「私が……廬先生を……」
田豊は1人自分の屋敷に籠もり日夜、廬植の死の責任を自分だと思い込んでいた。
洛陽救出作戦は元々、危険な任務であるため多少の犠牲は考えられていた。しかし、田豊はその犠牲を少なくするために送り込まれたのにも関わらず、その任を果たすことは出来なかった。
田豊率いる別働隊は敵の牽制と同時に万が一の救援を行うことにもなっていた。その任を果たせなかったのは一重に田豊の実力不足だと考えている。
確かに廬植は内陸の方で斬られており、田豊の救出は難しくはあったろう。しかし、敵の目を引きつけきれなかったのは田豊の役割不足であるし、もう少し何か出来たのではないか、そのように考えてしまうのだ。
「私は……」
田豊は譫言のように私はと繰り返し続ける。
そんな田豊の屋敷へ近づく1人の女性の姿があった。
「ふん! 何であんな堅物女の所に私が行かなくちゃならないのよ!」
文句をぶつくさたれるのは許攸だ。
実は彼女は今、手が空いている。理由は先の救出作戦で配下の諜報員の多くが紀霊の手によって殺されてしまい、本来の職務が果たせないのだ。
もちろん、他にも仕事はあるためやることはあるのだが、彼女は仕事がまるで手に付かなかった。
理由は簡単。袁紹と田豊が心配だったからだ。
袁紹が心配な理由は分かるであろう。袁紹ラブな彼女にとって袁紹が、まともに仕事が出来ないと聞けば当然心配になる。しかし、田豊が心配な理由が分からない。
彼女は田豊をあまり良くは思っておらず、犬猿の仲であったはず。
そう、許攸自身も思い込んでいた。しかし、気付けば足が動き、田豊の屋敷へと向かっていた。
「全く……」
そう言いつつ、門外の扉を叩いた。
「田豊! いるんでしょ! いるなら出てきなさい! 許攸が来たわ!」
しかし、中からは物音一つしない。
「入るわよ!」
そう言って門を開けた。中は閂がかっておらず、特段苦戦することなくは入れたのは意外であった。
「田豊、どこにいるの!」
そう言いながら、敷地内の建物に近づいていく。
その時、その屋内から何者かが姿を現す。その人物は髪はぼさぼさで着物も若干崩れており、見方によっては物の怪の類に見える人物であった。
「きゃあ!」
許攸は思わず悲鳴を上げて、その場に座り込む。
その人物は許攸を見て静かに言った。
「許子遠殿ね、ようこそ。我が屋敷へ」
「で、田豊なの?」
「ええ。そうよ」
よくよく見てみると髪の奥にはあのキリッとした特徴的な眉毛が見え、田豊であることが確認できる。
「田豊、どうしたのその髪は?」
「最近全く眠れていなくてね……」
「眠れないってどうしてまた……。最近は登庁もしてきていないみたいだし……」
「もう何をやっても上手く行かない気がしてきてね。私は守れと言われた人1人も守れない駄目な人間だから……」
「はぁ?」
許攸は田豊の言葉を聞く内にだんだんといらだちが増していく。
「何それ? あんた自分が人を守れないから職務を放棄するというの?」
「私は与えられた仕事をしっかりとこなせなかった。それはこの乱世において決してやってはいけないこと。乱世では一つの過ちが時に命取りになるの。その過ちをした私は袁刺史殿に合わせる顔がない」
「何を言っているの、あなた? 今回の仕事の趣旨を間違って捉えていない? 我が軍においての最大の目的は洛陽にいた皇帝陛下と董仲潁殿達を救出すること。その一点のみが目的だわ」
「いえ、今回の全軍の目的は確かにそれ。だけれども私個人に与えられた目的はその救出部隊の援護を行うこと。その任務は全うできなかった。結果としては上手くいったけど、私の任務を達成できなかったのは……」
「え~い! ごちゃごちゃうるさ~い!」
田豊の言葉の途中で許攸は怒鳴った。
そして驚いて目を丸くしている田豊の手を掴んで、無理矢理屋敷内へ入っていく。
「あんた、風呂場はどこ?」
「え、まだ話の途中。それに風呂場って一体……」
「良いから場所を教えなさい!」
許攸のあまりの剣幕に田豊は思わず場所を指さす。
「とりあえず、アンタのみすぼらしい格好をどうにかしないと話す気にもなれないわ! 良いから付いてきなさい!」
そう言って許攸は田豊と無理矢理風呂に入った。
この屋敷には使用人が住んでいるらしく、既に風呂は焚けており、しっかりと湯は温まっていた。
「アンタは難しことを考えすぎなのよ!」
田豊の頭をがしがしと洗いながら許攸は言う。
「難しいことってそんなに考えていないけど……」
「いや、アンタは考えている。では、聞くけど今回の廬先生がなくなられた原因は誰にあると思う?」
「それは私」
「いや、違うわ! 原因は敵将の紀霊よ。だってそうでしょう? あなたが廬先生を斬ったの?」
「いいえ」
「そうでしょう! だから、あなたは気に病む必要はない。何せ、今回の作戦は元々帰還すら難しいと言われていた難しい任務。それを目的を達成するどころか、ほとんどの人間が帰ってこられたのよ。私もその1人だわ」
「……」
「それに助けに来てくれたときのアンタの姿、かっこよかったわ」
徐々に小さくしながらも確かにその言葉は田豊に届いた。
「ありがとう。子遠」
田豊はそう言って静かに目を閉じた。
そして静かに寝息を立て始める。よほど疲れていたのであろう。座ったまま寝てしまっている。
「ふふっ。こう見てみると可愛い顔してんな」
そう言って許攸は微笑んだ。
「って! 髪洗っている最中よ! 起きなさい!」