魔女のペットになった魔女   作:あとらっく

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魔女ペット 七

【14】

「<伏せ>」

 叩きつけられるように、パチュリーは床に這いつくばる。しかし文句は言わなかった。すぐ頭上を砕かれた木片が飛んでいったからだ。木片は棚の食器を打ち砕き、甲高い音を立てる。

 アリスはパチュリーの顔を見下ろしてから、夜の世界から現われた魔理沙と向かい合う。

「ノックはもっと穏やかに、謙虚にやるものよ」

 冷ややかで無感動な声。外面モードのアリスだった。

 一方で魔理沙は、

「ああ、やっぱ小悪魔の言ってたことは本当だったんだな」

 パチュリーの首にある、仄かに光るチョーカーを見て、納得したようにひとりごちる。そして、

「もう安心しろパチュリー、助けにきたからな」

 ニッ、と。歯を見せて笑った。

「別に怒ってねーよ。気にするなって」

 それから改めてアリスを睨みつける視線は、鋭い。外から吹き込んで来る冷たい風に乗せて、言葉を発する。

「お前、おかしいぜ。こんなの間違ってるだろ」

「おかしい?」

「ああ、そうだぜ。二人が仲良くしてんなら私も嬉しいが、これは、どう考えたって――」

 アリスの背が、肩が震える。

 ああ、来る。もはや隠す必要もなくなったんだろう。パチュリーは息を呑む。

「――くっ、ふふ……おかしい? おかしいですって? 魔理沙」

「あ、アリス?」

「ええ、おかしいわ――ひひっ……おかしくて、おかしくて、仕方ないわね……!」

 パチュリーは知っていても尚、息苦しくなる。

 初めて味わうであろう魔理沙は、顔を青くしていた。

 アリスは、笑う。

「はははは! あっはっはっはっ、ひっ、ひぃあ、ひゃはははは――ー!」

 腹を抱えて笑う。侮蔑を隠さず笑う。嘲りのまま笑う。手のひらで顔を覆って笑う。下を向いて大地に唾を吐き、天に向かって嘲笑する。大きく開いた口で笑い。笑って笑って笑い続ける。

 笑いが反響する。棚に並んだ人形達だ。けたり、けたけた。表情のなかった彼女たちが笑う。子供のように甲高い声で笑う。無機質な音を立てて笑う。みんなみんな笑っている。魔理沙を指さして笑っている。首をぐるりと回転させて、首をごとりと傾かせて、笑う、笑う。

 アリスの狂気が、世界に染み出した。かつて聞いたこともない、それこそ「魔」を象徴するような身の毛もよだつ悲鳴のような笑い声。果たして人間が出すような音声であるはずもないが、実際、目の当たりにするアリスの形は少なくとも人間だ。だからこそおぞましく、恐ろしい。誰も彼もが自身を矮小な小動物だと錯覚し、確信してしまう。うずくまってむせび泣いて、ただひたすらに、一心不乱に命を乞いたくなる。

「だからあんたは人間なのよ、魔理沙」

 アリスが両腕を広げる。大仰に、演じるように、自らが主役であると宣言して憚らないように。

「あんたがおかしいと思った、あんたが間違ってると思った、あんたが正しくないと思った、あんたが過ちだと思った――それが?」

 ガラス玉のような目を向けられ、魔理沙はとっさに八卦炉を突き出す。

 アリスは、その八卦炉を真正面から鷲掴みにした。

「それがなに? 何の関係がある。私に」

 バキィッ。

 魔理沙の手の中で、八卦炉が握りつぶされる。

 魔理沙は目を見張る。アリスは唄う。

「あんたはね、中途半端なのよ。何において、すべてにおいても、一切合切、生き方も、やり方も、目的も、方法も、力も、強さも、弱さも、思いも、想いも、その重さも――何もかも」

 アリスの口が、魔理沙の顔に寄せられる。

「あんたじゃあ、無理なのよ魔理沙。あんたの腕は何も届かないし、何も揺り動かせない」

 魔理沙は震えていた。アリスは笑っていた。

 それでも魔理沙は、口を開く。

「んなもん、知るかよ! でも、パチュリーは言ったんだぞ! 私に! ここから帰りたいって!」

 そこで初めて、アリスは笑みを消した。

 魔理沙はアリスの腕を振り払って距離を取り、パチュリーを指しながら声を大きくする。

「アリスと一緒に暮らすなんて考えられないって。アリスのことは嫌いだと! あいつの言葉も無視すんのかよ」

 アリスは、パチュリーを見る。

 それを見ることが出来ず、パチュリーは顔を背ける。事実だからだ。

 やがて、アリスは魔理沙へと向き直る。

「――で?」

「えっ」

 パチュリーと魔理沙の声が、重なった。

 アリスは全く興味なさそうに、退屈そうに、路上に転がる蝉の死骸でも見るかのように、小首を傾げて眉根を寄せる。

「私はね、魔理沙。パチュリーのことを愛してるのよ」

「それは――」

「この子はね、魔理沙」

 アリスが発言を遮る。会話になっていない。アリスはただ、一方的に宣言するだけだ。

「この子は私への対抗心を燃やしていた。嫉妬心を焦がしていた。前から、昔から、あんたと出会うよりも遥かに以前から。ずっとずっと私のことを嫌っていて、私に挑んできて、私を否定して拒絶して、嫌って嫌って嫌って嫌って――」

 アリスは悦びに濡れた視線を宙に漂わせ、声を上げる。

「ずっとずっとずっと私のことを睨みつけていたわ。だから、ずっとずっとずっと私も見下し続けてあげていた。ここまで言ってもわからないかしら、魔理沙。その価値が、その素晴らしさが」

「――それが本心ってことじゃないのかよ」

 魔理沙は理解し難い生物を前にしたかのように顔を顰め、吐き捨てる。

「パチュリーはアリスのことが嫌いなんだろ。お前も、パチュリーのことを見下してるだけなんだろっ?」

 ガラスの視線が、魔理沙へと戻る。可哀想な物でも見るかのような色を帯びて。

「だからあんたはダメなのよ、魔理沙」

「はぁっ? 意っ味わかんねぇよ!」

「ええ、分からないでしょうね。《みんなの人気者"ガリヴァー"》のあんたじゃあ、一生掛かっても」

 トン――…

 まるで演劇のクライマックスであるかのように、アリスは空を踏みしめる。誰よりも高みへと登り立つ。高らかに叫び、唄う。

「パチュリーは私のよ、魔理沙。私のものなのよ。私が誰よりも愛した、誰よりも愛してあげられる可愛い可愛いペットなのよ。それを私から奪おうというのなら――」

 アリスは頭を垂れながら、両腕を掲げる。

 幾体もの人形が、アリスの周りを漂う。

 人形の全てが剣や槍を手にしており、濃厚な殺気が魔理沙に向けられていた。

 垂れる前髪の陰となった顔からは、眼光が炯々と歪に輝いている。限界まで端を吊り上げた口元から歯を剥いて、笑う。

「さようなら。あんたのことは好きでも嫌いでもなかったわ」

 魔理沙は身構えながら、息を荒くしている。あんなのと相対したら、誰だって恐ろしいだろう。

 しかし、魔理沙は目を細めた。次の言葉は落ち着き払っていた。

「――どうかな。私にはパチュリーの本心が見えちまったぜ」

 本心? 困惑したのはパチュリーだった。

 本心なんて、パチュリー自身もわかっていないのに。魔理沙は何を理解したというのだろうか。

 アリスは魔理沙の物言いにも、悠然と左手をポケットに突っ込んだままで、余裕のようだった。もう片方の手は、首から提げた――

 総毛立ち、悪寒が走る。

 そうだ、「アレ」はそもそも誰が作ったものを模倣したのだったか。

 パチュリーは声を上げようとする。しかし、<伏せ>が続いているせいで、肺からうまく声を出せない。それに――

 ――遅かった。

 魔理沙が、何かを呟く。

 ぱきん、と。

 アリスの首元で、賢者の石は弾けた。

 初め、アリスは魔理沙が何をしたのか理解出来ていないようだった。ただ、目を眇めていた。

 しかし、突然。

 それこそ糸の切れた人形のように。アリスと、人形達は崩れ落ちた。

「やっぱり、思った通りだったぜ。さすがパチュリーだ、ちゃんと仕込んでたんだな」

 魔理沙はドッと疲れたように息を吐いて、アリスの傍へと立って、見下した。

「これでもまだ言い張るのかよ、アリス。その身勝手さをパチュリーに押しつけんのかよ」

 魔理沙は唇を舐めて、半壊した八卦炉をアリスへ突きつけた。

 しかし楽しく相手を追い詰めていたアリスとは違って、表情には苦渋がある。

「悪いがアリス、ちょっと痛い目に――」

「だめ!」

 その腕に縋ったのは、パチュリーだった。アリスの魔力が切れたことで、身動きがとれるようになっていた。驚いて目を見張る魔理沙の顔を、パチュリーは必死に見上げる。

 それから、アリスを振り返る。

「アリス、これは――」

 

 裏切った。

 裏切り者。許さない。

 私に従わないのなら、いらない。

 

 ――そう罵倒してくれれば、どんなに楽だったろう。

 怒りと憎しみに煮えたぎっていたのなら。

 あるいは魔王のような愉悦に満ちた笑顔を浮かべていたのならば。

 もしそうだったのなら、パチュリーは土下座してでも許しをこうただろう。これは誤解なのだと。

 

 けれど、違った。 

 

 まるで子供のようだった。まるで子犬のようだった。愕然と、唖然と目を見開いて、涙を称えて、口を震わせていた。

 今にも泣き出しそうだ。揺れ動くガラスの瞳からは今にもしずくが零れてしまいそうで、垂れ下がった目尻は酷く弱々しい。

 

 あの時の、贈りものを喜んで受け取ってくれた時のアリスの顔が脳裏をよぎる。

 

 パチュリーはアリスへと手を伸ばす。

「……違う……こんなの――」

 しかし、その腕は魔理沙に掴まれた。

「パチュリー、いくぞ」

 そのまま、外へと引っ張られる。パチュリーは少しだけ躊躇ったが――抵抗しなかった。

 

 胸が張り裂けそうになった。

 堪えられなかった。

 

 だから、パチュリーは逃げ出した。

 

 

 頬を水滴が打つ。

 雨が、降り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【15】

 パチュリーはベッドから跳ね起きた。

 呼吸は荒く、肺が痛い。背中も痛い。全身が汗ばみ、濡れた寝間着が体温を奪っていく。闇色の瞳は、ブランケットのかかった自分の下半身と、白い両手を映していた。

「夢……? なに、夢オチ? もう……」

 背を丸めて、両手で顔を覆った。体内の全ての空気を入れ替えるよう、大きく息を吐く。

「最悪……。いえ、早くアリスに……」

 指の間から見える、狭い視界。そこに白いカップが映った。

「ありがとうアリス」

 パチュリーはそれに手を伸ばし、両手で包み込むように持ってから、水面を覗き込む。

「ねぇ、怒らないで聞いてほしいんだけど――」

「パチュリー様?」

 顔を上げる。

 そこには、小悪魔が不安そうな面持ちで立っていた。

 薄暗い部屋だった。紙とインクの匂いで籠もった、日の差し込まない部屋。

 手の中のカップは、蜂蜜の香る琥珀色の水面が揺れていた。

「ああ、そっか」

 顔を上げる。ひとり用ベッドの天蓋がある。

「そっかぁ……」

「あの、パチュリー様。大丈夫ですか? まだお辛いようでしたら、今日はこのままお休みに――」

「ねぇ」

 パチュリーは手を挙げて、小悪魔の口を閉じさせる。

「今日は雨ね」

 雨の音が聞こえる。窓を間断なく打つ音に、雨と雨が擦れあって奏でる不協和音。

 パチュリーは鳥肌の立つ腕をさする。それから肩、首もとへ。

 指先が、チョーカーに触れる。

「はい。雨期に入ったようですので、しばらくは止まないかと――あの、どちらへ?」

「この部屋、まだ雨漏りしてるじゃない。大図書館に行くわ」

 従者の返答を待たず、パチュリーは扉を開いた。

 

 音を立てて扉が閉まる。

 小悪魔は引き留めようとして伸ばした腕を、おろした。

 そして、口を尖らせてぶーたれた。

「昨日直したばっかりなんですけどー。どっこも濡れてなんていないじゃないですかー」

 

 

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