「はぁ‥‥‥」
弱々しく肩を揺らしながらついた溜め息。愚痴の一つも零れるというものです。状況は最悪と言えるでしょう。恐らく長くは持ちません。大破させられましたし、舵がやられました。もうヤツの‥‥‥あの筋骨隆々の気色悪い艤装の戦艦棲姫の格好の的です。黒髪に黒いキャミソールで出迎えとは、さながら死神ですね。
後方には川内さんの零式水上偵察機。『万が一の事態になる前に直ぐに知らせて』と帯同させられたモノです。ですが、零式を今戻す訳にはいかない。戦艦棲姫から客船が逃げ切る為の安全な距離はまだ確保出来ていない筈ですから。
‥‥‥はい？名前ですか？此れから沈むだけの船に名前が必要でしょうか？物好きですね‥‥‥ハァ、仕方ありませんね。お教えしましょう、不知火です。
落ち度ですか？とんでもない、全て不知火の計算通りです。不知火が囮になって最も厄介な戦艦棲姫から客船を逃がす。完璧な作戦です。残りの５人で戦艦タ級ほか随伴艦と交戦しながら客船を守らねばなりませんが、百戦練磨の羽黒さんが居ますし大丈夫でしょう。
そうですね、客船が逃げ切れる距離を確保したら不知火も離脱する、というのを信用して頂けなかったので、妥協案として零式を付けてもらいました。
まぁ、零式には不知火の轟沈と安全の確保を確認してもらった後にここから離脱してもらいますが。
司令から受けた今回の任務は『客船を護衛し無事に本土へと送り届ける事』ですよ？不知火が無事戻る事ではありませんから。轟沈と引き換えに駐英大使の娘が守れるのです。問題有りません。それに‥‥‥それに、彼女には妖精さんが見えていた。恐らく後に彼女も艦娘になるのでしょう。不知火がここで轟沈しても彼女が艦娘になるのなら±０。いえ、任務を達成できるので＋１ですね。
大丈夫です。あと少し‥‥‥あとほんの10分程粘れば良い。10分粘れば、客船は逃げ切れます。
‥‥‥思えば短い人生でした。深海棲艦に襲撃されて両親を亡くし、孤児だった不知火が艦娘として呉に来て数年。司令には良くして頂きましたし、待遇にも不満は有りません。性格が災いして周りとは結局打ち解けられませんでしたが。今思えば、暁には悪い事をしたかも知れませんね。
まあ、構わないでしょう。漣も夕立も、不知火の事を煩わしく思っていたようですし。揚げ句『ヌイヌイ』等という妙チクリンなあだ名まで‥‥‥。
あだ名、ですか‥‥‥これが最期でしょうし、白状します。この１ヶ月は‥‥‥認めましょう、楽しかった。漣と夕立という問題児の教育係を命じられて、我が儘と文句ばかりの二人を無理矢理勉強させ。時に絡まれ、時には手を引かれ。夜中まで話に付き合わされる事もありました。今考えれば、コミュニケーションが苦手な不知火の事を思って司令が二人を差し向けた、というのが真相なのでしょう。全く、うちの司令には困ったものです‥‥‥お蔭で‥‥‥お蔭で、此所で轟沈するのが辛くなってしまったではないですか。
戦艦棲姫が此方に砲を向けました。トドメ、ですか。苦しいのは勘弁ですね。せめて一撃で、一思いに沈めて欲しいですね。もしも来世があるのなら、今度は自然と笑える人間になりたいものです。
‥‥‥‥‥‥後ろから微かな声が聞こえる‥‥‥‥‥全く、不知火の事など放っておけばいいものを。此れだから問題児は困ります。貴女の輝かしい未来に不知火の存在など必要無い筈では？そうでしょう‥‥‥夕立！！
◆◆◆◆◆◆
居た‥‥‥ヌイヌイちゃんっぽい！やっぱりアタシの勘は間違ってなかった！ヌイヌイちゃん、このまま沈む気っぽい。けどそんなの、そんなの認めない。鈴谷さんに誓ったんだ。もう誰も死なせないって！
駄目っ！撃たないで！戦艦棲姫だか何だか知らないけど、ヌイヌイちゃんを撃っちゃ駄目っぽい！もしヌイヌイちゃんを沈めたら‥‥‥沈めたら、絶対許さないっぽい！
戦艦棲姫の艤装の砲門が光って‥‥‥このままじゃ間に合わない。もっと速く‥‥‥島風ちゃんみたいに速く走れたら。
ん？島風ちゃんみたいに？‥‥‥‥‥‥あった。今すぐヌイヌイちゃんの所まで飛んでいく方法が。迷ってる暇は無い。妖精さん、全速前進っぽい！
魚雷二本。それを後方に投げて、砲撃する。この至近距離なら外さない。強烈な爆発音と爆風が、アタシの背中に襲いかかる。艤装越しでもアタシの背中には、感じた事の無いくらいの痛み。あー、川内さんは軽巡だからアレで済んだのか。やっぱり駆逐艦のアタシじゃダメージは甚大っぽい。
それでも、全速力のトップスピートに加えて爆発の爆風の勢い。思った通り、凄い速さで前進してる。あ、これ推進機関もイカれたっぽい。両足の靴の艤装から煙が上がってる。チャンスは一度だけっぽい。
ヌイヌイちゃんをあっという間に追い越して真っ直ぐ戦艦棲姫へ。駆逐艦のアタシの豆鉄砲程度の砲撃じゃどうにもならない。でも、残りの魚雷をありったけ叩き込めば、きっとダメージを与えられる！
うわっ、戦艦棲姫の砲門がアタシに向いたっぽい！何か、何かないかな‥‥‥っと、あった！
「これでも食らうっぽい！」
アタシが投げたのは、12．7㎝連装砲そのもの。見事に戦艦棲姫の艤装の開かれた砲門に填まった。よっし、命中っぽい！
砲門から連装砲が外される迄の数秒。それだけあれば充分。例え近距離で放っても、魚雷は避けられる時は避けられる。でも、零距離ならそうはいかない。まだ命中精度が低いアタシだって、これなら当てられる！
勢いそのままに海面から飛び上がる。アタシの身体は弧を描いて真っ直ぐに戦艦棲姫の方へ。戦艦棲姫も黙ってなくって、アタシに向かって砲撃。直後、左膝に衝撃が走った。痛い。言葉では言えないくらい痛い。でも、そんなの構ってられない。残りの魚雷を両脇に抱えて、纏めてヤツの顔目掛けて叩きつけた。
爆音、全身を襲う激しい痛み。アタシは一瞬で意識を飛ばされた。
◆◆◆
「‥‥‥‥‥‥立、夕立！」
あ、微かにヌイヌイちゃんの声が聞こえる。よかった。助けられたんだ。やったよ、鈴谷さん。アタシ、やったっぽい。
「夕立‥‥‥貴女はバカです‥‥‥大馬鹿者です！」
駄目だ。声出せないや。重い瞳を開けてみたら、アタシは海上を走るヌイヌイちゃんに抱き締められてた。アハハ、何これ。アタシの両腕、肘から先が無いっぽい。魚雷で吹き飛んだのかな？魚雷、アレだけ本数があったんだもん、当たり前か。うん？砲撃を受けた左膝から先も無い。身体も血まみれ。なのに痛みを感じない。麻痺しちゃってるのかな？あー、これ駄目なやつだ。アタシ、此処までかぁ。
「どうして、どうして不知火なんかの為に、貴女は！」
どうして？だって、ヌイヌイちゃんに沈んで欲しくなかったから。それ以上の理由なんて無いっぽい。
ヌイヌイちゃん、こんなアタシの為に泣いてくれるんだ。ワオ、ヌイヌイちゃんのレアな泣き顔見ちゃった。これで少しは報われたかなぁ、エヘヘ。
「不知火ちゃん、早く夕立ちゃんを！」
あー、羽黒さん、ごめんなさいっぽい。旗艦命令無視して助けに行っちゃった。でも、ヌイヌイちゃんが助けられたからいいよね？
駄目だ、眠くなって来ちゃった。今度こそアタシの人生は終わりっぽい。あー、一度でいいから恋とか経験してみたかったなぁ。おやすみなさい‥‥‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥あれ？生きてる？何で？うん？左手は無いままだけど、右手がある。左足も。血も治まってる‥‥‥。
アタシが一命を取り留めたのは、応急修理要員妖精さんのお陰。勿論、呉を出発した時はそんな妖精さんは乗せてない。‥‥‥応急修理要員妖精さんは客船に乗ってた。駐英大使の娘さんと一緒の部屋に。「妖精さん、助かったデース！」って労ってた大使の娘さんの様子を見ても分かる通り、彼女にも艦娘の才能があるっぽい。
‥‥‥そう。この駐英大使の娘さんこそ、後の金剛さんっぽい。これからずっと後の事になるけど、金剛さんは大本営の存在意義に関わる重大事件の引き金を引く事になるんだけど、それはまた別のお話っぽい。
◆◆◆
無事に客船を送り届けた後。呉鎮守府に戻ったアタシは即入渠。失ったままだった左手も身体の怪我ごと回復。本当に入渠って凄い。
それで。今はヌイヌイちゃんと一緒にトイレを掃除中。理由は、アタシが旗艦命令を無視したからその罰。今日から二週間だけだけど‥‥‥MVPに対する扱いじゃ無いっぽいぃぃ！！提督さんは褒めてくれると思ったのに！不満！アタシは凄く不満っぽい！
「コラ、ポイポイ。何ボーっとしてるんですか。さっさと手を動かしてください。早く終わらせて勉強の続きをしますよ？」
ううん、ヌイヌイちゃんは自分から手伝うって言ってくれたっぽい。『不知火の責任でもありますから』って。それは凄く嬉しいんだけど。相変わらず厳しい。‥‥‥って、ポイポイ！？それってもしかしなくてもアタシのあだ名！？
「どうしました？不知火に落ち度でも？」
デッキブラシを持ったまま首を傾げて『何言ってるの？当たり前でしょう？』って表情のヌイヌイちゃん。クッソー、こうなったら早く終わらせて‥‥‥あれ？終わらせたら勉強っぽい？‥‥‥休みたいっ！休みたいっぽい！
「不知火はコッチを研きますから、ポイポイはアッチをお願いします」
「‥‥‥もうポイポイでいいっぽい‥‥‥」
ふと見えたヌイヌイちゃんの横顔。頬が少し紅くって、口が微かに緩んでいた。ああ、ヌイヌイちゃんを助けられたんだなぁ、ってやっと実感できた。
夕立の初MVP戦。ボロボロの相討ちながらも姫級を撃破。ついでにヌイヌイのデレ頂きました。