袁紹が大将軍に任じられたことにより、天下の趨勢は袁紹に大きく傾き始めた。
まずはじめに、袁紹の北方にいた劉虞は袁紹に対し、祝いの書簡を出し正式に朝廷の意思に従うことを宣言した。元々この人物は徳が高い人物として有名であり大司馬の地位にある。その人物が袁紹が(実質的に)匿っている劉弁にひざまずいた上、袁紹に祝いの書簡を出したのであるから世の諸侯は大騒ぎとなり、中には早々と袁紹と手を組もうとする人間まで現れ始めていた。
ただ袁紹もそれで北方から完全に気を抜いたわけではいない。北方にはまだ異民族、そして先の事件の黒幕の黒山賊がいる。
その対処のために袁紹配下の人間は動き出していた。
190年8月下旬。袁紹が乱世を平定する能臣となるのであろうか。
「現在、黒山賊は兵力100万いると豪語しております。しかし、それは誇張されたものでしょう。我が部下が調べた数値によりますと兵力はおよそ10万から20万と推定されます」
賈詡が袁紹配下の前で話す。皆は一様に賈詡の指さす地図を見ている。
「その数値は一体どのように試算した?」
郭図が訪ねる。
「黒山賊の活動地域における農地の面積、戸籍の数。また出入りの人数や商人らの証言。輸入している馬の数など様々な数値を調べた上で予測値を出しました」
「ほう。これまた変わった出し方をする」
郭図が呟く。
「これは私が出したのではなく田中が出しました」
「田中が……」
郭図は意外そうに言って少しの間考え込む様子を見せたが、特に気にすることもなく賈詡は報告を続ける。
「現在、黒山賊内には密偵を潜ませており、命令によってはすぐにでも動き出せる体制を整えております」
「分かりましたわ。現段階では待機を命じておいてください。ご苦労様でした」
袁紹はそう言って賈詡をねぎらう。
「さて、話し合いたいのは今後の我々の動きをどうするかです」
「道は二つあります」
そう言って話し出したのは逢起だ。
「一つは黒山賊を討伐、もしくは懐柔し後方の安全を図り、袁術らとの戦に備える。もう一つは、乱れた国内を落ち着かせ、国力を蓄える方法。いずれかがございますが、どちらにも欠点がございます。後者は当然ながら西方の問題を放っておくために袁術らと組まれると面倒なことになります。前者に関してはその心配はございませんが、下手に兵力を損失すると袁術らに攻め込まれたときに対処ができません」
逢起は利点欠点をうまく説明する。
「手は他にもございますが、あまり得策とは言えないものばかりでしょう」
「その点に関しましては我々も賛成いたします」
「同じく」
これには郭図や許攸らも賛成した。
「正直なところ、戦続きで民は疲弊しておりますわ。あまりこれ以上戦闘を起こしたくないのが本音ですわ。ですけど、黒山賊を討伐しなくては今後、第二第三の被害者が出てくるかもしれませんわ。そのためにも奴らを討伐しましょう」
「御意。それではそのように全軍に指示を出しましょう」
「では討伐軍の先鋒を麹義。中軍に趙子龍、後軍に文醜。大将に文醜。軍師に逢起、長史に審配を命じます。我が軍の偉大さを敵に見せつけてきなさい!」
「「「御意!」」」
袁紹はそう言って近くにいた逢紀に言った。
「後は頼みます」
そう言って袁紹は自分の執務室へと引き返していった。
その軍議の場に田中の姿は確認できなかった。
それから数日たったの八月の終わり。完全に麦の刈り入れも終わり、糧食の準備も整った袁紹は三軍に出撃を命じた。
総数は5万ほどの兵力。
ここでおそらく読者の皆様方は不思議に思うのではないであろうか。先ほど黒山賊の兵力は10万から20万ほどと言っているのにこれだけの兵力で大丈夫なのであろうかと。
しかし、ここにはある策略が仕組まれていたのである。
「袁紹軍がこちらへ向けて進軍を始めただと!」
黒山賊の頭領である張燕は思わず頭を抱え込んだ。
現在、黒山賊は厳しい立ち位置にある。最盛期には百万を呼称していた黒山賊であるが、黄巾党の乱や相次ぐ干ばつや蝗害により勢力は衰退を繰り返していき、現在は十万ほど。しかもそのうち実質的な戦力になるのは五万ほどである。
官軍を討伐できたのは敵の士気、練度が共にきわめて低く、時たま異民族などと戦闘を行う黒山賊にしてみればただのカモでしかなかったからだ。
しかし、今回は違う。歴戦の公孫瓉軍を破り、厚い包囲網の中から董卓軍や皇帝を救い出すほどの実力を持った部隊だ。前回のように簡単に勝てる相手ではない。
ましてや、黒山賊の周囲にはもはや味方は存在せず北の公孫瓉は袁紹に破れ、劉虞は戦わずして袁紹の元へ下り(外から見た感覚として)、周囲は敵だらけであった。
その状況で袁紹軍が攻め込んでくる。
最悪の状況としか考えられなかった。
「戦いましょう! 座して死すより戦って死にましょう!」
副官がそう告げてくる。この男は長い間、一緒にいた者だ。自分の半身と言っても過言ではにほど信頼して頼りにもしている。
「……」
張燕は黙り込んでしまう。たとえこの場は勝てたとしてもこちらは大きな被害が出る。敵にはまだ余力があり、次攻め込まれたら防ぐのは無理であろう。
そのような無駄死にに近い行為を部下にやれとはとても言えなかった。
悩む張燕の元へ一人の衛兵が近づいてくる。
「報告します! 袁紹の使者を名乗る者が頭領への面会を求めています!」
張燕は思わず副官と顔を見合わせた。
(こんな時期に使者とはどういうことだ?)
張燕はひとまずその使者に会ってみることにした。