どうか彼女に笑顔をと、彼は願った   作:アマネ・リィラ

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第八話 願いは、ずっと、変わらずに

 

 

 

 

 出木希は、背中を押し上げる柔らかい感触を受けて深く息を吐いた。目の映るのは無機質な天井と電灯だ。戦闘体が破壊され、ここに送り返されたのである。

 

「お疲れ様。大活躍だったわね」

「…………いえ、私は、何も……」

 

 体を起こすと、デスクの方から椅子を回転させて女性――沢村響子が微笑んだ。ベッドから降りつつ、希は首を振る。

 今回の戦闘はできるだけ秘密裏に迎撃すべき、という迅と忍田本部長の方針により、希の出撃場所とオペレーターも目立たないようにと考えられた。そこで持ち上がったのが本部長室で沢村をオペレーターとしての出撃である。

 元攻撃手ということもあり、彼女のオペレートは実に的確で正確だった。当真を補足できたのも彼女の力によるところが大きい。欲しい情報を即座に、正確に寄越してくれるのだ。

 

「…………ありがとう、ございました……」

 

 深々と頭を下げる。すると、いいの、と沢村は微笑んだ。

 

「誤解してたところもあったし、力になれてよかった。忍田本部長直々の指示でもあったしね」

 

 おそらく後半が本命だろう。鈍いというか、人の機微に人と関わらなさ過ぎて全く気付かない希ですら気付くのだ。忍田本部長はとんでもなく鈍いと思う。

 

「今日はどうする? こっちに泊まっていく?」

「…………いえ、今日のところは……」

「そっか。気をつけてね」

「…………お礼は、後日必ず……」

 

 誘われた、というより打診を受けたのは希の方だが、助けられたのは事実だ。それに先輩と初めて読んでくれた彼らの助けになれたのは本当によかった。

 三輪とは少し揉めたが……あの居心地がいい時間がなくなるのは、少し寂しいと思う。

 

「お礼って……そんな、むしろ頼んだこっちがすべきことよ?」

「…………ですが……」

「いいのいいの。……それに、力になりたいと思ったのも本当だから」

 

 苦笑し、沢村はそんなことを言った。思わず首を傾げてしまう。

 今回の参戦に際し、希は彼女と忍田本部長、迅を相手に少し話をした。己の過去や想いなど、大した話はしていないが、二人が酷く驚いた様子だったのは覚えている。だが、それだけだ。特に何かがあったわけではないと思うのだが。

 

「ごめんなさい。ちゃんと、話をしていればよかったのに」

 

 出撃前と同じことを言われた。だが、わからない。出木希は、そう言われる理由がわからないのだ。

 

「…………私は、聞いて貰えて嬉しかったです……」

 

 三人は自分のたどたどしい話を一切煩わしく思わなかった。それが、ただ嬉しかったのだ。

 

「…………失礼、します……」

 

 頭を下げ、部屋を出る。ふう、と吐息が零れた瞬間。

 

「あ」

「む」

 

 太刀川慶と、風間蒼也がいた。

 ――全力で、走り出す。

 夜間のランニングの成果が、ここで生きた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「――一体どうなっとるんだ!?」

 

 机を叩く大きな音と共に、会議室に鬼怒田の怒号が響き渡った。彼は吐き捨てるように、体面に座る忍田に向けて言葉を紡ぐ。

 

「迅の妨害! 精鋭部隊の壊走! その上嵐山隊と出木の加勢! 忍田本部長! 何故嵐山隊が玉狛側についた!? 何故近界民を守ろうとする!? ボーダーを裏切るつもりか!?」

「――裏切る?」

 

 腕を組み、沈黙して鬼怒田の言葉を聞いていた忍田が眉をひそめた。

 

「論議をさしおいて強奪を強行したのはどちらだ? 我々は強盗の集団か?」

 

 その言葉に並々ならぬ怒気を纏い、忍田が告げる。

 

「もう一度言っておく。私は黒トリガーの強奪には反対だ。ましてや相手は有吾さんの子」

 

 殺気。自身以外の四人を見据え、最強の男が告げる。

 

「これ以上刺客を差し向けるつもりなら、次は嵐山隊ではなく。

 ――この私が相手になるぞ、城戸派一党」

 

 太刀川慶の師匠にして、ノーマルトリガー最強の男と謳われる忍田本部長。その力は圧倒的であり、彼が本気になればボーダー内が全面的な戦争になることは目に見えている。

 息を呑む鬼怒田と根付。それに対し、城戸が冷然と告げた。

 

「成程……ならば仕方ない。――次の刺客には、天羽を使う」

「――――」

 

 四人がそれぞれに驚愕の表情を浮かべた。天羽月彦――それはある意味でボーダー本部の切り札とも言えるS級隊員だ。単純な戦闘力ではあの迅悠一をも凌ぐほどだが、その戦闘はあまりにも異質に過ぎる。彼を投入すれば、人がいないとはいえその区域が文字通り平らになるぐらいに。

 

「A級トップを一人で倒す迅の〝風刃〟に忍田くんが加わるとなれば、こちらも手段は選んでおれまい」

「街を破壊するつもりか城戸さん……!」

「それはキミの考え次第だ。私は判断を下しただけに過ぎん」

 

 どこまでも冷徹に言い捨てる城戸に対し、正面からそんな彼を睨み据える忍田。鬼怒田と根付は息を止めてその様子を見守り、唐沢も迂闊に口を挟めないでいる。

 今にも血が流れそうなほどに緊迫した室内。そこへ、一人の来訪者が訪れた。

 

「失礼します」

 

 室内の状況がわかっているのか、いないのか。その人物は軽快な調子で挨拶をしてきた。全員の表情が、驚愕に彩られる。

 

「なっ……!」

「迅!?」

 

 現れたのは玉狛支部のS級隊員、迅悠一。彼はいつもの笑みを浮かべつつ、軽く手を挙げてみせる。

 

「どうもみなさんお揃いで。会議中にすみませんね」

「迅……!」

 

 珍しく、怒気を隠すことなく来訪者を睨み付ける城戸司令。だが彼が口を開く前に、鬼怒田が立ち上がって怒鳴り声を挙げた。

 

「きっさまぁ! 何をしに来た!? よくもまあのうのうと顔を出せたな!」

「まあまあ、血圧上がっちゃうよ?」

「なにおう!?」

「――何の用件だ、迅」

 

 更に言葉を重ねようとした鬼怒田を遮るように、城戸が口を開く。表情こそ常のモノとなったが、その口調には裂帛の感情が込められていた。

 

「宣戦布告でもしに来たか?」

「違うよ城戸さん。おれは交渉しに来たんだ」

 

 対し、笑みを消して真面目に応じる迅。何を、と声を挙げたのは鬼怒田だ。

 

「裏切っておきながら何をぬけぬけと……!」

「いや、本部の精鋭部隊を倒し、忍田本部長派とも手を組んだ。戦力的に優位になった今が交渉のタイミングでしょう」

 

 冷静に告げる唐沢営業部長。彼の言う通りだ。交渉とはその歴史上においても、大体が有利な方から持ちかけられる。完全に対等な条件における交渉というのは、基本的に存在しない。

 

「こちらの要求は一つ。うちの後輩、空閑遊真の入隊を認めて頂きたい」

 

 やはりというべきか、迅の要求は明確だった。彼は息を吐き、頭を掻く。

 

「太刀川さんが言うには、本部が認めないと入隊したことにならないらしいんだよね」

「成程、『模擬戦を除くボーダー隊員同士の戦闘を固く禁ずる』、か」

 

 得心がいったという風に頷く唐沢。なっ、と呻くような声を根付があげた。

 

「ボーダーの規則を盾にして、近界民を庇うつもりかね……!?」

「『ボーダーのルールを守れない者は、私の組織に必要ない』。そうだよね、城戸さん?」

 

 その言葉は彼が以前、三雲修という少年に向かって吐いた言葉だ。眉を僅かに上げ、城戸が迅へと言葉を紡ぐ。

 

「私が、そんな要求を呑むと思うか?」

「もちろん、ただでとは言わない。――代わりにこっちは、〝風刃〟を出す」

 

 城戸の目が大きく見開かれた。机の上に〝風刃〟を置き、迅は言葉を続ける。

 

「うちの後輩の入隊と引き換えに、〝風刃〟を本部に渡すよ」

「本気か迅!?」

「なんと……!」

 

 驚愕が広がっていく。あの忍田ですら戸惑っているようだった。冷静に視えるのは、城戸と唐沢だけである。

 

「そっちにとっても、悪くない取引だと思うけど?」

「取引だと……? そんなことをせずとも私は、太刀川たちとの規定外戦闘を理由にお前からトリガーを取り上げることもできる」

「その場合は当然、太刀川さんたちのトリガーも没収なんだよね? それはそれで好都合。正式に入隊日を迎えられる。むしろ、〝風刃〟の主がおれのままならありがたい話だ」

 

 揺さぶりも通じない。正面から、迅は城戸を見据えている。

 

「没収するのはお前のトリガーのみ、と言ったら?」

「試してみなよ。そんな話が通るかどうか」

 

 やはり、揺らがない。今城戸が言ったことを実践すれば、間違いなくボーダー内は割れる。例外というのはそれが許されるからこその例外だ。立場と強権を理由に例外を作ることは、組織の崩壊に繋がる。

 

「城戸司令……」

「城戸司令……!」

 

 迅の出した条件に利を見た鬼怒田と根付がこちらを視る。確かにそうだ。ここで〝風刃を〟手にできるのであれば、仮に件の黒トリガーが何かしようとも十二分に抑え込める勝算が立つ。メリットは大きい。

 そして、だからこそ妙なのだ。

 

「さあ、どうする城戸さん?」

 

 優位に立っているのは相手の方なのだ。交渉とは優位な方がまず条件を出し、劣勢な側がそれに対し妥協点を探るモノである。だというのに、これでは明らかにこちらに優位な交渉である。

 

「――何を企んでいる、迅」

 

 故に、容易く城戸は頷けない。彼はボーダーという組織の頂点に立っているのだ。その決定は絶対であり、だからこそ相応の責任がかかる。簡単に頷くことはできなかった。

 

「何も企んでなんかないよ。城戸さん、おれやボスがいつも悪巧みしてるって思ってない?」

 

 趣味は『暗躍』とのたまう男が何をとこの場の全員が思ったが、誰も口にしなかった。ちゃんと全員大人である。

 

「おれはただ、カッコよく陰から後輩の応援をしたいだけだよ。別にボーダーの主導権がどうとか、城戸さんたちに勝とうとか、そんなことはどうでもいい。後輩たちの戦いを、大人に邪魔させたくないだけだ」

 

 城戸の表情が険しくなる。そして畳みかけるように、迅は告げた。

 

「それに、おれの後輩たちは将来必ず役に立つ。城戸さんの『真の目的』にもね」

「…………!」

 

 城戸がその目を僅かに見開いた。そこへ、彼の口癖とでも言うべき言葉が重ねられた。

 

「おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 未来を見通す青年は、一体何を見据えているのか。

 沈黙が下りる。一度目を閉じると、いいだろう、と城戸は頷いた。

 

「取引成立だ。〝風刃〟と引き換えに、玉狛支部空閑遊真のボーダー入隊を正式に認める」

 

 周囲から安堵の息が漏れた。その中で、そうそう、と思い出したように迅が言葉を紡ぐ。

 

「これは今の取引とは完全に無関係なんだけど、一つだけ提案があるんだよね」

「提案……?」

 

 城戸が眉をひそめる。迅は先程までの真剣な表情から打って変っていつもの軽薄な雰囲気で言葉を紡いだ。

 

「希ちゃんのことなんだけどさ」

「――そうだ迅! キサマどうやって出木を引き入れた!? 奴が近界民を庇うなど、ありえんだろう!?」

 

 鬼怒田が声を張り上げる。根付が頷き、唐沢も態度で同意を示していた。城戸は読めないが、その雰囲気から同意見であることが伺える。

 だが、忍田は何とも言えない表情をしていた。迅も苦笑している。

 

「あれ、鬼怒田さん知らないの?」

「何をだ!」

「いや……あー、そういうことか。そりゃ誰も知らないわけだ」

 

 あはは、と苦笑を深くする迅。そして彼は、静かに言葉を紡いだ。

 

「希ちゃんをどこかのチームに入れた方がいい」

 

 全員が表情を変えた。どういうことだ、と首を傾げたのは忍田だ。

 

「確かに出木をあのまま遊ばせておくのは好ましいことではないが……」

「それもあるんだけど、前々から準備してる大侵攻。その時、希ちゃんがちゃんと戦力として機能している方がいい可能性がある」

「…………!」

 

 未来を見る彼の言葉には説得力がある。だが、はいそうですかと頷ける話でもない。

 

「しかし、出木くんは勧誘を何度も断っているという話でしょう? 無理矢理どこかの隊に所属させても、むしろ隊の連携が乱れる可能性が……」

「――いや、そうではないんだ根付さん」

 

 よく聞く噂だ。どこの部隊にも所属しないのは、己の身を置けるだけの部隊が無いから。彼女は彼女なりの論理で動いているというのが共通認識だった。

 だが、それを忍田が否定する。

 

「私も今回の件で知ったんだが……出木はそもそも、どこの部隊からも勧誘を受けていない」

 

 なに、とその場の全員が目を剥いた。そのまま忍田が、懐から端末を取り出しつつ迅に言葉を紡ぐ。

 

「迅、本当にその方がいいんだな?」

「100%、って言い方はできないけど、その方がいい未来に繋がる可能性が高い」

「――なら、単純な話だ」

 

 端末を操作する忍田。どういうことだ、と鬼怒田は言葉を紡いだ。

 

「出木が勧誘されたことがない……? それは一体」

「多分、色んな擦れ違いがあったんだよ鬼怒田さん」

「本人に聞くのが一番早い」

 

 端末を懐に戻し、忍田は言う。へぇ、と迅が笑った。

 

「呼んだの?」

「ああ。……出木の能力は貴重だ。その力を最大限に引き出せるなら、指揮官として努力は惜しまない」

 

 出撃前、彼は少女の想いを聞いた。何ということもなく話していたが、その在り方と今まではあまりに壮絶だったのだ。

 しかし、誰も気付かなかった。気付こうとしなかった。

 だから――

 

「後は本人次第だ。直に到着するだろう」

 

 困惑が残る中、少女の到着を待つボーダー幹部と実力派エリート。

 しばらくして、件の少女が控えめなノックと共に入室してきた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 三輪秀次は、自身でさえ整理しきれない感情を持て余していた。

 

「……くそっ……」

 

 頭の中に、ずっとあの二人の言葉が残り続けている。家族を失った出木希と迅悠一。それは同じだ。自分と。あの日、奪われた三輪秀次という男と同じはずなのだ。

 なのに、彼らは自分とは違う答えを出した。その理由と意味が、理解できない。

 

(ネイバーは敵だ。殲滅しなければならない)

 

 それは絶対の真理だ。あの日奪われた――だからこそ、絶対に許してはならないのだ。

 なのに、それを否定された。それが、理解できない。

 

〝私の家族を奪ったのは、彼ではありません〟

 

 出木の言葉が脳裏に響く。そんなことはわかっている。だが、それで許せるならそもそもこうなっていない。

 あの理不尽を、絶望を、その全てを許せないからこそ、三輪秀次はここにいるのだから。

 

「…………チッ」

 

 小さく舌打ちを零し、角を曲がろうとする三輪。その視界に、異様な光景が飛び込んできた。

 

 

 廊下で正座をする№1&2攻撃手、太刀川慶と風間蒼也。

 それを説教する本部長補佐、沢村響子。

 少し離れた場所でしゃがみ込み、震えながら頭を抱える復讐者、出木希。

 そんな彼女の近くに寄り添い、慰めるように背中を擦る嵐山隊オペレーター、綾辻遥。

 そして極氷の視線を容赦なく正座する二人に向ける嵐山隊エース、木虎藍。

 

 

 正直な話、意味不明な光景である。流石の三輪もあまりの光景に口を開けてフリーズしていた。

 

「基地内だったからいいものの、こんな深夜に女子高生を大学生二人で追いかけまわすなんて……今のご時世、弁明の暇もなく逮捕もあり得るわよ?」

 

 はあ、と息を吐きながら言う沢村。どうやらあの二人、出木を追いかけ回していたらしい。気持ちはわかる。事実、三輪も彼女の真意を知りたいとは思っていた。

 まあ、彼女が話すかどうかは別の問題ではあったのだが。

 

「いや、違うんだ沢村さん。俺たちは出木に聞きたいことがあって……」

「それでどうして、嫌がる女の子を二人がかりで追いかけ回すことになるのよ」

「声をかけようとしたら、逃げられて……」

 

 太刀川の声が徐々にしぼんでいく。風間は完全に黙秘を貫いていた。

 

「最低ですね」

 

 そこへ容赦なく浴びせられる木虎の一撃。おまっ、と太刀川が声を上げた。

 

「そうはいってもいきなり逃げられたらどうしようもないだろ!?」

「出木さんはいきなり声をかけると逃げます」

「なんだその警戒心が強い野良猫みたいな性質……」

 

 ポツリと呟く太刀川。とにかく、と沢村が言葉を紡いだ。

 

「迅くんがさっき会議室に入ったわ。多分、そこで今回の件についてある程度の決着がつくことになると思う。話はその後。今はお互いの立場もあるし、下手なことをしない方がいいと思うけれど」

 

 迅、という名前が出たために表情を変える太刀川と風間。だが、二人が何かを言う前にそのメロディが鳴り響いた。

 ――ベートーヴェン作曲、交響曲第三番。

 鳴り響くその音に一人の少女が大きく体を震わせ、スカートのポケットから端末を取り出した。そしてその画面を見、隣の綾辻の方へ向ける。

 

「え、見てもいいんですか? えっと……『緊急招集 第一会議室』……?」

 

 綾辻が読み上げた言葉に、その場の全員が首を傾げた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 一度深呼吸をし、会議室のドアへと手を伸ばす。なんというか、物凄く気が進まなかった。

 呼び出されたのは会議室であり、呼び出したのは忍田本部長である。彼一人ならばともかく、間違いなくこの中にはボーダー幹部が勢揃いしているはずだ。

 同年代、年上、年下――ボーダーには比較的若年層の者が多い。だが、出木希はそんな自身と年齢が近い相手と会話をするのさえ苦労するレベルである。そこに上司であり、更には自分の人事権を持つ相手となれば最早言葉を発することさえ躊躇してしまう。

 ちなみに彼女が自分から声をかけることがある相手は、嵐山、三輪、綾辻、木虎、木崎、寺島ぐらいである。会話をしたことがある相手となればもう少し増えるが、それはほぼ全て相手が声をかけてきたからこそのモノだ。前に挙げた六人ですら、ほとんど向こうから声をかけてくる。

 

(………………どうしよう)

 

 ノックしようとした手が止まる。背中に嫌な汗の感触を覚えた。何というか、幹部の人たちは希にとって怖い相手なのだ。

 忍田本部長はいい。色々気にしてくれているし、今回の出撃前に少し話をした時も『力になる』と真剣に言ってくれた。その言葉の真意はよくわからなかったが、話が下手な自分の言葉を聞いてくれて、やはりいい人だと思ったのだ。沢村が惚れるのもわかる気がした。

 鬼怒田室長は、何度か話したこともあるし、寺島チーフと会わせてサイドエフェクトのことで何度も世話になっている。いつでも相談しろ、とは彼の言葉だ。申し訳ないからしていないが。……ただ、今回は彼の敵に回った形である。それが非常に心苦しく、少し胃が痛い気もする。

 根付室長はよくわからない。入隊した際、嵐山に木虎と共に勧誘を受けた時に共に嵐山隊の活動について説明されたが、結局木虎が入隊したこともあって特に話をしたことがないのだ。

 唐沢営業部長はもっとわからない。とりあえず煙草をくわえる姿が似合うナイスガイである。

 城戸司令は怖い。ただただ怖い。

 ――ちなみに噂になっている出木希呼び出しの真相は、単純に司令の眼光を前に希がフリーズしていただけである。そこで何故か『気持ちはわかった』と司令が頷き、彼女は解放されたのである。そのせいで凄まじい胆力の持ち主という妙な誤解が生まれた。ちょっと悲劇。

 

「………………」

 

 ノックをすると、入りたまえ、という返答が返ってきた。城戸司令の声である。もしかしたら忍田本部長だけかもしれないという淡い希望は砕け散った。

 部屋に入ると、ボーダー幹部が勢揃いしていた。迅もおり、こちらに気付くとひらひらと手を振ってくる。

 全員に向けて静かに頭を下げると、城戸が厳かに口を開いた。

 

「急に呼び立ててすまない。先に言っておくが、呼び出したのはキミを糾弾するためではないと言っておく。本日起こった戦いについては、すでに決着がついた」

 

 その言葉に、驚きを隠せなかった。正直、玉狛に――空閑遊真という少年を守る側に付いたことについて、何か言われると思ったのだが。

 

「我々は空閑遊真の正式なボーダー入隊を認めた。今回呼び出したのは別の件だ」

 

 どう考えても拗れるだろうしまた戦闘があるかもしれないと思っていた希からすれば驚きの話だったが、彼の言う通りその話は既に終わっているらしく淡々と言葉を続ける。一瞬迅の方へ視線を送ると、彼はいつもの笑顔で頷いていた。

 

「前にも同じ用件で呼び出したが、もう一度聞こう。――何故、部隊に所属しないのかね?」

 

 どくん、と心臓の音が大きく鳴り響いた。その問いかけは確かに、かつてされたモノと同じだった。

 だが、あの時と同じで希には答える言葉がない。何故も何も、所属することができないのだから。

 

「家族を奪った近界民への復讐と、キミの動機については聞いている。一人で成し遂げたいとそう思う気持ちも理解はできる。だが、一人でできることは知れている。今日の戦いにおいても、キミは即席とはいえ嵐山隊や迅と連携をとっていた。チームの意識がないとも思えない。

 ならば、何故だ。キミの力については忍田本部長や鬼怒田室長から報告を受けている。そこにいる迅も太鼓判を押していた。だが現実として、ソロ隊員のまま。その理由を教えて貰いたい」

 

 その言い回しはこちらに最大限配慮したものだった。立場を考えれば問答無用で答えろと言うこともできたはずなのに、彼はそうしない。

 以前もそうだった。彼は無理矢理聞き出そうとしない。筋を通しに来る。

 だからこそ、心苦しい。答える術を持たぬ、自分自身が。

 

「そもそも、何故どこにも所属せんのだ? お前ならどこの部隊も欲しがるだろうに」

 

 呆れた調子でそんなことを言ったのは鬼怒田だ。その言葉に迅と忍田が表情を変える。希は、思わず自身のスカートを強く握り締めた。

 部隊に誘われたことは、この一年でたった一度だけだ。入隊時に声をかけてくれた嵐山准。彼だけだった。結局嵐山隊には木虎が入隊したが、それについては納得している。彼女は希にとって憧れの対象だ。悔しいとも羨ましいとも思う前に、ただただ凄いとしか思わなかった。

 それからは、木虎との約束も含めて部隊に所属できるだけの力をつけようとしてきた。

 けれど、駄目だった。駄目、だったのだ。

 ――出木希は、誰からも必要とされなかった。

 

「自分が納得できないというのもわかる。お前の力ならな。だが――」

「待って、鬼怒田さん」

 

 言いかけた彼の言葉を制したのは迅だった。彼はこちらまで歩いてくると、軽く背を叩いてくる。

 

「そうじゃないんだよ。おれもそう思ってた。だけど、そうじゃないんだ」

「なに?」

 

 鬼怒田が眉をひそめる。他の者たちも、忍田を除いて怪訝そうな表情を浮かべた。

 ただ、迅はこちらの背を叩いた後、真剣な表情でこちらを見据える。

 

「話を聞いた時にも言ったけど、やっぱりちゃんと話さないと駄目だよ。怖いのかもしれないし、その怖さをおれは理解できないのかもしれない。でも、大丈夫。未来はちゃんと、やってくる」

 

 言われ、忍田の方を見た。多分、相当頼りない顔をしていたと思う。今にも泣きそうな顔だったはずだ。だが彼は、一つ頷いた。大丈夫だ、とその目が告げている。

 一度、大きく息を吐いた。怖い。本当に怖い。言葉を紡ぐのが、どうしようもなく怖い。

 ――サイドエフェクト、〝瞬間完全記憶〟。

 この呪いのような力は、自身の言葉とそれに対して相手が返した言葉さえも完全に記憶する。だからこそ話す言葉には細心の注意が必要で、そのせいで会話が上手くできない。

 でも、それでは駄目だということもわかっていた。……わかって、いたのだ。

 だから。

 

「…………私は」

 

 きっとここが分岐点なのだと、そう、思った。

 

「私は、部隊に勧誘されたことは……ありません」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 ずっと一人きりだった。いや、正確には小学校の高学年になる頃からだ。

 覚えているのは、陰で聞こえてきた悪口だ。それは他愛の無いもので、客観的に考えればそれぐらいのことはよくあることだったのだと今では思う。

 だがそれは、あの時の自分にとってはこの上ない絶望だった。

 聞こえてきた悪口が消えず、そのせいで上手く話せなくなり、自然と一人になった。誰かに話したわけではないのに、この記憶力についてもいつの間にか知られていた。

 嫉妬と悪意が、こちらを向く。

 家族以外と言葉を交わすことは、次第に無くなっていった。ずっと一人で、どうしようもなくて。けれど家族がいたからどうにかなっていた。

 しかし、その全てが奪われた。

 そんな中で、必要としてくれた人が――期待してくれた人がいた。声をかけてくれた人がいた。ライバルだと呼んでくれる人が、この場所にいた。

 変われるかもしれないと、そう、思ったのだ。

 

「…………部隊に入りたいと考えた時……、強くなることがその方法だと伺いました……」

 

 必要とされる力があればいいと聞き、その力を求めた。己を鍛えるために、ただひたすら鍛錬を積み続けた。

 マスタークラスに到達するのに、一年かかった。だが、自分に声をかける者は誰もいなかった。

 

「……ですが……私は、一人のままで……」

 

 足りないのだろうと思った。

 自分の力は、足りないのだろうと。

 

「どうしたら……いいのでしょうか……?」

 

 気がつけば、そんな言葉が零れていた。

 迅と忍田、沢村の三人に話したのはただ己の力が足りず、どこからも声をかけて貰えないことと近界民を憎んでいるわけではなく、それよりも恐怖ばかりであることだけだ。

 あの時は何ともなかった。なのに、今更。

 

「……一人は、嫌です……」

 

 今更、どうして。

 

「どうしたら……私は……」

 

 涙が、溢れる――?

 

「……聞かせてもらいたい」

 

 一筋、零れた涙を拭うと、城戸が静かに言葉を紡いだ。鬼怒田と根付は目に見えて動揺しており、唐沢も完全にフリーズしているが希にそれらを見る余裕はない。

 

「キミは部隊に所属するつもりはあるのかね?」

「――はい」

 

 それは、ずっと願っていたことだ。

 一人は、辛い。誰もいないのは、本当に寂しい。

 ――それに、何より。

 遺された――生き残ってしまった自分がこんな風では、家族に合わせる顔が無かった。

 

「もう一つ。……近界民を、憎んでいるかね?」

「…………憎んでいないと言えば……嘘に、なります……。ですが、私は……それよりも、恐怖が、あって……」

 

 スカウトを受け、入隊式までの二週間。加古の好意で訓練を受けたが、最初の一週間は向かい合うだけで吐くぐらいだった。それを克服するだけで、どうしようもない絶望があったのだ。

 

「……それでも……私は……」

 

 そこから先の言葉は、紡げなかった。ただ俯き、唇を噛み締める。

 怖かった。己の言葉に対して相手がどう言葉を紡ぐのかが。ただ、怖くて。

 

「そうか。……そう、か」

 

 小さく吐息を零し、城戸は頷いた。そして、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「疲れている所を御苦労だった。今日のところはここまでとしよう」

「…………え……」

 

 思わず声が漏れた。城戸が頷くと、それを受けたように忍田が口を開く。

 

「我々としては、キミの力を遊ばせておくのは得策ではないと考えている。迅の予知もあった。……どこかの部隊に所属するつもりがあるというなら、それで構わない」

 

 予想外の言葉に、思わず何度も目を瞬かせる。城戸が故に、と言葉を紡いだ。

 

「意志があるというのなら話が早い。――来シーズンのランク戦。二月までに部隊への所属、もしくは新部隊の立ち上げを命じる」

 

 固まってしまった。無茶だ、と思う。所属できる部隊の先の当てもないし、部隊を率いるなど論外だ。

 聞き間違いかと思ったが、しっかり覚えていた。……自分のこの力が、ただただ恨めしい。

 

「以上だ。今後の働きに期待する」

 

 それは、死刑宣告のように聞こえた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 とぼとぼと、目に見えて堕ち込んだ調子で部屋を出て行った出木希を見送り――正直、そうとわかっていないといつも通りの無表情のせいで落ち込んでいるようには見えなかった――会議室の面々は大きく息を吐いた。そのため息には先程の一触即発状態より重みがある。

 

「しかし、まさか彼女の真意がああだとは……」

 

 嘆息と共に告げたのは根付だ。むぅ、とその隣に座る鬼怒田が唸る。

 

「言われてみれば、そうかもしれんな。経歴と……勝手な憶測だけで奴を測っておったわい」

 

 彼にしては珍しく、歯切れが悪い物言いだ。それはそうだろう。出木希はサイドエフェクトについて研究に協力してもらっており、彼自身何度も顔を合わせている。開発チーフの一人である寺島雷蔵の手がけたレイガストを愛用しているため、彼とも交流がある。その中で幾度となくトリガーの試運転にも協力してもらっていたのだ。

 新しいトリガーを生み出すというのは、地道な積み重ねによるものが大きい。ある日突然新兵器、というのは漫画の話だ。その作業の実態はひたすら地味である。そのため、テスターを用意するのは少々手間だ。

 口では文句は言わないが、若い組織ということもあってテスターをやりたがる者は少ない。そんな中で出木希という少女は何も言わず、不平も漏らさず、淡々とテストに付き合ってくれる。その上彼女のサイドエフェクトだ。アレは視覚、聴覚情報において一切の紛れを許さない。そのため、使用者としての僅かな差異も確実に記録できる。

 開発室自身、彼女に頼っている部分はあった。そしてそのモチベーションについても、より強力かつ効率的にネイバーを殲滅するトリガーを欲するが故と……そう、思っていた。思って、決めつけてしまっていた。

 

「それは仕方ないと思うよ、鬼怒田さん。……正直、真意を知ってるのなんてほとんどいないんじゃないかな」

 

 迅も珍しく苦笑している。キミは、と新しい煙草を咥えながら言葉を紡いだのは唐沢だった。

 

「どうやって知ったんだい?」

「未来が視えました。……そこで、ちょっと違和感があって、聞いてみたらアレです」

「出木は最初から、自身が部隊に組み込まれる前提で鍛錬を積んでいた。考えてみればおかしな話だ。本当に近界民を心の底から憎悪しているとしたなら……何故、『守る』ための戦い方をするのか」

 

 忍田が言う。その言葉も、聞けば成程確かにと思うようなことだ。出木希の戦闘方法は独特だ。守り、防ぎ、耐え、相手の隙を狙い撃つ。確実に倒すための戦術かと思っていたが、それなら初めから守る前に斬る方が早い。

 実際、攻撃手の大半がそうだ。守るよりも攻める。そうして前衛は動く。

 故に彼女は異端である。だからこそ目立ち、そこに憶測が飛び交う。そうしていつの間にか、憶測は真実となってしまった。少なくとも、彼女以外の全てにとっては。

 

「希ちゃんの前提は、『誰か』がいる戦い方だったんだ。今日の戦いで確信したよ。どこかで戦っている誰かがいる前提で、あの戦闘方法は成立してる」

 

 菊地原と歌川。あの二人を相手に凌ぎ切った時点で確信した。あの時、出木は二人を落とすつもりなどなかった。いや、隙があればそうしただろうが、積極的にそうするつもりはなかったのだ。迅の作戦があったとはいえ、彼女は自身の力量と役目を正確に判断し、あの選択をした。

 たった一人であるならば、己が敵を打たなければ勝利はない。だが、他に仲間がいるならば。そしてそれが迅悠一というS級隊員と、嵐山隊という強力な戦力であったなら。

 自身が無理に敵を倒す必要はない。抑え込み、厄介だと、時間がかかるとそう思わせるだけでいい。仲間のところから更に戦力を引き剥がせたら万々歳だ。その隙に、仲間が必ず敵を喰らうと彼女は信じているのだから。

 

「でも、希ちゃんは個人でマスタークラスにまで到達した――してしまった。それが、より一層その本質を覆い隠した」

 

 戦えてしまったのが、ある意味で彼女の不幸だ。そのサイドエフェクトも要因の一つであったと言える。

 相手の戦い方を覚えてしまうから、対応できる。

 そして、彼女はどんな相手であろうと五分に持っていける戦い方を続けた。ランク戦のシステム上、五分となればポイントが低い方に点数が大きく入る。そうして一年、休まず戦い続けた先に到達したのが今の領域。

 その本質は、他者と並び立つためのものでありながら。

 終ぞ、誰も彼女の隣に立つ者はいなかったのだ。

 

「……本来、これは本人に聞くべきことなのだろうが」

 

 厳かに口を開いたのは城戸司令だ。彼は正面から迅を見据え、問う。

 

「彼女がボーダーに入隊した本当の理由は何だ?」

「……『見たくない』、と」

 

 僅かに眉を下げ、迅は言った。頷くのは忍田だ。

 

「決して消せない、消えることのない四年前の記憶。その光景を繰り返したくないと、そう言っていた」

 

 それが、少女の理由。

 彼女が戦う、大切な意味。

 

「……ならば、いい」

 

 納得したように頷き、忍田の方へと城戸が視線を向ける。

 

「忍田本部長。先程告げた通り、出木隊員の部隊所属は早急に行わなければならない。手段は任せる」

「よろしいのですか?」

「事情を直接聞いたキミの方が、色々都合がよかろう」

 

 その言葉には一理がある。わかりました、と忍田は頷いた。

 

 この決定が、後日一つの騒ぎを引き起こすのだが。

 その中心となる少女はただ、絶望したような表情で何も知らずに歩いている。

 













出木希から見たボーダーの皆さん


・綾辻遥
 学校の一学年後輩。あの木戸指令を瞠目させ、唐沢営業部長に冷や汗を流させた彼女の芸術について、『記憶に掠ることもなかったために』素直に拍手したことがきっかけ。以後出会う度に少しだけ会話をしている。ちょっと憧れ。

・犬飼澄晴
 隣のクラスの同級生。実は同級生では唯一、希と会話をする相手。唯一という辺り色々問題な気もするが、希本人は非常に感謝している。犬飼自身はただの興味で話しかけて以来、何となく習慣化している様子。
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