「まさか、兵糧がなくなるとは……」
公孫瓉が自嘲気味に呟く。
彼女は済北の町を出て本拠地の幽州に向かっている最中に、補給物資が足りないことに気付く。しかし、済北相の鮑信を追い出してしまったために、彼からの支援は受けられない。
その時、近くに同じ反董卓連合の韓馥の治める冀州を通っていたために韓馥に支援を仰ごうとしたのだ。
しかし、済北の町の件で韓馥に警戒されている可能性があるために幕僚からは反対を受けた。そこで、韓馥の臆病な性格を利用して鄴の町の前で軍を展開し、韓馥に脅迫をかけて奪い取ろうと考えたのだ。もしこれが失敗したとしても、そこに攻撃を仕掛けてきた韓馥の軍から兵糧を奪えば良いと考えた。
もちろん途中の町で略奪する手も考えたが、その手は公孫瓉にとっては他の手が全て失敗したときのみの最悪の手であり、全ての手を試してからにしようと考えた。
「陣を敷き終えました」
副官から報告が来た。
「よし、使者を韓馥の所に出せ。『兵糧をよこさなければこれより攻撃に移る。返答は丑の時まで待つ』とな」
良心の呵責に苛まれるが部下のためとその感情を抑え込んだ。
白旗を持った使者が鄴の町に走って行く。
「成功すると思うか?」
副官に公孫瓉が尋ねる。
「分かりません。ただ、厳しいでしょう。何せ韓馥には張郃や審配といった猛将が多くいるので抵抗される可能性があります」
「むう」
唸ってから公孫瓉は黙り込んだ。
「とにかく、今は目の前のことを考えましょう。賽は投げられたのですよ」
こうしている間にも時間は一刻一刻と過ぎ、間もなく丑の時が近づいてきた。
「来ませんね。やはり、戦闘をするしかありませんか……」
副官が呟く。公孫瓉軍は既に戦闘を行ってから、休み無しにこちらの町まで来ているので疲労は溜まっている。もし、韓馥軍が攻めてくれば、太刀打ちできるか怪しいところだった。
「お、何者かが来ましたね」
副官が公孫瓉に告げる。
公孫瓉が目をこらして見ると、長い衣を身にまとった女性が馬に乗ってこちらへ向かってくる。
「先ほどの要求の返答だ!」
「返答は何だ?」
「受け入れよう!」
「「「おおお!!!」」」
兵士達から歓喜の声が上がる。ようやくここに来て、補給が出来ると安心したのだ。
「それでは、こちらに来てくれ! 兵士の補給物資は町の中にある。現在、韓馥を含めた一部の人間が要求の受け入れに反対しており、市街地で戦闘が起きている。今のところは受け入れ派が優位に事を進めているが、物資を運ぶほど余裕がない。道はそれほど大きくないためできる限りの少人数で来てくれ!」
公孫瓉はその事を聞き、韓馥を少し気の毒に思った。この程度のことで離反を起こされるほど臣下の心が離れているとは同じ君主として同情を禁じ得なかった。
「分かった、すぐに行く!」
公孫瓉はすぐにその返答に応じ、物資を運ぶために最低限の人間を連れて鄴の町へと向かった。
公孫瓉達は鄴の町へと入るがその町の雰囲気に違和感を抱く。遠くから戦闘の音が聞こえており、おそらは反対派と賛成派が市街地で戦闘を行っているのであろう。
町には全く、人の影がないのだ。もちろん軍が箝口令を敷いている可能性もあるが、そうであれば家の中には人のいる雰囲気があるはず。しかし、それすら感じられない。まるで周囲から人が消えてしまったような感覚にとらわれる空気であった。
「補給物資はどこだ?」
「もう少しだ」
副官の質問にぴしゃりと使者は答えた。
しばらく行くと大きな倉庫のようなものが見えてくる。
「ここにあなた方への補給物資がまとめられている。申し訳ないが私は向こうの戦闘に加わらねばならんので、御免!」
そう言って、馬を走らせていく。
「よし、もたもたしている暇はないぞ! 急げ!」
公孫瓉は兵に補給物資の搬送の準備を急がせた。
半分ほど搬送の準備が終わった頃、にわかに戦闘音が近づいてくる雰囲気がある。おそらくは戦場がこちらに近づいているのであろう。
「急げ、もたもたしているとまた戦うことになるぞ!」
公孫瓉がそう怒鳴ったとき、ふと遠くに何かを大量には放つ音が聞こえた。その音は飛翔音に変わりこちらに近づいてくる。
「まさか……」
直後、補給物資を運んでいた兵士の多くが矢に打ち抜かれ、朱に染まって倒れた。
「敵襲だ!」
反射的にそう叫び、すぐに戦闘態勢を整えさせる。
反対派が攻撃を浴びせてきたとあらば、賛成派は劣勢なのであろうか?
公孫瓉は疑問を抱いた。まだ戦闘音は近くはなく、矢が届く距離とは思えない。と言うことは反対派が別働隊を用意し、こちらに攻撃を仕掛けてきたと言うことだ。
「敵は恐らく少数だ! 落ち着いて対処せよ!」
公孫瓉は指示を出し兵士達を落ち着かせる。実際、飛んでくる矢の数は少なく、すぐに混乱は収まり兵は的を探し始めた。
するとその建物の前にある通りの向こう側で以前よく見た鎧をまとった兵士がこちらに矢を浴びせてくるのが見えた。その後方には騎馬隊が控えており、いつでもこちらに攻撃を仕掛けられる態勢に入っている。
「まさか、あれは袁紹軍!」
その瞬間、公孫瓉は韓馥に騙されたことに気付いた。周りの音を聞けば、戦闘音も収まり代わりに兵士達の吶喊の声が聞こえてくる。おそらくは韓馥軍がこちらに向かってきているのであろう。
「皆、引け! 引けえ!」
このままでは袁紹軍と韓馥軍に挟み撃ちされると公孫瓉はすぐに退却の指示を出し、来た道を引き返し始める。
その道は幸い、何もなく、そのまま突破できるかと思われた。
その直後、前方に火矢が飛んでいくのが見えた。兵を狙って撃ったには弾道が高すぎる。
その矢は公孫瓉軍の前方に落下し、そこから一気に火が広がり、公孫瓉軍の行く手を塞いだ。おそらくはそこら一帯に油があったのであろう。
「こっちだ!」
そう言って脇道に逸れようとするも、そちらもいつの間にか火が出ており、後方からも火の手が上がっていた。
「しまった! 罠だったか!」
ここにきて公孫瓉は騙されたことに気付くも周囲は既に火の海。もはや公孫瓉に逃げ道はなかった。