‥‥‥。
んっ‥‥‥‥‥‥うん?
身体が重い。右手の掌を誰かに握られている感覚と、肘の内側に何か違和感がある。その違和感を払おうと左手を出そうとしたけれど、左腕の二の腕から先の感覚が無い。‥‥‥あれっ?
まだ重い瞼を開く。決して広くない、けれど清潔に保たれた、一面オフホワイト色の部屋。私が寝かされているベッドを囲むように配置された数種類の医療機器。右腕の違和感の正体は点滴か。
私の右の掌を握っていたのは、ヌイヌイちゃんだった。ヌイヌイちゃんは傍に置かれた椅子に座ったまま、私の手を両手で握ったままで上半身をベッドに伏して眠っていた。
掛けられていた毛布の一部を払い除けて、私は自分の左腕に視線を向ける。包帯がぐるぐるに巻かれた、二の腕から先が失われた左腕。ああ、そっか。由良との戦闘で死ぬ筈だった私は、ナツ達に助けてもらったんだっけ。
沖立です。
だとすればここは医務室、若しくは何処かの病院かな?呉鎮守府ではない事だけは確か。ヌイヌイちゃんはきっと、仕事も休んで私の事をずっと看病してくれてたのね。
はぁ。いずれヌイヌイちゃんの前から消えようと思ってたんだけど、そうもいかなくなった。最後の、唯一の支え、か。正面から向き合え、なんて簡単に言ってくれるわね。ナツとの約束だし守るつもりではあるけれど、言葉の選択を間違えたらヌイヌイちゃんは立ち直れなくなる可能性が高い。難度としては蘇生の対価に見合うって事か。ハァ‥‥‥。今暫くは保留にしておきたいわね。ヌイヌイちゃんが落ち着いてからでも遅くはないと思うし。私を失うかどうかの瀬戸際だったんだし、今のヌイヌイちゃんの精神面を刺激したくは無いものね。
「ん‥‥‥」と小さな声を洩らしたヌイヌイちゃんの頭を、私は静かに優しく撫でる。滅入ってるだろうしこのまま少し寝かせておいてあげようかな。
ん?扉が静かに開かれた。入って来たのは村雨。村雨も付いてくれてたのね。
「夕立!いつ起きたの!?」
私に気付いて思わず大声をあげた村雨。私は人差し指を唇に当てて「しーっ」と合図を送る。村雨はすぐに眠っているヌイヌイちゃんに気付いて、トーンを落として小声で話してくれた。
「何時起きたの?」
「ついさっき」
村雨によると今私が居るのは横須賀鎮守府の医務室みたい。蘇生はしたものの、私はあれからニ週間も目を覚まさなかったらしいわ。その間ヌイヌイちゃんはずっと私に付きっきりで看病してくれてたみたい。村雨はヌイヌイちゃん一人では無理をするかも知れないからと付き添いで来たらしいわ。
「そうそう。私、正式に呉所属になったのよ。だからこれから宜しくお願いします、提督?」
村雨は、私が眠っている間に呉鎮守府に異動になった。決めたのは山本中将。佐世保に戻るって選択肢もあるにはあるけれど、佐世保の子達だって一度は村雨をスパイと思って恨みや憎しみ、怒りを向けてる。だから幾ら村雨が無実だったからと言っても今までのような距離感で村雨と接するのは難しいでしょうし、村雨もどうしても溝を作ってしまうであろう事は想像に難くない。それならそういう偏見も無く、ごく普通に接していた呉にそのまま残るって方が今後村雨にとっては過ごし易いだろう、って配慮。代わりに萩風が佐世保に異動になった。
「ええ、そういう事なら。改めて宜しくね、村雨」
あ、ヌイヌイちゃんが起きたみたい。「んうぅ‥‥‥」って声を洩らして瞼を開けたわね。寝起きで頭が回ってないみたいで、「おは‥‥‥よう、ぽい‥‥‥ぽい」って目を擦りながら言ってる。
「うん。おはよう、ヌイヌイちゃん」
ヌイヌイちゃん、唇を主張しておはようのキスをご所望みたい。気付いてないのかな?無闇に起き上がって身体を動かさない方がいい気がするんだけど。
なんて躊躇してたら、ヌイヌイちゃんの方から唇を重ねてきた。あー、村雨が頬を染めて「明石さん呼んでくるから。二人ともごゆっくり」って言って部屋を出ていったわね。
あ。ヌイヌイちゃん、ビクッて身体を震わせて驚いた?やっと気が付いたっぽいわ。唇は重なったまま抱き着いてきたわね。肩を震わせて泣き始めたみたい。心配かけちゃってごめんね。
唇を離したヌイヌイちゃんの口から出たのは「‥‥‥嘘つき」っていう一言。嗚呼。今の私には重い言葉。図星なだけに心にくる。
「約束‥‥‥したのに‥‥‥。ずっと‥‥‥一緒に‥‥‥」
それ以上は言葉にできなかったヌイヌイちゃんは嗚咽を漏らすだけになった。私は右腕で抱き止める事しか出来なかった。
やっとヌイヌイちゃんが泣き止んだ頃。少しの間を置いて扉が開いて明石さんが入って来た。多分だけど、外で待っててくれたんだろうなぁ。
「身体の具合はどうですか?違和感とかあります?」
ヌイヌイちゃんの背中から私に話し掛ける明石さん。顔を合わせようとしないヌイヌイちゃんに何も言わないし視線を向けない所を見ると、やっぱり泣き止むまで待ってたみたい。
「特には無いかな。身体に力が入らないくらい」
「そうですか。左腕以外は問題無さそうですね。ですがもう2、3日様子を見てから判断しましょう。その前に精密検査も必要ですし」
て事は動けるようになるのはもう少し先ね。呉鎮守府、どうなってるかな?半壊だったものね。他のみんなはどうしてるかな?復旧は進んでるかな?
「そうそう、呉鎮守府の復旧は進んでるみたいですよ?大変でしたね」
明石さんの話だと。今回呉鎮守府の半壊、それと由良拘束時の監督責任(由良に自殺された挙げ句深海棲艦化された)っていう事もあって、流石に私は減給処分。ただ、それだけじゃないみたいで。
「何処かの誰かがリークしたんですよ。『呉の部隊を率いて、日本を滅ぼすかも知れない程の化け物深海棲艦と戦った』って」
明石さんは笑う。勿論リークした内容は全てってわけじゃなくて、スパイの話とか、私が深海棲艦化して倒したとかの具体的な話はしてないみたいで、ザックリとした内容。まあ呉の街からも鎮守府で戦闘が起きてるのは分かっただろうからその説明にはちょうど良かったみたいね。そのお陰で私が処分されるだけでは世間が納得しなくなったみたいでね。え?リークした人物?明石さんは『いやー、誰でしょうねぇ?顔の広い人物なのは確かですね。重巡の誰かとかじゃないですかね?』って言ってたから知ってるけどあえて言及はしないって所でしょうね。多分私が処分されるだけ、っていうのに納得いかなかった人が居たんでしょう。‥‥‥青葉さんには後でお礼言っておこう。
「それではまた来ますね!頑張って下さいね、沖立大佐。あ、完治したら飲みに行きましょうね!」
ヒラヒラと手を振り、そう言って明石さんは部屋を出た。昇進、か。別に興味は無いんだけどそうもいかない、よね?
「ポイポイ」
明石さんが居た事もあって静かだったヌイヌイちゃんが再起動。涙の跡が付いてる頬はまだ紅い。
「ポイポイ、約束して。不知火に黙って居なくならない、と。命を投げ出すような真似は二度としない、と」
それに関しては大丈夫。もう黙って死んだりするような真似はしない。ヌイヌイちゃんに潰れられるのは私の本意じゃないし、ナツ達との事もあるから。もしそういう場面があっても事前にヌイヌイちゃんに言う事にする。
「分かった。勝手に死ぬような事はしない」
「許可を取ってから居なくなるのも駄目よ」
あ、そう来たのね。でもまあ仕方ないか。病気か事故以外では死ねないってわけか。
「‥‥‥ごめんなさい。何が起きても逃げない、と誓った筈だったのに。弱い不知火を許して下さい」
ヌイヌイちゃんも本当はずっと無理をし続けてたんだろうな。弱い自分を偽って、必死に強く在ろうとしてたのかも。弱音を吐く時もある、じゃなくてそっちが本当のヌイヌイちゃんで。萩風や陽炎さんを失って、偽る理由が希薄になったっていうのと、私に想いを打ち明けたせいで弱い部分を隠す必要性が下がったって事かな。私ってホント駄目ね。親友の事すら見えて無かったって事だものね。
「大丈夫。多分、あと一回抜錨するのが限界だと思うから。雷‥‥‥レ級さえ倒せば、全部終わるわ」
「なら約束して。レ級が相手でも死なないと。必ず生きて帰る、と」
レ級が相手だし、確実に無事帰れるとは言えない。でも今度は這ってでも生きてみせるわ。自分を犠牲にしたりしないから。はぁ‥‥‥自分を犠牲にしたら相手がどれだけ辛く苦しい思いをするかは鈴谷さんの時に散々味わって知ってた筈なのにね。
「約束する。もし嘘をついたら、何でも1つだけ言う事を聞くわ」
私は右手を伸ばし、ヌイヌイちゃんの頭を撫でる。
今までははぐらかしてたけど今回は自信をもって言える。約束するわ。ヌイヌイちゃんを一人にはしない。
それから数日後。体調も回復し漸く外出許可も出た私は、ある場所へと向かった。一緒に来てくれたのは武蔵さんと、ヌイヌイちゃん。村雨は先に呉に戻ったわ。本当はまだ夜出歩くのは控えた方がいいんだけど、伝えるのは早い方がいいと思ってね。
「いらっしゃいま‥‥‥沖立さん!?大丈夫なの!?」
あれ?
妙さんの店の暖簾を潜ってみると、出迎えてくれたのはレンちゃんでも五月雨ちゃんでもなく。夕張さんだった。何時から此処で働いてるの?ってそうじゃなくてアルバイトって駄目なんじゃないの?
「それがさぁ、聞いてよ3人とも!私タダ働きさせられてるのよ!」
夕張さんの言い分だと、『上から』の命令でタダ働きしてるって話なんだけど。どうも肝心な所の説明を省いてるような気がする。まだまだあれこれ言いたそうな夕張さんだけど「お客様を待たせるんじゃないわよ、早く案内しなさい」って妙さんに言われて渋々私達をカウンターへと連れていく。大丈夫なのかな?えっと、色々と。
「大丈夫でしょう。大方『機密である作戦内容を洩らした罰』辺りではないですか?」ってヌイヌイちゃんはさほど気にしてない。あ、ヌイヌイちゃんはさっきからずっとこの調子。武蔵さんが合流して、私と普通に話すのを見られるのが恥ずかしいっていうのと二人っきりで出掛けると思ってたら武蔵さんも居て拗ねてるっていうのが半々って所かな。
「Exactly、良く分かったワネ!」
答えた声の主はカウンターに座ってた。なんとアイオワさん。ええ、妖精じゃなくて艦娘のアイオワさん。金剛さん達も当初のものとは変更になったけどどうにか作戦成功したみたいでね。こうして無事にアイオワさんも戻れた。彼女はもう暫く日本に滞在するみたい。
「ワタシの救出作戦をユラに教えた罰ミタイヨ?」
あー、成る程ね。そういう事。「ちょっと!黙っててって言ったじゃないですか!」って夕張さんは喚いてるけど仕方ないわ。ほら、ヌイヌイちゃんも夕張さんに「何を言っているのですか?機密漏洩などもっての他ですよ?本来なら軍法会議ものです。こんな程度で済んだのですから幸運に思うべきです」って言ってるし。
「うぅ‥‥‥確かにそうなんだけど。でもあれは不可抗力よ!」
まだ喚いてる夕張さんは「ほら、早くドリンク持ってって」って妙さんに退場させられた。アイオワさんの右隣に武蔵さん、その隣に私、一番端にヌイヌイちゃんが座る。
「久しいな、足柄よ」
「だ・か・ら!武蔵までなんでそう呼ぶのよ!『妙』だって言ってるでしょうが!」
妙さん口ではそんな事言ってるけど、顔は嬉しそうね。まあ気持ちはわかるわ。
「それよりアンタ、どうして今まで顔出さなかったのよ!だいぶ前に戻って来てたんでしょ?」
「ああ、済まなかった。色々と立て込んでいたものでな」
妙さんは武蔵さんがドリンクを頼む前にビールをジョッキで手渡した。「アンタは何時もこれよね?」「そうだな」って二人でニヤっと笑ってる。ホント、楽しそう。
「それじゃカンパイネ!」
アイオワさんの一声で、私達はグラスを互いに打ち付ける。私はまだ大事をとってウーロン茶。ヌイヌイちゃんは、カルーアミルク。お酒、あんまり飲めないみたいなんだけど大丈夫かな?
「大丈夫です。ちょっと酔ってポイポイに介抱してもらおうなんて考えて無いわ」
あれ?ヌイヌイちゃん、もしかしてもう酔ってるの?ってそんな事考えてたの?フフッ、これは心配かも。
本当に酔ってるのかそうで無いのか、ヌイヌイちゃんは私に寄りかかって肩に頭を乗せてる。ま、今はいいよね。
隣ではアイオワさんと武蔵さん、妙さんが話し込んでる。「Diamond shieldが大活躍ダッタワ!」「ほう、アイツも中々やるな。今度手合わせ願いたいものだ」「武蔵、アンタ何でも改ニの馬鹿力で捩じ伏せようとするの止めなさいよ!」って感じでね。
え?中枢棲姫戦の様子?そうね、何処かで話せるといいわね。
あ、そうだ。言わなきゃいけない事があったのよね。ヌイヌイちゃん、ちょっとだけ離れて‥‥…あ、駄目みたい。確り掴まれてる。仕方ない、座ったままでいっか。
「妙さん、伝えておきたい事が一つだけあるんです」
「ん?何よ改まって」
初代雷‥‥‥ナツの事、妙さんに確かに伝えた。本当かどうかも怪しい私の話を、妙さんは信じてくれたわ。「死んでもお節介を焼こうなんてあの子らしいわね」って遠い目をしてる。
「新しいオトコって所は余計なお世話だけどね。さーて。アイオワと武蔵も居るし、沖立の快気祝いよ!」
妙さんはカウンターから少しでてきて、今滞在してるお客さんみんなに「今日はドリンクは夕張の奢りよ!みんなジャンジャン飲んでってね!」って。‥‥‥えぇぇ。
「ちょっとぉぉお!?妙さん!?私、五月雨ちゃんを盗さt‥‥‥じゃなくてその勇姿を納める為にカメラ買ったばっかりでお金が!」って必死に抗議する夕張さん。
対して妙さんは「うるさいわね、いい給料貰ってるんでしょ?」って笑って取りあう気は無いわね。
「諦めろ夕張。足りないなら私が半分出しておいてやるぞ」
「武蔵さん‥‥‥!一生付いていきます!」
なんてやり取りをしてる。ヌイヌイちゃんは私の腕をホールドしたまま寝ちゃったみたい。本当に弱かったのね。
平凡だけどこういう毎日が続けばいいんだけど。そうはいかない。
レ級を発見した、って報告があったのはその日の三日後。呉鎮守府に戻ってすぐの事だった。
夕張ェ‥‥‥。
さて、残す所もあと1話となりました。レ級との決着は‥‥‥。
思えばここまで長かったなぁ。
艦これ運営が加賀さん改ニ鋭意準備中だそうですね。さてさて、実装は何時になるやら。