ブラック企業社員がアイドルになりました 作:kuzunoha
「……以上が先日の海外ロケの報告です」
「ありがとう。とりあえず七星さんが無事に帰ってきてくれて何よりだよ」
「結構大変でしたけど視聴率は取れたようで良かったです。わざわざモアブ砂漠にまで出向いておいて成果が出なかったら美城常務にお小言を言われてしまいますし」
「ははっ、確かにね」
先日の海外ロケから数日経った後、犬神P(プロデューサー)のオフィスに伺いワンちゃんに収録の詳細報告を行いました。偶然にも今西部長がいらっしゃったので彼にも話を聞いて貰います。
あくまで社内の打ち合わせですからそんなに固いものではありません。応接用のソファーに腰掛けて和やかに談笑しました。
「局側の感触も非常に良かったよ。今回だけではなく是非今後も続けて欲しいとの依頼が来ているそうだ。司会は下りてあれ一本でやって欲しいという人もいるくらいさ」
今西部長がいつも通りの朗らかな笑顔で語りました。
「高い評価を頂いたことは嬉しいですし継続もやぶさかではないですけど、司会は続けさせて下さいよ!」
「はは、冗談さ。勿論七星君には司会も続けて貰うからね」
「それならいいですけど……」
勉強して出演アイドル達の情報を覚えたのに無為にされたらたまったものではありません。
「それにしても実に惜しいねぇ。経営能力や決断力に優れた美城常務と、現場力や実務能力に長けた七星君が組めば346プロダクションは飛躍的に成長すると思うのだが」
「別に彼女のことは嫌いではないですけど、『アイドル事業部の全ユニットを強制解散させる』という方針が撤回されない限り無理ですよ。私にとっては一切妥協できない点ですから」
「確かに、それは譲れないラインだよな……」
正面にいる犬神Pが珍しくシリアスな表情のまま頷きました。
「君達には厳しく見えてしまうかもしれないが、彼女は元々真面目で優しい良い子なんだ。旧態依然な男社会である芸能界で経営者として上を目指すには、ああならざるを得ないのかもしれない」
「……確かに美城常務にも色々と事情があるんでしょう。創業者の一族だから親の七光りと揶揄されないために成果に拘っているのかもしれません。ですが自分のために未来あるアイドル達の芽を摘むのは間違っていると思います。エゴですよ、それは」
忠犬が私の言いたいことを代弁してくれました。
「ちょっと気になっていることがあるんですけど、質問いいですか?」
「ん、何だい?」
折角なので美城常務をよく知る今西部長に常日頃の疑問をぶつけてみることにしました。
「常務は『かつての芸能界のようなスター性、別世界のような物語性を確立する』という方針を掲げてますが、これって成果を上げることとは必ずしも一致しないのではないでしょうか」
「どういうことかな?」
「10年以上前ならともかく、765プロのような現代の売れっ子アイドル達はライブだけでなくバラエティなどにも積極的に出演してるじゃないですか。親しみやすいカジュアル路線のアイドルが本流の中、他の分野を切り捨ててアーティスト一本でいこうなんて逆張りもいいところです」
「う~ん……。正直その点は私も疑問に思っているんだよ。『美城の権威を保つため』というのもあるんだろうがそれだけではない気がするね。しかし私にも教えてはくれないんだ。力になれなくてすまない」
「いえ、構いません。少し気になっただけですから」
七星医院分院での治療の際にも情報を集めましたが理由は不明でした。今西部長の言う通り表向きはブランドイメージ向上のためとは言っていますが、私にはどこか空虚に聞こえるのです。
とはいえ子供の頃から付き合いのある今西部長にも教えていないことを天敵の私に言うはずもないですから、本人のみぞ知ると言った所ですか。
「美城常務の件で変な話になってしまったね、すまない。……ところで話は変わるが、七星君にも思わぬ弱点があって驚いたよ」
「弱点?」
「あのドッキリ企画のことさ」
「あー……」
必死に忘れようとしていた心のカサブタを思いっきりひっぺがされました。するとクソ犬の表情が瞬く間に変わります。
「そうですね。どこかの誰かさんが立てたクソ企画のせいで本当に酷い目に遭いました」
「いやっ、あの時は俺も酒が入ってたからさっ! まさか龍田くんが本気にするとは思わないじゃないか!」
「弁解しますが、私は英語のペーパーテストは得意ですしリスニング試験も聴くことに集中すれば難なく解けます。外人さんと面と向かって話をすると途端にフリーズしてしまうだけなんです」
「その割には色々とガバガバだったような気が……」
余計な一言を聞いて頭にきました。
「最後に殺すと約束したな。あれは嘘だ」
「ま、待ってくれ!」
必死に命乞いをする彼の首に手を伸ばします。
「はっはっは。外国人が苦手なら、まず犬神君と英会話の練習でもしてみたらどうだい?」
「犬神さんとですか? いやいや、冗談はよして下さいよ。こんな純国産の駄犬に英語なんて高度な言語が扱える訳がありませんって」
「あれっ、知らないのかい? 彼は早稲口大の国際教養学部卒だし小さい頃はアメリカ在住だったから英語はペラペラだよ」
「マジで!?」
「あ、ああ。一応ね……」
「社内でもネイティブ並みに話せる社員は少ないんだ。人を見る目と語学がアイドル事業部配属の決め手だったのさ。今所属しているアイドルは皆日本語が話せるから活躍の機会はないがね」
今西部長の声が徐々に遠くなっていく気がしました。
ドッグハエイゴハナセル、ワタシハエイゴハナセナイ。
つまり私は畜生に劣っているという訳ですか?
この私が?
武内Pならともかく、こんな雑種犬ごときに?
おかしい、こんなことは許されない……。
「……今日は帰ります」
「な、七星さんっ!?」
「サラダバー!!」
「だから事務所内で瞬間移動は止めてって!」
泣きの涙でその場から敗走しました。あんまりだよ、こんなのってないよ……。
翌日はコメット全員で雑誌取材の仕事がありました。学校が終わってからだったので既に日は沈んでいます。
「仕事も終わったし帰路につくとしようか。帰りに何処か寄っていくかい?」
「いえ、私はもう暫く残りますので」
「何か用事があるんですか?」
「事務所に来る途中、今西部長から『仕事終わりに待っていて欲しい』とお願いされましたので、もう少し残る予定です」
ほたるちゃんの質問に答えました。何の用かは知りませんが部長直々にお願いされたのであれば仕方ありません。社畜は上司に逆らえぬのです。
「……そうなんですか」
「プロジェクトルームには鍵を掛けておきますから大丈夫です。それより帰り道は気をつけて下さいね。寮から近いと言っても既に真っ暗ですから」
「ああ、わかった。そうさせてもらうよ」
「それでは、お疲れ様でした」
「お疲れ様です……」
三人が事務所を後にします。帰りが遅くなるというメッセージを家族宛に発信していると今西部長が一人でやってきました。
「やあ、待たせて悪かった」
「いえ、特に待ってはおりませんので。……それでご用とは何でしょう?」
「せっかくだから食事でもどうかと思ったのさ」
「私と今西さんの二人で、ですか?」
意図が読めないので困惑しましたが、彼は一切表情を崩しません。
「いやいや、そんなに身構えなくてもいいよ。私以外にもちゃんと出席者はいるしね。近いうちに秋の定例フェスを開催するから美味しい食事を頂きながら意見交換でもしようと思っただけさ。それで、どうだい?」
「わかりました。お付き合いします」
なぜコメットではなく私一人なのか、そして私以外の出席者とは誰なのかが引っかかりましたが、今伏せて説明したということは語る気がないのでしょう。罠の可能性も否定できませんが、断って今西部長との間に不和が起きるとそれはそれで問題なのでお引き受けしました。
「ありがとう。エントランス前にタクシーを待たせているから先に向かって貰えるかな」
「今西部長はどうされるんです?」
「仕事がまだ少し残っているから終わり次第伺うよ」
「わかりました。ではお先に失礼します」
「ああ。ご苦労様」
怪しさ大爆発ですが一度お受けした以上断る訳には行きません。表面上はにこやかなまま、警戒は怠らずにエントランスに向かいました。
既に待機していたタクシーに乗り込むと行き先を聞かれないまま走り出しました。予約した際に送り先の住所は伝えていたのだと思います。
「すみません、このタクシーってどちらへ向かっているのでしょう?」
「あれ? ご存じないんですか?」
「はい、手配したのは別の者なので」
すると運転手さんが行き先のお店の名前を告げます。繁華街の外れにある老舗の小料理屋さんで、以前犬神Pにも連れて行って貰ったことがありました。
「俺が知っているとっておきの名店だ!」と彼が豪語するだけあり、全国の貴重な日本酒やマイナーでも味が確かな地酒などを置いている良いお店です。お酒だけでなく料理も非常に上等でして、看板だけ立派な高級料亭では到底敵わない程でした。
少なくとも食事会というのは嘘ではないようなのでほっとします。10分ほどで目的の小料理屋さんに着きました。
「いらっしゃいませ。あらこんばんは、七星さん」
扉を開けて暖簾をくぐると女将さんが出迎えてくれました。和装が良く似合う美しい方です。こういう人にお酒を注いでもらえれば何倍も美味しく感じるでしょうね。私は未成年ですからお願いはできませんけど。
「こんばんは。うちの部長の今西が予約しているはずなんですが」
「はい、伺っていますよ。お連れ様がお待ちですから二階のお座敷へどうぞ」
「お連れ様、ねぇ」
何だか胸騒ぎがします。私の嫌な予感って高確率で的中するので今回は外れてほしいと切に願いました。
階段を上がり二階に上がると、満を持して個室の扉を開きます。
「……君か」
「……やっぱり、こう来ましたか」
眼前には美城常務が一人で佇んでいました。
「いつまでそこに立っている気だ?」
「……失礼します」
和室なので座布団の上に正座して座りました。正面には仏頂面の美城常務が同じように正座しています。そのまま暫く沈黙が流れました。
どうしてくれるんですかこの空気! 友達の友達と初対面で二人きりにされた時の百倍くらい気まずいですよ! 今日は厄日だわ!
「え~と、美城常務はなぜこちらに?」
気まずさに耐えきれなくなり適当に話題を振りました。
「今西部長から『今日は346プロダクションにとって非常に重要な方との食事会があるので必ず出席して欲しい』という連絡を先程頂いた。そう言われたら断る訳にはいかないだろう」
「あっ、ふ~ん……」
いつもより眉間に皺が寄っています。どうやら二人して今西部長に嵌められたようでした。
するとスマホの振動音が部屋に響きます。どうやら私の私物ではなく美城常務のもののようで、そのまま通話を始めました。
「……はい、はい。わかりました」
短いやり取りの後、常務が通話を終えます。
「今西部長だが、今日は急用が出来てしまい来られないそうだ。『二人で仲良く食事でもしながら和やかに親睦を図って欲しい』と言っている」
「えぇ……」
仲良く食事出来ない間柄だということは部長が一番良く分かっているでしょうに!
たしかに普段も話をすることはありますが、あくまで業務連絡がメインであり楽しげに談笑したことは一度もありません。しかも私はあのカーニバルやスポンサーへの圧力など色々な妨害工作を行った加害者ですから、彼女としても仲良くお食事会なんて気分ではないはずです。
「どうやら此処にいても無意味なようだな。私は先に失礼する。……ッ!」
立ち上がろうとした常務が辛そうな面持ちに変わりました。しきりに足をさすっています。
「ひょっとして、足を攣りました?」
「……アメリカでは正座をしたことはなかったからな。少し油断したようだ」
「確かに久しぶりにやると結構辛いですよねぇ」
秘孔を突けば一瞬で治せますが、苦しそうにもがく常務の姿はSSレアなので止めておきます。
「失礼します~。あらっ、どうされました?」
「いや、別に何でもない……」
「プークスクス」
必死になってポーカーフェイスに努める常務の姿がおかしくって仕方ありません。愉悦愉悦。
「それではお先にお料理をお出ししますね」と言いながら女将さんがテーブルに料理の小鉢を並べ始めました。
「あの、まだ頼んでないですけど」
「今西さんから『適当に美味しいものを食べさせてあげて欲しい』と言われています。ですので今日のお薦めを一通り楽しんで下さいね。飲み物ですけど七星さんはノンアルコールビールでよろしいですか?」
「はい、お願いします」
ここに来たのは二回目ですが、一見に近い客の嗜好を記憶しているとは流石です。
「美城さんは何に致しましょう?」
「では『シンデレラ』を頼む」
「女子力高ッ!」
有名なノンアルコールカクテルですけど小料理屋さんなので扱っていないでしょ。
「畏まりました」
「あるんですか!」
「はい、お客様のご要望にお応えするのが私達の喜びですから。その他にもワインやウイスキー、泡盛、保命酒、ウオッカ、グラッパ、ラム酒なども取り扱っています」
「やりますねぇ!!」
いくら料理が美味しくても所詮は街の小料理屋だろうと甘く見ていましたが、これは認識を改めないといけないようです。
本当は私も料理を頼む前に帰ろうと思っていましたが、お任せでお願いしているとなるとそうはいきません。
出されたものは残さず食べ切る主義ですから料理を放置して帰るという選択肢はありませんでした。一辺たりとも残さず頂き血肉に変えることが食材となり散っていった生き物たちへのせめてもの手向けだと私は思います。
美城常務も帰るタイミングを逸したようで、その場から動くことはありませんでした。
「それでは、乾杯」
「卍解……じゃなかった、カンパ~イ……」
運ばれてきた飲み物を手にするとカチリとグラスを当てます。いや~、これだけ盛り上がらない乾杯は本当に久しぶりですよ。
その後は美味しい料理に舌鼓を打ちながら対話を試みました。とは言っても内容は業務連絡が中心です。特にプロジェクトクローネの動向は彼女も気になっているようで、各メンバーの体調やレッスンの進捗状況などを聞き漏らさないようにしていました。今西部長が仰っていたとおり根は真面目なようです。
「この鮭の粕汁、出汁が良く効いてて本当に美味しいです!」
「ああ、深みと甘みが丁度いい割合だな。総料理長は良い仕事をしている」
美味しい料理は人の心を癒やすものですが、剣山のようにささくれだった我々の心にも効果はあったようです。気づくと先程までの警戒心が薄れていました。
「クローネについては引き続きよろしく頼む。それで、君の方はどうだ?」
「どうっていいますと……?」
「体調に問題はないかと訊いている。アイドルの仕事に加えてクローネのサポートもやっているのだから、健康状態が悪化してないか気にして当然だろう」
「え~と、私をサポートに付けて過重労働させて自滅を狙っているんじゃなかったんですか?」
そう言うと常務が目をパチクリさせました。
「馬鹿な。どこの世界に所属アイドルの不幸を願う管理者がいるというのだ。統括重役として私にはアイドル事業部の社員やアイドル達の労務状況に責任を負う義務がある」
「そ、そうですか……」
「君ほどの能力があればサポート役を頼んでも支障はないと判断したからこそ任せた。サポートを押し付けて潰そうとするなど人間の屑の発想だ。そんな可能性を考える奴はよほど心が薄汚れているのだろう」
「うぐぅ!」
常務の正論が私のハートをダイレクトアタックしました。はいはい、どうせ人間の屑で心が薄汚れていますよっ!
「そ、そんな急に優しくなったからって私は簡単に落ちないんだからねっ! どうせ隙を見て無理やりリストラするつもりなんでしょう! 海外の社員みたいにっ!」
「……無理なリストラとは何のことだ?」
「いやいや、皆さん噂しているじゃないですか。関連会社の経営改善のために常務さんが大規模で無慈悲なリストラを断行して多くの社員を路頭に迷わせたって」
「ああ、ニューヨークの関連会社のことだな。確かに雇用調整はしたが、あの時整理したのは再三指導しても業務改善を行わなかった者や勤労意欲が著しく低い者達だ。勤務態度が良好で標準以上の能力を持つ社員の雇用は全て維持した。誰かれ構わず切った訳ではない」
「本当ですか?」
「嘘を言ってどうなる。それに向こうでは雇用調整など当たり前だ。朝出社したら解雇を言い渡されその日の内に追い出されることも多い中、再就職の準備ができるよう余裕を持って通告し退職金も大幅に割り増して支払ったのだから逆に感謝されたくらいだ」
常務さんは意外と感情が表に出やすいタイプですが、全く表情を変えず淡々と話をするので嘘を言っているようには見えませんでした。
「それならそうと皆にちゃんと説明すれば、あらぬ誤解は解けるでしょうに」
「自己弁護したところで誰も信じないだろう。それに行動と結果を伴わない言葉は信用されない。選挙間近になって慌てて街頭演説を始める愚かな政治家共の言葉が心に響かないのと同じことだ。そして問題社員とは言え雇用調整を断行したことは事実としてある。
そのような下らない噂話で私を貶め、裏でコソコソと陰口を叩く害虫には結果を以って応えてやればいい。そうやって戦い勝ち上がってきたからこそ私は今此処にいる」
う~ん、何というか……。とても格好いいですけど物凄く不器用な方ですねぇ。でもこういうハードな生き方は嫌いじゃないし好きですよ。
「それ程部下のことを気にされているのでしたら、『既存ユニットを全て解散させてプロジェクトを白紙に戻す』という方針を取り下げれば皆とても喜ぶと思うのですけど」
「それは出来ない。かつての芸能界、いやアイドル界に存在したスター性。あの輝きをもう一度取り戻さなければいけない。でなければ、私は……」
そう言いながら顔を陰鬱に沈み込ませました。話題を変えようかとも思いましたが、美城常務がなぜアーティスト面の特化に舵を切っているのかを知る絶好の機会なので、あえて掘り下げて聞いてみることにします。
「そもそも、成果を上げることとかつてのアイドルに見られたスター性を取り戻すことは必ずしも一致していないように思えるんですけど」
「……この時代に生まれ育った君にはわからないだろうが、私は痛いほど理解している。歌と踊りだけで全ての栄誉を簒奪していった魔物────『日高舞』の力を」
美城常務の口から意外な人物の名前が出てきました。
日高舞────それはアイドル史はおろか、日本の芸能史に名を刻む程の超有名スターです。
アイドルのことは知らないが日高舞はよく知っている、というオジサンは本当に多いです。
現在のアイドル界のトップと言えば765プロダクションですが、その所属アイドル全員が束になってかかっても全盛期の彼女には及ばないでしょう。これは決して天海さん達を軽んじている訳ではなく客観的な事実です。私だって彼女に比べたらクソザコナメクジもいいところですよ。
現在は専業主婦としてどこにでもいる家庭的な良いお母さんをしていると娘の愛さんからは伺っています。年齢は確か29歳とのことなので丁度美城常務と同世代ですね。
「当時の美城グループは勢いを増しその勢力を拡大させていった。そんな時、お父様達の行く手に立ちふさがったのがあの怪物だ」
「でも当時の美城にアイドル事業部はなかったはずでしょう? バッティングさえしなければそれほど問題ないんじゃ……」
「彼女はアイドルという枠に収まる器ではない。活動期間は約三年と短いものだったが、当時はCDを一枚リリースする度に高層ビルが建ったとも言われるほどの利益が生まれていた。その勢いはアイドルという次元を遥かに超えた時代の象徴だと評されている位だ。
当然、他の芸能事務所はその割を喰う。それは我が346プロダクションも例外ではない。何せ所属タレントの人気があのブラックホールに吸い込まれていくのだからな。彼女の活動期間が後数年続いていたら美城グループ自体どうなっていたかわからないだろう」
ネットでは一世を風靡したなどと書かれていましたが、私が乳児だった頃に引退されたため今一実感がありませんでした。確かにそれだけの成功体験を間近で見せつけられれば日高さんのような超正統派アイドルをもう一度生み出したいと思ってしまうかもしれません。成功すれば莫大な利益を上げることが出来ると証明されている訳ですから。
「で、でも常務さんは物凄くお綺麗なので、同時期にアイドルデビューしていたら日高さんに勝てたかもしれませんよ!」
あまりにお通夜ムードなので思わず寒い冗談を飛ばしてしまいました。すると常務に刺した影が更に濃くなります。
「無理だ。当時の日高舞に勝てるアイドルは存在しない。……だからこそ私は舞踏会へ向かうためのガラスの靴をこの手で壊し、魔法使いとなる道を選んだ」
「ええと、その口ぶりだとまるでアイドルを目指したことがあるように聞こえるのですけど」
「……そういうものを志したことがなかったと言えば嘘になる。だが私は恐怖に怯え竦んでしまった。その挫折感は今も拭えない。だからこそ、いつの日か私の写し身となる高貴なシンデレラに日本、いや世界を制して貰う。悪魔の幻影を振り払うにはそうするしかない」
「それが、アイドルにかつてのスター性を取り戻す理由ですか……」
美城常務は芸能事務所の創業者一族であり日高さんと同世代です。同じ年頃の女の子に誇りある美城グループがいとも容易く蹂躙されたのですからトラウマになってもおかしくありません。
ファーストガンダムで例えるなら、3分でリックドムを十二機落とした一年戦争末期のキレッキレなアムロ・レイに戦場で出会い、味方を多数撃墜されながらも命からがら逃げ延びたような感じでしょうか。正に悪夢としか言いようがありません。
美城常務は人類史上最高のアイドルだった日高舞という幻に今も取り憑かれているようでした。引退して10年以上経過してもこれだけの影響力を誇るとは、本当に恐ろしい方です。
それにしてもあの気難しい美城常務が洗いざらい喋ってくれるとは思いもしませんでした。豆腐の角に頭でもぶつけたんでしょうか。
「鮭の粕汁をもう一杯頼む」
「ま、またですか? 確かに美味しいですけど三杯目は食べ過ぎじゃ……」
「構わん!」
「は、はいい!」
それにしても様子がおかしいです。顔が上気して視点があまり定まっていません。これではまるで酔っ払っているような……。
「まさか!」
常務を部屋に残し慌てて一階に向かいます。その途中で女将さんに出くわしました。
「あら、どうしましたか?」
「先程常務が飲んでいた『シンデレラ』ですけど、作る際に間違えてアルコールを入れたりしていませんか!」
「いえ、そんなことはありませんよ。私自身がお作りしたものですし」
「そうですか……。じゃあ酔っ払った訳ではなさそうですね」
そういうと何かに気付いた様子を見せます。
「もし酔う可能性があるとすれば、鮭の粕汁でしょうかねぇ」
「あっ!」
粕は酒のもろみをこしてその後に残った塊です。確かにアルコール成分は含まれていました。
「でも大した量は入れていませんよ。よほどお酒に弱い方でないと影響は出ないはずですけど」
わざわざノンアルコールのカクテルを頼んでいたくらいですからお酒には弱いのかもしれません。常務の身辺は調査済みですがお酒に強いか弱いかまでは流石に調査対象外でした。
アルコールを全く受け付けないタイプはビール一杯でも倒れますので放っておけません。慌てて部屋に戻ると、先程よりも顔を赤くした常務から睨みつけられました。
「遅いぞ七星! 上席を一人で放置するとは何事か!」
「す、すみません!」
「……反省したならいい。では行くぞ!」
「行くってどちらへでしょう?」
本日二回目の嫌な予感がしたので恐る恐る聞いてみました。
「次の舞台に決まっているだろう!」
「まさかのはしご酒!?」
「不服とは言うまいな?」
「いや、これ以上はお体に触りますよ……」
「女将、会計を頼む!」
「聞いちゃいませんねこの人!」
物凄く面倒なので置いて帰りたいですが、上司を放置して帰宅したら後で何を言われるか分かりませんので渋々と付き従います。
食事代は後で今西部長がお支払いするということなので、フラフラした足取りの常務を抱えてお店の外に出ました。
「次は中華だ。中華がいい!」
「わかりました。近くのお店を捜しますからちょっと待ってて下さいね~」
バッグからスマホを取り出してグルメサイトのアプリを起動します。
「遅いぞ! まだか!」
「10秒じゃあ何も出来ませんよ。いい大人なんですから落ち着きましょう」
「早く落ち着けだと……。貴様まであの副社長のようなことを言うのか! 私に早く結婚しろなんて言っているがアイツなんてハゲだぞハゲ!」
「大多数の男性がダメージを受ける発言は控えて下さいって! 私も昔は結構気にしていたんですから!」
「あのハゲーーーーーー!」
「やめっ……ヤメロォー!」
目に余る暴言のため大慌てで静止します。放つ相手によっては刺されてもおかしくないですよ。男にとってはガチで死活問題なんですもの(毛根的な意味で)。
この他にも女性週刊誌にスクープされたら致命傷を受けるような失言が容赦なく飛び出しましたが、彼女の名誉のために聞かなかったことにしました。
その後は結局はしご酒でした。四軒目で美城常務がダウンする頃には空が白んでいましたよ。
なお、後で本人に確認したのですが彼女は別にお酒のアレルギーがある訳ではないとのことでした。しかし異常な程酔い易い体質でして、二十歳の誕生日パーティーで初めてお酒を口にした翌日、会長であるお父さんから「お前は金輪際酒を飲むな」と言われたそうです。
本人は不思議がっていましたが私にはその理由がよ~くわかります……。酔った時の記憶を全て無くされてしまうと嫌味の一つも言えませんもの。
お酒好きとして飲むなとは言いませんけど、この私のように大人のレディとして節度ある適度な飲酒を心掛けて欲しいものですよ。
悪夢の懇親会は重労働でしたが成果はありました。美城常務の心の中に巣食っているのは『アイドルに挑戦すら出来なかったことに対する後悔』と『日高舞という正統派伝説級アイドルの幻影』のようです。それらのコンプレックスと美城グループを大切に想う気持ちが複雑に混ざり合い、歪な業務方針になってしまったのだと思います。なのでその問題を解消すれば今の凝り固まった考えを見直してくれるかもしれません。
そして今回の件で常務のことを嫌いになれない理由がよくわかりました。だって常務は冷血人間でも何でもなく、自分の思いを伝えることが下手で不器用な生き方しか出来ない人なんですもの。
それこそ、生まれ変わってアイドルなんてやっているどこかの大馬鹿野郎のようにね。
彼女の人となりを知るにつれて移籍や引き抜きなどの非人道的な対抗策をとろうという気が完全に失せてしまいました。
よしっ!
毒を喰らわば皿までです。こうなったら卯月さんだけでなく美城常務も含め、346プロダクション全員が幸せになるトゥルーエンドを探すとしますか!