ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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第57話 物理と化学

「あー、もう滅茶苦茶ですよ。どうしてくれるんですかこれ……」

「あ、あの、朱鷺さん。そんなに股を広げるとショーツが見えますけど」

 プロジェクトルーム内に設置されたマッサージチェアに座っているとほたるちゃんから注意されました。だらしなくしているので下着が見えているようです。

「別に減るものじゃないからいいですよ。どうせ私のパンツに需要なんてありませんし。……ケッ!」

「どうしたんだい? 今日は珍しく荒れているじゃないか」

「何か悩みがあるなら相談に乗りますけど……」

 アスカちゃんと乃々ちゃんが心配そうな表情を浮かべます。

「原因はこれですよ、これ!」

 その場から立ち上がり、手にしていた雑誌をテーブルの上に叩きつけました。表面には『月刊ホビーワールド 10月号』と言う文字と格好いいポーズを決めたZガンダムのプラモデルの写真が印刷されています。

 

「これって朱鷺さんがコラムを連載している雑誌ですよね?」

「はい。現代では希少となった紙媒体の模型雑誌です。ガンダムの模型商品に関しては最大の広告塔といえるメディアですから、応援の意味も込めてこれまで格安のギャラでコラムを書いたりガンプラの宣伝をしてきました」

「その雑誌と、キミの機嫌の悪いことがどう関係するのかな?」

「今までの献身的な仕事による貢献が雑誌社にも認められまして、今月号から私をモチーフとしたキャラが主役の小説が連載されることになったんです。『機動戦士ガンダム外伝 鮮血のクレステッド・アイビス』という立派なタイトルまで付けて頂きました」

「おめでとうございます……」

 小説の舞台となるのが宇宙世紀で、しかも1年戦争モノというのが特に嬉しい点です。戦争末期のソロモン戦とア・バオア・クー戦を駆け抜けたジオン軍女性エースパイロット(しかも美人)が歴史の闇の中を暗躍し、宇宙海賊『ブラッディ・シンデレラ』として台頭する姿を描くと事前に伺っていました。

 作者さんはまだ若いもののホビーワールド上で複数のガンダム小説を連載していた実力派でして、モビルスーツ戦やミリタリー的な表現に定評がある方です。作品の品質も毎回高いレベルで安定していますからこの人に任せておけば大丈夫と完全に安心し切っていました。

 

「本当に心から楽しみにしていたんですよ。それこそ雑誌の発売日を指折り数えて待つくらいにはね……」

 特にこの数日はサンタクロースの来訪を待つ純真無垢な子供のような心境でした。

「そんなにダメだったんですか?」

「……そういう訳ではありません。確かに内容は面白かったですし、主人公は無双と言っていい程大活躍しました。だからこそ、より一層腹が立つんです」

「朱鷺ちゃんが怒っている理由がますますわからなくなりましたけど……」

「では読んでみて下さい。それで全てが理解できるはずです」

 雑誌を開き小説が載っているページを広げます。それをアスカちゃん達に渡しました。

「ボク達はガンダムには明るくないけど、大丈夫かい?」

「ええ、全く問題はありませんから大丈夫ですよ」

 すると三人が該当の小説を回し読み始めました。読み終わるとどんなリアクションをしていいのか困ったような顔になります。

 

「お分かり頂けたでしょうか」

 私が問いかけると皆一様に首を縦に振ります。

「それでは情報共有が出来たところで、私から本作最大の不満点を述べさせて頂きます」

「はい、どうぞ……」

 ゆっくり深呼吸し、言葉を続けます。

「開始二十行で乗機が撃破されて、後は全て肉弾戦ってどういうことですかーー!」

 私の魂の叫びがルーム内に木霊しました。

 

「確かにその点は問題だけど、全体的には面白かったじゃないか。主人公が撃墜された後、敵の戦艦に乗り込み素手や銃で敵兵士をなぎ倒すところは面白かったよ。キミが以前此処で上映した『コマンドー』という映画みたいでさ。……フフッ」

 アスカちゃんが必死で笑いを堪えています。

「私は筋肉モリモリマッチョマンの変態ではないんです! 無双しなくてもいいですから、せめてガンダムらしくモビルスーツで戦って下さい!」

「素手で首をへし折ったり投げナイフで眉間を貫いたりしてましたしね」

「でも、朱鷺ちゃんっぽくはあります……」

「そんなところまでモチーフに忠実にしなくていいから!」

 主人公の人物描写と簡単な状況説明が終わって、さあ物語の始まりだと思った瞬間に撃墜されたので一瞬何事かと思いましたよ。そうしたら間一髪で脱出してマゼラン級(敵戦艦)に潜入し、CQC(近接格闘)で無双し始めましたから流石に草も生えませんでした。結局乗組員を抹殺し鹵獲したジムで艦橋を爆破して第一話は終わりです。

 ねぇ、この展開をガンダムでやる必要ってあるの?

 

「また狂化人間とかGガンダムでやれとか言われてファンから馬鹿にされますよ……」

 思わず頭を抱えてしまいます。

「こ、今回はこうなってしまいましたけど、次回からは大丈夫ですってっ!」

「編集長に猛クレームを入れたところ、一応次回からは普通の展開で主人公専用の改良型ヅダも出す予定だとは言っていました」

「なら良かったじゃないか」

「予告無しでこういう仕打ちをしてくる方々なので信用はできませんけどね。

 ……まぁいいです。今回は清純派アイドルらしい寛大な心で許してあげますよ。ですがもし次回も同じような展開だったら小説を現実に変えて差し上げましょう。フフッ……。ハハハハッ!」

「そういう恐ろしい表情は止めた方がいい気がします……」

 乃々ちゃんの控えめな注意が虚しく消えていきました。

 

 

 

「じゅうべえ~じゅうべえ~、砕けて散った♪ 残った破片は硫酸に漬けろ~♪」

 その翌日は『じゅうべえくえすと』のディスソングを口ずさみながら346プロダクションの社屋を練り歩きました。 ちなみに有名な童謡の『ちょうちょ』をアレンジした替え歌ソングです。

 以前RTAで抱いた憤りと憎しみは今でも忘れていませんし、昨日の怒りがまだ残っているので自然と恨み節が出てしまいました。

 

 そのままエレベータに乗り一番上のボタンを押します。最上階は役員フロアになっており社長や副社長など偉い人の執務室が設けられているのです。降りて直ぐの場所に目的地はありました。

「銀の翼に希望を乗せて、灯せ平和の青信号! 勇者特急七星朱鷺、定刻通りにただいま到着! ……なんちゃって」

 美城常務の執務室前で足を止めます。

 なぜかはわかりませんが今日学校が終わったら執務室に来るよう彼女から呼び出しを喰らいました。てっきり私の顔など見たくもないだろうと思っていたので意外です。

 詳細は直接話すとのことでしたがもしかして解雇通知を受けてしまうのかもしれません。いや、そんなことをしたらまた『カーニバルダヨ!』とお伝えしていたのでその線はないですか。

「失礼します、七星です」

「……君か。入りなさい」

 ドアをノックすると入室を促されたのでそのまま内に入ります。部屋の中では美城常務が碇ゲンドウみたいな意味深ポーズをして椅子に座っていました。

 

「おはようございます。本日はどのようなご用件でしょうか」

「そんなに急ぐことはないだろう。そこに掛けたまえ」

「……わかりました」

 最近の彼女にしては珍しく余裕のある表情です。少し引っかかったものの促されるまま来客用のソファーに掛けました。向かい側に腰掛けた常務が言葉を続けます。

 

「プロジェクトクローネの件は君も知っているな?」

「ええ。常務さんが秋の定例ライブに向けて立ち上げた新企画ですよね」

 346プロダクションのブランドイメージを確立させるに足るアイドル達を中心にした新企画────それがプロジェクトクローネです。面白そうな企画ですし各メンバーは自分の意志で参加を希望したとのことなので妨害活動はせずにその動きを見守ってきました。

 これまで美城常務は楓さんを大々的に売り出そうとするなど色々な企画を立てていましたが、アイドル達の気持ちをないがしろにしたことが仇となり尽く失敗していましたので本企画には相当賭けているようです。確かにクローネが大ヒットすればこれまで被った汚名を返上することも可能でしょう。

 一連のカーニバルやスポンサーの降板騒動がなければこんな苦境には陥らなかったのにねぇ。全く、世の中には酷いことをするド外道がいるものです。

 

「かつての芸能界のようなスター性、別世界のような物語性を確立するための第一歩がプロジェクトクローネだ。十名前後の選りすぐりのアイドル達で構成し、かつてのアイドルが備えていたスター性を追求する。

 残念ながら二宮飛鳥とアナスタシアからは辞退するとの回答があったが、シンデレラプロジェクトの渋谷凛を含む内定者で始動する予定だ」

「そうなんですか」

 勧誘については先日アスカちゃんから経緯を伺いました。超絶上から目線のお誘いだったので、条件反射で彼女の中二病マインドが疼いてしまったそうです。アナスタシアさんも今はラブライカ一筋というか美波さん一筋なので掛け持ちは選択肢に入らなかったとのことです。

 欠員メンバーの発生と聞いて、今日呼び出された理由がはっきりわかりました!

 

「お誘いはとても嬉しいですけど、私にはコメットがありますからクローネに参加する訳にはいかないですよ!」

「……君は何を言っている?」

「え? だってクローネに参加してほしいというお話でしょう? 美しいお城には美しいお姫様が必要ですから、私を必要とする気持ちはよ~くわかりますとも!」

 すると苦虫を百匹くらい噛み潰したような表情に変化しました。コイツ正気かと常務が目で訴えてきます。

「何をどう解釈すればそのような考えに行き着くのか、私には理解出来ないな。一応念のため言っておくが君をクローネに迎える気はない。例えこの命と引き換えにしても絶対に阻止する」

「そこまでの覚悟っ!?」

 お姫様のように純真で清純なアイドルといえば私なのは確定的に明らかでしょう! 論外扱いされるのは大変遺憾です。

 

「違うのでしたらなぜ私が呼ばれたのですか?」

「では率直に言おう。君にはプロジェクトクローネのサポート役を務めて貰いたい」

 呼び出しの意図が分からなくなったので思い切って訊いてみるとそんな回答が返ってきました。

「またサポートですか。私はコールセンターやヘルプデスクではないんですけど」

「君は以前シンデレラプロジェクトのフォローを積極的に行いアイドル達を助けたそうだな。前川みくのストライキ未遂や本田未央の引退騒動、新田美波の負担軽減など要所要所で素晴らしい働きをしたと武内P(プロデューサー)から報告が上がっている」

「別に大したことはしていませんよ。結局問題を解決したのは彼女達自身の力ですから」

「成果は成果だ。謙遜しなくていい。その力をプロジェクトクローネのために奮ってくれたまえ」

「貴女の大切な企画を獅子身中の虫である私に任せていいんですか? サポートと称して内部からクローネを食い潰すかもしれませんよ? 御存知の通り私は故あらば躊躇なく寝返る女ですから」

 ここに来てまだ平和ボケをしているのか、それとも何か意図があって話を振ってきたのかがわからないので真意を探ります。

 

「プロジェクトクローネのメンバーも346プロダクション所属のアイドルであることに違いはない。君は私や会社は潰せてもアイドル達を傷付けることは出来ないだろう。私が知っている七星朱鷺というアイドルは仲間を裏切らない────いや、絶対に裏切ることが出来ないのだからな」

 そう言いながら意地悪気な笑みを浮かべます。美城常務としてはクローネが成功すれば自分の手柄にできますし、失敗すれば私に責任を押し付けられるのでどちらに転んでも損はしないという訳ですね。今までの意趣返しとしては可愛い内容ですから別に構いはしません。

 

「仰る通りです。だいぶ私のことを理解して頂けたようで何よりです」

「……嫌でも理解せざるを得なかっただけだがな」

「関係者の気持ちを考えながら行動するのはビジネスとプライベートを問わず大切です。今後は他のアイドル達の気持ちも考えた上で仕事を進めて頂けるときっと上手くいくと思いますよ」

「考えておこう。それで、サポート役の件の回答がまだだが?」

「正式な回答は犬神Pに話を通してからになりますが、私としては条件付きでOKです」

「その条件とは?」

「候補者が二名参加を辞退したとのことであれば当然補充を行う必要があるはずです。その人選と交渉を私に一任して貰えませんか」

「プロジェクトクローネのメンバーは誰でも良いという訳ではない。まずはその候補者が適正か否かを確認する必要がある」

 彼女の質問を受けて二人の候補者の名前をお伝えしました。

 

「そう来たか。どういう基準で選定したのか、理由を説明して貰おう」

「一人目の方はなぜ今まで候補外だったのかが不思議です。フレデリカさんが入っていて彼女がいないのは非常に違和感がありますもの。常務さんであれば早い内に声を掛けていてもおかしくはないはずですけど」

「……言動が自由過ぎるアイドルナンバーワンとナンバーツーを組み込むと美城の威厳が一気に崩壊しかねないという懸念がある」

「フレデリカさんが居る時点で威厳も何もあったものじゃない気がしますけどね。そもそもクローネのメンバーってどういう基準で選ばれたんですか?」

「ビジュアル面を重視し、私が定める基準をクリアしたアイドル達の中から選定した」

「なるほど、フレデリカさんであれば天然の金髪碧眼とフランス人形のように美麗な外見に一目惚れしたと。ちなみに採用にあたり常務さんの方で面接はされたんでしょうか?」

「……していない。そういう業務は部下に任せている」

「あっ。ふ~ん……」

「人は見た目が九割だという研究結果がある。彼女の外見は正に姫と言えるので大丈夫だろう……きっと」

 必死で自己暗示しているように見えます。

 この瞬間、私の中における常務の称号が『バリキャリ』から『ポンコツジョウム』に切り替わったような気がしました。

 

「でも言動が自由な点が彼女達の最大の魅力だと思いますよ。品行方正な私では真似できません」

「悪い冗談が聞こえたが気のせいか。君は存在自体がカオスなアイドルナンバーワンなので安心するといい。他の追随を許さない腹黒さと陰湿さにはこの私も感服する」

「…………」

 ここまでドストレートにディスられるといっそ清々しいですね。こんにゃろめい!

「話が脱線したので戻します。確かにフリーダムになり過ぎるのではとの懸念はありますが、彼女とフレデリカさんのシナジー効果は大きな成果を生むはずです。成果を第一に考える常務さんにとって機会損失を見逃すことは出来ないと思いますけど」

「それはそうだがな……」

「上手くサポートしますから安心して下さい。それにあの子をメンバーに選んだのは私ですから、万一大惨事になった場合は私に責任を押し付けて頂いて構いませんよ」

「では君に任せることにしよう。その手腕であの気まぐれな猫達を上手く制御してくれ給え」

「ありがとうございます」

 意外とあっさり承諾頂けました。問題が起きたら私のせいに出来るという点が好印象だったのでしょう。

 

「二人目の方はプロジェクト全体の取り纏め役として必要だと思います。クローネにはリーダー適性の高い奏さんが既にいますが彼女を含め皆アイドルとしてのキャリアがまだ浅いですから、ある程度経験値の高い子が加わると安定感がグッと増すと思います」

「経験に勝るものなし、ということか」

「はい。私はあくまでサポートですので内部から皆を支える方は一人でも多い方がいいでしょう。それに被害担当艦役の常識人がいた方が皆も楽しいですし、今後の彼女にとっても大きなプラスになるはずです」

「そちらについても了承しよう。彼女はクローネに相応しい優れたアイドルだからな。以前声を掛けた時には断られてしまったので説得して貰えると大いに助かる」

「ご理解頂けて何よりです。私が責任を持って勧誘しますので少々お待ち下さい。但し既存の活動を並行して続けることは認めて下さいね」

「わかった。それくらいの条件は飲まざるを得ないだろう」

「ありがとうございます。それではクローネのサポート役を謹んでお受け致します」

 笑顔のまま快く引き受けました。美城常務に言われるまでもなくクローネの皆さんを手助けするつもりでしたから何も変わりはしません。むしろ常務のお墨付きを頂きましたから動きやすくなりましたし、彼女に恩を売れたので一石二鳥です。

 

 それにしてもやはり常務は一角の人物のようです。カーニバルやスポンサーへの圧力であれだけ酷い目に遭わされましたから、常人であれば私を恐れて遠ざけようとするか怒り狂って潰そうとするでしょう。

 自分の肝入りの企画を成功に導くためとはいえ、猛毒に変ずる可能性がある劇薬を敢えて取り入れようとする気概には恐れ入りました。言動には色々と問題がありますが、清濁併せ呑む度量はありますしアイドル事業部を成功に導きたいという気持ちは私と同じです。

 今は敵対関係ですが彼女のことは嫌いではありませんし歩み寄る気もありますので、切っ掛けがあれば和解したいのですけど。

 

「それでは、失礼します」

「サポートの件については私から犬神Pに直接話をしておこう。吉報を待っている」

 そのまま常務室を後にしました。善は急げと言いますから今日明日中に勧誘を済ませましょう。

 とりあえずスマホを取り出し一人目の勧誘対象に電話しました。

『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません。誠に申し訳ございませんが……』

「案の定、出やしませんか」

 機械的なメッセージを確認した後で通話を終了します。文明の利器もこうなってしまっては仕方ありません。幸い本日は事務所には来ているそうなので直接足で捜査することにします。

 以前乃々ちゃんを捜した時と同様に『トキ(北斗の拳)と同じ程度の能力』で気配の察知を始めました。彼女が発する気は常人とはやや異なっているので探査範囲に入れば直ぐにわかります。

「サーチモード起動。ターゲットの捜索を開始します」

 気分出しのセリフを呟きつつ、事務所内をくまなく捜すことにしました。

 

 

 

「この辺りから気配がしたはず……」

 独り言を呟きながら休憩室を覗くと、捜していた子がソファーの上で寝そべっていました。部屋の中に入ると私の存在に気付いたようです。

「フンフン……こっちにいい匂いが……って思ったら朱鷺ちゃんだ~」

「おはようございます、志希さん。姿が見えないので心配しましたよ」

「いなくなっても心配いらなーい。ただの失踪だから♪」

「いや、普通だったら大事件ですって!」

「大丈夫大丈夫!」

 一切悪びれず朗らかに答えました。眼前の少女こそプロジェクトクローネ追加メンバーの一人目────一ノ瀬志希さんです。

 

 一見すると制服を着た普通の女子高生ですが、実は化学分野の『ギフテッド』────いわゆるひとつの天才です。興味が3分しか持続しない上に待つのが苦手でよく失踪するという特性があり、海外在住のお父さんを追いかけて海外留学し飛び級するも、周囲とのレベル差のためか『つまんないから』の一言で帰国されました。

 その後よさげな実験材料に見えた担当Pに声を掛け、何の因果かアイドル活動を始めたそうです。346プロダクションの中でも特に個性が強いアイドルの一人と言えます。

 

「はい、お一つどうぞ」

「さんきゅ~♪」

 自動販売機で買った缶コーヒーを手渡すとゆっくり口を付けました。

「キミと寝覚めのコーヒーも悪くないにゃあ。専用の薬剤があるけど、要る?」

「いいえ。私は遠慮しておきます」

「……クンクン。朱鷺ちゃんのイイ匂い~、ふにゃ~♪」

「聞いちゃいませんね、この子は……」

 このまま彼女のペースに巻き込まれていると話が進まないので一旦咳払いをしてから本題に入ることにします。

「……コホン。今日は志希さんに用があってきたんですよ」

「あたしに用? 一体全体何かな~」

「単刀直入に言います。最近話題になっているプロジェクトクローネ、そのメンバーになりませんか?」

「ふにゃ?」

 すると子猫のように首を傾げます。彼女の興味が持続している内に企画の趣旨や今までの経緯、私がサポート役になることなどを手短に説明しました。

 

「どうでしょう。奏さん達と一緒にやってみる気はないですか?」

「別世界のような物語性ねー……。あんまりピンとこないな~」

 淡々と言葉を紡ぎます。私の話をどう受け止めたのか、その表情からは読みとれませんでした。

「断ってもペナルティはないですけど、私としては志希さんにはクローネに入って欲しいです」

「ふんふん……でも、あたしはあのジョームちゃんの言いなりになる気はないよー。『キコクシジョだからニホンゴワカリマセーン!』って逃げるしー♪」

「それはそれで良いと思います。クローネに入ったからといって美城常務に絶対服従する必要はありませんよ」

「言うことを素直に聞くカワイイ子は沢山いると思うけど、朱鷺ちゃんはなんであたしをクローネに入れたいのかなー?」

 訝しげな視線が送られました。

 

「だって絶対に面白いじゃないですか! 志希さんとフレデリカさんが同じプロジェクトのメンバーだなんて!」

「面白い?」

 志希さんが少し驚いた様子で目をパチクリさせました。

「お二人はプライベートでは予測不可能な名コンビでしたけど、担当Pが違うのでこれまで一緒にお仕事をする機会は殆ど無かったはずです。一方クローネはPの垣根を越えた選抜メンバーですからこの機に是非組ませたいと思ったんですよ。

 今のクローネは確かに優秀ですけど何となく面白みに欠けていますから、もっとオモシロ成分を補充したいんです」

「にゃっはっは! 随分自分勝手な理由だね♪」

「私は言いたいことを言いやりたいことをやるタイプらしいので仕方ありません」

 彼女達を組ませることが出来るチャンスはファンとして見逃せませんでした。以前志希さんからもフレデリカさんと一緒に仕事をしてみたいという話を聞いたことがあったので、いい機会だと思います。

 

「科学や数学みたいな、常に一定の解を求める世界を覗いているとね。もっとファジーな化学変化を期待したくなるんだ―。でもあたしとフレちゃんだとファジーを通り越してドラマチックになっちゃうかも♪ それでもいいかにゃ~?」

「はい、大歓迎です。他の誰でもなく志希さんに来て欲しいんです」

「だけど、キミが思っているあたしはキミの頭の中で勝手に作り上げたあたしだよ。あたしは自分が同じ存在のままでいる必要なんてないと思っているし、面白ければ変わり続ける。明日には全然違うあたしになってるかもしれないから、そんなあたしを勝手に信じて勝手に失望するのはフォーギブミ~♪」

「失望なんてしませんよ。私でさえアイドルになってあっという間に変わってしまったのですから志希さんがどうなるか分かるはずがありません。その変化も含め、クローネに来ることで良い化学変化が期待できると思ったんです」

「……そっか」

 すると腕組みをして考える素振りを見せます。

 

「よーし! 器は満ちた、時は来たー! 朱鷺ちゃんという触媒を使って、あたしはアイドルとして更に純化するとしよ~♪」

「それは、参加OKということでよろしいですか?」

「うんっ!」

「ありがとうございます」

 良い返事が貰えて一安心しました。志希にゃん、ゲットだぜ!

「でもあんまり買いかぶらないでね? 大マジメにやるって改心したわけじゃないし、あたしの活動はいつでも本能に根差しているからさ。『志希ちゃんは飽きたので失踪しまーす』っていつ言い出してもおかしくないよ?」

「大丈夫です。どこに失踪しようが私が必ず見つけ出しますから!」

「あははー、全然冗談に聞こえないなー……」

「ええ、冗談ではありませんので♪」

 その後は少し談笑してお別れしました。一応担当Pとも話し合うとは言っていましたが、本人がやる気であれば止められることはないはずです。

 

 志希さんには伏せましたが彼女をクローネに誘った理由はもう一つありました。

 彼女はある意味で前世の私と似ている存在です。もちろん家庭環境や才能には雲泥の差がありますが、青春をショートカットしたという点では共通していました。

 私は虐めや生活苦、彼女は飛び級での海外留学により普通の子が体験するであろう学園生活をすっ飛ばしています。そして集団ではなく個としての行動を好むところも一緒なので他人という気がしないんですよね。

 

 確かに彼女の才能があれば学者としてもアイドルとしても一人で活動を続けることは出来ます。ですが仲間と一緒に協力して物事に取り組むことで志希さんの可能性は更に広がると思います。

 何せ累計年齢51歳のオジサンだってコメットでの活動を通じて少しは成長できたのですから、若く才能溢れる彼女であれば成長幅はもっと大きいはずです。ソロではなくクローネという集団で活動することによって得られるものは本当に多いのですから。

 当人からすれば余計なお世話かもしれませんが、縁あって同じ事務所に所属していますのでアイドルの皆さんが成長する手助けをしたいと最近では強く思うようになりました。

 

「さて、もう一人の勧誘に行きますか」

 クローネの最後のメンバーであり、プロジェクトの良心となる方を求めて捜索を再開しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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