ブラック企業社員がアイドルになりました 作:kuzunoha
城スタート。
絶望の城スタートです。
私にとって黒歴史のメッカになった346プロダクションの社屋を前にして、またもや途方に暮れていました。二学期の後半になってからなぜか苦労続きな気がします。
本日は11月も終わりに近い日曜日ですが、346プロダクションの四人組新アイドルユニット、そのメンバーとの初顔合わせの日でありました。全てはここから始まってしまうのです。
私にとってこの城はシンデレラ城ではなく、悪魔城なのでした。そう、ドラキュラです。
集合時間20分前ですので、もう行かなければなりません。重い腰を上げて以前と同じようにエントランスに向かってとぼとぼと歩き始めました。
入館前に脱いだお気に入りの白いロングコートを右手に抱え受付で応対の女性に名前と用件を告げると、先日とは違う場所に行くよう指示されました。
オフィス棟にある該当の場所に着くと中々大きい会議室が目に入りました。
恐らくここで初顔合わせとなるのでしょう。私も累計ではいい年ですがどんなメンバーがいるのかわからないので流石に緊張します。
既に来られているメンバーの方がいるかもしれないので、念のため心を落ち着けて入室の準備をしました。
「おはようございます! 七星朱鷺です、よろしくお願いします!」
3回ノックをしてから、扉を開けると同時に営業スマイルを浮かべつつ元気に挨拶をしました。どの業界でも第一印象は非常に大事ですので手抜きはせずにしっかり丁寧にやりました。
室内に入ると、教室形式で横一列に並べられた会議机の後ろの椅子に三人の美少女がこれまた横一列で座っています。
皆さん若く見えますね。私と同じくらいの年齢の子達ですがそれぞれ受ける印象は違ったものでした。
なんか子リスの様にオドオドしている子、決死の表情で悲壮感漂う子、目立つエクステを付けて
その場を一瞬沈黙が支配します。ん!? まちがったかな……。
「……ぁっ」
「お、おはよう、ございます」
「やぁ、おはよう」
一応返事らしきものは返ってきたので、完全に無視されたのではないとわかりほっとします。とりあえずそそくさと中に入り、空いている一番左の席にちょこんと座りました。
「…………」
誰一人喋らないのでとても間が持ちません。指で髪の毛をいじりつつ、短いけど神経を削る時間を必死で耐えていると、犬神P(プロデューサー)が入ってきました。
「みんな、おはよう!」
先日私を号泣させたあの憎きイケメンボイスで挨拶をされました。なぜ私を合格させたのか小一時間ほど泣くまで問い詰めたいのですが、周りの目もあるのでとりあえず後にしましょう。
「おはようございます! 七星朱鷺です、よろしくお願いします!」
「ぁ……」
「おはよう、ございます」
「あぁ、久しぶりだね」
それに対する反応は四者四様でした。
「待たせてしまったようですまないね。それでは始めようか」
咳払い一つして続けます。
「みんな、まずは──本当におめでとう!! この4人が346プロダクションの新プロジェクトの全メンバーだ。そして俺がその新プロジェクトのプロデューサーの犬神だ!
これから色々なことがあるだろうが、みんなで力を合わせて団結してトップアイドルグループを目指して頑張っていきたいと思っている。だからみんな、よろしくな!」
お会いするのはこれで二度目ですが、面接時よりだいぶフランクな感じです。前回はお客さんでしたが今回は仲間、そういう違いを演出しているのでしょうか。まだまだ尻の青い小童の癖に
「じゃあ、まずはお互いに自己紹介から始めよう! では右の席から順に前へ出て自己紹介をしてくれ」
一番右の席は子リスさん(暫定)でしたのでまず子リスさんですね。一瞬ビクッとした後、ひどく緊張した面持ちでふらふらと前に出てきました。
「あの……もっ、もりくぼですけど……。あ、はい、
まさかの爆弾発言です。新プロジェクトは開始50秒で終わってしまいました。確かに自己紹介はある程度のインパクトは必要ですが、これは相当な破壊力です。
私も入社当日朝の挨拶で『辞めます』と言った人は見たことありませんでしたよ。入社当日の昼とか夕方に脱走したケースならしょっちゅうあったのですが。
犬神Pの顔面が若干面白いことになっていますが、こちらも彼に合格させられた恨みがありますのであえて助け舟は出しません。大人なんですから自分で頑張りましょう。
「いやいやいや、まだ始まってもないから! とりあえず今日だけでも頑張ろう! ね!?」
そういってなだめます。なんだかPって大変そうですね。転職先候補リストには入れないようにしておきます。
犬神Pが森久保さんを一通り落ち着かせた後、次の人の自己紹介になりました。
二人目は悲壮感さん(暫定)です。なんだか暗い暗~い足取りで前に出てきました。SSR全力一点狙いで大爆死でもしたような表情です。誰とはいいませんが。
「は、はじめまして。
う~ん、こっちの子はこっちの子で中々にインパクトがあります。サークルクラッシャーならぬプロダクションクラッシャーですか。
たま~にいるんですよね、こういう間の悪い子。そしてその間の悪さを自分のせいにしてしまう真面目さがなんだか危うい感じです。
プロダクションの倒産なんて、その会社の社長が無能だっただけですから『俺は悪くねぇっ!』と某赤髪王子のように開き直ればいいのですよ。実際彼はあまり悪くなかったですし。
私なんて働いてたブラック企業が二度目の不渡り出して潰れた時、速攻で同僚と居酒屋行った上に祝杯あげて大爆笑してましたもん。世の中その程度のノリで案外大丈夫なんですって。
「み、346プロダクションは大手だから絶対大丈夫だよ! 白菊さん!」
犬神Pがそう励まします。この時点で、面接時の敏腕若手社員のイメージはすっかり消し飛んでいました。
三人目は
「やぁ、ボクはアスカ。
この時スマホの電源を切っていたのはこの日一番の失敗でした。
今の自己紹介動画を20年後の彼女とその子供達に見せてあげたら、ご家庭内が中々愉快なことになっていたでしょうね。あぁ、惜しかったなぁ(笑)。
一応私も肉体的には思春期の14歳ですが貴方が言うような思春期の14歳なんてそんなにはいませんと断言して差し上げます。いや、九州の辺りまで探せば結構いるかもしれません。
「……あぁ、宜しくね」
犬神Pがやや力なく応えますが、なんだか少し老けたような気がします。
さて、最後は私ですか。朱鷺だけにトリとはどうにも面倒ですが仕方ありません。いつもの営業スマイルを作ってからテクテクと前に出ます。
「皆さん初めまして、七星朱鷺と申します。14歳の中学二年生です!
七星は言葉のとおり七つの星と書きます。朱鷺っていう字はわかりにくいですが、トは朱色の朱、キは鳥の上に道路の路を足したものです。絶滅危惧種のあの鳥と同じ名前なので、この機会にぜひ字も覚えて頂ければと思います!
趣味は料理とお菓子作りで、簡単なものであれば教えられると思いますので興味のある方は是非ご相談下さい♪
本日所属ですので色々と至らないところもありますが、皆さんの足を引っ張らないためにも頑張ってついていくよう精一杯努力しますので、どうぞよろしくお願い致します!」
事前に丸暗記しておいた平凡な自己紹介をわざとらしく抑揚を付けて吐き出して一礼すると、また席に戻りました。
関西在住の方々が聞いたら『話のオチがないやんか!』と怒られそうなほど無難な内容ですが、相手がどんな人間か詳細がわからない以上冒険するのは危険ですから仕方ありません。
しかしこう濃いメンバーに囲まれると、私なんてモブアイドルAと同じ位のキャラ立ちですね。うすしおです。
犬神Pがやっとほっとした顔をしていました。
「じゃあ、皆の今後のスケジュールについて説明しようか!」
その後は今後のスケジュールの話になりました。当面平日は放課後、土曜日は終日レッスンになるようです。また、自主的に練習したい場合は日曜日に来ても構わないとのことでした。
そして肝心のお仕事ですが、約1ヵ月半後に某大型商業施設内のステージでデビューミニライブをするそうです。一般のアーティストもたまにライブをやっているような
正直デビューライブなんて小規模なライブハウスが関の山かと思っていましたが、犬神Pのことを見くびっていたようです。
ただ、それ以外の仕事が入っていないのが少し気になりました。
「決まっているお仕事はデビューミニライブだけですか。これって、あの346プロダクションの新プロジェクトですよね? 大変失礼ですが少ないような気が……」
「あ、いや、色々とね……」
思わず口にすると犬神Pの顔が少し引き
本来新プロジェクトは10月中旬には始動し、レッスンを経て12月頭に華々しくデビューする予定でした。フレッシュなイメージで年末の色々なイベントを見込み各方面に積極的に売り込みをかけていく方針だったのです。その頃は部内の期待も結構高く、予算もいっぱいありました。
しかし、四人目のメンバーが中々決まりませんでした。一時は三人でデビューと言う話も出たのですが、犬神Pが四人目のメンバーにこだわり自己裁量で新プロジェクトの始動を延期しました。
そのため予算は圧縮され、本来は新プロジェクトが担当するはずのお仕事がどんどん別のアイドルに回されていったとのことでした。
四人目枠で入ったらしい私にとっては何ともめまいのするような話ですね。
幻の四人目を探すためとはいえ、期待の高い新プロジェクトが始まりもせずに停滞すると一体どんなことが起こるか簡単に考えて見ましょう。
間違いなく部内は
横浜を本拠地とするビースターズなら5連敗しても私を含め誰も何も言いませんが、大人気球団のキャッツが5連敗するとひどく叩かれるのはこのためです。希望と絶望は表裏一体なのです。
そうやってどんどん縮小再生産を続けるうちにデッドエンド、ガラガラポンとなるわけです。
そんな死にプロジェクトを何度も目にしてきた私が言うのですから間違いありません。あまり自慢にはなりませんけど。
とは言え一概に犬神Pを責めることはできないでしょう。今日の第一印象でしかありませんが、私では森久保さん、白菊さん、二宮さんの三人だけで大成功させるプランが中々思いつきません。
それぞれ素晴らしい個性をお持ちの超絶美少女ですが、グループで成功するにはチームワークが欠かせません。しかしチームを中から
誰か彼女達を上手くサポートしてあげるポジションの人が必要でしょう。
はてさて、そんな苦労をする奇特な人は一体誰なのでしょうかねぇ。
「すみません……。すみません!」
犬神Pの内情話が終わると、顔面蒼白の白菊さんがこう言いながら何度も何度も私達に頭を下げてきました。
恐らく自分がいるからこんな事態になったと思っているんでしょうが、単にタイミングが合わなかっただけで誰が悪い訳でもないのです。ビジネスには往々にしてあることです。
「白菊さん、君のせいじゃないから! 俺のせいだから謝らなくていいんだよ!」
そう言って犬神Pがなぐさめます。何とも前途多難な出だしですが、こういうスタートは普通によくあることなので別に驚きはしません。
私としては完璧にお膳立てされた順風満帆なスタートの方が逆に怖いので、これぐらい混迷としていた方がかえってやりやすいです。
その後犬神Pが重大発表があると言って一旦事務所に戻られたので、しばし待ちます。するとB2サイズくらいの紙を持って戻ってきました。
「では、君達のグループ名を発表しよう!」
そう言ってB2サイズの紙をひっくり返し、こちらに見せました。綺麗な星のマークと、Cometというアルファベットが表示されています。中々いいデザインだったのできっとデザイナーの方が頑張ったのでしょう。
「君達のグループ名は『Comet(コメット)』! 日本語で彗星と言う意味だ。このアイドル界に彗星のように現れて、颯爽とトップアイドルに駆け上がっていって欲しい!」
犬神Pはそう言ってドヤ顔をしました。可愛い可愛い某アイドルとは違い、男のドヤ顔に需要はないので別にやらなくていいです。
「まぁ、とても素敵ですね(棒読み)」
「コメット、ですかぁ……」
「あ、かわいいと思います」
「ボクとしてはもう少しカッコいいグループ名がいいけど、仕方ないかな」
四人の反応は様々でした。
しかし彗星ですか。正直なところ赤くて三倍速なロリコン兼マザコンしかぱっと思い浮かびませんでしたが、コメットであればゆるふわ系四コマ漫画の様に四文字で呼びやすいですし語感もかわいいのでまぁ良いと思います。
そして、本日最後はリーダー決めの話になりました。
「それじゃあ誰かリーダーをやりたい人いるかな? いるなら手を挙げてね」
「…………」
誰も手を上げませんが仕方がないです。そんな面倒なことをやりたいはずがありません。
「立候補者なし、か。じゃあ七星さんとかどうかな? 明るくて面倒見もよさそうだし!」
このワンちゃん、なんかとんでもないことを言い始めましたよ。
「ぁ、……それで、いいです」
「私も問題ありません」
「そうだね、ヨロシク頼むよ」
森久保さん、白菊さん、二宮さんが次々と同意します。
冗談ではないです。なぜ私がそんな面倒くさいことをやらねばならないのですか!
完全に決まる前に他の方へ丸投げしましょう。
「あ、あの、二宮さんはとっても格好いいからリーダー向きだと思うんですけど!」
「ボクかい? 悪いけど、リーダーなんてガラじゃないのさ。いわゆる中二なんで、ね」
二宮さんに振ってみましたがダメそうです。私も肉体的には中二なんですけどねぇ。
「じゃあ白菊さんとか、とても真面目そうだからいいと思います!」
「すみません、私なんてリーダーになったら直ぐ解散しちゃうんじゃ……」
白菊さんの顔面がまた白くなってしまいました。これはちょっと無理そうです。
「なら、意外性を重視して森久保さんなんてどうでしょうか!」
「えぇぇ……! リーダーとか、むーりぃー……」
うん、知ってました。
「ボクはキミが適任だと思うな。背が高くてとても綺麗だからリーダーとして映えるよ」
うぐぅ。不意のほめ言葉についついキュンときてしまいました。この子いい子ですね。
二宮さんがダメ押しをしてきましたがなんとかできないものでしょうか。
「いや、でも私今日所属なので、荷が重……」
「そうだね、みんな七星さんがいいよね! ハイ決定!」
私の言葉を遮って犬神Pが凄い勢いで畳み掛けてきました。その後も抵抗しましたが、多数決の結果三人に勝てるわけがなく私がリーダーということになってしまいました。
たまには少数決で決めて欲しいです。私はあまり頭が良くないので必勝法はわかりませんけど。
今日の話としてはそんなところで、その後は早々に解散となりました。
私はまだ所属の最終手続きと宣材写真の撮影が残っていたので、撮影予定時間が来るまで別室で手続きを行います。
森久保さん、白菊さん、二宮さんの三人は既に346プロダクションに所属済で、先日女子寮に入寮したばかりとのことなのでその後は自由行動であり、机の下に隠れてたり、処刑場に向かうような面持ちで自主レッスンに行ったり、スタイリッシュに
これもうわかりませんね。
事務所での最終手続きは淡々と進み、最後に専属契約書の締結と相成りました。
この瞬間は待っていなかったのですが、どうにも仕方がありません。渋々専属契約書に署名し七星と彫られた安っぽい三文判で捺印をします。もう観念するしかありません。
あぁ……さようなら、競馬と麻雀とB級映画とレトロゲームRTA(リアル・タイム・アタック)三昧の怠惰な生活。大変お名残惜しゅうございますが、暫しのお別れです。皆様お達者で。
次の瞬間、頭の中で懐かしいブレーカースイッチが14年ぶりにバチンッ!! と音を立てて切り替わりました。この感覚は久しぶりなのでちょっとクラクラしたかもしれません。
さて、これで私は晴れて『
プロとして与えられた仕事に対してきちんと報酬が発生する以上、もう中途半端な気持ちではいられません。
歌でも踊りでも着ぐるみでもバンジーでもスカイダイビングでも、えっちぃポーズだってどんと来いです! 何でもはしませんけど。
『累計年齢50歳のオジサンがフリッフリした服を着て全世界にその痴態を晒すのか』と笑われるかもしれませんが、実に良いじゃないですか! ガンガンに晒してあげますよ。
世の中、狂気の沙汰ほど面白いものはないのです。チキンレースではそのまま海へダイブする方が生き残れるのです。
スイッチ切り替え後のこの状態が私の『お仕事モード』です。
容易に妥協することなく、私情をあまり持ち込まず、どんな状態でも100%最高のパフォーマンスを発揮する、そんなモードです。
多少のブレはありますが、雇用契約書にサインしたときがオン、離職票を受け取ったときがオフになります。
こんなモードでも作らないとお布団の訪問販売や教育商材の営業はとてもできませんでした。どちらも詐欺に近かったので頃合いを見て辞めましたけど。
前世の数少ない自慢ですが、私はプロとして与えられた仕事を自分から投げ出したのは過労死した時だけです。
やりがいのある理想の仕事を求めて数十社のブラック企業を渡ってきましたが、自分から仕事を投げ出して逃亡したことはありません。
どんなブラック企業であっても毎回きっちりと仕事を完了させ、退職時にもきちんと引継ぎを終えてから円満に退社していました。
そんな精神は現世でも変わりはしません。プロのアイドルになってしまった以上、全力でお仕事に望まなければならないのです。
新人アイドルとしてのとりあえずの小目標は約1ヵ月半後に控えたデビューミニライブを成功させることです。
ここをきっちり抑えれば、コメットに対するアイドル事業部の評価はだいぶ改善するでしょう。そうすればお仕事も回ってきますし予算も増えると思います。
そのためには私自身のレッスンもそうですが、あの三人もどうにかしなければなりません。
『自分を成長させる』、『仲間もサポートする』。
両方やらなくっちゃあならないのがリーダーの辛いところです。ちなみにスイッチ切り替え時に『覚悟完了』済ですので、もはやまい進する以外に選択肢はありません。
でも、できれば後86年くらいだらだらしていたかったです。