話は少し遡り、郭図と韓馥達が話していたときにまで戻る。
「冀州を譲るかだと? 気は確かか? 私が袁紹にこの大事な冀州を譲るとでも本気で考えているのか!」
あまりにもおかしな質問に少し、いらだちながら返答をする韓馥。
当然であろう。いきなり自分の領地を譲れなどという者達に「はいどうぞ」と譲るような領主はいない。
「ええ。もちろん。本気だからこそ言っているのです」
郭図はさも当然と言わんばかりに答える。
「何故貴様らに譲るというのだ!」
「お答えしましょう。まず、現在公孫瓉軍が接近中であるとのことでしたが、こちらの兵力や敵の兵力はご存じですか?」
「こちらの兵力はおよそ五万。それに対して向こうは二万ほどであろう」
「それはあくまでもこの冀州全体の兵力です。この鄴の町にいる武将や兵力は?」
「……五千ほどだ。その部隊の指揮は文威に任せてある」
彼の言う文威とは耿武のことだ。
三国志において彼は韓馥の配下であったが、袁紹が冀州入りする際に反対した一人でもある。しかし、結局袁紹は冀州入りを果たし、後に田豊に暗殺をされる人物だ。
「それだけの兵力でどのように対抗されるおつもりで? 敵はあの白馬将軍ですぞ。弱体化しているとは言え、決して油断は出来ません。もし我々に冀州を譲ると申されるのであれば、援軍を出しても構いませんぞ」
「貴様らの援軍なぞ無用! 籠城をすれば儁乂や正南も応援に駆けつけるはずだ」
「それほどここの兵士が持ちますかな? 見たところ、精鋭は国境付近に置かれここの兵は経験の浅い兵士に見えますが……」
「……」
完全に黙り込んでしまった。元々、鄴の町への襲撃は一切考えておらず、兵の大半は袁紹方面に貼り付けてあり、行の町はかなり手薄な状況であった。
このような状況で公孫瓉が攻め込んできたらひとたまりも無いことは、韓馥は分かっていた。
「申し上げます! 物見より報告! 公孫瓉が『補給物資を出せ。出さなくば攻撃を行う。丑の時まで待つと』とのことです」
「敵は兵站が枯渇しているのか! ならば、数日間持ちこたえれば良いだけのことではないか!」
「そうはいきませんぞ、韓太守。もし奴等がこちらと戦闘になると分かれば、彼らは周囲の村落を襲いそこに蓄えてある食料を奪うはずです。そうなれば、罪なき領民が犠牲になります」
「……」
「あなたがここで冀州を譲ると確約されるだけで構いません。その一言で大切な領民を犠牲にせずに済むのです。領民と自らの権力、どちらが大事であるかはあなたになら分かりますね?」
「少し、臣下と話し合う時間が欲しい」
「分かりました」
そう言って郭図一行は部屋を出た。
そして韓馥は至急、城内にいる幕僚を集め緊急の会議を開いた。
「皆のもの、良く来てくれた。今回、皆と話し合いたいのはこの冀州を袁紹に譲るか譲らないかだ」
韓馥が開始早々爆弾発言をしたためにその場は一時騒然となった。
「何だと! 袁紹にこの冀州を!」
「どういうことだ?」
「そんなことを許すわけにはいかん!」
「しかし……」
「まずは沮授、どう思う?」
韓馥がある女性を見て聞いた。彼女は以前、鄴の町で郭図達と出会った眠たそうな表情をした女性であった。
「え~と、袁さんにこの冀州をですか? それは反対ですよ」
「理由は?」
「何故って、彼女は、逆賊董卓に味方している人間です。そのような人間に冀州を譲っては何が起こるか分かりませんよ」
「成る程。では文威、お前の意見を聞かせて欲しい」
男の鎧を着た人物に向け、聞く。
「私も沮授殿と同じ考えです。かような者に冀州を譲るなど天子に顔向けが出来ません!」
「そうか」
「お待ちを!」
そこに一人の女性が出てきた。
新緑を思わせる緑色の髪に茶色のつり目。服は青を基調とした蓮の花の描かれた服をまとっており、クールな雰囲気を漂わせた女性だ。
「韓太守! ここは袁殿を迎え入れるべきかと!」
そう、この女性こそ田豊である。史実においては忠臣でありながらも袁紹の意向に逆らったために投獄、最後は処刑されてしまう
「元皓! 貴様、何を言うか!」
耿武が剣を抜き、田豊に向けた。
「貴様、事ある毎に韓太守に戯れ言を抜かし、降格されたのを忘れたのか! 今日という今日は許さんぞ!」
「待て! 反対の意見でも聞かなくてはならぬ。良い、元皓よ申してみよ」
「御意。まず今回の提案でござますが、袁殿は冀州の民に被害を出さぬために打診なさってります。使者の方々が仰るとおり、現在、我が軍に公孫瓉を止める力は到底無く、領民に被害が出るのは明白です。そのような事態となれば、それこそ天子に顔向けできません。袁殿の提案は民を守る上でも乗るべきと思います。また、袁殿は彼女の領内で善政を敷いていると耳にしたことがあります。おそらくは今回の董卓に賛同したのには大きな理由があったのでしょう」
「理由とな、それは何だ?」
「はい。彼女の叔母上にあたります袁次陽殿はかつて三公を勤めたことがあるほど、天子の臣下の中でも重鎮中の重鎮。故に、洛陽から逃げることは叶わず、董卓の手の内にございます。彼女は袁次陽殿の命のために董卓に味方したのでしょう」
「成る程」
田豊の意見にもっともだと皆が頷く。
「つまり、彼女がこの地を統治したとしても何ら、問題は起こらないでしょう」
「他の者はどう思う?」
「「「我々も田元皓殿に賛同致します」」」
「そうか。ではそのように致そう」
「お待ちください! 私は納得致しません! 袁紹に冀州を譲るべきではありません」
なおも耿武は抵抗をした。
「奴は狡猾な人間です。恐らく今回は冀州をかすめ取るための餌に過ぎません! ここは渡さないべきです!」
「耿武よ、私への忠誠心の高さはありがたい。しかし、今回は領民の命が掛かっている。たとえ、それが狙いだったとしても領民がそれで助かるというのであれば、それで構わん」
なおも食い下がる耿武を止めて、韓馥は部屋を出た。
「結論を出した」
「冀州を貴殿らにお譲りいたす」
「ご英断、感謝致します」
「だが、その援軍とやらはどこにいるんだ?」
「既におりますよ」
そう言って、公孫瓉が陣を敷く反対側の門を指した。そこには太行山地と言われる山々が広がっている。そこの手前にいつの間にか軍営が出来ており、袁紹の旗が掲げられていた。
「いつの間に!」
「今まで太行山地で待機をさせておりまして、その部隊に出陣を命じたのです」
実は袁紹軍が汜水関から帰る際に部隊の一部を太行山地に待機させておいたのだ。その部隊は今回のことを予見した逢起や郭図の指示によって配置されたものであった。それを指揮するのはもちろん彼女だ。
「何故、私が山に籠もらなきゃなんないのよ! 私は諜報員を育てる学校の教官だったんじゃないの!」
許攸だ。彼女は他にもいくつかの人を背負っており、袁紹達によって置き去りにされた形であった。では彼女が教えていた学生は何をしているのかというと授業と称した実際の諜報活動を行っている。
「まあまあ、そう仰らずにこれは大事な役目ですぞ」
郭図達と別れ、許攸と合流した辛評がなだめる。
「まあ、そうね」
不満げながらもしっかりと兵の統率をしているあたり、さすが許攸と言ったところであろう。
「申し上げます!」
そこに一人の兵士がやってきた。
「郭公則殿より伝言! 『韓馥は条件に承諾した! 至急城内に入られたし』とのことです!」
「よし! 出立だ!」
許攸は全軍を鄴の町へと向けた。