篠ノ之束の憂鬱な日常 作:通りすがりの仮面ライダー
1/邂逅
──アイツとの初めての出会いは、小五の時にまで遡る。
▲1/邂逅
四月。新学期の始まりだ。が、かくいう私は授業などそっちのけで他の作業を行っていた。
「............」
カタカタと音を刻みながら指が躍り、ノートパソコンの画面に数式を紡いでゆく。それは証明というよりむしろ記録で、その証拠に数式の合間に説明らしき文章は一切ない。どうせ誰かに見せるためのものではないのだから当然だ。私だけの中で完結していれば、それで事足りる。
そんな形式だけの行為はさして意味を持たないが──
「............」
まあ目の前で行われている、小学生向けの授業に比べれば幾分か有意義ではあることだろう。今さら四則演算を習うなど、馬鹿にしているのかと呆れてしまう。義務教育でなければとっくに引きこもっている所だ。
そんな事を脳の片隅で考えていると、響き渡るチャイムが授業の終わりを告げた。教師の号令と共に30人前後の小学生が揃って礼をする。勿論、私は除いてだ。
......一人だけ座ったままキーボードを叩いていると、担任教師の視線が一瞬だけこちらへ向けられた。その諦感と僅かな怒りが混じった目に鼻で笑って返し、教師は視線を外す。小三辺りからずっとこれなのだ、すでに私は無いものとして扱われている。そしてそんな教師の雰囲気に当てられたのか、クラスメイト達も私に話しかけてくることはない。喧しくなくて結構なことだ。
「............下らない」
そう吐き捨て、半分ほど書き上げた数式のみのレポートを再び打ち出していく。新学期早々のことだが、どうやら今日は担任教師に用事があるらしくいつもある"終わりの会"とやらがないらしい。結構なことだ、このままノーパソを叩いていても問題ないだろう。
そう考えた私がレポートもどきを書き上げたのは、二時間後のことだった。
さすがに二時間もキーボードを叩いていれば、肩も凝る。んっと声を漏らしながら伸びをした後、ふと私は呟いた。
「で、いつまで見てるの?」
「ありゃ、バレてたか」
そう言って頬を掻きながら、教室後方のドアの影から出てきたのは一人の少年だった。
「一時間くらい前から、ずっとそこにいたよね。暇なの?」
「別に暇じゃねぇけど......ちょい聞きたいことがあったんだけどさ、声かけづらくて」
それで私の作業が終わるまで待っていた、と。
「ふぅん、あっそ。けど待っていたとこ悪いけど、私はオマエに興味ないんだ。消えてくれない?」
いっくんとちーちゃん、そして箒ちゃん以外の人間に興味などない。有象無象の凡人如きに構ってられるほど暇じゃない─────
「......はーん。成る程ね、こりゃ重症だな。想像を遥かに越えてイタい人だわ」
「はぁ?」
振り返れば、そこには今にもうへぇ、という声が漏れそうなほど歪んだ顔だった。
「もしかしてシノノノさんってアレ? "孤高なワタシって超かっこいいわー"とか思っちゃってる系の人? ちょっと時期的にそれは早いよーな気がするんだけど、そこんとこどう思ってる?」
「......は? 何言ってんの、オマエ」
「あれだな、邪気眼系厨二のほうがまだマシだわ。もうね、こういう孤高系厨二はほんとイタい。というか痒い。ムヒ持ってる?」
「は────ぁ?」
何を言っているのかよくわからない。だが一つだけわかるのは、こいつが恐ろしく苛つく存在だということ。
「単刀直入に聞くけどさ。シノノノさんってなんで授業中とかもずっとそれつついてんの? なんかの中毒とか?」
「......別に、聞く価値もないだろ。それならこうしてた方がまだ有意義だ」
「なんだそりゃ。それでずっとノーパソつついてると?」
呆れたように眉を上げて、少年は嘆息した。
「わざわざセンセーの神経逆撫でするような真似して、楽しいのか」
「......へぇ、そのためだけに私の所に来たの? ご機嫌取りってわけ?」
「おいおい、質問に質問で返すアホかよ。ちなみに別にそんなんじゃねぇぞ。で、答えは?」
天才たる私がよもや凡人にアホ呼ばわりされたことに酷く苛つかされ、私は半ば反射的に言葉を叩きつけていた。
「ハ。何で
だからさっさと出ていけ。
そういう意味を込めて睨み付ける。しかし返された視線は、予想外なことに────失望に染まっていた。
「あっそう、ふぅん..................なんだ、ただの
「なっ─────!?」
よりによってサイコパス扱いされたことに驚愕と憤怒を覚え、思わず立ち上がる。
「ふざけんな、オマエ、何言って」
「実際その通りだろ。それともあれか、自分は特別扱いされてもいいんだー、とか幼稚なこと言い出す気?」
笑える、と呟いて続ける。
「つーかさ。お前、自分のこと天才だって思ってるみたいだけどそうでもないぞ。天才なら何でもそつなくこなすもんだろ。人間関係や生活態度、その他諸々もこなして尚且つ特別な才能を持ってる──人として成り立ってることを前提として、天才って言うと思うんだけど」
「な、な、な......!」
「今のお前は、単なる協調性のないクソガキだよ。ちょっと頭の良い、な」
実績も何もない、相対性理論を発見したわけでも重力子を観測したわけでもIPS細胞を発見したわけでもなく──
そう、少年は嘲笑した。
............今思えば、それは暴論にも程があると言いたいもの。しかしながら小学生の私は酷く
「お──お前には関係ないだろうが! わざわざ人の事に首突っ込んで、結局何が言いたいわけ!?」
「別に、何も」
胸ぐらを掴み上げられながら、少年は嘲笑の切れ端を表情に乗せて吐き捨てる。
「ただ、さ。────お前、すっげえムカつくんだよ」
純粋な敵意。憎悪とすら言っていいそれを叩きつけられ、私は思わずたじろいだ。
「さも自分が特別だとでも言わんばかりに孤立して、勝手に壁作ってさ。自分から拒絶して、それで勝手に見下して、悦に浸って、それで"誰にも自分を理解できない"とか、"孤高な自分カッコイイ"とか思ってるわけ? 端から見たら──滅茶苦茶イタいぜ、お前」
「っ............!」
怒濤の如く吐き出される言葉の数々に一瞬詰まるも、次の瞬間、私も怒鳴り返していた。
「言わせておけば──オマエこそ何様のつもりなんだよ!? イタいだとか何だとか、何でオマエなんかに言われなきゃいけないんだ!」
「はン────だから言ってんだろ、ムカつくんだっつの」
「それが訳わからないんだよ!」
ただ、吼える。
「勝手に見下して、悦に浸ってる? ふざけるなよ、勝手に決めつけたのはオマエらのほうだろうが!」
そして。傷付けられた心から、感情が溢れた。
「私が異常だと決めつけて、勝手に拒絶して、切り捨てて、腫れ物みたいに扱って。オマエらが先に始めたんだろうが......!」
思い出すのは、目だ。
私を恐れる目。信じられないモノを見るような目。怪物を見るような目。拒絶する目。
異物を観察するような、目。
「だから。だから、私は」
オマエらが、先に区別したんだろうが。
「"天災"だと─────っ!?」
「はいストップ。そこまで」
気付けば、視界が塞がれていた。
声を出そうにもくぐもったものしかでない。暖かい感触。
そして後頭部を撫でる手の感覚を知覚し、抱擁されているのだという事実にようやく気付いた。
「............!」
驚きに声をあげかける。しかし、それは次の言葉によって掻き消された。
「辛かったな」
「──────」
何を、今さら。
「すまなかった」
「─────ぁ」
何で、今さら。
「よく、頑張ったな」
「────ぁ、あ」
耐えて、塗り固めて、押し潰して。
押し込めてきたものが──そこで決壊した。
「あ......あぁあぁぁぁぁあああぁあ────!!!」
とんとん、と一定のリズムを刻んで首の付け根を優しく叩かれる。それは子供をあやす行為そのものだったが、嗚咽は止まらず。
泣きじゃくる私の頭を抱きながら、彼は黙ってそこに立ち続けた。
「落ち着いたか」
「............ん」
どれくらい経っただろうか。
ようやく涙も枯れ果て、私は若干しゃくりあげながらも身を離した。よく見れば彼のシャツには──その、なんだ──色々なもののせいでぐちょぐちょになってしまっていて、少しばかり罪悪感が沸く。
「......その、ごめん」
「いいよ、気にすんな。......それにわざととはいえ、俺も色々言い過ぎたしなぁ」
──ああ、成る程。要するに、私を一度追い詰めたかったわけか。
何がしたかったのかを理解し、その結果として随分と心が軽くなったのを自覚する。涙には自浄作用があるというが、まんざら嘘でもなかったということなのだろう。
しかし。そうして目の前の少年がぽりぽりと頭を掻く姿を見ていると、ふと疑問が口から零れた。
「......なんで」
「ん?」
「なんで、こんな事したのさ」
「あー。うん......まぁ色々あるけど、やっぱりムカついたからってのが大きいな」
「..................」
あれは嘘、というわけではなかったらしい。
「ま、まぁ、あのまま色々抱えたまんまほっといたらいずれパンクするか......どっちにしろろくなコトにならなかっただろうし。少しはすっきりしたろ?」
こういう時は一度全部吐き出してみるもんだ、と言って彼は笑った。
「要は、あれだ。──自己満足ってヤツなんだろ、きっと」
これが、彼と私の最初の邂逅。
後に私の無二の