顔良の執務室に到着した田中は、部屋の前で声を掛けた。
「袁太守様の副官、田中 豊にございます。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
すると、中からどうぞという声が聞こえた。
「失礼します」
田中が中へ入ると、顔良は書類を書いているところだったようだ。机の端に乱雑に書簡が置かれている。
「職務中でしたか、申し訳ありません!」
そう言って、部屋を出ようとする田中を顔良は引き留める。
「いえいえ、お構いなく。それよりも用件があってきたのでしょう?いかがされたのですか?」
「はい、今日の会議での件についてお礼を言いたくて……」
その言葉に一瞬考え込んだ顔良であったが、やがて思い出したのか手のひらをぽんと叩いた。
「ああ、そう言えば有りましたね。良いんですよ、会議が長引くのが嫌で言っただけですから」
静かに微笑んだ顔良は、田中にとって天使のように見えた。
「いえ、本当に助かりました。ありがとうございます」
「ええ。どういたしまして」
そこで、顔良は席を勧めてくる。
「どうぞ、おかけください。お茶でも飲んでいってください」
「いえいえ、お構いなく。勝手に私が押しかけてきただけですから」
「客人が来たというのに茶一つもてなさないのは失礼ですし、これから用事があるのであれば別ですが、もし無いのであれば私のためと思って飲んでいってください」
ここまで、言われては田中も飲んでいかないわけにはいかない。
席に着いて、しばらく沈黙が続く。
部屋には顔良がお茶を入れる音だけが響いている。
やがて、その沈黙に耐えきれなくなた田中が話した。
「なぜ、理由を聞こうとしないのですか?」
田中は最初からこれが気になっていた。
普通であれば出生を明かさない人間など怪しくて近づきたくはないし、部屋に入れた上、お茶を入れてもてなすなどもってのほかであろう。
もし、するのであれば何かしらの魂胆があるはずだ。
しかし、顔良はそれをしない。
その行動が理解できなかった。
「だって、言いたくないのでしょう?」
さも当然だと言わんばかりに聞き返してくる顔良に田中は驚く。
「普通であれば気になるはずですし、出生すら言わぬような人間にこのようにお茶を出すようなことはしないはずです。なぜ、あなたは私にこんな風に接しているのですか?」
その言葉を聞くと、顔良は少し困ったような顔をしながら話し出した。
「もちろん気にならないと言えば、嘘になります。ただ、無理に聞き出そうとすれば人はさらに口を閉ざすもの。無理して聞くよりは、相手が話したくなるときに聞けば良い。その方がその方が双方にとって幸せでしょう」
顔良は軍を統率する者だ。
軍は常に団体行動を重んじられるから、周りとの人間関係というのは他の職よりも自然と大事になってくる。それ故の、判断だった。
「……。」
田中は、己の行動に恥じていた。
自分は、かつて仮にも情報を司る部署にいた人間である。他人から情報を聞き出したいときに下手に口を割らせようとするのは悪手であることは分かりきっていることだ。
(そんな簡単なことも分からんとは……)
田中は猛省した。
そんな田中に気付いていないのか顔良は言葉を続けた。
「それに、もしあなたが袁太守様に何かをするつもりで嘘をついているのでしたら別でしたけど、あなたからはそういった感情を感じなかった。だから、聞く必要は無いと感じたんです」
「なぜ、そう判断できるのですか?もしかしたら隠しているだけかもしれませんよ」
「いえ、私の勘はだいたい当たるんですよ。ここぞと言うときには外しませんから」
そう言って、いたずらっぽく微笑んだ。
(ここまで器の大きい人だから、あの優秀な人材が数多くいる中でも袁紹軍の二枚看板にまで上り詰めたのか)
改めて、その凄さに驚かされた田中であった。
もちろん、そこまで上り詰めるには武力のような他の能力も必要である。
しかし、トップになるのに必要なものは、どのようなくせ者でも受け入れる器の大きさが重要になってくるのは間違いない。
(そう言えば、文醜はいないのか?)
田中は二枚看板のもう一人である文醜のことが、ふと気になった。
ここに来てから、文醜らしき人物を見た記憶が無い。
そこで顔良に聞いてみることにした。
「あの、文醜様はd……」
言葉の途中で廊下から凄い物音がする。
まるで、何かが凄いスピードでこちらに向かってきているような音だ。
田中は何事だと驚き顔で話を止めた。
音が扉の近くまで来た瞬間、音の正体は扉をはね飛ばしながら中へなだれ込んできた。
「斗~~~~詩~~~~~!」
その正体は緑色の髪に青い目をした少女であった。
顔良はまたか、というあきれ顔で頭を押さえている。
すると、入ってきた少女は憮然としている田中を見て驚いたような声を出した。
「あ~~!斗詩が男を部屋の連れ込んでいる!珍しい!もしかして斗詩の彼氏?」
そんな爆弾発言をした。それに顔良は顔を真っ赤に染めながら、
「そんなわけ無いでしょう!彼は新しく入った袁太守様の副官の田中さんだよ!」
「へえ~~!いや、とうとう斗詩にも春が来たのかなぁと」
「私はそんなにモテていないわけじゃありません!」
「え、じゃあモテてるの?」
「いや、そういうわけでは……」
目の前で突然始まった会話に付いていけず、田中は声をかけようとした。
「あのぉ~」
すると二人とも同時に田中を見て、そういえばという顔をした。完全に忘れていたらしい。
「すまんすまん。自己紹介を忘れていた。私の名前は文醜て言うんだ。よろしく!」
彼女こそ二枚看板のもう一人の文醜であった。