ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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後語④ 蛇にピアス

「い、嫌……」

「フフフ……怯えているのかい?」

「そんな太いもので突かれたら死んでします……」

 思わず息遣いが荒くなりました。こんな恐ろしいモノが私の体を貫くと思うと恐怖で身震いしてしまいます。

「そんなことを心配しているのか。痛いのは最初の一瞬だけから深刻に考えなくていいさ」

「本当に無理ですって……。他のことならやりますからこれだけは許して下さい!」

「それは駄目だよ。ボク達との血の盟友関係を保つには避けて通れないロードだ」

「で、でも私はまだ中学生ですから……」 

 屁理屈を捏ねて抵抗を試みます。

 

「憂慮する必要はない。ボクは勿論ホタルやノノも貫通済みだからね。後はトキ、キミだけさ」

「くっ!」

 可愛い顔をして皆大人の階段を上っていやがりました。

「本当にむ~りぃ~」

「普段アレだけ滅茶苦茶なことをしておいてなぜ今更怖がることがあるんだい?」

「それとこれとは話が別です!」

「あ、あの。二人共一旦落ち着きませんか?」

 アスカちゃんと口論しているとほたるちゃんが仲裁に入りました。その隣で乃々ちゃんもおろおろしています。

「ああ、わかった。やれやれ、北斗神拳伝承者が聞いて呆れるな」

「怖いものは怖いんです! だって不良のやることですよ、ピアスの穴開けなんてっ!」

 30分程話し合いをしましたが平行線のままでした。ですが私としては妥協できないのです。

 

「お茶をいれました。どうぞ……」

「ありがとうございます、乃々ちゃん」

 プロジェクトルーム内に紅茶の良い匂いが広がりました。

「朱鷺さんは怖いものなんてなさそうなのに、ピアスの穴開けが怖いなんて驚きました」

 ほたるちゃんが意外そうな顔をします。

「だってあんな太い針が耳たぶに突き刺さるんですよ! 超怖いに決まってるじゃないですか! 私としては他の子達がよくあんなことをできると思います」

「ボクとしてはロケでキミがやっていた『デスバッティング』の方が百倍怖いと思うけどね」

「あれは大したことないですよ。バッセンとそう変わりないですし」

「五台全部ホームランはもりくぼどころか誰にも真似できません……」

  ちなみにデスバッティングとは全速力で走るオートバイを建設資材の鉄骨柱で打ち返し、くくり付けたダミー人形の飛んだ飛距離を競う競技です。不思議なことに競技人口が一人だけなので私が世界一位になりました。

 なお競技の発案者は当然の権利のように龍田さんです。私はいつか奴に殺されるような気がするのですが気のせいでしょうか。というかアイドルにさせる仕事ではないです。

 

「だが今度のライブ衣装ではピアスの装着が必須なんだ。穴を開けられないなら仕事に支障をきたしてしまうよ」

「それはそうなんですけど……。私はなんというか、針そのものが苦手なんです」

「そういえば、学校の予防接種では直前に脱走してました……」

 普段の私ならどんな嫌なことでも仕事であれば受け入れます。ですがこれには深刻な事情があるのでした。

 

 話は前世に戻ります。あれは確か20代前半の頃でした。当時の私はとある清掃会社の契約社員として病院の清掃業務を任されていたのです。

 勤務先の病院はお世辞にも管理体制が良いとは言えず医療ミスが多発しており、ゴミの分別もきちんとできていませんでした。医療業務に伴って発生したゴミは二次感染などの危険性があるのでちゃんと分別しなければならず、必然的に私がその作業を行っていたのです。

 そんなある日、いつものように普通ゴミ用の袋に手を突っ込んで分別しようとしました。その瞬間鋭い痛みが走ったのです。

 そして恐る恐る手を引き抜くと……腕には無数の注射器がっ……。

 

 映画に詳しい方なら『SAW(ソウ)2』で登場人物(アマンダ)が注射器のプールに投げ込まれたシーンを思い出して頂ければ良いと思います。後で事情を聞いたところ新人看護師が面倒くさいからという理由で使用済みの注射器を普通ゴミ用の袋に大量に投棄していたとのことでした。クソが!

 私はその一件が深いトラウマとなり、針の付いたものに刺されるのが死ぬほど嫌いになったのです。なのでピアッサー(穴開け器)に対する恐怖がお仕事モードの義務感を上回っていました。

 

「先程も言った通りそう痛いものではないよ。だから我慢するんだ」

「そんなのムリムリムリムリかたつむりですって!

 あっそうだ。アスカちゃんは次回のモノマネ選手権のネタに困ってましたよね。簡単にできる迫真のモノマネを教えますからそれで許して下さい!」

「……参考までに聞くけど、どんなモノマネなんだい?」

「まず手の指をすべて閉じて、腕を顔の高さまで持ち上げます」

「こうかな?」

 私がその動作をすると他の三人もマネをします。

「そして腕を横にして、眉の少し上から手で顔を覆い隠すようにした後で笑顔を作って下さい」

「わかりました」

「はいっ! 顔出しNGキャバ嬢のマネ! うわ~皆そっくりですね~!」

 パチパチと拍手をすると場の温度が急激に下がったような気がしました。

 

「……このモノマネが『とときら学園』で放送できると思っているのかい?」

「確かにそれらしいですけど、アイドルとしてはちょっと」

「もりくぼ、そういうお仕事はしたくないです……」

「すみません……」

 ウケ狙いでしたが若い子達には超絶大不評でした。打ち上げの懇親会などで披露するとスタッフ達が大爆笑するんですけど。

「中学生でキャバ嬢のマネって発想が色々な意味で凄いです」

「それほどでもないです。でも水商売って色々ありますけどキャバクラは本当に理解できないですよねぇ。ケバい姉ちゃん達に気を遣いながら話をするだけで一回数万円とかもうアホかと、バカかと。あんな所は接待以外で使う気にはなれないですよ。やっぱり王道を往く……」

「…………」

 うわ、三人共メッチャ引いてる。コレでは私が無類の水商売通みたいじゃないですか! 汚れ無き純粋無垢なJCアイドルとして何とかしなければ!

 

「……っていう話を先日犬神さんがしていましたよ!」

「フッ。コレだから男ってヤツは」

「ちょっと引きます……」

「へぇ、そういう所に行っているんですか。へぇ……」

 よし、犬神P(プロデューサー)の評判と引き換えに私の名誉が守られました。でも流石に可愛そうなのでフォローすることにします。

 

「彼も一応オスですからそれくらい許してあげましょう。これも男の甲斐性というやつです」

「とは言ってもね」

「朱鷺さんは犬神さんがそういう所に行っていても気にしないんですか?」

「常識的な範囲内で遊ぶ分には気にしませんよ。対価を支払ってサービスを受ける商取引ですから気晴らしで利用するのはありだと思いますね。下手に欲望を溜め込んでしまい路上で女性に抱きついたり未成年に手を出したりするよりかは遥かにマシです」

「何だかベテラン主婦みたいな貫禄があります……」

「男性心理の理解には長けているのでそういう面に関しては寛容ですよ。もっともそちらに現を抜かしたら即処刑ですけど」

「そういうものですか」

「そういうものです」

 よし、機転を利かせて水商売談義をすることでピアスから話題を逸らすことができました。これで一安心です!

 

「さて、それでは話をピアスに戻そう」

「……忘れてなかったんですか」

「話題を逸らそうとしていたのはバレバレだからね。さあ、ジャッジメント・デイだ」

「い~~や~~! 人殺し~~~~!」

 話がループするとドアをノックする音が聞こえました。声を掛けると犬神Pが顔を覗かせます。

「みんな、お疲れ! あれ、どうしたの?」

「いえ、別に……」

 彼を見る三人の目がかなり冷たいです。ちょっとだけ罪悪感が湧いてきたのでキャバクラの件は嘘だと後でネタばらししておきましょう。

 

 

 

「なるほど。ピアスの穴開けが怖くてできないと」

「わ、悪かったですねっ!」

 犬神Pに事情を伝えると驚いたような表情をしました。

「いや、別に非難している訳じゃないよ。ただ意外だな~って思っただけさ」

「くっ!」

「それならそれで最初に言ってくれれば対応したんだけど」

「貴方に情けをかけられるくらいなら舌を噛んで死にます」

「ああ、そう……」

 他の子達ならともかくコイツには弱みを見せたくありません。畜生に情けをかけられるくらいなら自ら死を選びます。私はお前の拳法では死なん!

 

「わかりました。やればいいんでしょう、やれば!」

 若干震える手でピアッサーを手に取ります。ううう……針が太過ぎる。

 躊躇していると犬神Pがそっと器具を取り上げました。

「止めよう。七星さんを怯えさせてまでやることではないよ」

「でもそれだと朱鷺ちゃんだけライブ衣装が揃わなくなります……」

「そこは衣装さんと相談してみる。穴を開けなくても使えるイヤーカフで似た形状のものを探して貰えばきっと合うものがあるはずだ」

「イヤーカフやイヤリングなら朱鷺さんも問題ありませんから、そうして頂けると助かります」

「でも今更調整が効くんですか?」

「その時は色々な人に土下座して回るから安心してくれ」

 どうやら穴は開けなくて済みそうです。でもワンコロに助けられるとはプライドが許しません。

 

「だ、大丈夫ですって! ザクッと大穴を開けて血をブシャーっと噴出させてあげますから!」

「そんなに血が出たら大問題になるよっ! あのさ、何度も言っているけど俺は七星さん達の保護者代理だからね。その子達を悲しませるようなことはできないんだ」

「何だか担当Pみたいな発言ですねぇ」

「担当Pだよ!」

 捻りはないですがキレの有る良いツッコミでした。芸人として少しは成長したようで監督官としては一安心です。

 

 

 

「それじゃ、失礼しまーす」

 解散後はそのまま家に帰りますが犬神Pが駅まで送ると言い出しました。いつものことですし断っても付いてくるので渋々承諾します。

「来週もスケジュールがびっしり詰まってますねぇ」

「森久保さん達の知名度や人気もかなり上がってきたからなぁ。その分負担は増えてしまうけど、今は大切な時期だから頑張って貰えると助かる」

「十分承知しています。アイドル過当競争のこの時代にお仕事の依頼を頂けるだけでもありがたいですよ。目の前の仕事を一つ一つ丁寧にこなして将来につなげていくつもりです」

 アイドルの人気なんてものは本当に水物です。トップレベルに近い人気と実力を持つアイドルが天狗になったりスキャンダルを起こしたりして没落したケースは過去に何度も発生していました。コメットに追い風が吹いている今だからこそ、これまで以上に謙虚になり何事にも誠実に取り組む必要があるのです。

 

「七星さん。道はこっちだよ」

 不意に後ろから呼び止められました。

「そっちの道は遠回りだっていつも言っているじゃないですか」

「でも大通りに面しているし明るくて人通りも多い。この道は近いけど暗くて危険だから絶対に通らないこと、いいね?」

「仮に襲われても即迎撃できますって」

「そうは言ってもやっぱり女の子だからさ。危険な目に遭う可能性はできる限り減らしたいって思うんだ」

「デスバッティングなんてやらせている時点で危険も何もあったものじゃない気がしますけど」

「あれは本当に申し訳ない……」

 とてもすまなそうに呟きました。嫌味を言いましたが龍田さんに言いくるめられたと思うので責める気はありません。彼は稀代の詐欺師並みの話術を持っているので、その内私を教祖にした新興宗教とか立ち上げそうで怖いです。

 

「でも私のことを女の子扱いするような奇特な人は家族とアイドル達を除くと貴方と龍田さんくらいですよ」

「まぁ、それは……」

 自業自得といえばそれまでですが超人か芸人扱いされるのが殆どです。個人的にはもっとアイドル本来の活動に目を向けて頂きたいですよ。ライブとかグラビアも頑張っていますし。

「そろそろPとして3年目に入るんですからもっとしっかりして下さいね。そうでないと担当Pと不仲だってまた騒がれます」

「善処するよ……」

 犬神Pのミス等の度にキレていたので世間的には私が彼のことを嫌いだと認知されています。実際には嫌いじゃないけど好きじゃないだけなんですよ。担当Pを嫌っているというのは私の清純派アイドルとしてのイメージを損なう由々しき事態なので、一刻も早く払拭しなければいけません。

 そんなことを話していると駅に着きました。

 

「お疲れ様でした。それではまた明日」

「ああ、お疲れ。最寄り駅に降りた後も気をつけてね」

「はいはい、わかりました」

「知らない人に声を掛けられても付いていっちゃ駄目だから」

「私は子供ですかっ!」

「ああ、中学生なんだから十分子供さ」

「くっ……!」

 累計では51歳ですけどという言葉が出かかりましたが押さえました。稀によくあるので気をつけなければいけません。

 私の身を案ずるだなんて変な人です。まぁそれはそれで嬉しくないことも無いですけど。

 

 

 

 それから数日後、コメットのメンバー全員が事務所内の会議室に呼ばれました。

「ほたるちゃん達は何の用事か聞いていますか?」

「いえ、大事な話があるとしか……」

 誰も詳しい事情は聞いてないので嫌な予感がしました。私の直感はよく当たってしまうから怖いんですよ。

「失礼します」

 ノックをしてから恐る恐る室内に入ると今西部長と犬神Pがいました。二人共かなり真剣な表情なのでこちらも身構えてしまいます。

「やあ、みんなおはよう。そんな所に立っていないでこっちにどうぞ」

「は、はい……」

 恐る恐るソファーに座ります。

 

「大事なお話って何でしょう?」

 黙っていても仕方ないので話を切り出します。

「回りくどく言っても意味がないので結論から話すよ。君達のPを務めている犬神くんなんだが……今月末で異動することになったんだ」

 ……え? イドウ?

 

「本当ですか!?」

 ほたるちゃんが驚いた様子で疑問の言葉を投げかけます。

「……ああ、本当だ。俺も昨日今西部長から知らされた。何でも今度アイドル事業部内にスカウト専門の課を作るらしい。そこに異動するみたいだ」

 なるほど。スカウトに特化した課であれば犬神Pが抜擢された理由が良くわかります。

 従来のアイドル事業部ではPが独自にスカウトしたりオーディションで選抜していたりしていましたが、スカウトと育成を切り分けることで業務を効率化する意図があるのでしょう。人を見る目に能力を全振りしている彼ならば確かに適任だと言えます。

 

「あ、あの……これって決定なんでしょうか……」

「うん、会社からの正式な辞令も既に出ているからね」

 今西部長がそう言うのであれば確定事項なのは疑いようがありません。こういう悪趣味な冗談を言う方ではないのですから。

「すみません、一つ質問してもよいでしょうか」

「何かね?」

「スカウト専門の課の創設と犬神Pの異動。この二つを決定したのは美城常務ですよね?」

「うん。君が推察するとおりだ」

 やっぱりそうですか。これだけスピーディーに組織変更ができるのはアイドル事業部の統括重役である彼女だけです。

 

「だが今月末とは性急だな。後四日しかないじゃないか」

「心配させてすまない。だが他に担当している子達も含めて業務の引き継ぎはしっかりやるから安心してくれ」

「こ、後任のPさんはどなたになるんでしょう……?」

「それは今調整中らしい。決まったらすぐ連絡するよ」

「わかりました……」

 犬神Pと話したいことは色々ありましたが、残務の処理で忙しそうなので今は止めてきました。それよりもコメット内に漂う不穏な空気を払拭することが先決です。

 

 

 

 とりあえず四人でプロジェクトルームに戻り今後の対策を練ることにしました。皆の顔に困惑の色が浮かんでいます。

「Pさんって、こんな簡単に変わってしまうものなんですね……」

 ああ、ほたるちゃんの表情に影が差してしまいました。最近は非常に安定していたんですからこういう余計なことはしないで欲しいものです。

「Pといっても会社組織の人間ですから、辞令があればすぐに変わりますよ」

「だが無責任なのは否めないな。『俺の手でトップアイドルにしてみせる!』と息巻いていたのにこれで終わりとはね」

「……もりくぼ達のPを続けてもらう事はできないですか?」

「それは難しいでしょう。サラリーマンにとって人事異動は避けられないものです。紙切れ一つで南極に飛ばされたとしても文句を言うことは許されません。

 雇用契約書で勤務地や職種が限定されていれば別ですが、彼の場合はそういう制限は設けられていないでしょうから素直に従う他に道はないんですよ」

 会社とはそういうものです。嫌なら辞めるしかありません。

 

「兎にも角にも彼のPとしての期間は残り四日です。去る者のことは一旦置いておいて、新しいPとどう接していくかなど今後の方針について考えていきましょう」

 私がそう言うとアスカちゃんがムッとした表情になりました。

「切り替えが早いのはトキの長所だが、その態度は些か冷徹ではないかな。彼はコメットの立ち上げからここまで僕達と同じ道を歩んできた盟友じゃないか。例え可能性は低くても異動を撤回させる道を模索するべきだよ」

 その考えはマッ○スコーヒーより甘いぞ! と言いたくなりましたが喧嘩になりそうなので堪えました。

 会社という組織では決まった人事が変わることは早々ないのです。そもそも社員全員が100パーセント納得できる人事などありえません。経営陣は組織全体にとって都合が良いように社員の配置を検討するのが実情なんです。

 

「皆の気持ちはよく理解できます。でもこの異動を決めたのは美城常務ですよ。あのアイアンレディに人情に訴えたところで一蹴されるのが関の山でしょう」

「朱鷺さんは犬神さんがいなくてもいいんですか?」

「私はコメットのリーダーとして、限られた資源を有効活用しユニットが得られる利益を最大化する義務があります。そのため現実を直視し最適な対応を取らなければなりません」

「そういう言葉が聞きたいんじゃないんですけど」

「犬神さんが必要だって素直に認めてもいいんじゃないでしょうか」

「急な話で皆さん混乱していると思います。取り敢えず今日は一旦解散して、明日以降に改めて話し合いをしませんか?」

「……はい、わかりました」

 情緒不安定な状態で話し合っても禍根を残すだけなのでこの日は解散しました。

 

「ふう……」

 帰り道の途中で軽く溜息をつきました。上手くいっている時ほど落とし穴にハマりやすいものですが、ここに来て特大の穴に引っかかってしまったようです。どうして天は私に試練ばかり与えるのか、コレガワカラナイ。

「よしっ!」

 気合を入れ直してスマホのロックを解除し、電話帳を開いて通話ボタンを押しました。何回かコール音が鳴った後でお目当ての相手に繋がります。

「お疲れ様です、七星です。夜分遅くに申し訳ございません。実は……」

 

 

 

 その翌日は学校が終わってから346プロダクションに向かいました。アポイントの時間になるまで待ってから美城常務の執務室を訪れます。

「失礼します」

「開いている、入りたまえ」

 ノックをすると美城常務の返事が返ってきたので入室します。いつもどおりのシリアスフェイスですけど今日は若干お化粧が濃いような気がしました。

 

「君達のPの件で話があるそうだにゃ」

「……にゃ?」

 執務室が一瞬静寂に包まれました。みくさんの魂でも乗り移ったのでしょうか。いや、別に死んではいませんけど。

「……コホン。失礼した、君達のPの件で話があるそうだな」

「え、ええ」

 何だかいつもより緊張した様子ですが何かあったんでしょうか。いや、そんなことは重要ではありません。面談時間は限られているのですから早く本題に入らないと。

 

「犬神Pの異動について再検討して頂くことはできないかご相談したいと思いまして」

「ほう。私の決定に不服があると?」

「いえ、そういう訳ではありません。犬神Pの人材発掘能力は確かに凄いので、スカウト専門の課を創設して分業体制にするというやり方は効率面から言えばベターな選択だと思います」

「ああ。いかに素晴らしい一等星でも人々に認知されなければ星屑でしかない。星屑の中から本物の星の輝きを見出す観測者としての役割が彼には相応しいと判断した」

「ですが今の段階でスカウト専門にすることについては懸念があります」

「どういうことだ?」

 美城常務の鋭い視線が私を見定めます。

 

「犬神Pの人を見る目は確かに素晴らしい才能ですが、一つの才能だけでこの業界を生き抜くのは困難です。スカウトに一点特化した課では基礎素養や業務遂行力、対人関係能力を十分に養えないでしょう。

 一方でPという仕事は営業から企画、宣伝、人材管理など多種多様な仕事を経験でき、それらのビジネススキルを習得することができる稀有な職業です。ちょうど今は私や他の子達のPとして能力を磨いているのですから、少なくとも数年間はPを継続しスキルアップをすることが今後の346プロダクションの繁栄に貢献することになると思います」

「……理由はそれだけか?」

「いえ、もう一つありますよ。現在犬神Pが担当しているアイドルは全て彼が発掘して育成しています。その分彼に対する信頼度は高いですからPの変更があるとメンタル面に支障が出る恐れがあります。実際コメットの他の子達は大きく動揺しているので現時点での異動は会社のためになりません」

 私は彼を育成する立場なので一切関係ないですよ。本当です。

 

「フッ……。空虚な言葉だな」

 おかしさに堪え兼ねるようにして少し笑いました。

「どういうことですか?」

「いずれも取って付けたような一般論でしか無く、君自身の想いや考えがない。『信念は山をも動かす』というが、その信念が全く感じられないのだから空虚と言う他ないだろう」

「それは……」

 それっぽい理由で煙に巻くことはできないか試してみましたが流石は美城常務です。付け焼き刃の屁理屈は完全に見透かされていました。

 

「ならば問おう。君自身はどうして欲しい?」

「わ、私は別にどうでもいいですよ。犬神Pや他の子達が困るだろうなと思って提案しただけであって、別に彼にPを続けて欲しいとかそういう要望は別に……」

「相変わらず素直ではないな。まぁいい。理由がそれだけであれば再検討を行う予定はにゃい」

「……にゃい?」

「……すまない、また噛んでしまった。ともかく再検討を行う予定はない。話は以上だ、通常業務に戻りたまえ」

「承知しました。失礼致します」

 今日の常務は一体どうしたのか気になりましたが、面談時間を過ぎていたので一礼してから執務室を後にしました。

 

「残念でもなく当然、ですよねぇ……」

 万が一の可能性に賭けてみたのですが見事に完敗です。以前のプロジェクト解散とは事情が違うためカーニバルに走る訳にもいきませんので、これで犬神P担当継続の芽は絶たれました。

 会社組織上仕方ないとは思いますけど彼には強く抵抗して欲しかったですよ。一緒にトップアイドルを目指そうとか何とか調子の良いことを言ってこの世界に引き込んだのに、人事異動だからハイサヨナラっていうのはどうかと思います。

「ば~か」

 つい出てしまった悪態は夕闇に溶けていきました。

 

 

 

 それから数日が経ちコメットの後任Pの就任日がやってきました。てっきり社内で選抜するのかと思っていましたが社外の方を中途で採用したそうです。年齢は40代で、他プロダクションにて長い間アイドルのPをしていたと千川さんから伺いました。

 初顔合わせなので四人揃ってプロジェクトルーム内で待機します。

「一体どんな方なんでしょうか」

「もりくぼは怖くない人が良いです……」

 雑談をしていると「皆さん、失礼するよ」という言葉と共に今西部長と見知らぬ男性が姿を現しました。

 

「やあ、おはよう。話は聞いていると思うけど後任のPが着任したから紹介しよう」

「やあやあ初めまして。今日から346プロダクションでお世話になることになった蛇崩(じゃくずれ)です。前任の犬神さんの引き継ぎをするのでよろしくね!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ふくよかな体型で眼鏡を掛けているので前世で有名だったあのPを思い出してしまいました。

「私は会議があるので、コメットの今後については蛇崩くんと打ち合わせをお願いするよ」

「承知しました」

 そう言って今西部長が退出されました。部屋には蛇崩Pと私達が取り残されましたが、担当とはいえ見知らぬ人なので乃々ちゃん達はかなり警戒しています。

 

「よし、じゃあ早速これからについて説明しようか!」

「は、はい……」

 蛇崩Pが空気を読まずに本題に入りました。いやいやいや、相手は女子中学生なんですからユーモアのある自己紹介やアイスブレイク(緊張緩和)をして話しやすい環境を整えましょうよ。そう思いましたが私の心配を無視して一方的にマシンガントークを繰り広げます。

 

「いや~、天下の346プロダクションだから身構えてたけど意外と大したことないね。所属しているPも正直言ってレベルが低いなぁ~!」

「はあ、そうですか」

「僕が前働いてきた時なんて一人で何十人も面倒見ていたよ!」

「大変だったんですね」

「ほら、僕って予算調達ができるしさ、大物とのコネも作れちゃうし、営業も管理もできるでしょ? それで更には広報もしてるって? 更にスカウトや企画も一人でやってるって?

 中々できないよ、そういうことは。中々難しいと思うよそういうことは。そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよ」

「へぇ~そうなんですかぁ~」

 知らないですよそんなこと! 思わず張り倒したくなりましたが担当Pなので我慢しました。

 というかこの人さっきから自慢話しかしてないです。もしかしたら仕事はできるのかも知れませんが一緒に働きたくないタイプの方でした。

 

「そういえば君達の前任Pなんだけどさぁ……。ぶっちゃけ無いよね~」

「無い、とは?」

 自慢話が暫く続いた後、急にワンちゃんの話題を振られました。

「話を聞いただけなんだけど、営業も企画もいまいちパッとしなかったそうじゃない。確かにスカウトの腕はあったみたいだけどPやってて営業が微妙って笑えるよ!」

 その言葉を聞いて無性にイラッとしました。

 犬神さんは必死になってPとしての仕事に取り組んでいたのです。確かに成果に結び付く機会はそう多くありませんでしたが、日々確かに成長していました。

 そもそも入社してからまだ3年も経っていないのですから色々と失敗してしまうのは当たり前です。彼はその失敗を反省し次回に生かせる人なので、どこの馬の骨かもわからない奴にこんなことを言われる筋合いはありません。

 

「で、でも頑張っていましたから……」

「成果が出なければ意味がないって。僕が若い頃なんて寝る間も惜しんでバリバリ働いていたのに若い連中はホント駄目だね!」

 犬神さんだって繁忙期には会社に泊まり込んで自分の務めを果たしていました。私はそうやって一生懸命頑張っている仲間をあざ笑う真似が何よりも許せません。

「やっぱりゆとり世代の若い連中って根性がないんだよなぁ~」

「…………」

 その後も彼に対するいわれのない誹謗中傷が続きました。もし堪忍袋の尾というものを具現化できるのであれば残り繊維一本という感じです。

「犬神って奴は無能だから左遷されちゃったんだよ。でもその点僕は優秀だから安心していいさ」

 その言葉と共に最後の一本が勢いよくブチ切れました。

 

「……さい」

「ん、何?」

「犬神さんに謝って下さい」

「な、なんで?」

「私は今アイドルとしてこの場に立っていられるのは犬神さんのお陰です。そして彼のお陰でかけがえのない仲間と出会うことができました。だから私は犬神さんもコメットの大切な仲間だと考えています。

 私への批判は甘んじて受けましょう。ですが私の仲間に対する悪口は絶対に許しません」

「じゃあ、僕よりも彼がPの方が良かったのかい?」

「犬神さんは苦楽を共にしてきたかけがえのない仲間です。それに私のことを超人や芸人ではなく一人のアイドルとして接してくれていました。だから貴方程度では全然、全く、これっぽっちも釣り合いが取れていませんよ! リーダーという立場なので我儘は言えませんでしたが私だって彼にPを続けて欲しかったんです!」

 溜め込んでいた想いをついぶちまけてしまいました。

「……それを聞きたかった」

 蛇崩Pがニヤリと笑います。するとプロジェクトルームの扉が急に開きました。

 

 

 

「は~い、ドッキリ大成功~~」

 棒読みのセリフと共に龍田さんが部屋に入ってきます。

 え?

 何これ、何?

「七星さん、お疲れ様でした」

「お疲れ?」

 未だに事情が読み込めません。いや、なんでプロジェクトルームに彼が? ていうかドッキリって何のこと? 後ろのカメラマン達は何?

 

「説明が必要ですか?」

「は、はい。すみません、まだ混乱していて……」

「今回の犬神Pの人事異動ですが、その話自体が嘘です。七星さんを引っ掛ける釣りでした」

 嘘、ウソ、うそ……。

 その言葉が脳内でリフレインした結果、やっと一つの結論に至りました。ああ、なるほど!

 

「嫌ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 思わず頭を抱え込んで絶叫しました。そのまま床の上に転がります。

「犬神Pとの不仲説が日頃から囁かれる七星さんですが、実際には彼をどう思っているのかを検証するために嘘の人事異動話を作り上げたという訳です。ご理解頂けましたか?」

「ですが美城常務も異動だって……!」

「もちろん彼女も仕掛け人です。執務室でのやりとりもちゃんと撮影済みですよ」

「あの女狐えぇぇぇぇーーーーーー!!」

 化粧が濃くて緊張していたのはそのせいですか! カーニバルの件を根に持ち過ぎでしょう!

「でもあの方がこんな下らないことに協力するとは思えないんですけど……」

「七星さんの猜疑心はアイドル界随一ですので、常務にご協力頂くことで計画の完成度をアップさせました。説得するのには流石に骨が折れましたが最後には了承頂けましたよ。

 騙し討ちのような形になってしまい大変申し訳ありませんが、捻くれた七星さんはこうでもしないと本音を晒さないと確信していましたので仕掛けさせて頂きました」

「こ、こいつ……」

 私の思考は完全に読まれていたようです。なんだこの化物。

 

「アスカちゃん達は知っていたんですかっ!」

「ああ。僕達も仕掛け人だから当然だよ」

「朱鷺さんが犬神さんを必要だと認めた時点でネタばらしをする予定でしたのできるだけ早く認めるよう促していたんですけど、力不足ですみません」

「ごめんなさい……もりくぼはわるくぼでした……」

「ミギャラーーーーーーーースッ!!」

 滑稽に踊っていたのは私だけでした。見ろよこれ、この無残な姿をよぉ!

 

「……もしかしてもしかすると、これってテレビとかで放送されます?」

「ええ。来月のドッキリ番組の特番で放送する予定なのでご安心下さい。私もゴールデンタイムに七星さんの可愛らしい赤面姿と熱いセリフを流すことができて感無量ですよ」

「ここで貴方を葬れば、真実は闇の中に……」

「それでは私はこれで失礼します。後は犬神さんと親交を深めて下さい」

 そそくさと撤退する龍田さんと入れ替わりに犬神さんが部屋に入ってきました。

 

「な、七星さん」

「……ッ!!」

 その顔を見た途端、恥ずかしいのと照れくさいのとで顔が更に赤くなるのを感じました。胸の動悸が早くなり頭の中がぐるぐるしています。

「かばってくれてあり……」

「消えろ黒歴史ィィィィーーーーーー!」

「がはっ!」

 手当たり次第にぶん投げたクッションの一つが顔面にクリーンヒットしました。

 

 

 

「いたたた……」

「大の大人が大げさですよ。たかがクッションじゃないですか」

「いや、君が投げたら凶器になるから!」

「そんなのはコーヒーでも飲めば治りますって。はい、どうぞ」

「どんな理論だよ……」

 買ってきた缶コーヒーを犬神Pに手渡します。車で送って貰う時は首都高のPA(パーキングエリア)に寄るのが定番になっていました。車内にコーヒーの香ばしい匂いが充満します。

 

「全く、貴方達のせいでとんだ大恥をかくことになりました」

 あの様子がお茶の間に晒されるかと思うと今から気が重いです。

「本当に申し訳ないけど、龍田くんは七星さんの評判を良くしたいと思ってやったんだから彼のことは許して欲しい。君の本音を引き出して評判を上げるにはあそこまで徹底しないといけないから例え世界一嫌われても構わないと覚悟を決めていたんだ」

「ああいう結末だったからまだ良いですけど、最後まで犬神さんなんて不要って流れだったら大惨事じゃないですか」

 担当Pのことを何とも思わない非情な女というイメージが付いたら笑えません。

「そこは彼なりに確信があったらしい。『七星さんは本音では犬神さんを大切に思っていると知っています。なので私を信じて下さい』と言われたよ。そうでなければこのドッキリ企画自体断っていたさ」

「あの人は一体何者なんですかね……」

 龍田さんがなぜ私にこだわるのか皆目見当がつきません。あの能力を自分のためだけに使えば多分短期間で富豪になっていると思います。

 

「飛鳥くん達のことは怒ってないのかい?」

「そりゃあネタバラシの時は『畜生めぇ~!』と思いましたけど今は気にしていないです。ドッキリも立派な仕事ですしね。むしろ情に流されずキッチリ仕事をしたので褒めてあげたいです。

 それに乃々ちゃん達には、もし私に対するドッキリがあった場合は全力で騙すようコメット発足時に言ってあったんです。もちろんほたるちゃん達に対するドッキリなら私が全力で仕掛けていました。だからあの子達に非は一切ありません」

「そう言ってもらえると助かる。悪いのは俺達大人だからね」

 それにこの程度の仕打ちであれば前世で慣れていますから別にどうということもないですよ。

 アニメの主役声優に抜擢されて後で嘘でしたと言われるよりかは100倍マシです。

 

「俺としてはP役の人を殴らないかヒヤヒヤだったよ」

「確かに私をイラッとさせる迫真の演技でしたからね。流石はプロの舞台役者さんです」

 私がキレた時には死を覚悟されたそうなので本当に悪いことをしてしまいました。

「そう言えばさっきは最後まで言えなかったけど、今日のドッキリではかばってくれてありがとう。正直あの批判は胸に刺さったけど、ああ言ってもらえて救われたよ」

「か、勘違いしないで下さい! あれは貴方の働きを第三者的な立場で冷静に評価したに過ぎないんですから!」

「うん、それでも嬉しかった。俺なんかが本当にPを続けて良いのか迷ってたから特にね」

 そう言いながら優しく笑いました。私と違って素直なのは彼の良いところだと思います。

 

「よしっ。それでは明日からまたPとしてキリキリ働いて貰いますよ! 私達をトップアイドルにするって言ったんですから、ちゃんと有言実行して下さいね!」

「はは……お手柔らかに」

「何言っているんですか。二度とああいう批判をされることのないよう、これまで以上にビシビシ鍛えますから覚悟するように!」

「はいはい」

「はいは一回でいい!」

「はい!」

 こうして犬神Pの異動騒動は幕を閉じました。いつもと変わりない日々がまた始まりましたが、コメットの絆はちょっとだけ強くなったのかもしれません。

 

 なおドッキリ放送後、人情に厚いアイドルとして好感度が急上昇したのは良かったのですけど、同時に『ドS系ツンデレアイドル』という超クッソ激烈に不名誉な称号が与えられました。また、偽P役の方も迫真の演技力が評価され今ではドラマに引っ張りだこです。

 アイカツを続ければ続けるほど清純派アイドルが遠のいているように感じるのですが、私の気のせいでしょうか?

 ちなみに美城常務にもファンが付いたらしく複数のファンレターが届けられ狼狽していました。YOU、もうアイドルデビューしちゃいなよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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