ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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2章のどこかでの出来事。


裏語⑩ イカロスの翼

 空が、好きだった。

 

 抜けるような青さに澄み切る空。純白の陶器のようにつやを放つ白い雲。

 時には空に雲が暗澹(あんたん)と動くこともあるが、それも含めて愛している。

 子供の頃は一日ずっと空を眺め、自分の翼で自由に羽ばたく鳥達を心から羨ましく思った。

 

 そんな俺が航空機のパイロットの道を志したのは当然の流れだった。

 呼吸をするくらい当たり前に。水を飲むくらい自然に。

 パイロットとして自分の翼で空を翔けることが俺の進むべき道であり、人生そのものだった。

 そう、あの頃までは。

 

 

 

「失礼します。龍田です」

「……入りたまえ」

 教官室のドアを軽くノックをすると、低くはっきりした威厳のある声が返って来る。それを確認してからゆっくりと扉を開いた。そのまま南雲教官の元へ近づく。

「今日、発つのか」

「はい。あまり長居しても皆に迷惑でしょうから」

 いつも通り眉根を寄せた真剣な顔をしている。彼の指導は非常に厳しかったのであまり良い思い出はないが、今日で見納めだと思うと少し寂しく感じた。

 

「私がこの航空大学校に赴任してから早二十五年。君はその中で比肩する者がいない程優秀な訓練生だった。だからこそ、病気のことは本当に残念だ」

「こればかりは仕方ありません。急性の緑内障で最悪失明の可能性もありましたから、後遺症がこの程度で済んで良かったです」

 嘘だ。そんなことは欠片も思っていない。……思える訳がない。

「わかっているとは思うが、世の中には自分の力では変えられないどうしようもないことがある。現状の航空従事者資格制度において、色覚検査表で正常範囲外となった場合は欠格事由になるのだ。……いかに成績や能力が素晴らしくともな」

 その表情に一瞬だけ悲しい影が走った。

 

「今後の身の振り方は考えたのか?」

「いえ、東京の実家に戻って考えてみます。これまでの訓練がハードでしたので暫くはゆっくりしますよ」

「そうか」

「お仕事の邪魔になるのでここで失礼します。長い間本当にお世話になりました」

 心の中を悟られないよう話を切り上げた。そのまま深く一礼をしてから踵を返す。

「……龍田」

「何でしょうか?」

 努めて明るく振り返ると軍人のように表情を引き締めた教官が見えた。

 

自棄(やけ)は、起こすなよ。お前はまだ若いのだ」

「……大丈夫です」

 今の心情を見抜かれていたようだ。だがもう教官と訓練生の関係ではない。他人となった彼に俺の抱えているものを背負わせる訳にはいかないと思い、教官室を後にした。

 そのまま学校を出ようとすると小型機が訓練飛行している姿が見える。見慣れた飛行機雲が今日に限って輝いて見えた。

 もう少しで手に入られた自由な空。だが辿り着くための翼は折れ、永遠に失われてしまった。

 

 

 

 ギリシア神話において、ギリシア国王ミノスはダイダロスという職人に巨大な迷宮を作ることを命じた。

 完成後、王はその迷宮の奥に牛頭人身の怪物を飼い毎年生贄を捧げた。そんな中テーセウスという勇敢な少年は自ら生贄をかって出て、怪物を剣で刺し迷宮から脱出した。

 怒れる王はダイダロスを裏切り者と決めつけ彼とその息子イカロスを塔へ幽閉する。ダイダロスは掻き集めた鳥の羽をロウで固め大きな翼を作って装着し、息子と共に塔から脱出しようとした。

 飛び立とうとする時ダイダロスは『高く飛ぶと太陽の熱でロウが溶けるぞ!』と注意する。だが空を飛ぶ喜びで夢中になったイカロスは父の忠告を忘れて空高く飛び上がったため、翼が溶け墜落し海の藻屑となった。

 

 滑稽だな。俺と同じだ。

 

 物覚えは良いので一度やり方がわかれば大抵のことはこなせる。航空大学校の訓練はいずれも厳しかったが、目標のための努力は苦ではないので全分野で常にトップを維持し続けた。

 後少しで操縦士の資格が得られると思い喜びに浸っていた矢先、緑内障が発症した。祖父も同じ病気を患っていたので遺伝性の疾患らしい。

 治療の成果で視力や視野は以前の状態を維持できたものの、その後遺症で色覚異常に罹患した。日常生活では殆ど影響はないが、ことパイロットとなると話が違う。

 乗客の命を預かる以上、操縦士は心身共に健康でなければならないという理屈は正しい。そう頭では理解しているが心は全く追いついていない。

 

 

 

 学生寮を去り実家に戻ってからは完全に無気力だった。

 人生の目的……いや、生きる意味そのものを失ったのだ。空気や水を一度に取り上げられたような状態で生きていられる人間はいない。

 時間は心の傷を癒やすと言うが俺の場合は真逆だ。日が経つ毎に負の感情に心が食い潰されていくのがよくわかる。抜け殻のまま一日中ベッドの上で空虚に過ごしていると自分が生きているのかどうかすらわからなくなってきた。

 

 自室で苦悶していると扉越しに不安げな声が聞こえてくる。

「……おにーちゃん、お夕飯持ってきたよ」

「すまない。今は食欲がないんだ」

「もう何日もちゃんと食べてないって、おかーさんも心配してるけど」

「明日はちゃんと食べるさ」

「うん、わかった。でも一応ここに置いとくね」

「ああ。ありがとう」

 食事を置く音と遠ざかる足跡を聞いて安堵した。

 

「……つくづく、度し難いな」

 家族にまで迷惑を掛けている現状に強い苛立ちを感じる。何をやっているんだ、俺は。

こんな状態ならいっそ────

「太陽に近づいたイカロスは、地に堕ちて朽ち果てる……か」

 そう呟いた瞬間、自分に相応しい最期が見つかったような気がした。

 

 

 

 翌日、久しぶりに外の世界に出た俺は街を彷徨った。学生達が仲良く談笑しながら帰宅する中、求める条件が揃った物件に辿り着く。眼前には俺の墓標となる古びた高層マンションがあった。

 オートロック方式ではないので住民を装って中に入り、エレベーターで最高層の二十二階を選択する。きしむ狭い箱に揺られながら待つと目的の階に着いた。屋上は鍵が掛かっているので、外部から入れる一番高い所が此処になる。

 大きな国道に面しており眺めはとても良い。空も雲一つない快晴だ。

 つまり────死ぬには良い日なのだろう。

 

 偶然住民が出て来ないよう祈りつつバッグから遺書を取り出す。靴も脱いだので準備は整った。後は堕ちるだけだ。

「俺には似合いの最期だな」

 マンションの関係者には本当に申し訳ないが、自殺サイトで調べたところ元々投身自殺が多数発生している名所なので今更一人増えても資産価値に影響はないはずだ。家族としても俺の相続を放棄すれば賠償をせずに済むだろう。

「……よし」

 共用部の手すりに足を掛ける。下を覗くとその高さに一瞬怯んだが、これだけ高ければ中途半端に生き残ることはないと確信出来た。真下は日中の人通りが殆ど無い駐車場なので誤って他人を巻き込むことはない。

「飛べない鳥に、価値はない」

 そして、意を決して空に飛び出した。

 

 

 

 堕ちる。

 

 堕ちていく。

 

 風圧で体が消し飛ばされるような感覚。

 

 途轍もない速度で、地面へ。

 

 これが、翼をもがれた鳥の景色か。

 

 徐々に意識が薄れていく。

 

 終わりかと思った、その時。

 

 桜色の影が、俺の視界を遮った。

 

 

 

「とおおおお~~っ!」

「がはっ!」

 次の瞬間、物凄い力でその影に抱えられた。先程までとは違い空に目掛けて上昇していく。この感覚は、まるで羽根が生えているかのようだ!

 共用部の手すりを踏み台にして上へ上へとジャンプし続けていることに気付いたのは、それから少ししてからのことだった。

 

「これでラストッ!!」

 最上階で一層力強く飛翔するとそのまま屋上に辿り着いた。地に足がつくのを確認すると人影が俺を開放する。

「ゴホッ! ガホッ!!」

 極度の緊張状態から開放されたためかその場で酷く咳き込んでしまった。吐きはしないものの胃液が逆流するのを感じる。今になって足の震えが止まらなくなった。

  暫くしてようやく平常心を取り戻すと、桜色の影の正体が判明する。

「大丈夫ですか?」

「……ああ」

 それは、制服姿の少女だった。

 長く綺麗な髪が風になびく。その美しい姿は人よりも天使に近いように感じた。

 

 

 

「なぜ、助けた」

 感謝の言葉より先に生かされたことを恨む言葉が出てしまう。

「勘違いしないで下さい。助けたくて助けた訳ではありません。他人の貴方が生きようが死のうが微塵も興味が無いです」

 開口一番で結構な毒舌が放たれた。天使という感想は謹んで撤回する。

「ならあのまま死なせて欲しかったな」

「そうはいかないんですよ。私の大切な友達に不幸な目に遭うことが多い子がいるんですけど、その子と一緒に事務所に向かう途中で貴方が飛び降りるのを偶然見かけてしまいました。このままでは自分の不幸のせいで人が死んだとほたるちゃんがショックを受けてしまいますから止む無く助けたという訳です」

 随分と身勝手な理由だ。俺の自殺は誰のせいでもないのだから放っておいてくれれば良かったのだが。

 

「ところで貴方、ご家族は健在なんですか?」

「何故、そんなことを訊く?」

「いいから答えて下さい」

「……両親と妹はいずれも息災だ」

「そうですか。ふむふむ」

 少女が納得したかのように、うんうんと頷く。

 

「バッキャロウ!」

「たわば!!」

 体が再び宙を舞う。何回かきりもみ回転してから硬いコンクリートに着陸した。

 どうやら顔面へのビンタで数メートル程吹き飛ばされたようだ。この強烈無比な一撃で下手したら死ぬ恐れがあると思う。もう少しで頭部と胴体が分離していたに違いない。

 先程の異常な脚力といい、この女の子は本当に人間なのか疑わしく思える。

 

「な、殴ったな……。親にも殴られたことはないというのに」

 よろめきながらなんとか立ち上がった。口の中を切ったのか鉄の味がする。

「殴ってなぜ悪いか!? 貴方はいいでしょうね。そうして無様に死ねば気分も晴れるんですから。ですが残された家族はたまったものではないですよ!」

「何……だと……?」

「親より先に逝ってしまう逆縁はこの世で最大の親不孝です。私は以前死神よりも性質が悪いブラック葬儀社で働いていた頃に自殺で子を失い嘆き悲しむ親の姿を何度も目にしてきました。

 貴方の身なりや目を見ればちゃんとしたご両親の手で真っ当に育てられてきたことがわかります。そんな素敵な家族を辛い目に遭わせる気ですか!?」

「君には、関係ないだろう」

 無遠慮な少女から批判され苛立ちを覚える。俺だって進んで死にたい訳ではない。

 

「人生の目標を失った今ではこうするしか無いだけだ。生きる意味がない以上、死ぬしか無い」

「生きる意味ですか……」

 少女が少し考え込む仕草を見せる。すると何か閃いたようだ。意地の悪そうな笑顔を浮かべながら再び話し掛けてきた。

 

「よくよく考えてみれば、私は貴方の命の恩人ですよね?」

「甚だ不本意だが、その事実は確かだ」

「なら、命の恩人の頼みくらい聞いてくれてもいいじゃないですか?」

「……内容にも拠る」

 意に反するとは言え助けられてしまったことは事実だ。借りを作ったまま死ぬのは気持ちが良いものではないので頼みを聞くことはやぶさかではない。もちろん出来る範囲で、だが。

「よしっ!」

 彼女は軽くガッツポーズをするとバッグからメモ用紙を取り出した。そのまま一枚破り何かを書いた後で俺に差し出す。

 

「何だ、これは?」

「明日の集合場所です。遅刻厳禁ですから気をつけて下さい」

「何をやらせようとしているのか教えてくれないか」

「ちょっとお手伝いして欲しいことがあるので協力をお願いします。内容は当日のお楽しみということで。男性同士のイキ過ぎた愛情表現を描写した映像作品への出演などではないですから心配しないでいいですよ!」

「……わかった」

 物凄く嫌な予感がするが仕方がない。どの道一度は死んでいるのだからな。

 

「ああ、そう言えば自己紹介がまだでしたよね?」

「龍田翼。年齢は21歳で、今は無職だ」

「あっ、ふ~ん……」

 現在の身分については負い目を感じるが、今更見栄を張っても仕方ないので事実だけを淡々と述べた。

「七星朱鷺と申します。14歳の中学二年生で、今はアイドルをやっています」

「アイドル?」

 目覚めるばかりの美しさと新月のような清らかさを兼ね備えているので違和感はない。

……内面は別として見た目は、だが。

 しかし中学生の身分で葬儀社勤務歴があったりアイドルだったりするなど益々謎が増していく。

 

「346プロダクションのコメットというユニットで活動しています。ご存じないですか?」

「すまない、アイドルには興味がない」

「謝らなくていいですよ。世間での知名度はまだ全然ありませんし。……だから無理やり解散させられそうになって必死こいて体力仕事をしている訳なんですけど」

 最後の方は小声でぶつぶつ呟いていたので正確には聞き取れなかった。

 

「あらいけない、もうこんな時間です。集合は朝6時ですからバックレないで下さいよ。もしそんなことをしたら東京湾コンクリ詰めの刑ですからね!」

「あ、ああ。わかった」

「よろしい。それでは……朱鷺、行きまーす!」

 返事を返すと屋上から勢い良く飛び降りていった。常人なら即死だが彼女であれば問題ないはずだ。アレは本当に人間なのか疑わしい。

「さて……」

 屋上の扉の内鍵を開けてマンション内に入る。飛び降りて戻る必要は全くないし誰かに目撃されたら厄介なことになると思うのだが、きっと彼女なりの深い考えがあるのだろう。下の階で遺書と靴を回収してから二度と戻ることはないはずの家へと帰った。

 面倒なことに巻き込まれたが死ぬのが数日延びただけに過ぎない。結局何も変わりはしないさ。そう、何も。

 

 

 

「ここか」

 その翌日は夜も明けないくらいに家を出た。最寄り駅から数分歩くと指定された建物が目に入る。そこはテレビ番組の収録スタジオのようだった。

 エントランス前で立ち尽くしていると昨日遭遇したアイドルが駆け寄ってくる。どうやらあの出来事は俺が見た幻覚ではなかったようだ。

 

「おはようございます、龍田さん」

「ああ、おはよう。こんなところに呼び出して一体何の用なのか教えてくれないか?」

「それは後で話しますから取り敢えず現場入りしますよ」

「……わかった」

 相変わらず一方的だが此処で言い争いをしていても仕方ない。彼女に連れられて建物内に足を踏み入れた。そのままひたすら後を付いていく。

 

「さ、こちらです」

 そう言いながら大きな扉を開けると巨大な撮影セットが鎮座していた。『芸能界腕相撲ナンバーワン決定戦!』という看板が嫌でも目に飛び込む。周囲にはテレビ用の撮影カメラが何台もセットされ、複数の人影がせわしなく行きかっていた。

「おはようございます! 今日はよろしくお願いしまーす!」

「おはよ~」

「はよっす!」

 彼女が元気よく声を掛けると至る所から返事が返ってくる。その内の一人が笑顔でこちらにやってきた。四十代と思われるがサングラスに顎髭、そして派手なトレーナーを着ており、いかにも業界人と言った様子だ。

 

「今日は早いね~、朱鷺ちゃん♪」

「アイドルとしてはペーペーですから、せめて入りくらいは早くないと」

「うんうん。そういう真面目な姿勢好きよ~、お兄さん。……んで、その子は誰? 超イケメンだけど、もしかしてカレシ?」

「彼氏同伴で番組収録とか業界初で斬新過ぎますって! ほら、昨日話したあの子です」

「わかってるわかってる、冗談だって~!」

 会話に入るタイミングを逸していると彼女が俺の方を向いた。

 

「こちらが今日臨時ADをして貰う龍田さんです」

「……は?」

 意味が全くわからないので思わず聞き返してしまう。

「ほら、恩人の頼みを聞いてくれるって昨日約束したじゃないですか。だから今日一日、臨時ADとして目一杯働いて下さい!」

「……そういうことか」

 この突拍子のない子のことだから何をやらせられるか不安だったが、イメージよりはまともな依頼だった。

 

「龍田です。よろしくお願い致します」

「こちらこそよろしく。いや~、ウチのADの奴が昨日急に辞めちゃってさ~。この現場は唯でさえ人が足りないんで超困ってたのよ。だから代わりの奴隷……じゃなかった手伝いが必要でね~。ほら、最近は人手不足で派遣さんを頼もうにも急じゃ難しいからさ!」

「そうですか」

 聞いてもいないことを一方的にまくし立てられた。航空大学校にはいなかったタイプの人なので少し面食らってしまう。

 

「じゃあ龍田くんはとりあえず会場の設営を手伝ってて」

「申し訳ございません。このような仕事は始めてなのですが、作業はどのように進めればよいのでしょうか? 何か手引書などがあれば助かります」

「ああ、ウチそういうのないから! 取り敢えず周りの人から頼まれたことを適当にやってればいいよ!」

「……わかりました」

 テレビ業界というものは噂に違わずルーズらしい。手順が厳格に定められている航空業界とは大違いだが、郷に入れば郷に従えというものだ。今はこの現場の流儀で動くしかないだろう。

「それでは私は控室でメイクなどの準備がありますので。収録後にまたお会いしましょう」

「ああ、承知した」

 一旦彼女と別れて会場の設営に入った。

 

 

 

「新入り! 下のトラックから荷物運んでこい!」

「はい!」

「座席番号の貼付けよろしくね!」

「わかりました!」

「誰か~、弁当来たから楽屋に持っていって~!」

「了解です!」

 

 収録スタジオの至る所から応援要請が入る。その都度他のADと分担して作業を行うが圧倒的に人手が足りない。慣れない仕事のため悪戦苦闘していると苦情や叱責が飛ぶという悪循環だ。

 トイレに行く暇もなく常に現場を駈けずり回る。航空大学校では鍛えていたものの、このところの引き篭もり生活で衰えていた体には少し過酷だった。

 

「芸能界腕相撲ナンバーワンは、圧倒的な力を発揮した七星朱鷺さんに決定~!!」

 番組の終わり頃になってようやく休憩らしき時間が数分発生した。状況は分からないがあの子が圧勝したらしい。周囲の芸能人は驚いていたが超人的な力を目の当たりにしているのでその結果に違和感はなく、むしろ当然だと思ってしまう。

 

「ふぅ……」

 収録後の撤収作業が概ね終ると既に夕方になっていた。12時間近く動き続けたのだから、道理で疲れた訳だ。

 すると着替えを終えたあの子がスタジオに戻ってくる。

「お疲れ様です、龍田さん」

「これで昨日の礼は果たしたはずだ。では、失礼する」

「いえ、まだお仕事はありますよ」

「何ッ!?」

「これから新企画に関する会議があるんです。議事録作成及び雑用係として貴方にも出席して貰いますからね♪」

「君は鬼、いや悪魔か……」

「鬼や悪魔をも超えた悪鬼羅刹的な方と比べたら、私なんて小悪魔程度の可愛い存在ですよ」

 これ以上の魔物がいるのか……。それは想像したくもないな。

 

 

 

「それじゃ~、会議始めるぞ~!」

 新企画の打ち合わせは中規模の会議室で行われた。室内にはあの子や先程のディレクター、作家、音声、演出等の担当者が一同に会している。

 新番組は『RTA CX』という名称で、レギュラー出演者であるあの子が毎回レトロゲームのRTA(リアル・タイム・アタック)に挑戦するという内容らしい。

 アイドルがひたすらゲームをする姿で視聴率を取れるのかはわからないが、番組を作る程だから一定の需要は見込んでいるのだろう。

 

「挑戦ソフトだけど、栄えある初回だからボクもディレクターとして頑張って大手さんと交渉してね~。あの名作ソフトに決まったよ!」

「へぇ~、何でしょうか?」

「うん、ドラゴンクエストⅡさ!」

「ファッ!?」

 あの子が思わず驚きの声を上げた。先程までとは違い顔が引きつり色が青くなっている。

「なぜよりにもよって高難易度のマゾゲーが初回なんですか……。以前RTAをした時には散々な結果でしたから結構トラウマになっているんですけど」

「新番組っていうのは最初の掴みが何よりも重要なんだ。ドラクエなら大体みんな知ってるから見て貰い易いし、業界最大手が撮影可ってお墨付きを出したら他のメーカーの許可も貰いやすくなるでしょ?」

「それはそうですが……」

 一見ちゃらんぽらんな人に見えるが仕事においては要所をきっちり抑えている。人を見た目だけで判断してはいけないと反省せねばならない。

 

「以前RTAをしたことがあるのなら要領もわかってるよね? 番組構成と演出のイメージを考えたいから、解説しながらちょっとプレイしてみてよ!」

 会議室内には既にファミコン互換機がセットされていたので、ソフトを差し込み起動するとモニターにゲーム画面が表示された。

 コントローラーを手にすると「名作RPGゲームのRTA、始めま~す……」と言いながら恐る恐る開始する。

 

「まず主人公の名前付けですが、DQ2主人公のデフォルトネームである『えにくす』にします」

 そのまま淡々と解説しながらゲームを進める。フィールド画面に移動すると戦闘になった。

「きゃっ。い、いたーい!」

「このオオナメクジくんはちょっと意地悪さんですね……」

「こーら、そんなことしたらダメだゾ☆」

「逃してくれてありがとー。だーいすき♪」

 狙い過ぎて痛々しさすら感じる言葉を吐きつつ、引きつった営業スマイルのまま感情を押し殺して先へ先へと進んでいく。

 

 一体なんだろうか、この違和感は。

 傍若無人で天衣無縫なあの態度は鳴りを潜めている。合間に挟む解説は確かにわかりやすいのだが、見ている側の楽しさには繋がっていない。ピンチの際にコントローラーを破壊しないよう我慢する姿は面白かったが、それはあくまで例外だ。

 他のスタッフも同じような感想を持ったようで、一同微妙に渋い表情をしている。

 

「ちょっと止めてくれる?」

 一旦手を止めると発言主のディレクターに注目した。

「何か問題がありました?」

「な~んか違うんだよねぇ~。具体的には言えないけどコレジャナイ感があるなぁ~」

「そ、そうですか? 私はいつもこんな感じですけど」

「このままだと番組としてちょっと厳しいかも。とは言っても初回の収録まであんまり日がないからなぁ~。とりあえず最初は台本と演出で盛って修正しないとダメだな~」

「わかりました。よろしくお願いします」

「それじゃ、入りの演出なんだけどさ~……」

 その後も新番組についてプロ同士の打ち合わせが続けられた。バラエティ番組など適当にアイドルや芸人を呼んできて喋らせるだけだと思っていたが、皆真剣にそれぞれの想いや意見をぶつけ合っている。

 コンプライアンスやBPOなどの制限を受ける中で如何に面白い番組を提供するか必死に考えている彼らを見て、自分の見識が如何に狭かったか改めて認識させられた。

 

 

 

「それじゃあ、お疲れ様でした~!」

 漸く開放されると空は既に闇に覆われていた。だが、こういう空も悪くない。

「では失礼する」

「ちょっと待って下さいよ」

 一緒にいるアイドルに背を向けて去ろうとすると声を掛けられた。まさか、まだ何かあるのか。

「今度こそ昨日の礼は果たしたはずだ」

「はい。ですからそのお礼を兼ねて軽くお食事でもどうでしょう?」

「……わかった」

 今までのことを考えると断ると言っても無駄だろう。下手に逆らうと力づくになりかねないので早々に観念することにした。

 

「この辺りは初めて来たからどんな店があるのか知らないぞ」

「良く知っているお店がありますので、そこに行きましょう」

 全く知らない店に行くよりは良いかと思いそのまま彼女に付いていく。数分歩くと目的地に着いたようだ。

 

 

 

「……どう見ても場末の居酒屋なのだが」

「ええ、場末の居酒屋ですが何か問題でも?」

「いや、何でもない」

 創業昭和四十三年と書かれた暖簾を潜ると、中はくたびれた壮年のサラリーマンで溢れていた。年季の入った狭い店内を進むと丁度カウンターの端が二席空いていたので並んで座る。

 中学生が贔屓にする店と聞いてワイゼリヤやバトルロイヤルホスト辺りを想定していたのだが、見事に裏をかかれた。

 

「よいしょっと。龍田さんはお酒はいけますか?」

「嗜む程度には」

 アルコールは思考力を鈍らせるので普段飲むことはないが、こういう如何にもな居酒屋で酒を頼まないというのはかなり勇気がいる。車で来ている訳ではないので一杯なら問題ないだろう。

「おやっさ~ん、取り敢えず生中一つとノンアル一つね。後は~、枝豆ともつ煮と焼き鳥の塩を適当に見繕って頂戴。まずは以上で!」

「あいよー!」

 完璧に洗練された流暢な注文で吹きそうになったが何とか堪えた。

 

 すると直ぐにジョッキビールが運ばれてくる。俺はアルコール入りの方を手にした。

「それじゃあ、今日一日お疲れ様でした! カンパーイ!」

「ああ、乾杯」

 グラスをカチリと当てるとジョッキを傾ける。すると黄金に輝く液体と白く滑らかな泡が喉に流し込まれた。

「……ッ!」

 芳醇さ、旨み、爽やかさ。そして炭酸が絶妙なハーモニーを醸し出す。まるで航空自衛隊のアクロバット飛行のような見事さだった。生まれて初めてビールを美味しいと感じる。

 

「これは、美味いな」

「そうでしょうそうでしょう。一日必死で働いた後のビールは美味しいんです。生き返るわぁ~って思いませんか?」

「否定はしない」

「昨日貴方は生きる意味なんてないと仰いましたが、人生なんてそんなに小難しく考える必要はないんですよ。働いた後に美味しいビールを飲むためというのも立派な理由になると思います。

 ……私が昔生きていた時も大体そんな感じでしたから」

 酒場の歓声に掻き消されて後半の方はよく聞こえなかった。

 

「いや、それとこれとは話が違う」

 労働の後のビールが美味しいことは否定しないが、夢を失った喪失感が埋められる訳ではない。

「貴方も頑固ですねぇ。そうだ、良ければ何故死のうとしていたのか聞かせて頂けませんか?」

「聞いたところでつまらない内容だぞ」

「それでもいいですって」

「……わかった」

 アルコールが入ったためか口が軽くなったようだ。航空大学校に通っていたことは伏せつつ、色覚異常で目標としていた仕事に就けなかったことを彼女に話す。すると若干渋い顔になった。

 

「う~ん、その症状は秘孔でも治療が難しいですねぇ。私の力は遺伝性の病気や被爆には効果がありませんから」

「秘孔?」

「こっちの話ですから気にしないで下さい。話を戻しますが龍田さんの辛い気持ちは何となくわかります。私だってアイドルとして、ユニットの皆と一緒に輝くという人生の目標を失わないよう今必死になっていますからね」

「そうだろう? 目標を失ってどう生きていけばいいのか、皆目見当がつかない。……マスター、ビールを追加でお願いする」

「あいよっ!」

 もう三杯目だ。少しペースが早いかもしれないが今は飲みたい気分なので止まらない。

 

「でも私と違って龍田さんは子供の頃から夢を持っていたじゃないですか。きっとやりたいことを見つける才能があるんですって。目のことは確かに残念でしたけど、新しい夢だってそのうち見つかるに違いありません」

「気休めはよしてくれ」

「辛い時なんてものは酒飲んで寝れば大体解決します。後悔なんて時間の無駄ですよ! 飲んで忘れなさい!!」

「何かと言えば酒、酒、酒! アイドルとしての誇りはないのかッ!」

「あ? ねえよ、そんなもん!」

「何だこのアイドル!」

 その後はお互い軽口を叩き合いながらビールや料理を楽しんだ。酒の力もあるのかもしれないが、久しぶりに笑った気がする。

 

 

 

「ごちそうさまでしたー!」

 大体2時間程してから店を後にする。中学生にお金を出させる訳にはいかないので奢ろうとしたら力づくでワリカンにさせられた。

「今日は一日お疲れ様でした」

「ああ、そちらも。帰りは大丈夫か?」

「ええ、親やP(プロデューサー)が煩いのでタクシーを拾って帰ります」

「そうか、俺は電車だから此処でお別れだな。……ところで、最後に一つ聞きたいことがある」

「何でしょう?」

 首を傾げる彼女に向かって言葉を続ける。

 

「昨日君は他人がどうなろうが興味ないと言った。だが今の食事会といい、俺に自殺を思い留まらせようとしたのは明白だ。なぜ他人のためにここまでする?」

 すると真面目な表情に戻り再び口を開く。

「……確かに昨日までは赤の他人でしたが今日は違います。私と貴方は一日とは言え同じ現場で一緒に仕事をした仲間じゃないですか。

 私はコメットとして初ライブを終えた時、今後仲間の誰かが困ったら力になってあげようと決めたんです。だから仲間である貴方の心が少しでも良い方に向かって欲しいと思ったんですよ」

 そうか。その為に臨時ADの仕事を与えたと言う訳か。

 

「……変わった子だな、君は」

「昔からよく言われます。

 今は本当に辛いでしょうが、命は投げ捨てるものではありません。生きてさえいれば私のように新しい夢がきっと見つかるはずですよ。だから頑張って生きて下さい!」

「……ありがとう」

「いえ、どういたしまして♪」

 お互い笑顔で握手をする。この温もりは久しく忘れていたものだ。

「それでは失礼します。もう会うことはないと思いますが、お元気で!」

「ああ、お休み」

 そのままタクシーに乗る姿を見送った。

 

 彼女と別れてから近くの公園のベンチに腰掛ける。

「ハハッ……」

 全く、とんだお人好しだ。自分のことだけでも大変だろうに他人の心配をしているのだからな。

 彼女のお陰で命だけではなく心も救われたような気がする。あの子は俺にとっての救い主なのかもしれない。

 二度と笑えまいと思っていた俺が笑えたのだから、もう少し生きてみるのも悪くない。

 

 そう思った瞬間、ある気持ちが心の中から浮かび上がった。

 

 これが夢や目標と呼べるものかはわからない。

 

 だが久しく忘れていた想いだった。

 

 小さい頃に空を眺めていた時と同じような感覚で────

 

 七星朱鷺というアイドルが輝く手助けをしたいと、強く思った。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、七星さん。今日も一日よろしくお願い致します」

「……ええと、何で貴方が此処にいるんですか?」

 次の日、別の番組の収録現場で彼女と顔を合わせた。俺の顔を見るなりかなり狼狽えている。

「あの後ディレクターさんに相談しまして、今後はアルバイトのADとして雇用して頂くことなりました」

「ああ、そう……。それでなぜ口調が敬語に?」

「私なりのケジメですから気になされないで下さい。七星さんは普段通りに接して頂いて構いませんので」

「わ、わかりました。どういう心境の変化や鬼の霍乱が起きたのかは知りませんが、とりあえずよろしくお願いしますね……」

「はい。全て私にお任せ下さい」

 そうしてADとしての新たな生活が始まった。

 

「龍田! 今日出演の川島さん、まだ来てないんだけど確認してくれる?」

「先程担当Pに確認したところ電車が止まったそうです。いまタクシーで向かっていますから収録には間に合いますよ」

「そうか、サンキュー! あ~、次回の食レポの店なんだけど店主が頑固で撮影が難しいんだよな~。代わりに交渉してくんない?」

「昨日連絡をしまして快く撮影許可を頂きました」

「マジか! ホント凄えなお前!」

「いえ、大したことはありません」

 最初は面食らっていたADの仕事だが、三日で概ね要領を掴んだ。一週間もすれば現場を掌握出来るようになったので、指揮命令系統の整理や作業手順の作成及び周知を行うことでADを増やさなくても多少の余裕が生まれる。その隙間の時間をひたすらアイドルの研究に当てた。

 七星さんが人気を得るためにどうすればいいか検討した結果、今の彼女に不足しているものが見えてきた。

 

 現在人気を得ているアイドルは偶然売れている訳ではなく、確固とした理由がある。

 例えば346プロの実質的トップである高垣楓氏で考えてみるとしよう。モデル出身のためその美貌は確かなものであり、非常に高い歌唱力で人々を魅了する。天が二物どころか三物、四物を与えたと言っていい。

 しかし能力が高すぎると近寄り難くなるというデメリットが生まれる。余りに完璧過ぎるとアイドルとして応援しようと思えなくなるのだ。それに女性からの嫉妬も買う。

 その点彼女は絶妙なバランスを保っている。ダジャレを好んでいたり日本酒好きだったりという人間っぽさが完璧さを上手く中和しているので、綺麗で一見完璧だが可愛い所もあるお姉さんという存在を確立している。狙っている訳ではないので素の状態で魅力的なのだろう。

 

 一方で七星さんはどうか。まずは容姿だが、元々トップアイドルに一歩も引けを取らないレベルなので問題はない。ライブパフォーマンスは日々レベルが上っておりその内トップ層に追いつくはずなのでそちらも大丈夫だろう。

 最大の問題はあの身体能力と北斗神拳だ。確かに知名度を上げる役には立ったものの、アイドルの個性としてはあまりに異質過ぎる。

 最近は『346アイドル速報』というネット上のまとめサイトを随時チェックしているが、始球式や無人島生活などで披露した残虐無比な振る舞いについては世間も困惑しているように感じる。これから彼女をトップアイドルに押し上げるためにはこの空気を打破しなければならない。

 

 その打開策として注目したのが、RTA動画投稿者という彼女の別の個性だ。

 綿密な事前調査から繰り出される思いつきのチャート(攻略手順)変更や神がかったタイミングで発揮されるゴミのような運など、人間としての緩さや隙の多さ────七星さんの言葉で言う所の『ガバガバさ』は彼女の動画ファンから非常に強く支持されている。

 先程のまとめサイトにおいても動画投稿者としてのカミングアウトはとても好意的に受け止められていた。

 

 七星さんが今後清純派アイドルとして成功する可能性はゼロなので、一見無敵である彼女が実は色々ガバガバだと世間に知らしめることで『強いがドジで面白いバラエティアイドル』という確固とした存在を確立したい。それが出来るのは自分しかないという自負がある。

 そのためにはあの新企画を大幅に変えていく必要があるだろう。そう思いディレクターに電話をかけた。

 

「もしもし、龍田です」

「お~、翼ちゃん! どったの? 何か用?」

「来週撮影開始の『RTA CX』ですが、内容に関して提案がありますので聞いて頂けないでしょうか」

「……へぇ~、いいね! 今なら時間が空いてるから何でも聞いちゃうよ!」

「電話では何ですので、今から伺います」

「おっけおっけ~!」

 シンプルに纏めた図入りの企画書を持ってディレクターの元へ向かった。

 

 

 

 そして『RTA CX』の初収録日がやってきた。既に番組の趣旨説明や七星さんの紹介については撮り終えているので、いよいよプレイ姿を撮影する段階だ。

「それでは実走の収録に入ります」

「よろしくお願いします」

 貸ビルの小会議室に設けられた簡素なセットと七星さんの笑顔の姿がカメラに映る。

「3・2・1……」

 俺の合図が終るや否や、七星さんが作った笑顔で喋り出した。

 

「それでは早速ドラクエⅡのRTAに挑戦したいと思います! スイッチ……オーン!」

 ファミコン互換機の電源を入れると早速プレイを始める。

「敵さんだ~、怖いなぁ~!」

「もおーっ。ひどーい♪」

「スライムちゃんは可愛いですね~♥」

 先日の打ち合わせで見せたような痛々しさを感じる演技で必死に清純派アイドルを装っている。

 

「すみません、ちょっと止めて頂いていいですか」

「……は?」

 開始から5分程度経った後、タイミングを謀って横槍を入れると彼女が一瞬素に戻った。ディレクターとの打ち合わせ通り敢えてカメラの前に姿を現すと困惑の表情が益々深くなる。

「えっと、今プレイ中なんですけど。それになぜ貴方が前面に出てきているんです?」

「大変申し訳ございません。大切な連絡があるのを忘れていました」

「連絡?」

「はい。プレイ時の注意点ですが、下手な芝居はせずにいつもRTAに挑戦する時と同じ状態で挑戦をお願いします」

「ADからダメ出しっ!?」

 思わず鋭いツッコミが出た。これも芸人のサガか。

 

「いえ、ディレクターさんも同じ意見です。その方が盛り上がると思いますので」

「……わかりました。上の方の命令であればそうしますよ」

「後は主人公の名前はいつものでお願いします」

「えぇ……。普通に放送禁止用語だと思うんですけど」

「地上波ではなく衛星放送ですから大丈夫です」

「そういうものですか……」

 納得していない感じではあるが、一度リセットしてから新たな条件で渋々再開する。今のやり取りも放送することはオンエアまで秘密だ。先程の下手な芝居と実態を比較することで、より落差を感じさせる狙いがある。

「では改めて。バランスがおかしいゲームのRTA、始めまーす。

 まずは名前ですが入力速度を考慮して『ほも』にしました。さぁ、大冒険のはじまり~!」

 ようやく彼女らしいRTAが始まった。

 

「では洞窟にイクゾー! ……防具を買ってなかった」

「武器は装備しないと意味がない。装備を忘れるとこの言葉の大切さが身に染みますね」

「みんな殴れー親の仇のように殴れー! ヒャッハー!!」

「首が狩れる首が狩れる首が狩れるぞー。首が首が狩れるぞー首が狩れるぞー」

「お姉さんのこと、ほんっきで怒らせちゃいましたねぇ!」

「止めてよして触らないで逃して下さいお願いします何でもしますから!」

「へっ、とんだ甘ちゃんですよ! みすみす逃がすとか雑魚過ぎて草生えますわぁ~!」

 意識的か無意識かは分からないが、アイドルとして大丈夫かと思われる発言を連発しつつ順調に旅が進んでいく。撮影スタッフの皆は笑いを堪えるのが大変そうな様子だ。

 

「あっ!」

 普段通りに振る舞う内に思いの外テンションが上がったのか、中ボス戦でコントローラーが真っ二つに割れてしまった。

「えっと。どうしましょう、どうしましょう……」

 涙目で狼狽する姿を撮影した後で声を掛けることにする。

「七星さん。こんなこともあろうかと予備のコントローラーを用意しています」

「おおっ、流石有能AD!」

「まだまだ予備はありますから今後は遠慮なく割って下さい。それもこの番組の見どころになりますから」

「でも、そんなことしたらタイムがどんどん伸びますよ」

「ご安心下さい。好記録を期待してこの番組を視聴する方はまずいませんので」

「Sなの? ねぇ、貴方ドSなの?」

「フフッ。さぁ、どうでしょうか」

 性的嗜好は至って普通なのだが、そういう振りをして七星さんを弄ればその魅力が発揮されるはずだ。命の恩人に対して心苦しいが、彼女のために敢えて鬼となろう。

 

「では再開します」

 その後もキレたり笑ったり泣いたりしながらゲームを進めていく。本当に喜怒哀楽が豊かな子なので自分も一緒にプレイをしているような感覚に陥るし、その分応援したくもなる。

 そうする内にいよいよラストダンジョンに差し掛かった。レトロゲー特有の高難易度と低レベル攻略、そして七星さんの運の無さが重なり合って地獄のような惨状が繰り広げられる。

 

「ブリザード四体相手に勝てる訳無いだろ! いい加減にしろ!」

「五回連続で逃げミスするとかクリア出来る気がしませんね……」

「こういうことをされるとね、ゲームにならないんですよ!」

「死体がふえるよ! やったねほもちゃん!!」

「ファイナル第十五次遠征行きまーす。蜀漢の北伐もこんな絶望的な感じだったのでしょうか」

「当然の権利の様にザラキを刺すのやめろ。繰り返す当然の権利の様にザラキを刺すのはやめろ」

「先制するラスボスなんてRPGにいてたまるかああぁぁーーーー!!」

「二連続先制とかふーざーけーるーなーーーー!」

 道中の雑魚敵にボコボコにされるという酷い有様だが、怒りながらもウイットに富んだコメントが飽きずに繰り出されるので悲惨さは中和され笑いを誘う。

 特にラスボスのシドー戦において、二回連続で先制攻撃を喰らって全滅するという神がかり的な屑運が発揮され現場は爆笑の渦に包まれた。笑いの神に此処まで愛されたアイドルは他にいないとこの時点で確信する。

 当の本人は顔を真っ赤にして泣きの涙でプレイしていたので、これで無慈悲な殺戮マシーンという物騒な印象が少しは薄まるはずだ。

 

 

 

 6時間ほど経ってやっと収録が終わった。完全に燃え尽きている七星さんに声を掛ける。

「お疲れ様です。初回にしては上々の出来でした」

「……タイムはお通夜ですけどね。次回はこうならないことを祈ります」

「今後も高難易度のソフトを用意していますからそれは中々難しいかと。初回には間に合いませんでしたが今後は色々な企画を用意しますから一筋縄ではいきませんよ」

「一応確認しますがソフトの選択や企画の追加をしたのはどこの馬鹿野郎なんでしょうか?」

「勿論私です。全てディレクターさんの許可を頂いていますのでご安心下さい」

 するとブチッという音が聞こえたような気がした。

 

「ばーかばーか! ドS! ドSドラゴン!」

「悪口の言い方が小学生レベルに退行していますよ」

「貴方なんて休みの日に客先からクレームの電話がかかってくる呪いに掛かってしまいなさい!」

「どちらに行かれるんですか?」

「トイレですよトイレ! もう漏れます!」

 そのまま涙目で敗走した。

 

 やれやれ、七星さんからは蛇蝎の如く嫌われてしまったか。だがそれでも構わない。

 俺が彼女を弄ることで世間の人々にその魅力が伝わり、アイドルとして上のステージに行けるのなら本望だ。なぜならば────

 

 七星朱鷺というアイドルは、(イカロス)にとっての新たな翼なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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