「趙将軍!」
駆けつけたのは顔良の部隊だった。沮授から緊急の要請と同時に田中達、諜報部隊から劉備裏切りの急報を聞きつけた袁紹が顔良を派遣したのだ。
「顔将軍、すまない」
趙雲は顔を背けた。彼女の周囲には兵士はほとんどいない。
「遅かったのですね……」
「私の責任だ」
趙雲は出陣前に沮授から警告を受けていたにも関わらず、それを防ぐことができなかった。
「とりあえず張将軍のところへお送りします」
顔良達は敵襲に警戒しながら、張郃の元へと向かった。
「やはり劉備が裏切りましたか~……」
報告を聞いた沮授が呟いた。
「分かっていたのですか?」
「何となくではありますがね~。警戒するように言ったのは~、そのためです~」
趙雲は顔を下に向けた。
「全ては私の責任です。どうか軍法にて裁いてください」
「まだ趙雲殿には~やるべきことが~残っておりますから~」
そう言って沮授が処罰を拒否した。
「しかし、それで我が君は納得されるのですか?」
「既に許可は~取り付けております~」
趙雲の疑問に沮授が答えた。
「今、我が軍は曹操軍の本隊とぶつかる可能性が高い。騎兵の指揮官が必要だ」
張郃が言った。
「曹操軍がもう既にここに到達しているのですか?」
「ちょうど趙将軍が~戦っている頃に~、曹操の本隊がここに来ましてね~」
「追い返したが、奴の軍の機動力は相当なものだ。本隊が渡河を終えるまでここを守り切る必要がある」
張郃は苦り切った顔をして言った。趙雲は、その表情から自分に与えられる任務が困難なものになることを予測した。
劉備が寝返ったことにより無欠で手に入った濮陽に曹操軍は入城した。
そこで曹操は主立った将を集め軍議を開いていた。
「袁紹軍は初戦に敗退したと?」
曹操の言葉に戯士才は頷いた。
「ええ。趙雲は大半の兵を討ち取られ、敗走したとのことです」
「それで彼女は?」
「それが……。取り逃がしたと」
「取り逃がした?」
その瞬間、曹操の目に怒りの灯がともった。
「あれほど趙雲は捕らえよと伝えたはず! なぜ捕らえなかったの!」
「どうやら劉備の裏切りに勘づかれていたようで、敵の立ち直りが想定以上に素早く……」
「言い訳など聞きたくは無いわ。桂花!」
「ここに」
「戯士才の首を切りなさい」
「我が君!」
「華琳!」
その一言に夏候淵や荀彧が、一斉に立ち上がった。
「戯士先生の功績は大きい! これまでも我が軍の多くの点で支えてきた功績がある! 華琳、余りにも厳しすぎる!」
夏候淵が必死に止めた。
「甘いわ、秋蘭! 趙雲は稀代の将、彼女を逃せばどれほどの損失が我が軍に出るか!」
曹操の言葉は間違ってはいない。今回、圧倒的優位な状況で戦っていたはずの劉備、曹操連合軍は趙雲の部隊に想像以上の苦戦を強いられた。被害は五〇〇〇ほどにまで昇り、挙げ句の果てに肝心の趙雲を逃したのだ。
「奴を逃したことは万死に値する」
「だが!」
「我が君、お待ちください!」
荀彧が小さな体からは想像ができないほどの大声を上げた。
「戯士殿は確かに許されざる失敗をされました。しかし、同時に彼女の功績も非常に大きい。大戦の前にあって彼女ほどの功労者を斬れば、全軍の士気が下がりましょう。ここはもう一度、機会を与えるべきかと」
「ふむ……」
曹操が少しの間考え込む。
「分かった。桂花の案を入れるわ」
「感謝いたします」
戯士才は頭を下げた。
「戯士才、次は無いわ」
「御意」
曹操はそう言うと軍議を再開した。
軍議が終わり、戯士才は荀彧に近づいた。
「桂花、ありがとう」
「竜刃、良いのよ」
彼女たちは元々既知の中だ。既に真名は交換している。
「元々、我が君はあなたのことを斬るつもりなんか毛頭無かったわ」
「だろうね」
「あら、読めてたの?」
「我が君の命をしくじった私を軍法で裁かねば、軍の規律が乱れる。体裁だけでもああいう発言をするしか無かったことは分かっているわ」
「さすがは竜刃ね」
「おそらくあなたが言わなければ、誰かの言葉を聞いて同じような処置、ないしは軽い刑で済ましたはずよ」
「それ、我が君の前で言っちゃだめよ」
「あの人は天邪鬼だからね。ふてくされるから言わないわ」
にやにやとしながら言った戯士才を、心底良い性格をしていると荀彧は思った。
「ところで、実際、趙雲はどうなの?」
「手強いわ。彼女が率いていた軍は精強揃いでかつ指揮も的確。正直、あれ以上の軍とは戦いたくはないわね」
戯士才の言葉に荀彧は顔を顰めた。
「それは我が軍以上なの?」
「聞いている情報では趙雲軍は中の上くらいの実力らしいわ。本隊が率いているのはさらに強いらしい」
「厄介なことね」
「本当に……」
戯士才はため息をついた。
「勝ち目はあるの?」
「袁紹軍の内部分裂を狙うしか無いわ」
「とは言っても……」
長期戦は無理だと言いかけたところで、戯士才はある存在を思い出した。
「なるほどね」
「我が軍だけじゃない。袁紹の苦戦につけこんで我々はゆっくりと平らげれば良いわ」
荀彧の口角がつり上がる。それは獲物を狙う捕食者を連想させるどう猛なものだった。