「不味いですね」
田中は思わず呻いた。
戯志才が出て行くことは予め分かっていたため、人員の準備はしていた。しかし、出て行った人材の中に郭嘉が混じっていたのは袁紹陣営にとってかなりな大きな痛手となった。
彼女に代わる優秀な人材はそう多くはない。ただでさえ、この乱世の世において人材というのは不足しがちであるのにだ。
「田中殿、どう致す?」
逢紀はため息交じりに聞いた。
袁紹は未だに立ち直れ切れていない。既にあの戦いから半月が過ぎようとしており、いい加減立ち直ってもらわねばいけない時期であった。
「とりあえず、袁刺史にはいい加減公務に復帰なさってもらわねばなるまい」
田中はそうは言ったモノの逢紀が田中を止める。
「いまだ、袁刺史はご気分が優れぬ様子。ここは安静にしてもらいゆっくりと養生してもらおう」
「そのような甘いことを言っていてはなりませぬ! ただでさえ、優秀な人材が出て行ったという難所を迎えておるのです! この浮き足だった時期に君主があのような状況ではこの混乱が収拾できませぬ! 既に我が情報部にも数多くの混乱が起きていると報告が相次いでおります!」
「しかし……」
逢紀が食い下がるためにやむを得ず、田中はこれ以上は無駄だと判断し、一旦引き上げることにした。
「袁刺史をどうすれば良いのだ……」
田中は自分の執務室で頭を抱え込んだ。
このままでは官渡の戦いで袁紹を史実通り大敗北を喫することになってしまう。
「どうされました?」
その時、田中に近づいてきたのは田豊であった。
彼女は許攸の助力もあり、現場に復帰することが出来ていた。
「それが……」
田中は袁紹の現在の状況を田豊に話し、何か策はないかと尋ねる。
「ふ~む。確かにこの状況はよろしくはないですね」
「え~。このままでは袁刺史に愛想を尽かした他の人材も出て行く可能性がありますし~」
「だから、速く手を打たないと大変な事になります」
「ですが、無理にやろうとすれば~、確実に袁刺史は耐えきれないず、何をしはじめるか分かりませんし~」
「そうね……。って何であなたがここにいるの、沮授!」
気配を消して後ろから近づいてきた沮授に田豊は驚いて、叫んだ。
「何でってここは私の職場でもあるのですよ~」
その叫び声に冷静に反論をする沮授。
「沮授、何か良い案はないか?」
田中は沮授にも意見を求める。
「私は人間関係に関してはずぶの素人ですから、私に相談されましても~」
と普段は滅多にしない困り顔になった。
「田豊は……。無理そうだな」
田豊の方を見ながら田中は言った。田豊は考えすぎて頭から湯気が出ていた。
「仕方が無い。とりあえず今日の仕事に取りかかろう」
そう言って田中は普段の業務を始めた。
(ああ、これか)
持ち込まれていた仕事の中に袁紹を暗殺しようとしていた男に関する情報が記載されていた書簡が出てきた。
彼は元韓馥の部下で耿武であった。彼は袁紹を普段から冀州を奪った極悪人と言って警邏隊とたびたび衝突していた人物であった。
彼の存在が明らかになったことで韓馥にも疑いの目が掛けられるようになったようだ。
極秘で彼の周りに田中の諜報員を潜ませ、彼に反乱の意志の有無を確かめよという命令書であった。
「だいぶ対処が甘いな」
田中は思わず言った。
当時はもし君主を殺そうとした人物がいたら、それは一家郎党皆殺しは当然。場合によってはその友人にすら疑いの目が掛かる。
今回の場合は一家に関しては冀州からの追放のみで皆殺しは避けた。
(袁刺史の優柔不断さが現れたか……)
これに関してはあまりにも重大なことであるために政務に復帰していない袁紹が床の中から逢紀などに指示を出した可能性が高い。
彼女は死に関して人一倍、気にするようになっている。
袁紹の性格でこれが良い方向に転べば良いが……と田中は心配になりながらもその書簡に自分のサインを入れて、諜報員に渡すよう田豊に頼んだ。
昼過ぎになった頃だろうか。
不意に田中の執務室のドアがノックされた。
こんな時間帯に来訪者は来ない上、田中の仕事の性質上、来訪者など滅多に来ない(彼の配下にいる諜報員は訓練もかねて正面からではなく忍び込むことになっている)。
誰であろうか。
田中は不思議に思いながら、声を掛けた。
「どうぞ」
すると部屋のドアがガチャリと開き、見ず知らずの女性が入ってきた。
「え~と、ご用件は?」
田中は若干戸惑いながら、その女性に問いかける。
「ふむ。こちらに田中殿はいらっしゃるか?」
「田中は私ですが……」
そう言うと、その女性は田中の目の前までかつかつと進んできて、言った。
「あなたこそが私の求めていた人物だ!」
「は……?」
なぞの宣言をされ、思わず固まる田中。
「あなたでしょう、あのメンマの店を見つけ出していただけたのは!」
そういった瞬間、田中はぽんと手を叩いてそう言えば、と思い出す。
以前、探せと言われていたメンマの店を探していた御仁がこの方であったかと改めてその女性を見る。
白地に蝶のような柄があしらわれている着物を着ており、頭には冠を被っている。
「あなたでしたか、袁刺史を助けていただいた御仁は! 主に変わり礼を言います」
「いえ、あの出会えたメンマに比べれば、あの程度など大したことは無い」
そう言う女性の言葉に内心、メンマと比べて我が主の命は大したことは無いのか、と落胆してしまった田中以下三名の人間を気にもとめず、その女性は熱く語る。
しばらくメンマの素晴らしさについて語っていたその女性は、はたと思い出したかのように口を噤み、ところでと言った。
「私を客将として雇ってもらえないだろうか?」
「え、唐突にどうして?」
これには田中も思わず驚く。
「これほど上手いメンマ店があるのなら、ぜひこの地で働きたいと思う! 私は自分で言うのも何だがかなり腕に自信はある。どうだ、最初は試しと言うことで客将として雇ってはもらえないか?」
「と申されましても私に人事権はないため、勝手にそのようなことをしては私の首が危ない。もちろん多少の口利きはしても構いませんが……。そう言えば、お名前を伺うのを忘れていた。あなたのお名前は?」
「これは失礼をした」
そう言ってその人物は一旦、コホンと咳をしてから居住まいを正して言った。
「私の名は趙雲、字を子龍と申す!」
田中は本気で口利きをしようと心に決めた瞬間であった。
これに関してはあまりにも重大なことであるために政務に復帰していない袁紹が床の中から逢紀などに指示を出した可能性が高い。
彼女は死に関して人一倍、気にするようになっている。
こちらの文章を付け加えました。