南皮の町から北北東へ100㎞ほど行ったところに河間郡易城という地がある。
ここはすぐ近くを川が流れており、勃海へと流れ込む。
その地に今、数多くの人間がいた。それも十人や二十人の話では無い。数万という単位の人間だ。
まさに地を埋め尽くさんばかりの人間がひしめいている。
一人一人が手に剣や矛や、はたまた槍やらを持ち物々しい雰囲気だ。
この集団こそ、袁紹の悩みの種である賊の本隊だ。
これら集団を遠くから観察する者がいる。
「あれが賊の本隊ですね」
小さな声で呟いたのは陳宮だ。
「公台殿、あそこにいる奴等、みんな悪い奴?」
その横で首を傾けながら疑問を呈しているのが呂布だ。特徴的な触覚が一緒に傾いているのがとてもかわいらしい。
「ええ。呂布殿。何せあれは賊ですからね。途中で見てきたでしょう、あらされた町の姿を」
賊に襲われた村々は悲惨なものだ。
老人や男どもは皆殺され、女や場合によっては子供も恥辱を受け使い終われば殺される。運良くその場から逃げ出せたとしても周辺には盗賊や野生の猛獣がひしめいている上、いずれ飢え死にか殺されるかの二択だ。
陳宮達はそんな村々を幾たびも見てきたのだ。
「そう……。でも、何故か奴等が悪い奴には見えない」
呂布には独特な勘でその違和感に気付いていた。
「何故です、彼奴達によって民は……」
「あいつ等じゃ無い」
呂布はぼそっと言った。
「あいつ等はそんな目をしていない」
「そんな目?」
「賊は違う目をしている」
「どういうことです?」
「分からない。でも違う」
「……」
陳宮は黙り込んだ。
「袁刺史様、敵を寝返らせる気ですね?」
「何故、それを……」
郭図が袁紹に拝謁を求め、その一言目がそれであった。
「早馬が走って行くのが見えて、人に聞いた」
「まあ、その通りですが……」
沮授からきた密書に書いてあった内容は敵を寝返らせる作戦であった。
沮授が持つ独自の情報機関を用いて敵の中枢に進入した結果、賊の殆どはあちこちで黄巾の乱などで土地や家族を亡くし、後の無くなってしまった民衆が大半であった。
そこでこの賊達には土地などを提供する代わりに銭湯に入ったときに寝返らせるように仕向けるといった内容である。
この情報がどこかから漏れたらしい。郭図がやってきて袁紹を止めに入ったのだ。
「なりません! 袁刺史様、これは賊の計略。こちらに上手く仕掛けたと思わせて、こちらの部隊を包囲し殲滅するのが目的」
郭図はいつになく真剣に言う。
「そもそも、配下に加わって間もない沮授がそのような手を使っている時点で怪しい」
「沮授は我が配下でも五本指に入る知恵者。たとえ郭図とはいえどそのような物言いは許しませんよ!」
「……」
郭図は黙り込んだが、その表情は納得はしていなかった。
「公則殿」
そこへ一人の男がやってきた。
「田中さん」
それは田中であった。
「大丈夫ですよ、既に私の諜報機関もその補佐に入りました。今、事実確認や緊急時に備えて準備を行っております。万が一のことが起こっても対処できるようにはしてあります」
田中は郭図を落ち着けるように言う。
「あなたも沮授の意見を信頼するの?」
「公則殿、沮授は味方ですよ。もし、失敗したら軍法に照らし合わせて裁けば良い。それにこれ以外に良い手が思い浮かびますか?」
「……」
「思い浮かばないなら試すしか手は無いでしょう?」
そう言ってその場を田中は落ち着けた。
「袁刺史様、先ほど申し上げたとおり我が部隊を敵の中枢に忍び込ませました」
「今回の賊の裏に何があるのか、そして敵を上手く引き込むようにお願いしますわ」
「御意」
田中はその場から足早に立ち去った。
「公則、後でゆっくり話しましょう」
袁紹は郭図にそう告げて、その場を後にした。
「将軍、袁刺史様より使いが参っております」
顔良達は河間郡に武垣に陣を敷いていた。
「通しなさい!」
顔良はすぐに言って、使者を通した。
「顔将軍に主君よりご命令です。現在、敵に計略を仕掛けているとのこと。敵陣より合図が上がり次第、敵に襲撃を仕掛けよとのことです」
「敵の補給基地はどこにあるのですか?」
「鄚県です!」
これは武垣のちょうど北側にある場所だ。
「分かりました! 公台殿をここへ」
「御意!」
兵士はすぐに陳宮を顔良の元へ連れてくる。
「お呼びでしょうか?」
「公台殿、袁刺史様よりご命令で、敵への計略を仕掛け終えてから攻撃するようにと命令されました。敵の補給基地は鄚県です。何か策はありますか?」
「この地は見渡す限り平野が広がっており、見通しが良く奇襲は極めて難しいでしょう。ですので攻撃をするとしたら一瞬で近づいていき、一気に敵を殲滅するしかありません。ただ、これでは危険すぎるので近くに別働隊として敵の本隊近くに囮を設置し、敵を引きつけてから攻撃をするべきです」
「分かりました。では囮の武将は誰がよろしいでしょうか?」
「呂将軍がよろしいでしょう。彼女であれば兵を上手く使い敵の撃退にも期待が持てます」
「分かりました。呂将軍をここへ!」
呂布が程なくそこへやってくる。
「呂将軍に五千の軽騎兵を与えます。敵の本隊を上手く引き釣りだし、補給基地を破壊しきるまで引きつけるようお願いします!」
「御意」
「兵の引き際などはお任せしますが、破壊までは持ちこたえてください」
「分かった」
「では各員、戦闘の準備を始めてください!」