どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第一話 たった一人で

 

 

 

 

 

 太刀川慶は、困惑していた。

 腰に下げた二刀のトリガー、〝孤月〟。幾多の敵を一刀の下に切り裂いてきた愛刀はしかし、目の前の少女には届かない。

 

「…………」

 

 長い前髪の間から見える瞳は、何の感情も映していないように見える。長い前髪に対し、髪型はショートカットだ。その姿は酷くアンバランスに思えた。

 

「旋空孤月」

 

 トリオンを消費し、ブレードを伸ばす孤月のオプションを作動させる。ブレードを伸ばすという表現だが、その実際は斬撃が飛んでいるのとそう変わらない。だがその取り扱いは難しく、孤月が攻撃用トリガーの中で一番人気でありながら使用者は少ない。

 しかし、№1攻撃手であり同時に総合№1に名を刻む太刀川慶という男が使用すれば話は別だ。その一刀は、寸分違わず相手の身体を斬り捨てる。

 だが、その刃は届かない。両手に持った〝レイガスト〟――レイガスト自体がそう人気のあるトリガーでないというのに、両手で二本のレイガストを使う者など太刀川は他に知らない――によって展開されたシールドで、まるで受け流すようにして防がれる。

 理には叶った動きだ。如何にレイガストが防御寄りのトリガーであっても、まともに受け続ければいずれシールドは砕ける。そういう意味で、受け流すという選択は悪くない。

 

(……刃の軌道が読まれているのか?)

 

 だが、それはあくまで普通の〝孤月〟使いが相手の場合だ。ここにいるのは太刀川慶。現№1攻撃手である。その一撃を、容易く受け流せる人間はそういない。

 面白い、と太刀川は思った。五本勝負を提案し、相手はそれに頷いて承諾した。その時もその瞳が感情を映すことはなく、その態度に違和感があったのだが……成程、この腕ならば納得だ。

 勝負は既に五本目であり、現在4-0で太刀川が勝っている。数字で見れば圧勝だが、内容はとてもそうは言えなかった。

 一本目は容易かった。旋空孤月を放ち、それを防いだところに時間差で放ったもう一発の旋空孤月を叩き込む。それで首を跳ね飛ばした。

 少し落胆した二本目――そこからは、長い闘いの始まりだった。

 こちらの攻撃を凌ぎ、一歩ずつ距離を詰めてくる少女。その動きは決して速くないが、こちらの攻撃をいなしてくるのだから速度は関係ない。

 今までの三本、いずれも至近距離への接近は許さなかった。辿り着く前にシールドを叩き斬り、その体を切り裂いてきたのだ。

 しかし、この少女は徐々に近付いてきている。この戦いでも、すでに前回の距離は超えていた。

 

(何を狙っているのかはわからないが、受けて立とう)

 

 このままジリジリと斬ったところで届かない。ならば、と太刀川は一歩を踏み出した。

 ――瞬間。

 

「スラスター、オン」

 

 辛うじて聞き取れるレベルの声だった。だがその声が届いた瞬間、少女の身体が一気にこちらへと迫ってくる。

レイガストのオプショントリガー、〝スラスター〟だ。踏み出そうとした瞬間に合わされたため、反応が僅かに遅れる。

 

「――――ッ」

 

 だが、太刀川は無理矢理その体を右へと飛ばした。スラスターはあくまでトリオンの噴出によって加速を得るオプションだ。直線上から離れれば、突撃は避けられる。

 

「スラスター、オン」

 

 だが、少女はこちらから目を離さない。見え難いだろうその前髪じゃと太刀川が思ったその髪の隙間から覗く目は、変わらずこちらを捉えている。

 彼我の距離はもうほとんどない。対処、どうする、次は――そんな事が浮かぶ中、それが来た。

 鈍い音が響く。シールドによる突撃だ。こちらが身を飛ばした瞬間に、最初のレイガストは消していたのだろう。一本だけのレイガストによる突撃が直撃する。

 

「ぐっ……!」

 

 押し込まれる体。流石にレイガストのスラスターを相手にして踏ん張ることはできない。相手の狙いはおそらく背後の壁。そこに叩きつけ、こちらの動きを縛るつもりか。

 ならば、とシールドを受け止めている孤月を握る手に力を込める。動きが止まった瞬間が勝負だと。

 だが、またしてもその読みは外れた。

 

「メテオラ」

 

 まだ壁にはついていない。だが相手はスラスターを止め、空いた右手からその弾丸を見舞う。

 弾丸が炸裂し、煙が舞う。申し分なしの一撃だ。今の攻防、少女は太刀川を相手に虚を衝き続けた。

 ――だが、ここにいるのは太刀川慶。最強の男である。

 

「旋空孤月」

 

 少女がこちらを見上げた。〝グラスホッパー〟――片方の孤月を解除し、対応するために用意しておいた手札で太刀川は上空へと逃れていたのだ。

 最後まで集中を切らさず、油断もしなかった少女。しかし彼女は自身の一撃、その瞬間にだけ気を抜いた。そこが致命の隙となる。

 

『トリオン供給機関破壊、出木(いずるぎ)ダウン』

 

 結果は、5-0で太刀川慶の勝利。

 順当と言えば順当な結果だ。だが、数字以上の疲労を太刀川は感じていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 約四年半前、突如三門市に現れた〝門(ゲート)〟より現れた〝近界民(ネイバー)〟と呼ばれる者たち。通常兵器の効かない侵略者に対し立ち上がったのが、〝界境防衛機関(ボーダー)〟だ。

 この組織は〝門(ゲート)〟の開く場所をコントロールし、日々戦っている。

 現在は隊員数500を超えた大組織であり、人類を守る砦となっているのだ。

 

 

 戦闘を終え、太刀川慶は息を吐いてブースを出た。そこで待ち構えるようにして立っていたのは、彼の部隊に所属するA級隊員である出水公平だ。

 

「どうでした、太刀川さん?」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべて尋ねてくる出水。太刀川はああ、と頭を掻きながら応じた。

 

「大した腕だな。最後のはかなりギリギリだった」

「でも結果は圧勝じゃないですか」

「結果はな」

 

 出水の言葉に頷く。そもそも今回こうして模擬戦をしたのは、とある噂を聞いたからだ。

 発端は前シーズンのチームランク戦。〝レイガスト〟でマスタークラスと呼ばれる領域である8000点に到達した者がいるという噂を聞いたのが始まりだった。

孤月や〝スコーピオン〟に比べ、防御寄りなトリガーであるレイガストは人気がない。これを使って強い人物と言えば真っ先に〝玉狛第一〟の〝完璧万能手〟木崎レイジが挙がるが、彼はレイガストを握り込んで相手をぶん殴るというよくわからない使い方をしているし、〝鈴鳴第一〟の№4攻撃手、村上鋼はレイガストを盾として使用しているので少し違う。

 だがその攻撃手はあくまでレイガストで戦い抜いてきたらしい。それも両手でレイガストを持つという異質さだ。太刀川はその話を聞いて大いに興味を持った。だが同時に、そんな奴がいるなら何故知らなかったのかと疑問に思ったが、まあ考えても仕方がないと切り捨てる。

 そして時期は丁度ランク戦のシーズンだ。その内見れるだろうとそう考えていた。

 だが――現れなかった。

 マスタークラスの腕を持つほどの実力者はしかし、どこの隊にも所属していなかったのだ。

 ただの噂か、とそこで太刀川は嘆息と共に忘れることとした。だが、つい昨日。彼女を見た。

 両手に盾を構えた佇まい。ショートカットの髪と、動き易くするためか半袖の上着とホットパンツを身に纏った姿。一見活発そうな印象しかし、まるで自身の目を覆い隠すかのような長い前髪を見れば一変する。

 一言で表現するなら、アンバランスなのだ。攻撃手らしい服装でありながら、守りを主体とした戦法をとり。短い髪は活発さを表しているのかと言えば、目を隠すような前髪がそれを否定する。

 興味が湧いた。その時の彼女のポイントは9161。ブースから周囲を伺うようにして出てきた彼女に、太刀川は自身と戦わないか提案する。

 ――だが、結果は拒否。

 その日はこれから鈴鳴第一と合流しての防衛任務があると断られてしまった。蚊の鳴くような声だったのが気になったが、それなら仕方がない、明日ならどうだ――と提案したのだ。彼女はこの提案にかなり驚いた様子を見せた後、小さく頷いた。

 そして、今に至るのだが……。

 

「出水、何故『でき』は個人なんだ?」

「でき……? ああ、よくは知らないんですけど、噂じゃ結構前に色んなとこに勧誘されたのを全部断ったとか何とか」

「はあ? なんでまた」

「いや、俺に言われてもわかりませんよ」

 

 流石にソロのB級隊員の事情までは知らないのだろう。出水は首を左右に振った。

それを聞いた太刀川が思うのは、勿体ない、ということだ。彼女の戦い方――あの鉄壁とも思える守りはチーム戦でこそ生きてくる。実際、一対一の勝負だったからああして悠長にやり合えたが、集団戦であんなことをしていれば間違いなくスナイパーかシューターに食われるだろう。

 合う隊がないのか、とそんなことを思った矢先、その少女が出てきた。どうやら生身ではなくトリオン体らしく、先程の戦闘時と同じ服装をしている。

 

「ああ、礼を言うぞ『でき』。楽しかった」

 

 言うと、少女――出木希(いずるきのぞみ)は瞳を揺らした。肩の震えに、前髪が合わせて揺れる。

 

「………………ありがとう、ござい……ました…………」

 

 蚊の鳴くような、僅かに震える声と共に出木は頭を下げた。出水が苦笑している所を見るに、これが常の彼女なのだろう。

 

「また機会があればよろしく頼む。次はチーム戦もやれるといいな」

 

 その言葉に、出木はびくりと肩を震わせた。顔を上げたその瞳には、僅かに脅えが含まれているように見える。

 違和感。彼女は確か、自分から一人でいることを選んでいるはずだ。だというのに、この目は――

 

「――あっ! 希ちゃんじゃん!」

 

 だが、その思考は新たな乱入者の声によって掻き消された。声がした方にいた人影は二つ。緑川駿と米屋陽介だ。一部では出水と合わせて『三バカ』という括りをされている二人である。

 

「おー、緑川の言う通り今日はいたな」

「来るとこみたもんね。希ちゃん、模擬戦やろーよ!」

 

 こちらへと駆け寄ってくる緑川。一方出木はというと、そんな彼の姿を見て大きく体を震わせた。そしてこちらへともう一度頭を下げると、逃げるように――というかどう見ても全速力の逃走を行い、二人が入ってきた扉とは別の扉から出て行ってしまった。

 その姿を見送り、つまらなさそうに声を上げる緑川。

 

「ちぇー、逃げられちゃった」

「いやお前、いい加減理解しろよ。あんな呼びかけして出木が頷くわけないだろ」

「え、でも一人でいる時ならたまにオッケーしてくれるよ?」

「今はどう見ても一人じゃなかっただろ……」

 

 呆れた声で言う出水。緑川はうーん、と首を捻っていた。米屋もこちらへと近付いてくるのだが、それを見つつ太刀川は出水に問いかける。

 

「出水たちは知っていたのか?」

「ええ、まあ。割と毎日このB級ランク戦室には来てますし、混成部隊の模擬戦とかも誘えば殆ど参加してますしね」

「今みたいに外にいる時声かけると逃げられたりもしますけど」

 

 米屋が補足を入れる。この三人は個人ランク戦に入り浸っているところがあるので知っていたのだろう。そうか、と太刀川は頷いた。

 

「でも、希ちゃんってブースに入ってる時は誰の挑戦も断らないよね」

「んー、やっぱりあの噂ってマジなのかもな」

「噂?」

 

 出水の言葉に太刀川が眉をひそめる。それに答えたのは緑川だった。

 

「なんか、元々希ちゃんって三門市出身だったけど四年前のアレで引っ越したんだって。家族が全員殺されたとか」

「それなのに戻ってきたのは、ネイバーが憎いからとか何とか。うちの秀次みたいっすね」

 

 補足するように言う米屋。A級7位部隊三輪隊隊長、三輪秀次。彼の姉が第一次ネイバー侵攻で殺され、ネイバーを憎んでいるのは有名な話だ。出木希という少女もまた、その類だという。

 

「加古隊がスカウトに出た時に見つけて、それでこっち来たみたいですよ」

「みたい、というのは曖昧だな」

「本人がほとんど喋らないんで」

 

 成程、と出水の言葉を聞いて太刀川は頷く。

あの瞳――アレは、憎悪か。

 こちらを捉え、最後まで臆することの無かった瞳。震える声は、至らぬ己に対する怒りからくるもの。

 逃げ出したのもそれなら納得できる。敗北した己が許せず、そんな自分を他者に見せるのを嫌ったのだろう。

 

「しかも希望ちゃん、入れる時は常に防衛任務出ようとするらしいよ」

「マジかよ。筋金入りだな……」

 

 つまり個人戦のブースに籠るのも、積極的に混成部隊の模擬戦に参加するのも、防衛任務に参加するのも、己を鍛え上げるため。全ては復讐。己の全てを奪った者たちに対するそのために。

 そして、ならばチームを組むのは難しいだろうとも思う。ネイバーを嫌う、或いは憎む者はそれなりに多い。だが、たった一人で戦い続けられる強さを持つ者は多くない。彼女の執念と呼ぶべきその意志についていける者は、きっと多くないのだろう。

 勿体ない、と改めて太刀川は思った。そんな彼に。

 

「ちなみに太刀川さん。あれ、『でき』じゃなく『いずるき』です」

「なに!?」

 

 今日一番の驚きだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 滅多に喋らず、レイガストの二刀流という異質なスタイルを持ち、話しかけると逃げ出し、しかし、個人戦は来る者拒まずの少女――出木希(いずるきのぞみ)18歳。

 マスタークラスの実力にありながら、彼女は一度も部隊に所属した記録がない。彼女が現れるのは主に個人ランク戦室。混成部隊の模擬戦があれば参加するし、ほとんど言葉は交わさないが指示は聞くし連携も取ろうとする。だが、彼女は基本的に一人だ。

 あまりにも謎が多いというかむしろ意味不明な彼女だが、それ故様々な噂が飛び交っている。

 曰く、「史上初のソロA級到達を目指している」、「ソロで部隊と渡り合えるようになるため修行している」、「声が小さいのは悔しさを押し殺しているから」、「挨拶以外で人と関わろうとしない」、「家族をネイバーに殺され、復讐のためにボーダーに入った」、「前髪に隠された目は邪眼」etc……。

 最初のはシステム上不可能であるし最後のなど最早ゲームのそれである。そんな噂を立てられている希だが、その強さと目的の不明さのせいでC級隊員や交流の少ない正隊員からは避けられることも多い。現に今、とぼとぼと肩を落として歩いている彼女を見て何事かと思うものの、声をかける者はいなかった。

 

(………………また、やって………………)

 

 復讐の鬼と思われている少女は、しかし、そんなことは微塵も考えずに先程の自分の行動を後悔していた。それも、盛大に。

 昨日太刀川に誘われた時もそうだが、自分は誘いを受けるとどうしていいかわからず即座に断ってしまう癖がある。昨日だって時間はあったのだ。だが、想定外のことであった為に断った。

 緑川はそんな自分に話しかけてくれる貴重な人だ。米屋や出水もそうだが、ブースに入らず本を読んでいたりすると何の気兼ねもなく挨拶をくれる。こちらの返事はとても小さい上にたどたどしいのに、彼らは嫌な顔一つしない。

 だが、友達ではない……と思う。というかそんなことはとても思えない。声をかけ、模擬戦に誘ってもらえるだけで望外のことなのだ。チームに誘ってもらえないかと思ったこともあったが、彼らは全員A級である。一度も誘いが無いということは、自分など必要ないのだろう。

 

(………………羨ましい、な…………)

 

 昨シーズンのランク戦を思い出す。個人では難しいことも、チームでなら、隊でなら様々なことができるのだ。その姿が、とても眩しかった。

 だが、自分は変わらず一人のままである。どうしてだろう、とそんな風に思う。

 変わりたいと思った。強くなりたいと思った。

 強くなれば必要としてもらえると、そう言われた。

 だから、ずっと一人で。

 

(………………多分、まだ、力が…………)

 

 足りないのだろう、きっと。彼らの眼鏡には適っていないのだ。

 ならばそれでいい。もっと頑張ればいい。そうしていくしかないのだから。

 

 

 ――――――――!

 

 

 不意にポケットのスマートフォンが鳴った。曲はベートーヴェンの交響曲第三番。

 いきなり鳴り響いたクラシックの音楽に周囲の者たちが何事かと注目する中、希はスマートフォンを取り出した。彼女はボーダー上層部のメール及び着信には別々の曲を設定している。ベートーヴェンが最も出来がいいと評したこの曲が設定されているのは――

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 ボーダー本部本部長、忍田正史。

 現№1攻撃手太刀川慶の師匠にして、〝ノーマルトリガー最強の男〟と称される人物だ。戦闘員全てを束ねる指揮官であり、その人望は厚いナイスガイである。

 更に言うとネイバーを憎む者たちが多いボーダー内最大派閥〝城戸派〟に対し、市民の安全を最優先するという考え方を持つある意味穏健派とも呼べる考え方をしていることで知られている。まあ、面倒見も良い上に有能ということもあって、彼に憧れる者は多いのだ。

 その忍田正史は、自身の呼び出しによって来た少女と対面していた。ここは本部長室だ。少し離れた場所では自身の補佐である沢村響子が心配そうに見ているが、この少女が来ると大体こうなのでいつも通りと言えばいつも通りである。

 

(何というべきか……)

 

 目の前の少女は、相変わらず、という表現が実に合っていた。己の目を隠すような長い前髪と、逆に活発さを伺わせるようなショートカットの髪型。何というか、実に歪だ。

 いや、それも仕方がないのだろう。彼女のサイドエフェクト――開発室室長、鬼怒田本吉によればそれは決して〝天恵〟ではなく、〝呪い〟なのだから。

 あの暗い瞳の奥に、一体どれほどのモノを背負っているというのか。できれば、その重荷が少しでも軽くなればと祈らずにはいられない。

 

「突然呼び出して済まない。防衛任務のシフト希望についてだが……」

 

 びくり、と出木が肩を震わせた。その瞳は、変わらず感情が読めない。

 

「放課後の時間全てを希望し、更に土日もとなると流石に不可能だ。これまでと同じように週4日のシフトで出てもらうつもりだが、それで構わないか?」

 

 B級隊員はA級隊員と違い、歩合制で報酬が支払われている。防衛任務に従事し、トリオン兵を狩ればその数に応じて給料が支払われるのだ。

 そのためシフトの増加を望む者も多く、基本的には部隊での持ち回りのところに一時的に編入、もしくは混成部隊で防衛任務にあたることも珍しくない。

 だが、出木希――彼女は異常だ。

 出られるならば常に出たいとでも言わんばかりの出撃希望をし、防衛任務では誰よりも速くトリオン兵に突撃し、その注意を引き付ける。身を投げるかのようなその戦い振りと在り方は、正直言って異質だった。

 

「…………」

 

 こくり、と出木は無言のまま頷いた。彼女は基本的にこちらの指示に逆らうことを決してしない。勤務も真面目だし、他者と衝突することも一度もなかった。……後者については色々議論の余地がありそうだが。

 ただ、と忍田は思う。彼女がこれほどまでにネイバーとの戦いを望むのは、やはり彼女の過去が関係しているのかと。

 

「……やはり、忘れられないのか?」

 

 両親、そして弟を目の前で殺された少女――それが出木希という少女だ。その時、彼女をギリギリで救い出したのはここにいる忍田正史である。

 その後、一度三門市を離れ祖父母の下で暮らしていた彼女だが、加古隊が偶然スカウトで訪れた際に見出された。

 その後の彼女は地道にだが確実に、休むことなく己を鍛え続け、マスタークラスにまで到達した。その心の奥底に、おそらく自身の身さえも焦がしかねないほどの想いを抱きながら。

 

「…………はい…………」

 

 出木希の声を聞くことは、挨拶と返事以外で滅多にない。以前、彼女がマスタークラスになったにも関わらず一向にチームに所属する気配がないことを不審に思った上層部が会議室に呼び出したのだが、その時に一時間近く城戸指令と無言で睨み合ったという伝説がある。

 そんな彼女が声を出して頷くというのは珍しい。つまり、それだけの意志があるということだ。

 

「そうか。……個人の事情に無理矢理介入するつもりはない。ただ、そうだな。チームは組めそうか?」

 

 その質問に、出木は力なく首を振った。おそらく、彼女の眼鏡にかなう者がいないのだろう。

 働きと強さ、そして不断の努力を見ていれば彼女の意志の強さはよくわかる。そして同時に、それについていける者がそういないことも。

 

「わかった。シフトについてはまた追って連絡する。呼び立ててすまなかった」

 

 言うと、出木は深く頭を下げた。失礼します、と蚊の鳴くような声で告げ、部屋を出て行く。

 微かな足音が聞こえ、やがてそれが聞こえなくなると忍田は大きく息を吐いた。どうにもあの少女と真剣に対面するとこちらも体が硬くなる。

 

「お疲れ様です」

「ああ、ありがとう」

 

 沢村に差し出された湯呑みを受け取る。本当に気の利く補佐だ。

 

「忍田本部長、彼女は……」

「ああ。おそらく、本部で最も強くネイバーを憎んでいる隊員の一人だろう。高いトリオン能力と強力なサイドエフェクトを持っているのだが……」

「〝瞬間完全記憶能力〟、でしたか?」

 

 沢村の問いかけ。それに忍田は頷いた。高いトリオン能力を持つ者が稀に発現させる力――サイドエフェクト。有名なのは玉狛支部のS級隊員、迅悠一の〝未来予知〟だろうが、彼女もまたかなり強力で、しかし、本人にとっては重い枷とも言えるサイドエフェクトを有している。

〝瞬間完全記憶能力〟――読んで字の如く、一度見たモノ、聞いたことを即座に記憶し、そして絶対に忘れないという力だ。どういう感覚なのかはわからないが、開発室室長である鬼怒田によるとそれが十年前のことであれ昨日のことであれ一時間前のことであれ、寸分違わず思い出せるのだという。

 便利な力だ、と忍田は聞いた時に思った。それが事実ならばどんな行為にしても『覚える』というプロセスが必要なくなるのだから。

 だが、鬼怒田はそれを否定した。

 

〝普通の完全記憶ならそうだろうが、奴の場合は度が過ぎておる。それこそフラッシュバックのように、突然過去の記憶が鮮明に思い出せるのだ。そしてそれを忘れ去ることはできない。たとえ四年前のことであろうと、決して消えず、風化せず、鮮明なままに思い出せてしまう。

 人は忘れることでどうにか生きておる。悲しいことも辛いことも、記憶の山に埋もれさせることで己を保っておるわけだ。だが、奴にはそれができない。……おそらくだが、今でも自分の家族が殺された瞬間を鮮明に思い出すのだろう。そして、思い出せばまた忘れられない。ずっと記憶に残り続ける〟

 

 地獄だと、その話を聞いた時に思った。

 人は忘れたいことは忘れていく生き物だ。過去を思い出に変え、新しい記憶を刻んでいく。だから前へと歩いていける。だが、出木希はそれができない。

 記憶が薄れることはあるのだろう。だが、すぐにそれは鮮明に思い出せる。僅かでも思ってしまえば、視えてしまう。

 それは最早、この世の地獄だ。そしておそらく、彼女はその地獄に立ち向かうためにボーダーへと入隊した。

 

「能力自体は非常に強力であるし、実力も申し分ない。だが、その在り方が苛烈だ」

 

 願わくば、と忍田は呟いた。

 

「彼女の重荷を、共に背負える者がいればいいのだが」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 出木希は深く、深くため息を吐いた。最早そのため息はこの世の終わりかとも思えるくらいである。

 呼び出しを受けた時は自分の行いを思い出すほど焦ったが、何のことはない。シフトのことだった。確か先月も呼び出された覚えがある。

 友達もいないし予定もない放課後はいつでも入れるという意味でああいうシフトを提出しているだけなのだが、何故か毎回呼び出される。それにトリオン兵を討伐すれば報酬も貰えるし、もしかしたら一緒に組んだ隊からスカウトしてもらえるかもしれないというのもある。そういう意味でああいうシフト希望を提出しているのだ。

 だから別にシフトが減るといわれても希自身は何とも思わない。むしろ、何故毎回呼び出されるのかが不思議と思っているくらいだ。

 

(……とりあえず、もっと強くなって……)

 

 自分の掌を見つめ、確認するように内心で呟く。部隊に入る方法は単純だ。部隊員を集めて立ち上げるか、すでにある部隊へ入隊することの二つである。

 前者は不可能だ。人を集める力など無いし、指揮能力も作戦立案能力もない。隊長など千回くらい生まれ変わらないと務まらないだろう。ならば後者。スカウトされるという方法だが、これについては昔、とある人物に尋ねたことがある。

 

〝そうだな、やっぱりまずはちゃんとした戦力であることが大前提だ。戦術や連携で補えるとはいえ、基本的な能力は高い方がいい。後は……チームにどう貢献できるかだろう。隊によって色があるから一概には言えないが、チームに貢献できないならたとえ№1攻撃手でも必要としない隊はある〟

 

 隊にどう貢献できるかについては色々と考えた。孤月やスコーピオンを用いての『点取り屋』も考えたが、それは自分には向いていない。速度で言えば緑川や米屋の方が上であるし、今日向かい合った太刀川と孤月で斬り合い、戦えるイメージなど全くと言っていいほど湧かないくらいなのだ。

 だからレイガストにした。これは一人で獲るためのものではなく、チームで獲るための戦い方である。同時に、一人でも戦えるようにと腕を鍛えた。

 だがそれでも、未だ自分は一人きり。

 駄目なことはわかっている。だが、どうしようもないのだ。

 こうするしか、できないのだから。

 

〝……やはり、忘れられないのか?〟

 

 先程の忍田の言葉を思い出す。――忘れられるわけがない。あの恐怖を。絶望を。アレを振り払うために、反対を押し切ってまでボーダーへと入隊したのだから。

 憎悪があるかと言えば、正直それはほとんどない。あるのは恐怖だ。あの絶望感が、常に心の底にある。

 

「………………ッ」

 

 あの日の映像が、フラッシュバックする。

 この忌まわしいとさえ思う能力が、薄れさせることを許さない。

 

 自分達姉弟を逃がそうとした両親。

 自分を庇った弟。

 最後に、あの子は――……

 

 

「……出木」

 

 

 呼びかけに、思わず体が跳ねた。見上げると、そこにいたのは見覚えのある人物。

 ――三輪秀次。

 A級7位のチームを率いる隊長であり、希が知る限り〝鉛弾〟の熟練度は右に並ぶ者がいないレベルの実力者だ。

 いつもピリピリした雰囲気を漂わせている彼だが、どういうわけかこの休憩所でよく出くわす。ここはランク戦室とは反対側の休憩所の為、人があまり来ないのだ。希にとっては息を吐ける場所なのだが。

 

「…………」

 

 無言のまま、三輪は自販機で飲み物を買った。音から察するに、二つ買ったようである。

 三輪は缶ジュースの片方――カフェオレをこちらへと差し出してきた。いつものことだ。何故か彼は、こうして出くわすと飲み物を奢ってくれる。

 

「………………ありがとう、ございます…………」

 

 礼を言うと、気にするな、とぶっきらぼうに彼は言った。二人で缶を開け、微妙な距離の開いた状態でソファーに座っている。

 少し怖いところもあるが、三輪のことを希自身は嫌っていない。むしろ好意的に捉えている。こんな風に何も喋らないでいても嫌な顔をしないし、飲み物もくれる。嫌う理由など無いのだ。

 いつもは、互いにポツリと何か一言、二言だけ言葉を交わしてその内どちらかが立ち去っていく。大体三輪が切り出すのだが、今回のように互いに何も言わないのも珍しいことではない。

 どれぐらいそうしていたのか。そろそろもう一度個人ランク戦にでも向かおうかと思っていると、足音が聞こえた。音の方へ視線を向ける。

 

「……迅」

 

 現れた人物に、三輪は舌打ちでも零しそうな表情を浮かべた。そのまま、乱暴に缶を捨てて立ち去ろうとする。

 そんな彼の様子を見て、片手にぼんち揚げの袋を持った人物――迅悠一が苦笑した。

 

「おいおい、そう露骨に避けるなよ秀次」

「黙れ」

 

 取り付く島もない。まあしょうがないと思う。以前ポツリと彼が漏らした話によると、彼は姉を目の前でネイバーに殺され、それ以来ネイバーに強い憎しみを抱いているのだという。

 ある意味では自分と同じだ。あの日――四年前に、人生を狂わされた者同士。

 そして迅悠一という人物は、そんなネイバーとも友好関係を築こうとする一派なのだという。三輪にしてみれば面白くない相手だろう。

 ちなみに希自身は自分を本部長派だと思っている。ネイバーどうこうよりも、もう二度とあんな地獄は見たくないというのが彼女の本音だ。

 

「出木。お前の気持ちもわかる。だが、一人でできることは限られているのも事実だ」

 

 立ち去る直前、三輪はそう告げた。これは彼が何度も言っていることだ。こちらを案じて、こう言ってくれている。

 

「一人では、ネイバーを殲滅することはできない」

 

 中々に物騒な言葉を残し、三輪は立ち去っていく。それを見送り、ふーむ、と迅が頬を掻いた。

 

「中々難しいな……。あ、ぼんち揚げ食う?」

「…………」

 

 一つだけ、と指を立てて貰うことにした。この迅悠一という人物が希にはよくわからない。〝未来視〟というサイドエフェクトを持っているというのだが、その割には沢村や熊谷の尻を触って殴られたりもしている。未来が見えるならそれを避けることもできそうなものだが。

 とりあえず希の認識は『実力派エリートを名乗り、実際強くて緑川が凄く懐いていてぼんち揚げをくれる人』である。こうして二、三何かを言ってぼんち揚げをくれる人で、それ以上のことはない。

 会話も、大体彼が喋っているだけで外から見れば会話にはなっていないと思う。嫌な顔をされないので、希としてはとてもありがたいが。

 

「太刀川さんと戦ったんだって? 惜しかったみたいだな」

 

 その言葉に、希は首を左右に振った。惜しくなど無い。最初の四つは捌き切れずに斬られたし、最後のもジリ貧になったから無理矢理突撃、そこからは博打の連続でどうにかしただけだ。それでも負けたのだから、その差はもはや天と地レベルと思っている。

 

「まあ、太刀川さんは強いからな」

 

 ははっ、と笑う迅。そして彼は、こちらの頭に軽く手を置いた。

 

「大丈夫だ。ちゃんと、未来は来るよ。――俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 言うだけ言って、彼は立ち去って行った。それを見送り、今の言葉を思い浮かべる。

 映像も、音も。思い出そうとすれば録画したかのように浮かぶのが出木希という少女の能力だ。ある人はこれを羨ましいと嫉妬し、ある人は呪いだと憐み、当人は枷だと呪い続けている。

 

「………………未来………………」

 

 未来が視えるという彼に、聞いてみようと思ったことがある。

 ――自分は、誰かとチームを組んでいるのか?

 だが、できなかった。そこで否と聞いてしまえば、何もかもが終わる気がしたから。

 

 未来が来る。だけど、それはどんな未来なのだろうか。

 明るい、未来なのだろうか。

 わからない。

 何も、わからなかった。

 













 出木希から見たボーダーの皆さん



・出水公平
 いい人。挨拶してくれる。喋らなくても嫌な顔一つしないでいてくれる。戦闘の相性はあまり良くない。何回かハチの巣にされた。

・米屋陽介
 いい人。ランク戦によく誘ってくれる。戦い方が凄く参考になるし、混成部隊の模擬戦にも誘ってくれる。ちょっとだけ会話したことがある。

・緑川駿
 希ちゃんと呼んで話しかけてくれるとってもいい子。話しかけてくれるのは素直に嬉しい。ただ大声で呼ぶのはやめて欲しい。

・三輪秀次
 ちょっと怖いが、いい人。カフェオレを奢ってくれる。ただ、何故そうしてくれるのかはよくわからない。ネイバーへの憎しみについては、素直に凄いと思っている。希にとって四年前の出来事は恐怖でしかない出来事であり今も恐怖と絶望の象徴であるため、彼のように恐怖を乗り越えている人については純粋に尊敬している。

・忍田正史本部長
 何かと気にかけてくれる凄く強くて格好いい大人の人。希自身は彼女の経験から市民の安全第一である忍田本部長派なのだが、周囲の認識はバリバリの城戸司令派。何か噛み合っていない。

・迅悠一
 ぼんち揚げくれる人。とりあえずセクハラはやめた方がいいとは思っている。でもいい人。凄く強いらしいけど戦っている所を見たことはない。

・太刀川慶
 超強い。

・城戸正宗司令
 怖い。
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