三門市内に存在するボーダーの支部はいくつかあり、その規模も様々だ。
一番有名なのは『最強の部隊』を擁し、更に〝未来視〟という破格のサイドエフェクトを持つ迅悠一が所属する玉狛支部だろう。ここには何かと話題が多く、近界民のエンジニアの存在やボーダー唯一の完璧万能手、個人で部隊相当に扱われる№3攻撃手や、ボーダー内人気トップクラスのイケメンなど盛りだくさんである。
それに比べると、鈴鳴支部はどうしても地味な印象がある。しかし、隊長である来馬は仏と呼ばれるほどの菩薩メンタルで多くの隊員に慕われる人物であり、№4攻撃手の村上やOPの今なども非常に優秀だ。
約一名、やることがどうにも悪い方向にばかり行く強者がいるが……まあ、本人に悪気はない。熱帯魚全滅したけど。
そしてその鈴鳴支部に、新たに一人の隊員が入隊したのだが――
「ご、ごめんね出木さん。歓迎するって言ってたのにいきなりこんなことになって……」
「…………いえ……私も、ここの隊員になるので……」
申し訳なさそうに言う鈴鳴第一の隊長――来馬辰也にそう応じつつ、出木希は手慣れた速さでキーボードを叩いていた。普段作戦会議で使うという部屋の机には多くの資料が広げられ、向かい側では同じように今結花がキーボードを叩いている。
また、離れた場所ではぶちまけられ、ぐちゃぐちゃになってしまった書類を泣きながら別役太一が片付けており、それを慰めながら村上鋼が手伝っている。
「ごべんなざい~」
「泣き止め太一。怪我がなかったなら何よりだ。……PCとUSBは吹っ飛んだが」
「それフォローになってるかな……?」
壊れた玩具になったのかというくらいに泣く別役。事の発端は約三十分前である。
正式な入隊はまだなのだが――この辺本当に面倒である――今日、希は鈴鳴の支部に訪れていた。部屋を用意したと言われ驚きつつ支部の案内や支部長への挨拶などをしていたのだが、そこで事件が発生。昼食にとカップ麺を用意していた太一がお湯の入った状態のそれをぶちまけたのである。
正直な話、ぶちまけること自体は割といつものことである(それはそれでどうかと思うが)。ただ、今回は場所があまりにも悪かった。
「出木さん、後どれくらい?」
「…………今、12枚目です……」
「それなら何とか終わりそうね。ごめんなさい本当に」
「…………いえ……」
その佇まいから落ち着いた印象を受ける今も、珍しく焦った調子である。実を言うと、今回別役が破壊したのは今日提出するはずの定期報告書だったのだ。
希を除く隊員4人の報告書の最終チェックを今がしていたのだが、そこへお湯の注がれたカップ麺が直撃。盛大にお湯を浴びたPCのデータが吹き飛び、乾かさないヤバいと焦った別役がPCに手を伸ばしたところで足を滑らせ、USBを粉砕した。
その一連の流れを見た全員がフリーズ。文字通り世界が止まる。
ただ、幸いというべきか紙媒体でのプリントアウトはされており――お湯を浴びて大変なことになっているが――一からというわけではない。だが、こんな事情で提出を後回しにするというわけにもいかず、急遽入力のやり直しを行っているのである。
「……出木先輩が来てくれたのに……ごべんなざい……」
「…………大丈夫、です……」
言いつつも、その手は止まらない。何より希は最初にお湯に塗れた報告書を見てから、一度も確認していないのだ。
〝瞬間完全記憶〟――そのサイドエフェクトは、こういう時に真価を発揮する。
来馬は恐縮しきりだが、これぐらい何ともないと希は思う。これよりも小学校の頃、弟の読書感想文を手伝った時の方が大変だった。あの時、なぜ弟はドラゴンボールの感想文でいけると思ったのだろうか。推薦図書どころか小説ですらない。
「………………」
打ち終えると共に、文章を確認する。タイプミスを数件発見し、修正。そうしてコピーの準備をしていると、今が大きく息を吐いた。
「終わったわ……」
「…………こちらも、どうにか……」
二人して息を吐くと、来馬と村上がホッとした表情を浮かべた。別役は土下座している。
「あ、ありがどうございます~!」
「いつも言ってるように、もうちょっと落ち着きなさい」
説教モードに入る今。まあまあ、とそんな彼女を来馬が宥める。
「太一も反省してるし……ほら、立って」
「すいません……」
「来馬さんは甘過ぎます」
「はっはっは」
和やかな空気。それがとても眩しく感じる。
ここに来てよかったと、そう、思った。
「とりあえず、遅くなったけどお昼ご飯食べようか。出木さんはこの後本部に呼ばれてるんだよね?」
「…………はい、会議、と……」
何の会議かは不明である。もう三カ月もしない内に正式に就職するので、その関係だろうか。
「それなら私と一緒に行きましょう? 報告書も届けに行かなくちゃいけないし」
「太一に任せると報告書が消えかねないからな」
「村上先輩がひどい!?」
「うんごめん今回ばかりはフォローできない」
「来馬先輩まで!?」
なんというか、手のかかる――ちょっとかかり過ぎな気もするが――弟のようである。鈴鳴は来馬以外はスカウトによって引っ越してきたということもあり、共通の部分があるのだろう。
ある意味では――というか扱いとしては希もスカウト組なのだが、本人の意識は微妙である。
……ボーダーにおける希の過ごし方は、ひたすらに誰かと戦うことだけだった。
そうしていれば余計なことを考える必要がなく、強くなるという目的に縋り続けていたというのもある。
だが、少しだけ、ほんの少しだけ、それが変わり始めた。
ゆっくりと、歩くように。
今度こそ変わりたいと、そんなことを――
◇ ◇ ◇
昼食は希と今による料理が振る舞われた。普段はカップ麺や簡単なもので済ませることが多いらしいが、希が初めて来たということもあってちょっと今が頑張ると言い出したのだ。
希もかつて家族がいた頃や祖父母のところにいた時にある程度家事はしていたので、料理はできる。とはいっても超がつくほどのマニュアル料理であるが。普段はじぶんのために料理という発想がそもそもないのでカップ麺である。
ちなみに同時刻、基地では緑川がメガネくんこと三雲に喧嘩を売っているのだがそんなことは知る由もない。というかいても何もできず内心おろおろしながら無表情を貫くだけなので、関係ないだろう。多分。
そして希は今と二人で基地に向かっているのだが――
「本当にごめんね? 太一はいつもああで……」
はあ、とため息を吐く今。清楚な雰囲気を纏う彼女のため息は絵になるな、とどうでもいいことを思う。
「…………いえ……、聞いたことは、あったので……」
「そうなの? 誰から?」
「…………以前、佐鳥さんに……」
世間話の中で――ちなみに希は参加しておらず、近くにいただけ――彼がそう言っていたのだ。まあ一度食堂でやらかしているところも見ている。そして今日の一件だ。成程確かに大したものである。
「あの子は本当に……」
こめかみを抑える今。ですが、とそんな彼女に希は言葉を紡いだ。
「…………とても、いい子です……」
「……まあ、それはそうなんだけどね」
少し驚いた表情を浮かべた後、苦笑して彼女は言う。そして、続けて言葉を紡いだ。
「ただ、あの子ももうちょっと落ち着いてほしいのよ。少し手のかかる――いや、かなり手のかかる弟みたいなものだけど、私たちもいつもずっとフォローできるわけでもないし」
それは優しさが込められた言葉だった。希も小さく頷きを返す。
別に嫌だとか面倒だとか、そういうことではないのだ。彼は仲間であり、手のかかるような弟であり、目が離せないというだけで。
まるで家族のような優しさ。それがきっと、鈴鳴第一というチームなのだろう。
「そういえば……どうして、うちを選んでくれたの?」
本部も見えてきたところで、ふと今がそう聞いてきた。言葉に詰まるこちらに、彼女は少し慌てたような表情を浮かべる。
「言いたくなければいいのよ? でも少し気になってて。……私たちは支部だし、来馬さん以外はスカウトだし……」
「…………一応、私もスカウトですが……そうですね……」
認識はそうではないが、事実は事実である。ただそこについては、正直あまり意識していない。
「手続きも面倒でしょう? 今も本部とややこしい籍の置き方になっているし……」
「…………それについては、そこまで面倒では……」
他にやることもないので、とまでは言わない。
理由、と改めて考える。先日嵐山に言った理由が最大の理由だが、流石にそれをそのまま口にするのは憚られる。コミュニケーション能力の欠如については自覚しているが、それでもこれを言うのは間違いだろうという認識はあった。というより恥ずかし過ぎる。
他にも理由はあるにはある。だが、どう言葉にすべきかが浮かばない。
そんな風に悩んでいる自分をどう思ったのか。今が足を止め、真剣な表情で言葉を紡いだ。
「……私は、出木さんが来てくれて良かったって思ってるわ。前に太一を助けてくれたし、今日も助けてくれた。信頼できる人だって思ってる」
ストレートな言葉に思わずたじろいでしまった。普段こういったことを言われ慣れていないので、フリーズしてしまう。
「でも、出木さんにとって私たちはどうかしら、って思ったの。少し前に、来馬さんとも話したんだけど」
らしくない、と希はそんな風に思った。
今結花という女性はしっかりした人物で、面倒見もいい人だ。その彼女がこんな風に言い難そうにしているのは珍しい。
少しの間を置き、彼女は一度息を吐いた。そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「――私は、第一次侵攻を知らない」
その言葉の意味を理解するのに、数秒の時間が必要だった。彼女はその言葉を口にしたことで覚悟が定まったのか、静かに話し始める。
「私は県外の人間で、第一次侵攻については記録でしか知らないわ。来馬さんはともかく、鋼くんと太一も当事者じゃない。だからきっと、そこでズレが生まれてしまう」
その言葉を吐く彼女は、酷く苦しそうだった。真面目な人なのだろう、きっと。だから苦しみ、そして同時に黙っていることができなかった。
「出木さんのサイドエフェクトについても聞いたの。報告書も読んだわ。……私たちの部隊に入って、本当によかったの? 私たちは三門市を守りたいと思ってる。でも、そこにはきっと、出木さんほどの想いはない。それでも、いいの?」
あの日の地獄を知らぬ者と。
あの日の地獄に人生を狂わされた者。
その断絶は、確かにある。どうしようもなく深い溝だ。少なくとも奪われた者のことを真に奪われなかった者が理解することはできないし、できるとも、あるいはされたいとも思わないだろう。
しかし、と思う。少なくとも出木希は、激しい憎悪を抱いているわけではない。
「…………私は、近界民に対して憎悪よりも……恐怖が、あって……」
「恐怖……?」
「…………あの日、私は……逃げることしかできず……本当に、何も、できなくて……」
両親の死に、背を向けて。
弟の死を、言葉を、受け止めるしかなくて。
「…………一度は、ここから……逃げさえして……」
あの頃は本当にどうしようもなかった。今が良いかというと、それはそれで頷けないが。
「でも、戻ってきたのよね? それは、どうして?」
「…………ここに、戻ってきて……一年ですが……私は、何も変われませんでした……」
変わることを願い、何かを為そうとしたけれど。
何一つ、できはしなかった。
「…………しかし、やはり、恐怖ばかりで……」
「……憎くは……ないの?」
問いかけ。それに対し、わかりません、と希は答える。
「…………私の記憶は……あの日を繰り返していて……、きっと、まだ……」
――あの日の絶望は、何一つ終わってはいないのだ。
そしておそらく、終わることはないのだろう。
この身に宿る呪いが、終わることを許さない。
「なら、どうして」
「…………変わりたいと、思いました……けれど、どうにも……」
立ち止まったままではなく。
少しでも、前へと。
「…………私は、下手な人間で……人と、上手く付き合うこともできず……」
どうしようもないことばかりで。
泣きたいことばかりで。
そんな中、彼らは手を差し伸べてくれた。
「…………皆さんは、私を……誘ってくださって……」
嬉しかった。
受け入れてくれたことが。
本当に――嬉しかったのだ。
「…………変われるかもしれないと、そう、思いました……」
どうしようもないほどに、狂おしいほどに憧れた。
彼らとならと――そう、思ったのだ。
「…………私を、置いては……頂けないでしょうか……?」
それは、鈴鳴第一に入隊を決めた時、来馬に告げた言葉だ。
置いてもらえるなら――必要としてもらえるならと。そう、頭を下げた。
「……当たり前、でしょう?」
今が、手を差し出す。
「私には、奪われた気持ちはわからない。きっと、衝突することもあると思う。でも、私は――私たちは、絶対にあなたを裏切らない。そしてあなたも、私たちを裏切ることはないでしょう?」
「…………勿論、です……」
「なら――私は、それでいいわ」
おずおずと差し出した手を、強く彼女は握ってくれて。
「背中を預ける仲間として、友人として。――よろしくね、希さん」
その手は、暖かくて。
きっとこれが、ずっと欲しかったものなのだと……そう、思った。
◇ ◇ ◇
「……来馬さんは、事情について聞いていたんですか?」
『いや、流石に深いところまでは僕も聞いてないけど……何かあったのかい?』
「話に聞いていた人物像とは、印象が違ったので」
出木希という人物は復讐者であり、木戸派の最右翼という話だった。先日の食事の時やパーティの際に少し印象が変わったが、それでも彼女の本質はそうなのだろうと思っていたのだ。
思想についてはどうこう言うつもりはない。先程彼女自身に告げたようにこちらは知らず、あちらは知っている。その埋めようのない現実は変わらないのだから。
そもそも他人と全く同じ思考などできるはずがないし、できたらそれは最早気持ち悪い。互いにちゃんとそれを理解した上で付き合うのが人間関係であり、そこも含めて彼女を受け入れようとしていたのだが……。
『今さんはどう思った?』
「……恨みより恐怖、と言っていましたけど……どうなんでしょうか? こう言っては何ですが、表情が読み辛くて」
『それは出木さんの味だから。……多分、恨み自体はあると思う。ただそれを、本人がちゃんと自覚できていないんじゃないかな?』
足を止める。自覚できていないというのは、どういう意味なのか。
彼女は奪われたのであり、その事実に対してそういった感情を抱くのは至極当然だ。それこそ三輪のように。
「自覚していない、ですか?」
『うん。正直、ちゃんと本当の意味で自分の感情を自覚できている人なんてあまりいないと思うよ。これは想像でしかないけど……色々な想いがあって、それが自分の中で整理できてないのかもしれない』
その言葉を聞いて、そうなのかもしれない、と思った。
あの少ない言葉も、感情に乏しい表情も。
彼女が、自分自身の想いを確定できていないのなら頷ける。
『ただ、わかってることがある。出木さんは信頼できる相手だ。……鋼をずっと燻らせていたけど、ようやく上を目指せそうだしね』
「気にしてないと思いますよ?」
『僕は隊長だからね。皆を指揮する責任がある。それにきっと、出木さんも上を目指したいと思ってるはずだから』
この人は本当に、と内心で息を吐く。どうしてここまで誰かのためにいられるのだろうか。
「そうですね。強くなりましょう、もっと」
『そうだね――って太一!? 大丈夫かい!?』
何かが割れた音が響き、更に何かが連鎖するように倒れる音がする。
光景が容易に想像でき、頭が痛い、と今はこめかみを抑えた。
◇ ◇ ◇
相変わらず本人のいないところで妙な話が浮かび上がっているが、出木希のスタンスは変わらない。
中々に恥ずかしいやり取りをした後、希は基地内で今と別れて歩いていた。そして今更ながら友人、という彼女の言葉を思い出す。
(…………友人……)
それは希にとってとてつもなく縁の遠い言葉だ。欲しいと願いながらも、手に入れることのできなかったもの。
どうなのだろう、と希は思う。彼女のプロフィールについては知っているし、話していたことも――少なくとも、希が聞いたことのある話は全て覚えている。だがそれは、今結花という人物を知っているということではない。
どこまでが他人で、どこからが知人で、どうなれば友人なのか。その定義がわからない。
今はいない弟あたりが聞けば「考え過ぎだろ」と笑うようなことだが――実際、言われたことがある――未だ、希には答えがわからない。
(……努力……しよう……)
結局、結論はそれである。見捨てられないように、諦められないように。そうやっていくしかない。
その手段における具体案が戦闘のみしか浮かばない辺り、割と脳筋である。本人の能力を考えればいくらでも役に立てることはあるはずなのだが。
「…………失礼、します……」
目的の場所に辿り着くと、ドアをノックして部屋に入った。今回呼ばれたのは会議室だ。何かやらかしたかと思ったが、記憶にない。
部屋に入ると、見覚えのある顔がいくつもいた。中央にはプロジェクターがあり、まるで宇宙の惑星配置図のような映像が映されている。見覚えがある――あれは近界の国々の配置図だ。資料で見た覚えがあった。
見たのは二カ月前、それも偶然だったので微妙に相違点があるが、それはおそらく修正が加えられたからだろう。
「おっ、来たか。呼び立ててすまないな」
「…………いえ……、遅れて、すみません……」
声をかけてきた忍田に頭を下げる。見ると、他に部屋に五人の姿があった。
木戸司令を筆頭に、鬼怒田室長、風間に三輪。更に林藤支部長と宇佐美の姿もある。
「おおっ、似合ってますよ出木さん! この間見ましたけど!」
「…………どうも……」
親指を立てて満面の笑みを浮かべる宇佐美に、軽く頭を下げて応じる。その過程で三輪と目が合い、彼はこちらに小さく一礼してくれた。
宇佐美にはこのデザインの決定の際にも手を貸してもらった。というか気が付けばことが大きくなっていて本人の手に負えなくなっていたというのが正しい。ちなみに開発室の醜い争いについては希は知らない。
しかし、わからないのはこの状況である。何の会議かは聞かされておらず、来るように、という指示があっただけだ。そのため、とりあえず状況把握をしたいのだが――
(……誰に聞こう……)
とりあえず木戸指令は却下だ。聞き辛過ぎるし怖い。一番近いのは林藤支部長だが、希は彼とまともに話したことはほとんどない。話しかけ易いのは位置的に忍田本部長だろうが、少し遠い。わざわざ声をかけに行くというのは変な注目を浴びそうだ。
ならば呼び出しの相手――鬼怒田室長は。……木戸指令の隣である。わざわざ正面に行って聞くとなるといらない注目を浴びそうである。
ここで近い上に一つ年下、そしてフレンドリーな宇佐美やこの中では――少なくとも対外的には――一番親しい三輪に思考が行かない辺り、筋金入りに駄目なコミュニケーション能力である。
そして表面上は無表情に邪魔にならぬよう佇む彼女の内心には誰も気付かない。そうして、数分の時が流れた時。
「失礼します」
入室の挨拶と共に入ってきたのは四人と一匹だ。迅に空閑、三雲に雷神丸に跨った陽太郎である。
「遅い! 何をもたもたやっとる!」
「いやー、どもども」
「待たせたなぽんきち」
「何故お前がおる!?」
ご尤もであるが、言っても仕方がない。多分。
「時間が惜しい。会議を始める」
結局希が聞けぬまま、城戸が静かにそう言葉を紡いだ。それを引き継ぐように、忍田が一歩前に歩み出る。
「我々の調査により、近々近界民による大規模な攻撃があるという予想が出た。先日は爆撃型トリオン兵一体を相手に多数の犠牲者を出す事態にもなっている。我々としては万全の備えをした上で被害を最小限に食い止めたい」
別のプロジェクターにより、被害を示す写真と爆撃型トリオン兵――イルガーの姿が映し出された。報告書には希も目を通している。スコーピオンで切り裂けない硬さを持つ自爆を前提にしたトリオン兵。はっきり言って脅威である。
そして同時に、ようやくこの会議の主題を理解した。通達も来ていた話だ。だが、何故一隊員の自分がここにいるかはわからない。
「この間のイルガーか」
「それについてはお前の情報が本当に助かったよ」
「いえいえ」
林藤の言葉に、軽く手を振って応じる空閑。その彼に、単刀直入に言おう、と告げたのは忍田だ。
「我々としてはキミに近界民としての意見を聞きたい」
「ふむ、近界民としての意見」
「そうだ。近界にいくつもの国があることはわかっておるし、遠征も行っておる。だが、データが圧倒的に足らん」
引き継ぐように言葉を紡ぐのは鬼怒田だ。近界のことに関する情報は最重要機密情報なので希も詳しく知らない。正直興味もないが。
「知りたいのは国、手段、そしておおよその目的だ。お前がどこの人間であろうとボーダーに入隊した以上、協力してもらうぞ」
「……そういうことなら、おれの相棒に聞いた方がいいな。よろしく」
『――心得た』
言うと共に、腕から生えるようにして『彼』が現れた。
己で試行するトリオン兵――レプリカ。
『はじめまして。私の名はレプリカ。ユーマのお目付け役だ』
「なんだこいつは……?」
『私はユーマの父ユーゴに造られた多目的型トリオン兵だ』
その言葉に、大きく反応を示したのは二人。
「トリオン兵だと……!?」
「空閑有吾……!」
三輪と城戸。その吐き出された言葉の真意は不明だ。
ただ、関係ないのに胃が痛くなる気が希はした。
『私の中にはユーゴとユーマが旅した近界の国々の記録がある。おそらくそちらが望む情報も提供できるだろう』
「おお……!」
『だが、その前に』
レプリカがその体の向きを変える。その視線の向かう先は――城戸司令。
『ボーダーには近界民に対し、無差別に敵意を抱く者もいると聞く。私自身はまだボーダー本部を信用していない。
故に、ボーダー最高責任者殿には私の持つ情報と引き換えにユーマの身の安全を保障すると約束して頂こう』
成程、と希は思った。それは当然の配慮だ。そもそも知らされてこそいないが、彼らは一度その身柄を狙われてすらいるのだから。
全員の視線が城戸に向く。総司令官は表情を変えず、視線を外すこともないままに頷いた。
「よかろう」
静かに、告げる。
「ボーダーの隊務規定に従う限りは、隊員空閑遊真の安全と権利を保障する」
迷いのない言葉だった。そしてレプリカが僅かに頷くように身を揺らす。
『確かに、承った』
そして、会議が始まる――
◇ ◇ ◇
その後の会議については、そこまで長い時間はかからなかった。レプリカの持っていた情報が予想以上に多く、後日改めて情報を整理した上で何度も会議を重ねられることとなった。
ちなみに会議の間、希は一言も発していない。
そして会議が終わると共に、今回の議事録をつける指示を出された。録音機器を渡されそうになったが、希はそれを断る。
「…………おそらく、必要ないので……」
「む、それもそうか。いや、助かる。急かすつもりはないが、できるだけ早く頼むぞ」
「…………はい……」
どうせやることもないので丁度いい。鈴鳴の支部でやろうと決める。
「今回お前を呼んだことについてだが、今後もお前には会議に出てもらうことが多くなる。もう少し先の話だが、正式に就職となった場合はわしの補佐についてもらう予定だ」
鬼怒田のその言葉に、えっ、という言葉が思わず漏れた。そして希が何かを言う前に、近くにいた迅が驚いた様子で声を上げる。
「あれ、結局そういう形になったの鬼怒田さん?」
「色々と揉めはしたがな。……お前のそのサイドエフェクトは非常に優秀だ。特に会議における会話を完全に記憶できるのは大きい。クガ、といったな? 先程の城戸司令の言葉についても、出木が証人となる」
「成程、ノゾミ先輩なら記憶違いもないし適任か」
いつの間にかかなり重いポジションに就けられている気がする。嫌な汗が背中を伝った。
「いざという時はよろしく」
笑顔で空閑は言うが、そのいざという時とは先日の争奪戦のような状況ではなかろうか。できれば――というか是非ともご勘弁願いたいのだが。
「まあ、そういうことだ。わしはお前には期待しておる。よろしく頼むぞ」
そして肩を叩くと、鬼怒田は足早に立ち去ってしまった。……何というか、知らない間に相当面倒なことになっている気がする。
「いやー、鬼怒田さんから期待されてるとか流石だね希ちゃん」
「………………」
プレッシャーで胃が痛い。補佐、ということは忍田本部長で言うところの沢村の位置だ。激務だというのに何故か補佐を持たなかった鬼怒田が、わざわざ自分を補佐にするという。なんというか、怖い。
「そんなに凄いの?」
「鬼怒田さんはトリガーの量産を可能にした第一人者だし、多分実労働時間ではボーダーでも一番だな」
「ほう」
「そんなに凄い方の補佐になるんですね」
『ノゾミは優秀だ。おそらく問題ないだろう』
本当に、胃が痛い。
多難でなかったことなど一度もないが、相変わらず前途は多難であるようだった。
◇ ◇ ◇
ボーダー基地、休憩所。
あまり人が来ず、主に出木や嵐山、そして三輪に加え一人になりたい者が訪れるその場所に、二つの人影があった。
「よう、秀次。ぼんち揚げ食う?」
未来を見る男は、そう言ってお菓子の袋を出すのだが。
「…………」
無視である。完全に無視。いっそ清々しい。
だが、彼はこの程度でへこたれはしない。
「実はさー、お前に頼みたいことがあるんだよね」
「…………」
相変わらず無言だが、視線だけは迅へと向ける三輪。
その彼に、迅は頼みごとを口にする。
時は止まらず、流れ落ちる。
運命の足音は、すぐそこに。
・現時点における出木希の所属関係
鈴鳴支部所属、鈴鳴第一攻撃手
本部所属、エンジニア(予定)
開発室室長補佐(予定)
……彼女のサイドエフェクトに対する期待は高く、特に万年人手不足である上に忙しい開発室が欲しがったため、少々厄介――というよりややこしい扱いになっている。ちなみに基礎部分の研修はすでに終えており、鬼怒田室長は待つと言いつつすぐにでも手が欲しいと考えている模様。開発チームに放り込むのではなく補佐にした辺り、彼女の性格を考慮したように思えるが実際は様々な理由が重なったからであり、あまりその辺は考慮されていない。結果オーライである。