リハビリシリーズーデレマス短編集ー   作:黒やん

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クローバーと霞草《鷺沢文香》

本は、世界を内包している。

そんな言葉をどこかで聞いたことがあるような気がする。それではその本に囲まれたこの場所は差し詰め宇宙やら銀河、はたまた神の領域とでも言うべきなのだろうか。ここで働いてもう一年は経つというのに、俺は何度もそんなことを考えてしまう。

なぜならここ、『鷺沢書店』は人が来ない。大学から近いからという理由でアルバイトに来たのはいいが、こうも暇だとつい思索に耽ってしまうのもまた事実だ。しかしながら、額もそれなりでなおかつ本を読み放題調べ放題という文学部の俺からすると理想的な環境を放り投げることなど出来ず、なんやかんやでしっかりとバイトを続けているのが現状だったりする。

パタンと分厚い本を閉じる。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だ。かなり時間がかかったが、今日ようやく読み終わった。何の根拠もないが、少し自分が賢くなったような感覚がある。その感覚に満足しつつ、俺は見回りついでに新たな本を探しに向かう。

次は何を読もうか、トルストイの「戦争と平和」にでも手を出してみるべきだろうか、いや、一度オスカー・ワイルドとかにも挑戦してみるのも悪くない。はたまた日本に戻って森鴎外や夏目漱石などのメジャーな本を読んでみようか。そんなことを考えながら棚の間をするすると抜けていく。そして入り口近くの棚にあった本が少しはみ出ていたのを発見し、踏み台に乗ってそれを直す。直し終えたのとほぼ同時に客の来店を告げる鈴がなった。振り向くと、そこには大きなキャリーケースを持った、どこか儚げな女の子がいた。

 

「いらっしゃいませ」

 

「……あ、と……はい、すみません」

 

いや、謝る必要性はわからないが。ともかく客だ。しかも新規の。ここには客が来ない、ということこそないもののほとんどがご年配の固定客か課題で切羽詰まった学生ばかりなので、こういった普通の若い人が来るのはかなり珍しい。今はまだ入学シーズン前なので新天地で店の発掘でもしていたのだろうか。

と、まぁ、いつまでも俺がここにいても迷惑だろうと踏み台を片付けに店の奥に行こうとする。

 

「あ、あの……」

 

しかし、それは今入って来た女の子の声によって止められた。

 

「はい、どうしました?」

 

「えっと、あ、いえ……すみません、その……」

 

営業スマイルを向けながら振り向くが、即座にさっと目を逸らされた。どうやら人付き合いが苦手らしい。……俺の顔が見るに耐えなかったからではないと信じたい。

しかし良く見れば前髪が長い。完全に目が隠れてしまっている。顔の輪郭や見えているパーツを見る限りはかなり整っているのに勿体ないと、女の子に知られればドン引き間違いなしなことを考えながら、俺は彼女の言葉を待った。

 

「ここは……鷺沢書店でよろしかったでしょうか……?」

 

「はい、そうですよ」

 

「……あの、叔父様は……」

 

「叔父様?」

 

おじ様というか、この書店にいる俺以外の人物と言えば店長しかいないんだが。しかしこの女の子との関係性がわからない。本でも予約していたのだろうか。

俺がそんな風に考え込んでいると、彼女は何かに気づいたようにオロオロし始める。

 

「あ、いえ、すみません……それだけでは……あの、私、鷺沢文香と申します」

 

「鷺沢って……え? 店長の娘さん?」

 

「……えっと、姪です……」

 

そういやさっき叔父様って言ってたっけか。

 

「えっと、悪いけど今店長いないんだ。もう少ししたら帰ってくると思うけど……」

 

「……そうですか……どうしたものでしょうか……」

 

そう。店長は今いない。あの人はたまにふらっと出ていっては本を抱えて帰ってくるのだ。本を売る立場の人間が本を漁りに行くって……と思う時もあったが、さすがに一年くらい経つと慣れたものだ。というかあの人そのためにバイトを採用しているんだと思う。

 

「普通に上がって待ってたら? このまま奥に行けば直接店長の家に入れるし。ただ待つのが暇なら適当に本を持って行けばいいよ」

 

「え……? いえ、それは……」

 

「はいはい、遠慮しない遠慮しない。個人営業なのに店空ける店長が悪いんだからさ」

 

「あ、う……はい、わかりました……」

 

オロオロする彼女の荷物を引き、半ば強引に彼女を店長の家に上げる。そして俺は適当に本を引き、店番に戻る。

 

結局、店長が帰って来たのは俺の勤務時間を遥かに越えた、午後9時になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「先輩」

 

あれから半年ほどが過ぎ。鷺沢が俺の後輩だと判明したり、店長が相変わらず自由人だったりと忙しい日々を送っていたが、俺の日常に変わりはない。強いて言うなら鷺沢が俺のことを先輩と呼ぶようになったことくらいだろうか。

すぐに判明したことだが、鷺沢はどうにも世間一般で言うコミュ症、というやつらしい。半年に渡って結構顔を合わせている俺にすら三回に一回は目を合わせて話せないという始末だ。流石に店長ですら無理、ということはなかったが。

ともあれこのままでは日常生活に支障が出るということで、店長が俺に鷺沢のコミュニケーション相手を頼んできた。あまり他人が立ち入ることではないと始めは断ったのだが、時給アップの誘惑に負けてしまった。仕方がないだろう、下宿生は色々辛いのだ。

 

「……先輩」

 

それでも大分マシにはなったのだ。当初は何を話す前にも謝るという鷺沢の奇癖を矯正し、初対面の人間にも事務的な受け答えならば出来るようになった。「……書を読んでいられれば……」とか言っていたことを考えれば大きな進歩である。

 

「……むぅ」

 

「ん? 鷺沢?」

 

肩を控えめに叩かれ、振り返ってみると案の定鷺沢がいた。不思議なことに少し膨れているようだ。珍しい。

 

「……呼び掛けても、返事を……もらえなかったものでしたから……」

 

「悪い、考え事してた」

 

「……そう、でしたか……」

 

「それで、どうしたんだ? 何か用事か?」

 

言っては悪いような気もするが、鷺沢は基本的に受動的な人間だ。これからどうなるかはわからないが、今は自分から何の目的もなく他人に話しかける姿が想像できない。

 

「はい……叔父様から……今日はアルバイトは休みだ、と……」

 

「また書店漁りに行くのか……」

 

「……そのようです」

 

実は店長、鷺沢が来てから少し自由人具合はなりを潜めている。アルバイトに責任を投げ捨てるなど言語道断、良識のある大人ならばそれに見合った誠実な行動を、と来た初日に鷺沢にガチで説教されたらしい。俺は店長が帰宅するのと同時に上がったので詳しくは知らないのだが。

そしてそれ以降は書店漁りをするときはこうして休みにしていたりするのだ。書店漁り自体をやめない辺りぶれないなーとは思うのだが。

 

「うん、わかったよ。わざわざありがとうな」

 

「いえ……」

 

そのまま今日は用事も無いので卒業論文の題材探しに図書館に向かおうとする。たが、それは袖に弱い引っ掛かりを感じたことで妨げられた。鷺沢が俺の服の袖をちょこんと握っていたのだ。

 

「どうした?」

 

「その……お時間があればでいいのですが……」

 

もじもじと服の裾を弄りながら、鷺沢は元々小さな声をさらに小さくして話す。それでも俺のことは離さない辺り、よっぽど重要なことなのだろう。彼女が多少なりとも我を通そうとする様子はかなり珍しいのだ。

静かに、彼女が話すのを待つ。この半年で培った対鷺沢専用スキルだ。彼女は彼女で自分が口下手なのは自覚しているので、出来る限り言葉を選ぼうとする。俺にできるのはそれを待ってしっかり聞くことだけだ。

 

「……私に……付き合って頂いてもよろしいでしょうか……?」

 

相当勇気を振り絞ったのだろう、白かった顔を真っ赤にして。相当不安なのだろう、普段は隠れている瞳を潤ませて。そんな鷺沢を見て、誘いを断ることなどできるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その後、余計な荷物は置いていきたいということで、鷺沢書店の前まで来た。鷺沢はここに住んでいるために当然なのだが。鷺沢が中に入り、俺は外で待つ。11月も目前に近づき、風は冬を告げるように冷たくなっていた。

時折中から「違います……!」やら「叔父様……!」などという声を聞きながら待つこと10分ほど。準備が完了したらしく、ドアが鈴の音と共に開いた。

 

「あの……すみません、お待たせ……いたしました」

 

恐る恐るといった様子で出てきた鷺沢は、ニットワンピース姿で、大胆に肩を露出していた。これだけでもかなり破壊力が高いのだが、なんと鷺沢は髪止めを使って普段は隠れてしまっている目を出していたのだ。いつもと全く違う鷺沢の姿に、恥ずかしながら俺は見とれてなにも言うことができなかった。

 

「……あの、あまり見つめられると……恥ずかしいのですが……」

 

「あ、ごめん」

 

「いえ……こちらこそ、お見苦しいものをお見せしてしまい……」

 

今の彼女が見苦しいのならば、世の中の大半のものが見苦しいものになってしまうと思うのだが。

 

「叔父様が……出かけるのならば、と強引に……」

 

「鷺沢」

 

「はい」

 

「似合ってるよ。可愛い……は違うか。すごく、綺麗だ」

 

俺がそう言うと、鷺沢は顔を真っ赤にして縮こまってしまう。普段言われなれていない言葉を言ったせいだろうか、鷺沢はあわあわとしてしまっていた。

このままでは長い時間をここで潰してしまいかねない。そう思った俺は鷺沢の手を取り、歩き出す。この際だ、恥ずかしさは二の次にしてしまおう。

 

「え……? せ、先輩……?」

 

「行きたいところ、あるんだろ? なら早く行こう。時間を使うならそこで使った方が楽しいだろ?」

 

「……はい、そうですね」

 

鷺沢が落ち着いたところで手を離す。だが、鷺沢の方は少し不安なのか、手ではなく上着の裾を掴んで半歩後ろを着いてくる。本来なら前に立って道を示すところだが、何とも鷺沢らしいと言うべきか。

角を曲がったりするたびにクイと弱く裾を引き、「……右へ」と言う鷺沢は、何と言うか小動物のように見えた。

 

 

 

 

「……ここです」

 

結局電車を二本ほど乗り継いで、辿り着いた場所は書店だった。これまた鷺沢らしいチョイスだ。

かなり大きく広いものの、屋号を見るにどうやら個人経営のようだ。小さめの規模な鷺沢書店が二つ半は入りそうな書店だったが。

 

「広いな」

 

「はい……その分、書の揃いもよくて……最近はよく、ここで書を購入しています……」

 

「で、向こうに見えてる喫茶店でそれを読む、か」

 

「はい……」

 

何でわかったのか、というように目をぱちくりとさせる鷺沢。流石に半年も付き合いがあればそれくらいはわかるというものだ。

 

「なら、今日も後で寄っていくか?」

 

「……良いのですか?」

 

「全然構わない。俺も何か買うだろうしな」

 

「では……お言葉に甘えます」

 

硬い話し方だが、本心では嬉しいのだろう。口元には小さく笑みを浮かべていた。そして催促するかのようにクイクイと袖を引いてくる。顔を見れば彼女がワクワクしているのは十分にわかった。何度も来ているらしいのだが、本好きなのは血筋なのか。付き合いの短い者にはわからないだろうが、本が絡むと彼女は実に豊かな表情を見せる。

 

書店の中に入ったところで二手に別れる。鷺沢は何故か少し残念そうにしていたが、俺が今から行くのはラノベのコーナーだ。今まで鷺沢が純文学以外の本を手に取っているのを見たことがないため、あまり興味のない分野なのだろう。実際鷺沢はすぐに純文学のコーナーへ向かって行った。

……しかし、歩いている時から感じてはいたが、鷺沢が物凄く周りに、特に男性の視線を集めていた。まぁ目を出した彼女は本当に美人と言えるので仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが。何せ、本人が一切興味を持っていないためにメイクなどを全くしないのだから。それでこの注目され具合なのだからとんでもない素材を持っている。

だからだろう。希望なんてないのに、こんな悪い虫が引かれてしまうのだ。

 

「……先輩」

 

「ん? ああ、欲しいものはあったか?」

 

「はい」

 

声をかけてくれた鷺沢の手には、都合三冊の小説があった。タイトルを見る限り、ミステリー、純文学、恋愛小説のようだ。

 

「意外だな。鷺沢でも恋愛小説読むんだ」

 

「……私とて、一介の女性の端くれです」

 

少しむくれる鷺沢に、慌てて謝る。こう見えて彼女は拗ねると中々機嫌を直してくれなくなるのだ。今回は早めに謝ったおかげか、すぐに機嫌を直してくれたが。

 

「私からすれば……先輩がこのような本を読む、ということの方が意外です」

 

このような本とは勿論ラノベのことだ。

 

「そうか?」

 

「はい……初めてお会いした時より、トルストイや徳田秋声を読んでいらしたので……」

 

「雑食だからな」

 

俺は特にジャンルには頓着しない人間だ。読むか読まないかの区分けが、読んでいて面白いかどうかという簡単な理由なので、ストーリーや描写がしっかりしていれば大抵のものは最後まで読む。その分評論や批評文が苦手になっているのだが。

 

「鷺沢はこういうのは読まない人か?」

 

「いえ……最近知人に薦められまして……」

 

読むのか。あまり想像は出来ないが。

そう考えていると、鷺沢はぱっと一冊の本を取る。それは俺も読んでいるラノベの一つであった。よくある学生間の人間関係を描いた作品だが、心理の描写やストーリーの展開が巧くて続きが楽しみになるシリーズだった。

 

「確か、これです。まだ触りだけしか読んでいませんが、惹き付けられる作品に感じました……」

 

「ああ、俺も読んでる。主人公の心理描写が細かく書かれてて面白いんだよな」

 

「ふふ……私と同じ、ですね……」

 

何かが彼女の琴線に触れたのか、鷺沢は珍しく声を出して笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

互いに、何を言うでもなくただページを捲る。周囲の客達の話し声と、時々飲み物に手を伸ばした時に立てる音だけが、俺と鷺沢の間に響いていた。

沈黙が続いてはいるものの、別に気まずい訳ではない。むしろある種の心地よい空間が広がっている状態だ。人といても本を読んでいれば快適だとは、ある意味俺も鷺沢や店長に染められたのかもしれない。

ふと本から目を上げれば、赤い表紙の……先程買っていた恋愛小説を読んでいる鷺沢が。他の人からすれば本くらい買ってやれと思うかもしれないが、鷺沢はそうするといっそう過剰なまでに縮こまってしまうため、一度そうしてからは俺が買ってはいない。その後に本を読んでいた時もちらちらと俺の方を気にしていて、本に集中できなさそうだったからだ。

 

「…………」

 

ほぅ、と息を吐き、鷺沢が本を閉じる。店に入って既に四時間ほど、鷺沢は買った四冊ーーあのラノベも後で加えていたーーを全て読破できたようだ。

 

「鷺沢、飲み物は?」

 

「……あ、えと……自分で……」

 

「手間は変わらないさ」

 

「……ならカフェオレをお願いします」

 

「わかった」

 

幸いここはカフェオレ、もしくはブレンド、ホットティーならばおかわり自由だ。鷺沢が縮こまってしまう心配はない。

カフェオレとブレンドを淹れ、席に戻る。彼女は頭を下げてカップを受け取り、ちびちびと飲み始める。

 

「満足はできたか?」

 

「はい……やはり、書を読んでいる時間は、落ち着きます」

 

「後はもう少し友達を増やせたらな」

 

「その台詞……以前、叔父様にも言われました」

 

少し慌てるように目を逸らす鷺沢。どうやらまだ対人関係は改善の余地があるようだ。

 

「……それでも、以前に比べると……大分、他者の方々と話せるようには、なったと感じます」

 

「確かにそうだ」

 

「……先輩の、おかげです」

 

両手でカップを弄りながら、彼女はそんなことを言う。面と向かってお礼を言うのが恥ずかしいのか、頬をほんのりと桜色に染めていた。

 

「俺はただ手伝っただけだ。話せるようになったと言うなら鷺沢の力だよ」

 

「ですが……」

 

「いいんだよ、それで。元々お前が自分からそうしようとしなければ改善なんて出来るはずがない。だけどお前は少しずつだけど他人に歩み寄れている。それは誰が何と言おうがお前の、お前自身の頑張りの結果だよ。俺の微々たる助力が役に立ったというのなら、俺は嬉しいかな」

 

そう言うと、鷺沢は何故か顔を真っ赤にして俯いてしまった。ちらちらとこちらを伺っているが、目が合うとすぐに目線を下に移してしまう。

 

「……先輩は、甘いです」

 

「甘い?」

 

「あ、いえ……甘やかしてくれる、という意味で……」

 

「そうか? 結構厳しめに接していたはずだが……」

 

鷺沢に俺と一緒に会話に入らせたり、その後にトイレに行くふりをして鷺沢だけを残したり。不自然にならないくらいには鷺沢に話をふったり、少しばかりではあるが鷺沢を弄ってみたりもした。周りの奴らが何故かニヤニヤしていたのに無性に腹が立ったのだが。まぁ野郎どもは後々サークルやら授業でのスポーツやらで文字通りへし折ったので気にしないことにしたが。

 

「……私は……甘いものは……好き……なほうです……」

 

「……えっと」

 

「…………」

 

沸騰してしまうのではないか、というくらい顔を真っ赤にさせて、今度こそ俯いたまま動かなくなってしまった。かく言う俺も、きっと今までにないくらい顔が火照っているのだろう。先程まで少し肌寒く思っていたのに今はあつくて仕方がない。

今の言葉を俺に都合よく取ってしまうことは簡単だ。だが、あの鷺沢のことだ。単にお礼を言うつもりがあんな風になってしまったということは十分にあり得る。それを俺が曲解して、勘違いして、鷺沢を傷つけてしまえばどうなるか。

間違いなく、鷺沢が今後他者と接しようとすることはなくなるだろう。

それでは、あまりに鷺沢が報われない。それだけは、あってはならないのだ。頑張っている者が報われないなどということは、出来る限り少ない方がいいのだから。

 

「鷺沢」

 

「ひゃい!?」

 

びくりと肩を跳ねさせ、恐る恐るこちらを伺ってくる鷺沢。珍しい姿が見れたと共に、その姿に思わず笑いが込み上げてくる。

 

「……わ、笑わないで……欲しいです……」

 

「悪い悪い。つい、な」

 

何とか、気まずさは振り払えたらしい。鷺沢も恥ずかしさに目を泳がせてはいるが、先程のように動けないほどではない。

これでいい。俺達の関係はこれでいいんだ。

 

「ああ、そうだ。鷺沢、ほら」

 

空気が変わったついでに、今日の目的を果たす。10月末の今日。この日が何の日か、きっと彼女は忘れているだろうから。

 

「……これは」

 

淡い水色の包装紙に、少し濃い青のリボン。明らかに贈り物用の飾り付けに、それを受けとる理由がわからないのだろう、鷺沢はただただ疑問符を浮かべている。

 

「プレゼントだよ」

 

「プレゼント……?」

 

「やっぱり忘れていたか」

 

予想通りの反応についつい笑みがこぼれてしまう。鷺沢の方は本当にわかっていないらしく、こてんと首を傾げていた。

 

「今日は何月何日だ?」

 

「10月27日ですが……」

 

ここまで言ってもわからないのだ。いっそ清々しいくらいに自身に頓着しない性質である。

 

「誕生日おめでとう、鷺沢」

 

「あ……」

 

ようやく気付いたのだろう、かぁっと頬が染まる。辿々しく礼を言うと、ちらと俺を見てきたので、首肯で答えた。すると、鷺沢は丁寧にリボンと包装紙を解き始める。

中身は、霞草が描かれたブックカバーだ。

 

「…………」

 

「鷺沢に喜んでもらえるプレゼントっていうと本しか思い付かなくてな……。かと言って本なら鷺沢は大抵読破していただろうし。こんなものしか思い付かなくて……って鷺沢!?」

 

何故か無性に恥ずかしくなり、それを誤魔化そうと話していたのだが、突然鷺沢がポロポロと涙を落とし始めてしまった。何か不備でもあったのか、と慌てる俺に、彼女はふるふると首を横に振った。

 

「どうした鷺沢!? 気に入らなかったか!?」

 

「い、え……違い、ます。その……そうで、はなくて……違、くて……」

 

ーー嬉しくて、です……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……その……申し訳ありませんでした……」

 

「いや、いいさ。少しびっくりしたけどな」

 

あの後、鷺沢が落ち着いたところですぐに店を出た。少し騒いでしまったため、その場に居づらくなってしまったのだ。結局鷺沢書店に戻って来て、今は店の奥にある居住スペースの鷺沢の部屋でお茶を飲んでいた。

鷺沢の部屋はベッドと本棚に小さな勉強机、後は申し訳程度の小さなソファーとミニテーブルがあるだけのシンプルなものだ。床にはカーペットが敷かれているが、それも毛足の短いものだった。

初めて入った鷺沢の部屋だが、何とも鷺沢らしい。

 

「……先輩は」

 

「ん?」

 

ミニテーブルに向かい合って座っていた鷺沢が、こちらを見て口を開く。

 

「霞草の花言葉を、ご存知だったのですか……?」

 

「花言葉? いや、悪いが知らない。あまり花を送る機会なんぞなくてな」

 

妹が熱心に調べていたことがあったが、俺自身はあまり興味を持てなかった。今回のプレゼントも、白地に淡く描かれていた色合いが鷺沢に似合うと思って購入しただけなのまから。

 

「花言葉が何かあったのか?」

 

「はい。……では、花言葉の外の意味も……」

 

「知らない。どんな意味だ?」

 

流石にそう言われると気になってしまう。そう思って鷺沢に問うが、彼女は悪戯めいた微笑を浮かべるだけだった。

そして彼女は席を立ち、机の近くに置いてあった小物入れを開ける。何かを探しているようだが、ここからは角度のせいで何をしているのかわからなかった。

しばらくして、何かを大事そうに両手で握り、戻って来る。そしてそれを丁寧に俺の前に差し出した。クローバーの栞だった。

 

「栞?」

 

「はい。……拙いながら、自作しています。返礼……というわけではありませんが、先輩……秀磨さんに受け取っていただけたら、と……」

 

何故か不安そうに、俺を上目で見ながら彼女が言う。名前で呼ばれたことに少しドキリとしたが、それは表情に出さないように努めた。誕生日プレゼントに返礼とはおかしな話だが、それで鷺沢が満足するならいいのかもしれない。そう思って礼を言うと、これまた何故か鷺沢はほっとしたように息を吐いていた。

 

「……そう言えば、クローバーにも花言葉ってあるのか?」

 

「はい」

 

「教えてくれないか?」

 

「……秘密、です」

 

そう言って微笑む鷺沢は、形容しがたいくらいに美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーという、夢を見た」

 

「……また、懐かしい夢ですね」

 

俺がそんな話をすると、彼女は懐かしそうに目を細めながら微笑する。確かに懐かしい話だ。何せ三年前の話になるのだから。

 

クローバーの栞を受け取ってから一年ほど経ったころだったか。あの日から俺の、俺達の日常は一変した。きっかけは、我が妹からの電話だった。

 

『もしもし』

 

『お、おおおお兄ちゃん!?』

 

『蘭子か? 珍しいな、お前が普通に話しているのは。いつもは《我が血を分けし眷族よ》とか言ってくるのに』

 

『そんなことより! どういうこと!?』

 

『何がだ!?』

 

『テレビ! テレビつけて! 早く!』

 

『いや、俺は今バイト中なのだが……』

 

『いいから早く!』

 

蘭子の勢いに飲まれ、近くで話が漏れ聞こえていたのだろう、仕方ないという店長と共に居住スペースに上がる。先日彼女が購入していたテレビをつけると、そこに当の彼女が映っていたのだ。

《シンデレラガール鷺沢文香、電撃告白!》とテロップが出ていたのだが、それを見た時には彼女は一礼して退出していたので何を言ったのかはわからなかった。

 

『わかった!?』

 

『いや、知り合いがテレビに出ていたことに驚いたが』

 

『そうじゃないよ! いい、お兄ちゃん!』

 

 

 

 

 

『お兄ちゃんは! 文香さんに! 告白されたの!』

 

 

 

 

 

その後しばらく絶句してしまったのは仕方のないことだと思う。我が妹の言うことには、破竹の勢いで僅か一年という短期間でシンデレラガールというトップアイドルの賞を取り、その受賞の記者会見で彼女が俺に告白したらしい。

正直に言おう。その時の俺の許容量を軽くオーバーしていた。

 

結局全てがはっきりしたのは彼女が戻って来てからで、ついストレートに聞いた俺に彼女が小さく頷いた時であった。

 

 

「あの時は本当に混乱したなぁ」

 

「あまり……そのことは言わないでいただければ……」

 

あの時は彼女も混乱していたらしく、「気持ちは伝えたいけど直接言うのは無理」、「なら間接的に言おう」、「皆が見るなら秀磨さんもみるだろう」という考えであんなことを仕出かしたらしい。まぁ当時の俺は勝手に諦めていた状態のヘタレだったし、そうでもされなければ何のリアクションも起こさなかったのだろうが。

それを店長に指摘されて真っ赤になってあわあわしていたのは今やいい思い出だ。

 

「私も……必死になって、いましたから」

 

「いやまぁ……悪かったよ」

 

ソファにゆったりと座っている彼女の髪を撫でる。普段に比べて少し艶は薄いものの、サラサラと流れる髪だ。彼女も俺の手を気持ち良さげに受け入れてくれている。

 

「……そろそろ、昼だな」

 

「作ります」

 

「いや、いい。俺が作るよ。あまり動くな」

 

立ち上がろうとした彼女を、そっと押し止める。何かがあってからでは遅いのだ。もう彼女だけの身体ではないのだから。

 

「……すみません」

 

「こんなときは謝るんじゃなくて、別の言葉の方が嬉しいかな」

 

「……ありがとう、ございます」

 

控えめにはにかむ彼女の頭をもう一度撫で、俺は台所に向かう。もう住み慣れた、鷺沢書店の居住スペース。店長こそ実家に戻ってしまったが、直に一人、住人が増える。

ふと、彼女に目を向ける。いつものように本を読みながらも、大きくなったお腹に慈愛の目を向けていて。ただそれだけの日常が、何よりも愛しく思える。

調理を終え、器に盛る。それを持って、彼女の側に向かった。

 

「ご飯にしようか、文香」

 

「はい……あなた」

 

本を閉じ、テーブルに置く。霞草のブックカバーから、クローバーの栞が顔を出していた。

 

 

あなたに出会えたことに、心からの感謝を送ろう。

あなたが私と共にいることが、何よりも幸福だから。

 




・袖をちょんとつまむ

かわいい(確信

・肩出しニットワンピ

かわいい(確信



・恋愛小説、ラノベ

ちょっと過激な描写を真っ赤になって見てるふみふみを幻視


・蘭子

やみのま!


・クローバーと霞草

花言葉を参照


・お腹の大きいふみふみ

一体ナニがあったんだ……
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