どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第十九話 激闘

 

 

 

 

 

 新型トリオン兵、ラービット。

 新たに出現したそのトリオン兵の情報は、すぐに全隊員へと通達された。その能力は他のトリオン兵とは一線を画すモノであり、更にその目的は隊員の捕獲だという。

 トリガー使いとの戦闘を前提としたトリオン兵。成程確かに、その目的を考えれば弱い道理はない。

 

「現在招集している部隊は隊員が全員揃うまで待機だ! 捕獲された諏訪の状態はどうだ!?」

 

 少なくとも均衡に近い状態だった現状が、ラービットの出現で揺らぎ始めていた。東隊、香取隊がそれぞれ一人ずつベイルアウト。更に諏訪が取り込まれる形での犠牲者第一号となったのだ。

 

「トリオン体の反応は消えていません。ベイルアウトはできないようですが……」

「よし、ならば諏訪は風間隊が取り返す」

 

 幸いだったのは現地に風間隊がいたことだ。彼らならば新型相手でも後れを取ることはないだろう。

 だが同時にその事実は別の厄介事も抱え込んでいた。諏訪隊がやられた――それは即ち、B級では食われる可能性が高いということだ。

 そしてその事実が、新たな問題を呼び込んでくる。

 

「新型の妨害でトリオン兵を止められません! 警戒区域を突破されます!」

 

 元々数では負けているのだ。それでも均衡を保っていたのは隊員の能力が遥かにトリオン兵を上回っていたからこそであり、相手側にこちらと拮抗する戦力が出てくれば状況が傾くのも至極当然のことである。

 トリオン兵たちがボーダー隊員たちによる防衛ラインを突破し、警戒区域を突破しようとしている。その光景を見て悲鳴を上げるように言葉を紡ぐのは根付だ。

 

「忍田本部長! すぐに部隊を回してください! このままでは街が――」

「部隊の合流が先だ!」

 

 一喝。忍田は振り返ると、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 

「戦力が劣った状態で敵には当てられない。迂闊に動けば新型の餌食となる。更に言えばトリオン兵を群れを追った先で新型が新たに出現する可能性があり、そうなれば挟み撃ちにされる」

 

 それに、と忍田は続ける。おそらく相手の狙いは――

 

「隊員の分散が相手の狙いだ。孤立した隊員をラービットで捕え、そしてラービットに戦力が傾けば他のトリオン兵で市街地を攻撃する。どっちつかずになるのが最悪の展開だ」

「し、しかし……」

「非番の部隊が隊員が揃い次第向かっている。現状の部隊は戦線の維持に集中しろ」

 

 忍田本部長の指示に対し、了解の返答が返ってくる。根付は未だ焦った様子だったが、城戸が言葉を紡いだ。

 

「戦力をここで失えば、この先が苦しくなる。本部長の判断を支持する。……だが」

 

 目を細め、戦場を見つめる城戸司令。その威圧感は、修羅場を潜ってきた者特有のそれだ。

 

「そのやり方では、新型に手古摺ればその間に市街地が壊滅するぞ」

「わかっている。待つのはA級部隊の到着まで。新型はA級部隊が相手をし、B級部隊は二つに分けた上で市街地の防衛に向かう」

「二つ?」

 

 城戸が問う。すると、根付が待ってくれ、と言葉を紡いだ。

 

「それでは全域のカバーはできんのではないかね!?」

「その通り。二つの合同部隊によって確実に敵を排除していくが、その間他の地区の被害は覚悟して頂く」

「ならば助けに行く地区の順番はどう決める? 後で文句が出るぞ」

 

 鬼怒田が凄く当然のことを言う。勝った後のことを考えるのも愚かなことだが、彼らはそこまで考えて策を練らなければならない立場にある。

 目の前のことだけ、この戦いのことだけを考えていればいいというのは前線の隊員だけだ。

 

「避難の進んでいない地域を優先する。他に質問は?」

「……万が一、A級でも新型を止められなければどうする?」

「あり得るべからざることだが――」

 

 城戸の質問に、戦闘部隊指揮官が応じる。

 それは、ボーダー最強の男の覚悟。

 

「――その場合は、私が出る」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 元々、無理がある戦闘とは思っていた。

 こちらは孤軍で、更に退くことが許されないという背水の状況。増えていく敵と、力の足りない己自身。不安要素はあまりに多い。

 

(……通しません……)

 

 しかし、心は折れていなかった。その体は未だ無傷。しかし、周囲に転がる戦闘不能となったトリオン兵と、壊された家屋がその戦闘の凄まじさを物語る。

 だが、それでも彼女の――出木希の背後に生み出されたエスクードは無傷だった。

 ――〝鉄壁〟。

 彼女のその独特なボーダーでの過ごし方のせいであまり浸透していないが、その力を表現するにおいてこれ以上に的確な言葉もないだろう。

 まるで浮沈艦の如く沈まぬ堅牢さ。結果としてあの射手の王が猛攻さえも凌ぎ切る力は、尋常ではないのだ。

 

(少しでも、長く)

 

 そして何より、その強さを支えるのはその冷静な自己認識にある。

 出木希という少女は、己に与えられた才能を〝呪い〟と断じ嫌悪を超えた憎悪に近い感情すら抱いている。しかし、彼女の強さを支えているのもまた、〝瞬間完全記憶〟と名付けられたその力なのだ。

 元来、希は運動神経が良い部類ではない上にトリオン兵と戦うどころか向き合うことさえできないほどに酷いトラウマを抱えていた。その彼女がここまで這い上がってきたのは偏にその記憶の力とそれを原動力とした執念である。

 数多の実力者の動きを完全に記憶し、更に己の動きすらも詳細に記憶する。それは多くの熟練者が鍛錬において必ず行う『確認』という作業を最大限効率的に行えたし、何より彼女はその能力故に戦うという事象を『日常』にできた。

 忘れることを決して許さないその特性が、本人の自覚のないところで彼女を一人の戦士に仕立て上げていく。良きも悪きも全てを記憶し、そして悪しき記憶はずっと己を責め苛む。克服するには強くなるしかないならば、強くなれない理由がない。

 そうして、戦う才無き戦士――出木希が構築されていく。

 鍛錬し、訓練し、模擬戦をし、トリオン兵を狩り。

 いつか誰かが呼んだ〝鬼〟という名は、決して的外れというわけではなかったのだ。

 

「…………ここから、先へは……」

 

 紡がれるその言葉は、己の意志を貫くために。

 敵は無数。こちらは一人。

 戦闘が――始まる。

 

 最初に襲い掛かってきたのはバムスターだった。捕獲用のトリオン兵であり、その巨体は三階建ての建物くらいのサイズはある。

 だが、その巨体もあってか動きは鈍い。こちらを押し潰そうと迫ってくるバムスターを難なく避け、コアを切り裂く。

 あっさりとした撃破。だがこれくらいはできて当然だ。問題は次。

 バムスターの陰に隠れるようにして迫ってきていたのは、二体のモールモッドだ。僅かにタイミングをずらしたブレードが振り抜かれ、希を狩らんと襲い掛かる。

 希はそれを、スラスターを起動することで右に飛んで避ける選択をした。二体同時に相手取ることもできないわけではないが、リスクが大きい。先が見えないこの状況、リスクはできるだけ避けておきたい。

 片方のモールモッドをもう一方のモールモッドと挟む形へもっていく。二体のモールモッドがこちらを向くが、その時には希の左足が轟音と共に地面を踏み抜いていた。

 一撃。

 その体を貫くような拳が叩き込まれ、二体のモールモッドが吹き飛んだ。そして更に、追撃の一撃が放たれる。

 

「メテオラ」

 

 轟音。そして衝撃。

 二体のモールモッドは、文字通り沈黙した。希は右手を下ろし、こちらを見つめる無数のトリオン兵たちへと視線を向ける。

 彼らは兵器であり、人形に近い。故にその動きは最適な行動をとるようにプログラミングされたものだ。ゆえに感情はなく、恐怖もない。

 だが、無数のトリオン兵は微動だにせず少女を見据えている。そこにある意志は、おそらく一つ。

 

 ――厄介な敵。

 

 その沈まぬ強さが、警戒レベルを引き上げた。先程までとは空気が違う。希は知らず、拳を握る力を強くする。

 意志は変わらず、退く選択肢はない。この戦いが終わるか、己は敗北するか。終わりはその時だけ――

 

 

 パキン、と。

 何かが割れるような音が、響く。

 

 

「え――」

 

 振り返る。そこにいたのは。

 A級さえも喰らうという、新型のトリオン兵。

 ――ラービット。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 戦場はいくつもの場所に分散し、C級隊員は避難誘導に当たっている。ここで問題となるのは、彼らのトリガーにはベイルアウトの機能がついていないことだ。

 元々訓練中である彼らは一部を除いて基本的に戦闘能力に乏しい。だからこそ前線に立つ正隊員は決して背後にトリオン兵を通してはならないのだが――

 

『数が多過ぎるな。ここは退いた方がいい』

 

 減るどころか増え続けるトリオン兵を前に、ちびレプリカ――オサムの援護のために生み出されたレプリカの分身――がそう言葉を紡いだ。その彼に対し、三雲修は焦りからの汗を流しながら言葉を紡ぐ。

 

「でもここを通したら千佳たちが……!」

 

 位置の関係か、現状ここで戦っているのは修と空閑の二人だけだった。しかも離れているとはいえ彼らの後方ではC級隊員たちが避難誘導を行っており、そこにトリオン兵たちが到達すると甚大な被害が出かねない。

 

『B級隊員は二つの合同チームに分けるために合流せよという指示が出ている。確かに少数では新型に捕まる可能性が高いだろう。数を増やし、一か所ずつ確実に撃破していくのは妥当な判断だ』

「一か所ずつ……!? じゃあその間他の場所はどうなるんだ!?」

『トリオン兵の排除は避難の進んでいない地区を優先するようだ。その間における被害はある程度覚悟しているのだろう。避難がスムーズなチカたちは後に回されると思われる』

「…………ッ」

 

 雨取千佳たちの避難誘導は順調に進んでおり、どこかで安心していた。まさかそれが裏目に出るとは。

 現状、トリオン兵と相対してもおそらく千佳は切り抜けられない。そもそもその状況を切り抜けられるだけの才能を持つ者はすでに頭角を現しているはずだ。

 どうする、と修の頭に迷いが浮かぶ。とはいえ、現状ここで踏ん張り続けるのも長くはもたない。

 ――轟音が響き、マンションの一室が吹き飛んだ。

 まるで玩具のように崩れていくコンクリートの構造物。そこから現れたのは、見覚えのないトリオン兵。

 一目でわかった。あれが――新型。

 

「新型……!?」

 

 同様は致命の隙だ。一瞬でこちらとの距離を詰めたラービットが、その剛腕を振り抜く。

 シールドを掲げ、それを受け止める構えの修。来るであろう衝撃に身構えたが、その衝撃が訪れることはなかった。

 

「『強』印、五重」

 

 言葉と共に、凄まじい一撃がラービットへと叩き込まれた。空閑遊真の黒トリガーだ。その威力は、ノーマルトリガーを遥かに凌駕する。

 蹴り飛ばされ、まるでボールのように地面を跳ねながら吹き飛んでいくラービット。改めて見るその威力に驚きつつも、空閑、と修は声を張り上げる。

 

「黒トリガーは使うなって言ったろ! ぼくや支部長じゃ庇いきれなくなるぞ!」

 

 近界民であり、黒トリガーの所有者である空閑遊真という存在の立ち位置は非常に危うく、微妙なものだ。ノーマルトリガーを使用し、C級から手順を踏んで昇格しようとしているのもそういった背景があってのことである。

 空閑の黒トリガーの使用については厳密に何らかのルールが定められているわけではない。だが、城戸司令は秩序を重んじる。いい結果とはならないだろう。

 

「けど、このままじゃチカが危ないんだろ?」

「……ッ、それは……」

「なら、出し惜しみしてる場合じゃない」

 

 のそりと、緩慢な動きでラービットが起き上がった。腕でガードしたとはいえ、黒トリガーの一撃を受けたというのに凄まじい頑強さだ。

 

「――一気に行くぞ」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 そのトリオン兵の登場は、あり得る事態とは考えていた。

 他の場所で確認されていたし、むしろここに現れないと考える方が楽観的だ。だが現れることは予測できても、その対応にまで思考は回らなかった。

 完全に沈黙したバンダーの腹から這い出るようにして現れたラービットは、一度周囲を確認するようにその頭を巡らせる。

 不思議と他のトリオン兵の動きは止まっていた。まるで意志を持ち、『待っている』かのように。

 

「…………」

 

 自然、レイガストを握る手に力が籠る。

 ラービットの戦闘能力は高く、本部の判断ではA級隊員ですら単独だと食われかねないというものだ。その判断もあってB級部隊は現場で合流するのではなく、本部で部隊員が揃ってからの出撃という形をとられた。

 その指令が意味する理由は単純だ。即ち、『単独で挑むな』である。

 

『…………新型と会敵……』

 

 今へと通信を飛ばす。即座に返事が返ってきた。

 

『駄目よ出木さん。今隊長たちも戦ってるけど、その新型は一人で相手をしていいレベルじゃない』

『…………ですが……』

 

 彼女の言うことは尤もだ。だが、だからといってどうすればいいというのだ。

 ここには自分一人しかおらず、かといって撤退などは選べない。ここを通せば、避難を続けている市民が襲われるのだ。

 

『……無理はしないで。増援を要請してるわ。だから……』

 

 そしてそれを今も理解しているのだろう。紡がれる言葉は歯切れが悪い。

 ――そして。

 いつだって、相手はこちらを待ってはくれない。

 

「――――ッ!?」

 

 地面を吹き飛ばすようにして蹴り飛ばし、ラービットがこちらとの距離を一瞬で詰めてきた。凄まじい速度だ。ほとんど反射だけで盾を構え、振り抜かれた腕の一撃をどうにか防ぐ。

 轟音が響き、希の体が小枝のように吹き飛ばされた。建物を貫通し、着弾するように地面を削る。

 

『出木さん!』

 

 声が届くが、応じる余裕はない。すでにラービットは追撃のためにこちらへと向かっている。

 相手はトリオン兵だ。それ故か容赦がない。飛び上がり、こちらを文字通り潰すための拳を振り下ろす。

 

「――――ッ」

 

 だが、希は間一髪スラスターを吹かせることで落下地点から移動した。直後、轟音と共に地面に大きな亀裂が入る。

 まともに喰らえばトリオン体ですら破壊される威力だ。僅か一合のやり取りだが、希は冷静に彼我の戦力差を理解する。

 

(……強度は不明、しかしあのパワーと速度は明らかに相手が上……)

 

 A級隊員ですら食われかねないと聞いた時は少々言い過ぎではないかと思ったが、成程これなら納得できる。

 そして同時に、自分には荷が重過ぎることも理解した。

 やりようはある。時間をかけて削り合いをすればこちらに勝機があると希は理解した。トリオン体には肉体的な疲労がないため精神の耐久勝負になるが、その点に関しては相応の自信がある。それにここに正隊員クラスの誰かが加われば、それだけで状況は変わるはずだった。

 だが現状は、あまりにも希にとって分が悪い。

 そもそも先の分析は一対一の前提だ。今の希は多勢に無勢の状況であり、そもそもギリギリとはいえ均衡を保てていたのが不思議なくらいなのである。

 そこに現れたラービット。戦線が傾くまでは、本当に早い。

 

「――――ッ!?」

 

 この時を待っていたとでもいうかのように、一斉に動き出すトリオン兵たち。それに気を取られたのが致命の隙だ。振り抜かれたラービットの剛腕が、希の体を吹き飛ばす。

 まるでボールのようにバウンドし、何かが背中にぶち当たったことでようやく制止する。

 背中に感じた固い感触の元は、エスクード。

 つまりここが、防衛ラインだ。

 

「……ッ……」

 

 立ち上がる。捕獲のためかラービットの攻撃方法は打撃が中心のようだ。咄嗟にシールドを張れたこともあり、トリオン体のダメージは少ない。

 だが精神はそうはいかない。思考を支配するのはどうすればいい、という文言だ。

 撤退がおそらく最善の判断だ。防衛ラインを下げ、再構築する。しかしそれは援軍を望める、あるいは状況の変化が望める状態であってこそ意味がある。ここで退くことはむしろ事態を悪化させかねない。

 だが、どうにもならないことも希はわかっていた。そして本人が未だ自覚していないが、これが彼女の最大の弱点であり問題点でもある。

 多勢に無勢の中、それでも奮闘して均衡を保っていたのは称賛に値する。だが同時に、それができてしまったからこそ彼女は後回しにされてしまった。

 そして何より、彼女自身が周囲との連携を怠った。これが最大の原因だ。

 そもそも彼女が相対しているトリオン兵の多くは近くにいる部隊の討ち漏らしがメインであり、そのことを考えれば連携を取りつつ数で押すべきだったのだ。だが彼女にはそれができず――それどころか、そんな考えさえも浮かばなかった。

 そして周囲も、〝鬼〟としての彼女と連携が取れずにいる。たった一人で在り続けたツケが、最悪の形で回ってきてしまったのだ。

 

「…………ここから、先へは……」

 

 だが、彼女は言い訳をしない。

 己の状況を完全に把握できているわけでは決してない。だがそれでも、ここに立ったのは自身の意志だ。ならば、退くことはできなかった。

 ラービットがこちらへと突貫し、トリオン兵たちがこちらを無視して進軍を開始する。

 選べる選択は、一つしかない。

 ラービットを含めたこの戦線を維持することは不可能。

 

「一歩も、通さない」

 

 それが不可能なことと理解していても。

 そう言わずには、いられなかった。

 

(私は、また)

 

 向かってくるラービットに対し、こちらも駆け出す。

 勝負は一瞬。相手の初撃を避け、カウンターによって一撃で仕留める。この状況をもう一度均衡に持っていくには、最速でラービットを狩るしかなかった。

 接触は、一瞬だ。

 振り抜かれた剛腕による一撃を、顔が地面につくほどに姿勢を下げて避ける。倒れそうになるのを、無理矢理右足を前へと踏み込むことで堪えた。嫌な音が右足から響く。おそらく普通の肉体なら不可能な動きだ。できたとしても右足は壊れるだろう。

 強引に体を捻り、右の拳を振り抜く。アッパーのような形で、見上げる位置の頭部を狙った。

 コアを打ち抜けばそれでトリオン兵は沈黙する。最短距離からの必殺の一撃。

 しかし――届かない。

 硬い感触。まるで人間の歯のように上下から現れた壁が、希の拳を受け止めた。

 ――失敗。

 決死の一撃は、届かなかった。

 

(嘘)

 

 どうしてだ、と思った。

 力をつけたはずだ。逃げなくても良い力を、戦える力を、繰り返さない力を。

 望んで、選んで、紡いで、積み上げて。

 そうして、ここに立っているはずなのに。

 

「…………どうして…………」

 

 ラービットの口が開き、コアに光が灯る。似た光景を、何度も見てきた。

 砲撃。この至近距離では、無傷で防ぐことは不可能だ。

 判断をする時間すらない。しかし、訓練によって鍛えた反射が守りの体勢を作る。衝撃に備え、歯を食い縛った瞬間。

 

「え――」

 

 突如、ラービットがその身を背後へと飛ばした。そして一瞬遅れて無数の弾丸が飛来する。

 アステロイド――いや、ハウンドだ。援軍か、と思う中、希を無視して進軍しようとしていたトリオン兵たちが斬撃、或いは銃撃によって沈黙する。

 思わず片膝をつき、現れた者たちを見る。そこにいたのは。

 

「二宮隊、現着した。これよりトリオン兵の殲滅を開始する」

 

 射手の王とまで謳われる、総合№2の怪物と。

 

「ごめんね出木さん、遅れちゃって。でも、間一髪?」

「…………」

 

 かつてA級部隊でもあった、マスタークラスの二人の実力者。

 

「何をしている。そんなところで這いつくばるほど、弱くはないだろう」

 

 その男は、いつも通りの仏頂面で。

 当り前のように、そう言った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 出木希に対する評価は様々で、統一感がない。

 そもそも当人が何を考えているのかがわからず、また、あまり人と関わることがないせいでその思想が読めないのだ。

 そしてその実力についても、個人としては高いと評価されてこそいるが部隊単位で考えれば未知数というのが現実だ。それも当然ではある。そもそも出木希という隊員はどこかの部隊に所属したことすらなかったのだ。

 だが、ここにいる射手の王――二宮匡貴は彼女の実力を高く評価していた。

 実際、自身の部隊に入隊しないことを彼女が決めた時は少々落胆したという。ただそんな感情はおくびにも出さず、眼下の少女へと視線を向ける。少女はいつもの感情の読めない瞳でこちらを見上げていたが、やがてゆっくりと身を起こした。どうやらちゃんと戦えるらしい。

 それでいい、と内心で二宮は呟いた。彼女が動けるか否かは、この先においても意味を持つ。

 

「アレが新型ですかね?」

「……そのようだな。ハウンドを避けたことといい、動きはいい。実際、B級が食われた報告も挙がっている」

 

 犬飼の問いに応じる。ラービットという呼称のトリオン兵の戦闘能力は他のトリオン兵と比べても明らかに突出している。敗北する機など毛頭なかったが、油断していい相手でもない。

 

「硬いのは順に両腕、頭、背中のようですね。風間隊の報告にあります」

「どうします? 先にアレ片付けますか?」

 

 辻の言葉に続き、サブマシンガンを片手で弄びながら犬飼が聞いてくる。いや、と二宮は応じた。

 

「まずは周囲の掃除が先だ。ここを突破されるわけにはいかないからな」

「新型は無視ですか?」

「そこも考えてある。――出木」

 

 名を呼ぶと、少女はびくりと肩を震わせた。その少女に対し、二宮は静かに告げる。

 

「倒す必要はない。抑え込めるか?」

 

 えっ、という言葉が二人から零れた。当り前だ。出木希は彼らの目の前で、明らかにラービットに翻弄されていたのだから。

 少女は無言。ただ、二宮を見つめ返す。その彼女へ、なおも二宮が言葉を続ける。

 

「打倒の必要はない。周囲についても一切気にしなくてもいい。相手にするのは新型だけだ」

 

 それは先日のパーティで行われた模擬戦において、東春秋が出木希に出した指示と似ている。

 打倒ではなく、抑え込む。相手の強力なコマを縛ることこそ、彼女の力の真骨頂。

 

「任せたぞ」

 

 指示を出すと共に、焦れたのかラービットがこちらへと突撃してきた。他のトリオン兵たちも動き出し、戦闘が再び開始される。

 二宮、犬飼、辻の三人は即座に移動した。しかし、出木は動かない。向かってくるラービットに対し、受ける構え。

 先程彼女はラービットによって吹き飛ばされている。同じ轍を踏むなら策の変更も余儀なくされるが――

 

「え、マジ?」

 

 思わず犬飼が呟いた。振り抜かれたラービット剛腕を、出木は受け切ったのだ。その場から衝撃で僅かに移動こそしたものの、ダメージも見られない。

 正確には受け流したというべきなのだろう。まともに当たれば吹き飛んでいるはずだ。だが方法の是非などどうでもいい。ラービットと単独で相対し、抑え込めているという結果があればそれでいいのだから。

 

「犬飼、辻。周囲のトリオン兵を殲滅する。新型は気にしなくていい」

 

 そして、射手の王が動き出す。

 まるで雨のように、無数の弾丸が降り注いだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 倒すとなれば、相応のリスクを負うことは避けられない。

 やりようによっては選択肢はあるが、必勝とは言い難いのが現実だ。一連の戦闘において、彼我の力の差は理解していた。速度、力、そして装甲。その全てで劣っている。

 だが、他を気にせず一対一に集中していいのなら。選択肢は一気に増える。

 

「――――」

 

 こちらを押し潰そうとした一撃を、後ろへバックステップすることで避ける。鼻先をラービットの左腕が掠め、その振り下ろしの一撃で舗装された地面が割れた。

 凄まじい威力である。まともに入れられればおそらく深いダメージが入るだろう。

 だが、大丈夫だ。見えているし、体も動いてくれている。

 今度は右腕が突き出された。豪速の拳。その突きに合わせて体を回転させ、盾で内側から腕を弾く。

 僅かにバランスを崩すラービット。そこへ渾身の右拳を叩き込んだ。

 

「…………!」

 

 しかし、それは左腕によって防がれる。

 硬く、重い。両腕は最も強度がある部分だという話だが、成程これでは突破は厳しい。

 

「メテオラ」

 

 後退と共に、置き土産と言わんばかりにメテオラを至近で叩き込んだ。申し分のない威力。だが、やはりというべきか完全に防がれている。

 トリガー使いを捕獲するためのトリオン兵。それがこのラービットのコンセプトだという。成程確かに、並のトリガー使いなら捕獲されてしまうことも十分あり得る。

 これほどのトリオン兵を生み出せるアフトクラトルという国家のことを考えると恐ろしさすら感じるが、今は置いておく。

 今までのやり取りにより、基本的な動きは掴めた。基本的な武器はその両腕。そしておそらく砲撃もある。その装甲は異常に硬く、正面から崩すのは難しい。

 持久戦。それが選んだ答えだ。そもそも一人で倒す必要はないのだから。

 そして、待ちの体勢に入った時。

 

「うおっ!?」

 

 犬飼が驚きの声を上げた。当然だ。突然、ラービットは周囲に無差別の砲撃を放ち始めたのだから。

 狙いは無論、他の三人だ。だが流石にマスタークラス。直撃を受けることはない。

 しかし、動きは阻害される。その光景が、出木希を焦らせた。

 

「……こちらを……ッ」

 

 スラスターを吹かし、一瞬で距離を詰める。

 任されたのだ。なのに自由にさせては彼らの信頼を裏切ることになる。抑え込むのが役目であり、今の状況は認められるものではなかった。

 振り抜かれた渾身の斬撃。下から切り上げるようにして放たれたそれはしかし、何の手応えもなく宙を切る。

 

 衝撃が、響き渡った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 両腕による叩き付けるような一撃。それは逃がさないという意思と、何より両腕でなければ潰せないという判断から来たものだった。それほどまでに、目の前の敵は堅牢だったのだ。

 現に、叩き潰されながらも盾で防いでいた。尤もその盾は砕けていたが。

 ラービットが腹を割いて捕獲行動に入る。強力なトリガー使いの捕獲はその存在意義だ。

 しかし、その横面に無数の弾丸が叩き込まれる。

 金属音を響かせつつ、右腕でそれらを防ぐ。だが、右腕にはいくつかのひびが入っていた。おかしい。先程の爆撃でさえこれほどの威力はなかったのに。

 コアを巡らせ、弾丸の主へと視線を向ける。同時、頭部を打ち抜くための弾丸が駆け抜けた。

 だがそれは、歯のように現れた壁によって防がれる。男が僅かに舌打ちした。

 

「旋空弧月」

 

 それに合わせるように、二つの斬撃が駆け抜けた。美しささえ感じる軌跡を描いた二筋の刃が、ラービットの耳を斬り飛ばす。

 周囲からの情報に乱れが生じた。レーダーがあるからこそ、ラービットは今まで迅速な対応ができていたのだ。それを失えば機能が低下するのが道理である。

 砲撃の準備に入る。放つまでは一瞬だ。狙いは先程の弾丸を撃ってきた男。現状、あの男が一番厄介だと判断した。

 ――ポツリと、何事かを男が呟いた。

 レーダーを失ったせいで、本来ならこの距離でも拾える音が拾えない。故に気付かない。

 男は、静かに言っていた。

 

 いいのか。

 まだ誰も、死んではいないが。

 

 直後、腹に衝撃が来る。

 視界の端。そこには沈黙させたはずの女が、両腕で一つの刃をこちらの腹に突き刺しているところだった。

 

「……お、お……ッ」

 

 そして、その刃が加速する。

 腹を切り裂き、真っ直ぐに。こちらのコアを目掛けて。

 ラービットは機械だ。恐怖など感じないし、そもそも感情がない。兵器であり、道具である。そんなものを持つ必要がないのだ。

 だというのに、その時は。

 合理的な判断の前に、体が動いた。

 

 砲撃。

 

 強引に首を捩り、ゼロ距離からその一撃が放たれた。ラービットの、強力なトリガー使いを捕獲するという存在意義が告げている。

 このトリガー使いを、生かしていてはならない――!!

 

「――――ッ、ああっ!!」

 

 だが、砲撃が届かなかった。頭部に張られたシールド。斜めに構えられたそれが、砕かれながらも砲撃の軌道を逸らしたのだ。

 それはまるで奇跡のような出来事。だが、必然でもある。

 ラービットの知らないことだが、目の前にいるトリガー使いは集団の一員であることを前提とした戦いを、個人で続けてきた存在である。その歪な在り方が、絶対の守護の力を育んだ。

 振り抜かれた刃が、僅かにコアを斬りつけた。だが、まだ。まだ、戦闘不能にはなっていない。

 せめて目の前のトリガー使いだけでもと、手を伸ばす。しかし――

 

「いらっしゃい」

 

 いつの間に、至近に寄っていたのか。

 サブマシンガンを構えた男が、ラービットの口の中へと無数の弾丸を叩き込んだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……ふん」

 

 新型が沈黙したのを確認し、二宮は鼻を鳴らした。成程確かに厄介な性能だ。だが、倒せない相手ではない。

 視線の先では犬飼が出木を引っ張り起こしている。何というか、あの一撃を貰っておいて五体満足な辺り相当非常識である。

 まあ、自分の攻勢を単騎で凌ぎ切ったのだ。それぐらいはしてもらわねば困るが。

 ちなみに少し離れた場所では辻が周囲をの警戒をしていた。大方狩り尽くしたので問題ないと思うのだが、相変わらず女性が苦手らしい。

 

(だが……あの状況で迷いなく、攻撃を選ぶか)

 

 押し潰すような一撃を耐えたのも大概だが、その後の攻勢の方が異質だった。あの状況、こちらからは何の指示もないというのに迷いなく攻撃を選んだ。その上で至近の砲撃を凌ぎ切り、一撃を叩き込んだのだ。

 鈴鳴第一に持っていかれたのは勿体なかったか、と一瞬思ったが、同時に御しきれるのかという不安もある。最後の一瞬に見せた狂気じみた執念は、おそらく彼女の本質だ。

 

(三輪と似た復讐者と聞いていたが……違うな。成程、〝地獄〟とはよく言ったものだ)

 

 サイドエフェクト〝瞬間完全記憶〟についての資料には二宮も目を通した。アレが文字通りの力であり、今も尚その精神を責め苛んでいるというのなら。

 その在り方は、多くの復讐者とは根本的に違うだろう。

 

(まあ、俺の部下というわけでもない)

 

 部下なら考えるが、違うならそれでいい。その全てを考慮に入れ、策を構築するだけだ。

 周囲への警戒を残したまま、二宮は通信を繋ぐ。相手は本部だ。

 

「本部。こちら二宮隊。新型を撃破した。……本部?」

 

 ノイズが走り、繋がらない。眉を顰め、本部へと視線を向ける。

 ――爆撃が、本部を襲っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 












ボーダーの皆さんから見た出木希


・嵐山准
「不器用な印象があるな。だが、意外と感情はわかり易い。ただカップ麺ばかりを食うのはどうかと思うが」

・三輪秀次
「特に何かを話したわけではない。ただ、信頼はできる相手だ」

・城戸正宗
「彼女の能力とサイドエフェクトを考えた場合、まともでいられていることが異質だ。日常を送れていること自体がある種特異と言える」
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