魔女のペットになった魔女   作:あとらっく

8 / 9
魔女ペット 終

【16】

 外は雨でも、変化はない。パチュリーの生活は普段通りだ。

 大図書館の肘掛け椅子。ゆったりと身をゆだねて、本の世界へ意識を向ける。

 食事の時間になったら従僕が知らせてくれる。自室に戻って、ひとり、黙々と食事にいそしむ。終わったら大図書館に戻って読書を再開する。

 自分のあくびで集中力が途切れ出したら、さっさと自分の部屋に戻って、ひとり、ベッドに潜り込む。

 そしてまた、ひとり、朝を迎える。

 パチュリーは瞼を伏せて、ひとり、静かな世界を噛みしめる。

 しかし、

「ぱ、パチュリーさまぁー!」

 両開きの扉が騒がしく開き、騒がしい従者が飛び込んできた。

 パチュリーは眉間に皺を寄せる。それを指先でほぐしながら顔を上げた。相変わらずうるさくてたまらない。

「なによ。雨なんだからなおさら外には出ないわよ」

「はい、微塵も期待してません!」

 清々しいまでの物言いだ。良い度胸だ。パチュリーはこめかみを引き攣らせた。

「<伏――いえ」

 ――ため息をついて、ジト目を向ける。

「で、何?」

「本泥棒こと、霧雨魔理沙さんが門を突破したとのことです!」

「……――」

 パチュリーは開きかけていた口を、閉ざす。

「ご、ご安心くださいパチュリー様。今日という今日はこの従僕めが邪魔者をぶちのめして参りますので――」

「通しなさい」

「ふぇ?」

「二度言わせない」

 隈の濃い目で睨みつけると、小悪魔は慌てて廊下へと消えていった。

 程なく、ひとつの姿が現れる。カーペットに湿った足跡を残しながら歩いてくる。

 三角帽子を被り、箒を肩に担いだ白黒の少女だ。

「よっ、パチュリー」

「ええ」

 魔理沙に浅く簡潔に頷いてから、パチュリーは魔理沙の後ろを覗いた。誰もいない。

 肘掛け椅子に座ったまま、視界に入る限りの本棚の間を見渡してみる。誰もいない。

「……アリスはいないぜ」

「――わかってるわ」

 パチュリーは椅子に腰を落ち着け直す。このやりとりも、もう何度目だろう。

 闇色の視線は執務机の上をさまよい、それから、魔理沙の顔を見上げた。

「それで、何? 本なら渡さないわよ」

「今日はそうじゃないぜ。雨が止んだらさ、どっかに出かけないか?」

「いや。外に出たくないの」

 視線はそのまま魔理沙を通り過ぎ、雨に打たれ続ける天窓に向けられる。

「それに、あと何日降り続けるかわからないわ。永遠に止まないかもね」

「それじゃ困るのぜ。もう霊夢や咲夜にも声かけちまったし」

「相変わらず行動力豊かなことで」

「みんなで騒ぐのは楽しいだろ?」

 パチュリーはティーカップに手を掛けて、関心のない目を魔理沙へ向ける。

「一応聞いてあげるけど、どこに行くつもりなのよ」

「おう、太陽の畑って知ってるか?」

 からん。

 手に取ったティーカップを落としてしまう。執務机に琥珀色の液体が広がったが、とろくさいパチュリーは動けない。

「うわっと、何してんだよ」

 ひょい、と。魔理沙は机の上の本をまとめて掲げてくれる。間一髪、本は濡れずに済んだ。

 パチュリーの膝は濡れてしまったけれど。

 それだけで強い嫌悪感を覚えて、ぞわぞわぁと肌が粟立つ。椅子を倒すように立ち上がり、小悪魔を呼びつけた。

 ――もしアリスだったら、

「パチュリー?」

「……外には出ないわ、魔理沙。話は終わり。着替えるから帰って頂戴」

 パチュリーは小悪魔を伴い、大図書館の更に奥へと身をひるがえす。雨の音さえも届かない、深い深い泥闇へと身を沈めた。

 

 

 

【17】

「太陽の畑、ですか?」

 図書館の片隅にて、小悪魔が思わぬところに食いついた。

 パチュリーは新しいローブに袖を通してから、手を払う。

「行きたければ行っていいわよ、一日くらい私も静かに過ごしたいし」

「あれ、なんか私いらん子扱いされてる気がします」

「察しが良い子は嫌いじゃないわ」

「……えへへ、褒められちゃいました」

 皮肉をぶつけたはずなのに、小悪魔ははにかんで頭を掻いていた。理解し難い。

 あらかたニヤついて満足したのか、小悪魔はピンと指を一歩立てた。

「実は先ほど、レミリア様にお客様がいらしてまして」

「誰も彼も物好きね、こんな雨なのに」

 着替えも終わり、パチュリーは図書館内を漂って本の背表紙を眺めていく。小悪魔もそれに付き添い、パチュリーが指し示した本を腕の中に積み上げていた。

「それで、そのお客様が太陽の畑に住んでるって妖怪でしてね。お嬢様にいろいろ愚痴ってたんですよぉ」

「この雨だもの。こんなに水をもらっても、花もありがた迷惑でしょうね」

「あれ、でも植物ってお水を貰えば喜びますよね? パチュリー様ったら、自分の価値観を押しつけちゃあわぁ!?」

 パチュリーは強めに本を押しつけてやる。小悪魔は大きくふらつき、あわや墜落しかけていた。

「水は程ほどにしないと根が腐るのよ。子供でも知ってる、常識……」

 パチュリーは言葉を切って、視線を下げて口を噤む。すぐに小悪魔に背中を向けて、本棚へと目を戻した。

 そんな主人の姿を、小悪魔は不思議そうに見る。しかし深くは考えなかったのか、ぺらぺらと喋り始めた。

「んまぁ、その愚痴というのがですね。雨の中、ずっと居座ってる友人がいて迷惑だって話で――」

 本の背をなぞっていたパチュリーの指が、止まる。小悪魔はそれに気づかなかった。

「なんでも、勝手にペットとの待ち合わせ場所に――パチュリーさまっ?」

 従者の声は、遙か後方に置き去りにしていた。

 

 

 

【18】

 雨だ。

 大雨だ。

 

 雨の世界を、パチュリーは飛んでいた。

 魔法で作ったバリアを傘のようにしながらも、全身を総毛立たせる寒気がおさまってくれない。

 

 水滴の矢が次々と天より降り注いで、障壁に刺さり散っていた。冷たい空気をまき散らして、肌にベトついた。

 その湿っぽいおぞましい感触は、肌を浸透して神経に爪を立てるようだった。鼻から吸いこんだ湿度の高い冷たい空気が、頭の中をぐちゃぐちゃにするような不快感を押しつけてくる。

「っ、う――!」

 がちがちと歯が打ち鳴る。吐き気がこみ上げてきて、口を手で抑える。何度も何度もせき込んで、胸の痛みに歯を食いしばる。歯の間から漏れ出る呼吸はか細く、甲高い。

 集中力を途切れさせないようにするのが、やっとだった。

 なのに、そこに割って入る人物がいた。

「なにやってんだ、パチュリー!」

 星を散らす箒に乗った姿が、後ろから正面に回り込む。

 パチュリーはブレーキをかけ、立ち塞がる魔理沙を見た。

「どいて」

「バカ言え! そんな体でどこに行こうってんだ! 早く戻るぞ!」

 まじめな顔で、魔理沙は警告する。パチュリーだってわかっている。

 ただでさえ弱い体がこの雨に打ち据えられたら、どんなことになるだろうか。今度は暖炉の前で震えるだけでは済まされないだろう。

 その訪れるであろう苦しみを予感しただけで、恐怖が息を詰まらせる。ローブの胸元を強く握りしめた。手は震えている。

「それでも、行かせてよ」

「――アリスのとこか? お前、どうしちまったんだよ!」

 魔理沙は箒から手を離し、パチュリーの肩を強く掴んだ。

「あんなに嫌ってたじゃねえか! あいつだってお前のこと……」

「そうよ! 今でもアリスのことは大嫌いよ!」

 パチュリーは魔理沙の手を払う。

「あんな気の狂った女を誰が好きになるもんですか!」

 鼻白んだ魔理沙に、強く声をぶつけていった。

「あんな自分勝手で、人の都合を微塵も考えなくて、拉致監禁した挙げ句に平然とペット呼ばわりしてくるくらいには頭がおかしくて、いちいち悪魔みたいな笑い声をあげるから怖くて、なのに実力も魔力も才能も私じゃ足下にも及ばないくらいに溢れてて始末が悪いし、何やっても敵わなくて、あしらわれて、届かなくて、屈辱で、情けなくて、悔しくて悔しくて……」

「じゃあ!」

「でも、でも――」

 息ができなくて、胸を抑えて下を向く。せき込みながら呼吸を繰り返すせいで、喉が痛い。胸も痛い。傘にしているバリアが、ブレる。

 目に涙も溜めて、それから、顔を上げる。

「あいつのことばかり、考えてるのよ。考えたいのよ。あいつがいないと、あいつが、私の心にいないと――……いやなの、胸が苦しくて――……」

 ふらり、と。体温が下がりすぎたせいか、視界が霞んだ。

 魔理沙が支えるために腕を伸ばす。しかし、パチュリーは、その腕から逃れて持ち直そうとする。

 が、失敗した。

 集中力が途切れて、バリアが消失する。

 直接雨に打ち据えられて、一気に体力が持って行かれて――

 

 落ちていく。

 

 

 

【19】

 泥闇の世界。

 雨が体を打つ。

 

 日陰の異名にふさわしく、地面にはいつくばる。背中を雨が打つ。

 

 濡れネズミのように、服も髪も酷い有様だった。

 泥を吸って茶色くなって、口の中も土の味がする。息をしようとすると、泥水が入ってきて、せき込んだ。

 

 けれど、両手をしっかりと地面につける。

 ひざをついて、前を向く。

 立ち上がって、歩く。

 

 ただ一歩を踏み出すだけで、辛くてたまらない。足が重くて、痛くて、引きずるようにしか進めない。

 

 鼻が詰まって、口で必死に呼吸する。

 冷たい空気が肺に流れ込んできて、酷く痛む。

 

 いったいどこに向かって歩いてるのか。いったいどれだけ前に進んだのか。

 

 懸命に空気を求めて開閉を繰り返す口は、いつしか、声を含んでいた。

 

「……ぁ――」

 自分でも自分の声は殆ど聞こえなかったが、それでも言い続けた。

 

「――りす……」

 つぶやいて、噛みしめて、歩く。

 

「ありす……アリス……」

 靴下だけになった足が、尖った小石を踏みつける。でも、歩き続ける。

 

「アリス……」

 膝が折れて、体が傾いだ。

 前へと、腕を伸ばした。

 

 その手は、何も掴まず空を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「<離れないで>」

 

 パチュリーの首が熱を帯びた。そこから、全身に熱が広がっていく。

 空を切った手首を強く掴まれると、強引に引っ張られる。

 泥闇の視界で金の光が見えたかと思ったら、全身を包み込まれた。しなやかな腕がパチュリーの細い体を絡めとり、たぐりよせる。強く密着した互いの体。暖かい体。

 アリスの吐息が頬を撫でて、首筋をくすぐる。身を切るような風も、凍えるような雨も感じなくなる。

 パチュリーはアリスの体に強く顔を埋めた。口を開く。声は枯れて、掠れている。

「――……大嫌いよ、アリス」

「そう」

「大嫌いで、いさせてよ」

「変な子ね」

 アリスの顔が、パチュリーの濡れた髪に沈む。その毛並みを唇で食むようにして、囁いてくれた。熱っぽい吐息が頭に染み込んでくる。

「私は好きよ、愛してるわ」

 背中をさする手のひらが、胸の中を暖めてくれた。

 ――眩しい光が差し込んできて、ちくりと、目が痛む。

 パチュリーは顔を上げる。

「アリス。雨、止んだわ」

 そして、初めて気づいた。

 一面の向日葵畑だ。

 黄色で彩られた絨毯が地平線まで続いていて、青を見せ始めた空と黄色を交わらせていた。咲き誇る花の香りは、不愉快な雨の匂いを完全に消してくれている。風が吹くとさざなみのように向日葵は揺れて、黄色い花びらが宙に舞っていた。

 光景に見惚れていたパチュリーは、後ろから抱きすくめられる。手のひらが首のチョーカーに触れる。

「おかえり」

 パチュリーは瞼を伏せて、その手に、手を重ねた。

「ただいま」

 

 

 

【19.5】

 アリスが大嫌いだった。

 ずっとずっと嫌いだった。

 

 自分の持っていない何もかもを持っていて

 自分の持っている何もかもすら持っている。

 アリスが空に輝く光なら、パチュリーは大地に這いつくばる陰だった。

 

 誰もが日陰に立っているのに、日陰を見る者は誰もいない。

 みんなお空を見上げていて、誰も下を振り返ってくれない。

 

 陰はずっと光を睨み付けていて、けれど、光はずっと冷ややかに陰を見下してくる。

 

 悔しくて、寂しくて、腕を伸ばした。誰かを泥闇の中へと引きずり込みたかった。

 

 けど、

 

 よりにもよって、その腕に一番最初に気づいてくれたのは。

 

 ずっとずっと、お互いに睨み付けていた奴だった。

 

 

 

【20】

 パチュリーの体調は劇的に悪化した。当然といえば当然である。

「ぁ”ー……」

「パチュリー様、変な声出さないでください」

 自室のベッドの中。首までブランケットを被さった姿で天蓋のシミを数える作業。看病に立つ小悪魔は、腰に手を当てて眉を寄せた。

 頭の中は燃えるように熱いのに、体は氷水に浸したみたいに凍えている。一呼吸ごとに喉が痛み、せき込んで、胸が痛む。すぐに喉を潤したくなって塩を溶かした水を飲み、そのせいでトイレも近く、ろくに眠ることもできやしない。

「ごあぐま、わだじはもうダメだわ……」

「お得意の負けたくない精神はどうしたんですか。デレ期ですか。デレ期なんですか?」

「病気よりアリスの方がマシよ、目に見えるもの。あと<伏せ>」

 びたぁん、と小悪魔が倒れた音を聞きながらも、それを確認することは出来ない。

「あいたたた――あら?」

 ぴょこん、と。小悪魔の頭の羽が揺れた。それから急に楽しそうに目を細めて、口に手を添えてムフフと笑う。

「パチュリー様のご主人様が戻られたようなので、ペットの下僕は失礼しておきますねぇい?」

 それだけ言い残し、小悪魔は瞬間移動で姿を消した。氷袋を投げつけてやったが、すり抜けてしまう。

 闇色のジト目を向けていた反対側から、頬に触れる指の感触。

「ああ、素敵な顔をしてるわ。とってもとっても良いお顔。ねぇ、パチュリー」

 パチュリーは天蓋へと視線を戻す。

 しかし、今回はその手前に、飼い主の顔があった。

 恍惚に頬を紅潮させ、眇めた目元には愉悦感に満ちている。つりあがった口角で唇は歪み、白く並びの良い歯が見えた。ハァ――と、そこから漏れ出る吐息は白い靄を含むほどに熱っぽく、鼻を湿らせてくるそれは紅茶の匂いがする。

「この素顔、何も着飾っていないこの顔が、私は大好きなのよ。ねぇ、パチュリー」

「それ前に聞いたわ。あと、連呼しないでよ」

「私がそうしたいのよ」

「というか近いわ」

 ぎりぎりぎりと、手のひらから逃れようとするも、固定された頭はまったく微動だにしない。アリスの顔は嫌がらせのようにニコニコしてる。

 腹が立ったので、パチュリーはチクリと刺してみることにした。

「――実は私にまんまと逃げられたこと、悔しがってたりして」

「してないわ」

 即答だったが、少し目が細まった。口が『へ』の字に曲がる。

 なんとなぁく、パチュリーは頬が緩んだ。ニヨニヨ、ニヨニヨ。

「悔しい? ねぇ、悔しいんでしょ?」

「私はパチュリーほど子供じゃないの」

 アリスは淡々と返してきてから、上体を起こした。それでもパチュリーがニヤけ続けてると、アリスはそっぽを向いてしまう。

 次にアリスの顔が戻ってきて、口を開いたときには、まったく別の話題になっていた。

「来週、人里でお祭りがあるのは知ってるわね」

「アリスが人形劇やるんでしょ。それがなに?」

「あんたも来なさい、パチュリー。その頃には治ってるわよね」

「……そんな遠出したくないんだけど」

 しかしアリスは気にした風もなく、。

「あんたに見てて貰えなきゃ意味ないわ」

 なんて言って、不安そうに眉を下げるのだ。

「見ていて欲しいのよ、パチュリーに」

 ……もう、ほんとにもう。そんな顔するから。

 パチュリーは舌打ちを鳴らしてから、諦めて吐息を漏らす。

「――……まぁ、いいわよ」

 すると、アリスは嬉しそうに頬を緩ませる。とてもとても嬉しそうな、子供のようなあの笑顔だ。

 ああ、くそ。

 やっぱりアリスは大嫌いだ。

 見ていたくても、直視させてくれないもの。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。