルの子を意識してツーサイドアップに仕上げます。完成後は手鏡で出来栄えをチェックしました。
「何だこの美少女!?」
意外と出来は良かったです。車で言えばイ○プレッサくらいの実力はあるでしょう。完成度が期待値よりも高かったので思わず調子に乗ってしまいます。
「自己紹介しなきゃだよね! えへへっ、赤城みりあでーすっ♪ カワイイお洋服を着て、カワイイ曲が歌えるアイドルになれて嬉しいなぁ。これからいーっぱいロマンティックを届けるから応援してね♪ よろしくお願いしまーすっ☆」
髪型の元ネタであるみりあちゃんのモノマネをしました。何だかいい感じじゃないですか!
せっかくですから動画を撮影してみましょう。そう思い立ち、スマホで録画をしながらノリノリでみりあちゃんのモノマネを続けていきました。
5分位録画した後、おもむろに動画を再生します。
「スーパー投げキーッス☆ 一番の元気、いーっぱいもらってねーっ」
「えーい、キラキラマジック☆ みりあの魔法、みんなにかかれー!」
「セクシーグラビア、撮って撮ってーっ。私、ゴロゴロする~♪」
「ねぇ、ラッコごっこしよ! コンコンコンって♪」
そこには、累計年齢51歳のオジサンが元気一杯にはしゃぐ痴態が余すところなく映し出されていました。
「げげごぼうおぇっ!」
吐き気を催す邪悪を目の当たりにして思わず床に膝を付きます。
こ、これはアカンやつや……。冷静に振り返ると超クッソ激烈に痛いです!
この痛さはアスカちゃんや蘭子ちゃんの比ではありません! お前精神状態おかしいよ……。
「エクシア、目標を駆逐する!」と叫びながらスマホを操作し、急いで動画を削除しました。
グロ動画は消え去り証拠隠滅したので一安心です。すごすごと髪留めを取り外しました。
いつもと違う髪型だととんでもない悪ノリをする恐れがあることがわかりましたので、『髪型でイメージチェンジ大戦略』もとりあえず封印です。
続いては『服装で印象アップ大作戦』です。私の私服はアイドルとしては地味というか華がないものが多数なので、これからは女の子っぽい服装をすることで清純派アイドルであることを強調したいと思います。
クローゼットの奥底に封印していた魔物達────もとい衣服を確認します。これらは以前お母さんが私のために買ってきたものですが、趣味ではなかったので袖すら通さずにいました。
どれも高級ブランド品で可愛い感じなので、これらの服を着こなせば私の女子力は格段に向上するはずです!
最初に取り出したるはレース素地の白いワンピースです。いかにもお嬢様が着ていそうな清楚な感じの服ですね。私もお嬢様ですし、男性とはキスをしたこともないくらい清楚ですからピッタリでしょう。
それまで着ていたダサジャージを脱いでそちらに着替えました。
「ほほう。これはこれは……」
再び手鏡で自分の姿を眺めます。凄く白くなってることがはっきりわかりました。正に穢れを知らない少女と言った感じです。中身は常人の数十倍も穢れまくってますけど。
正直決して悪くはないと思います。問題はこの服装で外を
誰かに見せておかしくはないか意見を求めたいですが、それも何だか気恥ずかしいです。
「むむむ……」
ベッドの上で
「おねーちゃん、けしゴム貸して~!」
「えっ! 朱莉っ、ちょっと待って……!」
朱莉が一瞬固まりましたが、直ぐにキラキラした目で私を見つめました。すると子犬のように勢い良く飛びついてきます。
「すごーい! おねえちゃんかわいい!」
「い、今着替えるから外で待っててね!」
「おとーさん、おかーさん! おねーちゃんすっごいかわいいよ~!」
「そいつらを召喚するのはヤメロォ! ヤメロォ!」
朱莉が大声を出したので慌てて口を塞ぎましたが後の祭りです。急いで階段を登る二つの足音が聞こえてきました。
「どうした朱莉! あれっ、その格好は……」
「あらあらあら、まあまあまあ」
アホ二人は最初こそ驚きましたが、直ぐにニヤけた顔つきになりました。
「こ、これは違うんだって!」
「あの朱鷺がオシャレに目覚めるとは……今まで生きてきてよかったな、朱美!」
「本当にそうねぇ~。朱鷺ちゃんが自発的に女の子らしい服を着るなんて、感無量だわ~」
なんですか、その生暖かい視線は! 超恥ずいです。恥ず過ぎて軽く死ねます!
「おねーちゃんのかわいいふく、もっとみたい!」
「よし! じゃあ今から朱鷺のファッションショーだな!」
「ならお化粧もしてあげなくちゃね~」
三人揃ってとんでもないことを口にしやがりました。
「ふざけんな、ヤメロバカ!」
「もう決定事項よ。さ、こっちこっち♪」
「お母さん許して!」
「うふふっ。ダメよ~♥」
親バカ、ここに極まれりです。その後は必死の抵抗も虚しく、家族内ファッションショーというアイアンメイデン並みの拷問を受けました。皆非常に嬉しそうだったのが本当に謎です。
お父さんがやたらと写真を撮っていましたが、その写真が何に使われるのか戦々恐々ですよ……。
そんな惨劇があった翌日は朝から346プロダクションに向かいました。既に夏休み期間に入っており、平日にも関わらず街の至るところに学生らしき子がいます。
レッスンまで時間があるのでプロジェクトルーム内でだらけているとコメットの皆が来たので、昨日の夜のことを自虐を交えて話しました。
「だから今日は珍しくサマードレスなんて着ているのか」
「また記憶喪失になったのかと心配しました」
「はは、そんなことはありませんから大丈夫ですって」
三人が私の服装を見た瞬間、頭に驚愕の色が浮かんだのがよくわかりましたよ。
「仲の良い家族で良かったですね……」
「ただの親バカです。おかげで酷い目に遭いましたもん」
おこです。激おこです。
「フッ。たまには美麗な服に身を包むのも悪くないよ。だが急激な変化は崩壊を招く。トキはトキの歩調で変わっていけばいいさ。そう、歩くような速さで、ね」
「はい、私もそう思いますよ。今の朱鷺さんも素敵ですから」
「もりくぼも同感、です……」
その速度だと変わる前に土に還ると思いますけど、まぁいいでしょう。
「それよりも明日からの合宿ですが、準備は大丈夫ですか?」
私の恥ずかしい話はそこそこにして話題を変えました。
「ボクは問題ないよ。ディストピアをも、ユートピアに変えてみせるさ」
「私も大丈夫です。シンデレラプロジェクトの皆さんとご一緒できるなんて楽しみです」
「もりくぼは、冷房の効いた部屋でじっとしていたい……」
「それは良かったです。アイドルフェスに向けた最後の仕上げですから、頑張りましょうね!」
乃々ちゃんの言葉は聞かなかったことにして言葉を続けました。
今度のアイドルフェス────『346 PRO IDOL SUMMER Fes』ではシンデレラプロジェクトとコメットが共に出演しますが、武内P(プロデューサー)と犬神Pの発案により、この度合同で合宿をすることになりました。
本当はベテラントレーナーさんが指導役として同行するはずだったのですが、不幸にも食中毒で入院されてしまいましたので参加者は両プロジェクトメンバーと武内Pになります。
他のアイドルの仕事で同行できず済まないとワン公が謝ってきましたが、アレは元々戦力外ですから武内Pがいれば問題ないでしょう。
今まで出演したライブの中で最も規模が大きい野外ライブなので、コメットの活動の総決算としてふさわしい場です。今回出られなかった他のアイドルの方が多数いらっしゃいますから、彼女達の分も頑張らなければいけません。
そしてフェスの後には今まで私が目を背けていたものと対峙するつもりです。そのことを考えるだけで胃が痛いですが、前世の記憶を保持したまま生きていくにあたり避けては通れない道だと思いますので覚悟を決めて望むつもりです。
そして翌日になりました。合宿場は福井県内の某所にある公民館で、その近くにある『民宿わかさ』に宿泊します。あの765プロダクションのアイドル達も過去に合宿を行ったという、由緒正しい合宿場ですね。そこで特訓をすれば私達も輝きの向こう側へ行けるような気がします。
北陸新幹線で移動後、現地に到着しました。着いてからは遊ぶ暇もなくひたすらレッスンです。
コメットの場合、アイドルフェスで披露するのは新曲ですから他ユニット以上にしっかり練習をしなければなりません。優しいバラード調の曲なのでこれまでの曲と比べて振り付けは難しくないのですが、その分歌唱力が求められます。
ダンスとは異なり、歌は能力のブーストが一切効かないので正に実力勝負です。その分やりがいもあるので真剣に取り組みました。もちろん、皆とても頑張っています。
その成果が出たのか、合宿中盤頃にはかなりの仕上がりになりました。
今日も引き続き新曲のレッスンです。朝から歌いっぱなしだったので、皆の体調を考慮して適宜休憩を入れました。
「は~い、麦茶ですよ~」
「ああ、助かるよ」
「ありがとうございます。朱鷺さん」
「喉がカラカラです……」
合宿場の扇風機で涼んでいる皆に麦茶を配ります。冷房がないので風と水が生命線ですね。
ですが自然が豊かで
「みんな~! Pチャンから大事な発表があるから集まって欲しいにゃ!」
「はい、今伺います」
休んでいるとみくさんから呼び出しがありました。一体なんだろうと思いながら大ホールの方へ向かいます。武内Pがハリウッドへ研修に行くとか唐突に言い出したらどうしましょうか。
目的地に着くと既にシンデレラプロジェクトの子達が揃っていました。武内Pの前で体育座りをしていますので、私達もその後ろに座ります。
全員揃ったことを確認すると、彼がいつも通りの重低音ボイスで話を始めました。
「アイドルフェスに向けての合宿ですが、着実に成果が出ています。残り期間もこの調子で頑張って頂きたいのですが、私は別件で明日の夜まで合宿場を離れる予定です」
「…………」
皆がやや戸惑いを見せますが、彼は構わず続けます。
「その間の皆さんのまとめ役を、新田さんにお願いすることになりました」
すると美波さんが立ち上がり武内Pと肩を並べます。何か「私達結婚します」とか言い出してもおかしくない雰囲気でした。もしそんな事態になったら他のアダルティアイドル達が黙っていないでしょうけどね。きっと血の雨が降ります。
「皆さん、私が居ない間は新田さんの指示に従って下さい。……新田さん、それではまとめ役として最初の仕事をお願いします」
「Pさんからお話があった通り、明日までまとめ役をやることになりました。みんなよろしくね」
そのまま綺麗に一礼します。もちろん異論はないので、皆拍手で歓迎しました。
「そしてもう一つ連絡があります。今度のフェスでは各ユニットの曲だけでなく、シンデレラプロジェクト全員で新曲を歌うことになりました」
「みんなで歌うのってたのしそぉ~☆」
「どんな曲なんだろ♪」
「わくわくするね!」
凸レーションの子達が嬉しそうに呟きます。
「はぁ~。また仕事が増える……」
一方、それを歓迎しない子もいました。案の定杏さんです。
「今日からユニット練習は午前までにして、午後からはシンデレラプロジェクト全員で新曲の練習をします」
「フェスまでに全体曲をマスターするのは大変でしょうが、頑張って下さい」
美波さんと武内Pの発表は私にとって予想外でした。
今から十四人揃っての全体曲とは驚きの采配です。全体曲は参加人数が増えれば増えるほど加速度的に難しくなるのです。実際、正式デビュー前に九人でライブをした時は約1ヵ月の余裕がありましたが、その時でさえ完璧に纏まったのはライブの1週間前でした。
各ユニットの曲もある中で全体曲、それも新曲を追加するなんて通常の感覚ではありえませんが、あの武内Pが決めたのですから何か勝算があるはずです。
「任せて! バッチリ決めてみせるから!」
私の心配を知ってか知らずか、未央さんが元気に返事をしました。
「……頼もしい言葉です。それでは新田さん、後はお任せします」
「はい! それでは今から全体曲の練習に入ります」
シンデレラプロジェクトの子達が全体練習に入ったので、私達は元のレッスン場に戻ります。
「まとめ役は美波さんか……。てっきりトキがなるものかと思ったよ」
「美波さんは真面目でしっかりしていますから私より遥かにリーダー向きです。それにしても今から新曲の全体曲なんて思い切ったことをしますねぇ」
「皆さん、大丈夫でしょうか……。振り付けを覚えた曲でさえ、揃えて演じようとするとかなり大変なのに」
「私だったら、絶対にむ~りぃ~……」
「確かに大変だとは思いますが、武内Pが決めたことですからきっと大丈夫ですって。それにシンデレラプロジェクトの子達は確実に成長しています。きっと何とかしますよ」
むしろ何とかしてもらわないと困ります。皆、私の可愛い後輩達なんですから。
「すみません。七星さん、少しよろしいですか?」
「はいっ!」
背後から不意に声を掛けられたので慌てて振り返ります。すると武内Pが荷物を持って佇んでいました。
「な、何でしょうか?」
「……」
彼の視線が私の背後にいる乃々ちゃん達に注がれます。
「……じゃあ、ボク達は先に行くよ。四人揃ったら練習再開でいいかな」
「はい、すみません」
アスカちゃんが空気を読んでくれました。皆が見えなくなるのを確認した後、再び武内Pが話し始めます。
「全体曲のこと、どう思われましたか?」
「正直驚いています。今は新たな挑戦をするより既存曲の質を上げる時だと考えていましたので」
「……仰る通り、困難な挑戦でしょう。ですがこの壁を乗り越えることで彼女達は大きく成長できる。私はそう思います。そして、七星さんには一つお願いしたいことがあります」
その言葉を聞いて、彼の言いたいことが何となくわかりました。
「彼女達に過度に干渉するな、ということですか?」
「……ッ!」
先読みされたからか、武内Pが一瞬言葉を失いました。
「……よく、お分かりになられましたね」
「私ではなく美波さんをまとめ役に据えた時からそうじゃないかなとは思っていました。シンデレラプロジェクトは独立した企画であり何時までもコメットにサポートされていてはいけない。そういうお考えだと推理しましたが、いかがでしょうか?」
「その、通りです」
そのままゆっくりと頷きました。
「安心して下さい。そのお気持ちは十分理解しているつもりです」
それまでのマジ顔を崩してから話を続けます。
「彼女達はもうアイドルに憧れていた少女ではありません。自分を輝かせ、人を勇気付けることが出来る素敵なアイドルです。そして各ユニットでの活動を通じて皆しっかり成長しました。
今こそコメットという補助輪を外して、自分達の力だけで走り出す時だと私も思います」
「ありがとうございます。見解が一致したようで何よりです」
そう言うと険しかった表情が優しくなりました。
「私、分の悪い賭けは嫌いじゃないんですよ。皆がこの困難に打ち勝てる方に賭けますので、もし勝ったら彼女達に一つだけアドバイスをしてもいいでしょうか?」
「はい。構いません」
「交渉成立ですね。でも干渉を避けるなら合同合宿なんてしなければ良かったんじゃないですか?」
「それは……」
大きな疑問をぶつけてみると申し訳無さそうな表情をしました。
「もしかして武内さんが不在時のボディーガード役、とか?」
「…………」
再び言葉を失います。超適当に言ったんですが、この反応は……図星じゃな?
「結局私はそういう役回りなんですよねぇ」
「その、すみません」
思わずその場で落ち込んでしまいました。机があったら下に潜りたいです。
その後はレッスンを再開します。介入はしないと約束はしたものの彼女達の様子は気になるので、小まめに休憩を取り気配を殺して物陰から様子を伺いました。殆どストーカーです。
「何回やっても、振り付けうまくいかないね」
みりあちゃんが言うとおり、各々動きがバラバラで揃っていません。
ですがそれは当たり前です。大人数での全体曲、それも新曲をきちんと合わせるなんてベテランアイドルでも難しいんですから。
夕食後は再び気配を殺してシンデレラプロジェクトの子達の様子を探りましたが、一様に元気がありません。皆さん全体曲がきちんとできるか心配していました。
特にアスタリスクの二人は結成から日が浅くユニット曲もまだ完璧とは言えないため、その状態で全体曲というのには抵抗があるようです。
現状を脱する方法はいくつか思い当たるのですが、過度に干渉しないと約束した以上、私が動く訳にはいきません。『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』という言葉の通り、ここは心を鬼にして彼女達に任せることにします。
うう、でも心配だなぁ……。
翌日も休憩しては様子を見に行くの繰り返しでした。
既に午後の二時を回っていますが、シンデレラプロジェクトの子達は昨日同様動きがバラバラで疲労の色だけが濃くなっています。心身共に疲弊した状態で練習しても上達はしませんので休憩させたいですが、立場上それは出来ませんでした。うごご……もどかしい!
「はあっ……」
「電池切れた……」
曲が終わると同時に、それぞれ糸が切れたように倒れ込みました。
「もういい、ここまでだ」という言葉が思わず出かかりますが、ぐっと堪えます。
「しまむー、大丈夫?」
「は、はいっ! 頑張りますっ!」
未央さんが卯月さんの様子を確認します。そして少し考えた後、話を続けました。
「みんな、ずっと動きっぱなしだから疲れちゃったかな? 疲れ過ぎると動けなくなっちゃうからちょっとだけ休憩にしない?」
「うん。みくもそう思うにゃ」
「ダー。これ以上続けると、怪我してしまうかもです」
「……そうね。一旦休憩にしましょう」
おおっ! ナイス判断ですよ、未央さん!
それでこそ個別に講習を行い、リーダーの心得を授けた甲斐があるというものです。
以前の彼女は気が
そのまま休憩に入りましたが、皆の表情は昨日の夜より暗いです。
「このままやっても、エネルギーの無駄遣いな気がする」
杏さんがぼそっと呟きました。確かに全員の心がバラバラな状態では、全体曲をやったとしても永遠に揃うことはないと思います。解決策は色々とあるんですけど。
「……」
深刻な表情で
「ーー♪~♪」
「皆、一旦ストップだ。……どうしたんだい、トキ? 先程から音を外しているけど」
「す、すみません!」
「あまり集中できていないように見えます。智絵里さん達が気になるんですか?」
「面目ないです」
心配のあまり自分のレッスンがおろそかになるとは本末転倒ですね。
「……気になるなら、いっそのこと様子を見に行ったらどうでしょう」
「でも、レッスンを投げ出す訳には……」
「今の状態で続けても意味はないさ。ここはノノの提案通り、彼女達の視察に行こうじゃないか」
「……ありがとうございます」
「気にしないで下さい。私達も心配ですから」
皆には申し訳なく思いますが、やはりあちらの様子が気になります。再び大ホールへ向かいましたがそこには誰もいませんでした。
「休憩中でしょうか」
「違うみたいです、けど。ほら、あそこ……」
乃々ちゃんが外を指差します。するとなぜかシンデレラプロジェクトの子達が二人三脚で競争していました。
「何をされているんですか?」
実況を担当している李衣菜さんとみくさんに事情を伺います。
「美波さんが全体練習のスペシャルプログラムだって言い出して、やり始めたんだ。さっきまではリレーと飴食い競争をやってて、今は二人三脚」
「にゃんと、転倒! 起き上がろうとするが、中々立てないにゃ~!」
皆の見ている方を向くと、美波さんとアーニャさん、蘭子ちゃんのトリオが倒れています。ですが再び起き上がり、ゴールに向かって駆け出しました。
「ファイト~!」
「頑張れ!」
「行け~!」
その一生懸命な姿を見て、皆が声援をあげます。私も思わず「頑張って!」と叫びました。
「ゴール!」
その瞬間、周囲からとても暖かい拍手が送られます。全員、先程とはうって変わって素敵な笑顔を浮かべていました。
なるほど、これが美波さんの打開策なんですね。
練習の効率を上げるために敢えて練習以外のことを取り入れるのはプロのアスリートの世界でもよくある話です。
一旦練習を止めて別の競技に取り組み、皆の心を一つにすることで解決を図る。技術や能力ではなく考え方──メンタル面を改善するという趣旨なのでしょう。
彼女達の楽しそうな表情から、その取り組みが上手く行き始めていることが見て取れました。
「朱鷺ちゃん達はどうしたの?」
「練習が上手く行っているか様子を見に来ましたが、どうやらその心配はなかったようですね」
「……?」
李衣菜さんとみくさんの頭の上にハテナマークが浮かびました。ですが今ここでスペシャルプログラムの趣旨を説明すると効果が無くなりそうなので、黙っておくことにします。
「さ、私達も練習を頑張りますよ!」
「もう、いいのかい?」
「ええ。どうやら私の杞憂だったようです」
美波さんという素敵なリーダーがいれば大丈夫です。思えば武内Pがこの時点で全体曲を取り入れたのも、彼女の存在があってこそなのかもしれません。
翌日は合宿最終日でした。レッスンが一通り済んだので着替え等の荷物をバッグに纏めます。
シンデレラプロジェクトの子達ですが、スペシャルプログラムが効果を発揮したようで全体曲はかなり纏まってきました。まだまだ完璧ではありませんが、これからアイドルフェスに向けてしっかり練習すればきっと成功するはずです。
その後民宿内で武内Pと偶然遭遇したので、個室に連れ込み事の一部始終を報告します。
「もどかしい思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」
事情を理解すると深く頭を下げます。
「ふふっ、そうですね。でも美波さんは良いリーダーでしたよ。満場一致でリーダーに選ばれたのも納得です」
「……はい、確かに」
先程アイドルフェスにおけるシンデレラプロジェクト内のステージリーダー決めがあったのですが、全員の支持を受けて美波さんに決まりました。まぁ、当然でしょう。
「そういう意味では分の悪い賭けに勝ったと言えますから、彼女達に一つアドバイスをしてもいいですか?」
「構いませんが、どのようなアドバイスをされるのでしょうか」
「それはですね……」
一通り話すと彼が目を丸くしました。
「確かに盲点でした。アイドルフェスに向けて彼女達に伝えなければいけないことだと思います」
「それなら協力して頂けません?」
「協力、とは?」
悪戯っぽく笑うと武内Pが困惑しました。
宿を後にする直前、シンデレラプロジェクトの子達に集合を掛けてロビーへ来てもらいます。
「どうしたの、とっきー?」
「皆を集めて、何のお話ですか?」
未央さんと卯月さんが不思議そうな表情を浮かべました。要件を伝えてないので当たり前の反応です。
「皆さんに一つだけアドバイスというか、お願いがあるので集まってもらったんですよ」
「みんな、ですか? でも美波さんがいませんけど……」
智絵里さんが更に困惑します。
「美波さんは武内Pやほたるちゃん達と一緒に先に行ってもらいました。これは美波さん以外に聞いて頂きたい内容なので」
「ヒミツのお話?」
「何? 何? 教えて~☆」
「う~ん。みりあちゃんや莉嘉ちゃんが期待するような面白い話ではないんですけど」
「もったいぶらなくていいよ。それで、何なの?」
「スペシャルプログラムの件で既にご存知だと思いますけど、美波さんは真面目で責任感がとても強い、頼れるお姉さんです」
「うんっ☆ 美波ちゃんはとってもとっても良い子だよぉ♪」
「ダー。その通りです。美波は、とても優しくて頼りになります」
皆一斉に頷きました。
「だからこそ私は怖いんです。彼女が潰れてしまわないか」
「……潰れるって、どういうことにゃ?」
みくさんの表情が不安げなものに変わりました。
「生真面目で優しくて責任感が人一倍強い。一見素晴らしいようですが、こういうタイプの方は仕事を自分で抱え込んでしまって心身を壊しやすいんです。
恐らく美波さんは今度のアイドルフェスのステージリーダーとして人の二倍、あるいは三倍は頑張るはずです。その結果、心や体を壊してしまうかもしれません」
実際、前世で勤めていた数多のブラック企業において、同じタイプの優秀なリーダー達が無残に壊れていく姿を飽きる程見てきました。
「あ~、確かに。杏とは真逆だからね~」
ソファーに横たわりながらうんうんと頷きます。美波さんと杏さんがフュージョンすればバランスが取れるのでは、とふと思ってしまいました。
「そんなの、絶対嫌っ!」
すると蘭子ちゃんが声を荒げました。先程の二人三脚で美波さんとの絆が深まったのでしょう。思わずいつもの熊本弁を忘れてしまっています。
「落ち着いて下さい。そうなる可能性があると言うだけで確定した訳ではないですから。……そういう恐れがあるからこそ、皆さんも美波さんに頼り切りになるのではなく、仲間として支えてあげて下さい。特にアーニャさんは同じユニットですから、彼女の体調や様子に注意して貰えると嬉しいです」
「ハラショー。わかりました、朱鷺。美波が私達を支えてくれるように、私も美波を支えます!」
おお、何だか燃えていますね。こういう熱血系のアーニャさんはレアですからしっかり記憶に残しておくことにしました。
「うん! 私も美波さんのために美味しいお菓子を作るよ!」
「仲間のため、か……。良いねそういうの。何かロックじゃん!」
皆優しい子達なので、ちゃんと理解さえすれば各々自発的に美波さんを支えてくれるはずです。折角のアイドルフェスなので誰一人欠けて欲しくはありませんからね。
「私達もみなみんリーダーを支えよう! ねっ、しぶりん、しまむー!」
「うん。皆で出来ることをしようか」
「はい! 島村卯月、頑張ります!」
笑顔の卯月さんを見てちょっと複雑な心境になりました。
美波さんの危うさについて説きましたが、そういう意味では彼女もかなり危険です。
あの「頑張ります!」という口癖は一見前向きに聞こえますが、頑張らなきゃいけないと自分を追い詰める呪いになりかねません。
「頑張ります!」と笑顔で言いながら心を壊して廃人化した人も沢山見てきましたので、ちょっと心配です。今は凛さんや未央さんがいるので大丈夫でしょうけど、要経過観察ですね。
とりあえずこれで後顧の憂いは断ちました。後はアイドルフェス目掛けて突撃あるのみです。
そして祭りの後には前世の記憶を消さないと決めた私にとって大きなイベントが控えています。
その両方を乗り越えた時、私はどんな心境に至るのか。
正直想像すらできませんが、昔のアニメの次回予告のように『七星朱鷺 大勝利! 希望の未来へレディ・ゴーッ!!』的な明るい展開になることを切に願いました。