ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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番外編③ エピソードⅠ フォースの覚醒

「本当に問題ないの~? 一人でお留守番なんて……」

 お母さんが心配そうな顔で私を見つめました。日曜日の我が家の朝はまったり和やかムードなのが普通ですけど、今日に限ってやや緊張した雰囲気になっています。

「うん、だいじょ~ぶ! よるまでいいこでまってる!」

「急だったから臨時の保育所で空いているところは見つからなかったし~。ちょっと遠いけどうちの実家から誰か来てもらおうかしら~」

「だから、もんだいないよ!」

 御母上様は押しに弱そうに見えて意志が強すぎるのでこういう時には超面倒です。親戚のお通夜なんて急なことが普通なんですから、私に気にせず早くお外に行って下さい。ゲットアウト、出ていけぇ!

 

「よし、二人ともちょっと落ち着こうか!」

 先ほどから小競り合いをしている私達を見かねてお父さんが仲裁に入ります。

「大丈夫、朱鷺はそのうち四歳だもんな。夜までなら一人で我慢できるだろう?」

「うん! わたしちょーじょだから、がまんできる!」

「ああ、さすが長女だな。もし次女だったらこうはいかなかったぞ!」

 幼児ならではのアルカイックスマイルを携えながら元気に答えます。よし、時代の風がこちらに吹いてきましたよ。風が……くる……!

 

「本当に大丈夫かしら~。義叔父さんが病的な子供嫌いじゃなければ一緒に連れていけるんだけど……」

「はっはっは、親が子供を信頼しないでどうする! それにホームセキュリティだって一番良いのを頼んでいるんだから、この家に居さえすれば何も問題ないさ!」

「そういうものかしらねぇ」

 お母さんが渋々ながら引き下がりました。その後は気持ちを切り替えたのか、バタバタと外出の準備をしていきます。

 その様子をにこやかに眺めながら内心ほくそ笑みます。やった! 運命に勝ったッ!

 

 二人が準備を終えたので玄関先でお見送りをします。

「それじゃあ行ってくるけど、ちゃんと家でお留守番しててね」

「はい、いってらっしゃい♪」

「おう、さっと行って早めに帰ってくるからな!」

「おみやげもよろしく!」

 ドアが閉まるとリビングの窓の駆け寄ります。高級外車に乗り込み走り出すまで表情を崩さず外の様子を確認しました。

 

「さて、行きましたか」

 安全を確認してから先ほどまでの天使の笑顔を解除します。

「フ……フフフ……」

 意識はしていないのですが自然を笑いがこみ上げてきました。

「ククク……。フハハハハ……! フゥーハハハァ!」

 駄目です、喜びのあまり我慢できません。

「自由だァァァァーーーーーーーーーー!」

 溜まりに溜まったキ○ガイゲージを発散するかの如く、全力で咆哮しました。

 

 

 

 私が二度目の生を授かったのはだいたい三年くらい前のことです。他の子と同じく人の腹の中から生まれ出でたのは確かなのですが、不思議なことにその時から前世の記憶がありました。

 前世の私はただのやさぐれた中年男でありデススター級のブラック企業に使い潰された挙句無様にもおっ死んだのですけど、その頃の記憶はまだ頭の中に残っていました。私も幼児特有の妄想だと思いたいのですがそれにしては鮮明過ぎます。

 それ故に幼女の姿には未だに馴染めません。鏡を見ても自分だと認識するのにタイムラグがあるくらいです。

 

「それ以上に厄介なのは今の環境ですよ」

 現在の両親は前世のド畜生共と違いとても優しいです。またお母さんの実家はそれなりの名家なので経済状況も大変恵まれていました。それはありがたいのですけど、目を離したくないのか家でも仕事場でも一緒のためプライベートというものがあまりないのです。

 社交性を身に付けさせるために四歳になったら保育園に通うことが決まったので、今後は多少自分の時間を確保できるはずですが蓄積したストレスが溢れ出る寸前でした。

 そんな中、たった半日でも自分の時間を持てるとなったら喜ばない方がおかしいです。ですから今日は張り切ってボッチを満喫しますよ!

 

「おっといけないいけない。その前に日課が残っていました」

 リビング内をとてとてと歩き出し、絨毯が引いていないフローリングの床に四つん這いになり手を付きます。そのまま腕立て伏せの姿勢に移行しました。

「い~ち~……」

 掛け声を口にしながら腕を曲げます。すると小枝のように細い腕が過重に耐えられずバランスを崩しました。

「へぶちっ!?」

 勢いよく潰れたせいで鼻が床に直撃しました。思わずその場でもんどり打ちます。

 

「う、腕立て伏せは危険ですから今日は腹筋にしておきましょう!」

 気を取り直して姿勢を変えました。両手を頭の上で組み腹筋運動を行います。

「い~ち~。い~ちぃ~……。よっ、はっ! とうりゃっ!」

 腹筋を全力で活用しても全く体が起き上がりません。そのまま五分くらい格闘しましたが四十度以上の角度にはならず全然ダメでした。見切りをつけそのまま立ち上がります。

 

「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ!」

 誰も見ていないのに見栄を張りました。ちょっと悲しい。

 生まれ変わったことは我がボディにも大きく影響を与えています。以前の私は筋肉モリモリマッチョマンの変態とまではいきませんが、一通りの護身術を身に着け数多の修羅場を潜り抜けてきたのでそれなりの自信がありました。それが今や無様としか言いようがありません。

 

 とぼとぼと歩き脱衣所にたどり着くと身に着けていた衣服をパージしました。漢らしいパンイチ状態で自分の体をまじまじと観察します。

 朱鷺色のほんのり朱く鮮やかな髪。透き通るように美しい白い肌。最適解な顔のパーツの配置。街中でも殆ど見かけないどころか都心でも稀に見るレベルの美幼女だと言っていいでしょう。

「面白い奴だな、気に入った。殺すのは最後にしてやる」

 ヤダ、声まで超かわいい。

 これだけのハイスペックですから中身さえドブ川でなければ大層おモテになったでしょうにねぇ。この度は大変ご愁傷様でございます。南無南無。

 

  しかし先程語ったとおりこの体には大きな欠点があります。今の私は気品や優雅さ、麗しさに満ちていますが、そんなものよりなによりも――――

「筋肉が足りないっ……!」

 その場でがっくりと崩れ落ちました。

 お母さんが私を生んだ時はかなりの早産で、生まれた直後は相当な未熟児だったそうです。その影響だと思うのですが、普通の三歳児と比べてもかなり小柄なので全く力がありません。ダンベルなんて一キロも持ち上げられないでしょう。

 今やスローロリスやナマケモノに余裕で殴り殺される自信がありますので、日課のトレーニングで少しでも筋力を付けようと努力しているのです。だって力こそパワーですもの。

 

「ふぅ……」

 溜息をつきながら再び服を着ました。お嬢様なんだから筋力なんて必要ないと思う人もいるでしょうが、最後の最後に頼りになるのは親でも金でもなく己の拳のみであることは前世で理解しているのです。

 どんなに親密であろうと結局は他人。いつ裏切られるかわかったものではありません。だからこそ私は一人で何でもできるよう前世では必死こいて頑張ってきました。なので他人に頼ろうと思った時点で負けなのです。

 

 それに正直なところ、私は自分の両親すら信用していませんでした。日常生活を通じて良い人達であることは何となく伝わってきます。しかし前世で生きてきた際に、親というものは鬼アンド畜生でありこの世で一番憎いヤツだと強烈にインプットされていました。

 真冬に冷水をぶっかけて屋外に放置したり灰皿で顔面が変形するまで殴りつけたりしてくる奴が親というものだと思っていますので、今優しくしているのも裏があるような気がします。

 たぶん満六歳になると化け物の国に出荷されて脳味噌を食われたりするんじゃないでしょうか。もしそうなった時の備えとしてやはり力は必要です。

 

「それはそれとして……」

 自由気ままに羽を伸ばせる貴重な機会なので、今日は筋力アップよりそちらを優先しましょう。今日は夜まで一人宴会じゃあ!

 でも宴会するには相応のものが必要です。お酒は流石に無理だとしてもそれ相応のつまみくらいはないと侘びしすぎますよ。

 とりあえず冷蔵庫を漁って適当な食材を調理しちまいましょう。そう思いトコトコと歩いてキッチンにたどり着き、踏み台を使い冷蔵庫の扉に手をかけました。

 

「せい、はっ! おうりゃ!」

 百パーセント中の百パーセントの力を発揮しても冷蔵庫の扉はびくともしませんでした。五分くらい格闘した結果、すごすごと踏み台を降ります。

「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ!」

 ふふふ……まったく人をイライラさせるのが上手い奴ですね。このような屈辱的なエクスペリエンスは久しぶりですが今日は気分が良いので特別に許してあげます。これで勝ったと思うなよ!

 

 冷蔵庫を使用できないのは想定外でしたが、それならば常温保存の食材でなんとかする他ありません。黒いテカテカした虫のごとくキッチンを這いずって調理せずに食べられるものを何とか探し出しました。

「コーンフレークと、最中……」

 どっちも好きは好きですけど宴会には合わないですよ。彼らも晴れの宴会のメイン食材にされたら荷が重く感じるでしょう。冷蔵庫の中のからし蓮根が愛おしいです。

 

 再びリビングに戻ると、椅子に上って壁に飾ってある高そうな絵画を外しました。ソファーの上に慎重に置いた後、枠を外し絵と絵を固定する台紙を分離させると一通の茶封筒が姿を現します。

「よ~しよしよしよしよしよしよしよしよし、無事で何よりです!」

 封筒の中には複数枚のユキチーズが入っていました。これは母方の祖父から頂いたお年玉の一部であり、手渡されてからお母さんに没収される僅かな合間に抜き取り密かに隠していた裏金です。

 以前勤めていたマジックバーで習得した芸がこんなところで役に立つとは思ってもいませんでしたね。店長がスリで捕まって即刻閉店してしまいましたけど。支払い遅延していた二ヵ月分の給料を今からでも払ってほしいですよ。

 

 外出するなと釘を刺されているので遠出をするつもりはありませんけど、たまの機会なので近くのコンビニで買い物くらいはしたいです。徒歩二分の距離ですからこれくらいのわがままはきっと神様も許してくれるでしょう。というか許せ。

「じゃ、行ってきま~す」

 誰もいない家を後にして元気よく外に飛び出しました。

 

 

 

「ありあした~」

 会計を済ませルンルン気分で店外に出ました。最近発売されたコンビニ限定のつけ麺が無事に買えてよかったです。

 我が家ではジャンクフードを駆逐したがるオーガニック食品厨が幅を利かせていますから、こういうものは滅多に食べさせてもらえないんですよねぇ。ネットの情報ではコンビニ食品ながらレベルが高いとのことなので、食すのが今から楽しみです。

 ノンアルコールビールも店員の怪訝な視線に耐えながら無事に仕入れられたので、競馬の中継と競艇の中継を同時に見ながら休日を堪能しましょう。チータラとビーフジャーキーも調達しましたから優雅な午後になりそうですよ!

「死~ね死ね死~ね死んでしま~え♪ アイツもコイツもクソ野郎~♫ 醜い人類皆殺せ~。エブリバディデストロイ、イエイッ♪」

 即興で作詞作曲した小粋なオリジナルソングを口ずさみながら見慣れた道を進みます。角を曲がり我が家が見えた瞬間、視界が一気に暗転しました。

 

「……!」

 頭に布のようなものを被せられました。慌てて取ろうとすると何者かに抱き抱えられます。

「ちょっと!」

 必死で抵抗しますが力がクソザコナメクジ未満なのでどうしようもありません。そのまま狭いところに押し込められました。依然として視界は真っ暗なので状況が把握できないです。

 被せられた袋を引き剥がしていると何やらエンジン音と振動が体に伝わりました。どうやら私は車のトランクに押し込められたようです。荷室のサイズ的に多分セダンでしょう。

 

「これは、下手を打ちましたか」

 奥歯をぎゅっと噛み締めました。状況から判断して明らかに誘拐です。

 前世でも仕事絡みでヤのつく人達に拉致されたことが何回かありますが、こういう時は冷静になり状況を確認することが大切です。誘拐といっても相手がプロか素人か、金銭目的か略取目的かで取るべき対応は異なりますから今は下手に犯人を刺激せず様子を見ることにしましょう。

 大人しくしつつ一時停止と右左折の回数をカウントしていると車が完全に停車しました。そのまま待っているとトランクにノックの音が響きます。

 

「し、静かにしててくれ。そうすれば何もしないから!」

「うん、わかった」

 可愛らしい幼児を装いつつ努めて冷静に返事をします。もちろん恐怖心はあるのですが、こういう非常時にパニックを起こすと更に悪い事態になることは体験済なので気合と根性で不安を押し殺しました。

「今から君を家に連れていく。ちょっとでも騒いだら……わ、わかるだろ?」

 どもり声が聞こえるやいなやトランクが僅かに開きました。すると差し込む光と共に太いロープを手にした男の姿が見えます。騒いだら絞め殺すと暗に言いたいのでしょうか。

「わたし、しずかにしてるよ」

「よ、よし……」

 頭に上着を被せられつつも周囲の光景を目に焼き付けます。そのまま近くのマンションの一室に連れ込まれました。

 

 

 

「クソッ! 何やってんだ俺はあッ!」

 誘拐犯の苛つき声がトイレの中にも伝わってきます。室内に入るなりここに押し込まれましたが、縛られるわけでもなく結構な時間が経過していました。

「おにいちゃん、だいじょ~ぶ?」

「ん? あ、ああ……」

 相手を落ち着かせるために何度か声を掛けました。姿ははっきりとは見ていませんが声から判断すると成人男性のようです。声が上ずっており震えているのでプロではないようですね。

 仲間がいるような様子でもなく場当たり的な犯行のようなので逃げるチャンスはありそうですが、逆上させたら命が危ないですから友好的な態度でなだめるように接し続けます。

 

「おかーさんがしんぱいするから、おうちにかえりたいな。いまかえしてくれたら、おにーちゃんのことだれにもいわないよ?」

 誘拐犯が落ち着いてきたので解放してもらえないかそれとなく話を振ってみました。犯行を後悔しているような素振りも見せていたので、もしこれで解放してくれたら万々歳です。危害を加えられた訳でもないので穏便に済ませば口外するつもりはありません。

 

「ダメだ。金が取れなきゃ俺は結局お終いなんだよ!」

「おかね?」

「医者ならそれなりの額持ってるだろっ! 君を人質にして貯めこんだ金を出して貰うのさ!」

「ふ~ん。そうなの」

 解放の代わりに最高級の情報がゲットできました。しかしながら、至る所に監視カメラがあるこの時代に身代金目的の誘拐だなんて発想が短絡的過ぎませんか。

 誘拐は検挙率が高いうえに罰則も重いので私だったら迷わずに特殊詐欺を選びます。某保険会社だって高齢者を相手に詐欺まがいの搾取をしてましたしね。いや、別にやるつもりは全くないですけど。

 

「どうしておかねがいるの?」

「ちょっと前に死んだ親父が借金まみれでさ。その借金を俺が払えってガラの悪い金融屋達に脅されてるんだよ。強盗でも何でもしてもいいから金返せって。そんなの払えないから死のうと思ったんだけど、ふと君の姿を見て」

「そうなんだ、すごいね!」

 私から聞いといてアレですけど、出会って一時間未満の幼女に心情を吐露しちゃう大人ってどうなんでしょう。そう思いつつ今の話を整理すると明らかにおかしい部分に気づきました。

「なんでそうぞくほーきしないの?」

「……相続放棄って何?」

「えぇ……」

 コイツ、アホだアホだと思っていましたけどまさかここまでとは……。

 

「ちょっと、ここを開けて下さい」

「えっ、それは……。人質なんだから、駄目だって」

「いいから早く! 大切なことなんですよ!」

「は、はいっ!」

 叱りつけるとドアが勢いよく開きました。男の一人暮らしらしく、部屋の中は全体的に雑多な印象です。

「なるほど、そういうことですか」

「う、うう……」

 誘拐犯の顔をちゃんと見たところ、以前ウチの医院に何回か通っていた肥満体な中年フリーターさんでした。普段医院には私もいるので、この顔を覚えられていたのでしょう。

 

「紙と書くものはあります?」

「ええと、そこに」

 部屋に入るなり片面印刷のチラシとボールペンを床から拾い上げてコタツ机の上に置きました。机越しに対面で座り事情聴取を始めます。

「とりあえず貴方のお父様の没年月日、それと貴方の住所氏名年齢職業等を教えて下さい」

「どうして、そんなこと……」

「貴方の人生に関わる大事なことだからです。早く!」

「は、はい!」

 

 

 

 その後は悪徳弁護士事務所の事務員時代の知識を思い出しながら誘拐犯の話す情報を分析していきました。そして今後の対策を整理し、サルでもわかるようにかみ砕きながら彼に伝えます。

「……と、いうことです。簡単にまとめると貴方はお父様の連帯保証人にはなっていませんので、相続開始を知った時から三ヵ月以内に相続放棄すれば借金自体引き継ぐ必要はありません。払う義務があるなんてただの脅し文句です」

「それマジ?」

「ガチのマジです。それに例え連帯保証人だった場合でも最悪自己破産して免責を受ければ借金はチャラになるんですよ。専門の弁護士に依頼すればギャンブルやFXでの借金でもない限り普通に受けられます。自己破産は信用情報に傷が付いちゃいますけど自殺や犯罪に手を染めるよりはマシでしょう?」

「そりゃそうだ……」

 誘拐犯が赤べこのように首を縦に振りました。

 

「今回は貸主側が悪徳業者っぽいので相続放棄の手続きは専門の弁護士に依頼した方がいいと思います。無料の法テラスに行けばもっと丁寧に教えてくれるので利用して下さい。弁護士費用で十万円くらいはかかりますけどそのくらいは日雇いバイトで稼げるでしょう?」

「ありがとう……」

 誘拐犯が涙ぐみました。

 

「誘拐したのにこんなに親身になってくれて、本当にありがとう。まるで君は天使だ」

 私が天使なら世の中の殆どの人は神的な存在ですよ。彼の中での評価がうなぎ上りのようですが心底どうでもいいです。お弁当に入っているプラ製の草くらいどうでもいいです。

「いえ、お気になさらず。ではもう帰って良いですよね? 先ほどの通り今日のことは私の胸の中に一生しまっておきますので安心して下さい」

 借金の問題が解消されたので身代金はもう必要ないはずです。このまま未成年を拉致監禁していれば実刑コースは確定ですから、サル未満の知能でない限り解放してくれるでしょう。

 

「嫌だッ」

「は?」

 予想外の返事のため思わず固まってしまいました。いやいやいや、意味が分からへん。

「じ、実は他にも借金あるし。それになにより、女なんてクソみたいな奴ばかりだけど君は違う! 君は俺の前に舞い降りた可愛くて優しい天使だ。だからこのまま一緒に暮らそう!」

「味噌汁で溺死してから出直してきて下さい」

 コイツ思い込みが強すぎますよ! 誘拐なんてやらかすだけあって私の予想を遥かに超えたやべー奴です。比較したお猿さんに大変失礼でした。

「そもそも私三歳ちょっとなんですけど! 学校にも通ってないんですけど!」

「大丈夫、歳の差なんて俺は気にしないから!」

「こっちが気にするんじゃい!」

 借金の問題を解決すれば大丈夫と思っていましたが、まさか私に執着してくるとは。流石の私もこんなロリコンの対応方法は思いつきません。もうこうなったら取れる方法はただ一つです。

 

「逃げるんですよォォォーーーーッ」

 全ての力を振り絞って玄関のドアに駆け出しました。幼女の身では対抗する術がないので一刻も早くここから脱出するのです! 猪突猛進、猪突猛進、猪突猛進!

「待て!」

 内鍵を開けドアノブに手をかけたところで男に手を掴まれました。肥満体形でかなり体重があるので今の腕力ではとても抵抗できません。最後の力で扉を少しだけ開けます。

「助けてーー! 変態ストーカーに襲われてまーーす!」

「し、静かにしろ、騒ぐな!」

 全力で叫ぶと手で鼻を強く押さえつけられます。力の加減を知らないのか呼吸さえままなりません。すると徐々に気が遠くなってきます。意識までもうろうとしてきました。

 

 

 

 ああ。

 

 私はまた、無様に死ぬのでしょうか。

 

 何も得られず、何もできず。

 

 こんなところで、無残に。

 

 

 

 

「ふざ、けんなッ……!」

 また惨めに死ぬとか、そんな事があってたまりますか。私にばかり不合理を押し付けるなんて、間違っています。

 こんな理不尽は絶対に許せない。許せる訳がないでしょう!

「……誰か、私に、力を────」

 そう願った刹那。体の芯が急速に熱くなりました。

 

「かはっ!」

 次の瞬間、全身の筋肉が雑巾を絞る時のように締め上げられます。血管が全て爆発し無数の針が飛び出してきたかのような感覚に襲われました。

 苦しいっ。苦しいっ。苦しいっ!

 呼吸するたびに経験したことのない痛みが走ります。まるで体中の臓物が無造作に引っ掻き回されているかのようです。心臓も鼓動どころではなく今にも飛び出す勢いでした。

「ーーーーーー!」

 声を出すこともできません。あまりのショックで気を失いそうになりますが目まぐるしい激痛のせいですぐに蘇生してしまいます。

 そんな死の痛みと引き換えに、暖かい光が私に降り注ぎました。

 

 

 

 永遠とも思える地獄が終わると激痛がすっと収まり、真っ黒だった視界が白く開けていきます。

 次第に意識がはっきりしてくると、先ほどと同様に玄関先で誘拐犯によって体を押さえつけられていました。ですが決定的に違うことが一つあります。

「邪魔、です」

 私の体に絡みついている腕を軽く振り払いました。

 先程まで万力のように感じていましたけど今では羽のように軽いです。というか私の力が異様に強くなったという確信がありました。なぜかは見当が付きませんが、今ならば例え戦車でさえ負ける気がしません。

 

「な、何なんだっ。その馬鹿力はっ!」

 静かに立ち上がると再び誘拐犯と対峙します。不思議なことに気分は凪いでいますが、一方で眼前の外敵をどのように仕留めるか頭が勝手に考えていました。どこを攻撃すれば効率的に敵を破壊できるか本能的に理解できています。

「もう一度言います。誘拐のことは口外しないので帰らせて下さい。そうすれば何もしません」

「嫌だ……! 嫌だあっ!」

 そう叫びながら私目掛けて悪質タックルを繰り出してきます。ちょ、ちょっと危ないですよ!

「きゃっ!」

 思わずその場にかがみ両腕で頭をガードしました。

 

 曲げた肘に軽い衝撃が走ります。次の瞬間、木製バットが折れた時みたいな気持ちの良い破裂音が周囲に響きました。

 すると誘拐犯が玄関先に倒れこみます。恐る恐る観察すると右手の肘から先が本来曲がってはいけない方向に折れ曲がっていました。え、私何かやっちゃいました?

「あががががあぁぁぁぁーー‼」

 男の悲鳴がマンション内に響きました。大人なためか声の音量は私とは段違いであり、周囲の部屋の住民が外に出てきたようです。これはまずいですよ!

 

 本来私は家で留守番をしているはずなので、勝手に外出して誘拐されたなんて知られたら両親にどれだけ怒られるかわかったものではありません。しかし玄関からは出られないため、慌てて靴を回収しベランダの方に駆け出します。

「うひゃあっ!」

 窓を開けて下を眺めると軽く十メートル以上あるのに気付きました。ここから降りるのは自殺行為ですが今の私には問題ないという確信があります。

 祈りを込めて自由な世界に飛び出しました。

 

 

 

「はぁ~」

 家の近くの公園に戻ってくるとくたびれたベンチに腰を掛けました。ここまでの道のりで尾行者はいなかったのでもう安全でしょう。

 それにしても一度気を失いかけてからの出来事はいったい何だったんですかね。非現実すぎて夢の中の出来事みたいです。しかし誘拐が現実であった以上あれも事実に違いありません。実際今だってあの凄い力が私の中に残っているのですから。

 

「そういえば」

 特別な力でピンときましたが、前世で私が死んだ直後にそんなものを与えるとか何とか言われたような気がします。てっきり今の恵まれた環境のことを指していると思っていましたけど、もしかしてこの力がそうなのでしょうか。

 確かに力は欲しいと前々から思っていたものの、軽い肘打ちで腕を折り曲げたりマンションからマンションに飛び移ったりする力は明らかに過剰ですよ。勢いで力を欲しましたけど『過ぎたるはなお及ばざるが如し』ですから前世と同じくらいが丁度よいのです。

 

 色々あって喉が渇いたので自動販売機に駆け寄りました。お金を入れて一番下のボタンを押すと缶入りの炭酸飲料が出てきます。

「とりあえず一息入れましょうか」

 プルタブのフタを軽く開けた瞬間、ジュースの缶がいきなり爆発しました。

 

「目が、目があ~‼」

 シュワシュワの洗礼を食らってもだえ苦しみます。

「まさか誰かが私を消しにっ!」

 視界を取り戻すやいなや周囲を警戒しましたが普段通りの公園の風景です。

 破裂した缶が飛び散っていたので残骸を確認すると、丁度手の形に沿って引き裂かれていました。裂け目の大きさは大体幼児の掌くらいです。

 

「ええと、もしかして」

 とても嫌な予感がしたので再び自動販売機に硬貨を入れました。今回は丈夫なスチール缶の缶コーヒーを選びます。出てきた缶の中身を水道に捨ててから片手で軽く握り、少しずつ力を入れていくと紙パックのようにあっさりと変形していきました。

 あっ、なるほど。私はもう人間をやめているんですね。

 

「はっ、とうりゃ!」

 その後能力を消すよう色々と試してみましたが謎の超パワーは一向に消えませんでした。

 試しに力いっぱいジャンプすると近所のタワーマンションくらいの高度にたどり着きます。おっ、今日は富士山が綺麗ですよ!

「……で、普通の世界に住んでる超人はどうすりゃいいんですか?」

 か細い呟きが夕暮れの空に消えていきました。

 

 

 

 それからの日々は酷い有様でした。今の私の状態を例えるならば、『家具や家電、建物、人体等が全て木綿豆腐で出来ている世界』で生活しているようなものでしょうか。常に気を付けていないとぐしゃっと潰しかねない感覚が少しは伝わるかと思います。

 もちろん注意を払っていても有り余るパワーは完全には制御できません。家中のドアの取っ手は壊すわテレビのリモコンは握り潰すわ、転んだ拍子にお父さんのゴルフセットを素手で瞬断するわで日常生活に多大な支障が出ています。

 

 ですがそうやって色々な物を壊していく内に自分の能力の正体が理解できました。本当に、本当に馬鹿らしい話ですが、私に与えられたのはあの北斗神拳────正確には『トキ(北斗の拳)と同じ程度の能力』だと確信しています。

 ただの馬鹿力だけならほかの能力の可能性もありますが、人体の急所である秘孔がどこにあるかわかりますし壊し方も治し方も完全に理解できています。何より前世の死後に出会ったクソガキが『土岐創』という前世の名前にちなんだ能力を与えると言っていましたから確定でしょう。

 

 これはこれで便利な点もありますけど、自分で鍛え上げた力ではないのではっきり言って持て余していました。

 ファンタジーやメルヘンの世界なら生かしどころもあるかもしれませんが、ここは前世とあまり変わりのない現代です。こんな力はゴッサムシティに生まれ変わらない限りいらないですよ。

 どんなことでもやり過ぎはあかんのです。だってほら、調子に乗っていきなり急拡大したステーキ屋さんもブームが過ぎた途端いきなり経営危機になってますし。

 

 なお、不幸中の幸いですがあの誘拐事件は表ざたになっていませんでした。というのもあの誘拐犯は私が腕をへし折ってから数日後に失踪し行方不明とのことです。

 近所の噂好きのおばさんが話していましたけど負の遺産だけではなく質の悪い闇金にも借金をしていたようで、消える前には黒い服の男達がうろついていたとのことでした。

 今頃臓器を抜かれているか地下強制労働施設に送り込まれているかは知りませんが、あんな仕打ちを受けたのですから流石に同情はできませんね。来世は真っ当な人間に生まれ変われるよう少しだけ祈っておきます。

 

「よいしょっと」

 潜り込んでいたベッドの掛け布団を引き剥がし部屋の外に這い出ます。十二月も中旬を過ぎ夜に布団から出るのは辛い寒さですが、喉が渇いてしまったので一階のキッチンに向かいました。

 この能力が発現する前は両親と一緒に寝ていたのですけど、寝返りで殺しかねないため頼み込んで自分用の部屋を用意してもらっています。

 

 幸いなことに今までの破壊活動に関して叱られたり私の力について問い詰められたりすることはただの一度もありませんでした。流石に気付いてない訳はないのですが、自分達の娘が異常者だと思いたくはない一心で見て見ぬふりをしているのかもしれません。

 しかしこの能力に目覚めてから既に数ヶ月経っているため、そろそろ何らかのアクションは起こしてくるのではないかと心配しています。最悪の場合、超能力者を集めた秘密結社等に強制送致される可能性もありますので脱出する準備は整えていた方がいいでしょう。

 

「あれ?」

 部屋に戻ろうと暗い階段を上がっていると、両親の部屋にほのかな明かりが灯っていました。

「はぁ、どうしようかしらねぇ」

 様子を探るとお母さんの深い溜め息が聞こえてきました。普段は明るく振る舞っているものの、この数日は私が近くにいないとこのような調子で思い悩んでいます。

 きっと私の力と存在が疎ましいに違いありません。こんな異形の化物を産んでしまってこれからどうしようか途方にくれているはずです。だって前世の母親も私のことを疎んじていましたもの。

 

 彼女に気付かれないようにそっと自室に戻ります。

「ははは……」

ドアを閉めると自嘲を含んだ笑い声が部屋の中に響きました。

 結局、結局こうなるんですよね。どんなに頑張っても、どんなに良い子を演じていても最後には親に見捨てられる忌み子が私です。

 昔の偉い哲学者さんは『子供とは父母の行いを映す鏡である』と仰いました。前世の私の両親は便器に吐き出されたタンカス共だったので、そいつらの子供である私も結局は同類なのでしょう。幸せになる価値がない、いや幸せになってはいけない存在です。

 

 このままだと両親にもっと迷惑を掛けてしまうのが確実なので、近日中にこの家から脱走しなければいけません。

「ようやくまともな人生を歩めると思ったんですけどね」

 ホイ卒どころかホイ入すら出来ないとは思いませんでしたけど、こればかりは仕方ないです。

 幼児が一人でも目立たない場所といったらやはり山奥しかありません。アブや蚊などの害虫は嫌いですが、この身体能力があれば山菜や野生動物が捕り放題ですから食糧には困らないでしょう。身分を隠すため戸籍がなくなってしまうのはかなり痛いですが仕方ないです。

 

「人生クソですよクソ」

 何かもう、精神的に疲れちゃいました。これでも前世の親みたいなドクズにはならないよう自分なりに真っ当に生きてきたつもりです。社会的には最底辺でしたが犯罪に手を染めることもなく、他人様にあまり迷惑をかけることのないよう息を殺して生きてきたのにこの仕打ちはあんまりではないでしょうか。

「間違っているのは私じゃないです。世界の方ですよ」

 頬を手で拭うと急に腹が立ってきました。何かもう、全てがどうでもいい気分です。

 

 だいたい、人に迷惑をかけ続けてきた不良がちょっと更生しただけで真面目に生きていた人より評価される理不尽な社会ですもの。真っ当に生きたところで何の恩恵もありません。あれ、それじゃあ真面目に生きるだけ損じゃないですか?

 そう思うともう何もかもぶっ壊したくなってきます。

「もう、堕ちちゃってもいいですよね? 暗黒面……」

 私の心は恐れや怒り、憎しみといった負の感情に支配されつつありました。

 

 

 

「……サムゥイ」

 次の日の朝は寒さのためか早く目覚めてしまいました。外はまだ少し暗いですが二度寝する気分でもないのでベッドから起き上がります。

 日めくりカレンダーを慎重に一枚めくると十二月二十四日と書かれていました。ああ、そういえば今日はクリスマスイブでしたっけ。まぁどうでもいいですけど。

 クリスマスはケーキを売ってチキンを売ってケーキを売った思い出しかありません。悪夢かな?

 

 寝起きでぼ~っとしていると階段を駆け上がる音が聞こえてきます。この足音はお父さんでしょうが、昨日の夜のことがあったので緊張して身構えてしまいました。すると自室のドアが勢いよく開きます。

「朱鷺! メリークリスマスだ!」

「メリークリスマス……って、そのかっこうなに?」

 クリスマス以前に彼の恰好が気になりました。だって家なのにライフジャケットを着込んでつばの広い麦わら帽子を被っているんですもの。

「それじゃあ、釣りに行くぞ!」

「は?」

 ナニソレイミワカンナイ。

 

「うみだね」

「ああ、海だな!」

 あのまま着替えをさせられ車で連れ出され早二時間。港に着くと眼前では潮の流れが大河のようにのんびり移動していました。ちなみに今日釣りに行くなんて話は事前に一言もありません。それどころか今まで生きてきた中でお父さんから釣りという単語が出たことすらないです。

「つりってここでするの?」

「いいや、違うぞ。五丁目の不動さん────ほら、あの建設会社の社長さんが小型のクルーザーを貸してくれるって話になってな。せっかくだから釣り竿とか器具をまとめて借りてきた!」

「そ、そう……」

 

 私とは違い何事にもポジティブでコミュニケーション強者なのは素晴らしいのですが、たまに突拍子のないことを始めるところは苦手です。小説だって通常は起承転結はありますが、彼の場合は承転を飛ばして起結で終わってしまうことも多々あるのです。

 いつもであればお母さんがいさめるのですけど、今はお家でクリスマス会の準備をしているため扱いに困ってしまいました。

 

 港には複数のクルーザーが泊まっているので、借りる船がどれか一つ一つ確認をしていきます。

「よし、これだ!」

 どうやら目当てのクルーザーが見つかったようです。小型ながらまだ目新しいですし設備が整っていそうなので一安心でした。

「鍵穴‼ この船を動かすにはエンジンキーがいるのか!!」

「そらそうよ。じゃなくて、ふつうそうだとおもうけど」

「なーんてな! ちゃんと借りて来ているぞ!」

「う、うん」

 天然ボケなのか普通のボケなのかが超わかりにくいですね、この人。

「道具は持ったな‼ 行くぞォ‼」

 エンジンを掛けて沖へと繰り出します。小型船舶の免許は大学時代にノリで取ったそうですが、操縦するのは数年ぶりとのことなので不安しかありません。

 

「よーし到着だ!」

 無駄に元気な声と共に船の加速が止まりました。水平線を眺めると他にも釣り船がぽつぽつあるので、それなりに人気の釣りスポットなのでしょうか。

 こうしていると漁船勤務時代を思い出しますねぇ。でもカニ漁はもう二度と御免です。

「きょうはなにをつるの?」

 冬がシーズンの魚は色々ありますけどやはり個人的にはブリが一番ですね。刺身はもちろん照り焼きや煮付けも良いです。ブリしゃぶと熱燗が揃えば私は無事成仏できるでしょう。

「魚のことはよくわからんからな。とりあえず大きいのが釣れればいいさ!」

 うん、魚の見分けがつかないことは知ってました。

 

「イクゾー!」

 一通り仕掛けが終わったので二人して釣りを始めました。自慢ではありませんが釣りには結構自信がありますから、初心者さんの顔を立てつつ実力の差をはっきりと示して差し上げましょう。

「おっ、掛かった!」

 ものの五分でお父さんの竿が大きくしなりました。手伝おうかとも思いましたが、電動リールはちゃんと扱えていますし素人ながら緩急をつけつつ巻き上げてるので様子を見守ることにします。

 するとかすかながら魚影が見えてきました。そろそろ網の準備をしようと思った瞬間、網がないことに気付きます。もしかして借り忘れた?

「早く網をくれっ」

「ちょっとまって!」

 もしかしたら船内にあるかと思い中に飛び込みます。すると目当てのものを見つけました。

「あったよ! アミが!」

「でかした!」

 

 協力して魚を引き上げます。釣れたのは体長五十センチメートル程度の見事な真鯛でした。

「よくわからんが美味そうな魚だな。これは幸先がいいぞ!」

「そ、そうだね!」

 ま、まあ何事にもビギナーズラックというものがありますし? 初心者さんでもマグレで大物が釣れるということもなくはないでしょう。ここから私の快進撃が始まりますので指をくわえて見ているといいです!

 

 

 

 それから二時間ほど過ぎました。

「おお、またでかいのが釣れたぞ!」

「はいはい、すごいすごい」

 カンパチを網ですくいながら棒読み気味に返事します。さっきからボウズの私をしり目にバカスカ大物を釣り上げやがるとは、娘に対する接待プレイという概念を知らないんでしょうか。

「よし、それじゃあ休憩して昼飯にしよう。ではここをキャンプ地とする!」

「ふねのうえなんですがそれは」

 そう言いながら一旦竿を上げました。丁度いいタイミングなので朝から抱えていた疑問をぶつけてみます。

 

「びょういん、やすんでだいじょうぶなの?」

 クリスマスイブと言えど今日は普通に平日ですから医院を開けなければいけないはずです。それなのになぜのんびり釣りなんてしているのか全く理解できませんでした。

「問題ないさ。なんていったって今日はクリスマスイブだからな!」

「いや、きんじょのひとがこまるって」

「ははは、急病ならどうせ救急車を呼ぶから町医者が一日休んだところで影響ないぞ。いや、例えあったとしても俺は家族を優先する!」

「いしゃなのにふりょうじゃん」

「まあそうだな。親父に知られたらす巻きにされて隅田川に投げ込まれただろう」

 お父さんの親父ということは祖父のことを指しているのでしょう。私が生まれた時には既に亡くなっていたので一切面識はありませんが、名医だったとは聞かされていました。

 

「おじいちゃんも、おいしゃさんだったんだよね?」

「ああ、そうだぞ。凄く難しい手術を何度も成功させた有名な名医だったんだが、仕事が生きがいな人でな。俺が小さい頃は殆ど姿を見たことがないくらいだ」

 へぇ、そうなんですか。家族ファーストなお父さんとは対照的な感じです。

「うんどうかいとかも、こなかったの?」

「もちろん。運動会どころか入学式や卒業式もいなかったし、家族旅行なんてしたことがないレベルだったな。当時は結構寂しい思いをしたから、俺は自分に家族ができた時には家族を最優先すると決めている!」

 仕事一筋の父とそれに反発する息子ですか。なんか朝ドラに出てきそうな展開です。

 

「おとうさんはおじいちゃんのこと、きらいだった?」

「いや、そうじゃないぞ。あれはあれで自分の生き方を貫いていて格好良かったとも思うな。親父が救った患者さんは沢山いるし、正直医者としては一生かかっても到底及ばないだろう」

「でもおとうさんにとっては、よいおとうさんではなかったんだよね」

 私だったら家族優先のお父さんの方が何倍も良いですけど。

 

「ははは、何事も良い悪いで判断しなくていいんだ。親父は患者優先だが俺は家族優先ってだけで、どちらが良いというものじゃないのさ」

「それはそうだけど」

「どんな生き方をするかはその人の自由だ。もちろん個性もどれが上で下かなんて優劣をつけられるものじゃない。だから朱鷺だって、どんな個性を持っていても自分らしく好きなように生きた方がいいし楽しいと俺は思うぞ!」

 言い終わると優しい笑顔を私に向けました。

 言わんとしていることはわかりますが、結局この世界はマウントの取り合いです。他者と比べて劣る点が少しでもあれば集中攻撃され虐げられるのは骨身に染みて知っていました。

 

「こせいにもげんどがあるでしょ。それでもしメーワクをかけたらただのけってんだよ」

「いや、朱鷺は普段良い子だからな。たまにやらかすくらいが丁度いい!」

「でもゴルフセットをだめにしたし」

「あれはだいぶ古かったから買い換える良い口実になって助かったぞ!」

「くるまのドアだってひっぺがしたじゃん」

「修理ついでにドライブレコーダーを付けたら煽られなくなって安全になったな!」

「で、でもコミュしょうだよ!」

「そういう美少女は需要があるから心配しなくても大丈夫だ!」

「ぐぬぬ……」

 何でも肯定してくるので調子が狂います。気が抜けたらなんだかお腹が空いてきました。

 

「おべんとう、とってくる」

「おう、頼む!」

 船内に入り持参したクーラーボックスからおにぎりの包みを取り出しました。

「ふふっ」

 先程のやり取りを思い出して少し笑ってしまいました。これでは色々と悩んでいたのが馬鹿みたいじゃないですか。

 今日の釣りは最近私が落ち込んでいたのを本能的に察して急遽企画したのでしょう。直球でフォローすると私のプライドが傷つくので父と祖父の生き方を例にして、どんな個性を持っていても良いのだと伝えたかったに違いありません。

 

 全く、累計年齢で換算すれば年下にフォローされるとは情けないですね。ですがその言葉に少し救われている自分がいます。甘ちゃんな考えには違いないですが私には心地良い甘さでした。

 船内から出ようとしたところ超人的な聴力がお父さんの呟き声を捕捉します。

「どんな力を持とうが朱鷺は俺達の大事な娘だ。だから心配しなくていいぞ」

「……」

「でもいつか、朱鷺のことを理解してくれる友達ができるといいな」

 良い友達ができるかはわかりませんが、良い父には巡り会えましたよと心の中で返事をしておきました。

 

 

 

「はい、メリークリスマス!」

「メリークリスマス!」

 釣りの後は一直線で家に帰りました。釣った魚の解体が一段落しましたので、お母さんの作った超豪華料理を囲んでのクリスマス会です。

「おっ、やっぱり普通のホールケーキにしたのか!」

「朱鷺ちゃんはチョコレートケーキの方が好きだからどっちを作るかずっと考えたんだけど、やっぱりクリスマスらしい方が良いと思ったのよ~」

 ちなみにお母さんが最近深く悩んでいたのはクリスマスケーキのチョイスについてでした。あれだけ疑心暗鬼に陥っていたのが阿呆らしいです。私って、ほんとバカ。

 

「朱鷺は最近成長期なんだから沢山食べるんだぞ!」

「うん、わかった」

 確かに私の身長はここ最近急に伸び始めました。この能力に覚醒した時期と一致していますから多分その影響を受けているのかもしれません。

「このところ無事に成長してくれて何よりだ! 朱鷺が生まれた時は本当に小さくて命すら危なかったからなあ」

「そうなの?」

 未熟児だったことは知っていますがそこまでヤバい状態だったとは初耳です。

 

「何せ一時は心肺停止状態だったしな! お義父さんの経営している総合病院の総力を結集しても回復しなかったんだが、もう駄目かと思った時に急に息を吹き返したんだ。あの時ほど神に祈ったことはなかったぞ」

「かみにいのる、ねぇ」

 前世の死後に出会ったクソガキのことをふと思い出してしまいました。もしかしたら私の復活は奴の仕業なのかもしれません。

「お義父さんも息を吹き返した時には『キリストの再来じゃあー! 七星家の夜明けじゃあー!』と言って泣き叫んでたしな」

 こんな邪悪なキリストが居てたまりますか。

 

「だから最近はとっても嬉しいのよね~。朱鷺ちゃんが元気になってすくすくと成長してくれているから、私は本当に幸せよ」

 お母さんが感慨深げに呟きました。そんな出来事があったのであれば多少過保護になってしまうのは仕方ないのかもしれません。

「でも、いろいろこわしてめいわくかけてるし」

「そんなことはどうでもいいのよ~。物はお金を払えば買えるけど、朱鷺ちゃんは何物にも代えられない大切な娘なんですもの」

「……そう」

 眼球から出てきそうになる液体を根性で押し留めます。これは目汁だ! 涙ではない!

「そんなことよりも、もうちょっと社交的になってくれると嬉しいんだけど~」

「う、うん……」

 基本的に人を信じないタイプですからそれは中々高いハードルです。

 

「とりあえず、冷めちゃうから早く食べましょう♪ 食べ終わって良い子にして寝たらサンタさんがプレゼントを配りに来てくれるわよ~♡」

「プレゼント? ……ああっ、それもあったか!」

 お父さんが明らかに動揺した表情になりました。これはおそらく、買い忘れじゃな?

「あなた、もしかして?」

「いやあ、帰り道で回収してくる予定だったんだが釣りに夢中になって、ついな」

 

 すると次の瞬間、お母さんのオーラが修羅の国の兵士みたいな殺気だったものに変わりました。それでいて表情は笑顔だから超怖いです。

「……ちょっといいかしら。あ、朱鷺ちゃんは先に食べててね~♪」

 お母さんがお父さんの腕をホールドしたままリビングから出ていきました。ああなるともう誰も逆らえないんですよね。我が家のヒエラルキーの最上位は彼女なのです。

 

「ふふっ」

 特別なプレゼントなんて別に必要ありませんよ。だってこの家族が私にとって最高のプレゼントなんですから。

 今回の件で、両親が私を大切に考えてくれていることを思い知りました。ですから娘としてその信頼に応えなければいけません。

 私は善人ではないので全人類が死のうが地球が二酸化炭素に覆われようが全く興味ありませんし心底どうでもいいですけど、この家族だけは命にかえても守ることを今ここに誓います。

 そもそも私の命はおまけというか長いロスタイムみたいなものですから、あの二人が穏やかに逝くその日まで良い娘を演じましょう。

 この強大な能力も小市民には過ぎた力なので出来るだけ使わないことにします。上手く悪用すればどんな願いも叶え放題ですが不思議と後悔はありませんでした。

 だって私には帰れるところがあります! こんなに嬉しいことはないんですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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