どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第十話 ほんの少し、変わっていく

 

 

 

 

 

 

 

 その日は朝からどんよりと曇っており、肌寒さも相まってあまり気分は良くなかった。

 学校に行き、いつも通りに過ごす。もうすぐクリスマスということもあって教室内がいつもより騒がしい気がするが、自身には関係ないと出木希は切り捨てる。

 去年と同じだ。一人で過ごして、家族に手を合わせて、それで終わり。

 ただ、当日はボーダー基地でランク戦ができないかもしれないということに思い至る。そうなると、本格的に一人きりだ。

 

(……一度、戻ってみるのも……)

 

 電話こそしているが、大阪に住む祖父母とこっちに来てから半年顔を合わせていない。年末年始は防衛任務も入るだろうし、一度戻るのもいいかもしれない。

 とりあえず、予定は考えよう――そう思っていると、チャイムが鳴った。手早く鞄を持ち、教室を出る。長居はする必要ない。

 今日は防衛任務も入っていないので基地に行かなければならない義務はないのだが、状況が少々厄介だ。どこかの部隊への所属という無茶振りを受けているのだから。

 

(……相談、できそうな人は……)

 

 浮かぶ顔は少ない。……とりあえず、基地に行こうと決めた。

 

「お、出木さん」

 

 廊下を歩き、玄関まで着くと声をかけられた。犬飼だ。この学校では同学年で希に声をかけてくるほぼ唯一の人物である。

 軽く頭を下げると、いつもの笑顔で彼は言葉を紡ぐ。

 

「基地の方に行くの?」

「…………その、予定です……」

 

 一瞬、犬飼に相談するという案が浮かんだが即座に却下した。悩みを相談できるほど親しい間柄ではないし、彼のように社交的な人物が話しかけてくれるだけで望外のことなのだ。余計なことをして関係が崩れるようなことはしたくなかった。

 

「そっか。俺たちも後から行くよ。じゃあ、また後で」

「…………はい……」

 

 頭を下げ、その場を立ち去る。

 ――学校内において、彼女に声をかけてくる者はほぼいないと言ってもいい。

 完全に孤立している状態と言えるのだが、何かしらの悪意をぶつけられたことは一度もない。その点は進学校であることが理由の一つだろう。三年生という学年は、良くも悪くも他人に意識を向ける余裕がない。進学しようというなら尚更だ。

 更に言えば、ほとんど知られていないが――本人が喋らないし知っている者もわざわざ口にしないので――ボーダーに所属し、その上で学年でも上位の成績を叩き出す彼女を教師の一部は信頼している。本人は全く知らないし気付いてもいないが。

 そんなわけで、学校生活を送るというその一点において苦労はない。本当の意味でただ通っているだけだが。

 

(…………どうしよう……)

 

 しかし、一人でいた時間があまりに長過ぎる彼女は、己の状況に疑問を抱かない。

 それは果たして不幸なのか……幸福なのか。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 エンジニアルームに行くと、『会議中』というプレートが下げられていた。希が自分から話しかける事のある数少ない相手の一人――寺島雷蔵に相談しようと思ったのだが、これでは無理だ。

 とぼとぼと歩き出す希。彼女の頭の中には一通りのボーダーのスケジュールが全て入っている。予定表を見ただけで記憶できるのだから当然だ。それによると今日は会議は入っておらず、だからこそ大丈夫だと思っていたのだが、緊急の会議なのだろうか。

 寺島雷蔵は希がレイガストを愛用していると聞いて向こうから声をかけてきた元アタッカーのエンジニアである。レイガストは寺島の制作であるらしく、色々とアドバイスも貰った。それ以来、サイドエフェクトの研究の際についでの形でテストを手伝い、親交がある。

 まあ、親交があるといっても希が喋ることはほとんどない。とはいえ希の戦闘体のデザインをしたのは彼であり、『感覚的に動き易くして欲しい』という無茶振りに見事応えた人物である。それもあって希自身は彼をかなり信頼していた。

 ……その寺島はホットパンツに半袖という露出多めの衣装にした事が最近バレ、一部で変態呼ばわりされている。悲劇に見えて自業自得。残念だが当然。

 

(……嵐山さんは……いつでも来てくれていいと……)

 

 昨日の彼はそう言っていたが、鵜呑みにするのはよくないだろうと思う。ただでさえ世話になっているのだ。それに、何というか……今は少し、会い辛かった。

 そうなると、本当に相談相手――どころか友人がいない自分に嫌気が指す。どうしたらいいのだろう。部隊に入る手段など、皆目見当もつかない。

 強くなればいいと聞いた。だから目指した。しかし、足りないからできなくて。

 本当に……どうしたら。

 

「………………」

 

 知らず、足がランク戦のブースに向いていた。会議が終わるまで時間を潰すのもありかもしれないと思い、ブースに入る。

 

「………………?」

 

 何故か、妙に視線を感じた。ブースに新しく入ってくる者に視線が集まるのは常だが、今日はいつもよりそれが長い気がする。

 なんだろうか、と思った瞬間。

 

「あ、希ちゃん!」

 

 声をかけられた。思わず体を震わせ、声の主を見る。やはりというべきか、声の主は緑川だった。

 思わず右足が後ずさり、その場から反射的に体が逃げようとする。

 

(……駄目、です……)

 

 だがそれを、ギリギリで押し止めた。変わろうと、少しずつでも前に進もうと決めたのだ。逃げてはいけない。そんな心が、足を留まらせる。

 

「………………」

 

 とりあえず無言のまま、腰を折って一礼した。緑川はそんなこちらを見て数度目を瞬かせ、首を傾げる。

 

「あれ……? ええと、希ちゃんもランク戦?」

「…………少し、時間を潰そうかと……」

 

 というより、色々と考える時間が欲しかった。寺島の手が空くまでの時間潰しもあるし、丁度いいと言えば丁度いい。

 と、そこで緑川の後ろのソファーで何やら参考書を広げている二人――出水と米屋の姿が目に入った。思わず凝視してしまうと、それに気付いたらしい緑川が振り返る。

 

「ああ、なんか二人はテストがあるんだって」

「…………テスト、ですか……」

 

 時期的に考えて冬休み前の試験だろうか。二人は確か高校二年生だったはずなので、それなりの者が出ていると思うが。

 

「えーと、なつ……なんとかとかいう人と、Kがどうとか言ってたよ?」

「…………夏目漱石作……、『こころ』でしょうか……?」

「それそれ!」

 

 緑川がこちらを指差して言うが、夏目漱石ぐらいは知っておいた方がいいのではないかと思う。いや、最近はあまり読まれていないのかもしれないが。基準がわからない。

 出木希はひたすらに本を読み漁る性質がある。その理由は単純なモノであり、本を読み、その世界に思考を没頭させている時だけは余計な事を思い出さずに済むからだ。だがそれが普通のことであるなどとは希は欠片も思っていないし、自身の性質が異端であることも理解している。故に基準がわからない。

 まあ、最近は読書離れも進んでいると聞くのでそのせいだろうと結論付けた。ある意味間違いではないが正解でもない。

 

「希ちゃん知ってるの? どういう話?」

「…………ええと……」

 

 どう説明すべきか、一瞬迷った。あの話の肝は主人公である『私』がどうというより、『先生』の過去の方が衝撃的だ。教科書にもその部分が載っている。

 そうなると、語るべきはそこだろう。そして、アレはどういう話かというと――

 

「…………三角関係の話、でしょうか……?」

「えっ、そうなの?」

「…………はい……、主人公である『私』が出会う、『先生』の過去が……。そういう、話なので……」

「えー……。それでどうなるの……?」

 

 恐る恐るといった調子で聞いてくる緑川。希は一瞬考えた後、結論を口にする。

 

「…………片方が自殺します……」

「死んじゃうの!?」

 

 緑川が驚いているが、これが真実だ。というか、古今東西三角関係で上手くいく話というのはほとんどない。大体誰かが死ぬ。

 まあ、日本の倫理観において所謂ハーレムが嫌悪されている以上、仕方ないのかもしれないが。

 

「ええー……。じゃあよねやん先輩たちはそんなの勉強してるの?」

「…………夏目漱石は……、有名な方なので……」

 

 何せ千円札の顔になったほどの人物である。普通は知っている。

 

「――『吾輩は猫である』なんて文言、緑川も聞いたことあるんじゃないか?」

 

 不意に、背後から覚えのある声が聞こえてきた。振り返ると、そこにいたのは嵐山と柿崎国治――現B級13位部隊隊長であり、かつての嵐山隊隊員――だ。

 予想外の人物の登場に驚き、希は硬直する。嵐山は数少ない心許せる相手なのだが、この時ばかりは違った。

 早鐘のように心臓が鳴り響き、視界が揺れる。正直、いっぱいいっぱいだった。

 

「あれ、珍しいね嵐山さんにザキさん。何してんの?」

「任務、と言いたいところだが根付さんが会議に出ているから手が空いててな。柿崎とはそこで会ったんだが……」

「嵐山が言ってたのはこの子か」

 

 そこで、柿崎の視線がこちらを向いた。思わず身を竦ませるが、逃げるわけにはいかない。少なくとも、嵐山の前でみっともない事をしたくないと思った。

 

「ああ、出木だ。……大丈夫か? 調子が悪そうだが」

「え、希ちゃん調子悪いの?」

「………………ッ」

 

 嵐山がこちらの顔を覗き込んできたため、慌てて首を振る。そのまま、蚊の鳴くような声で希は告げた。

 

「…………大丈夫、です……」

「そうか。無理はするなよ」

 

 良い人だ、と思う。本当にいい人だ。

 だけど、何故だろう。少しだけ、胸が痛かった。

 

「でも、ザキさんがこっち来るのも珍しいね。ランク戦?」

「いや、人探しをしてたんだよ。もう見つかったが……出木、だったよな?」

 

 いきなり名を呼ばれ、思わず周囲に視線を送った。出木、という名字を持つ者は自分一人しかいない。右手の人差し指で己を指し示し、思わず問いかける。

 

「…………私、でしょうか……?」

「そうだ。あー……その、嵐山から聞いたんだが、所属できる部隊を探してるってのは本当か?」

 

 問われ、思わず嵐山を見た。彼はそれに気付くと、頷きを返してくる。

 

「もし本当なら、うちに入らないか? 歓迎するぞ」

「え――」

 

 驚き、硬直する。B級13位、柿崎隊――ランクこそ下位だが、堅実な戦いをするチームだ。隊長である柿崎自身も古参メンバーであり、多くの隊員に慕われている。

 

「え、希ちゃん隊に入るの!? うちに入りなよ!」

 

 思考がフリーズしていると、緑川がそんなことを言い出した。いやいや、と柿崎が苦笑する。

 

「お前のとこは定員だろ」

「えー。でも希ちゃんが一緒だとかなりやり易くなるけどなー」

「だから欲しいんだよ。……で、どうだ?」

 

 聞き間違いでは――自分の能力上あり得ないが――なかった。本気で柿崎は自分をスカウトしてくれている。

 だが同時に、嫌な考えが脳裏を過ぎった。

 ――同情。

 そんな、考えが。

 

「…………どうして、私などを……」

「サシでやり合ったことはないが、何度か混成部隊で見てるしソロのランク戦も見たことがある。正直、今までどこからもスカウトされてないってのが信じられないくらいだ。いやまあ、俺も勝手に諦めてたから人のことは言えねぇんだが……」

 

 苦笑。柿崎はただ、と言葉を続ける。

 

「嵐山に言われたからとかそういうのじゃない。いやまあ、きっかけはそうだがな。それでも、俺は隊長としてその能力を評価してる。……今すぐ決めてくれってわけじゃない。今シーズンも残り少ないとはいえ試合があるし、できれば加わって欲しいが――」

「――見つけたぜ!!」

 

 迷いを抱く中、柿崎の言葉を遮るように大声が響き渡った。思わず体を震わせ、何事かと声の主へと視線を向ける。

 

「諏訪さん」

 

 主の名を呼んだのは嵐山だ。いつも通りの咥え煙草をしたその人物が、こちらに走り寄ってくる。

 

「本部長に聞いたぞ出木! うちに入れ!」

「…………え……」

「まあまあ落ち着いてください諏訪さん。騒がしくてごめん」

 

 こちらに走り寄り、両肩を掴んで言う諏訪を前にしてフリーズしていると、堤大地がゆっくりと歩み寄りながらそんなフォローを入れた。だが希にそれに応じる余裕はない。

 状況に困惑していると、諏訪の肩に嵐山が手を置いた。その顔には苦笑が浮かんでいる。

 

「諏訪さん、出木が固まってます」

「あん?……おう」

 

 こちらを見て何か察したのか、諏訪が手を離してくれた。思わず息を吐く。諏訪自身は大雑把だが面倒見もよく、良い人だ。喋らない自分にも特に気にせず接する人である。

 だが、柿崎に続き彼からもスカウトされるというのはどういうことなのか。状況が全く把握できない。

 

「どうしたんです諏訪さん?」

「ザキさんまでいるとか何事ですか?」

 

 そう言ってこちらまで近付いてきたのは米屋と出水の二人だ。……どうやら勉強はもう終わったらしい。

 

「いやさっき本部長と廊下で擦れ違ったんだが、出木が入隊先を探してるって聞いてよ。拘りねぇならとここに来たわけだ」

「よくここにいるとわかりましたね」

「基地内に来てるんなら大体ここにいるだろ」

 

 尤もである嵐山の言葉に平然と応じる諏訪。……実際間違っていない。希が基地にいる場合、滞在しているのは八割方ここだ。

 

「ザキさんは?」

「俺は嵐山から聞いた。実際、戦力として出木はかなり欲しい」

 

 想定以上の高評価である。驚きで固まっていると、それで、と諏訪が言葉を紡いだ。

 

「実際どうだ? 何なら明日ランク戦があるから、そこから参加もありだぞ?」

「…………え、あ……、ええと……」

 

 想定外の状況過ぎて、どうしたらいいかわからない。誘ってもらえたことは素直に嬉しいし、ありがたいことだ。だが、答える言葉を持っていない。

 出木希という存在は、いつだってそうだ。己の言葉も相手の言葉も余さず全て記憶するが故に、己の言葉に細心の注意を払う癖がある。それは彼女から『咄嗟の言葉』というものを奪ってしまっていた。

 俯いてしまう希。それを庇うように、嵐山が割って入った。

 

「まあとりあえず、今日は意志確認ということにしておいた方がいいでしょう」

 

 ズキリ、と胸が痛んだ。まただ。また、迷惑をかけている。

 この人には、迷惑だと思われたくないのに――……

 

(…………え……)

 

 自身の思考に違和感を感じた。他人に迷惑をかけない――それは数多の悪意から逃げようとしてきた出木希という少女の処世術だ。迷惑をかければ、自然とこちらに注目が集まる。そうなれば、悪意を向けられる。今までがそうだったし、そうでなかったことなど一度もなかった。

 故にそれが行動の根底に存在している。だが、違和感だ。全員を対象とするはずのそれに……優先順位が無かったか?

 

「まあ、しゃーねぇか。とりあえずアレだ、出木。うちに入れば麻雀し放題だぞ」

「諏訪さん、それはアピールになってません」

「じっくり考えてくれればいいが、うちも歓迎するぞ。そのスタイルはうちのところとも相性がいいからな」

 

 二人の隊長の言葉が、身に染みる。

 こくりと、小さく頷きを返すので精一杯だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 嵐山隊隊室。そこに、いくつかの人影があった。

 一人は自身の目を覆い隠すように長い前髪をした少女――出木希。変わらず無表情で、その感情は読み辛い。ただ何となく、いつもと比べて纏う空気が重いように思えた。

 対し、向かい合う形で座っているのは二人の少女――綾辻遥と木虎藍。共にボーダーの顔たる嵐山隊の隊員ということもあり、並ぶと絵になる。

 

「……ええと、つまり……隊に所属する意思はずっとあったということですか?」

 

 ゆっくり、静かに。それが出木希の語り方だ。それを聞き終え、木虎は自身の思考を整理するように言葉を紡いだ。はい、と希は頷く。

 

「…………木虎さんが、嵐山隊に入隊した時……、嵐山さんに聞いたのですが……」

 

 思えば、アレが始まりだった。あの時の言葉が、全ての原点になったのだ。

 

「…………〝強くなれば、必要としてもらえる〟と……」

 

 二人が息を呑んだ。自身の掌を見つめ、希は呟くように言う。

 

「…………一人の限界は……すでに感じていて……、ですが、どこからも必要とされず……」

 

 縋りつくしかなかった。薄々――いや、明確にこのままでは駄目だとわかっていたのに。

 

「…………約束を……守りたいと、そう……思っていたのですが……」

 

 その時、僅かに希は苦笑した。それは本当に些細なもので、普通なら気付かない程度のモノ。だが、ここにいる二人は気付く。

 

「約束、ですか?」

 

 首を傾げる綾辻。はい、と希は頷いた。

 

「――〝今度は、チームで戦いましょう〟」

 

 木虎の表情が変わった。それはかつて、嵐山隊に入隊した彼女が告げた言葉だ。先に行くという意味を込めて、彼女は言ってくれた。

 

「…………その約束を、果たしたかったのですが……」

 

 希が部隊というモノを寄り強く意識するようになった理由の一つである。木虎藍という少女は自身をスカウトした加古以外で初めて声をかけてくれた人であり、憧れる相手でもあった。その彼女とチームで競い合える日を、ずっと望んでいたのだ。

 残念ながら……その願いは、叶わなかったけれど。

 

「……まだ、間に合います」

 

 そんなことを口にしたのは木虎だ。彼女は小さく手を握り締め、真剣な表情で言葉を紡ぐ。

 

「私は待ちます。だから……上がってきてください。出木さんなら、できるはずです」

 

 木虎藍という少女は、年上が相手なら『なめられたくない』という想いが先に来る少女だ。それは彼女自身の努力に裏打ちされる誇りの高さからくるものであり、生意気と評されるが希としては羨ましいと思う部分である。その態度と在り方は己に自信がなければできないのだから。

 その彼女が敬語を使い、その上できると――A級に上がれると、そう評価してくれた。それは、この上なく嬉しい言葉だ。

 

「…………ありがとう、ございます……」

 

 深々と、頭を下げる。嵐山の時も思ったが、人に評価される――認められるというのは、本当に嬉しい。

 

「よかったね、藍ちゃん。出木先輩がもう自分と競う気が無いのかもしれないって悩んでたぐらいだし」

「ちょっ、綾辻先輩!?」

 

 綾辻の笑顔と共に放たれた言葉に、木虎が声を上げる。えっ、と言葉を漏らすと、綾辻が微笑を浮かべたまま言葉を紡いだ。

 

「出木先輩がどこの隊にも所属しないから、藍ちゃんはもう自分との約束を忘れたのかもしれないって思ってたみたいですよ?」

「いやあの、それは……!」

 

 珍しい――少なくとも希にとっては――木虎の焦った様子に、小さく笑みが零れた。そんな自分を見て二人が驚いた表情をしているが、とりあえず置いておく。

 

「…………忘れるわけが……ありません……」

 

 この呪いのような力には嫌悪と忌避感ばかりだが、稀に感謝することがある。

 

「…………木虎さんは……私を、認めてくれた方ですから……」

 

 それは、僅かな良いことを忘れないこと。

 だから、今日まで生きてこれた。

 

「う、あ……、と、当然です。出木さんは私の同期ですし、何度も競い合った相手ですから」

 

 ふふん、と自信を取り戻すように言う木虎。競い合うと言っても、直接戦闘では精々が五分であるし、訓練でも彼女はほとんどパーフェクトだったので勝ったことなど数えるくらいしかないのだが。

 

「…………木虎さんは……私の、目標です……。ですから……その、ありがとう……ございます……」

 

 改めて、頭を下げる。今度こそ木虎は驚きの表情を浮かべ、硬直した。

 ……基本的に生意気と評され、プライドの高い木虎藍という少女は正面から褒められることに意外と弱い。ちやほやされるならともかく、自信が認める相手からこんな風に褒められると対応に困るのだ。

 そんな木虎を楽しそうに見ていた綾辻が、それで、と軽く手を叩いて言葉を紡ぐ。

 

「どちらに入るんですか? 柿崎隊と諏訪隊に勧誘されたんですよね?」

「………………」

 

 その問いかけに、沈黙を十二分に返す希。そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「…………どちらが、いいでしょうか……?」

「……流石にそれは自分で決めた方がいいと思いますけど」

 

 木虎も呆れた様子である。そう言われても、希には選べない。

 諏訪隊は大雑把なイメージがあるが、諏訪と堤の集中砲火による攻撃力は高い。相手を希が抑え込めるならそれを生かすこともできるだろう。笹森についても、彼のカメレオンを生かす戦い方ができる。

 柿崎隊は安全策をとることが多いが、それ故に継戦能力が高い。纏まって戦う事の多いそのスタイルは、希の戦い方を生かすという点でも合致している。

 

「どちらも出木先輩なら対応できそうですし……」

 

 うーん、と唸る綾辻。仕草がいちいち可愛い辺り、ファンが多そうだなとどうでもいいことを希は思った。

 さてどうしたものかと考えていると、来客を知らせるベルが鳴った。嵐山を始め男性陣は部屋を出ているが、彼らはわざわざ入室の許可を得る必要はない。

 誰だろうか、と首を傾げる中で綾辻が対応する。扉を開けると、そこにいたのは来馬辰也――鈴鳴第一部隊の隊長だった。仏と呼ばれる人格者である。

 

「来馬先輩? どうされたんですか?」

 

 流石の綾辻も驚きを隠せないでいる。当の来馬はごめんね、と苦笑しながら言葉を紡いだ。

 

「出木さんがここにいるって聞いてきたんだけど……お邪魔したかな?」

「いえ、大丈夫ですよ。出木先輩ならおられます」

 

 笑顔で対応する綾辻。ボーダー内において来馬を憎く思う者はまずいない。人畜無害な仏を相手にすれば、自然と笑顔になる。

 

「ごめんね、折角の楽しい時間を」

 

 この中では最年長だというのに恐縮しきりな来馬。なんというか、ここまでいくとある意味凄い。

 

「…………お疲れ様です……、私に用とは……?」

 

 希は立ち上がって一礼する。ああごめん、と両手を振って来馬が苦笑した。

 

「楽にしてね? その、さっき聞いたんだけど……出木さんが入隊できる部隊を探してるっていうのは本当かい?」

「…………はい……」

 

 ずっと探していたのだが、誰かに話したことはなかった。だから知られなかったのである。

 

「もしかしたら……いや、多分もう誘いは来てるんだろうけど、うちに来てくれないかな、って思って」

 

 えっ、という言葉が漏れた。来馬はいつもの人のよい笑顔を浮かべたまま、言葉を続ける。

 

「僕たちは支部だから転属することになるけど、出木さんの力は是非欲しい。この間のご飯も楽しかったしね。無理に、とは言えないけど、考えて欲しいな」

 

 そう言うと、来馬はお土産といって綾辻にお菓子の袋を渡して出て行った。想定外の言葉に、希は完全にフリーズする。

 

「鈴鳴第一からもスカウトが来るなんて……」

「……むしろ今まで浮いてたのがおかしいくらいですし」

 

 綾辻の言葉に、木虎が溜息と共に言葉を紡ぐ。だが、希としては状況が更にややこしくなったのと同義である。

 

「…………どうしたら……いいのでしょう……?」

「いえ、ですからそれは自分で考えないと」

 

 木虎の言葉は、割と容赦がない。

 とりあえず、来馬がくれたどら焼きは美味しかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 会議を終えた根付から資料を受け取り、隊室へと向かう途中の嵐山。常日頃から激務といって差し支えない働きをする嵐山准という青年はしかし、嫌がる素振りを微塵も見せない。

 

(しかし、鈴鳴第一も勧誘しに来るとは)

 

 先程、出木の居場所を聞いてきた来馬のことを思い出す。柿崎隊に加え、諏訪隊も欲しがる人材。隊長を務める嵐山自身も欲しいと思える人材だ。欲しがる隊が多いのも道理である。

 だが、だからこそ惜しい。もっと早くにこうなっていてしかるべきだったのだ。彼女がただ、どうしようもなく不器用であっただけで――

 

(……駄目だな。あまり世話を焼き過ぎると出木のためにならない)

 

 彼女自身が前に進まなければならないのだ。そういう意味で、あまり出しゃばるべきではないのだが……何というか、放っておけないのだ。

 出木希という少女は、常に人の意識から外れるような在り方をしている。そのせいで、目を離すと何処かへ消えて行ってしまいそうな危うさがあるのだ。気がつけばいなくなっているような、そんな感覚だ。

 そのせいかつい目で追ってしまう。よくないことだと思いつつ。

 

「お疲れ様です、嵐山さん」

 

 歩いていると、声をかけられた。見れば、そこにいたのは荒船隊隊長、アクション派狙撃手荒船だ。側には穂刈もおり、見たところ訓練後か休憩といったところだろう。確か佐鳥も合同訓練に出ているはずである。

 

「ああ、お疲れ様。二人は訓練か?」

「はい。さっき終わったところです」

「仕事ですか、嵐山さんは」

 

 相変わらずの倒置法で言葉を紡ぐ穂刈に、ん、と頷いて見せる嵐山。とはいえ、今回の仕事はそこまで大変なモノではない。

 

「来月の新人入隊について少しな」

「相変わらず忙しそうですね」

「慣れてしまえばそうでもないさ」

 

 笑って見せる。実際、慣れればどうということはない。隊員たちもいるのだ。見かけほど負担はないのが実情である。

 

「頭が下がりますね」

 

 対し、苦笑する荒船。そして彼は、ふと思い出したように言葉を紡いだ。

 

「そういえば、さっき太一から聞いたんですが出木が上からどこかのチームに入るように言われたというのは本当ですか?」

「ん、ああ本当だ。上からの指示というより、元々出木は所属先を探してたんだ。だがどこからもスカウトが無くて、ずっとソロだっただけだよ」

 

 嵐山にしてみれば改めて確認するようなことではないのだが、二人は驚きの表情を浮かべた。穂刈が思わずといった様子で言葉を紡ぐ。

 

「スカウトを断られたんじゃないんですか、嵐山さんは?」

「俺がか? いや、断る形になったのはむしろこっちだ。木虎と一緒に声をかけたんだが、結局木虎が入隊することになったからな」

「………………!」

 

 驚きの表情を浮かべる荒船と穂刈。あの時の判断については後悔はない。ただ、一度断ってしまった身としては出木にはちゃんとした部隊に入って欲しいという想いがある。

 

「まあ、その出木も柿崎隊と諏訪隊、鈴鳴第一からスカウトを受けている。多分、ようやくどこかに所属できるんじゃないか?」

 

 嬉しいと思う反面、少し寂しく思うのは贅沢なのだろう。彼女に語った、今の嵐山隊に彼女がいれば――その未来を思い描いたことは、決して嘘ではないのだから。

 

「――すみません、嵐山さん。失礼します」

 

 一人内心で複雑な思いを抱いていると、荒船がそんなことを言って頭を下げた。そのまま穂刈と共に慌ただしく立ち去っていく。

 どうしたのだろうかと思ったが、まあ忙しいのだろうと判断した。シーズンも終盤だ。彼らも一つでも上の順位を目指して奮闘している。

 

「さて、俺も隊室に向かおう」

 

 あの少女は、ちゃんと木虎と話せただろうか――そんなお節介な想いが、また浮かぶ。

 心なしか、足取りは軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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