「まったく、あの方は人使いが荒いわ!」
ぶつくさと文句をたれながら作業を行っているのは許攸だ。
彼女は田中から留守時の諜報機関の総指揮を託されており、彼らからもたらされる情報を整理しながら上司のけりを待っているのだ。
「こんな情報ばかり集めて、本当に必要なのかしら?」
許攸は疑問を持ちながらもそれらの情報をまとめていく。情報と言っても各地に住んでいる住民の人数や耕地面積と言った内政に必要なモノから危険人物として目を付けている人間の行動のように警備に関するモノ、隣国の兵士の人数や異民族の動きと言った軍事的な情報まで集めるモノは多岐にわたる。
それらの集められた情報を各分野の部署に向けて持って行くという作業なのだが、これがなかなかに骨のあれる作業なのだ。しかも中には、その土地の伝承のようないかにもいらなさそうな情報まで存在する。
「これは給料を上げてもらう必要があるわね……」
許攸の頭の中には給料の上昇という単語が渦巻いていた。
「こちらがこの地域でも最も大きい村落になります」
諸葛亮に案内されたのは東郡では最も大きい村落である。噂が立つ以上は人間が関与している。そういった人間に会う確率のより高い場所、つまりは人口の多い場所で調査を行えばより効率的に調査が出来るという判断だ。
「これはありがとうございます。それでは早速掛からせていただきます」
そう言って田中は早速その村の村長の所を尋ねた。
「どうもお邪魔いたします。私は冀州牧袁紹配下の田中と申す者でございます」
「おお、あの袁州牧様の臣下の方でございますか! こんな片田舎に何のご用です?」
「実は天の御遣いに関する情報を集めておりまして……」
「それなら私も知っておりますが、残念ながら私たちが知っているのはその内容のみで具体的な話は何も知らんのです」
「つまりは天の御遣いが降り立つということ以外は何も知らないと?」
「ええ」
「そうですか、それはありがとうございました」
田中はそう言ってお礼をしてからその場を後にした。
「孔明殿、ありがとうございます。これで構いません。次の地へと行きましょう」
「分かりました」
そう言って田中達はその日に三つほどの大きな集落を訪ねたが、どこにも有力な手がかりは見つからなかった。
「桃香様、よろしいですか?」
劉備の部屋に入ってきたのは諸葛亮だ。
「朱里ちゃん、お疲れ様。それであのお客さんはどう?」
「ええ。情報が無いことに落胆をし、早くも諦め始めているようです」
「それなら良いんだけど……。さすがにご主人様のことが世間に知られるとマズいからね」
「あの田中という人物。私が見たところによりますと噂とは違い、ただの凡人のようです。調査の仕方も杜撰ですし、しょうもないことばかりに気を取られていますしね」
「しょうもないこと?」
「ええ。その土地に伝わる伝説やら物価やら特産品やらと噂とは関係の無い話ばかりで盛り上がっていました」
「そう。なら大丈夫だとは思うけど、くれぐれもご主人様のことはバレないようにね……」
「御意」
そう言って諸葛亮はその部屋を出た。
その諸葛亮の元へ一人の兵士が近づいてくる。
「軍師殿、先ほど早馬がこのようなモノを……」
そう言って彼が差し出したのは一通の書簡であった。
「やはり伏兵をおいた地に現れましたか?」
「そのようです。かなり急いでいたらしく、あっという間に捕らえることには成功したようです」
「その者は?」
「斬りました」
「よろしい」
そう言って諸葛亮はその書簡を見てみる。
「やはりそうでしたか……」
そこに書かれていたのは田中が袁紹へ当てた書簡で中身は劉備が袁術に寝返ろうとしていないかという調査に関するものであった。
結論としては寝返ろうとはしていないという判断を下しており、問題になるような情報はない。
諸葛亮はあのような噂に関して本気で袁紹が田中のような人材を送り込んでくるとは思えなかった。そのために別の何か目的があると考えたのだ。考えられるとすれば、劉備が袁術と袁紹、どちらに付こうとしているかであろう。袁紹はたった一年で河北を制定した優秀な統治者だ。そのような人物が簡単に我々を信じているとは思えない。
諸葛亮はそう読んで、あらかじめ密偵が行きそうな地に伏兵を潜ませ捕まえる準備を整えていたのだ。
「これをすぐに袁紹のところへ届けなさい。ただし届ける際には表立ってではなく、袁紹の間諜を装って届けるのです」
「御意」
すぐに兵士はその場を後にする。
「彼の目的はやはり噂では無かったです。これで安心できましゅ」
「やはり劉備は何かを隠している」
田中は審配にそう告げる。
「何かあったのですか?」
「ああ。今日、いくつかの集落に行ってみたが、どこも大して話を始めていないのに俺があの噂に関する情報を集めていると皆がそれに気付いた。それに奴等、言葉に訛りが一切無く、手がきれいだった」
「つまり何者か、中央から送り込まれた人物が返信している可能性が高いと」
「ああ」
「ではすぐに調査が必要ですね」
「だが、用心していれば奴らは絶対にしっぽは出さん。だから、既に一芝居打ってある」
「昨日の早馬と今日の調査で。ですか?」
「ああ」
二人共、にやりと口元に笑みを浮かべた。その笑みはどこか獲物を睨んでいる蛇のような不気味さを感じるものであった。