「あれほどの大規模な賊の蜂起は黄巾の乱以来ですね」
逢紀は袁紹に語りかけた。
「ええ。そうですわね。あの時は本当に大変でしたわ……」
袁紹はしみじみと言った。
「ですけど、華琳などとまだ仲の良かった時代。権力にも縛られず、自由なことが出来た時代で苦しくもありましたが、ある意味一番楽しかった時代なのかもしれませんね」
「麗羽……」
「ごめんなさいね、優羽。こんなしんみりとした話にしてしまって……」
「麗羽、今あなたは私にその賊達の未来について話されることを避けているわね」
「……」
「普通、反逆者というのは遺族郎党皆殺しが原則。となればあそこにいる十万もの賊を殺さねばならない。だけど麗羽は優しすぎる。耿武の時のように無関係な人まで殺すのを凄く躊躇ってしまう。だから今回のことの話しも上手く躱そうとしている。違う?」
「……。さすがは優羽、何でもかんでもお見通しというわけですわね。そうですわよ。私は出来ることなら人を殺したくは無い。殺してしまえばその関係者全員に何かしらの禍根を残しますわ。そのような重責に堪えられるほど私は強くはありません」
「麗羽、情というのは権力者にとって大切な物でありながらも危険な物でもあるのよ。諸刃の剣。だからそれの使い方を間違ってはいけない」
「分かっておりますとも。優羽、私は昔から誰かに命を狙われてきましたわ。だからそれが如何に怖いことか、嫌なことかはここにいる誰よりも分かっておりますのよ。そのような思いを他人に押しつけるのは……」
「麗羽! それではいずれ、必ず持ちこたえきれなくなるときがある! 今は大丈夫かもしれないけどいずれその情のために敗北するときが必ずあるわ!」
「袁刺史、よろしいでしょうか?」
逢紀が激高しかかったときに外から声がした。
田中の声だ。
「どうぞ」
逢紀は今までの友人同士の関係から君主と配下の関係に戻した。
入ってきたのは田中とその配下の賈詡だ。
「袁刺史様、南皮の沮太守より密書であります」
「密書? 何故そのような事を?」
「分かりませんが、沮太守は何かしらお考えがあるようです」
そう言って田中は書簡を袁紹に手渡した。
「わざわざ、密書とは……。一体何が書いているのでしょう?」
逢紀も気になってその密書の中身を一緒になって確認する。
「今回の賊への対策についてですわ……」
袁紹がざあっと中身を確認していきながら言った。
「こ、これは……!」
その中身に逢紀は驚きの色を示す。
「何故、このような詳細を沮授は知っているのだ!」
驚きの余り逢紀は田中に聞いた。
内容は賊達の蜂起の理由とその数や陣、食料庫の位置まで内部の人間がいなければ知り得ないような細かい情報が書かれていた。
「どうも沮太守は我々の諜報機関とは別の独自の諜報機関を持っているようで、それを利用して今回の情報を集めたようです。この書状もその者達が持ってきました」
「独自だと! それは余りにも出過ぎた真似では無いのか!」
逢紀はそういった。
一応、太守は自治権を持っているとは言え、沮授は袁紹の配下だ。にもかかわらず独自な組織を持つとは余りにも独断専行過ぎる。
「この組織は以前、南皮太守であった郭嘉達が組織した物らしく、報告の時間が取れなかったがために報告が遅れたそうです。沮太守はこの組織を田中殿の諜報機関の下に入れることを断言なさっております」
「それならば、良いのではないですか?」
逢紀が口を開く前に袁紹が言った。
「確かに着任直後に賊の蜂起が起こりましたし、時間が無かったというのは本当でしょう。郭嘉達の事です。何かしらの考えが合ってやったことでしょうから、特に沮授を罰する必要はありませんわ」
こうも言われてしまっては逢紀は口が出せない。
「分かりました」
「すいませんが、一つよろしいでしょうか? そこに書かれていたのは他にあったのでは?」
賈詡が尋ねた。
「いえ、他には何も?」
「そうですか……。では失礼いたします」
そう言って賈詡は部屋を出て行った。
「麗羽、あの女は危険だ」
「ええ。まさか内容に関してまで読み取られるとは思いませんでしたわ」
そう、彼女が内容はそれ以外には無いと言ったのは嘘だ。
実際はそこから先があり、その十万の軍勢に当たる際に対処法について書かれていたのだ。その案は上手くいけばかなり流血を制限することが出来る。しかし途中で握りつぶされるわけにも行かないから密書として一番安心して託せる田中の元へと持って行かれたのだ。
おそらくは田中は一人で持って行こうとしたはずだ。しかし、何かの拍子に賈詡にバレてしまったのであろう。
そして彼女が就いてきたという流れになったわけだ。
彼女は実質的には袁紹配下とはいえ、元董卓のブレーンの一人だ。今は素直に従っているとは言えいつ董卓と共に勢力を盛り返そうとするかは分からない。何せ、今袁紹軍は董卓軍の力にかなり頼っている状況だ。本気で彼らがここを実効支配しようとすれば難しいことではない。やらないのは一重に董卓の性格が純粋であるからだ。
今回の内容が密書として届けられた大きな理由は袁紹陣営の派閥争いだ。これのせいで有益な情報を袁紹に正規な手続きで報告しようとすると内容を途中で握りつぶされる可能性がある。有益な情報を掴めば、当然その者の評価は高くなる。しかし、他の派閥にしてみればこれでは面白くは無い。だから握りつぶそうとするのだ。これに関しては袁紹も把握しており、密書にした背景はすぐに理解できた。
万が一にもこの問題が董卓にバレれば、面倒なことになる。
それを避けるためにも別に内容があったことは隠さねばならなかった。これが分かれば密書にした理由がバレてしまう。
「不味いですわね。早くこの派閥争いをどうにかしないと」
「頭の痛い問題だ」
袁紹と逢紀は二人して頭を抱え込んだ。
そんな二人を血のように真っ赤な夕日が照らしていた。