どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第十四話 いと高き月の、恩寵を

 

 いきなりの申し出に、出木希は困惑していた。

 現在、ありがたくも彼女にスカウトを賭けている部隊は柿崎隊、諏訪隊、鈴鳴第一、二宮隊、荒船隊の五つだ。

 正直、一つでも声をかけて貰えるのならと思っていた彼女にとって、この状況はかなり理解不能な状態である。その中でも、二宮隊のスカウトだけは本当に理由がわからなかった。

 学校では同学年でほぼ唯一声をかけてくれるのが犬飼ということから後輩である綾辻はその繋がりだろうと予想していたが、本当のところはわからない。隊長である二宮との交流がほぼないのだから当たり前である。

 その彼から提案された模擬戦。正直勝てる気など微塵もしないのだが、実を言うと断る理由もない。己を鍛えるために戦い続けるのがこの少女である。基本的に戦闘においては来る者拒まずだ。鬼と呼ばれる所以といえた。

 

「…………あ、えっと……」

 

 応じようと口を開く。だが、こちらが口を出す前に横手から東が口を挟んだ。

 

「まあ待て。折角これだけ人数がいるんだ。どうせなら部隊戦をしたらどうだ? 出木の実力を見るのなら、その方がわかり易いぞ」

「……東さん」

 

 かつての隊長であり、戦術の師匠でもある彼には二宮も頭が上がらないらしい。彼の提案に、頷きを返す。

 

「よし、出木もそれでいいか?」

「………………」

 

 頷きを返す。正直なところ、正面から二宮とやり合っても虐殺されるだけなのがわかり切っているのでその方がありがたい。彼の戦闘方法は、はっきり言って希のそれとは相性が抜群に悪いのだ。

 そしてそんな東に、出水が声をかける。

 

「え、東さん混成部隊でやるんですか?」

「ああ。お前たちも参加するか?」

「やりたい!」

「俺も是非」

 

 迅バカと槍バカが即答で承諾する。弾バカもまた一拍遅れて参加の意志を示した。

 

「諏訪たちはどうだ?」

「俺はパスで。酒抜けてねーもんで」

「俺も今回は遠慮しときます」

 

 東の提案に諏訪と柿崎がそれぞれ応じる。じゃあ、と荒船が言葉を紡いだ。

 

「俺は参加します」

「……荒船が出るなら俺も出ようか」

「頑張れ、鋼。僕は見守ってるよ」

「荒船と村上が参加だな。嵐山はどうする?」

「俺でよければ」

「よし。――菊地原、歌川。模擬戦に参加しないか?」

「ええー……。面倒臭いんでパスで」

「おい。……すみません、俺でよければ」

「犬飼と辻も呼んでおきます」

「了解だ。後は、近くに――」

 

 次々と参加が決まっていく。そしてそのほとんどがちゃんと応じる辺り、東の人望がよくわかった。

 呆然とその光景を見守っていると、唐沢が近付いてきた。彼は片手にグラスを持ちつつ、小さく笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

 

「随分と大げさになったな」

「…………はい……」

 

 正直もう二宮の目的は果たせないんじゃないかと思うのだが、その辺りは気にしてはいけないのだろう。多分。きっと。

 

「彼自身、キミのことは認めているんだろう。わざわざ個人戦を理由はあれど申し込むなんて珍しいからね」

 

 そうなのだろうか、と思うと共に、確かに見たことは数えるほどだと思った。希自身が戦ったことは無論ない。

 

「……頑張るといい。俺自身、キミにはこれでも結構期待してるからね」

 

 意味深な言葉を紡ぐ唐沢。その真意を聞く前に。

 どうやら、参加者が決まったようだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 戦闘員の参加者は14人。チーム分けは3、3、4、4の四チームで行われることになった。通常、この規模での混成部隊による模擬戦はそうそう企画されないが、今日はお祭である。場の雰囲気がそうさせた。

 そして余興として、チーム分けはトランプを用いて行なわれる。14人がカードを引き、それぞれのマークで組み合わせが決まるのだ。

 果たして、組み上がったチームは――……

 

 

 ハートチーム……東春秋、出木希、歌川遼、OP三上歌歩

 

 スペードチーム……嵐山准、村上鋼、佐鳥賢、寺島雷蔵、OP綾辻遥

 

ダイヤチーム……二宮匡貴、荒船哲次、緑川駿、古寺章平、OP氷見亜季

 

 クローバーチーム……犬飼澄晴、出水公平、米屋陽介、OP国近柚宇

 

 

 中々に偏った編成――というよりメンバーである。正直、残り二人が集まらなかったのはこのメンバー故と言えるだろう。ぶっちゃけここに参加したいと思う人は多分少ない。

 

「木虎は参加しなかったんだ?」

 

 早速諏訪が音頭をとりトトカルチョが開催されているというカオスな状況。その光景を横目に、ジュースのカップを持った時枝がぼんやりとモニターを見る木虎へとそう問いかけた。木虎は少し考え込むような仕草を見せた後、首を左右に振る。

 

「出木さんとの約束は、こういう形で果たすモノではないと思ったので」

 

 その言葉に、へぇ、と時枝は感嘆に似た吐息を漏らす。

 

(ここまで認めてるんだ)

 

 木虎藍という少女は、強い自尊心とそれを裏付ける修練を積み上げてきた少女である。その言動故に生意気と誤解され、他者を認めることも少ないが認めた相手にはとことん真摯である。その形がどうあれ。

 まあ、出木希は木虎の同期であり、木虎自身は口に出さないがライバル視しているところがある。最近は少し距離があったようだが、それも改善されたと聞いた。ある種、特別な存在なのだろう。

 それもそのはず。出木希という人物は、少なくとも他者から見ればこれでもかというくらいに過酷な鍛錬を己に課している人物だ。毎日のように誰かと斬り結び、己を鍛え上げる姿は一種の狂気すら感じるほどである。……真実はただ余計なことを考えないようにするために何かに没頭しているだけであり、それが本であるか模擬戦であるか訓練であるかなだけだが。誤解というのはこうして生まれる。

 

「その木虎から見て、どこが勝つと思う?」

 

 オッズによると、大本命は二宮率いるダイヤチームだ。まあ恐ろしいことに参加者が全員マスタークラスの一流隊員たちである。どこが勝ってもおかしくはないが。

 

「やっぱりダイヤチームじゃないですか? 人数が多いのは、やっぱり正義です」

「へぇ……出木さんは?」

「……厳しいと思います。当たり方次第だと思いますけど」

 

 メンバーがメンバーである。混成部隊である以上、緻密な連携も取り難いとなればより勝敗は読み難い。

 妥当な評価だ、と思った時枝は、木虎のポケットから覗く一枚の紙を見つける。

 ――ハート。

 そこには、確かにそう書かれていた。

 

「勝つといいね」

「少なくとも、粘ってもらわないと困ります。……私たちと同じステージに上がると、約束したんですから」

 

 いつも通りの、少し厳しい憎まれ口。

 そこに込められているのであろう彼女の想いを感じ取り、時枝は微笑んだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 対戦ブース内。開始前の短い作戦会議の為に集まった中で、大穴とされるクローバーチームはそのオッズを見て唸っていた。

 

「予想通りといえば予想通りだけど、なんか悔しいなー」

「まあ、ニノさんのとこが本命なのはわかるけど」

 

 手を頭の後ろで組んで言う米屋の言葉に、出水も笑いながら応じる。人気の理由は割と単純だ。まず数が多い方が有利であることは明白であり、更にクローバーには隊長がいない。要するに指揮官が不在なのである。

 

「実際どうする? 誰が指揮しようか?」

「犬飼先輩か柚宇さんでいいんじゃないですか?」

「俺もそれで問題ないっす」

 

 犬飼の問いかけに、軽い調子で応じる出水と米屋。おっ、と国近が声を上げた。

 

「じゃあ、私が指揮するよ~」

「お願いします柚宇さん隊長」

「国近隊長指示をお願いします」

「隊長~」

 

 空気は完全に弛緩している。国近は任せなさい、と胸を張った。

 

「とりあえず、目の前の敵を倒していく感じで」

「いやゲームじゃないんですから」

 

 作戦でも何でもなかった。まあ仕方がないといえば仕方がないのだが。

 

「でも実際、当たってみないとわからないからなー」

 

 犬飼が笑う。この四人がその戦力で他のチームに引けを取らないのに大穴とされる理由がこれである。ぶっちゃけてしまうと、勝敗より楽しむことを間違いなく優先するのだ。

 

「とりあえずアレじゃないですか? そこの弾バカの援護貰って、引っ掻き回しまくって浮いたとこから俺と犬飼先輩で狩る、みたいな」

「誰が弾バカだ槍バカ。後ろから蜂の巣にするぞ」

 

 軽口を言い合うが、実際それくらいしか案は浮かばない。それでいこうか、と犬飼が言葉を紡いだ。

 

「後はまあ、隊長の指示で臨機応変に」

「結局それすか」

「ふふ~、真にできる人間は指示を出される前に動くんだよ~?」

「それ指示なしってことですよね?」

 

 終始軽い調子で進んでいく事前会議。他のチームに比べるとあまりにも呑気だが、メンバーがメンバーである。実際、細かい策を練るよりもその場で対応した方が動けるし、戦えることを知っていた。だからこその作戦なしである。

 しばらくして、開始の合図が鳴り。

 ――激戦の火蓋が、切って落とされた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 戦闘、開始。

 それと共に希が放り出されたのは、鬱陶しい雨の降る戦場だった。戦闘区域は市街地で、風はない。いくつか高いビルがあるが、特に特筆すべき点はない。降りしきる雨は視界を奪うというほどではなく、しかし、肌を濡らすそれは鬱陶しい。風はないため狙撃には問題ないだろう。狙撃の苦手な希としては勘弁して欲しいところであったが。

 マップ設定は完全にランダムであった為何が来るかは不安だったが、これなら問題ない。今回の希の役割は主に『囮』である。ある意味彼女に最適な役割といえた。

 

(……近くに一人……バッグワームは無し……)

 

 開始直後、レーダーの光点はいくつも一瞬で消えた。バッグワームだろう。東と歌川も希には位置が視えているが、他の者にはわからないはずだ。

 ちなみに希は基本的にバッグワームを使用しない。それは彼女が個人戦をメインとしているためであり、部隊戦に定期的に参加することがなかったためである。混成部隊においては専ら最前線で耐えるという囮の役割を果たすので、姿を消す手段は選ばれなかったのだ。

 ……まあ、彼女の特性上レーダーから消えたところでだからどうしたとなるのだが。

 

(……バッグワームがないということは……攻撃手、もしくは射手、銃手……)

 

 相手もこちらへ向ってきている。ハートチームの基本方針は相手を引き付け、それを東か歌川が刈り取るというものだ。サポート側の三人ならではの策である。

 一戸建ての住宅を挟んだ向こう側。このままいけば、角のところで鉢合わせになる――そう、誰もが思った瞬間。

 

 轟音と閃光が、希の視界を覆い尽くした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 どこが最初に激突するかに誰もが注目する中、第一射を放ったのは総合№2の怪物、二宮匡貴だ。狙われたのは復讐者――出木希。

 

「おおっと!! いきなりの一撃!! 出木隊員が飲み込まれた!?」

 

 即席だというのに実況を買って出る者がおり、更に席が用意されるあたり大分ボーダーも毒されている。勿論、実況するのは海老名隊オペレーターにしてランク戦実況のパイオニア、武富桜子である。

 

「家ごとぶち抜きかよ。えげつねー」

「流石の火力だな」

 

 そして解説席に座るのは諏訪と冬島である。二人共二十代、それも前半である。なのに酒の入ったグラスとつまみを用意した解説は、居酒屋のおっさん解説にしか見えなかった。

 

「おおっと! 更に追撃! 煙で見えない中でレーダーを頼りにアステロイドの嵐です!!」

「数が多いからな。一人に時間をかけてられん。だが……相手がな」

 

 武富の実況に、酒を煽りながら言う冬島。どういうことです、と武富が解説の二人へ話を振ると、諏訪が言葉を紡いだ。

 

「出木は今まで部隊にこそ入らなかったが、誘えば混成部隊には必ずってほど参加してたんだよ。で、少なくとも俺が見た中でアイツが初撃で沈んだことは一度もない」

「どういうことですか?」

「出水や那須、犬飼なんかがほとんど不意打ちで弾幕張っても、出木は初撃を防ぎ切ってる。予想してんのかどうかわかんねぇが、簡単に沈むとこはまず見たことねぇ」

「俺も何回か見たが、多分アレはわざとそうしてるな。狙撃の射線は切った上で、敢えて身を晒して初撃を誘う。それを防ぎ切って、無理矢理自分の土俵に引きずり込む。理に適ってはいるが……」

 

 歓声が上がる。モニターの端、そこで、画面の端を走る少女の姿があった。

 両の手にレイガストの盾を構え、足は止めぬとばかりに走り抜ける少女。それは間違いなく、出木希の姿。しかも恐ろしいことに、そのトリオン体にダメージは通っていなかった。

 

「何と無傷! 無傷です! あの嵐を凌ぎ切りました!」

「アレ二宮ブチギレてるだろ。表情変わってねぇけど」

「といっても、アレは出木が上手かったな。即座にスラスターで移動して、二宮のアステロイドには掠る程度だった」

 

 それはそれで恐ろしい判断力である。不意打ちに近い全力の爆撃を前にして、足を止めずその場から移動することを選択したのだ。人は驚けば誰しも硬直する。わかっていてもなかなか動けないモノだが、あの少女はそれをやってのけた。

 

「まあ、そこはなぁ。出水の奴もよくやってるしよ。不意打ちの爆撃は」

「成程……しかし、出木隊員は近付けません。足を止めてこそいないようですが……」

「ふむ。ただ、指揮官が東さんだからな。――何をしてくる?」

 

 そして、その二人の激突を中心に、他の場所でも戦闘が始まる。

 戦いは、始まったばかりだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 正直な話、そこまで期待はしていなかった。

 マスタークラスの実力者とはいえ、ずっとどこの隊からも声をかけられなかった者である。その理由も大概だが――二宮が聞いたところによると、上層部からの命令でどこかに所属することを決めたらしい。それまではどこにも所属する気はなかったとか――第一、まともに部隊行動をしていない者が使えるのか、と思っていた。

 犬飼が推してきたため許可は出したが、すでに自身のスカウトと会わせて五部隊からのスカウトが来ていると聞き、本気で驚いた。そして三輪秀次に確認したところ、『使える』という。彼の評価ならば、成程嘘ではないのだろうと納得した。

 だからこそ、実力を確かめようとは思っていた。どこかのタイミングで、と。それこそ入隊を希望してきた時にでもと。

 だが、先程。その凄まじいサイドエフェクトを見せつけられた。

 ならば、と。実力を確かめたくなるのも自然の流れである。

 

『二宮さん、加勢しますか?』

 

 通信を飛ばしてきたのは荒船だ。彼に対し、いや、と二宮は応じる。

 

『お前たちは他の連中をやれ。緑川を中心に、確実にだ。一対一の状況は絶対に避けろ』

『了解っ。けど、誰からやればいいの?』

『位置が近いところからだ。ただ、東さんと佐鳥の狙撃には注意しろ』

『了解』

『俺は出木をやる。三人のサポートをしろ』

『了解』

 

 緑川に続き、古寺と氷見の返事が届く。いつもと勝手が違うのが、少し収まりが悪かった。

 

『確実にやれば勝てる戦いだ。――荒船、指揮は任せる。それぞれの役目を遂行しろ』

『『『了解』』』

 

 そして、眼前の敵へとハウンドの嵐を叩き込む。だが、足を止めない少女はハウンドの有効半径を見きるようにして移動し、こちらへと突進してきた。

 

「アステロイド」

 

 だが、二宮は冷静に対処する。変わらず両手はポケットへと入ったままだ。このまま盾を前に出して突進してくるだけなら、削り倒せると判断する。

 射手と銃手の弾丸は攻撃手のそれに比べて威力が低く、故にシールドを破るとなれば数を叩き込む必要があり、豊富なトリオン量を持つ二宮でさえそれは変わらない。だが、彼我の距離と今までの経験で彼は判断した。事実、生半可な盾では彼の弾丸は防ぎ切れない。

 ――しかし、その目論見は外れることになる。

 

「――――!」

 

 スラスター。レイガストのオプションにより、少女の姿が一気に迫りくる。

 

「ちっ――」

 

 無論、想定していなかったわけではない。だが、まさか。両の盾を噛み合わせるようにして構え、同時に二つのスラスターを起動し、更にそれを完全に制御するとなると想定外だ。スラスターはその威力故に扱いきるのが難しい。だというのに、こうも完全に制御するとは。

 だが、二宮も黙ってはいない。身を翻し、位置を移動。迎え撃つ弾丸の数を増やす。

 こちらへ向ってくるはず――その予測の下、近距離からの迎撃を狙う。

 ――だが、再び少女はこちらの予想を無視してきた。

 あの動きから察するに、スラスターの扱いはかなりのものだろう。故に方向転換くらいは容易いと思ったのだが、あろうことか少女は更に速度を上げ、家屋へと飛び込んだのだ。

 激しい音を立て、建物の中に姿を隠す出木。その行動に一瞬呆気にとられたのが致命の隙だ。その姿を見失う。

 

「メテオラ」

 

 家ごと吹き飛ばすつもりで放った炸裂弾が、絨毯爆撃の如く周囲を吹き飛ばす。しかし、少女の姿はない。僅かに見えた姿からするに、『追える』距離を逃げているのだろう。

 

(……誘いのつもりか?)

 

 バッグワームも使わず――彼は知らないが、単にセットしていないだけである――こちらに身を晒す。誘っているのが丸わかりだ。その上、向こうの指揮官はあの東春秋である。十中八九、何かが仕掛けられている。

 

(だが、受けない理由もない)

 

 一連の攻防において、二宮は確信していた。アレは早いうちに討ち取っておくべき駒だ。未だまともなダメージが通っていない防御力は成程、ある種異様と言える。

 なればこそ、ここで狩っておく必要があった。変わらず両の手をポケットに入れ、悠然と歩き出す。

 厄介なのは東春秋だけではない。隠密戦闘に長けた歌川遼についても注意を払う必要がある。あまりのめり込み過ぎると、その隙に首を狩られる危険性があった。

 厄介だ、と呟き、二宮は歩を進める。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 眼下で行われている戦闘の様子を、歌川遼はできるだけ身を晒さぬようにしながら眺めていた。彼がいるのはマンションの一室、そのベランダだ。バッグワームを纏い、気配を消し、ひたすら隠密行動に集中している。

 

『そっちはどうだ?』

『はい。村上先輩を相手に緑川と荒船先輩が二人がかりで対応しています。今のところ互角に見えますね』

『そうか。そっちはおそらくしばらく膠着状態だろう。狙撃手の姿は確認できたか?』

『いくつかポイントは見ましたが、今のところは。……次のポイントへ移動します』

『こっちにはすぐ急行できるようにしておいてくれ。最初に崩れるのはおそらくここだ』

 

 東の言うこっち、とは一人であの二宮匡貴と戦う少女のことではない。作戦のことは理解しつつも、どうしても歌川は思ってしまう。

 

『やはり、援護に向かわなくていいのでしょうか?』

『援護に向かっても、最悪狙撃でお前が狩られる可能性がある。出木なら持ちこたえる。大丈夫だ』

 

 とんでもない信頼である。彼女の防御力を身を持って知る歌川だが、どうしても完全に信頼しきることができないでいた。相手はあの二宮だ。正面からやり合っても勝算はない。

 元々歌川たちハートチームはメンバーからして攻撃力が不足しており、打って出るということが難しかった。基本的な作戦では出木がその防御力で相手を釣り出し、そこを歌川のカメレオンによる斬撃と東の狙撃で刈り取るというのが基本的な方針だったのだ。

 しかし、最初の転送位置が悪過ぎた。二人は出木からかなり遠い地に飛ばされ、その上彼女の側には二宮である。歌川は即座に援護に向かおうとしたが、それを東が押し止めた。

 

〝耐えられるか?〟

 

 彼の、出木に対する質問はそれだけだった。初撃の嵐を防いだ彼女はその問いに、一言で応じる。

 

〝…………耐える、だけならば……〟

 

 倒せと言われると不可能だが、耐えるだけなら勝算がある。彼女はそう言った。

 それは出木希自身は理解していなかったが、『自信』と『自負』と呼ばれるものに相違ない。

 

「…………」

 

 息を殺し、歌川は待ち続ける。

 勝負の時を。暗殺者のように、ただ。

 

『――動いたな。場所は……そっちか。確実に仕留めるぞ』

 

 その時が来た。その言葉に短い言葉で応じ、歌川も動き出す。

 マップに映る二つの点――出木と二宮が、徐々にこちらへ向かっている。

 

 勝負は一瞬。ミスは許されない。

 知らず、その手に力がこもる。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 戦闘が行われている場所は三つだ。一つは二宮と出木の、見た目には一方的な戦闘。二つ目は、村上と緑川、荒船の二対一の戦闘。マスタークラスを二人相手に曲がりなりにも均衡状態を保つ辺り、流石の№4攻撃手である。そして三つ目が、嵐山、寺島と米屋、出水の戦闘である。攻撃手二人と射撃手二人。こちらもわかり易く均衡している。

 犬飼は古寺の対処に向かっている。戦闘時に出水が釣り出したのを仕留めに行く動きだ。荒船が『抜いて』いる以上、古寺を落とすことは最優先事項である。

 そんな三か所の激戦は戦力の拮抗故か大きな動きはない。しかし、何人かは気付いている。三つの戦場が、もうすぐ二つになる。そしてその時が、戦況が大きく変わる時である、と。

 

「……凄いですね」

 

 ポツリと、そんなことを呟いたのはボーダー内においてかの綾辻遥と人気を二分する病弱系美少女那須玲だ。彼女の言葉は未だ無傷のままに戦場を駆け巡り、二宮匡貴と相対する少女へと向けられている。

 

「状況が味方しているもの。多分だけど、東さんが仕組んだんでしょうね」

 

 怖いわねー、と他人事のように言うのはセレブ風自由人加古望である。彼女の視線もまた、出木へと向けられている。

 

「状況、ですか? ただ出木さんが凄いだけだと思いましたけど……」

 

 黒江双葉が疑問を口にする。凄い光景だが、それは彼女の実力あってのこと。一対一の戦闘である以上、他に要素はないように彼女には思えたのだ。

 

「流石にあの子でも、一対一で正面から二宮くんの全力は防ぎ切れないわ。普通、射手というのは点数が獲り辛いポジションよ。その特性上どうしても攻撃力が下がっちゃうからなんだけど、那須ちゃんは知ってるわよね?」

「はい。だから当てるための工夫が必要ですね」

 

 その工夫の形は様々だが、那須の場合は〝鳥籠〟とまで評されるリアルタイムの軌道設定によるバイパーがその手段だ。相手との読み合いにより、動きを読んで叩き込む。

 だが、どうしても一発では倒せないため必然弾数が多くなる。出水もそうだが、弾丸の数が多いのは決して意味がないわけではないのだ。まあそのせいで『弾バカ』などと呼ばれるわけだが。

 

「二宮くんの場合、那須ちゃんや出水くんみたいにリアルタイムのバイパーとはいかないけど、その圧倒的な弾幕があるわ。アレに晒されたら流石に耐えられないし、合成弾なんて使われたら防ぐことも難しい」

 

 おそらく、出木の盾ごと吹き飛ばすだろう。彼女の戦闘は『盾で防ぐ』という前提の下成り立つ戦い方だ。それが頼りなくなれば、一気に均衡が崩れる。

 

「では、何故二宮さんはそれをしないんですか?」

「しない、ではなくできない、ね。合成弾は強力だけど、その分作る時の隙が大きいわ。そして二宮くんには、見えていない駒が二つある」

「東さんと歌川くんですね」

 

 那須が頷く。こうしてモニターを見ている自分達はともかく、開始時よりバッグワームを纏い、そこから二人は一切レーダーに姿を見せず、その上肉眼による視認もされていない。それが彼の手を狭めている。

 

「合成弾を作る隙に狙撃、或いは歌川くんの暗殺。流石の二宮くんも、二つを同時に防ぐのは不可能よ」

 

 彼が出木を押し切れていないのはそれが理由だ。付き合いの長い加古にはわかるが、アレは相当イラついている。

 

「東さんを知ってるからでしょうね」

「ええ。――二人はあの子の近くにはいないのに、ね」

 

 そう、異様なのはそれだ。

 あの状況、どう考えても出木は囮であり、東と歌川が狩る役だ。だが二人はとても援護に向かえるような位置にはいない。まるで無視するかのように。

 

「二宮くんもそう読んでるはずよ。さっきからさりげなく隙を見せて誘ってるし。……まあ、そのせいで攻め切れていないんだけど」

 

 折角の誘いも、相手がそもそも存在しないのでは意味がない。そしてその隙が出木の逃げる時間を稼ぐ。どうにもままならない状態である。

 

「確かに時間をかければ倒せるかもしれないけど、その時に他で大勢が決まっていたら無意味。だから誘いをかけてたけど、相手は乗ってこない。なら、今度は確実に倒せる場所に誘導するしかないわ」

 

 徐々にだが、二人の戦闘エリアが移動している。それが向かう先は村上と荒船、緑川が戦う場所だ。二宮にとっては味方が二人おり、出木にとっては敵が三人いる場所。

 だがそこには、姿なき狙撃手と暗殺者もまた、控えている。

 

「――来た」

 

 轟音と共に、吹き飛ばされるように少女がその戦場へと足を踏み入れた。

 戦況が、動く――

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 実力差があることは理解していたが、認識が甘かった、と希は思った。

 最初の奇襲は最悪の事態を想定していたためにどうにか防げた。ただ、目の前にいたのはその最悪の事態であったわけだが。

 

(……近寄ることができない……)

 

 最大の問題はそこであった。二宮匡貴――彼のその圧倒的な弾幕は、こちらに近付くことさえも許しはしなかった。身を晒して誘うように動いている、と外の観客が評価する希の動きはただ単に、身を隠す余裕がないだけである。

 だが、これが己の役目だと希は自身に言い聞かせる。東は耐えろといった。だから耐える。心が折れるまで、この身体が破壊されるまで、ただただ耐え続ける。

 最初の接触でその実力差は理解した。打倒は不可能だ。ならば、己を布石にするだけである。

 

「――――!」

 

 爆風を受け止めるように盾をかざし、希は後方へと吹き飛ぶように移動する。変わらずトリオン体にダメージはないが、この身体にダメージが入った瞬間こそが敗北の時だと希は理解していた。

 ――着地。同時、視線を巡らせる。数歩踏み込んだ先に人影が三つ。村上、荒船、緑川。

 そして、眼前には変わらず両の手をポケットに入れ、こちらを見据える怪物の姿。

 

「アステロイド」

 

 そして、それが合図となった。放たれる弾丸を避けようと地面を蹴ろうとする希はしかし、煌めく白刃によって止まることを余儀なくされる。盾で防いだその斬撃の主は荒船だ。

 右手方向より飛来する弾丸。そこにシールドを張ろうとして、気付く。背後。こちらを狙う小柄な影。

 三方向の挟撃。必死の状況。しかし、緑川の体が横手より殴り飛ばされたように吹き飛ぶ。

 村上だ。今回の彼と希は別チームだが、今の状況においては協力するのが吉と判断したのだろう。事実、ここで希が落ちれば次に狙われるのは彼である。

 シールドを張り、アステロイドを受ける構え。だが、足を止めていたら追撃が来る。しかし、眼前には荒船。背後には村上と緑川。そして横手への移動は二宮の的。

 

「スラスター、オン」

 

 故に、少女は前を選択する。

 踏ん張ろうとする荒船を引きずるように前進。そしてそのまま、全力で地面を蹴った。

 宙に浮く体。眼前、こちらを見上げる荒船と視線が合う。数瞬前に自分がいた場所を、弾丸の嵐が駆け抜けた。

 音が響くその最中、レイガストを強く握る。狙うは力技による上段からの振り降ろし。隙は僅かだ。二宮が次の射を放つ前に、荒船を叩くと決める。

 だが、その目論見は外された。

 

「――よくやった、古寺」

 

 狙撃。駆け抜けた弾丸が、こちらの身を弾くように左腕へと着弾した。バランスを崩し、空中で不格好に回転する。

 同時、ベイルアウトの音が聞こえた。主はおそらく古寺。今の一撃は、捨て身の一撃だったのだろう。

 マズい、と脳内に警鐘が鳴り響く。こちらは空中、それもバランスを崩し、未だ制御が取れていない。そして視界の端には、こちらを見据える射手の姿。

 

「ハウンド」

 

 確実にこちらを喰らう気か。追尾の弾丸が駆け抜けた。頭と心臓を守るように盾を構えるが、フルアタックの嵐は防ぎ切れない。足を削られ、体を削られ。トリオンが大量に漏出する。

 しかし――未だ、少女は沈まない。

 左腕を失い、右足を吹き飛ばされ、左足を削られ。弾丸の衝撃でより高く撃ち上げられながら。

 ――それでも尚、屈することなくこちらを狙う射手へと視線を向ける。

 

「アステロイド+アステロイド」

 

 その姿を見て何を思ったか。遂にポケットから射手は両手を出した。紡がれるは合成弾。放たれれば、それを防ぐ術はない。

 生じた隙を衝かんと村上が踏み込むが、緑川と荒船がそれを阻んだ。そして、その弾丸が完成する。

 

「ギムレット」

 

 盾で防ぐ術の無い、強力無比な鉄甲弾。それが放たれる、その瞬間に。

 

「――――――」

 

 アイビスの弾丸が、駆け抜けた。予測されていた、隙を穿つための弾丸。正確無比な射撃が射手を狙うが、しかし、その射線上に人影が割って入る。

 

「ぐっ――」

 

 荒船哲次。己を盾とするように、彼は東春秋の弾丸を防ぎ切った。しかし、集中シールドを貫く一撃により、その左腕が破壊される。

 だが、代わりに彼は己の隊長を守った。そして放たれる鉄甲弾。誰もが確信した。東春秋の策は、失敗したと。

 ――しかし、その場の誰もが、彼の存在を忘れていた。

 もしも、この戦いが混成部隊のモノではなく、正規のものであったなら。もしくは、一度でも彼がどこかで刃を振るっていたならば。一時とはいえ忘れることはなかっただろう。

 だが彼は、この瞬間の為だけに――己の姿を、隠し続けた。

 

「――任務、完了」

 

 大気を震わすその音の主は、暗殺者。

 ――歌川、遼。

 カメレオンで姿を消した彼は、背後から確実に目標の心臓を捉えていた。

 

 全ては、この瞬間への布石。

 出木希を倒し切るには、隙のある合成弾を使うしかない。だがその隙をカバーする必要がある。――故に、彼は味方のいる場所へと彼女を誘導した。

 確実に当てるには、動けぬ状況を作るしかない。幸い狙撃手はこちらを狙える位置にいた。しかし、彼の生存は長くない。故に狙撃手の駒一つを代償に、確実に殺せる手段を構築。――これにより、遂にその鉄壁が崩れ去る。

 そして仕上げだ。弾幕で動きを止め、確実にとどめを刺す。実にシンプルで、わかり易い狙い。――故に、読まれた。正攻法であるが故に、読み切られてしまった。

 

『戦闘体、活動限界』

 

 胸を貫かれると同時に、少女もまた、弾丸で撃ち抜かれた。

 二つの駒が、戦場より退場する。

 

 ――出木希。獲得ポイント、0。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 あの後、結局勝利したのはクローバーチームという大番狂わせが起こった。二宮に続いて荒船が落ち、東を獲りに行った緑川も歌川と東の連携の前に敗れ、スペードチームが瓦解。三つ巴となり、そしてその後、数人が落ち――点数で僅かに彼らが上回った。

 その後も色々と一悶着あったのだが、まあ置いておこう。

 時間は深夜に差し掛かり、パーティーも随分落ち着いてきた。自宅に帰る者、ソファーや隊室で寝る者、成年組を中心に――何故か出来上がった鬼怒田も混じっている――盛り上がる者たち。

 こうなってくると秩序はもうない。生来の面倒見の良さでせわしなく動き回っていた嵐山は、ふとその光景の中にある少女がいないことに気付いた。帰ったのかと思ったが、先程まで彼は帰宅組の見送りをしていた側である。その時には見かけなかった。

 ならばどこにいるのか――そう思った時、ふと、その場所が思い浮かんだ。

 何故かはわからない。いつもの休憩所とはまた別。そこにいると、思ったのだ。

 

 

 …………。

 ……………………。

 …………………………。

 

 

 雲の切れ目から覗く月は、実に美しい。屋上に辿り着いた嵐山は、そんなことを思った。

 ずっと降っていた雨も今は止み、星こそ見えないが月は美しく輝いている。そしてそんな月を見上げるようにして、その少女はそこにいた。

 

「こんなところにいたのか」

 

 呼びかけると、少女はゆっくりと振り返る。その両手で大切そうに一つのハーモニカを抱えたその姿は、幻想的ですらあった。

 以前、聞いたことがある。あれは弟からの――家族からの贈り物であり、第一次近界民侵攻によって多くを奪われた彼女が持ち出すことのできた、数少ない形見の品であるのだと。

 

「…………夜空を見るのが、好きだったので……」

 

 誰が、という問いかけは無粋だろう。彼女の――もうここにはいない、大切な家族だ。

 彼女がハーモニカを常に持ち歩き、大切にしているのは嵐山も知っている。だが、その演奏を聞いたことは一度もない。

 だから、だろう。ふと思いついたように、彼は言った。

 

「よかったら、聞かせてくれないか?」

 

 いつもなら、断られたことだろう。実際に、一度断られている。

 曰く、彼女の芸術はデータベースから引っ張ってくるだけのモノ。そこに創造性はなく、演奏では無く再生に近いのだとか。だから綾辻の芸術を評価したのだが、そこは少し置いておこう。

 

「…………お耳汚しと、なりますが……」

 

 だから、その解答は驚いた。少女は一礼すると、静かに音を奏で始める。

 

 

 それは物哀しく――しかし、願いを込めた曲。

 夜空に浮かぶ星々へ、想いを届ける調べ。

 

 

 聴衆は、たった一人。

 それがどうにもむず痒く……けれど、悪い気はしなかった。

 

「…………ありがとう、ございました……」

 

 少女の一礼で、嵐山は我に返った。慌てるように拍手を返す。

 

「いや……凄いな。良い演奏だったよ」

「…………ただ、楽譜通りに再生するだけで……、演奏とは、とても……」

 

 少女は首を振る。だが、あの調べには確かに想いが込められていた。

 深く、重く――大切な、想いが。

 

「そんなことはないだろう。……伝わってきたよ。優しい音色だった」

 

 少女が驚いた表情を浮かべたが、本心だ。彼女の優しさと不器用さが込められた音色だったように思う。

 少し照れたように少女は微笑み、再び月を見上げた。そして、独白のように言葉を紡ぐ。

 

「…………今日は、とても……とても、楽しくて……あんな風に過ごすのは、初めてで……」

 

 それは誇張でも何でもない、事実であるのだろう。今日の少女は全てに驚き、けれど、確かに楽しそうに過ごしていた。

 笑って――いた。

 微笑んで、くれていたから。

 

「それなら、良かった」

 

 彼女の隣に並び、月を見上げる。

 僅かに雲に隠れているのが、少し残念だった。

 

「弟さんのことを、聞いてもいいか?」

 

 開放的な気分になっていたのだろう。つい、そんな言葉が零れた。

 嵐山自身、大切な弟と妹がいる。彼らを失うことは考えることすらできず、もしそうなったら立ち上がることもできないだろうとさえ思えるくらいだ。

 だから、かもしれない。

 こんなことを、聞いたのは。

 

「…………少し、変わっていると……そう、言われていましたが……、明るい、自慢の弟で……」

 

 語る彼女は、誇らしげで、寂しげで。

 今にも、壊れそうだった。

 

「…………月と星が好きなのだと……そう、言っていました……、友人のいない私を……いつも、気にかけてくれていて……」

 

 ――大切な、家族です。

 

 彼女は、そう、呟くように言葉を紡いだ。そこから先は、語ろうとしない。きっと、彼女の中でまだあの日の悲劇は終わっていないのだ。全てを失った記憶は、変わらず刻みつけられているのだろう。忘れる事の出来ない力は、悲劇を置き去りにすることさえも許さない。

 だった、ではないところに、彼女の想いが込められている。

 

「きっと、忘れる必要なんてない」

 

 陳腐なことしか言えない己が。

 何もできない自分が、これほどまでに情けないと思うのは。

 

「見守ってくれてる」

 

 初めて、だった。

 

「…………はい……」

 

 その表情を見ることは、できなかった。

 ぼんやりと、月を眺める。徐々に雲が走り出し、その輝きが覆われて行く。

 また雨が来るのだろうか、とそんなことを思った時。

 

 

 

「――月が、綺麗ですね」

 

 

 

 時が、止まった。

 月は雲の中に隠れ、その輝きは失われた。しかし、少女はそう言った。

 その言葉の真意を、問おうとして。

 けれど――できなかった。

 

 どれぐらい、そうしていたのか。

 ポツリと、頬に雫が当たる。

 

「…………雨、ですね……」

「……そうだな、戻ろうか」

 

 きっと、これで良いのだろうと思った。

 隣に並んで歩き出し、室内へと足を運ぶ。

 ――会場に戻ると、出来上がった者たちに絡まれた。そのせいで、結局その真意が聞けずじまいだ。

 

 彼女はただ、月を評しただけかもしれない。

 けれど、違うかもしれない。もしかしたら、彼女は――……

 

 

 この時、問わないことを選んだ己を。

 ――嵐山准は、深く後悔することになる。

 

 

 

 

 

 

















・出木優
 享年 13歳

 出木希の一つ下の弟であり、生きていれば米谷や出水と同学年になったであろう少年。希にとっては心の支えであり、数少ない味方であった。
 そのサイドエフェクトと本人の性格も相まっていわゆる『勉強』において優秀な成績を残していた姉とは違い、割とアホの子であった。ただその性格と運動神経の良さから友人は多く、いい意味で姉とは正反対だったらしい。
 姉弟仲は良好で、世間一般でよく言われる弟の奴隷化というようなものは一切なかった。むしろ引きこもり一歩手前の姉を連れ出していたらしい。その仲の良さは有名で、希が孤立こそしていたものの、逆に孤立で済んでいたのは彼の存在があったからといえる。割とどころか結構なシスコン。姉も割とブラコン気質があるのでどっちもどっちな気はするが。
 ……と、ここまでは普通のよくできた弟であるが、彼もまた思春期の男子であり、この年齢の男子特有の病気にもかかっていた疑いが強い。星や月が好きだと言い出したり姉の誕生日にハーモニカを提案するなど、その辺は多分役満。ただ冥王星は太陽系で一番大きな惑星では決してない。

 大切な家族であったことには間違いがなく、彼の死は深い傷として少女の心に刻まれている。
〝死にたくない〟という言葉は、今なお少女を責め立てるように彼女の脳裏で繰り返される。


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